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389件中 1-20の結果を表示しています
  • *吉村 健司
    日本地理学会発表要旨集
    2014年 2014a 巻 111
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/10/01
    会議録・要旨集 フリー
     沖縄県
    本部町
    は、県内でも有数のカツオの水揚げの地として名を馳せてきた。しかし、近年は燃料価格の高騰や後継者不足といった問題から、衰退の一途をたどっている。燃料価格の高騰はカツオ漁の操業形式にも大きな影響を与えており、後継者不足の問題と併せて、
    本部町
    のカツオ漁の維持において非常に大きな問題となっている。 現在の沖縄のカツオ漁における主漁場はパヤオとよばれる人工浮魚礁だが、ソネとよばれる海底岩礁も利用されてきた。特に、ソネについては漁業者の経験知に基づいて利用されてきた。換言すれば、ソネの利用は
    本部町
    のカツオ漁の歴史であり、カツオ漁における伝統的技術といえる。パヤオでの操業が主流となり、燃料価格の高騰に起因する操業範囲の規制は、こうした
    本部町
    の漁場利用に関する知識や経験といった、一つの「伝統」の焼失につながる。 そこで、本報告では
    本部町
    のカツオ漁におけるソネの漁場利用について、その利用形態および特徴を2つの船団の漁業日誌(1981 年~96 年、2000 年~2010 年)と聞き取り調査に基づき、その特徴について報告する。
  • *吉村 健司
    日本地理学会発表要旨集
    2015年 2015s 巻 814
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
    会議録・要旨集 フリー
    沖縄県
    本部町
    は、県内でも有数のカツオの水揚げの地として名を馳せてきた。しかし、近年は衰退傾向にある。燃料価格の高騰や後継者不足の問題などの社会問題に加え、南西諸島域のカツオ漁の独特の問題として餌料確保の点が挙げられる。カツオ漁では、キビナゴなどのイワシ系の小魚を撒きながら漁を行う。そのため、餌料の入手は、カツオ漁の操業の可否決定要因の一つである。  本報告で対象とする沖縄県
    本部町
    のカツオ漁では、2010年にカツオ一本釣漁船団の「第十一徳用丸」(徳用丸)が解散した。徳用丸は餌料採捕班とカツオ釣獲班による船団内分業を採用する、沖縄に古くから存在した形式を保持した船団であった。ところが、徳用丸も餌料採捕の問題を含む冒頭に挙げた諸点を理由に解散した。現在では5名体制から「第二黒潮丸」が操業しているものの、規模は徳用丸と比べ、小さく漁獲量も少ない。餌料は自ら採捕しているものの、安定的に採捕できていないのが現状である。
    本部町
    のカツオ漁において餌料採捕の状況がカツオ漁の盛衰とは無関係ではない。そこで、本報告では
    本部町
    のカツオ漁の衰退要因として挙げられる餌料採捕の状況について、その変化について報告を行う。  現在、
    本部町
    におけるカツオ漁は、水産業に占める生産額、水揚量のうち約3割を占める主力漁業となっている。カツオ漁に用いる餌料採捕では、古くから「四艘張網」と呼ばれる集魚灯と敷網を用いた漁法が用いられてきた。集魚灯により魚を集魚し、4艘の船を四方に配置し、網を張り、そこに魚を誘導する漁法である。この漁法は1970年以降、沖縄県では
    本部町
    のみで行われてきた漁法である。現在も集魚灯によって魚を網に誘導する漁法であるが、かつてのような四艘張網ではなくなっている。この漁法は集魚灯の明かりによって魚をおびき寄せるため、沖縄で多く流出する赤土は、集魚効果を減少させるため操業の疎外要因となる。また、同様の理由で月夜には操業ができない 1970年台には
    本部町
    のカツオ漁における餌料採捕漁場は、運天港(今帰仁村)、瀬底島(
    本部町
    )、名護湾(名護市)というように、本部半島一帯を利用してきた。特に運天港は最大の漁場で、
    本部町
    のカツオ漁の歴史において欠かすことのできない漁場といえる。その後、
    本部町
    周辺では、埋め立てや橋梁建設などが相次ぎ、
    本部町
