智山学報
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65 巻
選択された号の論文の53件中51~53を表示しています
  • ー瑜伽行派の立場からー
    佐久間 秀範
    2016 年 65 巻 p. 035-050
    発行日: 2016年
    公開日: 2019/02/22
    ジャーナル オープンアクセス
        「あるがままにものを見る(yathābhūtam prajānāti)」とはどういうことであろうか。日常我々は目の前にあるものをあるがままに見ていると信じている。最近は脳科学や認知科学の成果の一端をテレビ番組などで一般人にもわかりやすく解説しているので、何らかのきっかけで脳の機能のどこかに障害を持つと、それまでに見えていたものが違って見えることや、昆虫と人間とで同じ花を見ても異なって見えていることを知ることができるようになっている。また高感度カメラで、高速度で動くあるいは変容する物体を撮影し、それをスローモーションで再生したときに、人間が認知している現象世界が現実に起きていることと一致していないことを認識し、我々が事象をそのまま認知していないことに気づかされる。例えば100万分の1のスピードで記録できる高速度カメラで、水の入った風船に針を刺して割れる様子を撮影し、スローモーションで再生した場合、普段我々が認識できない割れる瞬間の様子をつぶさに見ることができ、その様子に驚くのである。最近では、これは人間の脳が暴走しないために情報を制御しているということも我々は知っている。こうした情報によって我々は普段認知している目の前の現象が「あるがままの姿」では必ずしもないと意識することができる。しかし現実世界の真っ只中で常にそのことに思い至ることは難しいのである。我々は「わかっちゃいるけどやめられない」世界に生きているのである。では「あるがままの姿」とは何であろうか、ものを「あるがままに見る」とは何であろうか、普段見ている映像はいったい何なのか、と疑問に思えてくるのではないだろうか。
     釈尊が「あるがままにものを見よ」と説いたのであるなら、普段の見え方が幻影であり、その幻影から目覚めたことでブッダとなったことを我々に伝えようとしていたのではないだろうか。釈尊は出家しヨーガの修行を積んだ上でブッダとなったと仏伝は伝えている。インドの宗教者の状況から考えても釈尊が修行者、つまりはヨーガ行者であったことは認められる事実である。そして「あるがままにものを見る」ことがどのようなことかを仏弟子達のヨーガ修行者達はレベルの差はあるとしても、体験として知っていたはずである。こうした事情をヨーガの修行者達の集団から生み出された瑜伽行唯識文献の中に求めて行くことにする。
  • Shogo WATANABE
    2016 年 65 巻 p. 021-034
    発行日: 2016年
    公開日: 2019/02/22
    ジャーナル オープンアクセス
        The Prajñāpāramitā-hrdaya[-sūtra](Heart Sūtra) was translated into Chinese and Tibetan, and it circulated mainly in the sphere of Northeast Asian Buddhism.Among the Chinese translations, that by Xuanzang 玄奘has been held in the highest regard, and almost all the commentaries on the Prajñāpāramitā-hrdaya composed in China, Korea, and Japan have been based on Xuanzangʼs translation.
     The extant Sanskrit manuscripts and the Tibetan translations, on the other hand, mostly belong to a different textual lineage from that of Xuanzangʼs translation. Consequently, in research on the Prajñāpāramitā-hrdaya in East Asia, the examination of the original Sanskrit text and Tibetan translations is still inadequate.
     There has also been much discussion about the position of the Prajñāpāramitāhrdaya, typical of which is the question of whether it is a sūtra expounding emptiness or a sūtra teaching a mantra. These questions are in fact related to the sūtraʼs title.
     As is well known, a famous mantra has been appended to the Prajñāpāramitā-hrdaya. Even though it does not in fact constitute a dhāranī, among the several designations of this sūtra there are some that declare it to be a dhāranī. How is one to view such inconsistencies?
     In this paper I shall examine the textual lineages of the Prajñāpāramitā-hrdaya and its position as seen from its title.
