横光利一研究
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2021 巻, 19 号
横光利一研究
選択された号の論文の16件中1~16を表示しています
特集「〈翻訳〉の季節─横光利一と同時代文学」
  • ── 横光利一と堀辰雄の文学言語の転回 ──
    戸塚 学
    2021 年 2021 巻 19 号 p. 2-14
    発行日: 2021年
    公開日: 2023/03/29
    ジャーナル フリー
    横光利一と堀辰雄の翻訳と創作の関係を、両者の初期作品における文学言語の転回点に着目して分析する。生田長江の『サラムボオ』翻訳はドイツ語と英訳とを参照して行われ、その結果生まれた文体的特徴が、個別に横光「日輪」に取り入れられている。そのように作り出された文体的特徴に、横光は小説的機能を付与している。堀辰雄は初期作品において、フランス語の文章構造を日本語に反映する形で訳すように取り入れ、特徴的な文体を作り出している。横光と堀のエッセイによれば、両者は異言語の背後にある思想を取り入れようとする発想を持っており、そうした 姿勢が、言葉の形態が内容を規定するという、両者の文学言語の性質に関与している。
  • ── 一九三〇年前後の〈文学者ネットワーク〉という視点から ──
    尾形 大
    2021 年 2021 巻 19 号 p. 15-27
    発行日: 2021年
    公開日: 2023/03/29
    ジャーナル フリー
    1930年前後の横光利一を考える際、「新心理主義文学」という〈モード〉とあわせて、伊藤整は横光の近くにしばしば位置づけられてきた。しかし、こうした認識は戦後伊藤が横光文学を語るなかで提出した文学史的な見取り図に引き寄せられているように思えてならない。本稿は1930年前後の若い文学者たちが、〈翻訳〉という営為を軸に結びつくなかで形成された同時期の〈文学者ネットワーク〉の一部を整理し、そのうえで伊藤と横光の小説実践の比較をとおして両者の「心理」をめぐる認識の相違を考察した。事後的に「新心理主義文学」という枠組みに押し込められる両者の関係性の近さと遠さの一端を明らかにした。
  • 福長 悠
    2021 年 2021 巻 19 号 p. 28-43
    発行日: 2021年
    公開日: 2023/03/29
    ジャーナル フリー
    中国新感覚派は、日本の新感覚派の影響のもと一九二〇─三〇年代の上海で活躍した文学者たちを指すとされる。本論文では中国新感覚派に対する同時代評を通して、その呼称と評価の変遷を整理した。一九二八年に結成された水沫社は新感覚派の紹介に取り組んだが、彼ら自身は新感覚派を自称しなかった。新感覚派の名称は、一九三四年頃に水沫社の劉吶鷗や穆時英らが独自の活動を始める中で散見されるようになる。日中戦争下、劉吶鷗と穆時英は親日政権に協力し、戦後に新感覚派が批判される遠因を作った。新感覚派の受容の始まりから集団の名称として定着するまでには数年の時間があり、漸次的な変容を通して中国新感覚派が形成されたとみなせる。
  • 劉 妍
    2021 年 2021 巻 19 号 p. 44-57
    発行日: 2021年
    公開日: 2023/03/29
    ジャーナル フリー
    一九三〇年代から四〇年代にかけて、中国の華北、東北、南京、武漢などの「淪陥区」において、横光利一の作品は広範囲にわたって翻訳されている。訳者は日本での留学経験のあるものが多く、翻訳する際、横光の技法への注目だけではなく、作品に見られる歴史認識や西洋化批判に着目する傾向が見られる。横光の作品を通して、西洋文明に侵食されつつある中で、いかに伝統文化の再建と独自性を求めるか、という視座を獲得したと言えるだろう。また、『紋章』や『旅愁』等の後期作品の紹介を手がけたのは、占領下において日本と中国、東アジア全体の行く末を憂う中国知識人の心理が横光の作品の主人公たちと重ねていた可能性が考えられる。
  • 謝 惠貞
    2021 年 2021 巻 19 号 p. 58-78
    発行日: 2021年
    公開日: 2023/03/29
    ジャーナル フリー
    橫光利一は一九二○~三○年代日本新感覚派の旗手としてだけでなく、台湾、中国、韓国の文学界を風靡した東アジアのモダニストとしても名を残した。その背景には、日本の植民地領有による日本語の普及と、翻訳の流通が介在している。小稿は、中国語に訳された横光文学を調査し、「作品別の翻訳状況と回数」を分析し、最も翻訳された作品は、「蝿」、「ナポレオンと田虫」、「春は馬車に乗って」、「日輪」、「イタリア行」、「古い筆」、「花園の思想」、「母の茶」、「感想と風景」だと分かった。最後に、その同時代評を通して、その横光認識の特徴を解析した。
  • ── 横光利一と「近代による超克」 ──
    崔 真碩
    2021 年 2021 巻 19 号 p. 79-95
