芸術工学会誌
Online ISSN : 2433-281X
Print ISSN : 1342-3061
75 巻
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芸術工学会誌75号
  • 第二次世界大戦後から昭和末期まで
    佐野 浩三
    2017 年 75 巻 p. 112-119
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/12/25
    ジャーナル フリー
    これまでの研究では、神戸洋家具産業の発祥から第二次世界大戦前までを4 期に仮設区分し、産業実態の調査分析を進めてきた。本稿では、終戦から昭和末期までを調査・分析の対象とし、戦前との比較から産業実態の変容を明らかにした。  神戸圏は、昭和20(1945)年の大空襲によって焦土と化し、洋家具産業も壊滅状態となった。神戸洋家具産業の戦後の再出発は、他の産地と同様に連合軍家族用住宅(DEPENNDENTS HOUSING)の家具什器(以下DH 家具)の生産割り当てによる特需が起点となる。しかし、他の洋家具産業の多くがDH 家具の生産指導によって移植された量産型既製家具生産の方式に沿った技術を取り入れ新しく稼働したのに対して、神戸洋家具産業の中心的な事業者は、戦前の手作業中心で少量受注生産の技術を継承し再出発を果たした。戦後は、明治初期から継続する「永田良介商店」と昭和15(1940)年に「眞木製作所」から独立した「不二屋」が業界の牽引者であり、戦災を受けながらも戦後数年で再出発を果たしている。  昭和30 年代以降の高度経済成長期には、西洋式の生活様式が一般にも普及することで洋家具市場は大きく成長し時代の影響を受けながらも、開国以来の伝統を受け継ぐ手作りの受注高級家具として市場での位置を確保した。神戸洋家具産業は、DH 家具の技術指導を契機に発展した量産型既製家具の生産地とは一線を画しながらも、市場競争力の強化と工場環境の改善を目的に昭和40(1965)年には業界の約1/3 の洋家具企業38 社が工場の集団化による効率化を図る生産拠点として「団地協同組合神戸木工センター」を編成した。生産高は、組合結成時から約15 年で6 倍以上(物価変動を考慮すれば3.5 倍)に伸長し、収益面で成果を収めている。  市場需要に対する効率的な対応によって、事業者間の商品展開は均質化が進み、創造的な製作よりも戦前の神戸洋家具や欧州の家具意匠の模倣製作や応用製作を中心的とした生産体制となっている。事業化の経緯は市場需要を見越した供給量確保のための効率的な経営視点が主導し、昭和末期には情報発信、後継者の育成、新製品の開発が課題 となっている。  本論では、これらの戦後の事業実態と展開について調査・分析し、戦前との比較・考察をとおして戦後の事業化の経緯を明らかにした。
  • 文献調査による項目表の案出と整理
    村谷 つかさ, 平井 康之
    2017 年 75 巻 p. 120-127
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/12/25
    ジャーナル フリー
    近年、障がいのある人の創作活動は発展的に展開され、既存の福祉や美術の評価軸でとらえきれない価値に対し新たな評価軸が必要とされている。本研究は、障がいのある人の創作活動の価値を議論する上で、論点を共有するための指標作成を目的とした。本論では創作過程に着目し、第一段階として、日本で活動を牽引する5 名の専門家の文献調査を行い、価値判断の論点を、項目として整理した項目表を案出した。項目の生成にあたり、論点を網羅的にとらえるため、文献から各専門家の論点を洗い出し列挙した。項目表は、論じる視点の違いから「障がいのある人についての項目表」(大項目12、項目15)、「支援者が持つ意識についての項目表」(大項目15、項目22)に弁別できた。このように、新たな価値を議論する際、異なる専門領域や立場の人が論点を共有するための指標を、2 つの項目表として案出した。項目表の活用により、創作過程に関する着目点や意見の差異を整理し、互いに理解した上で、建設的に議論を行うことが可能になると期待できる。
  • 20 世紀の日本における主要工業製品色の変遷(2)
    伊藤 潤
    2017 年 75 巻 p. 128-135
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/12/25
    ジャーナル フリー
