日本地質学会学術大会講演要旨
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T2.南極研究の最前線
  • ★「日本地質学会学生優秀発表賞」受賞★
    山﨑 友莉, 菅沼 悠介, 板木 拓也, 天野 敦子, 石輪 健樹, 山口 耕生
    セッションID: T2-O-3
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/03/27
    会議録・要旨集 フリー

    近年の衛星観測により,南極氷床が急速に融解していることが明らかになった.また,海洋観測により,現在の融解の主原因は比較的温暖な周極深層水(Circumpolar Deep Water:CDW)の大陸棚上への流入による棚氷底面の融解であると明らかになりつつある.しかし,過去の海洋環境・氷床変動のデータやCDWのプロキシが不足しているため,両者の関係は未解明な点が多い.近年,南極沿岸堆積物中の10Beと9Be濃度がそれぞれ棚氷・氷床変動のプロキシとして注目されている(White et al., 2019; Iizuka et al., 2023).そこで,本研究は堆積物中のBe同位体の空間分布の特性からCDWプロキシとしての有用性の評価と,この評価を基にした過去約200年間における南極棚氷・氷床変動の復元を試みた.試料は,CDW流入が観測されるトッテン氷河(TG)とリュッツホルム湾(LHB)で第61次南極地域観測隊により採取された表層海底堆積物を用いた.Be同位体の空間分布の特性にはTGの11地点とLHBの8地点の最表層を,過去の変動復元にはTGの棚氷縁近傍に位置するSt.14Bとダルトンポリニヤに位置するSt.26 における表層22 cmを対象とした.これらの試料に対して210Pb年代測定,粒度分析,およびBe同位体分析を行った.その結果,Be同位体の空間分布の特性は両領域において,10Be濃度はCDWの流入経路の上流,9Be濃度は棚氷縁近傍で高くなる傾向を示した.従って,10Beは氷床融解水起源というよりCDW流入に,9Beは南極大陸からの砕屑物供給に対応して変動している可能性が高い.次に,St.14BとSt.26の表層22 cmの16層準で210Pb年代測定を行った結果,それぞれ1880年と1810年以降から堆積していることが示された.両地点の粒度は,深度方向で変化が小さかったことから比較的安定した堆積環境であったと考えられる.一方,両地点の10Be濃度は,比較的一定であったのに対して,9Be濃度は, St.14Bが1950年代から現在に向かって12%増加,St.26が1920年代から14%減少した.この結果は,過去140〜210年間において棚氷縁へのCDW流入は安定していたが,南極大陸起源の砕屑物供給は増加していたことを示す.つまり,南極氷床・棚氷は少なくとも1950年代以降に融解傾向が加速した可能性が示された.これらのデータは,近年の温暖化傾向と南極氷床の融解傾向の関係を理解する上で重要であるが,データの空間分布や時間分解能は十分ではない.今後,過去のCDWの変遷と南極氷床変動ダイナミクスを明らかにするため,さらなる試料の分析を進める予定である. 

    参考文献

    White, D.A., Fink, D., Post, A.L., Simon, K., Golton-Fenzi, B., Foster, S., Fujioka, T., Jeromson, M.R., Blaxell, M. , Yokoyama, Y. (2019) Beryllium isotope signatures ice shelves and sub-ice shelf circulation, Earth Planet. Sci. Lett. 505, 86-95.Iizuka, M., Seki, O., Wilson, D., Suganuma, Y., Horikawa, K., van de Flierdt, T., Ikehara, M., Itaki, T., Irino, T., Yamamoto, M., Hirabayashi, M., Matsuzaki, H., Sugisaki, S.(2023), Multiple episodes of ice loss from the Wilkes Subglacial Basin during the Last Interglacial, Nature communications,14(1)

  • 宇野 正起, 奈良 拓実, ミンダレバ ディアナ, 河上 哲生, 足立 達朗, 東野 文子, 土屋 範芳
    セッションID: T2-O-4
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/03/27
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    近年の地震波観測の発達から,火山下での地震発生には,地殻深部で数日から数ヶ月間かけて継続する深部低周波地震が先行し,その発生には地殻内のマグマやH2O・CO2流体の移動が関わっていると考えられるようになってきた[e.g., 1].一方,地殻深部の岩石である高温変成岩には,岩脈や鉱物脈などのかたちで,マグマや熱水活動に伴う地殻破壊と反応が記録されている.しかしながら,これらの地球物理観測と地質記録における,時間スケールや空間スケール,マグニチュードや応力などの物理的な対応関係はよくわかっていないのが現状であった.

     本講演では,南極の極めて良好な高温変成岩の露頭から,マグマや熱水による岩石破壊の地質記録を見出し,最新の反応輸送解析や水理学的解析,ドローンをもちいた応力逆解析などを通して,深部地殻破壊における流体活動の時間スケール,応力状態,流体圧,マグニチュードなどの制約を示し,地殻深部における動的な流体による地殻破壊の実態について,最新の研究成果を紹介する.

    調査地域である東南極セール・ロンダーネ山地は,約5億年前に形成した高温変成岩が東西約200 kmに渡って露出しており,地殻深部の岩石―流体反応をkmスケールの全面露頭で観察することができる世界でも稀有な地質帯である.露頭には幅数mmから数m,長さ数mからkmスケールの明瞭な岩脈群や鉱物脈群が観察され,周囲のグラニュライト相の母岩と反応し,角閃岩相の含水反応帯を形成している[2,3,4].こうした岩脈,鉱物脈,反応帯は,セール・ロンダーネ山地の各所で普遍的に観察される.

     これらの反応帯からClやFなどの微量元素の反応−移流−拡散プロファイルを見出し,反応輸送解析をおこなった結果,岩脈および鉱物脈における流体活動時間はそれぞれ数日〜数ヶ月,数時間から数週間であることが明らかになってきた[3,4,5,6].これらの反応帯が形成された温度圧力条件は,0.4–0.8 GPa, 450–750℃程度であり,火山下の深部低周波地震が発生する深さ15–30 kmの条件と矛盾しない.さらに,これらの岩脈・鉱物脈群は,開口成分とせん断成分を併せ持つ破壊モードを有しており,深部低周波地震のメカニズム解の特徴と一致する[6].さらに,これらのマグマ貫入や水流体の流入が引き起こしうる地震の規模を複数の方法で推定すると,岩脈・鉱物脈における流体活動時間と地震モーメントの関係が,深部低周波地震をはじめとする「ゆっくり地震」の継続時間―地震モーメントの関係と一致することが明らかになった[4].また,水理学的な解析からき裂と母岩の透水性を評価すると,鉱物脈がき裂として機能していた際の地殻浸透率は10−14〜10−15 m2程度であり,地殻深部の群発地震の震源移動から推定される浸透率とおおよそ一致する[4,7]

     以上の解析から,本地域で観察される岩脈.鉱物脈群とその反応帯は,温度圧力条件,継続時間,マグニチュード,破壊モード,浸透率などが深部低周波地震の特徴と一致しており,地殻深部における深部低周波地震の地質学的な記録である可能性が高い.

     このように,南極地域の変成岩類は,その極めて良い露出から,地殻破壊現象の物質科学的な実態解明に有用である.現在ドローンや赤外分光をもちいたさらなる広域調査を進めており,地質学と地震学のスケールの壁を破る研究が可能なフィールドとして研究を推進している.

    [1] Yukutake et al., 2019 GRL; [2] Uno et al., 2017 Lithos; [3] Mindaleva et al., 2020 Lithos; [4] Mindaleva et al., 2023 GRL; [5] Uno et al., 2022 JpGU abstract; [6] Nara et al., 2023 JpGU abstract; [7] Uno et al., 2023 WRI-17 abstract;

  • 足立 達朗, 外田 智千, LAKSHMANAN SREEHARI , 森 祐紀
    セッションID: T2-O-5
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/03/27
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    日本の研究者による南極の基盤地質研究が進められてきた東南極・東ドロンイングモードランドは,ゴンドワナ超大陸形成に伴う大陸衝突帯に位置していたと考えられている(e.g., Stern, 1994, Annu. Rev. Earth Planet. Sci.).ゴンドワナ超大陸形成の最終段階に発達していたとされる大規模造山帯については大きく二つのモデルがあり,約600~500 Maにわたって長期間活動した一つの大きな造山帯であったとするモデル(e.g., Jacobs and Thomas, 2004, Geology)と,約600 Maと約550 Maそれぞれに活動した2つの造山帯があったとするモデル(e.g., Meert, 2003, Tectonophysics)が提唱されている.最近東ドロンイングモードランドの複数の地域で,約600 Maおよびそれ以降の変成作用を記録する岩体と,約550 Ma以降の変成作用のみを記録した岩体が存在することが見いだされた(セール・ロンダーネ山地ブラットニーパネ,Adachi et al., 2023 JMPS;リュツォ・ホルム岩体ベルナバネ,Nakano et al., 2024, JpGU meeting).このことを踏まえ,65次日本南極地域観測隊では,これまで約530 Ma前後が主要な変成作用の時期であったと考えられてきたリュツォ・ホルム岩体において,約600 Maの変成・火成作用を記録する岩体を検出し, また約550 Maより若い変成作用のみを記録している岩体との地質学的関係を明らかにすることをターゲットの一つとして,未踏査露岩を中心に地質調査を実施した.本発表では,新規調査露岩であるインステクレパネでの調査結果について報告する.

