外国人住民が5.97%と政令指定都市の中で最も高い比率である大阪市(2023 年9月大阪市外国人住民比率)には、歴史的経緯もあり在日韓国・朝鮮人をは じめ多様な人々が居住していた。中でも1980 年代の中国残留孤児関係の子ど も、1990 年の入管法改正による南米からの日系人の子ども、保護者の就労や 呼び寄せによる子ども、等の外国につながる多文化な子どもの増加がみられ た。将来、多文化を背景とする人々と共に自分らしく生きるための可能性を 探ってみた。
坪内は、大阪市における1990年代~2010年代の外国につながる多文化な子どもへの教育支援について自らの教員体験を基に事例紹介を試みた。さらに退職後のボランティア活動において、公教育の場で抜け落ちがちな、日本生まれや移動する外国につながる子どもたちの課題解決の重要性と教育支援の在り方の可能性について考察した。
嵜本は、外国につながる多文化な子どもたちへの支援を行う大阪市西淀川区のボランティア団体の活動に焦点を当て、その取り組みが多文化な子どもたちへのセーフティネットとなりうるのか考察した。学校や行政をはじめ、多様な機関や人々と協力しながら多文化な子どもたちに対する教育と生活の支援を行い、必要な情報や支援につなげている。この取り組みが、多文化な子どもたちが日本で生きていく上でのセーフティネットとして機能しており、今後も発展していく可能性があることを示唆した。
学校等の公的機関と地域の支援団体の行ってきた教育支援に注目し、今後の教育支援において公的機関と地域支援団体の協働の可能性を探り共に生きていくために欠かせないものであることを述べた。
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