ビフィズス
Online ISSN : 1884-5134
Print ISSN : 0914-2509
2 巻, 2 号
選択された号の論文の5件中1~5を表示しています
  • 三輪谷 俊夫
    1989 年 2 巻 2 号 p. 117-125
    発行日: 1989年
    公開日: 2010/06/28
    ジャーナル フリー
  • 舟田 久, 真智 俊彦, 松田 保
    1989 年 2 巻 2 号 p. 127-136
    発行日: 1989年
    公開日: 2010/06/28
    ジャーナル フリー
    無菌室治療の一環としての腸管内無菌化が18例の骨髄移植患者で検討された.腸管内無菌化のための基本的な処方として, gentamicin, vancomycinとnystatinの非吸収性抗生剤が内服された.口腔・咽頭の無菌化のために, 抗生剤の吸入も追加された.便菌叢は全例で抑制されたが, 抗生剤投与1週目における便の“無菌化”率は56%であった.規則正しい抗生剤の内服が菌叢抑制の持続に必要であったが, 便の“無菌化”された状態を3週間以上維持することは無理なように思われた.便と比べて咽頭では, 菌叢の抑制が困難であった.無菌化処置中の分離菌のなかには, 顆粒球減少に伴う感染症の主要な原因菌であるCandidaPseudomonas aeruginosaが少なからず認められた.咽頭から分離された菌は, 早晩便に出現する傾向にあった.無菌化終了後の便菌叢は, 好気性菌叢が1週目に再出現したが, 嫌気性菌叢は回復に約1カ月間を要した.その回復過程は, 新生児の便菌叢の形成過程に類似していた.しかし, 無菌化終了後に再出現してきたEnterobocteriaceaeのなかには, 無菌化前に分離されたものと生物学的性状や菌体抗原を同じくする菌が見出せなかった.腸管内無菌化中に, gentamicin耐性菌の出現とプロトロンビン時間の延長がそれぞれ1例にみられた.また, 血清コレステロール値は無菌化中に低下し, 無菌化後に回復する傾向にあった.
  • 辨野 義己, 遠藤 希三子, 光岡 知足
    1989 年 2 巻 2 号 p. 137-141
    発行日: 1989年
    公開日: 2010/06/28
    ジャーナル フリー
    週齢のフィシャー系ラットに10%濃度の大高酵素®溶液を4週間投与し, それらの腸内フローラおよび盲腸内容物の性状に及ぼす影響について検索した.対照群に比べ大高酵素®投与群の腸内フローラは, 小腸部位で著明な変動は認められず, また盲腸部位においても著しい変動が認められないが, StreptococcusおよびStaphylococcusの菌数および酵母の検出率が有意に高いことが認められた.さらに, 大高酵素®投与群で盲腸内水分含王量の有意な増加ならびに盲腸重量および盲腸内アンモニア濃度の有意な減少が認められた.一方, 両群とも増体重に著しい差を示さなかった.以上の成績は大高酵素®が腸内最優勢菌群に対して著しい影響を与えることはないが, アンモニア濃度の減少など腸管内における有効な働きをしているのかもしれない.
  • 大塚 耕太郎, 辨野 義己, 遠藤 希三子, 上田 弘嗣, 小澤 修, 内田 隆次, 光岡 知足
    1989 年 2 巻 2 号 p. 143-149
    発行日: 1989年
    公開日: 2010/06/28
    ジャーナル フリー
    Cryptococcus laurentiiによりラクトースから生成されるO-β-D-galactopyranosyl-(1→4)-O-β-D-galactopyranosyl-(1→4)-D-glucopyranose (4'GLと略記) のヒト腸内フローラ構成菌種による資化性を調べたところ, 4'GLはBifidobacteriumとBacteroides fragilis group によって選択的に利用されたが, その他の菌属にはほとんど利用されなかった.さらにラクチュロースと比べBifidobacterium属に対して選択性の高い糖質であった.一方, 4'GL摂取のヒト腸内フローラに及ぼす影響を検索したところ, Bifidobacteriumだけが有意 (p<0.01) に増加し, Bacteroidaceaeは減少の傾向を示した.また, 4'GL摂取中, 糞便のpHの低下が認められた.
  • 田中 隆一郎
    1989 年 2 巻 2 号 p. 151-153
    発行日: 1989年
    公開日: 2010/06/28
    ジャーナル フリー
    H. TissierとH. Bochard家について: 1昨年, 1987年2月19日, パリに於きまして, 偶然の連続した幸運から, ビフィズス菌の発見者H. Tissierのお墓にお参りできました経緯を, 帰国後, 常務理事会やその他の会合でお話しいたし, その簡単な内容が, 本誌1巻1号に掲載されました.その節, お世話になりましたH. Tissier博士と親交のありましたH. Bochard博士ご一家のことや, 同家を通じてのH. Tissier博士のお人柄などにつきましては, 機会をみて記載いたしたい旨, 申し述べました.その後, 当財団の学術委員をしていただいております田中隆一郎博士が, パリにお出かけになる機会があり, Tissier博士の墓参をなさりたいので, Bochard家を紹介してほしいとのご依頼がありましたので, ご紹介いたしましたところ, 早速ご訪問され, H. Bochardご夫妻や同家を通じての, Tissier博士のお人柄などにつき, 詳細に記載された原稿を見せていただきました.筆者が予定しておりましたつづきを, お書きいただいたような結果になりましたので, 筆者がつづきを書きますまでもなく, それをご掲載いただきましたほうが, よろしいのではないかと考えた次第でございます.田中博士のご努力に感謝申し上げる次第でございます.
    (財) 日本ビフィズス菌センター理事長本間道
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