詳細検索結果
以下の条件での結果を表示する: 検索条件を変更
クエリ検索: "臨床の知"
980件中 1-20の結果を表示しています
  • 北守 茂
    心身医学
    2013年 53 巻 12 号 1079-1080
    発行日: 2013/12/01
    公開日: 2017/08/01
    ジャーナル フリー
  • 板東 充秋
    認知神経科学
    2013年 14 巻 3 号 131-138
    発行日: 2013年
    公開日: 2017/04/12
    ジャーナル フリー
    言語活動の多様性に応じて、言語に関する研究アプローチには様々なものがある。例えば、言語学・認知言語学からのアプローチ、病巣研究を主体にした神経心理学的アプローチ、シミュレーションを含めた工学的アプローチなどがある。また、これらを横断するように賦活研究、virtuallesion、Brain Machine Interface(BMI)等も注目されてきている。これらの研究活動の中での神経心理学的アプローチである失語症学の立場について述べる。
  • 板東 充秋
    認知神経科学
    2011年 13 巻 2 号 167
    発行日: 2011年
    公開日: 2017/04/12
    ジャーナル フリー
    臨床の場では、具体的な人間が問題となる。具体的な失語症患者を対象とした場合、その関わりが遙かに複雑となるだけではなく、さまざまな価値や要請を考慮する必要がある。そのため、この発表では、対象をもっと抽象的なものに限局してその問題点を論ずる。2.このような限定のもとでも、臨床の場では、無視できないさまざまな因子が複合しており、個々の症例がユニークとなる、いわば一回性の問題がある。これらの因子は多様であるため、我々が統制することは、非常に困難である。3.これと関連して、理論とデータのいずれも不十分かつ不安定ななかで、研究活動を行わなければならない、いわば危機的な状態にある。4.失語症患者の呈する症状は失語症のみではない。これには病因や病巣の広がりが「言語野」以外に広がるということもあろうが、失語症の病巣が失語症以外の症状に関与する可能性も考えられる。また、失語症が起こす言語障害と言語機能とはその範囲が一致するかどうかは自明ではない。つまり、失語症では、ヒトにおける言語的活動全てが何らかの影響を受けるとしても、その全てが損傷されているかどうかは自明ではない。例えば、fMRI などでは言語野以外の部位も賦活されている。5.非
    臨床の知
    との関係。失語症は、言語・心理学的側面と、生物学的側面を持っている。(1)生物学的アプローチとの関係。生理学や遺伝子などとの関係も単純ではない。(2)心理・言語学的アプローチ。まだ、これらのアプローチそのものが十分発達していない。このため、いままでの言語学的知見を臨床に応用しようとした試みはうまくいっていないように思われる。また逆に、これらの学に失語症研究が与えた影響も多くない。このため、失語症研究は、言語学に役立たないと明言されたこともあった。しかし、失語症がなければ、言語機能が局在することは想定されることもなかったであろう。また、言語機能がモデュール化されているという主張の根拠の一つに失語症をあげる心理学者もある。(3)これらの学のその時々に優勢な説を鵜呑みにして失語症研究に応用することには注意が必要であるが、失語症研究の持つ生物学的および機能的側面の解明に、これらの学が重要であることは明らかであるので、対話の場を確保し保持していくことが、失語症研究の進歩には必要である。(4)工学的アプローチなどその他の研究も、今後の失語症研究には重要な寄与をする可能性がある。
  • *藤井 晴行
    人工知能学会全国大会論文集
    2022年 JSAI2022 巻 4K3-GS-1-03
    発行日: 2022年
    公開日: 2022/07/11
    会議録・要旨集 フリー

