学校教育研究
Online ISSN : 2424-1504
Print ISSN : 0913-9427
ISSN-L : 0913-9427
33 巻
選択された号の論文の9件中1~9を表示しています
第1部 <特集>教師の実践知の批判的継承と教師教育
  • 金井 香里
    原稿種別: 研究論文
    2018 年33 巻 p. 7-
    発行日: 2018/08/03
    公開日: 2023/04/18
    ジャーナル オープンアクセス

    技術の発展によって人,物,資本,情報等が国境を越えて自由に行き来するようになり,社会のありようは大きく変容している。いわゆるグローバリゼーション(globalization)が進行しているのであり,政治,経済,文化等の分野では,グローバリゼーションによってもたらされるさまざまな影響が話題にされるようになって久しい。広田(2016)によれば,現在,世界的に多くの国民国家に対し大きなインパクトを与えているのは,経済次元での新自由主義的なグローバリゼーションである。新自由主義の立場をとる論者らは,国家による規制の排除,自由市場原理の適用を望ましいものとして主張しており,教育もその対象に含まれる。一方,グローバリゼーションによる社会の変容は,従来,国民国家としての統合の装置として機能していた近代の学校教育に対し,そこでの教育のあり方の見直しを迫ることにもなっている(120頁)。 当然ながら,グローバリゼーションは,日本の学校教育にもさまざまな影響を与えている。それは,教育改革における主要な課題の一つが,グローバル化,情報化の進んだ知識基盤社会ないし生涯学習社会で必要な能力の育成となっている点から明らかである。加えて昨今,米国,英国等で行われていたニュー・パブリック・マネジメント(New Public Management;以下,NPM)型学校改革が日本においても進んでいる点から伺えよう。あるいは,学校の置かれた地域や教室の子どもたちの国籍,人種,民族,宗教等の多様化の現状,各学校,教師による国際理解や多文化共生のための教育実践の取り組みからも見てとれる。本稿では,こうしたグローバル時代に学校教育を担う教師に焦点をあて,どのような教師像が求められているのかについて探究することにしたい。グローバリゼーションと並行して情報化,多文化化,価値多様化,不確実化の加速する状況下で,教師はどういったヴィジョン,そのためにどのような認識が求められるのかについて検討を試みることにする。

  • 佐々木 幸寿
    2018 年33 巻 p. 8-
    発行日: 2018年
    公開日: 2023/04/18
    ジャーナル オープンアクセス
     戦後の教員養成は,「大学における教員養成」という理念の下に,「開放性」と「免許状主義」という二つの原理によって展開されてきた。「開放性」とは,師範学校における教員養成の反省にたって,教員養成を目的としない一般大学・学部に対しても教員養成を開放することを意味している。「免許状主義」とは,教員となる基礎資格を,課程認定を受けた大学における一定の単位の修得によって付与する仕組みである。この両者が基軸となって戦後の教員養成システムが形成されてきたのである。戦後の教員養成のシステムは,戦前の「師範教育」の克服という点では一定の成果を上げているものの,教育の質そのものについては,実践性を欠いているなど,世論の厳しい批判に晒されてきた。  こうした教員養成制度が抱えている課題に対して,現在,進展している改革は,開放制の原則を変更する抜本的な改革は避けながらも,教員の資質向上について,教員養成の高度化,地域レベルにおける教師教育のネットワー ク化,教職の専門性基準の具体化を図ろうとしているように見える。つまり,教員養成の在り方の議論の一つの核は,教員養成の高度化と,その柱とされる教職大学院の質的・量的拡充にある。高度専門職業人を養成する教職大学 院は,設置以来10年を経て2017年度にはほぼ全国の都道府県に教職大学院が開設されるに至り,今まさに第二ステージを迎えようとしている。そして,第二の核が,地域における教員育成協議会の制度化である。2016(平成28) 年に教育公務員特例法が改正され,教員の資質の向上に関する指標等が任命権者,校長,大学等をもって組織される教員育成協議会によって策定されるなど,養成と採用,研修が一体化される道筋が開かれることとなったことである。また,第三の核として,教師教育の資質基準を具体化させようとする動きが教職課程コアカリキュラム,教員育成指標など,国・地方において同時に進んでおり,教職の専門性基準の在り方が議論の争点となっているということである。  本論では,我が国の教師教育の置かれた現状と課題を俯瞰しながら,上記の三つの論点を中心として未来に向けた教師教育改革の在り方についての視点を整理してみたい。
