【目的】ストレッチングや関節モビライゼーションなど、牽引を主体とする理学療法手技は多く、その効果についても多数の報告がある。しかし牽引それ自体の生体に対する物理的意味を考察した研究は少なく、第44回日本理学療法学術大会において、関節の牽引は関節の潤滑不全を生じさせ運動量の伝達、輸送を阻害することを示唆する報告を行った。関節の潤滑不全を改善するために面圧を加える方法があるが、牽引と同様に、その物理的意味や効果についての報告は少ない。今回、潤滑を再獲得させるための面圧の加圧効果を筋出力発揮の観点から検討し、その物理的意味について
演繹
的に考察を行う。
【方法】対象は肩関節に問題のない健常成人11名(男性7名、女性4名、平均年齢26.7±6.9歳、平均身長166.2±7.7cm平均体重57.3±6.7kg)とした。
はじめに、座位にて肩関節が肩甲骨面挙上60°位で挙上筋力を測定し、次いで背臥位にて同肢位で5分間、3kgにてスピードトラック牽引を行う。牽引後は直ちに、牽引前の測定方法である座位にて筋力を測定する。測定後さらに同肢位にて肩関節に長軸方向に1kgの面圧を30秒間加える手技を実施し、同様に筋力を測定した。牽引の前後、および面圧実施後の筋力測定は,アニマ社製,ハンドヘルドダイナモメーターμTas MF -1を用い、5秒間の収縮の最大値を採用した。また、面圧の加圧も同じ測定器にて圧力を監視しながら実施した。
【説明と同意】書面および口頭にて本研究の内容を説明し同意を得た。
【結果】統計的検定は反復測定のある一元配置の分散分析を用い、TukeyのHSD法にて多重比較を行った。筋力を体重で除した割合の平均値は牽引前33.4±6.9%、牽引後29.7±7.4%、面圧後32.9±6.9%であった。牽引前対面圧後には有意な差はなかったが、それ以外の水準間では有意な差が認められた。
(各水準間のP値:牽引前対牽引後0.0087;牽引前対面圧後0.9013;牽引後対面圧後0.0226)
【考察】 牽引により筋出力発揮は有意に低下が生じ、面圧を加えた後には筋出力は有意に増大した。また牽引前と面圧の加圧後は有意な差はなかった。前回の学術大会において、牽引による筋出力低下は関節の潤滑不全による運動量の伝達、輸送の阻害によるものと考えられること、また牽引後に放置していても2~3分で牽引前の筋力に復元することを報告した。本報告は牽引直後の操作であり、復元は自然回復ではなく面圧の加圧効果によることが示唆された。
関節を構成する組織は粘弾性体であり、特に関節液は著しい非ニュートン粘性と粘弾性を示す。大信田ら(2006)は粘弾性を持つ流体における応力場は過去の変形履歴に依存し、記憶をもたせるには塑性があればよく、内部応力の形での記憶を持つと論じている。内部応力は物体内の分子間、原子間の近接相互作用力によって決まり、外からの支えがなくても物体や物質の内部に存在できる応力で、系が受けた力学的な扱いの一部を記憶している。吉田(1987)は関節潤滑を分子レベルでみると局所間隙の整合、即ち潤滑場の平行が必要で平行化のためには、圧縮応力による分子の層状整列へ向かう圧縮整合が達成されなければならないと述べている。関節へ面圧を加えることにより塑性流動が生じ、潤滑場が平行化され、一定の緩和時間を経ることで、分子間の近接相互作用が高まり、記憶された牽引前の状態に復元し、筋出力発揮が回復したものと考える。また、加圧終了後も獲得された潤滑場は記憶および保全されると推察される。
【理学療法学研究としての意義】運動療法の生体への適用をバイオトライボロジー、バイオレオロジーに立脚して鑑みると、関節潤滑の獲得・保全や各構成体のレオロジー特性を考慮しなければ、各関節において適切に運動量の伝達、輸送が達成されることは難しい。換言するならば、運動の適切な情報伝達が保障されないと言うことができ、面圧の加圧はその保障の一助となり得る。
また今回、
演繹
的な考察を行った。吉田(1999)によると
演繹
論は命題を立てる段階でその合目的的意味や存在の意味を充分に考慮し、各階層における用件の一致性を前提として論を進めつつ、実験・観察から得られた結果とも照合して考察する。そして事実を統一的に説明するモデルを形成し、それが実態、あるいは自然界と一致するまで理論を確定させていく科学的方法論であると定式化され、帰納論が優位となっている臨床科学に
演繹
確定という新たな機軸を導入している。理学療法の臨床分野では帰納的な研究を行うことは容易ではなく、
演繹
的推論方法を用いた研究が今後重要になってくると思われる。
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