人文地理学会大会 研究発表要旨
2008年 人文地理学会大会
選択された号の論文の69件中51~69を表示しています
第4会場
第5会場
  • ―中国・シンセンのテーマパークをめぐる表象と実践―
    李 小妹
    セッションID: 501
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/12/25
    会議録・要旨集 フリー
     本研究は,中国・シンセンにある「錦繍中華」,「中国民俗文化村」と「世界之窓」という三つのテーマパークにおいて,新しい都市空間がいかなる過程で作りあげられているのかについて考察する。これらのテーマパークは,中国国内で初めて作られた同類の観光施設として,中国の文化観光開発事業をリードし,経済開発の産物と見本であると同時に政治文化の発信地でもある。テーマパークがもつこのような経済的,政治文化的特性は,シンセンの都市空間のそれを反映している。そのうえ,市場経済化とグローバル化の中で成長したシンセンは,グローバル時代における中国都市の都市空間の変容と,都市空間を生きる人々とのかかわりのダイナミックな変容実態を,他のどの都市よりも先見的に,よりよく反映している。本研究において,これらのテーマパークの建設経緯,展示内容および展示手法について検討し,「見せ物の場所」と「生きられる空間」といった二つの視座から,開発側である中国政府と華僑資本家および「ユーザー」である観光客や少数民族の若い労働者による「空間の生産」がいかなるものかを明らかにした。  まず,「見せ物の場所」としてこれらのテーマパークは,中国および世界の歴史文化といった大きなテーマの下で,「社会主義的国民国家」と「市場経済の発展ぶりおよび生活の向上」を見せ,経済発展を正当化する手段であると同時に,愛国主義教育といったような政治宣伝の場でもある。  また,アンリ・ルフェーブルの「表象の空間」とエドワード・ソジャの「第三空間」の概念を用いて,これらのテーマパークが「見せ物の場所」であると同時に「生きられる空間」でもあると確認した。具体的に三つの場面を挙げながら論じる。場面_丸1_:「錦繍中華」において,観光客であるシンセン住民がテーマパークを自らの所有物でもあるように他の町から来た観光客に紹介する時の,彼らの表情や振る舞い型や使った言葉と話す口調から,彼らがこの空間に付与された意味を自分たちの住民としてのシンセン・アイデンティティとも言うべき主体性の発揮が見られる;場面_丸2_:「中国民俗文化村」に百人以上の少数民族の若者が働いている。彼らはテーマパークのすぐ近くにある社員寮に住み,テーマパークを中心に生活している。テーマパークの中での活動と言えば,観客にパフォーマンスしたり民族文化を紹介したりするような労働だけでなく,売店やレストランで自ら消費者になって見せる身から見る身に変身するのである。こうした「生産」と「消費」の間に移行する身体は,見せ物の場所を生きられる空間へと変えている。場面_丸3_:「世界之窓」で80歳の闇ガイドに出会った。彼は「75歳以上の老人が入場無料」という規則で毎日テーマパークに来ている。目的は観光ではなく,観光客にテーマパークを案内することで案内費を稼いでいるのだ。彼のようなテーマパークに雇われていないガイドをここにおいて「闇ガイド」と名付け,彼らによって「世界之窓」という空間が一種の抵抗空間として生産されている。つまり,シンセンのテーマパークは,観光客や少数民族の若者や闇ガイドのおじいさんのような住民や「ユーザー」の空間であって,彼らの諸活動によって抵抗の空間,または「生きられる空間」に練り上げられている。  国民国家のアイデンティティと民族文化は,常に変化しており,確立される必要性に迫られている。従って,それらが空間と時間の枠組みのなかで再生産され,再確認されるプロセスは,わたしたちの周りに絶えず展開されている。万里の長城が5000年の中国歴史文化を象徴するように,シンセンは経済発展がもたらした現代性を象徴する。シンセンの都市空間は,いわばひとつのテーマパークのような存在であって,そのテーマというのが,「グローバル化」であり,中国の改革開放の成功(「社会主義体制」と「市場経済様式」との接合)である。中国が社会主義の政治体制と資本の自由化との間に,その矛盾と戦いながら自らの発展の道を探りつつあると同様に,中国の人びとは,矛盾に満ちた都市に放り出された身をもって,都市を自分たちの需要に合わせながら作り変えている。こうした表象され,実践され生きられる空間には経済発展に巻き込まれている社会的諸主体間の関係性が生き生きと作られ,また現されてもいる。わたしたちが今日及び近未来の中国の都市空間と中国社会を理解するのに,こうした関係性としての空間を第三空間的想像力で考察することはきわめて有意義であろう。