  • 堀井 啓幸
    2018 年33 巻 p. 12-
    発行日: 2018年
    公開日: 2023/04/18
    ジャーナル オープンアクセス
     イギリスでは,労働党政権において修士化も含めた教職の高度化が図られたが,連立政権においては大学の教員養成課程と離れた形での教員養成ルート(School-Centred Intial Teacher Training, School Direct, Teacher First) など学校主導,現場主義的な教員養成に重きが置かれ,大学における教員養成の在り方そのものが問われている。現在,日本における教員養成も似た状況にあるが,海外では教員養成を担当する大学教員の多くが元学校の教員で あり,キャリアにおいて理論と実践の融合が内在されていることが異なる要素である。  本稿は,教員養成に求められる実践知(実践的指導力)について,全国に広がりつつある「教師塾」に焦点化して考察するものである。それは,日本の大学において増えつつあるいわゆる実務家教員の今後の有り様やそうした人材を積極的に生かした教職課程経営に密接に関わる問題といえる。
  • 油布 佐和子
    2018 年33 巻 p. 19-
    発行日: 2018年
    公開日: 2023/04/18
    ジャーナル オープンアクセス
     教員養成が大きく変わろうとしている。  まず,教員養成を中心的に担ってきた国立大学が改革の波に曝されており,その中で教育学部は草刈り場的状況に陥りつつある。今後,大学の統廃合や教職大学院を核にした生き残り策,あるいは,私立大学をも巻き込んだ改革が進むことが予測され,開放制教員養成について,改革が二転三転することは間違いない。第二に,教職課程認定行政等でのシラバス指導に見るように,教職課程コアカリキュラムのような〈外在的に〉作成されたスタンダードが,教員養成・教師教育の領域に影響を及ぼしつつある。スタンダードの導入が教師の質を保障するのか,あるいはチェックリスト化して画一的かつ教条的な教員養成が進むのか目がはなせない。第三に,〈理論と実践の往還〉を謳って登場した教職大学院が開設10年を経て,現職教員の〈研修の場〉へと姿を変えつつある。大学が現職教員の成長の場として新たな機会を提供できるのか,あるいは行政と一体化した教員研修の下請け的な役割を果たすようになるのか,大きな分岐点にある。同時に,このような改革の枠内でしか教員養成の生き残りはないと,嬉々として,あるいは不承不承にこうした政策を追認する大学人も少なくはない。このいずれをとっても,教員養成が重大な転換点にあることの証左である。
第2部 自由研究論文
  • 足立 佳菜
    2018 年33 巻 p. 62-
    発行日: 2018年
    公開日: 2023/04/18
    ジャーナル オープンアクセス
     本稿は,1958(昭和33)年に設置された「道徳の時間」における授業と生活の接続方策を明らかにすることを目的とする。  2015(平成27)年3月学習指導要領一部改正により,「特別の教科である道徳」(以下,「道徳科」)が新設された。これは1958(昭和33)年「道徳の時間」設置以来の変革であり,学校における道徳教育のあり方が改めて問われている。「道徳科」は一般教科とは異なる性格づけをされてはいるが,道徳を直接の学習目標とする目的的機会を計画的に設けるという意味での「道徳授業」を要請するものであることに変わりはない。授業は,近年のアクティブラーニング型授業の提唱が示すように,必ずしも講義型や知識伝達型の教授形態のみを指すものではない。とはいえ学校教育における授業は,認知的領域の学習を主たる役割とし,純粋な経験・生活体験からはある種の乖離を免れない側面を有している。そうした授業の場で,道徳という価値や行為概念を含みこむ領域の学習をどのように構築することができるのかを問うことは,「道徳科」推進の上で不可避な課題であろう。  この課題に迫る上で本稿では,昭和33年学習指導要領における「道徳の時間」の設計を再検討し,これが有する授業と生活の接続構造について明らかにする。