詳細検索結果
以下の条件での結果を表示する: 検索条件を変更
クエリ検索: "日常" 映画
14,779件中 1-20の結果を表示しています
  • 「日常の政治」のエスノグラフィーへ
    好井 裕明
    社会学評論
    2009年 60 巻 1 号 109-123
    発行日: 2009/06/30
    公開日: 2010/08/01
    ジャーナル フリー
    映画
    やドキュメンタリーを読み解く社会学は可能だろうか.たとえば長谷正人は私的宇宙に内閉しがちな巷ちまたの
    映画
    評論ではなく,
    映画
    が時代との関連性や様々な歴史的制約のもとで製作されるという事実から時代や歴史との繁がりで「
    映画
    の政治」を批判的に解読する社会学を構想し例証する(長谷・中村編2003).私はそうした主張に同意しながら,別様の可能性を本稿では示したい.それは「
    日常
    の政治」を読み解く
    映画
    社会学という可能性である.「
    日常
    の政治」は,私たちが普段実践している「人々の社会学(folk sociology)」の中に息づいている.そうした「政治」を
    映画
    やドキュメンタリーから読み解く手がかりは何だろうか.それは「カテゴリー化」という実践である.本稿では,3つの
    映画
    やドキュメンタリーを取り上げ障害者をめぐるカテゴリー化という実践の変容を例証する.現在,ライフストーリー研究など質的な社会学研究が盛んに行われているが,そうした研究においても「カテゴリー化」の解読は重要な作業である.同様に,
    映画
    やドキュメンタリーという素材は,たとえばそこに提示されている多様な映像を「カテゴリー化」という視座から批判的に読み解くことで,私たちが「
    日常
    の政治」を反省し得る社会学を創造する可能性を秘めているのである.
  • 1950年代のスクリーンにおける観客の欲望モードの文化的変遷
    北村 匡平
    社会学評論
    2017年 68 巻 2 号 230-247
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/09/30
    ジャーナル フリー

    敗戦から1950年代にかけて, 大衆娯楽として最も隆盛していた

    映画
    は, 多くの国民的スターを輩出した. この時代のスターダムにおけるスターイメージの変遷とそれを価値づける言説に, 大衆の欲望モードの変化がみられるのが1955年頃である. 本稿は, 原節子と高峰三枝子に代表される占領期的な欲望を体現する‹理想化の時代›から, 1955年以降の若尾文子を代表とする‹
    日常
    性の時代›への推移を見取り図として,
    映画
    スターに対する大衆の欲望モードの偏差を浮上させることを目的とする.

    この転換期, 大衆の集合的欲望を最も引き受けていたのは若尾文子であった. 超俗的な美貌をもった占領期のスター女優とは異なり, 若尾文子を価値づける言説は, 「庶民的」「親近感」「平凡」であり, 大衆の‹

    日常
    性›を体現するペルソナを呈示していたからこそ彼女はスターダムの頂点にのぼりつめることができた. 本稿は, 娯楽雑誌におけるスターの語られ方を分析することによって, 経済発展だけでは説明できない言説空間の変容を捉える. そこで見出されるのは, 占領期の‹理想化›された社会を象徴するスターへの反動として, 大衆文化を具現する‹
    日常
    ›の体現者を称揚する言説構成である. スターを媒介にして自己を見つめ返すようなまなざしの構造が生成する1950年代中頃, 若尾文子は「平均的」であることによって大衆の‹
    日常
    性›を演じ, 若者の「リアリティ」を体現したのである.

  • 小林 美恵子
    ことば
    2021年 42 巻 21-38
    発行日: 2021/12/31
    公開日: 2021/12/31
    ジャーナル フリー

    映画
    『何者』などで男子大学生どうしの親密さを表すものとして、中性化しないいわば「男性特有」の話し方(形式)が存在する。このような話し方が自然談話ではどのように現れるかを『談話資料・
    日常
    生活のことば』において検討した。その結果、全体では1/5程度の男性話者がこのような話し方をしていること、特に20代と60・70代にめだつことがわかった。その理由は対話の相手との関係(親しさなど)によると考えられる。また、特に高年代では使用のバリエーションや現れ方が多様で、
    映画
    に現れる高年代の男性のことばや話し方とは必ずしも同じようではないということもわかった。