     インステクレパネはリュツォ・ホルム岩体南部,白瀬氷河東岸に露出するおおよそ1.5㎞×1.5kmの露岩である.ドローン(DJI社製Mini 3 Pro)を用いて空中撮影を行い,露岩全域の大まかな岩相分布を把握した上で詳細な踏査を実施した.

     インステクレパネには,felsic Opx-Cpx-Bt gneissやfelsic Grt-Bt gneissを主要な岩相とし,mafic~ultramafic Opx-Cpx-Hbl granulite,micaceous Grt-Bt gneiss,Grt-Crd-Bt gneiss,Spr-Crd-Bt gneissなどがレイヤーやレンズとして狭在する.岩相分布には偏りがあり,露岩の東部~北東部にはGrtを含まない岩相が卓越する.これらの岩相のうち,Spr-Crd-Bt gneiss(TA2024012401A)について予察的な分析を行ったところ,この試料ではBt,Crd,Spr,Splがマトリックスに産し,Grt,Sil,OpxがCrdに取り囲まれてレリック状に産する.QzやFlsはマトリックスにもGrtの包有物としても含まれない.SilとOpxは直接せず両者の間にはかならずCrdが存在すること,CrdはSprおよびSplと連晶をなすこと,SilとOpxはともにGrt中の包有物としてのみ観察されることなどを考慮すると,Grt+Sil+Opxが安定な温度圧力条件からCrd+Spr+Splが安定な条件に変化したことを示唆する.マトリックスに含まれるMnzから得られるTh-U-Pb EPMA年代は約520 Maであり,これはCrd+Spr+Splが安定な条件に変化した時期を示していると現段階では考えている.

     今後,他の岩相も含めてインステクレパネに分布する変成岩のP-T-t経路の解析を進めて岩体区分および周辺露岩と地質学的対比を行い,異なるP-T-t経路を持つそれぞれの岩体の挙動を議論したいと考えている.

  • 中野 伸彦, 馬場 壮太郎, 加々島 慎一, Wahyuandari Fransiska
    セッションID: T2-O-6
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/03/27
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    東南極,リュツォ・ホルム岩体は,ゴンドワナ大陸形成時の大陸集合により形成された変成岩類から構成され,その分布域は東西400 km以上におよぶ.本岩体は,インヘリテッドジルコン年代に基づいてユニット区分され,岩体西部に相当するリュツォ・ホルム湾南部には,25億年前や20〜18億年前の原岩年代をしめす変成岩が分布することが明らかとなってきている (例えば,Dunkley et al., 2020).Takahashi et al. (2018) は,約18億年前の原岩年代をしめすアウストホブデの珪長質片麻岩から25億年前のジルコン捕獲結晶を見出し,18億年前の珪長質マグマの成因を25億年前の地殻の再溶融と解釈した.Nakano et al. (2023) は,ベルナバネから25億年前と19億年前の原岩年代をしめす珪長質片麻岩を見出し,両者が類似したHf同位体モデル年代をしめすことを明らかにした.彼らは産状や岩石化学組成の解析から,25億年前の海洋島弧場でのスラブ溶融と19〜18億年前の地殻の再溶融を含む活動的大陸縁辺の成立を提示した.このようにリュツォ・ホルム岩体における古原生代のテクトニクスは徐々に明らかになりつつあるが,その帰属や起源の解明にあたって必要十分な情報は得られておらず,現状では他岩体(例えば,東南極Ruker terraneや南インドMadurai Blockなど)との地質対比も困難な状況にある.本発表では,ゴンドワナ大陸形成以前の古原生代地塊の分布域や岩相の多様性の理解を目的として,リュツォ・ホルム湾南部の露岩域の珪長質片麻岩と関連苦鉄質変成岩の岩石化学組成と原岩形成年代について報告する.

     調査対象とした露岩は,ルンドボークスヘッタ,ストランニッバ,インステクレパネおよびベルナバネである.ルンドボークスヘッタとストランニッバでは主要岩相である輝石片麻岩や角閃石ー黒雲母片麻岩,ルンドボークスヘッタについては北部の層状片麻岩分布域からザクロ石ー斜方輝石片麻岩等のトーナル岩質片麻岩類についても解析を行った.インステクレパネでは露岩南部に分布するザクロ石ー黒雲母片麻岩,ベルナバネでは露岩全域に分布する角閃石ー黒雲母片麻岩を対象とした.全ての露岩域で珪長質片麻岩は苦鉄質グラニュライトをブロック状またはレンズ状に包有するかレイヤーを狭在するため,これらについても全岩化学分析を行った.

     現在までのベルナバネの解析結果から,25億年前の原岩年代をしめす珪長質片麻岩はアダカイト質花コウ岩〜トーナル岩の化学組成をしめす.この特徴は,Tsunogae et al. (2016)がベスレクナウセンやすだれ岩から報告した25億年前の原岩年代をもつ珪長質片麻岩類にも共通する.本研究では,このような高Sr/Y比をしめす珪長質片麻岩は,ルンドボークスヘッタとストランニッバの輝石片麻岩や優白質片麻岩などから見出され,それらのSiO2(54–76 wt%)やK2O (0.8–7.3 wt%) にはかなりの組成幅が認められる.インステクレパネのザクロ石ー黒雲母片麻岩は,SiO2含有量が低い(SiO2 = 53–59 wt%)が,高Sr/Y比 (Sr/Y = 83–131) をしめす.全ての露岩において,高Sr/Y珪長質片麻岩に包有される苦鉄質グラニュライトはザクロ石を含まず,一部は高Mg, 高Si/Al比および高Ni, Crのコマチアイト質な化学組成をしめす.一方で,ルンドボークスヘッタ北部の砂泥質片麻岩や石英岩を主体とする層状片麻岩分布域の珪長質片麻岩レイヤー(SiO2 = 56–60 wt%) は,低いSr/Y比をしめす.また,狭在する苦鉄質グラニュライトはザクロ石を含む場合が多く,一部は低Mg#,低Si/Al比,高Tiの特徴をもち,原岩形成時の斜長石やFe–Ti酸化物の集積が指摘できる.

     以上の結果は,リュツォ・ホルム湾南部の複数露岩に25億年前の地殻断片の存在とその化学的多様性を示唆するものである.さらに,超高温変成岩の産出で特徴づけられるルンドボークスヘッタ北部の層状片麻岩分布域の珪長質片麻岩や苦鉄質グラニュライトは,他の露岩域とは異なる化学的特徴を持つ.この変成堆積岩を主体とする地質ユニットは,Nakano et al. (2023) がベルナバネで提唱した19億年の付加体に相当する可能性もある.発表では,特徴的な岩石の年代測定結果も併せて議論する予定である.

    引用文献:[1] Dunkley et al. (2020), Polar Sci. 26, 100606. [2] Nakano et al. (2023), JpGU 2023 abstract. [3] Takahashi et al. (2018), JAES 157, 245–268. [4] Tsunogae et al. (2016) Lithos 263, 239–256.

  • 菅沼 悠介, 関 宰, 久保田 好美, 草原 和弥, 石輪 健樹, 天野 敦子, 香月 興太, 小長谷 貴志
    セッションID: T2-P-1
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/03/27
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    現在,南極氷床融解の加速とそれに伴う近未来の急激な海水準上昇が強く危惧されている.これまでの研究により,南極氷床は過去の温暖な時代に大規模な融解を起こしていたことが明らかになり,温暖化の進行によって近い将来に大規模かつ不可逆的な融解を起こす可能性が高まっている.しかし,過去に起こった南極氷床の大規模融解メカニズムには不明な点が多く残されており,気候変動の将来予測における不確実要素として最大の懸念事項の1つとなっていた.この問題を解くために,今年度より基盤研究S「海-陸シームレス地層掘削から探る南極氷床の大規模融解メカニズム」が開始した.本プロジェクトにおいて,我々は南極氷床縁の広域で「海-陸シームレス地層掘削」を実施し,過去の氷床融解を記録する地層試料を採取する.また,西南極ロス棚氷下掘削などの国際プロジェクトに参画し,従来得ることが出来なかった南極氷床内部からも地層試料を採取する.得られた試料に対して各種の先端技術を駆使した分析をおこない,最後の氷期(最終氷期:約2万年前)以降に起きた大規模融解時の気候・海洋状態を直接的に復元し,その氷床融解プロセスを明らかにする.さらに,海洋・氷床・地球変形モデリングを駆使した再現実験より,氷床融解のトリガーとその発動条件を突き止める.これらを総合して,過去の南極氷床の大規模融解メカニズムを解明し,海水準上昇の将来予測の不確定性を低減することを目指す.本発表では,本プロジェクトの目的や概要と,今後の調査計画についてについて紹介する.

