日本体育学会大会予稿集
Online ISSN : 2424-1946
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第68回(2017)
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専門領域企画(12) スポーツ人類学
シンポジウム
  • 石井 浩一, 波照間 永子
    p. 50_1
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/02/15
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     1988年、日本体育学会にスポーツ人類学専門分科会が設立され、本年(2017年度)に30周年を迎える。その間、1998年には日本スポーツ人類学会が、そして2009年にはアジアスポーツ人類学会が結成され、国際的な協働体制を構築しつつ発展してきた。

     30周年という節目の年にあたり、今一度「スポーツ人類学研究」の意義と課題を再考するとともに、グローバル化が進展する現代社会において、研究成果を「教育」に還元する方法を討議し、専門領域の今後の方向性を模索する一助としたい。

     本シンポジウムでは、全体を二部構成とし、前半にて専門分科会立ち上げを担われた寒川恒夫先生にご登壇いただき、スポーツ人類学研究の成果を「文化理解」教育へとつなげる視点と手法についてご講演いただく。後半では、大学の授業等でこの課題に継続して取り組まれている田里千代(民族スポーツ)、ソリドーワル マーヤ(武道)、弓削田綾乃(舞踊)の各氏より話題提起を受け全体討論を行う。

基調講演
  • 寒川 恒夫
    p. 50_2
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/02/15
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     スポーツ人類学が日本体育学会の中で専門分科会として活動をはじめて30年が経過する。この間、スポーツ人類学はその研究関心を広げ、また研究精度を深化させてきた。精度の深化は博士学位論文、学会誌論文、図書出版という形での成果発表の盛行がこのことを物語っている。

     他方、スポーツ人類学がこれまで“教育を前提する研究”に積極的でなく、成果を学校教育に還元する意識と意欲に欠けていた点は、反省すべき内容であろう。

     スポーツ人類学はスポーツを文化とみる方法と重要性を世に問い続けてきたが、この独自の視点は、学習指導要領保健体育編「体育理論」(中学校、高等学校)が掲げる“スポーツを文化と理解する”課題に十分に応え得るものであり、実際にいくつかの教科書では国際スポーツと民族スポーツがもつ文化理解の異同について取り上げている。国際交流と異文化理解(また日本文化理解)の必要性が体育授業で要請される現状は、こうした問題を論じてきたスポーツ人類学の成果を教育還元するチャンスの時であるといえよう。

話題提起
  • 田里 千代
    p. 51_1
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/02/15
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     昨今の社会情勢においては、異文化理解や多文化共生の必要性から大学教育においてもグローバル社会に対応できる人材の育成を視野に入れることはもはや当たり前となっている。こうしたなかで、スポーツを文化の問題として扱ってきたスポーツ人類学の研究成果をいかに大学教育に還元できるかを考えることは、スポーツ人類学にとどまらず、広義な意味でのスポーツ学・体育学さらには学際的な他領域とも問題を共有しながら、社会的なニーズに具体的に応答していくことにつながるはずである。

     そこで本シンポジウムでは、大学教育において「スポーツ人類学」の知見や実践を活用する方法とその可能性について、①授業での民族スポーツ理解と実践を支える研究者および実践者間のネットワーク構築の必要性、②国際交流プログラム等での活用として、海外に向かう日本人学生への事前教育での民族スポーツの活用、③応用的な活用の可能性として、部活動を文化として捉えた場合での異文化理解の方法の活用の三点を主たる話題として提示する。

  • –柔道を中心に–
    ソリドーワル マーヤ
    p. 51_2
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/02/15
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     柔道の国際化を考えると、競技スポーツとしての柔道のイメージが強く、1964年の東京オリンピック以降の競技スポーツへの進化につれて柔道の本質が失われてきたという声もある。しかし、日本の柔道から世界の「JUDO」への変容は戦後の競技化ではなく、20世紀初期の柔術と柔道の海外普及と始まった過程である。1920~1930年代に入ると、柔道がヨーロッパで盛んに行われ、1932年にドイツのフランクフルトにおいて戦後のヨーロッパ柔道の基盤となった戦前の欧州柔道連合が発足した。1951年、国際柔道連盟がヨーロッパを中心に結成されると同時に、柔道の競技スポーツへの展開が始まり、1964年の東京オリンピック以降、柔道の競技化はより進化することになる。

     したがって、柔道が西欧文化に定着してから100年近くが経ってきた。結果として海外において競技柔道の面だけではなく、指導法や教育法等においても日本とは大きく異なっている柔道文化が形成してきた。しかし、生涯スポーツや教育としての柔道の普及状況及び段階的な指導法等の面において日本にも参考になるところが多く見られる。日本において柔道の伝統を守り続けながら国境を越えた普遍性がある柔道文化の価値を考える必要もある。

  • –グローバル教育の実践をめざして–
    弓削田 綾乃
    p. 51_3
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/02/15
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     日本の夏の風物詩である盆踊りは、平安時代に起源をもつともいわれ、元来、民衆の信仰を体現したものだった。現代では、伝統様式が保たれているもの以外にも、町内のイベントや生涯教育・健康推進活動、海外でのフェスティバル等、様々な形で行われている。このような多様性を有する日本の身体文化を、グローバル教育に活用した事例を報告したい。

     大学の全学生が履修可能な保健体育科目として、盆踊りを主題にした実技「Bon Dance」を実施している。主たる使用言語は英語とし、浴衣を着用して行う。留学生と日本人学生(帰国子女を含む)が混在する状況であり、個々の感じ方・考え方に齟齬が生まれやすい。しかしそのことが、かえって相互に新たな気づきをもたらしていると感じる。本報告を通して、異なる背景をもつ学生たちが、それぞれの視点を持ちつつ、固有の身体文化を共有し理解することの意義を考えてみたい。

専門領域企画(13) アダプテッド・スポーツ科学
シンポジウム
  • 齊藤 まゆみ
    p. 52_1
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/02/15
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     次期学習指導要領では「特別支援教育の充実」が明記された。また、「障害者差別解消法」が施行されたことにより、学校現場でも「合理的配慮の提供」が必須となった。さらに、2020年のオリンピック・パラリンピック東京大会の開催を契機とした「心のバリアフリー」の推進が求められている。そのため、体育を担当する教員は、特別支援の必要な子どもに対して適切な体育・スポーツ指導ができる知識と技術が必要となった。過去3年間のシンポジウムでは「アダプテッド体育履修必修化を目指して」というテーマで、体育免許の取得者に「アダプテッド体育」に関する科目の履修必修化を提案し、中学校におけるアダプテッド体育の現状、大学におけるアダプテッド・スポーツに関する科目の開講状況、次期学習指導要領の改訂と必修化の課題についての報告を行ってきた。一方で、各大学におけるアダプテッド・スポーツに関する授業には統一性がなく、教育課程上の位置づけ、履修対象、教育内容・方法、シラバスなどは大学ごと、担当者ごとに異なっている。そこで今年度は、「大学におけるアダプテッド・スポーツ教育」というテーマでシンポジウムを開催し、大学ごとのアダプテッド・スポーツの授業の現状を把握し、情報共有するとともに、課題や授業を構成するための要素などについて検討したい。