  • ―大連市経済技術開発区を事例にして―
    阿部 康久, 範 晶
    セッションID: 502
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/12/25
    会議録・要旨集 フリー
     1990年代以降に、中国地方都市に進出した日系企業の立地環境が、近年、どのように変容しているのかという点を、主に労働力の確保と賃金水準、インフラ整備の状況、中国国内市場との距離などの観点から検討する。
  • ―中国東北地方の事例から―
    山下 清海, 尹 秀一, 松村 公明, 杜 国慶
    セッションID: 503
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/12/25
    会議録・要旨集 フリー
    1.問題の所在
     1970年代末以降の改革開放政策の進展に伴い,中国では,海外への留学や出稼ぎなどの出国ブームが起こり,これは現在でも継続している。今日,世界の華人社会は,ダイナミックに膨張と拡散を続けており,従来の伝統的な「華僑像」ではとらえきれない新しい局面を迎えている。日本においても,1980年に52,896人であった在留中国人(中国籍保有者)は,2007年には606,889人となり,韓国・朝鮮人(593,489人)を抜いて,国籍別で初めて第1位となった。
     本報告は,中国の改革開放政策実施後,日本において急増した華人ニューカマー(いわゆる「新華僑」)の日本への送出プロセスの解明を目的に進めている研究プロジェクトの中間報告である。今回の発表では,中国東北地方,特に吉林省延辺朝鮮族自治州での現地調査の成果を中心に発表する。 現地調査は,遼寧省の瀋陽・大連,黒龍江省のハルビン,吉林省の長春・延辺朝鮮族自治州(州都は延吉)で,2006~2008年の毎年夏に実施し,特に延辺朝鮮族自治州での調査に重点を置いた。各調査地では,日本語学校,大学の日本語教育機関,海外留学・労務斡旋会社,日本渡航経験者,日本在留者の留守家族,日系企業などを対象に聞き取り調査,資料収集を行った。また,並行して,日本国内の華人ニューカマーからの聞き取り調査も実施した。

    2.日本における東北出身者の増加
     在留外国人統計に基づいて,日本在留中国人人口の推移をみると,華人ニューカマーが増加したのは,1978年末の中国の改革開放政策実施後,とりわけ1980年代後半以降である。在日中国人人口が増加する過程で,非常に興味深い特色は,出身地(本籍地)の変化である。
     日本政府は1983年に「留学生10万人計画」を打ち出し,就学生の入国手続きを簡素化した。一方,中国政府は1986年,公民出境管理法を施行し,私的理由による出国も認めるようになった。このような日中両国の規制緩和により,中国から就学ビザや留学ビザで来日する者が急増した。
     当時の中国人就学・留学生の多くは,上海市と福建省の出身であった。しかし,2007年には在日中国人(606,889人)のうち,_丸1_遼寧省16.1%,_丸2_黒龍江省10.3%,_丸3_上海市9.5%,_丸4_吉林省8.5%の順となり,遼寧・黒龍江・吉林の東北3省(東北地方)を合計すると全体の34.9%(211,951人)を占めるまでになった。

    3.東北地方出身ニューカマーの中国における送出プロセス