  • 石輪 健樹, 徳田 悠希, 香月 興太, 板木 拓也, 佐々木 聡史, 山﨑 開平, 大森 貴之, 奥野 淳一, 池原 実, 菅沼 悠介
    セッションID: T2-P-2
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/03/27
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    温暖化による南極氷床融解に伴う海水準上昇が危惧されており、気候変動に対する南極氷床の応答の理解は喫緊の課題である。南極氷床は数年から数十万年の変動スケールを有しているが、衛星観測や海洋観測で把握できる時間スケールは数十年に限られる。そのため、数十年以上の時間スケールの変動を復元するには、堆積物や岩石などの地質試料の分析とモデルシミュレーションが主要なアプローチとなる。特に、南極沿岸域の湖底堆積物は海水準変動をはじめとする古環境の復元に有用な試料であり、東南極の宗谷海岸域では、海水準変動の復元や環境変化の復元に用いられてきた。しかし、南極沿岸域の一つの湖の詳細な古環境再構築に関する研究は少なく、海面変動などの外部要因に対する湖内の応答の違いを詳細な検討した研究は十分に進んでいない。東南極のリュツォ・ホルム湾のラングホブデに位置するぬるめ湖は海跡湖であり、最も近い氷床縁から約2 km離れた場所に位置する。第61次南極地域観測隊では異なる深度で4本の湖底堆積物コア試料が採取された。1つのコアは最深部の約16メートルで採取され、他のコアは浅い深度(5-8メートル)で採取された。本研究ではこれらの堆積物コアを用いて、氷床や海水準変動に伴う湖内の水塊構造の変化を復元することを目的とした。堆積相観察、XRFコアスキャナー分析、および珪藻分析を用いて堆積環境を復元し、放射性炭素年代測定により年代モデルを構築した。その結果、海水準変動に伴う湖周辺の地形変化が湖内の水塊構造を変化させ、氷床変動による淡水の流入が急激な水塊構造の変化の要因になったことが示唆された。本研究の結果は、南極の湖底堆積物コア試料を用いた氷床や海水準変動をはじめとする古環境の高精度復元に寄与するものである。

  • 奥野 淳一, 石輪 健樹, 菅沼 悠介, 青山 雄一
    セッションID: T2-P-3
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/03/27
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    近年,南極大陸における氷河地形的証拠と表面露出年代の蓄積により,完新世中期の南極氷床の詳細な変動史が明らかになってきている(たとえばSuganuma et al., 2022, Comm. Earth Env.).特に東南極のリュツォ・ホルム湾周辺では,完新世中期の3000年間で約400mの急速な氷床高度低下が報告されている(Kawamata et al., 2020, QSR).しかしながら,ICE-6G_D(Peltier et al., 2018, JGR)をはじめとする代表的な退氷モデルでは,この急激な融解過程は考慮されていない.

    本研究では,リュツォ・ホルム湾沿岸の測地学的観測から,GIA(Glacial Isostatic Adjustment)によるシグナルの影響を再現することで,該当地域における完新世の東南極氷床変動を検討する.完新世中期の急速な氷床高度低下を考慮した氷床融解史を構築し,GIA数値シミュレーションを行った結果,対象地域におけるGNSS観測結果と一致したシミュレーション結果が得られた.この結果は,完新世中期における急速な氷床融解が測地学的にも支持されることを示すとともに,測地観測がこの地域の氷床融解過程の制約に大きく貢献できることを示唆する.さらに本研究では,精密なGIAモデリングに基づいて,急速な後退に続く再拡大の可能性とその条件となるGIAのモデルパラメータについて,定量的な結果に基づいて議論する.本研究の結果は,地形・地質学的証拠と測地学的観測を組み合わせることで,完新世中期の南極氷床変動の理解が深まることを示しており,将来の海水準変動予測の精度向上に貢献すると期待される.

  • 松井 浩紀, 平山 恵見, Crosta Xavier, 池原 実
    セッションID: T2-P-4
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/03/27
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    南極大陸を時計回りに一周する南極周極流は,全球の海洋循環や炭素循環に大きな役割を果たしており,南極氷床の安定性にも影響を及ぼす.また,過去数十年間の南極周極流の流路は,南大洋の3つの区域(大西洋区,インド洋区,太平洋区)でそれぞれ異なる変化を示しており,広域的な南極周極流の挙動の把握が重要である.一方,過去100万年間を超える長期的な南極周極流の挙動について,南大洋大西洋区や太平洋区では明らかにされてきたが,南大洋インド洋区では未だ長期的な記録が得られていない.本研究では,2019年にフランスのマリオン・デュフレーヌ号で採取された長尺ピストンコア試料を用いて,詳細な年代モデルを構築し,南極周極流の挙動の解明に資することを目的とする.試料地点MD19-3576は現在の南極周極流の流路に位置しており,コア試料の全長は約57 mである.岩相は石灰質軟泥と珪質軟泥の互層を示し,氷期間氷期に応答している可能性がある.船上においてコア試料の明度と底生有孔虫酸素同位体比LR04スタック(Lisiecki and Raymo, 2005, Paleoceanography)の対比が行われ,過去約150万年間を記録した堆積物と推定された.

    今回,MD19-3576コアの計467試料について底生有孔虫化石Melonis pompilioidesを抽出し,高知大学海洋コア国際研究所で炭素・酸素安定同位体比を測定した.測定結果について,LR04スタックと改めて精密な対比を実施した.対比の結果,想定された過去150万年間ではなく,過去110万年間を記録した堆積物であることが判明した.コア上部で堆積構造が乱れている区間(約36〜20万年前)を除いて,連続的に堆積したと考えられる.平均堆積速度は約110〜52万年前について7.8 cm/kyr,約52〜0万年前について1.5 cm/kyrであった.特にマット状の珪藻が産出する区間において,堆積速度が非常に速い(約10 cm/kyr)傾向が認められた.本研究で構築した酸素同位体比変動曲線とLR04スタックとの差異はわずかであるが,約90万年前の氷期に有意なずれが認められた.LR04スタックには大西洋の記録が多く含まれており,南大洋インド洋区の酸素同位体比変動を捉えられていない可能性がある.むしろ,本研究の酸素同位体比変動は南大洋太平洋区の記録(Elderfield et al., 2012, Science)と類似しており,約90万年前の氷期におけるインド洋区と太平洋区の共通性が明らかになった.

    今後,MD19-3576コアの浮遊性有孔虫化石群集の解析を進め,過去110万年間の南極周極流の流路を詳細に復元する予定である.とりわけマット状珪藻の産出に基づく南大洋大西洋区の南極周極流の流路復元(Kemp et al., 2010, Quat. Sci. Rev.)と比較し,周極流の南北移動が南大洋インド洋区と大西洋区で同調していたかを明らかにする.さらに,堆積物の粒径変化に基づく南大洋太平洋区の南極周極流の流速復元(Lamy et al., 2024, Nature)と比較し,流路の南北移動と流速の強弱の関係について考察する.

  • 中里 政貴, 岩谷 北斗, 佐々木 聡史, 徳田 悠希, 石輪 健樹, 板木 拓也, 菅沼 悠介
    セッションID: T2-P-5
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/03/27
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    極域に繁茂する海藻類は、海氷や棚氷による太陽光の遮断やアンカーアイスによる海底面の擾乱作用の影響を強く受ける。つまり、海藻の表面に付着して生息する葉上性生物の化石は、過去の海氷の発達や棚氷の拡大・縮小の指標になり得る。貝形虫は、二枚貝様の背甲をもつ微小な甲殻類であり、葉上種、砂底種、泥底種、など多様な底質環境に適応し分化している。また,石灰質の背甲を持つ貝形虫は、堆積物中に化石として保存されやすく、理想的な古環境指標となる。本研究は、第61次南極地域観測隊により、リュツォ・ホルム湾の浅海域から採取された海藻試料、陸棚および深海域から採取された堆積物コア試料(板木ほか, 印刷中)から得られた貝形虫(化石)を用いて、海氷の発達や棚氷の拡大・縮小を推定しうる新たな古環境指標を見出すことを目的とする。結果として、8試料の海藻試料から13属19種285個体 の貝形虫が産出し、Cytherois avalisParadoxostoma属、Xestoleberis属などの葉上種やLoxoreticulatum fallaxのような浅海種が認められた。これまでにもリュツォ・ホルム湾の表層堆積物試料から葉上性貝形虫種の報告はあったが(例えば、Sasaki et al., 2023)、本研究によりそれらの葉上種が同湾の海藻上に実際に生息していることがはじめて明らかになった。また、L. fallaxは、リュツォ・ホルム湾全域で産出することが知られるため(Yasuhara et al., 2007)、広域的に利用できる海氷の発達や棚氷の拡大縮小の指標となるかもしれない。さらに、葉上種の貝形虫化石が、深海域、陸棚域ともに堆積物コア試料の上部層準のみから産出した。したがって、調査海域の海氷や棚氷の影響が現在にむけて小さくなった可能性が示唆された。

    【引用文献】板木ほか,印刷中,南極資料. Sasaki et al., 2023, Paleontological Research, 27, 211–230. Yasuhara et al., 2007, Micropaleontology, 53, 469–496.