  • 曽根 裕二
    p. 52_2
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/02/15
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     大阪体育大学(以下、本学)教育学部は、小学校教育コースと保健体育教育コースがあり、どちらのコースでも特別支援学校教員免許の取得が可能である。また、保健体育教育コースではアダプテッド・スポーツが学びの柱の一つとなっており、一人ひとりにあった学びを、アクティブに創造することのできる教員の養成を目指している。関連する科目としては、2年次「アダプテッド・スポーツ論」、3年次「アダプテッド・スポーツ実技」「アダプテッド・スポーツ実習」が開講されている。理論で学んだ内容について実技を通して実感し、実習の中でルールの工夫やスポーツの創造を試みるという構成となっている。実技については、パラリンピックや全国障害者スポーツ大会の種目などを中心に体験し、実習の段階では、障害児・者だけでなく、就学前の幼児、高齢者なども対象とし、アダプテッド・スポーツを広義に捉え、実践や指導の経験を重ねるとともに知識と指導力の定着を狙っている。本学教育学部は開設から3年目を迎えたところであり、アダプテッド・スポーツ関連科目のカリキュラムの検証はこれからの課題であるが、本学での現状について報告したい。

  • 藤田 紀昭
    p. 52_3-53
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/02/15
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     日本福祉大学スポーツ科学部は今年度設置されたばかりの1学科定員180名の新学部である。障害者のスポーツ指導はスポーツ指導の原点という考えのもと、障害者スポーツ関連授業を複数配置している。具体的には1年時配当科目としてふくしスポーツ論、一般体育(アダプテッド・スポーツ)、2年時配当科目として障害者スポーツ論、専門実技(アダプテッド・スポーツ)、3年時配当科目として障害者スポーツ指導法演習A(身体障害)、障害者スポーツ指導法B(知的・精神障害)、ふくしスポーツ演習などがある。関心のある学生はさらに専門演習(ゼミ)やフィールドワークといった授業で学びを深めることが可能である。また、必修科目を3科目履修することで初級障がい者スポーツ指導員資格が取得できるようになっており、全員この資格を取ることになる。さらに選択科目の履修により中級障がい者スポーツ指導員の取得も可能である。保健体育教員免許状に加えて特別支援学校教員免許状も取得できるカリキュラムとなっている。このほか研究面では企業と連携して障害者スポーツ障害者選手のユニフォームを開発したり、地域の選手発掘育成面で拠点大学となるべく準備を進めている。

  • 渡邉 貴裕
    p. 53
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/02/15
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     今日、学校教育現場ではインクルーシブ教育システムの構築が求められており、保健体育科の授業においてもすべての子どもが同じ場で共に学ぶことを追求し、個別の教育的ニーズのある幼児児童生徒に対し適切な体育・スポーツ指導を行っていく必要がある。その意味では保健体育科の教職課程を置く大学の役割は極めて大きい。本学では単に特定の教員が科目担当者となり障害者スポーツ等の授業を立ち上げ、学生に学修させるのではなく、教職課程に関わる教員全員が学校教育現場の実情に問題意識を持ち、それぞれの科目や実技の中に特別支援教育及び障害者スポーツに関する内容盛り込み、大学全体として取り組んでいくための仕組みづくりが重要であると考えており、これまで学内の教職委員会を中心に様々な議論がなされてきた。またオリンピック・パラリンピックレガシー創出に向けた活動の一つとして、障害者スポーツ指導者養成を掲げ、千葉県教育委員会や特定の障害者スポーツ協会との連携を図りながら、保健体育科教員を目指す学生が地域の小中学校へのスポーツ指導を展開している。こうした取り組みを紹介し、大学におけるアダプテッド・スポーツ教育の在り方について検討する。

専門領域企画(14) 介護福祉・健康づくり
シンポジウム
  • 小林 寛道
    p. 54_1
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/02/15
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     高齢社会を迎えている日本では、健康づくりは重要な課題として認識されており、産・学・官において様々な試みが行われている。

     静岡県の健康寿命は男性72.13歳で3位、女性75.61歳で2位(2015:厚生労働省)となっている。これは、2010年の男性71.68歳、女性75.32歳に対してそれぞれ延伸しており、健康づくりが成功している県と考えることができる。

     本シンポジウムでは、静岡県の健康長寿の秘訣を知るべく、早稲田大学の岡先生に、静岡県南伊豆町における地域特性と東京都東村山市と連携した取り組みについて、静岡県産業部の水口先生に、ファルマバレープロジェクトを中心とした静岡県の健康づくりについて、静岡県立大学の中村先生に、お茶と健康の関わりについてプレゼンテーションをしていただく。

  • 岡 浩一朗
    p. 54_2
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/02/15
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     東京圏への人口一極集中と地方人口の減少に関する問題解決に向けて、国は「地方創生」を重要政策課題として掲げ、取組むべき重要施策の1つとして「日本版CCRC」構想を提案した。日本版CCRC構想とは、東京圏をはじめとする地域の高齢者が、希望に応じ地方やまちなかに移り住み、地域住民や多世代と交流しながら健康でアクティブな生活を送り、必要に応じて医療・介護を受けることができるような地域づくりを目指す取組のことである。

     現在、静岡県南伊豆町と東京都杉並区とが連携し、日本版CCRC構想の実現に向けた取組が始まっており、自身も「南伊豆町生涯活躍のまち推進協議会」の委員として参画している。本構想の推進に先駆けて、地域包括ケア推進のために両自治体が協働して南伊豆町に特別養護老人ホームを建設したり、お試し移住制度などの取組を開始するとともに、今後の整備計画等について議論している。

     本話題提供では、静岡県南伊豆町における日本版CCRCのこれまでの取組を紹介し、構想実現に向けた今後の課題について整理したい。

  • –「美と健康の都」づくり–
    水口 秀樹
    p. 54_3-55
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/02/15
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     静岡県は、温暖、風光明媚にして、健康食の茶を含めた日本一多様な農芸品を産する食材の宝庫です。また、健康寿命が全国2位の健康長寿県であり、医薬品・医療機器の合計生産金額が全国一位、化粧品の生産金額も全国一と、まさに、世界に誇れる「美と健康の都」と言えます。

     県では、こうした優れたポテンシャルをベースとして、更なる健康寿命の延伸、世界一の健康長寿県の形成を目指し、多様かつ戦略的なアプローチによる施策を展開しています。

     これら取組の中から、医薬品・医療機器などの医療健康産業の集積を図るとともに、「かかりつけ湯」などの健康をテーマとする地域づくりを進めるファルマバレープロジェクト及び機能性食品の開発を進めるフーズ・サイエンスヒルズプロジェクトなどの産業クラスター政策を中心に、ヘルスケア産業の振興や、ラグビーワールドカップ、東京オリンピック・パラリンピック開催を好機として進めるスポーツ振興なども含め、静岡県が進める、静岡県ならではの健康まちづくり戦略を紹介します。