    本報告は,実践の経験とその省察から実践に埋め込まれた〈

    臨床の知
    〉を教導や伝承に関わる者たちが共創する過程のモデル表現を目的としている.〈
    臨床の知
    〉は個々の具体的な場所と時間における実践のなかで捉えることができる自覚的な工夫に関する知である.〈科学の知〉は客観性,論理性,普遍性を基本原理とするが,実践において重要な役割を担う主観的な判断や世界観,論理を超越した思考,知の固有性や身体性にまなざしを向ける〈
    臨床の知
    〉は,学術では,科学的ではないと排除されがちである.〈
    臨床の知
    〉と〈科学の知〉からなる知を学術的に扱う方法を構築することは創造的行為を対象とする学と術にとって不可欠である.〈
    臨床の知
    〉を共創するモデルの表現に向け,土着技術には〈科学の知〉の網の目からこぼれ落ちる〈
    臨床の知
    〉が潜在していると仮定し,その実践の現場において,土着技術を自ら学んで継承し,その教導と伝承を実践する主体として,経験することを繰り返している.この結果,〈
    臨床の知
    〉を教導や伝承の過程は学ぶ者たちの構成のプロセスを実体的水準で連携させるモデル表現が有効であると確信している.

  • 三崎 隆, 田中 新一, 天谷 健一
    日本科学教育学会年会論文集
    2009年 33 巻 1G2-E1
    発行日: 2009/08/25
    公開日: 2018/05/16
    会議録・要旨集 フリー
    本研究では,教科専門教員と教科教育教員によってチーム指導体制を構築し,小学校の現職教員の授業実践を1年間に渡って支援した.その結果,第5学年及び第4学年の単元の物理的領域において授業改善を図ることができた.また,テーマに沿った実践に即した支援が得られる点が自己研修として意義あることであると振り返っていた.授業アリーナで共創する「
    臨床の知
    」を構築する上でチーム指導体制による支援が効果的に機能することが示唆される.
  • *益川 弘如, 白水 始
    人工知能学会全国大会論文集
    2022年 JSAI2022 巻 4K3-GS-1-05
    発行日: 2022年
    公開日: 2022/07/11
    会議録・要旨集 フリー

    本報告では,学習科学を題材に授業などの学習環境をどうデザインするかという知が対話で生まれ,対話を通して能動的に使われ伝わる様を描き出し,以て「対話するAI」のモデルを構想したい。ある単元における特定の授業法がどのような学習成果を生むかという因果関係が一挙に理論化されていた学習研究に比べ,学習科学はそうした無理な一般化を避け,各状況での実践を関係者の対話を通して協調吟味し,対話を通して「デザイン原則」と呼ぶ仮説的実践指針を抽出し,次の現場の関係者が主体的に(まさに一人称的に)使って結果をさらに次の対話に活かすというデザイン研究の枠組みを採用している。ここでは知が対話の中で生み出され,それぞれの主体が自らの状況にあわせて使って,次の知を生み出す

    臨床の知
    が生成されているとも見てとれる。果たして主体を各AIに変えたときに,こうした社会システムをいかに実現できるか―人間研究者の立場から話題を提供したい。

  • 齋藤 ひろみ, 見世 千賀子, 佐藤 郡衛, 野山 広, 浜田 麻里
    異文化間教育
    2016年 43 巻 13-31
    発行日: 2016/03/31
    公開日: 2020/05/19
    ジャーナル フリー

    The theme of the 2015 annual research project was “what the approach of Intercultural Education in the field and the practice is”. To examine this problem, we discuss two questions. One is how the researcher’s ways of participation in the field affects the process and the interpritation in their research. The other is to whom the researchers need to transmit their research outcomes, with what sorts of media, toward the changes of the fields and the practices.

    At the symposium three researchers (Kishi, Makiko & Uchida, Chiharu & Minamiura, Ryosuke) gave the presentations about their interaction and approach to the field. Then, to facilitate further discussions, the commentator (Notsu, Takashi) discussed two questions.

    The result shows the variation of researcher’s participation develops the possibility of a diverse interactions between the researchers and the fields, and generate the field-generated knowledge: clinical knowing. For further development of Intercultural Education in a social context, we need to set the proper subject and media for the each purpose when we transmit the research outcomes.