  • 小林 美恵子
    ことば
    2020年 41 巻 3-20
    発行日: 2020/12/31
    公開日: 2020/12/31
    ジャーナル フリー

    映画
    『何者』などにみられた若い女性のことばの中性化の傾向が、自然談話ではどのように現れているのかを比較検討した。その結果、若い世代のことばの中性化は『何者』ほど極端ではないものの同様に進んでいること、高年代では女性形式、中性形式、男性形式にまたがる多様な形式を使用する話者がいることが分かった。高年代の多様化については、「女性語」話者の高齢化、役割語としての「おばあさん」語の影響などが考えられる。

  • 小林 美恵子
    ことば
    2019年 40 巻 106-123
    発行日: 2019/12/31
    公開日: 2019/12/31
    ジャーナル フリー

    女性文末助詞「わ」「かしら」不使用など、日本語の中性化がいわれているが、作家性が反映するTVドラマや

    映画
    では、自然談話よりも女性・男性形式の使用が残っているという。しかしこれらの分野でも、現実の影響を受けた作家性の変化や、観客に受容されるリアリティから、通時的にみれば中性化は進んでいる。

    映画
    『何者』の文末形式や、丁寧体の使用、若者ことばなども中性化してきている。一方、一部の男性文末助詞や「すげー」「ねー」などの音変化、人の呼び方などについては、男女差があいかわらず残っているが、それらは自然談話の状況とほぼ一致し、実際の話しことばを反映しているといえる。

  • 田村 謙典
    マス・コミュニケーション研究
    2007年 70 巻 213-232
    発行日: 2007/01/30
    公開日: 2017/10/06
    ジャーナル フリー
    Considerable research has been devoted to revealing the logic of justifications for the wartime structure of social domination. Rather less attention has been paid to the logic of teachers' consumption of films. I will focus on teachers' film consumption in the 1930s, by analyzing the "Moving wall chart" controversy. This controversy shows us the foundations of film consumption, thus explaining not only how the logic of teachers' education benefits the construction of nationalism through films, but also demonstrating that there is a particular politics of perception in watching films.
  • -16mm フィルムとスクリーンにおける、DI 処理の効果-
    *嶺 豪一, 白石 雄介, 黒谷 彬仁, 田村 元幸, 檜山 茂雄
    画像電子学会研究会講演予稿
    2011年 10.06 巻 10-06-31
    発行日: 2011年
    公開日: 2019/03/31
    会議録・要旨集 認証あり
    授業で製作された短編
    映画
    「よもすがら」(16mm/カラー,一部D.I 処理 25 分 光学録音)16mm フィルムとスクリーンにおける、D.I 処理の効果、について。2011年、現在の日本から見た戦後の家族の時代を描いてみた。
    映画
    表現ができる'
    日常から非日常
    へ' と観客を連れていけるような構成にした。主人公の夢。一貫して何か一つの事へのめり込む力、しかし、どうすることも出来ない
    日常
    の想いをなどを、この
    映画
    におさめてみた。
  • 小林 美恵子
    ことば
    2017年 38 巻 7-8
    発行日: 2017/12/31
    公開日: 2018/01/12
    ジャーナル フリー
  • ―〈役割語〉世界にみる女性のことばの変遷―
    小林 美恵子
    ことば
    2023年 44 巻 3-20
    発行日: 2023/12/31
    公開日: 2023/12/31
    ジャーナル フリー

    自然談話における高年代女性のことばと対比して、小説・マンガなどに見られる役割語としての〈おばあさん語〉の様相と明治以後の使用の流れを確認した。〈おばあさん語〉の特徴である江戸語・関東語由来の中性文末形式使用のことばは高年代女性に限らず女性一般に使われ続けてきており、さらに戦後には高年代女性の〈女ことば〉の使用も見られるようになってきていることがわかった。