  • 中村 順行
    p. 55_1
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/02/15
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     静岡県は全国でもトップクラスの健康長寿県である。その要因のひとつとして、全国一のお茶の産地であり、日ごろからお茶をたくさん飲んでいることが上げられている。茶と健康については、茶成分のさまざまな機能性が科学的に次々と明らかにされ、世界中の関心事となっている。なかでも、嗜好飲料として重要なカフェインはもとより、他の植物には見られないカテキン類やアミノ酸の一種であるテアニンには特筆すべき機能も多い。特に、カフェインには自律神経系興奮作用や運動能力促進作用などがある。また、カテキン類の機能性は、抗酸化、抗がん、抗老化、抗高血圧、抗動脈硬化、抗肥満、抗菌作用など広範囲に及んでいる。さらに、テアニンには脳神経機能調節作用、リラックス効果、記憶・学習能作用などがある。これらの研究は、細胞や動物レベルはもとより、最近ではヒト試験も増えている。しかしながら、茶は基本的に医薬品ではなく、単にお茶を飲むだけでなく、暴飲暴食をせず、適度な散歩、ゆったりとしたお茶のある生活が重要と考えられる。ここでは、お茶と健康とのかかわりについて幅広く紹介したい。

キーノートレクチャー
  • 鳥居 俊
    p. 55_2
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/02/15
    会議録・要旨集 フリー

     超高齢社会の日本では、総人口が減少し始めてもしばらく高齢者人口は増加を続け、2030年を過ぎて漸く75歳以上人口が減少し始めると推定されている。高齢者人口の増加は医療費の増加や社会保障給付費の増加を招くため、介護予防や健康づくり分野の成果が切実に期待されている。

     要介護・支援に至る原因には脳血管障害や認知症などが多いと考えられがちであるが、実際には変形性関節症や骨粗鬆症に伴う運動機能低下も要介護の1/4、要支援の1/3を占めている。運動器の機能低下に伴う疾患を日本整形外科学会はロコモティブ症候群と呼び、メタボリック症候群と対比させることで一般への理解と浸透を期待している。

     本講では、要介護・支援の原因となる疾患を簡単に解説し、これらを予防する方策について述べたい。

一般研究発表抄録
一般研究発表(00) 体育哲学
  • 次世代へ向けた身体理解の検討
    中村 泰介
    p. 60_1
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/02/15
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     昨今、第3次AIブームの大きな流れの中で、社会における人間と機械の関係性の在り方が、根本的に変わろうとしている。これは単に「ブーム」なのか、或いは、「技術文明」の転換点と捉えるべきなのであろうか。

     アフファ碁の実力は、世界チャンピオンのイ・セドル氏の領域を超えたといわれ、その勢いは将棋界においても同様のことが起きている。分析家たちは、「(人工知能には)人間には見えていない未来が見えていた」と言う。この出来事を、人工知能の勝利という決着で理解してよいのであろうか。もちろん、これからのスポーツのパフォーマンス研究分野にもすでに取り入れられている情報戦略は、人智を超えたものなのであろうか。そうだとすれば、生の身体のパフォーマンスの担い手である我々人間は、一体その現実をどのように受容し、身体への理解を改変していけばよいのであろうか。本発表は、以上の問題意識から、実践レベルで葛藤する人間(アスリートやその候補者たち)の課題と展望について検討する。

  • 跡見 順子, 清水 美穂, 東 芳一, 長谷川 克也, 跡見 友章
    p. 60_2
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/02/15
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     2009年から昨年の学会まで、体育学の研究・教育のコアとなる「身体」について、その誕生(地球における生命創発)、成り立ち、基本構造及び学習・適応可能性について検討してきた。身体は、私達の存在そのものであり、進化を示す遺伝子や生命の単位である細胞から捉える必要性と必然性について論を進めてきた。体育学のとくに身体評価は、生理学及び解剖学からスタートし、バイオメカニクスが加わり、研究が進められている。超高齢社会を迎えた今、これらの体育学の発展を、さらに、(他の動物と共通の)運動がもつ本質と直立二足歩行を獲得した唯一の動物であるヒト、そして体幹(及び内部の構造)の特別な機能獲得により言葉を発明し科学する脳を生み出しすべての人間の平等な身体活動を保証することを目指す文化を生みだした人間にとっての運動、体育の基盤を再構築する必要がある。本年は、実際に教育課程において我々がこの人間の二つの側面を理解する知識(ソフィア)と実践(フロネシス)を統合する身心一体科学の考え方のみならず自ら体幹を制御する運動プログラムの実践研究結果について報告する。

  • 森田 啓
    p. 60_3
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/02/15
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     2001年と2002年に開催された体育哲学専門分科会(現専門領域)のシンポジウム「大学体育の思想」から15年が経った。当時はフロアから批判的な意見が多く、机上の空論といった声も上がっていた。しかし発表者はこの思想を実際のカリキュラムに反映させるなど大学教育に取り組んできた。本研究では発表者のこれまでの取り組みと今後の展望について発表する。

     2018年問題を迎えるにあたり、改めて大学体育について考える必要があるのではないだろうか。またスポーツ庁から第2期スポーツ基本計画が出されたが、実際にうまく機能するのだろうか?さらに体育にとってはどうなのか?2020年東京オリパラを見据えて体育・スポーツには追い風が吹いている状況だが、その後はどうなるのか?体育・スポーツは今、次世代に何ができるか。哲学的思考の重要性は増していると考える。

  • 髙橋 徹
    p. 61_1
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/02/15
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     デューイの教育思想は日本の教育の考え方に大きな影響を与えた思想の一つである。特に戦後の教育改革において、日本はデューイの教育思想に特徴づけられる新教育の考え方を受容することとなった。もちろんそれは体育にとっても無関係ではなく、新体育と呼ばれる戦後の体育改革は、「身体の教育」から「身体活動を通しての教育」へという体育理念の転換とともに、教材としてのスポーツに対する教育的な価値付けをもたらすことにもなった。そのようなデューイの教育思想の影響下にあったとされる新教育(新体育)に対する評価としては、教育方法論的観点から見た経験主義教育の功罪や、教育成果に対する批判が数多く提出されてきた。しかし、戦後の教育改革を評価する観点の一つとして、教育の民主化を通して人々の民主的態度の育成が目指されていたという点も看過することはできない。特に、体育はスポーツを主要な教材に位置付けることによって、それを実現しようとしたのである。本発表では、戦後の民主化を目指した体育改革に対するデューイの教育思想の影響について、特に民主的態度の育成という観点から考察してみたい。

  • 神野 周太郎
    p. 61_2
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/02/15
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     J.デューイは、「共同体(community)あるいは社会を形成するために人々が共通に持っておかなくてはならないものは、目的・信念・願望・知識(共通理解)・同じような心持ちである」とする。人々の間で何かが共有される時、それは共通のものとなり、そこではコミュニケーションが前提とされる。そして共通理解のためのコミュニケーショとは意味生成の過程でもあり、そこには想像力(imagination)が関わるとされる。デューイは自身の経験概念において、想像力とは意味を生成する能力であり単なる経験を意味ある経験へと変化させるものであるとする。コミュニケーションの手段が多様化する現代社会にあっては、他者との関わりを通しての直接的な経験は、様々なコミュニケーションを成立させる基礎となるものであり、よって共同体を形成する上で個人の経験の重要性への視点は必要不可欠なものである。本研究は、プラグマティズムの再評価への流れにあって、デューイのデモクラシー論にみる共同体概念に依りつつ、現在的教育課題でもある教育における個人の経験の重要性への視点を体育論的に考察するものである。