  • 諏訪 正樹, 藤井 晴行, 加藤 文俊
    人工知能
    2021年 36 巻 5 号 618-622
    発行日: 2021/09/01
    公開日: 2021/09/01
    解説誌・一般情報誌 フリー
  • 岩木 久満子
    女性心身医学
    2020年 24 巻 3 号 226-229
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/04/09
    ジャーナル フリー
  • 筒井 健雄
    日本教育心理学会総会発表論文集
    1984年 26 巻 105
    発行日: 1984/08/20
    公開日: 2017/03/30
    会議録・要旨集 フリー
  • 坪井 康次
    心身医学
    2021年 61 巻 6 号 546-551
    発行日: 2021年
    公開日: 2021/09/01
    ジャーナル フリー
  • 藤巻 るり
    箱庭療法学研究
    2024年 36 巻 3 号 1-2
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/01/23
    ジャーナル フリー
  • *篠崎 健一, 藤井 晴行
    人工知能学会全国大会論文集
    2020年 JSAI2020 巻 3C1-OS-23a-01
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/06/19
    会議録・要旨集 フリー

    生活空間の深層に存すると考える,風土に根ざした土着の技術に埋め込まれた人間と環境と人工物の関係に関する当事者が自覚しない知を顕在化する方法を構築することを目的とする。 建築のフィールドをドメインとする研究者による,琉球,南西諸島の離島や東南アジアの山奥の少数民族の伝統的集落における,継続的な研究の実践とその探究方法について報告する。生活空間や居場所の創造,生活空間におけるふるまい,技能伝承,地域の価値の発見などに関係する。 集落の生活の「分厚い現実」が直接的に民家や集落の「生きる」空間を構成すると感じる。これを記録し書くために,多様な探究の内容と方法を試みている。繰り返し集落を訪れる,一緒に食べ飲む,空き家を借り長期滞在して生活する,行事や祭祀に参加する,集落空間の石垣を積む,闘牛場整備に関わるなどである。東南アジアの山奥の集落では,彼らの言語を話し彼らの民族の名もつ日本人に,言葉だけでなく生活や文化の理解を補ってもらう。 このような探究の試みを,「

    臨床の知
    」を探究する方法論の構築という観点で考察する。

  • 鬢櫛 久美子
    近代教育フォーラム
    2008年 17 巻 73-81
    発行日: 2008/09/12
    公開日: 2017/08/10
    ジャーナル フリー
    下司氏は、正統派精神分析、自我心理学派のリーダーであるH.ハルトマンをキーパーソンに、精神分析理論の変容を思想史として検討した。その結果、ハルトマンが精神分析を「自然科学化」、「発達心理学化」したことを明らかにし、ここに精神分析と教育の連関が生まれたと主張している。精神分析の思想史研究としては、論理も明晰で説得力も十分なものである。しかし、「『
    臨床の知
    』は教育をどこに導くのか」という問いが掲げられているにも関わらず、「
    臨床の知
    」とは何かということに関してほとんど言及していない。そこで、議論を活性化する試みとして、1. 「
    臨床の知
    」とは何かを、教育学の議論から探る。2. 理論やパラダイムと「
    臨床の知
    」の関係について考察する。3. キーパーソンを理論的指導者ハルトマンからE. H. エリクソンに変えることで、実践と理論の間にあるものを探る。この3点から、下司氏の精緻な研究の周辺にあるものを掘り起こしてみたい。
  • Anne J Davis, 八尋 道子, 尾﨑 フサ子, 小西 恵美子
    日本看護倫理学会誌
    2010年 2 巻 1 号 50-62
    発行日: 2010/02/01
    公開日: 2019/07/12
    ジャーナル フリー

    実践と教育・研究は、看護教育と看護専門職、および看護が奉仕する社会にとって不可欠である。講演では、「公共の利益」「責任」「信頼」という倫理的概念について考えながら、臨床・実践と教育・研究とが協働しあうことの倫理を述べる: 1)日本の看護教育の変遷と、教育に関係する人々、すなわち学生、看護実践者、実習指導教員、および講義を行う教員の役割、2)「専門職としての社会化」という文脈の中で、学生がよい看護師として育っていくことを助ける要因、3)実践と教育・研究との協働を困難にすると考えられる側面とその倫理、および、4)個々の看護師が尊敬と信頼をベースとした同僚関係をもち、看護におけるさらなる協働を深めるための道しるべとしての、倫理原則と徳の倫理のアプローチ。私の講演を貫いているのは、よいことをなすために本当に純粋になるまで待つ必要はない、という仏陀の教えである。人が純粋になることは一生にわたる旅路であり、完全なる純粋さは到達しえないものなのかも知れない。よいことは行ないながら求め続けるのだ。