昭和33年学習指導要領を考察対象とするのは,設定課題の集約点としての意義を認めるためである。  周知の通り,「道徳の時間」設置以前の戦後道徳教育は全面主義道徳教育と言われるカリキュラム形態を採用していた。すなわち,教育課程上に道徳を目的とする特定の教科や領域を設けず,各教科や学校教育全体を通じて道徳教育を行うという方針である。そこには,戦前修身科が有していた国家主義的道徳教育を排する目的を筆頭としながらも,徳目主義批判・注入主義批判といった形で,道徳教科や道徳授業が持つ規範的側面や抽象性を課題視す る志向が反映されている。一方,「道徳の時間」の設置は,全面主義から特設主義への“転換”と評されるものである。ただし正確には,「道徳の時間」は学校教育の全体を通じて行う道徳教育を基盤とすることを明示しており,全面主義と特設主義の“併存”を企図している。この方針選択においては,「道徳の時間」すなわち「道徳授業」がどのように前時代の全面主義道徳教育の理念を継承するのか(あるいはしないのか)が問われたはずであり,授業と生活の接続は重要課題であったことが予測される。しかし,「道徳の時間と学校の教育活動全体との有機的統合が十分認識されているか」は現代においても依然として課題であり,「両者の統一的関係を理論的にどのように説明するかがこれからの課題」であると行安(2015)は指摘する。つまり,“併存”がどのような理論や具体的構造設計によって真に“融合”されるものなのかという問いは,未だ課題として残されているということである。  なお,全面と特設の二重構造は新設の「道徳科」においても継承されている。そして「道徳の時間」も「道徳科」も上述した意味での「道徳授業」であることに相違はない。その意味で「道徳の時間」の理解は「道徳科」の理解にも直結するものであるといえよう。しかしながら,戦後道徳教育(研究)は長く政治的文脈に囚われ「思考停止」状態にあったと指摘され,「道徳の時間」の理解と評価にはいまだ多くの課題が残されている。次代の道徳教育推進のためにも,改めて「道徳の時間」とは何であったのかを丹念に読み解く作業が必要であろう。そこで本稿では,1958(昭和33)年特設時点の初期「道徳の時間」に焦点をあて考察を進めていくこととする。
  • 長倉 守
    2018 年33 巻 p. 75-
    発行日: 2018年
    公開日: 2023/04/18
    ジャーナル オープンアクセス
     本研究の目的は,世界地誌学習のカリキュラムデザインに関する資質能力について実証的に把握するとともに,教師の学びの機会との関係を明らかにすることである。この課題に取り組むために,中学校社会科教師を対象に質問紙調査を実施し,地理教育研究と教師教育研究を架橋する統合的視点から,数量的分析を通して検討を行うものである。
  • 兼安 章子
    2018 年33 巻 p. 89-
    発行日: 2018年
    公開日: 2023/04/18
    ジャーナル オープンアクセス
     本研究は,個々の教師が保有する教師間の相談・情報交換経路を明らかにすることを目的とする。個々の教師の保有するネットワークを描き,教師の人的資源の一端を解明する。  教師間の関係は,学校内外に広がりを持つ。そのなかでも,同僚性の機能については,個人主義的な教師の存在をプラスとして捉えた同僚関係の構想(諏訪)や,チームとして機能する可能性(紅林)も期待されるが,プライ バタイゼーションの進行(油布)等,同僚間の限定的な関係やその負の側面も指摘されてきた(ハーグリーブス,紅林)。これらの同僚関係やチームとしての機能は,学校を単位として論じられ,同様に教師の相談経路も主に校内を対象として検討されてきた。  一方で,教師間の関係は校内に留まらず校外にも広がる。教師が必ずしも校内の教師のみに相談・情報交換経路を保有しているとは限らず,校外の教師への経路を保有している実態(川上・妹尾)や,教師の校内外両方の相談経路を保有している実態(兼安)もあり,校内に限定した教師間の相談・情報交換経路の想定には限界が生じていると言えるだろう。  しかし,以上の先行研究では学校という組織内や同一自治体内における教師間の関係が論じられているため,個々の教師のエゴセントリックな関係には焦点化されておらず,その相談・情報交換経路の内実は明らかではない。そこで,集団に位置づく教師という枠組ではなく,教師個人を中心として捉えることで,教師が相談・情報交換経路として構築する校内外の教師を含めたネットワークの構造を描くことを試みる。