言語文化教育研究
Online ISSN : 2188-9600
ISSN-L : 2188-7802
13 巻
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特集「教室・学習者・教師を問い直す」
寄稿 ― 発題
  • 協働的学習環境をつくる教師の役割から考える
    広瀬 和佳子
    2015 年 13 巻 p. 2-12
    発行日: 2015/12/30
    公開日: 2016/03/21
    ジャーナル フリー
    本稿は,言語文化教育研究学会第1回年次大会シンポジウム「教室・学習者・教師を問い直す」での議論を踏まえ,教育実践を共有する意義を考察した。90年代の社会文化的アプローチの台頭は,それまでの日本語教育のあり方を問い直す転機となった。しかし,実際の教育現場における教育アプローチは多様であり,従来の考え方と何がどう変わったのか,教育実践者のあいだで必ずしも認識が共有されているわけではない。「問い直す」ためには,その前提として問い直すべき対象を明確にする必要がある。本稿では,このような問題意識に基づき行われたシンポジウムでの議論を整理し,従来の学習観・能力観からの移行によって協働的学習環境をつくる教師の役割を考察した。現状を変革しようとする教師にとって,他の教師との協働は不可欠である。課題を共有し,望ましい実践の方向性を議論するために,自らの実践を批判的に省察する実践研究が必要であることを主張した。
寄稿 ― 論考
  • 自己成長論から逸脱の場としての「同僚性」構築へ
    牛窪 隆太
    2015 年 13 巻 p. 13-26
    発行日: 2015/12/30
    公開日: 2016/03/21
    ジャーナル フリー
    近年,「日本語教育学」をめぐって,従来の日本語教育のあり方を批判的にとらえ,日本社会に位置づけ直そうとする議論が盛んになっている。国内大学のグローバル化戦略にともない,日本語教育に期待される役割も,今後拡大していくことが予想される。日本語教育を日々実践しているのが,現場の教師であることを考えれば,従来の日本語教育のとらえ直しとは,現場の教師それぞれが,自身の教師としての役割を再考しなければ,達成されないものである。本稿では,研究者であり教師でもある筆者の立場から,現場の日本語教師がおかれた教師環境を検討し,その問題点を指摘する。そのうえで,日本語教育で主張された「自己成長」論を批判的に検討することから,現場の教師が,「フリーランス」の専門家であろうとすることによって生まれる拘束性から,お互いを逸脱させていくための「同僚性」構築を,日本語教育において構想する必要性を主張する。
  • 教師の役割としての実践の共有
    三代 純平
    2015 年 13 巻 p. 27-49
    発行日: 2015/12/30
    公開日: 2016/03/21
    ジャーナル フリー
    本稿は,地方大学において韓国の高校生を対象に行われたオープン・キャンパスに関する実践研究である。大学の教職員,留学生,地域の方々と共に,韓国の高校生を受け入れることで,そこに,ことばを学びあう場が生まれた。オープン・キャンパスというプログラムに協働で携わることで,新たなコミュニケーションが生まれ,新たなコミュニティが生まれた。その経験は,プログラムへの参加者それぞれに学びをもたらした。留学生は,地域のコミュニティや将来参加したいと思うコミュニティに求められる日本語を体験的に学んだ。この実践を省察することで,一つの実践を通じてことばを学びあう場をデザインすることが,日本語教育の目的となりうることを主張する。そして,そのための日本語教師の役割に,実践の共有があることを論じる。
寄稿 ― 討論
  • 牛窪論文・三代論文から見る「行く末」の可能性
    南浦 涼介
    2015 年 13 巻 p. 50-62
    発行日: 2015/12/30
    公開日: 2016/03/21
    ジャーナル フリー
    この稿は,特集論文である牛窪,三代の各論文を受け,さらにそこにある議論を深めていくために「コメント論文」という形で寄稿し,紙面上の「討論」という形で学会の議論を広げていこうとする試みである。まず,前半では『言語文化教育研究』の雑誌がこれまでどのような論調の傾向があったかを過去の掲載論文から分析し,そこにある「実践活動の捉え直し」という特徴に着目し,その日本語教育における研究的意義を述べるとともに,その限界性を述べた。続く後半部では,その限界性を乗り越えるために,近年『言語文化教育研究』紙が日本語教育のみならず多様な教育実践にも触れつつあることを踏まえ,牛窪論文と三代論文が持つこれからの日本語教育を越えた言語文化教育研究としての可能性について市民性教育の観点からそれぞれ論じた。
Regular contents
論文
  • ユングの絵画分析を使ったビリーフ検索の試み
    鈴木 栄
    2015 年 13 巻 p. 63-82
    発行日: 2015/12/30
    公開日: 2016/03/21
    ジャーナル フリー