  • 郷愁を伴った野性のエロティシズム
    小暮 修三
    映画
    研究

    2016年 11 巻 40-56
    発行日: 2016年
    公開日: 2017/02/24
    ジャーナル オープンアクセス
  • 問題発見・解決のための演習と教材開発に向けて
    木塚 あゆみ, 原田 泰, 大場 みち子, 美馬 義亮, 柳 英克
    日本デザイン学会研究発表大会概要集
    2016年 63 巻 A4-02
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/06/30
    会議録・要旨集 フリー
    社会に根ざした問題を発見し解決するスキルをもった人材を育成するため、問題発見・解決を実践する前の練習としてSF
    映画
    を題材にしたデザインワークショップを行った。このワークショップでは、
    映画
    の世界で使われそうな道具やサービスを考え、最終的にはアクティングアウトを用いたプレゼンを行なう。我々は観察対象となる
    映画
    の世界をチームで共有しアイデアを外化するためのツールとして「ハコニワ型発想支援ボード」を開発した。これを用いることで参加者はチームで
    映画
    の世界の人々の視点で想像し、
    映画
    の世界で使われそうな道具やサービスのプロトタイプを作成できた。またSF
    映画
    という
    日常
    から離れた題材によって、問題発見・解決スキルの未熟さを補える可能性が明らかになった。
  • 名倉 健二
    コンクリート工学
    2021年 59 巻 6 号 549
    発行日: 2021年
    公開日: 2022/06/01
    ジャーナル 認証あり
  • 嶺 豪一, 白石 雄介, 黒谷 彬仁, 田村 元幸, 檜山 茂雄
    映像情報メディア学会技術報告
    2011年 35.14 巻 AIT2011-43
    発行日: 2011/03/04
    公開日: 2017/09/21
    会議録・要旨集 フリー
    授業で製作された短編
    映画
    『よもすがら』(16mm/カラー,一部D.I処理25分光学録音)16mmフィルムとスクリーンにおける、D.I処理の効果、について。2011年、現在の日本から見た戦後の家族の時代を描いてみた。
    映画
    表現ができる'
    日常から非日常
    へ'と観客を連れていけるような構成にした。主人公の夢。一貫して何か一つの事へのめり込む力、しかし、どうすることも出来ない
    日常
    の想いをなどを、この
    映画
    におさめてみた。
  • 佐藤 知条
    教育方法学研究
    2018年 43 巻 71-81
    発行日: 2018/03/31
    公開日: 2019/04/01
    ジャーナル フリー

     本稿では,大正新教育期の成城小学校における

    映画
    の教材利用の様相を明らかにし,後の
    映画
    教育の展開との関連を考察した。

     まず,取り組みの中心的な役割を担った訓導,関猛の論文を検討して取り組みの実情を考察した。関は,学習者の感覚に訴える,直観的印象を明確にする,具体的経験を通した学習ができるといった,一般的で抽象的な表現で

    映画
    の教材としての利用価値を主張し続けた。そこには,成城小学校の新教育の考え方に基づいた児童中心の学習の実現に向けた
    映画
    利用法も研究していたが成果を得られなかったことが関連していたと考えられる。

     つぎに,成城小学校の取り組みと後の

    映画
    教育との関連を検討した。成城小学校時代の関の主張は粗放であり理論の提示とはいえないが,奈良県桜井小学校訓導の下野宗逸は関の論文に強く影響を受けながら独自の
    映画
    利用論を構築した。下野の登場は,国定教科書の内容理解を促す教材として
    映画
    利用を拡大させる動きを導いた。一方,成城小学校を離れた関は1930年代半ばに,
    映画
    によって児童中心の学習を実現させるという考え方を具体的な指導案や自作した教材
    映画
    を通して初めて提示した。その教材
    映画
    は戦後にも受け継がれ,
    映画
    教育の方向性にも影響を与えた。理論の継承や発展,人的な連続性といった側面からは見えにくいが,成城小学校の
    映画利用と後の映画
    教育との間には確かな関連が存在しているのである。

  • *大林 宣彦
    日本
    映画
    学会大会報告集

    2018年 14 巻
    発行日: 2018/12/08
    公開日: 2024/03/25
    会議録・要旨集 オープンアクセス
  • ―見えない・聞こえない者と映画の接点を探る―
    大河内 直之
    社会臨床雑誌
    2019年 26 巻 2 号 69-75
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/03
    ジャーナル オープンアクセス
  • 柴 一実
    理科教育学研究
    2003年 43 巻 3 号 1-12
    発行日: 2003/03/05
    公開日: 2022/06/30
    ジャーナル フリー