     2000年の中国の人口センサスによれば,中国の55の少数民族のうち,朝鮮族は人口順で13位(1,923,842人)であり,その大多数は東北地方に居住している。朝鮮語は文法や発音などで日本語と類似しており,朝鮮族にとって日本語は,外国語の中で最も学び易く,大学入学の外国語科目の試験では得点が取り易い外国語であった。1980年代後半から,就学ビザを取得して日本へ渡航できるようになると,東北地方では,特に日本語能力の高い朝鮮族の間で,日本への留学ブームが起こった。朝鮮族にとっては,最も身近な外国は韓国であるが,韓国より多くの収入が得られ,子どもの時から学校では,英語でなく日本語を外国語として学んできた朝鮮族にとって,日本は渡航希望先として第1の国であった。先に日本へ行った親類や友人を頼り,チェーン・マイグレーションにより日本へ渡航する朝鮮族が増加していった。東京の池袋駅や新大久保駅周辺には,朝鮮族が開業した中国東北料理店や中国朝鮮料理店などが集中している。延辺朝鮮族自治州の延吉郊外の朝鮮族の村では,若者の多く(男女とも)が,日本や韓国に渡航したまま帰国せず,海外からの送金によって高齢者ばかりが生活している村がみられる。
     東北地方における外国企業では,韓国企業の進出が最も目覚ましいが,日本企業も韓国に次いで重要な地位を占めている。特に大連には日本企業のコールセンターやソフト関連施設が多数設けられ,日本語能力が高い人材が求められている。東北地方は,中国国内でも日本語学習者や日本留学希望者が多い地域である。日本語を習得して大連,さらには上海,深圳などの沿海地域の大都市に進出した日系企業への就職を志望する者が多い。
     近年の中国国内の留学ブームを反映して,大連,瀋陽,ハルビン,長春,延吉など東北地方の主要な都市には多数の外国語学校・留学斡旋会社がある。2003年に発生した福岡一家4人殺害事件(犯人の3人の中国人留学生のうち2名は吉林省出身)以後,日本留学のビザ申請に対する日本側の審査が厳格化したため,外国語学校や留学斡旋会社では,主要な渡航先であった日本から,重点を韓国への留学や出稼ぎに切り替えている
  • 小田 隆史
    セッションID: 504
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/12/25
    会議録・要旨集 フリー
    米カリフォルニア州サンフランシスコ市では,市場原理に基づく一般的都市再開発・ジェントリフィケーションに抗して,非営利組織によるコミュニティ活動等を通じて,市民らによる参加型の歴史文化近隣保存・再建計画が実施されている。本発表では,かかる活動実態や制度を提示し,参加型の都市ガバナンスの実態及び効果につき議論したい。
  • ―スコットランドのアサイラム・シーカーを事例に―
    山口 覚
    セッションID: 505
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/12/25
    会議録・要旨集 フリー
     1999年に実施された権限委譲によってスコットランドは一定の自治権を得た。スコットランドは1つの国家としての体裁を整えつつあり,独立論も強まっている。しかし外交や軍事とともに移民政策の権限はロンドンのウェストミンスター議会が保持しており,移民政策の実務は内務省が担当している。こうした権力の二重構造にあるイギリス/スコットランドにおいて,アサイラム・シーカー(庇護申請者)がいかに遇されているのかを報告するのがこの発表の目的となる。  アサイラム・シーカーとは,出身国での受難から逃れ,1951年のジュネーブ条約で規定された「条約難民」としての認定を受入国に求める人々のことである。しかしながら,ジョルジョ・アガンベンが言うように,難民やアサイラム・シーカーを「例外状態」として生殺与奪を欲しいままにすることこそが近代国民国家の主権を保障する。よって相当数のアサイラム・シーカーは難民認定されず,国外退去を勧告されるのである。  内務省入国管理・国籍局のもとで2000年に設立されたNASS(National Asylum Support Service)は,アサイラム・シーカーに対して強制分散政策(policy of compulsory dispersal)を採っている。難民認定の審査期間中,アサイラム・シーカーは各地の地方自治体の所有する公営住宅に配分されるのである。これは,できるだけ早く認定難民をイギリス社会に定着させるという建て前のもと,ロンドン周辺へのアサイラム・シーカーの集中を避け,余剰公営住宅のある自治体に負担を分散させるためのものである。その最大の居住地となっているのがスコットランドのグラスゴーである。しかしスコットランド政府は,「自国」内部にいるアサイラム・シーカーを直接支援することも排除することもできない。  