    本研究は,ユングのアプローチを使い,学習者が,言語学習における自己,環境,仲介物を描いた絵の中に,どのようなビリーフが現れているかを探索することを目的とする。これまで,精神分析のアプローチは,ビリーフ研究の分野では使われたことがない。本論では,ユング的アプローチが学習者の無意識の感情やビリーフを探れるか,その可能性と課題について論ずる。
  • 瀬尾 匡輝, 瀬尾 悠希子, 米本 和弘
    2015 年 13 巻 p. 83-96
    発行日: 2015/12/30
    公開日: 2016/03/21
    ジャーナル フリー
    近年,各教育機関が日本語・日本語学習の魅力を高め「商品化」に努めたり,学習が商品として「消費」される傾向が強まっている。本稿では,日本語教育の商品化が顕著な香港の語学学校で働く池田さん(仮名)の意識を中心に,教師がどのように教育の商品化を経験しているのかを探った。非常勤講師である池田さんは,自分の雇用を守るために,学習者の満足度を重視し,商品化を試みる教育機関の方針に従わざるを得ず,目指したい教育実践・学習者が求めるもの・教育機関の方針の間で葛藤を抱いていた。そして,学習者の満足度を高めることが最優先され,学習者の表面的/一時的な興味・関心に偏った教育実践が生み出される構造が教育の商品化にはあることが浮き彫りとなった。今後は,商品化の利点と弊害について教師の視点も含めて議論を深め,どのように日本語教育の商品化と消費に対峙していくかを考えなければならない。
  • 元生徒との「座談会」の場によってもたらされる可能性
    南浦 涼介, 柴田 康弘
    2015 年 13 巻 p. 97-117
    発行日: 2015/12/30
    公開日: 2016/03/21
    ジャーナル フリー
    本研究は,異なる立場にある「実践者」と「研究者」の協働による「実践研究」のありかたを模索する研究である。近年「実践研究」のありかたが提起されてきているが,多くの場合「実践者」と「研究者」は同一であることが前提である。しかし,教育の分野では異なる立場にある「実践者」と「研究者」が協働の形で実践の質的向上をねらう実践研究のパターンも当然想定される。また,近年の学力観の変容から,「学習者にとっての実践の意味」を考える視点の重要性も謳われている。ただ,これらが「研究者」による実態の解明としての研究である場合,「実践」の改善や変革につながりにくいという側面はある。本小論では,「実践者」と「研究者」が協働的な形で元生徒であった子どもたちに「座談会」を開き,中学校から高等学校に進学した中での子どもたちの学習に対する価値観の葛藤や変容を聞くことによる実践者と研究者のインパクトのありようを検討する。さらに,そうした過程を「実践者」と「研究者」が協働的に構築していくことによる実践研究の可能性について考察する。
  • 留学生による防災情報収集活動での事例の分析を通して
    近藤 有美, 川崎 加奈子
    2015 年 13 巻 p. 118-133
    発行日: 2015/12/30
    公開日: 2016/03/21
    ジャーナル フリー
    本稿では,東日本大震災直後に行った,留学生による防災マニュアル作成活動中に,公的機関から防災情報を収集する過程でおきた問題を分析し,留学生が災害の情報弱者となる要因を探った。外国人が情報弱者となる要因は,これまで日本語能力不足等言語面に問題があると捉えられてきたが,本実践の事例からは言語能力が直接の要因となるものは見られなかった。言語が間接的に関係するものとしては,留学生の「日本語使用に対する不安」という情報の受け手側に要因があるものと,公的機関の日本人が外国人に不慣れなために日本語でのコミュニケーションに躊躇するという情報の与え手側の姿勢に要因があるものがあった。また,「公的機関での防災業務の分担化」,「公的機関における防災無関心層の存在」,「多言語で準備されたマニュアルや音声ガイドの欠陥」という要因も見つかり,留学生を情報弱者たらしめるものが単純ではないことがわかった。
  • コーパスによるアプローチ
    呉 琳
    2015 年 13 巻 p. 134-148
    発行日: 2015/12/30
    公開日: 2016/03/21
    ジャーナル フリー
    各種コーパスに出現する「足を洗う」という表現について調査すると,多様な用法が見られた。そこにある種の言語変化が反映され,言語内的な要素と言語外的な要素が言語変化に影響を与えていることが示唆された。言語変化の全体像を把握するためには,複数の表現に対する調査が必要とされるが,本研究では,まずこうした個別事例を取り上げ,心理や社会の認識を含む視点から検証することで,言語変化へのアプローチを試みた。先行研究が指摘した如く,コーパスは辞書記述の精緻化や内容の改訂において絶大な力をもっている。本研究においても,コーパスを活用することによって,「足を洗う」の使用実態が解明でき,個人の内省を大幅に超える情報源が有効であることを指摘した。今後,コーパスから獲得した有益な情報をより正確な辞書記述や教材開発に活用することが期待される。
編集後記,編集委員会
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