中国雲南省の西部には,多くの少数民族が独自の伝統的社会を作っていることが知られている.この地域は,長い間,少数民族と自然環境がバランスのとれた状態にあり,生物の多様性の保全と自然資源の保続的利用の研究の対象として近年注目されている.しかし,最近,この地域では経済が急速に発展するにつれて自然の開発が進み,山地の自然林が失われゆくと共に,彼らの生活に大きな変化が生じつつある.少数民族の伝統的な生活と文化を研究すると共に,変化しつつあるその社会を民族植物学の立場から研究することは,自然環境の保全と利用を考えるうえで良い参考となると期待される.民族植物学は人と植物の関係を研究する学問分野であるが,最近では,開発を含めた人間の諸活動と植生を中心とした自然環境の保全が大きなテーマとなっている.
このような時,静岡大学農学部では,創立50周年記念事業として,<中国雲南省少数民族に学ぶ衣食住>のテーマで調査団を派遣する事となった.
近田文弘は同調査団の一員として,また王立松は中国側の中国科学員昆明植物研究所から参加したメンバーとして調査団に参加した.調査は雲南省西部の徳宏洲で1997年12月に行われた.雲南省の首都昆明を出発地とした調査ルートは,昆明—大理—保山—潞西—端麗—章風—盈江—騰衝—保山—大理—昆明である.調査した少数民族とその集落(調査日)は以下のようである.1)ドアン(徳昂)族,潞西県三台山郷允欠村(13日); 2)徳昂族,潞西県勐嘎鎮香菜塘村(14日); 3)タイ(傣)族,瑞麗市姐相郷大等喊村(16日); 4)アチャン(阿昌)族,陇川県戸撒鎮邦肆村; 5)チンポー(景頗)族,陇川県芒弄郷拱山下寨(20日); 6)景頗族,盈江県銅壁関郷金竹寨(図-1).我々は,各少数民族の集落内や集落の周辺の植生を調査対象とした.集落内では,植物群落を記述するのでは無く,各農家の屋敷内の庭や耕作地に植栽されている樹木や野菜の種類に注目した.
徳宏洲は雲南省の西端にあり,東のサルウイン河とミヤンマー領を流れる西のイラワジ河に挟まれている.ヒマラヤから南下する高黎貢山が分かつ幾筋もの山並が南西に緑の堤を築いて伸び,それらの間に聞けた広大な大地には,黄金の稲穂の絨毯が広がる.年平均気温は約19度セ氏,年平均降雨量は1,200-1,500 mm で,熱帯の植生が分布する.
調査した少数民族の集落は,谷間に面した丘陵の麓,丘陵の斜面,広大な水団地帯等にあり,それぞれの立地の環境が生活に結びついていた.
対象とした地域の植生を大まかに分類すると,水田の植生,集落内の植生,丘陵農地の植生,薪炭林,自然林とすることができる.これ等の植生区分を5階建てのビルディングのような模式図で表し,各集落を中心とする植生の配分を図化すると,各集落の植生と生活の有り様の特徴が分かる.それによると,香菜塘村の植生は最も多機であり,允欠村の植生は最も単純であるといえる.香菜塘村は経済的に豊かな集落で,住民は新しい村の経済発展に向け,共同で大規模な茶園の経営に取り組み,新しい製茶工場を自前で建設した所であった.允欠村は植生が単純なだけでなく,経済的にも貧しいようであった.しかし,調査の時間が少なかったので,なお調査の必要がある.最後に訪れた金竹寨は,ミヤンマーとの国境に近い山岳地にある集落で水田や耕作地に恵まれず,経済的に発展している都市部から遠く離れて,貧しいままとり残されている印象をうけた.大等喊村の植生は水田と集落の植生しか無いので,植生に乏しいようであるが,この集落は水田地帯の中心にあり,丘陵地の植生を持たないだけのことである.実際には,この集落内の植物は最も多様であった.訪れた村の幾つかでは集落内に,ボダイジュの仲間(
Ficus altissima)の巨木や小さな森が宗教上の理由で保護されている所がある.拱山下寨の巨木群は見応えのあるものであった.宗教的に保護された森は,メコン河に沿った雲南省南部のシーサンバンナ(西双版納)のタイ族の集落でもみられる.一方,金築寨には,そのような森や巨木は見られなかった.この集落では,キリスト教が信仰されているからである.模式図で示された植生区分の多様性と集落の経済状態の間には特定の関係は無い.上記の大等喊村は最も経済的に豊かにみえた.