  • 外田 智千, 足立 達朗, 森 祐紀, LAKSHMANAN Sreehari
    セッションID: T2-P-6
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/03/27
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    2023年11月~2024年3月の日本南極地域観測隊(JARE-65)において、東南極ドロンイングモードランド東部地域(リュツォ・ホルム湾、プリンスオラフ海岸)からエンダビーランドにかけてのエリアの地質調査を実施した。

     この地域には、原生代末期~カンブリア紀(>6~5.2億年前)の角閃岩相~グラニュライト相(~超高温)の変成岩体である「リュツォ・ホルム岩体」が広く分布する。岩体の最高変成部のリュツォ・ホルム湾最奥部から西部(ボツンネーセ)地域では、原岩年代として25~18億年前エリアと11~10億年前のエリア、また一部に約6.4-6.3億年前の若い原岩年代のエリアが認められ、それらの原岩地質ユニットの相互関係・地理的関係の研究解析や境界の探索がすすめられている。また、東部のプリンスオラフ海岸地域では、10~9億年前の年代値を持つグラニュライト相(日の出ブロックほか)及び角閃岩相(あけぼの岩ほか)の“異地性”変成岩類の存在が近年見いだされ、その地質学的な位置づけの検証や変成プロセスなどの解析がすすめられている。

     そうした原生代~カンブリア紀のエリアの東方のエンダビーランドには、太古代の高温~超高温変成岩体である「ナピア岩体」が分布する。ナピア岩体からは約38~26億年前の原岩年代が報告されているが、広大なエリアや多様な岩相のうちで年代値の分かっている地点は多くはない。

     今シーズンの南極での調査は、南極地域観測第X期計画の一般研究観測「極域の大陸地殻の形成発達と太古代-原生代の地球環境変遷に関する研究」の一環として、夏期野外観測項目の1つとして実施された。調査隊のメンバーは、地質研究者4名で構成され、観測船「しらせ」搭載ヘリコプターとともに観測隊チャーターの小型ヘリコプターによる支援によっておこなわれた。

     2023年12月から2月にかけて、リュツォ・ホルム湾南部(ルンドボークスヘッタ)の調査(第1期)、プリンスオラフ海岸沿岸露岩域の調査(第2期)、リュツォ・ホルム湾西部~南部沿岸露岩域の調査(第3期)、昭和基地滞在中の東オングル島およびラングホブデの調査(第4期)、復路エンダビーランド(アムンゼン湾周辺露岩域)の調査(第5期)、の5期に分けて実施し、第1期~第4期のリュツォ・ホルム岩体と日の出ブロック地域の調査では、①ルンドボークスヘッタ、②かすみ岩、③二番岩、④ベルクナウサネ、⑤インステクレパネ、⑥ベルナバネ、⑦きんぎょ岩の7露岩で野営による滞在型調査、それ以外に13露岩で短時間あるいは日帰り調査を実施した。エンダビーランド(ナピア岩体)の調査は、観測船「しらせ」がリュツォ・ホルム湾を離れて復路におこなわれ、結果的に1日のみの調査日程で、リーセル・ラルセン山(S地点)、トナー島(北端半島部)、ミラー山の3地点で日帰り(短時間)調査、ルンド山、グレーデル山、バーケット島の3地点でヘリの着陸地調査の駐機の合間に試料採取を実施した。南極での調査の詳細な内容・日程・設営面の情報は、外田ほか (2024, 南極資料)に報告をあげているので参考にされたい。

  • 馬場 壮太郎, 中野 伸彦, 加々島 慎一, 亀井 淳志, 外田 智千
    セッションID: T2-P-7
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/03/27
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    東南極のドロンイングモードランド東部(35°E) からエンダビーランド西部(45°E)にかけての地域には,エディアカラ〜カンブリア紀の変動帯であるリュツォ・ホルム岩体が分布する(Hiroi et al., 1991; Shiraishi et al., 1994; 2003). 近年,U-Pbジルコン年代や岩相に基づき,ユニット区分(Takahashi et al., 2018; Takamura et al., 2018; Dunkley et al., 2020)が提案されている.しかしこれらは宗谷海岸周辺の露岩を対象にしたものであり,リュツォ・ホルム湾西部地域については未踏査露岩,年代未測定露岩もあり,不明な点が多い.

     ベストホブデは,リュツォ・ホルム湾の西方に位置するフレッタ湾の東に点在する小露岩群で,西岩,中岩,北岩,東岩に区分されている.アウストホブデの西,約17 kmに位置し,Dunkley et al. (2020)の区分ではルンドボークスヘッタスーツの延長に相当する.しかしこの地域の片麻岩類について変成年代および変成作用についての報告は無いため,その連続については明らかでない.第63次日本南極地域観測隊地質グループは,比較的広い露岩の東岩について調査を実施した.露岩は主に茶褐色の斜方輝石黒雲母片麻岩から構成され,ザクロ石黒雲母片麻岩,優白質片麻岩,塩基性グラニュライト,カルクシリケート,ペグマタイトを伴う.既存の地質図ではザクロ石黒雲母片麻岩が卓越するとされているが,異なっていた.片理は東北−南西のトレンドを示し,南東に中程度傾斜する.斜方輝石黒雲母片麻岩は稀にザクロ石を含むことがある.ザクロ石黒雲母片麻岩は,優白質片麻岩に隣接して層状に産するが,ところにより珪線石,ヘルシナイトに富む片麻岩が認められる.

     ザクロ石−ヘルシナイト−珪線石片麻岩およびザクロ石−斜方輝石−黒雲母片麻岩について,シュードセクションモデルを作成したところ,約780–830 ℃,6.0±0.5 kbar、約800±10 ℃,6.0–5.5 kbarの条件がそれぞれ見積もられた.これまでリュツォ・ホルム岩体のルンドボークスヘッタの北部やスカレビークハルセンなどから,高温高圧条件(12kbar以上,850~1000°C)から減圧する温度圧力経路が報告されており (Motoyoshi and Ishikawa, 1997; Kawasaki et al., 2011; Yoshimura et al., 2008; Kawakami et al., 2016; Hiroi et al., 2019),リュツォ・ホルム岩体では同一の経路を辿ったと考えられている.ベストホブデ東岩から採取した岩石には減圧過程を示す鉱物組織は認められず,加えて推定された変成ピーク時の圧力条件は低い. この結果はリュツォ・ホルム岩体最南の孤立露岩(ボツンヌーテン)から得られた条件に一致する(Baba et al., in press). リュツォ・ホルム岩体において,変成作用に関する研究が行われた露岩には偏りがあり,未知の場所も多い.岩体全域を網羅し変成作用の相違に基づく地殻形成過程の構築が望まれる.