したがって,本研究におけるネットワークとは個人が保有する人的な繋がりやその集合体を指す。教師個々のネットワークの解明は,研修機会やその在り方,学校文化にも繋がる重要な基盤となり得る。  また,相談・情報交換の内容については,教師の中心的職務である授業(教科指導)に限定して検討する。これまで,教師の相談・情報交換経路の検討ではその内容が限定されてこなかったが,教師の職務内容は多岐にわたり,職務内容毎に相談・情報交換の相手が異なることも想定されるため,個別の検討が求められる。加えて,教科担任制である中学校においては,校内に同教科教師が在籍しない場合,校内の経路が想定されにくい上,学校の小規模化等から益々そのような状況が発生する可能性がある。したがって,教師が授業に関して活用する校内外のネットワークの現状解明は重要な課題である。  そこで本研究は,中学校教師の授業に関する相談や情報交換の相手について,個々の教師を中心としたネットワーク解明を目的とする。ネットワーク構成員との出会いの契機や,相談・情報交換の内容への着目により,ネットワーク内の教師との関係性の分析を試みる。
第3部 実践的研究論文
  • 大越 卓摩
    2018 年33 巻 p. 104-
    発行日: 2018年
    公開日: 2023/04/18
    ジャーナル オープンアクセス
     本稿の目的は,メンター方式に着想を得た,二人体制のメンターによる初任者研修において,初任者D教諭が授業認知力を深化させてゆく過程を,計量テキスト分析とインタビュー調査により検証することにある。
  • 知識および技能習得場面のつまずきに着目して
    大矢 隆二
    2018 年33 巻 p. 118-
    発行日: 2018年
    公開日: 2023/04/18
    ジャーナル オープンアクセス
     投能力の発達は,幼少期の早い段階から多様な運動経験とともに,投を含む運動の多寡が基盤となる。とくに児童期では,動作習得に対するレディネス(readiness)も整いはじめるため,漸次複雑な動きを取り入れた指導やその効果を確認できる最高の時期となる。  これまで体育授業における投動作学習において,投のプログラムを試みた学習効果の検証が数多く行われ(Wild, 1938; Wickstrom, 1975;奥野ほか,1989; 尾縣ほか,2001; 高本ほか,2004; 小林ほか,2012; 大矢ほか,2015),投距離および動作変容の量的分析が進められてきた。たとえば投運動学習の適時期として,「投距離からみた練習効果は,男子では7・8歳,女子では8歳から10歳で大きく」(奥野ほか,1989, p.33),児童期の学習には,「身に付ける動きのパターンや習熟度を発達段階に応じて示す必要がある」(小林,2012, p.614)ことから,投能力の発達には,対象者の実態に即した段階的・系統的な知識および技能習得の必要性が示唆された。投動作の発達の遅れが球技系運動嫌いや運動・スポーツからの離反につながることを考慮すると,投動作学習の成果が量的に検証されてきたことは極めて重要な試みといえよう。  他方,質的分析では,指導者などへの半構造化面接による検証が多く行われ(田中,2010;四方田ほか,2013;村越,2014;福井ほか,2015),量的にはあらわれにくい心理的側面に着目した検討がなされてきた。たとえば四方田ほか(2013, p.54)は,指導の助言と児童の肯定反応に関し,「体育授業のコミットメントが促される上で共通の重要な契機である」とし,また,福井ほか(2015)は,ゴールキーパーの失点経験は,その後葛藤に適応しながら失点を受容し,自己調整学習を用いて失点を乗り越えて行くといった変容プロセスを解明した。大矢ほか(2017b,p.213)は,中学生における投動作学習後の心理的変容について,「自己有能感をもつことは他の運動に汎化するという心理的循環を経ていた」ことを明らかにした。このように質的分析は,量的にはあらわせない性質や意味の検討に中心を置いており,そのため体育科・保健体育科の教科開発を考えるうえで,一定の指針を与える可能性をもつと考えられる。しかしながら,体育授業における投動作学習の質的分析では,児童・生徒のつまずきについて十分な検討がなされていない。それ ゆえ,投動作学習における児童・生徒の発達段階を踏まえ,学習過程におけるつまずきについて検討することとした。これらの成果の検証は,他の運動領域の指導の在り方を探るうえでの端緒になると考えられる。
feedback
Top