  • 高田 哲史
    p. 61_3
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/02/15
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     畠山源三(小野源蔵、畠山花城の号もある、以降畠山と呼ぶ)は、近代日本に生まれた体育哲学の議論とそれ以後の体育哲学議論に大きな役割を果たしている。1922(大正11)年に數川與五郎が体育哲学の必要性を雑誌『「體育と競技』で主張したが、畠山も1923(大正12)年に著書『體育論』で体育哲学の重要性を述べ、その必要性を説いた。その内容は大西要の『敎育的體育學』(1926年)に大きな影響を与え、さらに1930(昭和5)年に『體育原理』を出版した飯塚晶山や、1929(昭和4)年に『體育の基礎としての哲學』を著した眞行寺朗生らにも何らかの影響を与えている。畠山の体育哲学は、体育学の定立、体育理想論、体育科教科論、体育教師論、体育教材論、さらには体育・スポーツ時評(特に社会体育について)など多岐にわたるが、それらは第二次世界大戦後、日本の体育発展に多大な貢献をした前川峯雄にも影響を与えたと推察する。近代日本に勃興した体育哲学は、従来の研究では数名の研究者の単独議論と考えられたが、畠山の体育哲学が、彼らの体育哲学議論を間接的ではあるが結びつける役割を果たしたと考えられる。

  • 佐藤 洋
    p. 62_1
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/02/15
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     本研究の目的は、競技者におけるfriendship(友情・友愛)とは何か原理的に考察することである。時代の趨勢は、IOCがオリンピックの中心的価値として「友情(Friendship)」を推進する。このfriendship概念には、競技者という存在が当然ながら関連する。具体的にはオリンピックの逸話としてしばしば取り上げられる「友情のメダル」を参考としたい。そこには切磋琢磨するような競技者間のfriendshipがある。本研究はこうした競技者間におけるライバル(好敵手)関係を考察する。本研究の方法は、アリストテレスの「philia(フィリア)」論を主要な導き手とする。フィリアは邦訳において「友愛」と解され、その英訳はfriendshipである。アリストテレスは人間関係の考察において、愛されうるものを「善いもの」「快いもの」「有用なもの」の三種に分類してフィリアを議論する。フィリアとは、「親しい相手と生をともにすること」「自他の共同関係」に基づく。そしてひとびとは、他人を希うのである。本研究は、競技者間におけるライバル(という人間)関係を「フィリア(友愛)」論の観点から検討し、競技者のfriendship(友情・友愛)を原理的に明らかにするものである。

  • 長谷川 憲
    p. 62_2
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/02/15
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     これまでスポーツ疎外論はスポーツにおける人間の自己喪失の問題を指摘してきた。このマルクス主義的な分析による競技者批判に対し、Hans Lenkは『Social Philosophy of Athletics』において反批判を試みている。Lenkは、競技者は疎外されずに、自己実現や自己の安定化を為す存在であると主張している。その根拠は、Lenkが競技者を達成する存在と捉え、この達成概念は、さらに競技者の実存の方法に位置づくためである。しかし、競技者が自己実現し、自己を安定させる一方で、疎外論において問題にされる競技者の自己の喪失のようなものが生じるのは何故か。競技者の自己は必ずしも安定ではなく、不安に苛まれることもある。その原因は、マルクス主義的な立場においては、スポーツを支える社会構造に求められるだろう。それに対するもう一つの立場として、自己を実現しようと試みる競技者自身の内において疎外の可能性を見出すということも考えられよう。つまり、疎外を通じた自己の喪失を競技者の実存に基づいて分析する立場である。本発表の目的は、競技者に自己喪失がもたらされる原因となる、競技者の自己疎外における不安について問うものである。

  • 文化に規定された身体と慣習
    小俣 翔平
    p. 62_3
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/02/15
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     スポーツには文化に規定された「共通の慣習」(common practice)が存在する。A.ブラウンは、ベースボールにおける報復死球を例に挙げて、「時と場合によっては、明文化されているルールに従うよりも、慣習の方が優先されることがある」と指摘する。慣習とは、ある世界において、長い時間を経て成立・発展し、一般的に認知されている伝統的な行動様式である。すなわち人間の身体的活動は、文化としての慣習によって規定されており、それはその国の文化に内在する「暗黙のルール」(unwritten rules)と呼ぶことも可能であろう。また文化の相異によって、その国特有のスポーツ観の異同もみることができる。R.ホワイティングは「ある民族をよく知るためには、その民族が好んで行う競技を研究することが必要である」と指摘する。アメリカンスポーツのもつ大衆化(publicity)への強い関心やメンバーチェンジの思想、そしてエリート主義やフェアプレイの精神を原点とする英国のスポーツ観は、そのことを顕著に示している。本研究は、文化に規定された身体と慣習をスポーツにおける暗黙のルールを手掛かりに考察するものである。

  • 日高 裕介, 友添 秀則
    p. 63_1
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/02/15
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     スポーツに関連して生じる暴力行為が大きな社会問題となっており、行政や各スポーツ団体において、解決に向けて暴力問題の実態把握等の取り組みがなされている。アカデミックの世界においても、スポーツにおける暴力問題に対して、解決に向けた暴力の非教育性や非道徳性を訴える研究がなされている。

     しかし、暴力問題、事件に対して社会の人々の批判的なまなざしが注がれ、教育の場で暴力容認論を主張することはほぼ不可能となっているのにもかかわらず、スポーツ集団において指導者側だけでなく、選手の側にも暴力容認論がなくならない。スポーツ集団の暴力容認論に関する研究では、日本の文化的特性から容認論を存立せしめることが明らかになっている。なぜ、暴力は根絶されないのか。また、根絶できるものなのであろうか。

     そのため、本発表では、暴力が蔓延している運動部活動に焦点を当てて、運動部活動における暴力発生機序を明らかにすることを目的とする。

  • 佐藤 徳仁
    p. 63_2
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/02/15
    会議録・要旨集 フリー

     体罰は昔から議論されながらも今なお課題の一つとして残る問題である。この体罰に関してデュルケムは「整然と組織された制度として、もっぱら学校に源を発しているのである」(デュルケム,1964)として体罰の原因を学校に見ている。実際、学校における体罰はいまだに問題であり、学校という観点からの体罰議論は必要だろう。しかし、学校における体罰について昔から様々な議論がなされてきているが、この議論の多様さがかえって体罰という言葉を曖昧にしてしまっているのではないだろうか。我々が体罰を語るときに、それは学校教育法でいうところの懲戒なのか、暴力なのか、指導であるのか、という視点から論じられることは少なく、これらの意味が混同されて語られる場合も多い。このような体罰の曖昧さから身体的侵害の有無のみが体罰の基準とみなされると、身体的侵害を意図しない有形力の行使までもが体罰と判断されてしまい、指導に及び腰になる教員も多い。以上のことから、本研究は懲戒・暴力・指導というような体罰と類似して語られる言葉との比較を行い、体罰の定義の再設定を試みるものである。それにより、及び腰になりがちな指導状況を改善する一助としたい。

  • 裵 芝允
    p. 63_3
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/02/15
    会議録・要旨集 フリー

     本稿では、身体感性論を支える主軸である「改良主義」を中心に、身体感性論と教育の接点を探り、特に教育の一断面として体育を取り上げる。まず、身体感性論における改良主義がどういった内容であるかを確認する。次に、教育における改良主義、もしくは、改良を主な内容とする思想を批判的に検討する。例えば、教育における優生思想や、啓蒙主義から由来する近代教育が挙げられる。以上の内容を踏まえ、教育、特にここでは教育の具体的な一例としての体育において、新しい改良主義の構築を試みる。