    本稿は20世紀の日本における主要な工業製品の色の変遷についての一連の研究の第二報である。洗濯機は「白物家電」を代表する製品であり,「三種の神器」のひとつにも挙げられ,第二次世界大戦後の日本の復興,発展を象徴するものだが,そのはじまりは多くの家電製品同様に海外からの導入による。従来,1922(大正11)年に三井物産が米国より『Thor(ソアー)』円筒型電気洗濯機の輸入販売を開始したのが初の事例だとされてきた。また,国産の電気洗濯機第一号については,1932(昭和7)年に東芝の前身である芝浦製作所が,米国ソアー社からの技術導入により『ソーラーA型』の商標で開発,発売を開始したものだとされてきていたが,工正舎が1924(大正13)年2月に特許出願した「日比式小型自働洗濯機」の存在が指摘されるなど,情報が混乱していた。そのため,輸入第一号,国産第一号について,再検証を試みた。『朝日新聞』『讀賣新聞』2紙の広告,東芝の前身企業のひとつである東京電氣の機関誌『マツダ新報』,業界誌『電氣之友』(電友社)の調査により,輸入第一号,国産第一号ともに従来の説よりも早い年代のものが確認された。1913(大正2)年には日本電気と三井物産によって電気洗濯機がそれぞれ輸入されていたと考えられ,また国産第一号は能川製作所によって1921(大正10)年に製造されたものである可能性が高いことが明らかとなった。第二次世界大戦以前の日本における洗濯機の色彩を,輸入された電気洗濯機,国産の手動式洗濯機,国産の電気洗濯機それぞれについて調査した。輸入された電気洗濯機は鉄や銅の素材色に加えて緑色を中心とした着色が施されていた。国産の手動式洗濯機については詳細な情報は得られなかった。国産の電気洗濯機については,芝浦製作所の「ソーラー」のうち,初号機の「A型」,「普及型」と位置付けられた「C型」および「E型」が緑色(鶯色)であった。また,芝浦マツダ工業の「芝浦電氣洗濯機」の「B型」および「K型」は灰黄色,「D型」は青色であった。以上をまとめると,洗濯槽が琺瑯製の機種や塗装が施された機種では緑色を中心とした有彩色が多用されており,それらは米国からの輸入品に倣った可能性が高いと考えられた。また,白色の塗装が施されたと確認されるものは管見の限りごく一部の輸入品だけであった。
  • 形状と線の太さの違いに着目して
    西岡 仁也, 伊原 久裕
    2017 年 75 巻 p. 136-142
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/12/25
    ジャーナル フリー
    本研究は略地図の道路網のデザインの違いがルートの読み取りに及ぼす影響をあきらかにすることを目的とする.  道路網のデザインの違いとして,実在する街路の形状にほぼ忠実な構成,直線のみを用いた構成,直線と曲線で描いた構成の3_つのパターンを作成した.さらにそれぞれに線の太さの違いの有無を加えて,合計6_種類のデザインパターンを実験に用いた.関連する先行研究では略地図の読み取り時間の計測による実験を行っていたが,本研究では,実験に視線計測装置を用い,注視点,形状毎の注視時間を計測し分析した.加えて実験の被験者全員を対象に読み取りやすさについてのアンケート調査を実施した.  実験は道路網のデザインごとに出発地点と目的地点のセットを6種類設定し,被験者はその間の経路を自由に決定し視線移動を行う課題を課した.主要な交差点 _2_0_ _箇所への注視回数を測定することで,経路の選択を観察した.  視線計測による実験の結果,経路の選択については道路網のデザインの違いに係わらず,出発地点と目的地点のセットごとの相関が非常に高く現れ,大きな差は現れなかった.注視時間の計測からはデザインの違いによる差よりも線の太さの強弱の有無により注視時間の違いが強く現れる結果となった.アンケート調査では直線のみを用いた構成の評価が高かったが,これは出発地点と目的地点との間のルートを設定しやすかったためであると推定される.直線と曲線で描いた構成は,注視点の動きは直線のものと近い傾向が見られたが,今回の実験においては曲線であることの優位性は見られなかった.  以上のことから,同じ構造を持つ略地図において,直線の使用と線の太さに変化をつけることが形状の読み取りやすさを向上させ,周辺の道との関係を把握しやすくなることが分かった.また,出発地点と目的地点の違いによる移動距離の長短に係わらず,より単純な経路が選択される傾向が現れた.この点は,本実験で用いた略地図上の特定範囲での注視回数の計測から得られた知見である.
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