  • 谷田 伸治
    2016 年 65 巻 p. 001-020
    発行日: 2016年
    公開日: 2019/02/22
    ジャーナル オープンアクセス
        筆者らは先ごろ、『チベット伝統医学の薬材研究』(石濱裕美子・西脇正人・福田洋一・谷田伸治著、藝華書院、2015年)を上梓した。同書は、チベット伝統医学の最重要古典『ギューシ(漢名:四部医典)』(rgyud bzhi)1)の概観・研究史、その薬材に関する第二部解釈タントラ第19〜21章の訳注・薬材名属名対応表2)、寺本婉雅(1872〜1940)が1898年に入手し将来したチベット本草図譜の稀覯本の影印・訳注など、を含んでいる。さらに筆者らは、早稲田大学中央ユーラシア歴史文化研究所の事業として「『四部医典』によるチベット薬材データベース」(http://tibetan-studies.net/tibmed/)に、上掲第19〜21章の薬材の学名の詳細も公表してきた。
     『ギューシ』の成立過程の考察には、敦煌出土のチベット医学文献の研究が不可欠である。この方面については、フランス国立図書館のチベット語敦煌文献の影印本3)が出版されたことなどを契機として、中国の学者らによる種々の文献が発表され、日本でも山口瑞鳳教授4)や筆者5)のものがある。本稿では主に以下の文献を参照した。
    ①羅秉芬主編、強巴赤列(byams pa 'phrin las)・黄福開審訂『敦煌本吐蕃医学文献精要(訳注及研究文集)』北京、民族出版社、2002年。(以下「文献精要」。本稿で参照した漢文訳を「羅訳」、チベット文摹写部分[翻字]を「羅本」、注釈を「羅注」と呼称)
    ー内容は、第一編漢文訳本(A. Stein[1862〜1943]蒐集のS. t. 756, I. O. 56, 57とP. Pelliot[1878〜1945]蒐集のP. t. 127, 1044, 1057, 1058)、第二編研究論文(12篇)、第三編蔵文摹写・注釈(第一編の文献[P. t. 1058はなし]とI. O. 755)、附録:索引・研究論著目録ほか。敦煌出土チベット医学文献研究に大変有用である。なお本書は、羅秉芬・黄布凡編訳、強巴赤列審訂『敦煌本吐蕃医学文献選編(附訳注)』(蔵漢文)(民族出版社、1983年)の増補版。
    ②王尭・陳践訳注『敦煌吐蕃文献選』成都、四川民族出版社、1983年。(以下、漢文訳を「王訳」)
    ー医学文献のP. t. 127, 1044, 1057と法律・経済・古典文献の漢文訳と語釈。
    ③bsod nams skyid dang dbang rgyal gyis phyogs sgrig dang 'grel bshad byas pa:tun hong nas thon pa'i bod yig shog dril(陳践・王尭編注『敦煌本蔵文文献』[蔵文])、民族出版社、1983年。(②の蔵文版。以下、翻字を「王本」、語句の蔵文注を「王注」)
     Pelliot tibétain 1057は、フランス国立図書館所蔵の巻子本(26.3×450cm)で行数208、無標題、背面は漢文『妙法蓮華経』。その豊富な内容は注目され、研究論文に洪武娌:敦煌石窟『蔵医雑療方』的医史価値(『中華医史雑誌』12(4)251-253、1982年。上掲「文献精要」pp. 105〜111再録)があり、7世紀か7,8世紀境目の内容を反映しているとする。
     内容は各種症状(洪論文によると49種)に対応する治療法を述べたもので、大部分は薬物療法(同上約136種)だが、灸・瀉血・精神療法その他も含んでいる。そのチベット語は、山口教授が「P一〇五七の文は難解である。用語の意味が不明な上に綴字が正しくないから解読は更に困難であり、医方に明るい人でなくては不可能に近い」(『敦煌胡語文献』[注4]p. 542)と述べている。上掲2種の漢文訳は、チベット医学の専門家らの協力も得ているが、解釈の異なる部分や「不詳」と注される箇所などが存在する。拙訳は、『ギューシ』にも記載される薬物に「☆」を付し、注で薬物の学名などを記し活用の便を図ったが、いまだ不明箇所もある試訳である。識者のご批正を乞う次第である。
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