南アジア研究
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1990 巻, 2 号
選択された号の論文の8件中1~8を表示しています
  • The role of the Vamsavalis
    Michael WITZEL
    1990 年 1990 巻 2 号 p. 1-57
    発行日: 1990/12/20
    公開日: 2011/03/16
    ジャーナル フリー
    This paper treats one of the more neglected types of materials in Indian historical writing, the Vamsavalis, and their importance for an understanding of certain medieval historical and literary works in Sanskrit.
    The sources of Kalhana in his Rajatarafigini are briefly investigated, especially his use of the local vamsavalis, in comparison with the newly edited Gopalara-javamsavali of Nepal. The way the various dynasties have been listed in this Vamsavali, shows that the text itself already is a compilation of older, dynastic ones. The process can be summed up as follows : Juxtaposition of contemporaneous dynasties is replaced by serial position, that is, by interpolation or by positioning at the head of the list. This process also explains what has happened in many Puranas, a fact not sufficiently noticed by recent scholars.
    When such dynastic Vamsavalis were used by later writers, changes such as overlap and serial ante-position of whole dynasties occur, and further, filling-in of gaps, repetition of the same dynasty or parts of it at various places in the list. The whole is complicated by the frequent change in local eras and by calculation mistakes resulting from this. Finally, there always was a strong tendency to fill in the gap existing between the start of the transmitted lists and the beginning of the Kaliyuga in 3102 B. C.
    Kalhana's use of the Kashmiri Vamsavalis then explains the confusion which the recording of various “dynasties” in Rajatarafigini 1-3 has created for the early history of Kashmir before 600 A. D.-a fact not explained so far by modern scholarship.
  • 立川 武蔵
    1990 年 1990 巻 2 号 p. 58-76
    発行日: 1990/12/20
    公開日: 2011/03/16
    ジャーナル フリー
    宗教とは「聖なるもの」と「俗なるもの」との相違を意識した合目的的行為の形態である.いかなる宗教も「聖なるもの」と「俗なるもの」という二つの極の関係をその構造の一つの軸としている.この二つの概念は, エリアーデ, カイヨワ等によって宗教分析の有効な操作概念として育てあげられてきたが, それらは主として未開人の宗教や氏族宗教の考察に用いられてきた.しかし, 「聖なるもの」と「俗なるもの」という二つの観点から仏教あるいはヒンドゥー哲学を考察することも可能と思われる。それはエリアーデが『ヨーガ』の中で企てていることでもあった.本論文は, 大乗仏教に理論的モデルを与えた竜樹 (2世紀頃) の主著『中論』の思想を「俗なるもの」の否定により「聖なるもの」が顕現するという観点より考察するものである.
    「聖なるもの」と「俗なるもの」の観点は確かに一見相反する内容を指し示すと思われるような二概念による操作なのではあるが, これをいわゆる安易な二元論と考える必要はない.「聖なるもの」と「俗なるもの」の関係に応じて両者はその電荷を変える.聖性の度がゼロになれば, 宗教行為は成立しないことになる.時としては, 「俗なるもの」が聖化されて, 「聖性の度」が強いままに両者が一致することもある.
    『中論』では, 人間の活動一般が「俗なるもの」として把えられ, その否定の果てに, 「聖なるもの」としての空性が感得される.そして空性は聖化された「俗なるもの」としての「仮りに言葉で表現された世界」としてよみがえるのである.
  • 高橋 孝信
    1990 年 1990 巻 2 号 p. 77-95
    発行日: 1990/12/20
    公開日: 2011/03/16
    ジャーナル フリー
    In the love poems of ancient Tamil of 1st A. D. to 3rd A. D., a woman who is generally termed parattai in Tamil plays an important role. However, it is still unclear who and what she is, as is shown by the various appellations to her given by modern scholars, such as 'harlot', 'prostitute', 'courtesan', and 'concubine'. The aim of this paper is to make it clear who the parattai is.
    One of the reasons for this unclearness is that most of them disregard two important points : first, some among the so-called 'classical texts' belong to the later period when Tamil society began to undergo Aryan influence, and hence they sometimes do not describe their really ancient (i.e. indigenous) society ; secondly, love poems among them, being so conventionalized, do not always describe the actual society but the literary world, whereas the poems other than those reflect the actual society.
