日本近代文学
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論文
  • 五島 慶一
    2022 年 107 巻 p. 1-16
    発行日: 2022/11/15
    公開日: 2023/11/30
    ジャーナル フリー

    芥川龍之介が第四次『新思潮』第七号に掲載した「創作」は、生前単行本未収録ということもあって従来単独論及は皆無である。しかしそこには同時期に「芋粥」を『新小説』に発表してメジャーデビューを果たした芥川による、文壇動向把握と自身の創作手法提示が明に暗に窺われる。即ち、「モデル問題」という語を提示して自然主義を、更に「トルストイヤン」ら人道主義者をも揶揄して「僕」が示す独特な「創作」の態度は、偏に末尾で『ジャン・クリストフ』を引用しつつ示される「ものの観方」の独自性に強く依拠するというものであった。そのテーマを中心とする同作の意義を、芥川の初期創作及び作家地位確立後に同時期を回想した文章を参照しつつ位置づける。

  • ──大江健三郎『洪水はわが魂に及び』論──
    松本 拓真
    2022 年 107 巻 p. 17-32
    発行日: 2022/11/15
    公開日: 2023/11/30
    ジャーナル フリー

    本稿では、大江健三郎『洪水はわが魂に及び』(新潮社、一九七三年九月)を一九七二年二月に起きた浅間山荘事件との関わりから捉え直し、同時代の文脈から「白痴」のジンがもつ役割を分析することで、彼の評価と不可分に結びつく作品の評価を一新すること、並びに、彼に仮託された作者の創作意識を明らかにすることを目的に論じた。本論において、浅間山荘事件にみられる民衆、報道陣、警察の声が一つに溶け合うあり方と、作品に描かれる複数の声が共振し押し寄せる「洪水」のあり方とが対応している点を指摘し、そうした合一的な言葉がもつ暴力性を相対化する人物としてジンが描かれていることを論じた。その上で、複数の声や音を聴き分けるジンの聴く者としてのあり方が、作者の創作意識と密接に結びついていることを明らかにした。

  • ──澁澤龍彥「画美人」の遠近法──
    跡上 史郎
    2022 年 107 巻 p. 33-48
    発行日: 2022/11/15
    公開日: 2023/11/30
    ジャーナル フリー

    澁澤龍彥「画美人」では、無数の典拠が組み合わせられているが、それは引用と反復と差異の記号論的考察を無効化してしまう過剰なコラージュであり、錯覚とその要因である認知機構の欠陥を暗示するだまし絵的テクストの領域へと踏み込んだものである。「画美人」のヒロイン翠翠は、男の諸々の妄想的欲望の結節点であるが、同時にそれが錯覚であることは、エッシャーの造形芸術に類比的な内容上の矛盾によって示唆されている。現代思想に距離を置くようになった澁澤は、そこに示されていた女性観にも両義的な立場を取るようになっており、「画美人」においては、女性を一方的な客体としてのみ見做す姿勢への批評が、主人公への哄笑として顕在化している。

  • ──山里禎子「ソウル・トリップ」論──
    翁長 志保子
    2022 年 107 巻 p. 49-63
    発行日: 2022/11/15
    公開日: 2023/11/30
    ジャーナル フリー

    障害者をめぐる文学は、近代的思想における自由主義のもとにある個人という概念が持つ限界を描いてきた。本稿では、身体障害者の「自己決定」に、国家や社会が振りかざす新自由主義に基づく欺瞞と暴力が潜んでいることを、山里禎子「ソウル・トリップ」(一九八九)の作品分析を通じて論じる。新自由主義の萌芽期に、沖縄を彷彿とさせる「島」空間で主人公が抵抗として行う〈拒食〉という「自己決定」は、「柔軟な身体」の「フレキシブル」な対応へとすり替えられてしまう。しかし、「自律/自立」的な身体を閉じることなく「自己決定」を行うことで、自由主義の限界や新自由主義の企図から逃れ、個に閉じられることのない生の可能性があることを示したい。

  • ──多和田葉子「無精卵」における書くことのクィアネス──
    田村 美由紀
    2022 年 107 巻 p. 64-79
    発行日: 2022/11/15
    公開日: 2023/11/30
    ジャーナル フリー

    本稿は、多和田葉子「無精卵」の分析を通して、書くことをめぐる異性愛規範について再考することを試みた。本作はそのタイトルが示すように、言葉を生み出す創造的な営みに生殖のメタファーを重ねることの抑圧性や排他性を問題化したテクストである。自らが創造の起源となることを志向しない「女」や、「女」の書き物を筆写する「少女」の姿に、単為生殖としての書く行為の具現を見てとると同時に、彼女たちの行為が、身体的な生殖と芸術的な創造という二つの「生むこと」をめぐる認識枠組みを同時に攪乱していることを指摘した。また、それらの非異性愛的な逸脱性=クィアネスが、物語世界を囲繞する異性愛規範や戦争といった不条理な暴力に対して、いかなる批評性を有しているのかを明らかにした。

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