    沿岸域、特に瀬底島周辺の利用が減少し、利用の中心は運天港に集中することとなった。名護湾は、旧暦の9月過ぎに吹き始める季節風であるミーニシ(新北風)が吹き始める頃に利用する、補完的な漁場であった。これは本部半島の山々が風を遮るため、操業が行いやすいためである。逆に、運天港では風の影響を受けるため操業が困難となる。現在は、母港である渡久地港の地先のみを利用しているのが現状である。渡久地港地先では運天港と違い、カツオ漁の出漁に耐えうるほどの餌料を採捕できないことも多々あり、餌料採捕漁場としては、決して十分とはいえない。  
    本部町
    のカツオ漁の餌料採捕漁場は、カツオ漁の衰退とともに、利用してきた漁場が縮小していった。カツオ漁の出漁可否の決定要因は餌料にあることから、大規模漁場の運天港の利用こそが、カツオ漁の安定操業に重大な貢献を果たしてきたことがわかる。 
  • *吉村 健司
    日本地理学会発表要旨集
    2015年 2015a 巻 513
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/10/05
    会議録・要旨集 フリー
    沖縄県のカツオ一本釣漁は1901年に座間味島で開始され、その後、全県的に普及していった。しかし、現在ではカツオ一本釣漁を保持しているのは、沖縄本島の
    本部町
    、宮古列島の伊良部島、八重山列島の石垣島の3地域のみとなった。その他、曳縄漁が数地域で行われている。  現在、カツオ漁の漁場は「パヤオである」と一般的には説明される。パヤオとは、海面、海中に敷設した浮魚礁のことであり、沖縄県では1981年に八重山方面にて東レ株式会社が設置したのを契機に、1982年には伊良部漁協が設置し、全県的に普及した。ただし、実際には県内全域のカツオ漁を見渡してみると、必ずしもパヤオだけに依存していない。そこで、本発表では、
    本部町
    、伊良部島、与那国島を事例にカツオ漁の漁場の差異について報告を行う。
    本部町
    は沖縄本島北西部に位置している自治体で、カツオ漁は1904年に開始された。沖縄本島で唯一カツオ一本釣漁が残る地域である。2015年現在、カツオ一本釣漁は6名から構成される船団が一隻と、1~2名により操業される経営体が4隻ある。
    本部町
    のカツオ漁の特徴は餌料採捕からカツオ釣獲までを自ら一貫して行う点にある。
    伊良部島は宮古列島に位置する島で、1907年にカツオ一本釣漁が開始された。現在は6名~8名で構成される船団が4隻操業している。餌料は船団ごとに契約する餌料採捕集団によって供給される。
    与那国島は八重山列島の最西端に位置し、また日本最西端に位置しており「国境の島」である。かつてはカツオ一本釣漁も行われ、日本で最もカツオ節を生産していた時代もあったが、現在では曳縄漁が中心である。また、カツオ漁はカジキ漁の餌漁としての側面もある。
    本部町
    ではパヤオ導入以前はソネや特定の島の周辺を利用し、季節性による漁場の使い分けが見られた。また、
    本部町
    のカツオ漁場の特徴は薩南から続くソネ域の南端を利用することにあったが、現在ではパヤオのみの利用となっている。また、パヤオまでは根拠地から3時間から5時間程度と県内では最も遠い部類に入る。  伊良部島ではかつて沖縄本島より南西に位置するソネから、八重山列島のソネを利用していたが、現在は鳥付群やパヤオを中心とした漁場利用である。伊良部島のカツオ船4隻のうち3隻は海鳥レーダーを利用し、魚群探索をしている。漁場までは概ね2時間程度である。  与那国島は他2地域と異なり、漁場が最短で30分程度で、地形的に島そのものが魚礁の役割をしていると考えられる。漁獲は多くて200㎏/日程度で、他の2地域よりは少ない。  2015年現在、伊良部島と与那国島ではパヤオでの漁獲は少なく、ソネや鳥付群での操業を中心に行っている。大型のカツオの漁獲が好調である。この2地域は漁場までは近く、漁場としての優位性は高いものといえる。一方、
    本部町
    ではパヤオからの漁獲は少なく、また遠いことから漁場としての優位性は低いものといえる。
  • 与那国島におけるカツオ漁を事例に
    吉村 健司
    地域漁業研究
    2013年 53 巻 1-2 号 109-127
    発行日: 2013/07/01
    公開日: 2020/12/04
    ジャーナル オープンアクセス