     体育は、改良の具体的な姿が目に見える形で明瞭に現れる側面があり、また、体育が主とする教材であるスポーツにおいても改良は記録・成績向上といった明瞭な形で現れる。体育における既存の改良の概念は批判的検討の余地があると考えられる。従って、本研究は既存の改良の克服を試みる新たな改良の姿を、身体感性論や中村敏雄の体育論を用いて試みることを目的とする。

  • 川瀨 雅
    p. 64
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/02/15
    会議録・要旨集 フリー

     新体操には現れる/現す美の内容と形式がある。しかしその美の内容は採点規則によって定められている「芸術的構成」が「美的形式原理」という美の形式に沿っていることよって成り立つ。つまり新体操は採点規則において美の形式が明文化されていることによって美が現れる/現す。

     しかし新体操では採点規則において明文化されている美の形式だけではなく、明文化されていない判断基準が口頭で伝承され、その判断基準によって採点が行われる事実がある。そしてその伝承される判断基準が新体操の採点に与える影響は非常に大きい。

     そこで本研究では新体操において、採点規則には明文化されていないが実際に得点に反映されて新体操の美となって得点につながる契機となる形式を明らかにする。形式からなる新体操の美の究極とその判断基準を探り、それらが明らかになることでスポーツとしての新体操における採点がどうなっているのかが定められることになるだろう。

一般研究発表(01) 体育史
  • 榎本 雅之
    p. 66_1
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/02/15
    会議録・要旨集 フリー

     ハーリングはハーレイと呼ばれるスティックを用いて、2つのチームでボールを打ち合うホッケーのような競技である。1884年、アイルランドの「民族的娯楽(national pastimes)」を保護、養成するためにGAA(Gaelic Athletic Association)が設立され、ハーリングは近代スポーツ化する。

     19世紀の大英帝国の植民地の拡大が誘因となり、当時、帝国の一部だったアイルランドの人々も世界各地へ移住する。また、1840年代にアイルランドで起こった大飢饉や1850年代のオーストラリアのヴィクトリア州でのゴールドラッシュが、オーストラリアへの移住を加速させた。19世紀のオーストラリアでは、アイルランド系の人々が様々な形式のフットボールなどを行なったことや競技の運営の担い手であったことが先行研究で指摘されている。

     本研究の目的は、帝国の周縁の人々であったアイルランド人が、民族的娯楽を異なる土地でどのように行なっていたのかを検討することである。そのために、19世紀中葉のメルボルンに着目し、アイルランド移民によるハーリングの実相を明らかにする。

  • Metropolitan Public Garden Associationの年次報告書を手がかりに
    川村 若菜, 榊原 浩晃
    p. 66_2
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/02/15
    会議録・要旨集 フリー

     19世紀末のロンドンにおいて、レクリエーション等に利用できるオープンスペースの確保は、都市計画や環境問題とも深く関わっていた。1880年代から世紀末にかけてMetropolitan Public Garden Association(以下、MPGAと略する)は、都市環境下の居住者の健康問題の改善や学齢期児童の運動実施場所(playground)の確保に取り組んでいた慈善団体であった。その事業の年次推移を一瞥すると、都市居住者のレクリエーションや運動実施を促していた実態が浮かび上がってくる。初等学校に隣接した空き地をplaygroundとして転用する試みが漸次増加する状況は、児童の運動実施を招来させる条件として着目する必要がある。すなわち、初等学校(小学校)教育の専轄事項とされた体育授業の実施や内容、学校敷地内の運動場整備などと共に、学校外部の環境整備や成人男女のレクリエーションの振興なども体育史研究として着目すべき研究の着想がそこにある。本研究は、MPGAの年次報告書を主要な資料として、19世紀末ロンドンにおけるオープンスペースの確保とplaygroundの設置状況を明らかにした。

  • 華東地区大学体育連合会を中心に
    李 声民, 友添 秀則, 小野 雄大, 根本 想
    p. 66_3
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/02/15
    会議録・要旨集 フリー

     大学競技スポーツの展開をめぐる問題は、現在はもちろん、100年前の中華民国でも強い関心が持たれていた。そうした中、欧米型スポーツが中国にもたらされたことを契機に、教会学校でスポーツが盛んになり、極東選手権競技大会への参加などで体育団体が設立された。具体的には、1914年蘇州の東呉大学の提案により、華東大学体育連合会が設立され、中国の大学スポーツ連盟の発展に大きな貢献を与えた。そこで、本研究では、中華民国で初の大学競技スポーツ組織である華東地区大学体育連合会を中心に検討する。これまでの研究から、YMCAは中華民国初期に大学スポーツを立ち上げた組織であること、またミリタリズムおよびその思想は大学スポーツに大きな影響を与えたことが明らかになっている。しかし、近年、中華民国時期の大学に対する研究の関心が高まり、多く著作の刊行が続いているにも関わらず、スポーツへの言及は限られている。そこでは、大学スポーツ連盟を直接研究の対象に据えたものは、殆ど見受けられないし、制度の成立過程の解明は、いまだ不十分な状況にある。そこで、本研究では、大学スポーツ連盟の成立過程および歴史的意義を明らかにするを目的とする。

  • 米国の「スタンツ」「タンブリング」「ピラミッド・ビルディング」の受容と展開
    宇佐元 遵, 榊原 浩晃
    p. 67_1
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/02/15
    会議録・要旨集 フリー

     「スタンツ」、「タンブリング」、「ピラミッド・ビルディング」は、第2次大戦前に米国で関連書籍が存在し、戦前の日本にも一部翻訳紹介されていた。集団での演技をねらいとする内容がそれであったが、米国新体育論の主唱者Thomas D.Woodは主著New Physical Education(1927)の中で「自分自身を試す運動」としてそれらを民主的な体育の一端として取り扱った。Woodによって参照された著書に、Bonnie and Donnie Cotteralによる共著(1927)がある。そこには、グループ活動における個人の役割や協力を注意点として紹介し、それらの運動の価値も説明されている。戦後初期の日本では、それらの運動は、体育雑誌や単行本で一部紹介され、学習指導要領では、「巧技」の運動領域として、「スタンツ」「タンブリング」「ピラミッド・ビルディング」の内容を例示していた時期も存在した。本研究では戦後初期の時代における、それらの受容と展開をめぐる限界と可能性を指摘し、「自分自身を試す運動」を手がかりに組体操指導の在り方を考えようとする。

  • 和田 浩一
    p. 67_2
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/02/15
    会議録・要旨集 フリー

     本研究の目的は、国際オリンピック委員会(IOC)会長を辞任した直後に立ち上げた万国教育連盟における教育改革の中で、オリンピック・ムーブメントの一要素として位置づけた芸術と美を、ピエール・ド・クーベルタン(1863-1937)がどのように展開していったのかを、連盟の具体的な活動内容とそこでの彼の問題意識とから明らかにすることである。芸術と美に関するクーベルタンの行動と問題意識の一端を明らかにすることは、2020年東京大会に向けて進められている文化プログラムの根源的な意味の問い直しにつなげられよう。本研究で用いた主な史料は、万国教育連盟が4年間に渡って発行した計4冊の機関誌『万国教育連盟報』(1926-1929)である。クーベルタンは「現代都市の教育学的役割」をテーマに開いた1926年の会議(ローザンヌ)では、民衆芸術をトピックの一つとして取り上げ、1928年には美を全体テーマにした会議をエクス・アン・プロヴァンスで開催した。『万国教育連盟報』ではこれらの会議の予告・報告がなされるとともに、ユーリトミー(eurythmie、調和・均衡)をキーワードとした芸術論・美学論が展開されていた。