     引用文献:Baba et al. (2024) Mineral. Petrol., in press. Dunkley et al. (2020) Polar Sci., 26, 100606. Hiroi et al. (1991) Geological Evolution of Antarctica, 83-87. Hiroi et al. (2019) J. Mineral. Petrol. Sci., 114, 60-78. Kawakami et al. (2016) J. Mineral. Petrol. Sci., 111, 129–143. Kawasaki et al. (2011) Gondwana Res., 19, 430–445. Motoyoshi & Ishikawa (1997) The Antarctic Region: Geological Evolution and Processes, 65–72. Shiraishi et al. (1994) J. Geol., 102, 47–65. Shiraishi et al. (2003) Polar Geosci., 16, 76-99. Takahashi et al. (2018) J. Asian Earth Sci, 157, 245–265. Takamura et al. (2018) Geosci. Front., 9, 355–375. Yoshimura et al. (2008) Geol. Soc. London Spec. Publ., 308, 377–390

  • 宮本 知治, Dunkley Daniel J., 角替 敏昭, 加藤 睦実
    セッションID: T2-P-8
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/03/27
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    東南極Dronning-Maud Landに位置するLützow-Holm Complex (LHC)は、Rayner 岩体の西、Yamato-Belgica岩体の東に位置する、高温変成岩を主とする岩体である。変成度は北東部の角閃岩相より南西部のグラニュライト相まで推移し、Rundvågshettaにて変成度のピークを迎える(Hiroi et al., 1991)。

     アウストホブデはRundvågshettaの西北西50kmに位置するLHC西部の露岩である。主に北岩・中岩・南岩の3露岩から構成され、Hiroi et al. (1991)によるグラニュライト相ゾーンの西部に位置する。変成構造は、北岩・中岩が東西走向で南傾斜、南岩は南北走向で西傾斜を示す。主要構成岩は輝石角閃石片麻岩、黒雲母角閃石片麻岩、角閃岩および苦鉄質〜超超苦鉄質グラニュライト、黒雲母片麻岩、ザクロ石-黒雲母片麻岩、大理石およびスカルン、珪岩および珪質ザクロ石片麻岩、片麻状花崗岩である(Shiraishi and Yoshida, 1987)。Tsunogae et al. (2016)は、アウストホブデの変成斑れい岩について579 MaのU-Pb zircon年代を報告し、変成作用時の新規成長の結果と考察した。Takahashi et al. (2018)は、黒雲母片麻岩について2505〜627 MaのU-Pb zircon年代と、チャーノッカイトについて606±7Maと551±7MaのU-Pb zircon年代を報告し、Archean以降の物質が供給され、最後は550 Ma前後に変成作用を被った履歴を報告した。その結果を基に、Dunkley et al. (2020)はアウストホブデをRundvågshetta Suite (RVG)に分類した。

     LHCには変成作用と同時期もしくはその後に貫入した様々な火成岩も点在する。アウストホブデにも主要な変成構造と斜交して貫入する苦鉄質〜珪長質岩脈が中岩と南岩にて見いだされた。それらは中岩と南岩とで外観が異なり、中岩の岩脈は苦鉄質で優黒色であり、NE-SW方向に急傾斜で貫入していた。完晶質で、構成鉱物は石英・カリ長石・斜長石・黒雲母・角閃石・燐灰石で、少量のチタン石・単斜輝石・ジルコン・磁鉄鉱をともなった。黒雲母は概ね定向配列する傾向があり、自形の黒雲母が角閃石に囲まれて産することもあった。一方、南岩に産する岩脈は中性〜珪長質で優白色であり、NW-SE方向に20〜40度SW傾斜で、あるいはNE-SW方向に緩傾斜で貫入することが多かった。完晶質でカリ長石・石英・斜長石の基質の中を0.5〜1mm大の単斜輝石が産し、副成分鉱物としてチタン石・ジルコン・磁鉄鉱をともなった。少量の角閃石、まれに黒雲母を伴う試料もあった。基質にはミルメカイトが産することもあった。化学組成としてはアルカリ岩に大別され、いずれもK2O含有量が高かった。Total alkali-SiO2図では、中岩に産する苦鉄質岩はBasaltic trachyandesite的でMgO=5.1〜5.7wt.%を示すのに対し、南岩に産する中性〜珪長質岩の組成はTrachyandesite〜Trachyte的でMgO=1.0〜3.6wt.%の範囲の組成を示した。その一方で、Primitive mantleで規格化したSpider図では、共通して右下がりの傾向を示すとともに、Ba・Pbに正のスパイクとNb・Sr・Tiに弱い谷が認められた。微量元素の特徴における共通性は、これらの岩脈が一連の活動で貫入した可能性を示す。その活動において、Nb・Tiの負のスパイクはマグマにおける水の影響(含水マグマにおけるTi含有鉱物の結晶化とその分別)、Srの負のスパイクは斜長石の分別、一方、Ba・Pbの正のスパイクについては地殻物質の付加の影響が考えられる。島弧的環境で苦鉄質マグマが活動し、結晶分化したとともに一連の活動の中で地殻物質を同化した履歴を示す可能性がある。 参考文献Dunkley et al. (2020): Polar Science, 26, 100605. Hiroi et al. (1991): Geological Evolution of Antarctica: Cambridge, Cambridge University Press. Shiraishi and Yoshida (1987): Geological map of Botnneset, Antarctica. NIPR. Takahashi et al. (2018): J. Asian Earth Sci., 157. Tsunogae et al. (2016): Lithos, 263.

  • 北野 一平, 外田 智千, 馬場 壯太郎, 亀井 淳志, 本吉 洋一
    セッションID: T2-P-9
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/03/27
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    東南極リュツォ・ホルム岩体には約5–6億年前で時計回りの温度圧力履歴を有する高温変成岩類が広く分布し,変成度に基づき東から西へ角閃岩相帯,漸移帯,グラニュライト相帯に区分されている(例えばHiroi et al., 1983; Shiraishi et al., 1994).角閃岩相帯には,一部約9–10億年前の高温変成岩(角閃岩相~グラニュライト相)が異地性のブロックとして存在することが示唆されてきた(例えばShiraishi et al., 1994).あけぼの岩はその一つで,約9億3000–4000万年前に形成した角閃岩相の変成岩類から構成され,時計回りの温度圧力経路が推定されている(Baba et al., 2020, 2022).しかし,変成解析はあけぼの岩西部に限られているため,本発表では,あけぼの岩東部に産する十字石含有片麻岩から温度圧力条件を見積もり,西部との比較を行った.あけぼの岩は主に層状の黒雲母片麻岩,ザクロ石―黒雲母片麻岩,黒雲母―ホルンブレンド片麻岩からなり,局所的に花崗岩などに貫入されている(Hiroi et al., 1986).あけぼの岩西部の変成岩は,約7–8 kbar, 650–700 ℃の最高温度圧力条件を経て,せん断と上昇を伴い約4–5 kbar, 610–660 ℃に至る時計回りの温度圧力経路をしめす(Baba et al., 2020, 2022).分析試料の十字石含有ザクロ石―ゼードル閃石―黒雲母―緑泥石片麻岩はあけぼの岩東部に分布し,ミグマタイト質片麻岩中のザクロ石に富む層として産する.この試料は,粗粒なザクロ石の斑状変晶,定向配列するゼードル閃石,黒雲母,緑泥石に加え,斜長石と石英を含む.そのほか,少量の十字石および直閃石が斜長石の包有物として認められ,ザクロ石の中心部には少量の白雲母と直閃石+緑泥石+石英の細粒集合体が認められる.ザクロ石は比較的Caに乏しいコアとCaに富むリムからなる.コアはリムに対してやや高いXMg値とFe含有量,わずかに低いMn含有量をしめす傾向にある.斜長石中に残存する十字石は,黒雲母と石英の包有物の近くに産し,0.27–0.29のXMg値と0.48–0.94 wt%のZnO含有量をもつ.ザクロ石のコアおよび斜長石に包有される直閃石のXMg値は0.60–0.63である.ザクロ石コア中のゼードル閃石のXMg値は0.55–0.56であるのに対して基質部のゼードル閃石のXMg値は0.51–0.53である.ザクロ石のコアで白雲母および緑泥石と接する黒雲母は低いXMg値(0.60–0.62)をしめし,十字石を包有する斜長石中の黒雲母は高いXMg値(0.65–0.66)をしめす.一方,基質部の黒雲母は0.61–0.64のXMg値の幅をもつ.斜長石は縁辺部に向かってXAnが減少する組成累帯構造をしめし,十字石を包有する部分ではXAn = 0.13–0.15とやや高いものの,それ以外の部分ではXAn = 0.09–0.12である.緑泥石のXMg値は,ザクロ石コア中では0.66–0.67で,基質部のものは1点(XMg = 0.64)を除いて0.67–0.68である.地質温度圧力計により,ザクロ石コアおよびリムの形成条件はそれぞれ約5.0–7.9 kbar, 590–660 °C,約7.4–9.2 kbar, 540–610 °Cと計算された.その結果,本試料からは,あけぼの岩西部の変成岩と真逆の反時計回り温度圧力経路を持つ可能性が示唆された.一方で,両者は類似した変成年代をしめす(Baba et al., 2022; Kitano et al., 2023).したがって,あけぼの岩には同時期の変成作用で温度圧力経路の異なる変成岩が分布することが推察される.そのため,より広域的に岩石学的な解析を展開して,各温度圧力経路の変成岩の分布域を明らかにし,その地質学的意義を検討する必要性がある.引用文献:Baba et al. (2020) Antarctic Science,Baba et al. (2022) Gondwana Research,Hiroi et al. (1983) Memoirs of National Institute of Polar Research,Hiroi et al. (1986) Antarctic Geologicai Map Series, Sheet 16 Akebono Rock,Kitano et al. (2023) Journal of Mineralogical and Petrological Sciences,Shiraishi et al. (1994) Journal of Geology