    沖縄県は,かつては日本でも有数のカツオの漁獲地であったが,近年では風前の灯である。しかし,与那国島ではカツオ漁が産業として復活を遂げ,現在,それに伴い漁業者の生業戦略や社会経済の変化が起き始めている。本稿では,与那国島社会で見られる変化について報告する。また,与那国島のカツオ漁研究が提供しうる漁業地域研究の可能性について言及する。

    現在の与那国島漁業の中心はカジキ漁である。歴史的には与那国島は八重山諸島におけるカツオ漁の先進地域として栄えた。しかし,1980年代より経済的な点から,カツオは未利用魚となり,カツオ漁はカジキ漁の餌漁業という位置付けに変化した。その後,2010年から石垣島の企業によってカツオ漁が再び産業化した。カツオ漁の再産業化は漁業者の漁業形態,流通形態に対して変化を与えている。これらの変化は,漁業の安定化や新たな漁業収入の提供といった変化をもたらす一方で,社会関係の変化をもたらす可能性を有している。

    本研究は,漁業の多面的機能論における文化的位置付けを明らかにするにあたって,きわめて示唆的である。これまでの漁業関連の文化研究では,魚食や信仰といった個別的な事例に特化されていた。しかし,漁業の変化による社会関係の変化,さらに,その社会関係によって構成される各種の文化の諸相を民族誌的記述によって捉えることによって,漁業の文化的多面的機能が明らかにすることができるものと考えられる。

  • カツオ群のパヤオへの蝟集状況悪化に対する各地域の対応を事例に
    吉村 健司
    地域漁業研究
    2016年 56 巻 3 号 123-136
    発行日: 2016/06/01
    公開日: 2020/06/26
    ジャーナル オープンアクセス

    沖縄県にパヤオが導入されて以降,沖縄のカツオ漁の漁場はパヤオ(浮魚礁)が中心的となっている。パヤオはカツオなどの魚類が漂流物に蝟集する習性を利用した集魚装置である。ところが,2015年には,そのパヤオに対してカツオ群が蝟集しないという状況が漁業者の間から多数聞かれた。こういった状況下のカツオ漁においては,パヤオ以外の利用が想定されると推察される。本稿では,こうした状況に対して,沖縄県内のカツオ漁操業地域である

    本部町
    と伊良部島の2地域を事例に,カツオ群のパヤオへの蝟集状況悪化に対する,それぞれの地域における漁場利用の実際に着目しながら,各地域の対応について報告する。その結果,
    本部町
    ではパヤオの利用に固執し,伊良部島では鳥付カツオや野天カツオの探索,ソネの利用というようにパヤオ以外の漁場を求めていたことがわかった。こうした背景には,
    本部町
    では餌料不足や操業体制,根拠地と漁場との地理関係によって,パヤオを利用せざるを得ない状況にあった。伊良部島では従来,パヤオの利用を補完する装備である海鳥レーダーによって,パヤオ以外を回遊する鳥付カツオ群の探索を可能にしたことで,カツオ群のパヤオへの蝟集状況悪化に対応した。

  • 仲里 長浩
    日本建築学会計画系論文集
    2011年 76 巻 665 号 1259-1265
    発行日: 2011/07/30
    公開日: 2011/11/17
    ジャーナル フリー
    The aim in this study is to clarify a size distribution of fukugi trees in the villages by measuring tree trunk, and use of fukugi as building materials by hearing from residents. It was surveyed in 13 areas in Okinawa. The size distribution in each survey area was similar in spite of a difference of their historical backgrounds. This seems to be caused by cutting trees following the shortage of commodities for several years after war. In those days, cutting fukugi trees not only supplied building materials to residents but also brought a safety windbreak forest surrounding houses.