アサイラム・シーカーが難民認定されなかった場合には国外退去が命じられる。しかし強制分散政策ではイギリス社会に一定の根を張ることが意図されており,実際にそうなるケースも多い。こうして退去が命じられても残留し続ける者が多数となる。それに対抗して内務省の権限で実施されるのが「朝駆け」(dawn reid)を含む強制退去である。スコットランドでは政府(行政府)を含めてその手法に対する批判が多い。そのため,2007年には「新戦術」として,朝駆けによって拘束されたアサイラム・シーカーがスコットランドにあるダンガヴェル拘留センター(Dungavel detention centre)ではなく,イングランドのヤールズウッド(Yarl's Wood)拘留センターにまで極秘に移送されたケースも確認されている。  スコットランド政府は,「自国」内部でのロンドン/内務省による排除の手法を批判しつつも直接には何もなし得ないため,アサイラム政策を含む移民政策の権限委譲を求めることになる。しかし,もし権限委譲がなった場合には,アサイラム・シーカーの処遇は少しでも良好なものになるのであろうか。
  • 由井 義通, 神谷 浩夫, 瀧 敦弘, 久保 倫子
    セッションID: 506
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/12/25
    会議録・要旨集 フリー
    就職先として海外を選び,自らの意志で「海外で働く」ことを選択することがかつてほど珍しくなくなっている.経済のグローバル化によって現地採用として雇用される海外勤務が増加している.それに伴い,海外就職に内容を特化した就職情報誌が刊行されたり,大手人材紹介会社の求人欄には海外就職のカテゴリーが設けられたりしている.また,海外で働くことに対する心理的あるいは制度的ハードルが低くなり,企業から派遣される駐在員のような一種の「エリート意識」を持つのではなく,いわば海外就職が大衆化しているともいえる. Thangほか(2002,2004)によると,1994~95年に日本人の海外就職ブームが起こったが,それはホンコンでの就職がマスコミで取り上げられたことで火がついた.当時,日本における深刻な景気後退に伴う就職の困難さも海外での就職に目を向けさせたといえる.また,シンガポールで働く現地採用の日本人女性は駐在員の支援サービスを行う補助的地位にあることが多く,コストの高い駐在員の代わりの安価な労働力で,契約年限のある不安定な地位が多いなど,雇用の柔軟性が反映されている. そこで本研究はサンフランシスコを対象地域として海外就職者の就業と生活に関する調査から,日本人女性の海外就職と海外生活体験の実態と,彼女たちにとってのそれらの意味について考察を試みた.その結果は次の通りである.シンガポールで働く日本人女性の調査では,企業側に「日本人らしさ」に対する需要があり,就業する女性たちも「日本人らしさ」を海外就職と生活の両面で再認識することが指摘された(中澤ほか,2008).サンフランシスコでは,調査対象者の多くが非日系企業に就業しており,彼女たちは就業面では留学先の大学で学んだ分野の専門性と関係する職に就き,日本人としての属性は求められていない.彼女たちは単なる留学体験ではなく海外での就業体験を自分自身のプラスアルファとしてとして持とうとし,労働習慣や生活体験を通じて自らの「日本人らしさ」を再認識するものの,生活体験においてはアメリカナイズされた生活様式を日々送ることに満足感を感じている. Thangほか(2002)は,シンガポールで働く日本人女性を「経済的移住者」ではなく「精神的移住者(spiritual migrant」」と位置づけた. 彼女たちの移動はより高い賃金を求めた経済的理由からではなく,西洋と日本という構築された認識に基づいた動機に特徴があり,異文化との出会い,自己発見の要素をもつことが指摘されている.サンフランシスコで働く日本人女性も日本での就業状態や生活から逃れようとしている点や,アメリカで取得した専門的知識や資格が日本では十分に生かすことができない可能性があるにもかかわらず,将来的な見通しを十分に持っているとはいえない点,海外での就業体験や生活体験自体に満足感を持っている点において,「精神的移住者」と共通するものがある.