    本研究は,占領下日本における理科関係のCIE 教育

    映画
    の実態, CIE 教育
    映画
    の学校での利用法及びCIE教育
    映画
    の理科教育改革に及ぼした影響などについて明らかにすることを目的とした。諸資料による文献研究及び関係者へのインタビューの結果,次の諸点が認められた。1. CIE 教育
    映画
    はアメリカやイギリスなどで製作されただけでなく, 日本でも製作された。日本で製作されたCIE 教育
    映画
    「火の用心」は,アメリカ製CIE 教育
    映画
    「火の化学」の一部を採録して製作されたが,「火の化学」に見劣りしない教育的価値の高い
    映画
    であった。2. CIE教育
    映画
    「火の用心」と「火の化学」は小・中学校の教科書の不備を補足するだけでなく,火災予防という社会的ニーズに応えるものであった。3. CIE教育
    映画は学校現場に映画
    教材を提供しただけでなく,日本における良質の
    映画
    教材の開発を一層促進し,学校での
    映画
    利用を容易にしたのではないかと考えられる。4. CIE や地方軍政部,文部省などによって, CIE 教育
    映画
    視聴後,「研究と討論の栞」を用いて「討論」を行うことが奨励されていた。5. CIE 教育
    映画
    上映は,今日の各都道府県視聴覚ライブラリー設立の契機となっており,理科における視聴覚教育の先駆けであった。

  • 川崎 賢子
    演劇学論集 日本演劇学会紀要
    2016年 62 巻 123-127
    発行日: 2016/05/30
    公開日: 2016/06/07
    ジャーナル フリー
  • 『壁の中の秘事』・『現代好色伝 テロルの季節』における「密室」
    今井 瞳良
    映画
    研究

    2019年 14 巻 50-70
    発行日: 2019年
    公開日: 2020/04/09
    ジャーナル オープンアクセス
    本稿は、団地を舞台とした『壁の中の秘事』(1965年)と『現代好色伝 テロルの季節』(1969年)の分析を通して、若松孝二の「密室」の機能を明らかにすることを目的とする。若松の「密室」は、松田政男が中心となって提唱された「風景論」において、「風景(=権力)」への抵抗として重要な地位を与えられてきた。「風景論」における「密室」は、外側の「風景」に相対する「個人=性」のアレゴリーであり、「密室」と「風景」は切り離されている。しかし、若松の団地はメディアによって外側と接続されており、「風景論」の「密室」とは異なる空間であった。『壁の中の秘事』では、「密室」を出た浪人生・ 誠による殺人がメディアを介して「密室」に回帰することで、メディアの回路を提示し、『現代好色伝』は「密室」を出た後のテロを不可視化することで、メディアの回路が切断されている。若松の団地は、 脱「密室」の空間であり、メディアが
    日常
    生活に侵入している環境自体を問い直す「政治性」を持っていたのである。
  • 戦時期日本における「ドキュメンタリー」の方法論の実践
    森田 典子
    映像学
    2018年 100 巻 10-31
    発行日: 2018/07/25
    公開日: 2019/03/05
    ジャーナル フリー

    【要旨】

     本稿は、戦時期日本の文化

    映画
    業界で活動した中堅プロダクション・芸術
    映画
    社の製作者らが、ポール・ローサの「ドキュメンタリー」の概念を方法論として取り入れることで製作現場を変容させ、結果として文化
    映画
    の映像表現を刷新したということを明らかにする。具体的には、その方法論をはじめて本格的に模索した『雪国』(1939)と、それらの模索を経て新たな方法論を生み出した『或る保姆の記録』(1942)という特徴的な2作品の製作実践について論じる。さらに、これらの実践が芸術
    映画
    社にとって、日本における戦時体制の強化に対処する手立てとなっていたという点を示唆する。

     これまでの日本のドキュメンタリー

    映画
    研究は、戦争責任論を背景にして戦後に台頭した製作者らによる「ドキュメンタリー」の実践活動を重視し、その反面で戦前世代による文化
    映画
    業界での実践活動を看過してきた。これに対して本稿では、1930年代後半から1940年代初頭にかけてローサの「ドキュメンタリー」の概念を積極的に導入した芸術
    映画
    社の実践に着目する。カルチュラル・スタディーズの視座を用いて、作品映像と製作者らの言説の中から、当時の社会状況と製作活動とのせめぎ合いを探る。まず『雪国』のスタッフが社会問題をテーマとして掲げ、創造的な方法論を模索するなかで再現手法を試みたことを、次に『或る保姆の記録』のスタッフがテーマよりも撮影対象の追求を重視し、その方法論として対象との協同関係を構築したことを考察する。

feedback
Top