  • 滝本 南美, 加藤 星花, 森田 牧子
    日本保健科学学会誌
    2012年 15 巻 Suppl 号 17-
    発行日: 2012/09/30
    公開日: 2017/10/27
    ジャーナル フリー
  • 鵜川 堤
    日本体育学会大会号
    1993年 44B 巻
    発行日: 1993/10/05
    公開日: 2017/08/25
    会議録・要旨集 フリー
  • プリン・ピリミジン代謝
    1996年 20 巻 2 号 107-127
    発行日: 1996年
    公開日: 2012/11/27
    ジャーナル フリー
  • 川本 隆史
    教育学研究
    2002年 69 巻 4 号 452-463
    発行日: 2002/12/30
    公開日: 2007/12/27
    ジャーナル フリー
    In this article, instead of addressing issues of clinical knowlefge of education directly, I think carefully about my experience of writing and revising a high school Civics textbook (KITOGAKKO GENDAI-SHAKAI) and summarize the practical wisdom that I have acquired during the course in terms of the following three mottos.1.Reversing orders2.Changing parts of speech, and3.Transgressing borders.First, I propose (and actually have carried out in the textbook I have written)changing tracks within the framework of official teaching guidelines (GAKUSHU-SHIDO-YORYO).To illustrate, I reverse the authorized order in the guidelines and put the item of 'the ethic of democratic of Society' prior to the study of Constitution of Japan.Likewise, with regard to the contemporary social issues, I suggest that high school students had better start by learnig about the local familiar affairs, i.e. 'the affuent society and welfare society', and move on to more and more global and intricate issues (such as global environmental problems).Second, I try to paraphrase basic abstract terms such as 'rifht', 'responsibility' and 'freedom' by way of changing parts of speech.It seems best to me to make full use of verbal and adjectival phrases that correspond to such abstract nouns.For ezample, 'himan reghts' can be explained by restating that they are so important to us that if one deprived you of any of them, you would cease to be what you are.In this case, I drew on the definiton given by Michael Freeden, namely "a human right is a conceptual device, expressed in linguistic form, that assigns priiority to certain human or social attributes regarded as essential to the adequate functioning of a human being."Third, I insist on collaboration among three Civics courses : Contemporary Society (GENDAISHAKAI), Ethics (RINRI)and Politics and Economy (SEIGI-KEIZAI).This collaboration is meant for efficiently elucidating basic conceppts common to these courses (e.g., 'good', 'value', and 'duty'), which have been taught separately in each.Finally, I conclude my paper by a critical comment on the ongoing governmental intervention to elementary moral education, specifically, the top-down distribution of materials entitled 'KOKORO NO NOTO'at public expense.Tjis pocy betrays the lack og a proper social or institutionall point of view, and is meant to control student's minds clinically.
  • 藤岡 完治
    日本教育工学雑誌
    2003年 27 巻 1 号 49-59
    発行日: 2003/06/20
    公開日: 2017/10/20
    ジャーナル フリー
    本稿は臨床的教師教育と呼ぶのがふさわしい教師教育の新しいタイプを提案し,促進し,支援するために書かれたものである.本稿では11の授業研究の事例が取り上げられるが,そこでは教師は彼ら自身の言葉を用いて彼らの経験を語り,知見を得ながらそれらを一般化するのに成功している.これらのケースで,著者はツールやシステムを用意し,提案し,それらがどのように機能したかをモニターし,教師とその結果を共有している.著者は11の事例に含まれたツールとそれに共通するコンセプトを明確にする.その後,いくつかのツールから構成されたシステムが,教師教育にとって備えていなければならない不可欠の条件について記述する.上述のように,これらのケースでは教師は彼らの経験を彼ら自身で研究者として一般化するのに成功している.したがって本稿でとりあげたツールやシステムは,臨床的教師教育を記述する方法として有効であることが確認されたといえる.
feedback
Top