  • *小川 滋之
    日本地理学会発表要旨集
    2013年 2013s 巻 228
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
    会議録・要旨集 フリー
    研究の背景と目的: セイロンベンケイ(kalanchoe pinnata)は,ベンケイソウ科リュウキュウベンケイ属の多年草である.原産地はマダガスカル島といわれているが,現在では熱帯地域や亜熱帯地域に広くみられる.園芸植物として導入されたものが,各地域で帰化して分布を拡大した.特にハワイ諸島や小笠原諸島などの海洋島では,在来種の生育を阻害することが懸念されている(図1).しかし南西諸島では,こうした外来種の問題は現時点で起こっておらず,セイロンベンケイの分布や生態についても不明な点が多い.本報告では,南西諸島におけるセイロンベンケイの生育地の分布特性を検討した.調査地と方法: 調査地は,南西諸島の中でもセイロンベンケイが多くみられる沖縄島の本部半島を選定した.広域的な生育地の分布調査と,生育地の日照条件と土壌条件の立地環境調査,生育地内におけるセイロンベンケイの優占度の調査を行った.結果と考察: 本部半島におけるセイロンベンケイの生育地の分布は,琉球石灰岩(第四紀)地域と古期石灰岩(中・古生代)地域で二つのタイプに分けられた.琉球石灰岩地域では,海岸付近の岩礁や道路法面の開放地に分布していた.生育地内の優占度は44.0%~96.3%であり,その中でも道路法面にみられる生育地の優占度が高かった(図2).道路法面では土層がほとんどなく,日照時間600分/day以上の環境下で生育地が多く分布していた.地質ごとにみると,琉球石灰岩地域の方が生育地内の優占度が高い.古期石灰岩地域でも,自然の露岩地や道路法面の開放地に分布していた.生育地内の優占度は12.1%~63.2%であり,比較的日照時間が長い道路法面で優占度が高かった. このように本部半島におけるセイロンベンケイの生育地の分布は,人為的に改変された道路法面で最も多く,自然の中では少なかった.そのため,全体的に森林で覆われている本部半島においては,人為的改変が無かったとしたなら,セイロンベンケイの分布は非常に少ない.自然の状態でも裸地が多いハワイ諸島や小笠原諸島などの海洋島とは異なるため,それほど分布が拡大していない.今後としても,セイロンベンケイの分布が拡大する可能性は低いと考えられる.
  • 波照間 永子, 森下 はるみ
    日本体育学会大会号
    1994年 45 巻 123G02
    発行日: 1994/08/25
    公開日: 2017/08/25
    会議録・要旨集 フリー
  • 松本 瑠偉, 内田 詮三, 戸田 実, 仲谷 一宏
    魚類学雑誌
    2006年 53 巻 2 号 181-187
    発行日: 2006/11/25
    公開日: 2010/06/28
    ジャーナル フリー
    The bull shark, Carcharhinus leucas (Müller and Henle, 1839), previously reported from Japanese waters but without voucher specimens, is herein reported and its status as a Japanese species confirmed, from 33 specimens, including three from a riverine habitat, collected from Okinawa and Iriomote Islands, Okinawa Prefecture, Japan.
  • 塩月 亮子
    日本橋学館大学紀要
    2008年 7 巻 49-65
    発行日: 2008/03/01
    公開日: 2018/02/07
    ジャーナル フリー
    本稿では、沖縄における死の変容を、火葬の普及、葬儀社の出現、葬儀時の僧侶への依頼という3つのファクターから考察することを試みた。その結果、沖縄では近代化が進むなか、特に1972年の本土復帰以降、火葬場が多数設置されて火葬が広まり、土葬や洗骨の風習が廃れていったこと、および、今ではその多くが入棺が済むとすぐ火葬場へ行き、そこに隣接する葬祭場で告別式をおこなうという順番に変わったことを明らかにした。また、葬儀社の出現が、葬儀の均一化・商品化、仏教との提携をもたらしたことを指摘した。さらに、このような変化は、伝統的に死の世界を扱い、憑依などを通して人々に生々しい死を提示してきた民間巫者であるユタと、それらの慣習を否定し、新たに死の領域に介入し始めた僧侶との深刻なコンフリクトを生じさせていることも示した。沖縄におけるこのような葬儀の本土化・近代化は、すべて生者の側からの利便性・効率性の追求、換言すれば、死者や死の世界の軽視にほかならない。そのため、沖縄でも、これまでみられた生者と死者の密接な関係が失われ、今後は日本本土と同様、死の隠蔽・拒否が強まるのではないかということを論じた。