  • 中国の新聞報道の分析から
    麦 媛, 田原 淳子
    p. 67_3
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/02/15
    会議録・要旨集 フリー

     中国では2008年第29回オリンピック競技大会(北京)の招致を契機に、1964年第18回オリンピック競技大会(以下「東京大会」)に関する研究が活発化している。しかしこれらの研究の多くは、日本のスポーツ政策や施設などの実務的な内容であり、東京大会と中国人のオリンピック観に関する研究は見られない。そこで本研究では、中国の新聞から当時の東京大会に関する報道を分析し、中国人の同大会に対する見方を明らかにすることを目的とした。史料は、『人民日報』、『中国体育報』、『大公報』などを用い、オリンピックの東京開催が決定した1959年及び大会が開催された1964年の記事を検討した。本研究の結果、中国が政治的な理由で東京大会をボイコットしたことを背景に、中国大陸のメディアでは、同大会に対する批判的な見解が多く見られた。そこには、「一つの中国原則」を守るべきであるという論調の下、東京大会を政治的に利用することで中国人のナショナリズムを形成、強化したいという意図が見られた。一方、当時イギリスの統治下にあった香港における報道では、記事の量・内容ともに豊富で、大会の組織、運営、試合などについて多面的で客観的な評価が見られた。

  • 木下 秀明
    p. 68_1
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/02/15
    会議録・要旨集 フリー

     明治10年代には広汎な実業分野に資する人材育成を目指した各種の特定分野の専門的学校が存在した。これらの学校(一部実業以外の学校を含む)は、官報が1883年に発刊されると、独自の専門教育に必要な生徒の資質・能力についての要求水準を列記した生徒募集広告を官報に掲載した。生徒募集の必須条項は学力関係であったが、学校によっては身体に関する条項も記載している。

     本発表では、学校制度整備の節目となった1886年の学校令を境に、学校制度整備の影響が専門的諸学校の生徒採用時の身体条項に現れたか否かについて、文部省以外の所管である専門的学校の生徒採用基準にも及んだか否かも併せて検討する。

     なお、文部省は、1888年に直轄学校に対して体操伝習所以来の「学生生徒の活力検査」実施を訓令した。さらに、やや時間はかかったが、文部省は、活力検査とは異質の衛生学的な「学生生徒身体検査規程」を1897年に制定した。これらをも念頭に置いて検討する。

  • 柿山 哲治
    p. 68_2
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/02/15
    会議録・要旨集 フリー

     「慈善音樂体操會」とは、活水学院百年史「第二章 第三節 新しい体育」(活水学院百年史編集委員会,1980)の「この新体操の噂はすぐに全市の教育界の評判となり、各学校競って活水から学ばんとする程の勢になった。当時は講習会を開くこともなかったので、市民に公開してはという議が起こった。そこで一九〇二(明治三五)年四月市内の婦人方の後援を得て、舞鶴座(現在、桜馬場町放射線影響研究所の横にあった劇場)で実演を公開することになった。ヤング女史は数十名の生徒に運動服を着せて三日間舞鶴座に出張、教師、生徒共そこに泊り込みで毎日オルガンの伴奏に合わせて、前述の各種の運動や体操を盛んに演じた。これは入場料を徴したが、その収益三百余円は大村活水女園に寄附した。」という記載内容をもとに、掛水(2007)が明治三十五年四月二十四日付鎮西日報から発掘した音楽と体操を合わせた公開演技会の名称である。本研究では、1902年4月25日付The Nagasaki Pressが報じたMusical & Physical Culture Entertainmentの記事を発掘し、その内容と「慈善音樂体操會」に関する記事における記載内容の相違について明らかにした。

  • –「運動会記録」等の分析に基づく–
    木村 吉次
    p. 68_3
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/02/15
    会議録・要旨集 フリー

     日本の学校運動会の歴史を明らかにするには各学校で開かれた運動会を個別に検討する機会が不可欠である。それは、学校運動会の歴史的過程が地域により学校によりさまざまな展開を示してきたため、その多様性を無視した学校運動会の概括化は不可能だからである。本研究は、こうした意味において行われた事例研究の一つで、奈良女子高等師範学校附属実科高等女学校・同附属小学校の運動会を対象として行われたものである。附属小学校には両校連名での「運動会記録」「運動会書類」「運動会書類綴」を表題とした文書綴(1913–1938年分、ただし1914、1915、1923、1927、1931、1932、1933、1934年分は欠)が残されている。これらの文書の内容を分析し、そこに見られる大正・昭和戦前期の運動会の実態を把握し、これを先に検討して愛知県大野尋常高等小学校および同千郷尋常高等小学校の場合と比較してその特徴を明らかにしようとしたものである。

  • 陸軍戸山学校教官大井浩の体育スポーツ普及の視点
    川端 昭夫, 木村 吉次
    p. 69_1
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/02/15
    会議録・要旨集 フリー

     本研究の目的は、大正11年から昭和3年まで陸軍戸山学校教官であった大井浩を取りあげ、その欧州体育・スポーツ視察並びに体育論を検討し、また、大正・昭和初期の日本の社会体育促進との関わりについて考察する。主な資料は、「体育と武道」、「研究彙報」、「皆行社記事」、「陸軍大日誌」に収録された論文論説、また陸軍戸山学校関連書籍並びに朝日新聞を調査した。得られた結果を以下に示す。1)大井浩は、欧州諸国の視察の結果、軍隊体育、体育・スポーツ事情について度々報告した。軍隊体育における運動競技(スポーツ)の日本に適した様式による導入、日本における武道精神を含めた武道の普及、国民の軍事予備教育を意図した国民体育、特に青年体育の推進を奨励した。2)欧州諸国の視察報告を通して、日本の社会体育の普及の必要性を提言した。3)欧州諸国における女子体育・スポーツの隆盛を報告して、日本でのその普及を期待した。4)欧州諸国の新しい体操の趨勢や集団体操(マスゲーム)の隆盛を報告し、実際に第2回明治神宮競技大会のマスゲームの部の創設や戸山学校生による集団体操の演技参加を行い、日本で初めての公的なマスゲームの大会を実現した。

  • 古川 修
    p. 69_2
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/02/15
    会議録・要旨集 フリー

     戦前期における小学校、中等学校では有資格教員の確保が課題となっていた。中等学校教員については官立の養成学校の他、指定校、許可校といわれる養成学校(間接検定に分類される)の増加や、直接検定である試験(いわゆる文検)や経験年数を大きな条件として取得可能となる間接検定等が実施された。このような方策によって無資格教員が徐々に減少してきたが、女子校に比べ男子校の中学校や実業学校では解消とまでは行かなかった。それは武道担当者に無資格教員が多くみられたからであった。