  • 山下 博樹
    セッションID: 507
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/12/25
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに  アラブ首長国連邦のドバイは,近年の急速かつ特徴的な都市開発と人口増加,とりわけ世界の富裕層らを対象としたリゾート開発によって日本でもしばしば取り上げられ,注目を集めている。一見,奇抜とも思える数々の都市開発プロジェクトは,他都市の追従を許さないドバイのユニークな魅力となっている。
     他方,こうした都市開発はいわゆるバブル経済の賜物であり,長続きはしないのではないかという指摘は現地でも耳にすることが出来る。また,急速な都市開発と人口増加によってさまざまな問題も出現し始めている。
     本報告では,かかるドバイの都市開発の特徴とその方向性などから都市としての持続可能性,住み良さなどについて検討してみたい。
    2.ドバイの都市開発
     今日のドバイの経済発展の基盤となっているのがいくつもの経済特区である。中東最大規模の港湾に隣接し,1985年にオープンしたジャバル・アリー・フリーゾーンには国内外約6,000の企業が進出しているほか,航空関係企業,IT関係企業,報道期間,中古車業者などをそれぞれ専門にした特徴的な経済特区も設置されている。こうした経済特区の特徴は,_丸1_外資100%の会社設立が可能,_丸2_現地スポンサーが不要,_丸3_資本・利益の100%本国送金が可能,_丸5_外国人労働者雇用の制限がない,などである。
     また,交通拠点として西郊のジュメイラ地区には経済特区の拠点となるジャバル・アリー港のほか,首長国第2の空港の建設も予定されている。ドバイの代表的な大規模プロジェクトなどは表1に示したように,観光や商業施設のほか,住居としても利用されるものが多い。住居の多くは富裕層の別荘や投資目的で購入されているものも多く,現在の都市開発がバブル経済によるものだとの指摘の原因にもなっている。
    3.ドバイ都市開発の持続可能性
     急速に発展したドバイには現在その歪みとも言うべき様々な都市問題が発現している。そうした諸問題に対する首長国の取り組みは次のようになっている。
     乾燥地に位置するドバイが,100万人を超える人口を維持する上での最大の課題は水や食糧の供給であるが,水は海水の淡水化や安価なミネラルウォーターによって,また食糧は農業が活発な隣国オマーンなどからの輸入によって賄われている。
     また,急速な人口増加に対するインフラの整備は万全とは言えない。とりわけ現在市内の公共交通はバスとタクシーのほか,アブラと呼ばれるクリークを往来する渡し船であり,自家用車依存により市内は交通渋滞が顕著である。その解決策として橋の増設や有料ゲートの設置,さらに2005年からは中心市街地と西郊,空港を結ぶドバイ・メトロの建設が進められている。
     都市としての住み良さ向上のポイントとして首長国政府が重視している点のひとつにイスラム教の信仰の保証がある。とりわけ夏季の酷暑のなかモスクへの移動負担を軽減するために,現在市街地では500m毎にモスクの建設が進められている。
     以上のように,近年世界的に注目を集めているドバイであるが,その都市開発の特徴は他の欧米日の諸都市には比較可能な都市が見当たらない独特のものであり,またリバブル・シティとしても住み良さに対する独自の価値基準がもたれているなど,都市地理学の研究対象としても当面は目の離せない都市であろう。
     本研究を行うにあたり2008年度科学研究費補助金基盤研究(C)「我が国におけるリバブル・シティ形成のための市街地再整備に関する地理学的研究」(研究代表者 山下博樹)の一部を使用した。
  • ―ハノイ直轄市メッチー社トゥーリエン県の事例―
    グエン ティー ハータイン, 野間 晴雄
    セッションID: 508
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/12/25
    会議録・要旨集 フリー
    農地転用は都市化の一側面から生じる一過程あり,社会経済発展の結果である。近年、ベトナムは年率3.05%(1995-2006)の急激な都市化を経験した。しかしながら,スプロール化が生じているのに,現状では,政府の方策は都市化を抑えることも,正しい方向への農地転用を動機付けすることも,住民を満足させることもできない。ハノイ市郊外のメッチー社(Me Tri commune)はそのような問題が顕在化する典型地域である。本稿の目的は,この地域で都市化おける農地転用の影響を評価することである。
    メッチー社では2000年以降現在まで,急激な農地転用によって,農民は以下のようなさまざまな問題に直面している。次々に林立する高層建築やオフィスビルの景観とは対照的に,この地域の伝統的な生業であったブン (bun)といわれる米麺づくり,コム(com)といわれる未熟な糯米をハスの葉にくるんだハノイ名物の菓子づくりは衰退し,農民が以前の職業に取って代わる工業やサービス業での新規就業機会をみつけることは困難で,不安定で危険な仕事に従事せざるを得ない状況にある。さらに立ち退きによって得た補償金で,農民はこぞって所得に不似合いな高価な家を購入し,モーターバイクや携帯電話を所有するようになった。
    農地転用における望ましい方法としてわれわれは以下の4点を提起したい。1) 農民に 一時的な補償金ではなく,代替の土地を与える,2) 職業訓練コースのため受講料の支給ではなくの受講証を発行すること, 3) 農地転用や廃止の前に労働の移転計画を考える, 4) 仕事を与えるのみならず,伝統的な生業が可能な場所を農民のために確保する。
  • 西村 雄一郎, 岡本 耕平, ブリダム ソムキット
    セッションID: 509
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/12/25
    会議録・要旨集 フリー
    2006年雨季・2008年乾季のラオスヴィエンチャン近郊農村ドンクワイ村住民のGPS・活動日誌調査に基づく生活行動データを用い、住民と自然との関わりを、雨季と乾季の違い、都市化の影響による2年間の変化などをふまえ、時間地理学的に明らかにする.