  • 加々島 慎一, 石川 尚人, 堀江 憲路, 竹原 真美, 外田 智千
    セッションID: T2-P-10
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/03/27
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    東南極リュツォ・ホルム岩体(LHC)には,エディアカラ紀〜カンブリア紀の変成岩・深成岩が分布し,東部のプリンスオラフ海岸から西部のリュツォ・ホルム湾に面する宗谷海岸に向かって,角閃岩相からグラニュライト相へと累進的に変成度が上がるとされている(Hiroi et al., 1991,Shiraishi et al., 1994, 2003など).LHCから近年,ジルコンU-Pb年代やモナザイトU-Th-Pb年代が多く報告されており,LHCを細分化したユニット区分が提示されている(Dunkley et al., 2020).一方,東部においては,年代不詳の小露岩体が散在する,その中で比較的大きな露出面積をもつ「日の出岬」からは,約10億年のトニアン紀の変成年代が得られており,異地性岩体とされていた.最近,「日の出岬」の東隣にある「あけぼの岩」の角閃岩相の片麻岩から937±6 Ma(Baba et al., 2022)と931.7±9.8 Ma(Kitano et al., 2023),西隣にある「二番岩」の上部角閃岩相の片麻岩から940.1±9.8 Ma(Mori et al., 2023)と994±11(Kitano et al., 2023)と,トニアンの年代値が報告され,さらに東に位置する「ちぢれ岩」からもトニアン紀の年代を示す角閃岩相の変成岩が報告されている(馬場ほか,2023).このように,エディアカラ紀〜カンブリア紀に起こったLHCの変成作用に先行するトニアン紀の熱的イベントを記録する地質体が,「日の出岬」の周辺から複数見つかってきている.本研究では「ちぢれ岩」からさらに東に位置する「かぶと岩」の変成岩類について,ジルコンU-Pb年代測定を行った結果について報告する.

     「かぶと岩」はプリンスオラフ海岸の南緯68˚03’,東経43˚36’に位置し,東西約1.4 km,南北約1.3 km,最高点83mの小露岩体である.地質構造は北部と南部ではNW-SE系が卓越し,中央部ではややEW系となり,傾斜は30˚-60˚ S-Wである.岩石の面構造に規制され,ノコギリの刃の様な地形となっている.「かぶと岩」に分布する岩石は,主に黒雲母片麻岩,角閃石黒雲母片麻岩,ざくろ石黒雲母片麻岩,花崗岩質片麻岩であり,この他に超苦鉄質岩ブロック,ペグマタイト,結晶質石灰岩がある.北東部には細粒の黒雲母片麻岩,角閃石黒雲母片麻岩,花崗岩質片麻岩が互層状に卓越し,ブーダン状のペグマタイト,苦鉄質岩が狭在する.中央部から南部にはざくろ石黒雲母片麻岩が分布するようになり,また変形小構造,ミグマタイトの産状が多くなる傾向がある.使用した変成岩試料は,JARE46において採取したものである. 年代測定に使用した試料は,ザクロ石含有角閃石黒雲母片麻岩で,オシラトリーゾーニングをもつコアから989.7±6.8 Ma,暗部のリムから941.4±8.4 Maの年代値が得られ,トニアン紀の年代を示す【日の出ブロック】は「かぶと岩」まで及ぶことが明らかとなった.

    <引用文献>Hiroi et al. (1991) Geological Evolution of Antarctica, 83-87. Shiraishi et al. (1994) Journal of Geology, 102, 47–65. Shiraishi et al. (2003) Polar Geosci., 16, 76-99. Dunkley et al. (2020) Polar Sci., 26, 100606. Baba et al. (2022) Gondwana Res. 105, 243–261. Mori et al. (2023) J. Min. Petrol. Sci., 118, 221124. Kitano et al. (2023) J. Min. Petrol. Sci., 118, 221220.

  • 中野 美玖, 東野 文子, 河上 哲生, 工藤 駿平, 足立 達朗, 仁木 創太, 宇野 正起, 金 鐡祐, 平田 岳史
    セッションID: T2-P-11
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/03/27
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    東南極セール・ロンダーネ山地は、東アフリカ造山帯 (750-620 Ma)とクンガ造山帯 (580-530 Ma)が見かけ上交差する場所に位置するとされ [1]、この地域の変成岩類の温度-圧力-時間-変形履歴を読み解くことは、ゴンドワナ超大陸の形成プロセスを理解する上で重要である。同山地は、主にグラニュライト相の変成岩からなり、時計回りの温度-圧力-時間(P-T-t) 履歴を示す北東テレーンと、より低変成度の変成岩からなり、反時計回りのP-T-t 履歴を示す南西テレーンに分けられる [2]。両テレーンは、分離されたジルコン粒子を用いたU-Pb年代測定から650-600 Maにピーク変成作用、590-530 Maに紅柱石安定領域の後退変成作用を被ったと考えられており [2]、同山地においてジルコンやモナズ石の化学組成を考慮し、他の変成鉱物との共存関係を調べた先行研究は限られている [e.g., 3]。

     同山地中央部に位置するメーフィエルは南西テレーンに属するが、時計回りのヘアピン型P-T-t 履歴が報告された [4]。[5] は、メーフィエルで採取された珪線石―黒雲母-ザクロ石片麻岩中のザクロ石の包有物に対し、Zr-in-Rt地質温度計 [6] を適用して時計回りのP-T 履歴を構築した。また、[4] はマトリクスに産するモナズ石の電子線マイクロプローブU-Th-Pb 年代(EPMAモナズ石年代)測定により、700-540 Maを変成ピークの年代と報告したが、モナズ石の化学組成が考慮されておらず、ザクロ石とモナズ石の平衡関係が議論されていない。そこで [7] は [5] と同試料に対してEPMAモナズ石年代測定を実施し、モナズ石の産状とY濃度を考慮した結果、約650 Maにザクロ石とモナズ石が平衡共存し、約550 Maにはザクロ石と非平衡状態になったと解釈した。本研究では、同試料中のジルコンに対して予察的にLA-ICP-MSを用いた局所U-Pb年代および微量元素の同時測定を行った。

     本試料のザクロ石には、ザクロ石中の拡散が遅いPで不連続な組成累帯構造が存在し、内側からP濃度が低いインナーコア、P濃度が高いアウターコア、P濃度が低いマントル、P濃度がやや高いリムに分けられる [5]。ジルコンはマトリクスに産するほか、ザクロ石、黒雲母、珪線石、白雲母、石英の包有物として産する。

     本試料に含まれるジルコンの内部組織は、インヘリテッドコア、変成コア、変成リムに区分できる。変成コアはCL像で振動累帯構造を示し、石英、珪線石、カリ長石、黒雲母、燐灰石、石墨を包有する。一方、変成リムはCL像で暗いものも明るいものも見られ、珪線石、カリ長石、ルチルを包有する。

     変成コア・リムは1点を除きいずれもYbn/Gdn比が0.25-3.6のグループと20-50のグループの2つに分けられる。Ybn/Gdn比が小さいグループの変成コア・リムはそれぞれ637±41 Ma (n=3; MSWD=1.8; Th/U<0.16)、562±8 Ma (n=7; MSWD=1.14; Th/U<0.02)の238U-206Pb加重平均年代(±2σ)を示す。Ybn/Gdn比が大きいグループの変成コアは628±27 Ma (n=5; MSWD=4.0; Th/U<0.02)、変成リムは567±16 Ma (n=2; MSWD=0.032; Th/U<0.03)の238U-206Pb加重平均年代を示す。このうち、ザクロ石リムに包有される変成リムが566±21 Ma (n=1, Ybn/Gdn=28) を示すため、現在みられるザクロ石リムは566±21 Ma以降に形成された可能性がある。 

     ジルコンがザクロ石と平衡共存したか否かは、両鉱物間のHREEの分配係数から検証可能とされる [8]。本試料のジルコンは、上述のように2つの年代幅において高低両方のYbn/Gdn比が見られるため、ザクロ石のHREE組成と併せて両鉱物間の平衡関係を精査することで、詳細な変成履歴の構築につながるだろう。

    引用文献

    [1] Meert 2003 Tectonophysics [2] Osanai et al. 2013 Precam. Res. [3] Higashino et al. 2023 Gondwana Res. [4] Tsubokawa et al. 2017 JMPS [5] Nakano et al. 2023 JpGU abst. [6] Tomkins et al. 2007 JMG [7] Nakano et al. 2024 JpGU abst. [8] Taylor et al. 2017 JMG