    To avoid confusion caused by disregarding these points, the author limits his investigation to the parattai referred to in the earliest and most conventionalized texts, that is, Tolkappiyam, the oldest Tamil grammar in a wide sense, and four anthologies of love poems (i.e. Kuruntokai, Narrinai, Akananuru and Ainkurunuru), although reference to the parattai is found in the texts other than those.
    He first makes brief mention of the conventions of love poems in regard to the parattai, and then investigates who she is in both poetics and poetry. He makes it clear that both of them describe her only as a 'courtesan'. As a conclusion, he points out the historical and cultural background for the incorrect interpretaion of the ancient parattai by Tamil scholars.
  • 中里 成章
    1990 年 1990 巻 2 号 p. 96-128
    発行日: 1990/12/20
    公開日: 2011/03/16
    ジャーナル フリー
    植民地支配期のベンガル農村史の研究においては, 近年, エリート農民論としての「ジョトダール論」, 「農民層分解論」, 「地帯区分論」などがはなやかに論じられてきた.しかし, そうした「理論」は必ずしも実証研究に立脚しているとは言い難く, 論争が空回りする徴候も見えてきたように思われる.本稿は, ベンガル中央部の上層農民に着目して, 彼らがどのようにして土地経営をしていたのか, 初心に返り, 出来る限り具体例に基づいて解明しようとした試みである.主要史料としては, 1860年の「藍委員会報告」が用いられる.委員会における70余名の農民の証言は, 農民が自分自身について自ら語った記録としてきわめて貴重なものである.
    ここで上層農民というのは, 特権的な条件で土地を保有する農民層 (ガンティダール等), 村落首長層 (マンダル等) およびその他の富裕なライオットの三つを含めた農民層のことである.彼らの土地経営には次のような特徴が見られた.
    上層農民は, 通常, 土地を下級ライオットに転貸してその大保有地を経営した.ただし, 下級ライオットの耕作条件はかなり緩やかなものであり, 北ベンガルの上層農民の下でひろく見られた刈分小作制とは, はっきり区別されなければならない.
    保有地全体を転貸する者は, ガンティダールなどの一部に限られていたと考えられる.多くの者は, 大なり小なり自留地を維持し, それを耕作するための犁と耕牛を所有していた.自留地で恒常的な労働力として用いられたのは, 家族労働を別にすれば, 「サーバント」等と英語史料に現れる常雇の農業労働者である.彼らは前貸金を借り受け, 主人に従属していた.
    刈分小作制がこの時代に中央ベンガルで一般的だったとは考えられない.
    上層農民の間からは, 積極的な経営志向を示す者が出現していた.彼らのなかには, 金貸し, 商業, 投機にとどまらず, 伝統的な精糖業者の間に割って入るかたちで, 精糖所の経営に乗り出す者も存在した.
    以上, 大局的に見れば, 19世紀後半の上層農民の間には, 地代生活者化しようとする傾向と, 商業的農業を追求し, 農村工業にも手を染めようとする傾向が併存していたと捉えることが出来る.ベンガル借地法等の植民政策の性格も, このような在地有力層の動向との関連で評価されなければならないであろう.
  • 高橋 明
    1990 年 1990 巻 2 号 p. 129-144
    発行日: 1990/12/20
    公開日: 2011/03/16
    ジャーナル フリー
    近年, 翻訳による現代インド文学の紹介が盛んであることは喜ばしいことと言わねばならない。一握りの研究者だけではなく, 一般の文学愛好家に広く読まれることによって, インド文学に対して片寄り, 偏見のより少ない判断が下されるようになるであろう二翻訳を通じて多くの読者の審美眼にさらされるからには, 研究者によるあまりに独り善がりの持ち上げ方は却ってインド文学全体に対する信頼を失わせることにもなるであろう.語学者, 研究者必ずしも文学の優れた読者ならず, という単純な事実をわれわれは常に肝に銘じておくべきである.