  • 藤岡 悠一郎
    セッションID: 510
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/12/25
    会議録・要旨集 フリー
    ナミビア北部農村にみられる人為植生の近年の変化を明らかにし、その要因を住民の生活様式の変化の点から考察する。
  • 宮本 真二, 安藤 和雄
    セッションID: 511
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/12/25
    会議録・要旨集 フリー
    分野  外国地域研究もしくは歴史地理 発表概要 ヒマラヤ地域の開発過程の地域的相違を明らかにするため,人為的に形成されたと考えられる埋没腐植土層と埋没した炭化木片層に着目し,その年代から検討した.発表では,地域間の開発時期の相違を明らかにするため,シッキム・ヒマラヤ(ネパール東部)の成果を概観したのち,アッサム・ヒマラヤ(インド北東部)の埋没腐植土層と埋没炭化木片の形成時期について検討する.
  • ―日帰り放牧に着目した考察―
    山口 哲由
    セッションID: 512
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/12/25
    会議録・要旨集 フリー
    これまで文化地理学では,高度と言う尺度に基づいて山地地域の生業や土地利用形態の理解がおこなわれてきた。本研究では,山地環境でおこなわれる日帰り放牧の調査結果に基づいて,山地地域における牧畜の特性を再検討し,環境によって制約される生業とその今後の発展の方向性を概観する。
  • 池谷 和信
    セッションID: 513
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/12/25
    会議録・要旨集 フリー
    バングラデシュは、約9割がイスラーム教徒であり、ブタは好まれない動物である。しかし、その起源は定かではないが、非イスラム教徒によってブタの遊牧がおこなわれてきた。本報告では、2007年から2008年にかけての4回にわたる現地調査から、ブタの遊牧の実態を、移動形態、管理技術、生産・流通システムなどから把握することを目的とする。
ポスター会場
  • 横山 智
    セッションID: P01
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/12/25
    会議録・要旨集 フリー
    納豆様の無塩発酵大豆食品は,東南アジア大陸部の中国雲南省あたりが起源との見方がある.そして,雲南省を中心に,ミャンマー,タイ,ラオスにも納豆様の無塩発行大豆食品が分布している.ラオスの無塩大豆発酵食品は「トゥアナオ(腐った豆の意味)」と呼ばれ,北部の市場などで売られており,カオソーイと呼ばれる日本のうどんのような麺の辛子ミソには必ず入っている.しかし,ラオスのトゥアナオについては,ほとんど知られていない.発表では,ラオスの無塩発行大豆食品がいかにして製造され,そしてだれによって伝えられ,また,どのような経路で拡がっていったのか文化地理学的視点から考察する.