  • 吉村 健司
    生物学史研究
    2017年 96 巻 82-85
    発行日: 2017/11/27
    公開日: 2019/06/03
    ジャーナル フリー
  • 染め織りがもたらす地域生活でのつながり
    *松本 由香, 佐野 敏行
    一般社団法人日本家政学会研究発表要旨集
    2016年 68 巻 2J-05
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/08/04
    会議録・要旨集 フリー
    目的 沖縄県には多様な染織文化が存在するが、生産者は減少傾向にあり、学校教育でほとんど取り上げられないこともあって、その継承は喫緊の課題である。そこで本研究は、沖縄の染め織りに関する衣生活教材の製作を目的とし、その内容となる染め織りに含まれる価値観、染め織りの世代間の継承のあり方と、その今後の持続可能な生活の形成への貢献のあり方について考察する。
    方法 沖縄の染め織りを、平成25・26年度の調査から導いた3つのテーマ、(1)地域生活でのつながり、(2)地域文化の探求、(3)経済性の追求、に分けてとらえ、平成27年度から4年計画で調査研究を行っている。本研究発表では、平成27年度の(1)のテーマである沖縄本島
    本部町
    伊豆味、小浜島、久米島、与那国島の事例から考察を行う。
    考察 伊豆味では、藍葉の生産農家が減少していく中で、泥藍が一軒の家内工業でつくられ、地域での藍葉の生産の保護、
    本部町
    、沖縄県、また国によってその継承が模索されている。小浜島では、染め織りは高齢女性の生き甲斐であり、女性たち相互のコミュニケーションの役割をもつ。久米島では、染め織りが地域の相互扶助で行われている。与那国島では、地元出身者と移住者とによって染め織りが継承されている。これらの事例から、染め織りが、家族・地域の人々の日々の暮らしの中でワークライフバランスをもって営まれ、家族・地域の人々につながりをもたらす役割を担っているといえる。

     
  • 辻本 悟志, 原田 匠, 亀山 統一
    樹木医学研究
    2022年 26 巻 3 号 127-128
    発行日: 2022/07/31
    公開日: 2023/09/21
    ジャーナル フリー
  • 古島 靖夫, 菅野 進
    日本沿岸域学会論文集
    2003年 15 巻 1 号 147-158
    発行日: 2003年
    公開日: 2023/04/17
    ジャーナル フリー

    サンゴ礁海域は,藻場や干潟と同様に,魚卵・稚仔の生育の場,蜆光資源等の場として重要な役割をもつ。しかし,オニヒトデの大量発生による食害,陸域からの人為的な負荷等の影響によりサンゴは大打撃を受けている。また,沖縄本島のサンゴは, 1998年に世界規模で生じた海水温上昇が原因とされる白化現象により,その8割が死滅したと言われている。サンゴの死滅には,白化現象のような突発的な影響が考えられるが,その一方で,長期的に変動しているサンゴ礁海域を取り巻く自然・社会環境要素もその引き金になっている可能性がある。そこで,本研究では,サンゴ死滅の被害が比較的小さかった石垣島周辺と,その被害が大きかった沖縄本島瀬底島周辺を取り巻く自然・社会環境要素を既存資料から長期的に収集し,その長期変動を捉え研究フィールドの基礎資料を得た。

  • 森下 一成, 福島 駿介
    日本建築学会計画系論文集
    2007年 72 巻 612 号 1-6
    発行日: 2007/02/28
    公開日: 2017/02/25
    ジャーナル フリー
    On Okinawa Island, each village formed before the modern times has at least one ritual area called Kami-Asagi or Tun. Though it is often said that we must understand Utaki and Kami-Asagi/Tun as the nucleus of a village in order to grasp the construction of the community on Okinawa Island, earlier studies on their positional relation have been partial. In this paper, as the foundation of the study of Kami-Asagi and Tun, after visiting all the villages on Okinawa Island that have Kami-Asagi/Tun, we clarified their conditions classifying their positional relation to community and examining their present use.
