南アジア研究
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2011 巻, 23 号
選択された号の論文の16件中1~16を表示しています
論文
  • ━"Hind Swarajya"(1909)からahimsavrat(1915)まで━
    間 永次郎
    2011 年2011 巻23 号 p. 7-30
    発行日: 2011/12/15
    公開日: 2012/07/06
    ジャーナル フリー
    本稿では、M・K・ガーンディー(1869-1948)の南アフリカ滞在期(1893-1914)から、1915年にインドで最初のアーシュラムが設立されるまでの時代において、ガーンディーのahimsa概念に対する認識が、いかに変遷していったのかを論究した。従来の研究では、南アフリカ滞在期のサッティヤーグラハ(1906-14)は、ヒンドゥー教のahimsa概念によって思想的に基礎付けられていたと考えられてきた。それに対し本稿では、サッティヤーグラハとahimsa概念が初めて結び付けられて語られるのが、1915年にインドへ帰国して以降の時代であったことを明らかにした。ガーンディーはインド帰国後、西洋を模倣した「目も眩むばかりの豪華絢爛」で、「飾り立てられた」母国の姿に直面し、「独自の東洋的様式で前進していかなければならない」必要性を看取していった。このような中、彼は俄かに、サッティヤーグラハの「土台」を「ヒンドゥーの宗教」の概念枠組みを用いて語るようになり、ahimsa概念を政治改革の礎石として再定位していった。
  • 高橋 晃一
    2011 年2011 巻23 号 p. 31-50
    発行日: 2011/12/15
    公開日: 2012/07/06
    ジャーナル フリー
    本論稿では、大乗仏教のヴァルナ観を概観し、先行研究の提起した問題を再考する。
    仏教はインド文化圏固有の身分制度であるヴァルナ制に批判的であったとされる。この姿勢は初期仏典に散見されるだけでなく、大乗仏教にも見出すことができる。
    大乗仏教は中観派と唯識派に大別できるが、中観派のアーリヤデーヴァは厳しくバラモンを批判したと伝えられ、また瑜伽行派の文献『瑜伽師地論』では四ヴァルナの平等が標榜されている。
    一方で、中観派のバーヴィヴェーカなどは、ヴァルナ制に肯定的であったとの報告もある。しかし、この主張の根拠となった一文を文献学的に精査すると、彼らが必ずしもヴァルナ制を容認しているとは言えないことがわかる。少なくとも現時点で大乗仏教がヴァルナ制を許容したとする根拠は見いだせない。
  • ―ナーラーヤナ・ティールタ・アーラーダナーの事例から―
    小尾 淳
    2011 年2011 巻23 号 p. 51-73
    発行日: 2011/12/15
    公開日: 2012/07/06
    ジャーナル フリー
    近年、カルナータカ音楽の楽聖の慰霊祭にあたる儀礼に音楽祭などが伴うアーラーダナーが、南インドを中心に海外でも多く開催されるようになった。本稿では、タミル・ナードゥ州で行われている楽聖ナーラーヤナ・ティールタのアーラーダナー(NTA)を事例として取り上げ、その担い手とはいかなる存在であるかを明らかにする。ナーラーヤナ・ティールタの作品はいくつかの宗教芸能で重要な位置を占めているが、カルナータカ音楽界での知名度は他の楽聖と比較して非常に低く、アーラーダナーを行う上でいくつかの矛盾を抱えており、不利な状況にあった。それにもかかわらず、主催者のヴェンカテーシャンにより、徐々にNTAの一般的なイメージが形成され、近年では「伝統的」であるとさえ認識されている。芸術振興が盛んな社会を背景に、彼がいかにしてNTAの「伝統」を再構築したかを検討する。
  • ―カトマンズ盆地における「カドギ」の商実践を中心に―
    中川 加奈子
    2011 年2011 巻23 号 p. 74-99
    発行日: 2011/12/15
    公開日: 2012/07/06
    ジャーナル フリー
    本稿では、カトマンズの食肉市場を事例として、市場を介したカースト間関係の変容の様相を明らかにした。その際、カトマンズの先住民族である「ネワール」社会においてカーストに基づく役割として家畜の屠畜・解体や肉売りを請けおってきた「カドギ」 に焦点をあて、カドギとネワールの他カーストやムスリム等との交渉を検討した。
    その結果、食肉市場の形成と他カーストの参入に伴い、カドギのカースト団体がその役割を拡大し、カーストという枠を維持しながら自分たちに引き付ける形でカースト・イメージを再解釈するエージェントとして立ち現われていることが明らかになった。この再解釈により、カドギたちは伝統的なカースト役割を単に再現するのではなく、カーストの上下に基づく儀礼を拒否するなど、結果としてカースト間関係に変化が生じている。この変化は、カドギの場合は生計活動とカーストが結びついていることから単純には個別化に向かわず、カースト役割と市場取引を並存させつつその間を往還しながらカーストの再解釈を図っていると位置づけることができる。
  • 中村 沙絵
    2011 年2011 巻23 号 p. 100-120
    発行日: 2011/12/15
    公開日: 2012/07/06
    ジャーナル フリー
    本稿は、施設外の人々による食事の布施(ダーナ)に支えられているスリランカの慈善型老人ホームの事例を通して、従来の上座部仏教社会における慈善贈与的なダーナの理解を拡充するものである。老人ホームでのダーナ実践をめぐって生成する社会関係とその揺らぎは、出家者の聖性を関係構成における一義的な要素として扱ってきた従来の見解に対して、倫理作法や美的感覚を内包したダーナのもつ遂行的なはたらきを示唆するものである。また入居者にとってのダーナ実践の意味の広がりは、ダーナの受け手であっても容易に積徳行為の主体へと移ろう様を開示しており、これは1個人や一対を描写の単位としてきた従来の見方では捉えきれなかった側面である。上座部仏教社会におけるダーナ実践は、功徳の源泉として僧侶のみを措定する聖なる贈与に留まらず、慈善という文脈においても新たな関係性を創出しうる柔軟な形式をもった実践だといえる。
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