  • 谷 謙二, 鈴木 允
    セッションID: P02
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/12/25
    会議録・要旨集 フリー
    首都圏、中京圏、京阪神圏について、大正時代以降の1/25,000地形図を時系列的に切り替えて表示する時系列地形図閲覧ソフト「今昔マップ2」を開発し、その機能と特徴を紹介する。
  • ―東京メトロ副都心線開通による周辺住民の百貨店消費状況変化を調査事例として―
    楊 韜
    セッションID: P03
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/12/25
    会議録・要旨集 フリー
    本研究は、2008年9月に東京で行った「都市交通と百貨店消費」をテーマとする調査による結果を元に、都市交通状況(主に東京メトロ副都心線の開通)による周辺住民の百貨店消費行動の変化を明らかにするものである。
  • 土居 浩, 西 訓寿
    セッションID: P04
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/12/25
    会議録・要旨集 フリー
     ライトノベルは《どこを》描写しているのか,ライトノベルは《どこに》存在しているのか.文化現象に対してむしろ「場所・空間フェティシズム」(参照:森正人『大衆音楽史』中公新書,2008)をより徹底化させることで,場所・空間研究の立場から,ライトノベル研究ひいてはポピュラーカルチャー研究に寄与することができないか.この目論見を素描することが,本発表の目的である.
     ライトノベルは《どこを》描写しているのか,との問いで注目するのは,安藤哲郎(「説話文学における舞台と内容の関連性」人文地理60-1,2008)が「舞台」と呼ぶ対象とほぼ同義である.安藤は「舞台」を「登場人物などに何らかの行動がある場所,由緒や出身地としての説明がある場所」として,院政期に編纂された説話集からその「舞台」を抽出した上でさらに分析軸を加える.本発表も安藤と同様に,登場人物の行動を追いかけることで作品の「舞台」を抽出するが,分析軸については安藤の方法をとらない.それは対象とする作品群の違いに拠る.つまり安藤における説話集と異なり,本発表におけるライトノベルが文学研究の対象としてようやくみなされつつある現状を前提としている.
     文学作品を対象とする地理学研究に対して小田匡保は,「地理学研究者が文学を扱う際に,文学研究者の研究史を踏まえ,それに(地理学的観点から)何か新しいことを付け加えるのでなければ,文学の人には相手にされないだろう」(「文学地理学のゆくえ」『駒澤地理』33,1997)と指摘している.すでに10年以上経過した現在においてもなお有効な指摘であることを認め,本発表ではライトノベル研究を踏まえつつ,まずは「文学の人」に相手にされる研究を試みた.
     ライトノベル研究の現状については,大島丈志(「ライトノベル研究会の現在」日本近代文学78,2008)の整理が参考になる.大島は「ライトノベル市場が拡大し影響力を増す一方で,ライトノベルに関する研究は文学研究の落とし穴のような状況になっている」と指摘した上で,ライトノベル研究会で蓄積された知見を紹介する.そのひとつとして,ライトノベルの成立期におけるTRPG(テーブルトーク・ロールプレイングゲーム)の影響がある.この点に関連し発表者はライトノベル研究会に参加し,ライトノベルが描写する「舞台」について直接に研究会参加者たちと意見交換する中で,「舞台」の時期的変遷が参加者たちにある程度共有されつつも,いまだ実証的検討が試みられていないことに気がついた.
     ライトノベル研究に場所・空間研究の立場から寄与すべく,本発表ではアスキー・メディアワークス(旧メディアワークス)主宰の小説賞である電撃小説大賞を対象とし,その大賞・金賞受賞作品は《どこを》描写しているのか,作品の「舞台」を抽出し整理を試みた.その結果,90年代の受賞作品と,00年代の受賞作品とでは,その「舞台」の明確な差異が指摘できた.ライトノベルはより《学校を》描写するようになってきており,端的に述べればライトノベルの「舞台」は《学校化》しているのである.
     以上は作品内部の分析である.では作品外部はどうか.これに対応する問いが,ライトノベルは《どこに》存在しているのか,である.森前掲書の「重要なキーワード」である「聴衆,音楽産業,商品化,物質化,アイデンティティ,政治,歴史,地理(移動,場所,空間)」は,冒頭の二語を「読者,出版産業」等に置換すればそのままライトノベルの語り口としても適用可能かつ重要なキーワードとなる.とはいえこれらキーワードが示すメタ次元の問いを発する前に,本発表ではベタな実地踏査を試みた結果を報告する.その意味では断片的報告であり,トポグラフィならぬトポグラフィティを名乗る所以でもある.
feedback
Top