1980 年 21 巻 1 号 p. 75-83
凝集力教材は,明治前期の初等・中等学校で使われた科学教科書に多く登場した。ところが,「スチュワート物理書の全盛時代」を迎えて,原子論的な物性の扱いが多くの教科書において縮小・削除されるに伴って,姿を消した。これらの教材は,第 2次大戦後の「教育の現代化」の影響下で原子論教材が強調されるようになっても復活することはなかった。この凝集力教材の歴史をさかのぼり,起源をつきとめることによって,次のことが明らかとなった。(ⅰ)明治前期に普及していた,凝集力を例示する代表的な実験は, 「ガラスの粘着板」,「 2枚の大理石の凝着」であった。これらの実験は,その意図からみて必ずしも的確なものだったとは言いがたいが,分子間引力を直観的にとらえさせようとしたものであった。(ⅱ)これらの実験は,当時の西欧科学教科書にならって普及されたものではあったが,すでに幕末蘭学者によっても,わが国へ紹介されていて, 「究理」の恰好の題材となっていた。蘭学者による実験紹介には,先述の2実験ばかりでなく, 「鉛の凝着実験」も含まれていた。(ⅲ) 鉛の凝着実験をはじめて行ない広く紹介した人々は,トゥリーワルドとデザギュリニとであったが,彼らは,物の性質を「原子や微粒子のふるまい」で説明しようとした, 18世紀古典的原子論研究家であり,分子間引力つまり凝集力を実験的・直観的に示そうと努力した。筆者は,以上の論議と,鉛の凝着実験の初出論文の紹介とによって,それが持つ歴史上,教育上の意味を検討し,当実験とその解釈が,今日なお原子論入門実験の一つとして重要な位置を占めうることを提示した。