    発行日: 2021年
    公開日: 2023/03/29
    ジャーナル フリー
    一九三六年夏、京城のモダニスト李箱(イ・サン)は、短篇小説「童骸」で、横光利一の「頭ならびに腹」の冒頭の言葉をパロディ化した。李箱はなぜ、横光をパロディ化したのだろうか。パロディ化の目的が風刺にあるとすれば、李箱は横光のパロディ化を通じて何を風刺しているのか。本稿はこのような研究動機のもとで一九三六年以降の横光のテクストを読む。日中戦争、大東亜文学者大会、そして竹内好。同時代の文脈に開きながら横光のテクストを読み直し、一九三六年夏に李箱が予感した横光の姿を浮き上がらせたい。それは、横光にとって「近代の超克」とは何だっ たのかを再考する試みになるだろうし、ひいては横光を現代に翻訳する作業になるだろう。
  • ── 「日輪」を中心に ──
    日置 俊次
    2021 年 2021 巻 19 号 p. 96-110
    発行日: 2021年
    公開日: 2023/03/29
    ジャーナル フリー
    横光利一におけるシェイクスピア『アントニーとクレオパトラ』の翻訳劇の影響は、今までほとんど論じられていない。「日輪」は、フロオベエル『サラムボオ』(博文館、大2・6)の影響を受けて書かれたというのが定説である。しかし卑弥呼とは、「日輪」というタイトルが示すように太陽のごとき古代の女王であり、そのイメージは翻訳文体の模倣という観点では説明ができない。横光はシェイクスピア翻訳劇と、その改作や引用といった翻訳現象から複合的に学んでいる。大正期にシェイクスピア戯曲とその翻訳現象がもたらした太陽神的古代女王という圧倒的なイメージであるクレオパトラ像が、卑弥呼のモデルとなったのではないか。
  • ── 英語での会話と言葉の連続性に注目して ──
    大村 梓
    2021 年 2021 巻 19 号 p. 111-125
    発行日: 2021年
    公開日: 2023/03/29
    ジャーナル フリー
    本論文では横光作『上海』の原作と英訳を異国性の醸成という観点から考察した。英訳では日本と上海、東洋と西洋という図式が強調された結果、日本人登場人物の故郷と異国の間にいる中途半端な自己は十分に描かれていないと考えられる。また原文では英語の会話はすべて日本語文で書かれており、日本語読者の想像にゆだねられている。原文は英語で話すことの特権性を印象づける作用もあるが、英訳ではそれを認識するのは難しいだろう。そして原文での都市の不穏な空気感、宮子や参木、甲谷を待つ不吉な未来への予感は「辷る」という言葉の連続性によって維持されていると考える。しかし英訳では様々な訳語が用いられることにより、個々の場面が連続している印象が薄まることがわかった。
  • ── 「巴里の屋根の下」と「マロニエ」を足がかりに ──
    杉淵 洋一
    2021 年 2021 巻 19 号 p. 126-144
    発行日: 2021年
    公開日: 2023/03/29
    ジャーナル フリー
    横光利一が小説『旅愁』において、映画「巴里の屋根の下」の主題歌を、フランス語の音のまま平仮名で書きつけた理由について、翻訳学、比較文化論的な見地から分析を行った。『旅愁』という小説が、作者による執筆上の戦略によって、小説の映画化ではなく、映画の小説化を企図していた可能性を検討することによって、小説内において読者の身体的感覚として音楽が流れる時間導入のための試みの意味を含んだ作品であることを提起した。そして、この読者の意識に喚起させられる音楽の持続のために、パリの街の姿を読者に彷彿とさせる「マロニエ」の表象が、音楽を反復させていくために、定期的に挿入されていることを関連言説から明らかにしていった。
研究ノート
自由論文
  • ── 「唯物史観」の相対化としての「地形輪廻説」 ──
    英 荘園
    2021 年 2021 巻 19 号 p. 158-171
    発行日: 2021年
    公開日: 2023/03/29
    ジャーナル フリー
    本稿では、横光利一「静かなる羅列」を取り上げる。「静かなる羅列」は、川の相克と社会の変遷の関連性をめぐる小説である。「静かなる羅列」に描かれた川の相克が、辻村太郎『地形学』の「地形輪廻説」によるものと指摘する。社会の変遷については、資本主義まではマルクスの唯物史観に従うものの唯物史観に存在する充分な物質的条件という前提条件に着目し、「地形輪廻説」の観点を取り入れることで、社会の変遷は、常に物質に制限され、輪廻の中にあることを描いたとした。つまり、プロレタリア文学の反対者である横光は、あえて、唯物史観を小説の素材とし、「地形輪廻説」と比較することで、自然の重要性を強調し、唯物史観に代表される進歩史観を批判してみせたのである。
資料紹介
クローズアップ横光
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