    本稿ではインドにおいて今なお高く評価されている作家プレームチャンド (1880-1936) を取り上げ, その批判を試みた.後世の作家, 批評家に与えた影響の大きさを考えると, まず彼の文学への正当な批判なくして, 現代ヒンディー文学に対する公平な評価も将来への展望もできないと考えるためである.結論から言えば, 以下の2点から, 筆者は彼の作品が文学として一定の水準に達しているものとは考えない. (1) 彼の文学はリアリズムを標榜しながら細部において極めて恣意的な描写に終始しておりインドの現実を伝えるものとは言い難い. (2) さらに社会制度と個人のモラルの問題について区別して見ることができなかった.
    こうした批判はこれまでもなされなかったわけではないが, 小論では彼個人の問題ではなく, そもそも独特な世界観・人間観を持つインドの文学伝統の一面が表れたものとして, すなわち伝統的な規範意識にとらわれた一人のモラリストとして考えようとした.
    そのために一般に世評も高く, 彼の代表的な短編小説としてしばしば名前を挙げられながら, 上に述べた二つの欠点を免れることのできなかった作品を2編取り上げて分析した.
    彼の文学に見られるモラルの偏重は, 作家自身を実生活においてもモラルを体現した理想的人物と見なす一般的な傾向とも無縁ではない.人間性の本質についての深い省察に基づかない文学は, 人間と社会に対する真の批判力を欠き, さらに一種のエリート主義に堕する恐れのあることも論じた.
  • そのネパール製紙史上の位置
    小西 正捷
    1990 年 1990 巻 2 号 p. 145-155
    発行日: 1990/12/20
    公開日: 2011/03/16
    ジャーナル フリー
    西暦1105年にあたる年号を奥付にもつ, カルカッタ大学付属アシュトシュ.ミュゼアム所蔵の仏典『パンチャラクシャー』写本は, ネパール紙に書かれた, 南アジァにおける最古の紙本文書例である.製紙技術導入以前の文書素材は, 貝葉や綿布, 樺皮, 木片等であつたが, ネパールではカシュミール地方に一時用いられた樺皮は用いられず, 一方貝葉は, 製紙技術導入後はるかのちの, 17-18世紀にいたるまで用いられたことが知られている.
    カトマンドゥのケーサル・シャムシェル・ジャン・バハードゥル・ラナ・コレクション (通称ケーサル・ライブラリー) 所蔵の約3000点におよぶ古文書を調査する機会を得た筆者は, そのうちより奥付をもつ文書計337点 (うち貝葉文書105点, 紙本文書232点) を抽出し, さらに紙本文書をインド製の紙かネパール製の紙か, またその奥付にある年代の紀元の如何によつて細分して, その歴史的意義を明らかにした.それによると, ことに16世紀半ばにおいて貝葉はあまり用いられなくなり, かわつて紙本が一般的となつて, 貝葉にとつてかわるようすが明らかである.12世紀初頭に, おそらくはチベット (ないしはチベット経由で中国) からの製紙技術がネパールに伝わっていたにもかかわらず, それが一般化するまで400年以上がかかつていることには, さまざまな歴史的背景が考えられる.ネパールをめぐる, インドやチベットとの関係のみならず, そこには宗教的かつ社会経済的背景も関つていたことであろう.
    本稿ではその点についても考究するとともに, ことに12-14世紀ころの, ネパールにおける紙本文書の古例を検討し, 『パンチャラクシャー』写本の歴史的位置づけとその重要性を説いた.またその過程で, 高岡秀暢氏がリスト化した約1560点の文書より, 年代の付されている計461点の古文書を抽出し, 同様の考察によつて, 筆者の論点を裏付けようとした.
  • ラザー図書館とフダー・パフシュ東洋公共図書館
    麻田 豊
    1990 年 1990 巻 2 号 p. 156-163
    発行日: 1990/12/20
    公開日: 2011/08/17
    ジャーナル フリー
  • 小名 康之, 谷口 晋吉, 森 弦一, 浜口 恒夫
    1990 年 1990 巻 2 号 p. 164-179
    発行日: 1990/12/20
    公開日: 2011/03/16
    ジャーナル フリー
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