  • サティッシュクマール マドスーダン, Sasidharan Kiran, 東野 文子, Tetsuo Kawakami, 外田 智千
    セッションID: T2-P-12
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/03/27
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    Prograde, peak and retrograde metamorphic P-T condition is essential in formulating tectonic models for orogenic belts. The higher the peak metamorphic temperature conditions, the more difficult it is to estimate the temperature accurately. In many cases the estimated temperatures may not represent peak metamorphic chemical equilibrium because of widespread overprinting of retrograde processes during exhumation. Extensive retrograde hydration has been reported from the Sør Rondane Mountains in East Antarctica. We present results on the metamorphic temperature estimates using calcite-graphite carbon isotope thermometry in a suite of metacarbonate rocks from the Sør Rondane Mountains and discuss the various conditions prevailed during the orogenesis. Metacarbonate rocks are common lithological units in the Sør Rondane Mountains, which occur as layers up to few tens of meters in thickness and extending several kilometers in strike length. They are associated with metapelitic and metaigneous rocks. Mineralogically the marbles are composed of alternating pure calcitic/dolomitic layers and impure layers comprising of forsterite + spinel + diopside + phlogopite +/- clinohumite +/- apatite with varying amounts of carbonate minerals. Pure metacarbonate rocks that contain graphite were selected for this study. In addition, the carbon and oxygen isotopic composition of calcite and dolomite were used for selecting metacarbonate rocks which are unaffected by rehydration process, because these isotopes will shift their values if external fluids had infiltrated the layers (e.g. Otsuji et al., 2013). Well-formed polygonal graphite crystals in calcite-rich and dolomite-rich marbles are in equilibrium, where overgrown and dull textured graphite show values departing from isotopic equilibrium. Coexisting calcite/dolomite and graphite gave carbon isotope fractionation between 2.2 to 3.8 permil, suggesting a range of values for Sør Rondane marbles. These values correspond to peak metamorphic temperatures between 1000 and 680⁰C. We discuss the results comparing them with the recent reports of UHT peak metamorphic temperature condition (e.g. Higashino and Kawakami, 2022). Our results indicate that some of the regions in the Sør Rondane Mountains have experienced ultra-high temperature metamorphism, whereas some effects of retrograde metamorphism can be retrieved from metacarbonate rocks, if a careful textural observations are carried out on graphite crystals.

    References: Higashino and Kawakami, 2022, Journal of Mineralogical and Petrological Sciences; Otsuji et al., 2013, Precambrian Research.

T3.文化地質学
  • 竹林 知大, 竹林 克己, 青木 克顕, 竹林 大介, 熊野 善介
    セッションID: T3-O-1
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/03/27
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    本発表では、2017年から2024年にかけて静岡大学、ふじのくに地球環境史博物館、静岡科学館および山形大学で行われた自動車エンジンと鉱物(特にダイヤモンド)の関係性に焦点を当てた教育活動について述べる。日本においては、2020年頃から文部科学省や経済産業省がSTEMやSTEAM教育の重要性を強調し始め、内閣府もSociety 5.0の実現を目指し、先端科学技術の普及を推進している。学習指導要領では、自然と人とのかかわりを子どもたちに教える事と、学習内容によっては専門機関と協力して教育活動を遂行することが言及されている。本研究では2018年にドイツDaimlerAG本社(シュトットガルト)のパワートレイン部に訪問調査し、メルセデスベンツ博物館に視察調査した。また本研究の教育実践では、2018年に静岡科学館、静岡大学および自動車会社・自動車関連会社と協力し、小学生約120名を対象にした産・学・博連携のSTEM教育ブース展示を実施した。その後、2024年山形大学(学部生約80名対象)にて、筆頭著者は自動車会社・自動車関連会社と協力し、自動車エンジン工学と鉱物の歴史および将来に関する講義や議論を実施した。 2018年頃、環境に配慮したEV車が注目を集め、自動車エンジンの衰退が予想されていたが、2024年までにエンジン技術の革新やダイヤモンド研磨技術の発展(例:ミラーボアコーティング)により、内燃機関は存続していることが示された。自動車エンジンには金属鉱物資源だけでなく、研磨用の鉱物資源も利用されており、学習者にエンジンを通じて鉱物資源の重要性を教育することができる。例えば小中学校においては、エンジンを環境破壊の一端のように取り上げてEVの普及だけを推進するのではなく、10年後の科学技術動向に即した理解と伝達が重要である。本研究発表では2018年から現在までの動向を踏まえ、地球環境教育教材としての価値を議論する。

  • 岡本 研
    セッションID: T3-O-2
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/03/27
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    ○札幌軟石とは

     「札幌軟石」は約4万年前の「支笏火山」の大規模な噴火により火砕流が発生して石狩低地帯に厚く堆積した溶結凝灰岩であり,支笏溶結凝灰岩と呼ばれる。札幌軟石は明治初期から昭和初期にかけて石材として建材や土木材料に利用されてきた。近代化によりこれらの歴史的建造物は減少しつつあるが,現在でも札幌軟石建築物は300棟以上現存し,歴史的価値が見直されてきており,2018年には北海道遺産に選定されている。札幌市石山地区を中心に多くの採石場が存在していたが,現在では辻石材工業が一カ所で採石しているのみである。

     北海道開拓期の札幌市の土台づくりに長年貢献してきたこの石材がどのような性質を持ち,そのためどのように活用されてきたのかを学ばせるため,いくつかの体験的な実習を取り入れた学習プログラムを考案して実践したので報告する。

    ○札幌軟石の活用

     札幌軟石は歴史的に主に建材として活用されてきた。その理由は軟石が加工しやすいこと,木材よりも頑丈であること,耐火性(断熱性)が高いこと等があげられる。そのため,特に倉庫・民家・店舗・教会・醸造庫・サイロ等の建材として利用されてきた。

     近年は建材としての利用はほとんどなくなったが,その風合いからタイル,オブジェ,雑貨等への利用,吸湿性を利用した傘立て,香油をしみ込ませて蒸発させるヒーリンググッズ,植物を植える植栽器,コースターなど次々と新しい利用方法が考え出されている。また,東海大学の笹川寛司は札幌軟石の芸術的活用を提案し,同じく東海大学の谷口裕美は河川の底生動物群集の多様性を回復する札幌軟石を用いた人工河床の開発を行っている。

    ○学習プログラム

     以下のような学習プログラムを考案し,大学での授業や一般市民への教育活動で実践を行っている。

    ・ 耐火性・断熱性→軟石をガストーチで加熱し,手で触ったり温度を計測する

    ・ 鉱物観察→軟石を砕いて実体顕微鏡で観察し,構成鉱物を調べる

    ・ 砕屑物の比較観察→軟石に含まれる火山岩片と支笏湖周辺から採取した火山岩との比較観察により,遠方の支笏火山から流れてきたことを理解する

    ・ 炭化木の観察→軟石中の炭化木の観察により,陸上の火砕流であることを理解する

    ・ 吸水性を調べる→水の吸水率や空隙率を調べる

    ・ 古藤野湖の考察→札幌軟石の分布図から火砕流が豊平川を堰き止めた状況を推定する

    ・ 現地の露頭の観察→溶結部と非溶結部の観察から,火砕流がどのようにして札幌軟石になったのかを考える

    ・ 軽石の形状の観察→軽石のレンズ状の形状から,溶結凝灰岩の成因を考察する

    ・ 自然災害の考察→軟石の分布状況や他地域の火砕流災害(ポンペイ等)から,当時の札幌の災害について考察する

  • 坂本 昌弥
    セッションID: T3-O-3
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/03/27
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    文化財保護法等では,地質に関連する指定文化財の指定根拠として「地質鉱物のうち学術上貴重で,我が国の自然を記念するもの」としている.これにより国・都道府県及び市町村から文化財として指定を受けた物件は,後世へ永続的に継承していくため,社会全体でさまざまな保護に係る方策が執り行われることになる(文化庁,2022).具体的には,法に基づき各教育委員会等を中心とした行政やさまざまな団体,所有者や個人有志らによって必要な経費が負担され,その保全及び活用が積極的に図られる.一般的に文化財の保全・活用は,各自治体が設置している教育委員会の一部課(文化財課,生涯学習課等)が所管している.そのため学校教育で活用しやすい環境にあり,指定天然記念物等に係る専門知識が少ない学校教員であっても,地域に存在する指定文化財の学術的価値や特徴を把握・理解しやすい状況にある.それゆえ文化財は小・中・高の学習教材として活用できる場合が多く,また地域特有の自然や景観を示すため,総合的な学習(探究)の時間等でも児童・生徒の郷土研究に活用できる素材であるものが多い.本研究は,熊本県及び鹿児島県における国及び県指定の地学系指定文化財に着目し,その教育的利用価値について考察するものである.なかでも熊本県における「布田川断層帯」が,2018年2月に国指定天然記念物とされ,今後永続的に保存・活用されることの意義について述べる.熊本地震が,どの程度社会で記憶されているかを概観するために,google trendによる地震発生時(2016/4/14)から最近(2024/4/30)までの検索数推移を調査すると,2016年4月16日時点の「熊本地震」というキーワードの検索数を100とした場合,1年後の2017年4月では4, 3年目以降は1以下と,大きく減少する.比較的減少率の少ない東日本大震災等と比べ,熊本地震は今後も数多く発生する自然災害の中で,人々の記憶から忘れ去られる可能性が高い災害と考えられるかもしれない.ゆえに熊本地震等の局所的自然災害は,その地域で伝承していく強い努力と堅固なシステムづくりが必要である.文化審議会(文化庁,2017)は,布田川断層帯を文化財として「これらの断層は,平成28年熊本地震で生じた多様な断層の運動と連続性を現わしており,学術上価値が高く,地震の被害を将来に伝える災害遺構としても貴重である.」と価値づけしている.それゆえこの文化財の保存・活用については,文化審議会によってなされた価値づけをよりよく表現することが望まれる.布田川断層帯に限らず,初等・中等理科教育で地層・地震・防災分野及び環境変化に伴う植生の変化等を学習する際,市町村指定文化財も含めると,教材化でき得る物件は全国に広く存在する.また未指定の場合であっても石碑や伝承といった形で地域において保全・活用されている場合も多く,これらは学習指導要領に沿い,郷土に根ざした極めて特色のある教材となり得る素材であると考えられるが,現在,こうした文化財を活用した理科教育研究例も数少ない状況であり(例えば,上田ほか,2016),また小・中学校で積極的に教育活用している実践例もほとんどない.

