南アジア研究
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2017 巻, 29 号
南アジア研究
選択された号の論文の26件中1~26を表示しています
論文
  • ―廃棄物をめぐる実践の事例から―
    伊東 さなえ
    2017 年2017 巻29 号 p. 6-32
    発行日: 2017/12/31
    公開日: 2018/10/31
    ジャーナル フリー
    本稿は、ネパール・カトマンドゥ盆地で廃棄物が暗示してきた空間と、その変遷について論じるものである。カトマンドゥ盆地では、人体の分泌物に関係する廃棄物が家屋や集落のウチとソトの境界を暗示してきた。特に、家屋のウチの衛生的な清潔さと儀礼的な清浄さは、女性が確保するべきであるとされてきた。1990年代の開発プロジェクトにより、女性グループが各地で結成された。それにより、女性たちの活動範囲と人間関係は大きく拡大した。同時期に廃棄物の質と処理方法が大きく変化した。近年、女性たちは廃棄物を処理するための組織を立ち上げた。彼女たちは「ハムロ(我々の)」という言葉を用いて、廃棄物処理活動の動機を説明している。彼女たちが清潔に保ちたいと考えるハムロ・空間は、伝統的な集落の空間とも、行政により管理された公共の場とも異なる、現代カトマンドゥ盆地に新たに出現した、身近でありつつ、より開かれた空間である。
  • ―スーラト市とスワーリー港―
    嘉藤 慎作
    2017 年2017 巻29 号 p. 33-60
    発行日: 2017/12/31
    公開日: 2018/10/31
    ジャーナル フリー
    本稿は、17世紀初頭以降、港市スーラトの港湾機能を担ったスワーリー港に着目し、同港の利用開始以降に施設やその利用に関する制度が整備される過程を検討する。その上で、同港が港市スーラトの一部を形成するようになったということを議論する。
    スーラト県知事がイギリス東インド会社に対して停泊地として紹介し、スワーリー港の利用は始まった。ヨーロッパ船のタプティ川遡航を禁止するというムガル朝側の思惑もあり、同港は主にヨーロッパ諸会社の船が利用した。ヨーロッパ人は周辺に住居や倉庫も建設し、防御施設も整備した。スーラト市との間の輸送には陸路と水路の両方が用いられた。このように、スワーリー港は港市スーラトの港湾機能の一部を担うようになった。一方、17世紀前半に、関税徴収をめぐる問題を契機として、同港は事実上スーラト県知事の管理下に置かれた。かくして、スワーリー港は港市スーラトの一部を形成するようになったのである。
  • ―仏教とヒンドゥー教の関係を通して見た―
    外川 昌彦
    2017 年2017 巻29 号 p. 61-91
    発行日: 2017/12/31
    公開日: 2018/10/31
    ジャーナル フリー
    本稿は、近代インドのヒンドゥー教改革運動を主導し、ラーマクリシュナ教団を創設したスワーミー・ヴィヴェーカーナンダの宗教観の変遷を、特に仏教への言及を手掛かりとして検証する。ヴィヴェーカーナンダは、1893年のシカゴ万国宗教会議では、ヒンドゥー教をヴェーダーンタ思想を根幹とする合理的で体系的な宗教として西欧世界に紹介したことで知られ、今日ではグローバル化するインドの国民意識を体現する愛国主義者としても注目されている。そのヴィヴェーカーナンダの仏教への言及を、本稿では、次の4つの時期に区分して検討する。 ①シカゴ宗教会議における仏教との類縁性を通したヒンドゥー教の紹介、②3年半の欧米での活動を通した仏教を包摂するヒンドゥー教という観点の提示、③1897年のインド帰還後の「仏教的退廃」に関する認識の背景、④最晩年に言及された、仏教とヒンドゥー教との関係についての「全面的革命」という認識の問題である。
  • ―ガーンディーのブラフマチャリヤの実験とサッティヤーグラハ闘争の誕生―
    間 永次郎
    2017 年2017 巻29 号 p. 92-123
    発行日: 2017/12/31
    公開日: 2018/10/31
    ジャーナル フリー
    本稿では、南アフリカでガーンディーのサッティヤーグラハ闘争が誕生する過程において、ガーンディーの「ブラフマチャリヤ(性的禁欲)」の実験がいかなる役割を果たすものであったのかを探究した。本稿では、第一に、サッティヤーグラハ闘争の開始を告げる1906年の人種差別法案撤廃を訴えるガーンディーの政治集会の演説をグジャラーティー語の原文から分析した。これにより、闘争の誕生を特徴付けていたものは、集会の中で、突如、ガーンディーが体験した内なる「シャクティ(śakti)」の発生にあったことを示した。第二に、1913年にガーンディーがブラフマチャリヤの実験の一つである「精液結集(vīryasaṇgrah)」について記した「秘密の章(Guhya Prakaraṇ)」と題するグジャラーティー語の記事を分析した。そして、先の体験が起こった背景には、この精液結集によってガーンディーの身体内に生命力の源泉である「精液(vīrya)」が蓄積されていたことが関係していたことを明らかにした。
研究ノート
  • ―イギリスによるインド統治のための教育―
    倉橋 愛
    2017 年2017 巻29 号 p. 124-143
    発行日: 2017/12/31
    公開日: 2018/10/31
    ジャーナル フリー
    フォート・ウイリアム・カレッジ(FWC)は、1800年にインド総督ウェルズリー(Richard Wellesley, 1760-1842)によって、カルカッタ(現コルカタ)に設立された。このカレッジの目的は、インドの政府機関に配属される予定のイギリス東インド会社若手官吏に、インド統治業務に必要な教育を行うことであった。しかし、会社取締役会からの反対を受け、FWCは最初の5年程で、その規模を縮小せざるを得なくなった。 縮小命令後も開講が許されたのは、インド諸語科目であった。特に、ペルシア語とヒンドゥスターニー語が、FWC内では重視された。ベンガル語は当初重視されていなかったが、学生の関心が高く受講者も多かった。また、アラビア語はペルシア語やイスラーム法の研究のため、サンスクリット語はインドの伝統的な思想を学ぶ上で不可欠であるとして、教育が続けられた。 FWCは、縮小命令を受けながらも約半世紀の間存続した。教育内容がインド諸語のみに制約されながらも多くの官吏を輩出したことは、FWCが残した功績の一つであると言える。
  • ―「ローカル・ポーター」の分析を中心に―
    古川 不可知
    2017 年2017 巻29 号 p. 144-177
    発行日: 2017/12/31
    公開日: 2018/10/31
    ジャーナル フリー
    本稿では、トレッキング/登山観光の一大メッカとして知られるネパール東部のソルクンブ郡クンブ地方を対象として、ヒマラヤの山間部で荷を運ぶとはいかなる営みであるかという問いを中核に次の三点について論じる。①クンブ地方では観光産業の発展に伴って荷運び労働が階層化してきたこと、②周辺地域から流入して商店などの荷をキロ単価で運ぶ、「ローカル・ポーター」と呼ばれる人々の具体的な実践を報告すること、そして③ローカル・ポーターたちが、自らの仕事よりも相対的に良い仕事とみなすトレッキング・ポーターへの参入に、荷運びを通した階層上昇の希望を見出していること。これらの考察を踏まえたうえで、観光地化が進んだエベレスト地域のポーターたちは、苦痛(ドゥカ)に満ちた荷運びのなかに、外国人を介した発展(ビカス)の場への接近という希望を見出していることを指摘する。
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