現代社会学研究
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24 巻
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追悼文
自由投稿論文
  • ―北海道の23団体を対象として―
    菊地 千夏
    2011 年 24 巻 p. 7-22
    発行日: 2011/06/04
    公開日: 2013/02/28
    ジャーナル フリー
     近年,不登校の子どもへの支援が官民双方で充実しつつあり,不登校の親の会への参加者が減ってきていると言われている。そうした環境変化の中で,親の会の内実はどのように変化してきているのかという課題に関して,構成員に着目することを視点に検討を行った。
     調査対象となった北海道内の親の会23団体では,たしかに例会参加者は減少傾向にあるものの,そのことが必ずしも構成員の縮小には結びついていないことが明らかとなった。つまり,親の会では参加者の世代交替がうまくいっておらず,既存のメンバーが滞留傾向にある。それに伴い会の運営を担うリーダー層は固定化によって高齢化が著しくなっている。
     他方,リーダー層以外の参加者も,かつては積極的に活動に関与していたが現在では消極的に変化しているという周辺層と,加入当初からずっと中心的なメンバーとして活動をしてきた中心層という違いがみられる。このうち中心的なメンバーの子どものほうが中退経験と中卒者が多いことから,そうした「不登校」というつまずきを拭いきれない現実が,過去を肯定し続ける中心的なメンバーのあり方に結びついていると考えられた。このように,親の会では滞留しているメンバーのニーズはなくなっていないのであり,未だその役目を終えるわけにはいかないと言える。
  • ―日系ブラジル人児童の保育を中心として―
    品川 ひろみ
    2011 年 24 巻 p. 23-42
    発行日: 2011/06/04
    公開日: 2013/02/28
    ジャーナル フリー
     本稿では保育士たちが,どのような意識をもち多文化保育を実践しているのかについて,①差異をどのように捉えて,②どのような対応をし,③それによってどのような負担を感じているのかを,保育士たちを取り巻く環境に着目しながら検討した。
     その結果,多くの保育士が,日本人児童とブラジル人児童の違いを認識していた。またその違いは,すぐに保育者が対応しなければならないことが多いため,保育士たちは日常の保育のなかでさまざまな工夫をしていた。そのため,多くの保育士が日常の保育に難しさを感じていたが,ブラジル人児童の受け入れには肯定的な者が多かった。
     それを支えるものとしては,2つの要因がある。一つは通訳の存在である。通訳は単に言葉の伝達者としてだけではなく,日系ブラジル人児童を取り巻く文化を説明する役割を果すことで,保育士たちの理解が深まり,日常生じる問題に上手く対応することができていると考えられる。さらにもう一つの要因として,当該園が多文化共生保育を行うことを,保育方針として掲げていることで,保育士たちにごく自然と多文化保育の理念が浸透していると考えられる。
     以上のように,保育士たちは難しい状況にあっても,それを支える環境があることで,多文化保育を前向きに捉え実践していることが分かった。
  • 菅原 健太
    2011 年 24 巻 p. 43-61
    発行日: 2011/06/04
    公開日: 2013/02/28
    ジャーナル フリー
     現代の若者について,対人関係,特に友人関係が希薄化していると言われている。他方で,親密性の新たな形が生み出されているとして,複数の研究が自我構造の変化,具体的には「複数の中心をもった複数の円」状の自我構造に変化してきたことにより,選択的な関係性というものが生み出されてきたことが指摘されている。
     本論では,2006年と2009年に行った北海道A市の高校生を対象としたアンケート調査の結果から,この友人関係における「選択」の意味について分析を行った。結果的に,友人関係の「選択」は関係の希薄さと強く関わるものではなく,自己における「使い分け」というものは,関係の希薄さと関わっているという相違が確認された。
     二時点での変化,特に自己意識においては,自己の確立性と,自己の複数性・未定性とが相反するものではなくなってきたという変化が確認された。
     これらの結果を考慮すれば,確かに旧来的な「同心円状」とは異なった,新しい自己の形が生まれており,それを背景として,関係を使い分けてもなお親密であるという,親密性の新たな形が生まれている。ただしそれは,自己の「選択・使い分け」によるものではなく,自己を未定的なものとして確立させるという,ある種の「構え」によるものであると考えられる。
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