     本発表では昭和10年代の埼玉県における中学校の武道担当教員に着目し、彼らの職名、担当科目、俸給の額、免許取得状況を明らかにする。また、有資格者の場合には「教員免許台帳」を参照することにより生年月日が明らかとなり、その当時の年齢も算出が可能となる。つまり、個々の俸給額の違いは年齢や学歴や経験年数や勤務校による違い等の理由が検討できることにもなる。さらに、ある武道担当教員の事例から、武道と教員との関わりを検討することにより無資格教員の解消に至らなかった理由の一端を考察したい。

  • 崎田 嘉寛
    p. 69_3
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/02/15
    会議録・要旨集 フリー

     1942年に『海軍体操教範』で制定された、いわゆる海軍体操は、軍隊体操でありながら明治神宮国民体育(錬成)大会で披露され、様々なメディアを通じて喧伝されることで、民間に対して普及が試みられた。この海軍体操の従来にない展開には、ニールス・ブックに由来するデンマーク体操方式の導入を推進する海軍内部の動きに加えて、在野の知悉した人物が関与することで、いわば官民協働で制定されたことが影響している。すなわち、海軍体操のデンマーク体操化、換言すれば軍隊体操の社会体操化が図られたのである。本研究では、この経緯を明らかにすることを目的としている。具体的に明らかにする課題は、次の通りである。①海軍体操の制度上の変遷を概観し、最後の海軍体操がどのような経緯で制定に至ったのかについて、関与した人物を中心として解明する。②最後の海軍体操の制定に深く影響を与えた、齋藤由理男、鬼束鉄夫、堀内豊秋等の体操観を把握し、海軍体操がデンマーク体操化された背景を考察する。③記録映画『海軍と体操』(海軍省,1942)の分析を通じて、民間において海軍体操の主体的な受容がどのように仕組まれたのかを明らかにする。

  • 新井 博
    p. 70_1
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/02/15
    会議録・要旨集 フリー

     日中戦争下の昭和14年、競技団体の1つであった全日本スキー連盟は、新たにスキーによる銃後の体力養成と精神作興を目標に掲げ、全国的な運動として「全国皆スキー行進」や「一般スキー講習会」を実施し、また新たなスキーテキストとして「一般スキー術要項」を作成した。研究では一般スキー術要項に着目し、要項の作成経緯と内容的な特徴の解明を目的とした。経緯については、連盟が総力戦体制化下で求められた国民的団結をスキー技術においても図ろうとした様子、内容については、他の時代のスキーテキストと技術面と中身について比較した。

     結果、連盟は目的達成のために優れた師導者育成が必要と考え、統一した全国的な講習を実施し、指導者に要綱の中身を徹底させた。内容は以前に比べ、一般に人気の或るアルペン技術の普及に重きが置かれていたことが分かる。

  • 氷上剣道に着目して
    矢野 裕介
    p. 70_2
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/02/15
    会議録・要旨集 フリー

     1937年の日中戦争突入により国家総動員法が公布され、国内体制が戦時体制に移行していく中で、武道は1939年に設置された武道振興委員会の答申にみられるように、その戦技化を要求された。それがために、剣道においては斬撃姿勢による基本的な技が採用され、竹刀についても長さを3尺6寸とする真刀に近いものが使用されたように、より実戦的(軍事的)な内容へと改変された。また剣道の訓練で培った技術を氷上戦にも即すべく、剣道とスケートを融合させた「氷上剣道」なるものも考案、実施されるようになった。とはいえ、従前の武道史研究では氷上剣道に焦点をあてた研究は見受けられず、その存在について語られることはこれまで全くといっていいほどなかった。そこで本研究では、前廣節夫・岡部直己(1940)の『氷上剣道教育指導法』(筆者蔵)を中心に採り上げ、分析を行うことを通して、氷上剣道の実際について明らかにしていくことを目的としている。本書は、氷上剣道を統括していたとみられる日本氷上剣道会が発行したもので、その「使術ノ要領」、「教育一般ノ要領」(基本動作、応用動作、試合教習、試合)、「審判」法等が詳説されているからである。

  • 15年戦争下の良妻賢母との関連に着目して
    祖山 桜
    p. 70_3
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/02/15
    会議録・要旨集 フリー

     戦前の女子体育では、どのような運動教材が最も女子に適していると考えられていたのだろうか。先行研究によると、学校教育の中で女子にも運動することが認められた明治期から、女子体育は当時の理想の女性像である「良妻賢母」という思想を背景として運動種目が採択されていたことが明らかにされている。女子に課せられた体育教材は、良妻賢母の規範からはみ出ないものが選択されていたのである。良妻賢母思想が普及された明治期から大正期まで、学校教材などに大きな変化は見られなかったが、1936(昭和11)年に文部省が日本古来の運動教材を優先的に取り組む意を示し、女子に薙刀が正課教材として取り入れられた。このことから、女子の体育教材に求められることが変化したということが示唆される。そうだとすれば、女子体育の目的も変化してきたと考えられる。その中で薙刀が正課として編入されたことは、女子体育にどのようなことが求められていたからなのだろうか。本研究では、良妻賢母思想の視点に着目し、15年戦争下の女子体育において薙刀が教材として何故採用されるに至ったかを明らかにすることを目的とする。

  • その興亡の要因について
    八木 久仁子
    p. 71_1
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/02/15
    会議録・要旨集 フリー

     昭和20年代、敗戦の虚無感と貧困にあえぐ人々は出来合いの刺激的な娯楽を求め、スポーツの興奮に希望を見出した。なかでもGHQがすすめる民主化政策により後押しされた野球は日本人の心をとらえ、この混迷のなか誕生した「女子プロ野球」にアプレゲール女性たちは新しい生き方の選択肢としての期待を寄せていた。

     昭和22年、女性ダンサーの野球チームが誕生すると「女の野球」の物珍しさに多くの男性ファンが集まり、昭和25年には、興行師が手掛けた4チームによる「女子プロ野球」リーグ戦が始まった。容姿端麗な女性がショー的演出や営業活動を行う「健康で明るい娯楽」は女性への蔑視を含みつつ歓迎され、次々と新球団が作られたが、その経営基盤はぜい弱で、まもなく資金難に陥り数か月で解散に追い込まれる球団が相次いだ。

     昭和27年以降、「ノンプロ=社会人野球」に転換した女子野球は企業の「動くPR部隊」として生き残ることを目指したが、野球の実力そのものが未熟で、広告塔としての役割もテレビCMにシフトしたため、衰退の一途をたどった。この「昭和の女子プロ野球」興亡の要因を、時代的な背景と昭和女性の生き方から考察する。

  • 近藤 剛
    p. 71_2
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/02/15
    会議録・要旨集 フリー

     アメリカ合衆国統治下沖縄の学校教育は、日本本土とは異なる独自の展開が見られた時期があった。体育についても例外ではなく、特に軍政府下では日本本土で禁止された武道の実施が容認されるなどの傾向がみられた。しかし、この軍政府下における従来の研究では、教材として初等および高等学校で武道のほかに「遊戯・体操・競技」が科目内容として明示されていたということがわかっているが、どのような内容や種目が実施されたということは十分に明らかにされてこなかった。