集落内の植生を調査して,以下の三つのことに気がついた.その第一は,広い屋敷を持つ農家では,屋敷内に多くの有用植物が栽培されていることである.大等喊村のある一軒の農家の屋敷の垣根には,ザボン,バナナ,マンゴー,コーヒー,パパイヤ,パンノキ,グワバ,モモ,ヤマサンザシ,ナツメ,ユカンという,いずれも果物の実る樹木が植栽されていた.しかも,中国や東南アジア原産の樹木だけでなく,各地の有用樹木が育っていた.また允欠村の民家では,ザボンやバナナと共にフイリソシンカの植栽がみられた.この樹木の花は春に咲き,野菜のように食用にされる.屋敷内の畑には,サツマイモ,オクラ,ショウガ,ソラマメ,ヘチマ等が栽培されていた.このような農家の生活は,経済性の豊かさだけで無く,生活の質的な豊かさを感じさせるものであった.この地域の市場を訪れて見ると,栽培のものと,野生のものとを問わず,食用にされる植物の種類の多いことに驚かされる.これらの食用植物は,少数民族の文化に根ざしているのであろう.
第二は,集落の中と周辺には,帰化植物や広い分布を持つ,いわゆる雑草が多く生えていることである.キク科の
Chromolaena odorataや
Tithonia diversifolia,マメ科の
Clotalaria usaramoensis,
Mimosa pucidaは中南米原産の帰化植物で我が者顔に繁茂しており,
Chromolaena odorataは,農地や山林の大害草となっている.広分布の雑草として,キク科のシロノセンダングサ,ヒユ科で日本のイノコズチに近縁の
Achyranthus bidentata,琉球にも分布するヤンバルハコベ等の植物が標本に作製された.人間が環境を撹乱し続ける集落内では一般に広分布の雑草が多く生育するが,外界から隔絶された生活を保ってきた少数民族の集落でも一般的な雑草生育状況にある.このことは,逆に,彼らの集落が外界から隔絶された社会では無いことを示しているように思われる.約10年程以前では,民族衣装を着た人を多く見かけたが,現在では,ほとんどの人がジーパンとTシャツ姿といえるくらいである.豊かな村では,各家に一台の耕転機があり,あちこちでレンガ作りのモダンな家が新築されている現在を見ると,自然環境を賢明に保全しながら生活してきた少数民族の伝統が失われつつある気がする.その果てにあるものが自然資源の過剰利用と自然環境の破壊である危険性も併せて感得される.現在進行していると言われる人口の増加がこの傾向に拍車をかけるかも知れない.
第三は,宗教的な意味で保存されている集落内の巨木群や森の存在である.このような森で広分布の耕地雑草とは異なる若干の植物が採集された.このような森は自然環境が極端に破壊される里山地域にあって,自然の生物群を保護する拠点としての意義が在るのではかと推察された.西双版納のタイ族の集落の近くには相当に広い面積の森林が宗教的な理由から保護されて,自然保護上の機能をも果たしていると思われる.同地のハニ族は,森林から得られる資源に依存する生活習慣から集落の近くの森林を維持し,この森林は重要な自然保護地となっている.今回調査した集落では,西双版納で見られた保護林のような自然保護機能は認められないが,将来的には,それを考慮することが良いように思われる.
丘陵農地の植生としては,茶畑とトウモロコシ畑が顕著であった.香菜塘村では上記のように村輿しがこれらの作物を利用して進められていた.薪炭林は雲南省西部に広く見られ,省の政府が積極的に薪炭林を造成している.薪炭林にはウンナンマツ,スマオマツ,コウヨウザンといった針葉樹林やカバノキ等の広葉樹林が在るが,二次的な自然林のような多くの樹種が生育する薪炭林もも見られる.日本と違って,薪炭は現在もなお重要な存在で,調査中は丁度その,生産の時期に当たり,各地で薪炭林の伐採と薪や木炭の搬出光景がみられた.薪炭林の存在は人の生活と自然環境の保全の問題の重要なポイン卜である.自然林は最近の伐採により,減少しているが,なお部分的に見事な熱帯モンスーン林がみられる.
抄録全体を表示