  • 田中 真砂子
    民族學研究
    1977年 42 巻 1 号 1-23
    発行日: 1977/06/30
    公開日: 2018/03/27
    ジャーナル フリー
    In my paper titled "Genealogical and Extragenealogical Usages of Okinawan Kinship Terminology" (Minzohugaku Kenkyu 1976). I have demonstrated that there are at least 4 terminological systems in which some morphologically identical kinship terms are utilized. These are : System Ia : Reference system pertaining to ego's "true" kin, System Ib : Address system pertaining to ego's "true" kin, System II : Address terminology applicable to non-kin, and System III : Sociocentric reference terminology. The paper has shown that despite the occurrence of some identical terms in more than one system, these systems are structurally distinct in that the configuration of classificatory principles is unique in each system. The purpose of this essay is to investigate whether :there is any correlative relationship' between these terminological systems on the one hand and specific aspects of social structure and ideology on the other. The results are summarized below. System la is consistent with the world view in which ego sees himself surrounded by categories of persons whose relationship to ego are exactly defined by the amount of shared "blood". Since "blood" is thought to pass from both parents to the child in equal proportion. the child is supposed to possess half the father's "blood" identity and half the mother's. The resulting "blood relationship" (kechiin) , therefore, is egocentric, bilaterally symmetrical, and concentric. These characteristics are best seen in the internal structuralization of the bilateral kindred (weeka) and the terminological system la. Both are bounded at the mataitsuku, or parant's parent's sibling's child's child, and both are egocentric, bilaterally symmetrical, and distinguish parsons generationally and lineally. In both, "step-kin" (but not "in- laws") are equated with the consanguineal kin to whom they are married. Non-equivalence of brothers (choodee hasabai) in matters concerning succession and inheritance, complementary nature of the cross-sibling (unaiki) ralationship, and some structural aspects of the endogamous society, particularly in relation to the husband-wife (miitumba) and brother-sister relationships are shown to have terminological correlates. The terminological system II seemes to fit well with the social organization of a well established endogamous village, where nearly everybody is related to everyone else in multiple ties of kinship and affinity, and where everybody is regarded as the "offspring" of the village deities associated with the sacred grove (utaki) . Since the village in this sense is conceptualized as one big family with the deities as the parents, villagers (shimanchu) as the "children" are logically "siblings" to each other. Conspicuously missing in this system are the terms which denote (in System la) various parent-child relationships, the locus of authority transmission. This is quite logical because in this view only the deities are "parents". Such structure of the terminological system is consistent with the egalitalian ideal in which villagers view and try to organize inter-household relationships. In this scheme, only age, sex, and the distinction between the leaders and non-leaders matter. None of these discriminant principles are regarded as a serious threat to the basically egalitalian relationships. The terminological system III appears to correlate with quite a different dimension of the society, the descent-based "external" view of the village. According to this, the village is made up of a limited number of "slots" (i. e., households) each of which is precisely defined in relation to other slots and to total community in a series of main-branch relationships.
  • 奥村 健治, 稲福 政史, 幸喜 香織
    日本草地学会誌
    2002年 48 巻 Separate 号 324-325
    発行日: 2002/09/21
    公開日: 2017/07/07
    ジャーナル オープンアクセス
  • 高安 克己
    地質学雑誌
    1976年 82 巻 3 号 153-162
    発行日: 1976/03/15
    公開日: 2008/04/11
    ジャーナル フリー
  • 安藤 徹哉, 小野 啓子
    日本建築学会計画系論文集
    2008年 73 巻 630 号 1729-1733
    発行日: 2008/08/30
    公開日: 2009/09/30
    ジャーナル フリー
    Bise Village in Motobu-cho, in the northern part of Okinawa Island, is known for its well-preserved yashikirin(premises forest) of fukugi trees. This study analyses the physical characteristics of yashikirin in Bise Village by measuring the actual size of trees. It reveals that the number of fukugi trees in Bise today is apporoximately 18,000 and that the trees have been deliberately planted along the specific sides of premises to respond to the micro-climate at the shore front. It is also estimated that the yashikirin in Bise began to be formed about 200 to 250 years ago except a few trees which were planted earlier.
  • 里中 正紀
    やどりが
    2008年 2008 巻 218 号 39-41
    発行日: 2008/09/30
    公開日: 2017/08/19
    ジャーナル フリー
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