     本研究では、軍政府下における体育について、琉球列島におけるアメリカ陸軍軍政府の活動報告書や、戦後の沖縄で最初に発行された日本語新聞「うるま新報」の記事などを使用し、この時期の沖縄の学校体育の一端の解明を試みた。結果、いくつかのスポーツ用具がアメリカ軍から提供されたこと、一方で用具の不足が非常に深刻な状況にあったこと、加えて限られた運動用具の使用対象者をめぐる学校体育の混乱などが明らかとなった。

  • 大久保 英哲
    p. 71_3
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/02/15
    会議録・要旨集 フリー

     1947年、第2回国民体育大会が金沢市を中心にした石川県内で開催された。全国から1万2千名の選手を集め、現在に至る国体の基本モデルとなり、日本スポーツ史上に「その功績は大き」かったと記録される大会である。金沢市ではこれに向けて、金沢城内旧第九師団司令部並びに旧歩兵第七聯隊の跡地を総合運動場に転用する方針を示すなど、金沢を軍都から文化都市へと転換すべく国体に備えた。本発表では、「第二回国民体育大会報告書」とともに、これまでほとんど言及されたことの無かった「第2回国民体育大会記念 大会会場附大金沢市街・産業案内図」(1947年9月1日、実業の石川社発行)をもとに、戦災を免れたとはいえ、敗戦後の混乱の中で行われた金沢市内の会場整備実態を把握したい。

  • 平塚 卓也
    p. 72_1
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/02/15
    会議録・要旨集 フリー

     1949年5月31日の文部省設置法の制定によって文部省体育局は廃止された。先行研究によると、文部省は体育局の存続を求めたが、GHQの民間情報教育局(CIE)の意向によって体育局が廃止されたとされている。ところで、これまでの占領期の体育・スポーツ政策に関する研究では、GHQの強い影響力を前提に政策形成過程を捉えているため占領軍の理念や意志を明らかにする研究が行われてきた。すなわち、体育局廃止を決めたCIEの意向は検討されてきたが、体育局の存続を求めた文部省の意向に関しては十分に検討されてこなかった。政策形成におけるGHQの影響力の強さを否定することはできないが、日本の政策決定の手続きを経て法律が制定されているため、GHQと日本側の調整に基づいて政策形成が行われたと捉えることができる。したがって、政策形成過程を解明するためには日本側の意向についても明らかにする必要があると考える。そこで本研究では、文部省設置法の立法過程において文部省が作成した資料を中心にして、体育局の存続を求めた文部省の意向に関して検討する。

  • 金 暉, 友添 秀則
    p. 72_2
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/02/15
    会議録・要旨集 フリー

     周知のように、全国高等学校体育連盟(以下「全国高体連」と略す)が主催する全国高等学校総合体育大会(以下「インターハイ」と略す)は、戦後日本の高校運動部活動に大きな影響を与えただけではなく、オリンピック競技大会を頂点とする日本の競技力を支える中核的な機能を果たしてきた存在であるとも言える。実は、このインターハイの源流は戦前まで遡ることができる。戦前期では、陸上競技や柔道等の種目別競技会は、各種学生競技連合や当該競技団体が主催してきたが、戦後になると学制の変更に伴って、各都道府県団体を統括する全国高体連がインターハイの開催・実施に大きな役割を果たすようになった。ところが、全国高体連の形成、変遷過程については、先行研究では十分に解明されているとはいい難い状況にある。そこで本発表では、戦前にみられた組織との連続性や断絶性という視点を研究の視角にとり入れつつ、全国高体連が結成された1948年前後に焦点を当て、全国高体連がどのような歴史的背景の中で形成されたのかを明らかにすることを目的とする。資料は、各都道府県高体連と全国高体連の各競技専門部の機関誌と年史を主に用いる。

一般研究発表(02) 体育社会学
  • 東明 有美, 野川 春夫, 工藤 康宏, 上代 圭子, 秋吉 遼子
    p. 74_1
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/02/15
    会議録・要旨集 フリー

     2012ロンドンオリンピックでは、サウジアラビアから初の女性選手が参加しこと(ロイター、2012年7月29日)や、開催期間がムスリムが断食をおこなうラマダンの期間と重なったことで、イスラム教徒(ムスリム)選手への注目が集まった(読売新聞、2012年8月2日)。

     日本で開催される2020オリンピック・パラリンピックにおいても多くのムスリム選手の参加が予想される中、現在日本では異文化理解のための教育プログラムが実施されているが、イスラム文化に対する理解は乏しいのが現状であり、ムスリムとスポーツに関する情報についても極めて限定的である(斉藤,2014)。

     欧米では、特にムスリム女性を対象として、ムスリムとスポーツ参加に関する研究が行われている(Sfeir,、1985;Kay、2006;Jiwani、2011)。

     したがって本研究では、イスラムとスポーツに関する情報収集を行い今後の基礎資料とすることを目的とし、諸外国におけるイスラムとスポーツの関係に関する研究動向を検討する。

  • 上代 圭子, 野川 春夫, 秋吉 遼子, 工藤 康宏, 東明 有美
    p. 74_2
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/02/15
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     移民や長短期滞在者にとってスポーツは、社会内包(Inclusion)につながるインフォーマルな社会ネット構築に有効なツールであると考えられる。また、2020年には東京でオリンピック・パラリンピックが開催され、多くのイスラム圏の人々の来日が予想されるが、ムスリム(イスラム教徒)はひとたび国際社会に出ると、食べ物や服装など宗教的な問題が出てくるにも拘わらず、日本のイスラム圏におけるスポーツに関する情報は断片的で極めて限られている。そして、イスラム圏とはイスラム教徒が多い国々全体をさし(池端,2015)、アジアやアフリカなど幅広く考えなくてはならないにも拘わらず、一般的に「イスラム」というとアラブ地域(中東諸国)が想像されている(宮原,2003)。

     そこで本研究は、イスラム系在留外国人のスポーツ・ライフを収集し、スポーツ政策の基礎データを提供することを目的として研究を行った。

     調査方法は、ムスリム男女を対象とした紙面調査であり、都内および名古屋、福岡、札幌のモスクと、都内のハラルレストランの5ヶ所で、2016年11月から2017年2月に実施した。なお、直接配布・回収法が1ヶ所、郵送法が4ヶ所であり、有効回答数は231票である。

  • 曽我部 晋哉
    p. 74_3
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/02/15
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    【緒言】近年、全日本柔道連盟登録者数は減少傾向にある。特に、習い事としての子どものスポーツは、保護者の意思決定によるところが大きい。【目的】本研究では、子供を柔道教室に通わせている保護者の柔道に対するイメージを明らかにすることを目的とした。【方法】柔道を実施している子供の保護者を対象に、20項目のアンケートを実施した。【結果】回答者数96名(男性43名、女性49名)であった。質問1の「あなた自身が柔道についてどのようなイメージを持っているか」(複数回答可)に対し、「礼儀正しい」90名、「我慢強い」59名、「真面目」42名と続き、「怖い」11名と回答した。質問2の「世間の人々は柔道についてどのようなイメージを持っているか」(複数回答可)に対し、「礼儀正しい」70名、「我慢強い」40名と続き、「怖い」25名、「キレやすい」23名と回答した。【考察】保護者自身の柔道に対するイメージと世間のイメージとの間にギャップがあることを認識しながらも、自身の子供には柔道を学ばせている現実がある。これらのギャップを埋めていくことが、今後の柔道登録者数を増加させる重要な課題である。

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