    【引用文献】

    文化庁(2017):史跡等の指定等について.(最終閲覧日:2018/11/10,http://www.bunka.go.jp/).

    文化庁(2022):記念物の保護のしくみ.(最終確認日,2023/1/23.https://www.bunka.go.jp/)

    上田髙嘉・深田陽平・岡戸陽子・滝沢宏之・飯郷雅之・松田 勝(2016):理科教育および環境教育における教材としてのミヤコタナゴ.宇都宮大学教育学部研究紀要,66,pp.13-19.

  • 保柳 康一
    セッションID: T3-O-4
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/03/27
    会議録・要旨集 フリー

    はじめに

     善光寺平とも呼ばれる長野盆地には,千曲川(信濃川の長野県内の呼称)流域を中心に多くの縄文時代以降の遺跡が発見されている.また,弥生時代以降の稲作に関わる条里遺跡が多く見出されている.そして,畦などの構造物が砂層によって覆われて保存されていることがある.低頻度で起こり通常に比して極めて甚大な影響を環境や人間生活に与える嵐や洪水もしくは津波などは,イベント堆積物と呼ばれる厚い砂層を残し,それらの下位の地層や構造物の保存に大きな役割を果たしている.この発表では,歴史記録に残されている巨大洪水である平安時代(888年)の仁和洪水の砂層が発見された石川条里遺跡,江戸時代中期(1745年)の戌の満水,江戸時代後期(1847年)の善光寺地震洪水,そして明治29年(1897年)洪水の砂層が発見されたに長沼城跡ついて紹介する.

    仁和洪水砂層と石川条里遺跡

     長野盆地南部の千曲川右岸千曲市の屋代遺跡群地之目条里遺跡とその対岸の長野市塩崎の石川条里遺跡などで,仁和洪水の砂層により埋積された平安時代の条里遺跡が見出されている.仁和洪水は,千曲川上流の八ヶ岳山麓に形成された天然ダムの決壊による洪水とされ(河内,1983;川崎,2000),地之目条里を覆う砂層は約2 mの層厚を持つ.この洪水砂は筆者のこれまでの研究で,近隣の(自然)堤防の決壊にり洪水の水位が徐々に上昇することで逆級化構造を形成し,引き続く上流の天然ダムの全面決壊による洪水流によりその上位に正級化砂層が形成された事が分かっている.一方,左岸の石川条里遺跡の仁和洪水砂層は,厚さ最大1 mで1サイクルの正級化構造を示し,ダムの全面決壊による2回目の洪水流による砂層によってのみ条里遺構が覆われていると考えられる.なお,石川条里遺跡の遺跡土層の全有機炭素量(TOC),安定炭素同位体比(δ13C),粒度分析,珪藻分析により,水田の拡大・縮小と気候変動や洪水イベントとの関連が検討できる.

    江戸時代以降の三大洪水と長沼城跡 

     長野盆地においては,近・現代の人間活動が地表下1〜2 mの記録を撹乱しており,近世以降の洪水による砂層が保存されていることは希である.長野市北部の穂保長沼地域は,2019年の台風19号により,堤防が決壊して洪水により大きな被害を受けた.長沼城跡は堤防決壊地点に隣接しており河川防災ステーション設置のために発掘が進められている.長沼城は戦国時代の16世紀中頃に武田氏の支配の下において,上杉氏との最前線の城として整備された.江戸時代になり長沼藩が置かれ平城として拡張された.しかし,1688年に城主佐久間氏の改易により廃城になり,1725年にはその西堀が水田に転用されたという記録がある.西堀跡の深掘りトレンチによって,堀の基底は現地表面下約6 mで,埋積物は厚さ約6 m でかつその下位も水域の堆積物である事が判明した.還元的環境を示す黒色の炭質泥層が堀の基底であり,既存の水域を閉鎖し堀とし,その東側に盛土をして城としたと考えられる.盛土には周辺の自然堤防の砂層と長野盆地西側山地の裾花凝灰岩が使われている.明暗を繰り返すシルト層からなる堀の堆積物の厚さは約1 mである.その上位の明灰色粘土層と灰色シルト層は,水田耕作層かもしれない.その上位に砂質シルトないし極細粒砂が70 cmの厚さで堆積している.この砂質の層は,水田転用の年代から1745年の戌の満水による洪水砂層である可能性が高い.その上位2 mは根痕を伴うシルト層で,水田耕作地もしくは草地であったと考えられる.それを覆って厚さ約15 cmの細粒砂層とさらその上位50 cmに厚さ約30cmの砂層が認められる.それぞれは1847年の善光寺地震に伴う支流犀川における天然ダム決壊洪水,そして1897年の明治29年洪水起源である可能性がある.なお,この上位の土層の安定炭素同位体比が低い値を示すことから,洪水後には現在見られるように果樹園に転換され利用されてきたと考えられる.

    まとめ

     長野盆地の平安時代,江戸時代の遺跡は,千曲川の洪水砂によりその遺構が埋積されて残されたものがある.その結果,歴史記録にある4つの大きな洪水イベントをこれらの遺跡から見出すことができた.

    文献:河内晋平,1983,八ヶ岳大月川岩屑流,地質学雑誌,89,173-182.

    川崎 保,2000,仁和の洪水砂層と大月川岩屑なだれ,長野県埋蔵文化財センター紀要,8,39-48.

    研究協力:(財)長野県埋蔵文化財センター

  • 猪股 雅美
    セッションID: T3-O-5
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/03/27
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    1 はじめに

     自然災害伝承碑とは,過去に発生した自然災害についての様相や被害の状況などが記載されている,石碑やモニュメントのことである.地域の災害リスクを伝える内容が記載されていることが多く,地域住民の防災学習への活用が期待されている.

     白亜紀後期の広島花崗岩が分布する広島県では,これまでに豪雨により繰り返し土砂災害が発生している.そのため,中国地方の5県では自然災害伝承碑が県内に81基と最も多く建立されている1).水害碑は78基で,その中で繰り返しの災害を示すのは9基である.熊原ほか2)は広島県内で近代後半以降から2017年までに建立された水害碑50基について,碑文の内容から建立意図を「被災」「復旧」「慰霊」「頌徳(しょうとく)」に分類した.災害情報を含む「被災」が記載されていたのは,50基のうち33基であった.しかし当時調査された50基のうち,繰り返しの災害を示す水害碑3基の建立意図は,それぞれ「慰霊」「頌徳」「被災/復旧」で,必ずしも繰り返しの災害を示す水害碑が災害情報の伝承を意図しているわけではなかった.

    2 研究目的

     水害碑の石材を明らかにすることで碑文内容以外の情報を追加し,被災の教訓を後世に伝えることが可能ではないかと考え,石材を中心に調査を実施することにした.特に繰り返しの災害を示す水害碑には,建立経緯で碑文内容以外の情報が多く含まれていると考え,今回は繰り返しの災害を示す水害碑に着目した.

    3 研究方法

     広島県内の繰り返しの災害を示す水害碑9基の石材について,岩相より周辺地質との比較をおこなった.さらに,建立時の情報について,文献や地域住民へのインタビュー調査をおこなった.調査対象の9基とその立地についてTable1およびFig.1に示す.

     

    4 結果

     呉市に建立された水害碑3基(水害碑番号3,4,5)は,いずれも周辺地質3)と同じ中-粗粒黒雲母花崗岩であった.また,尾道市の植林事業施功碑(水害碑番号7)も周辺地質4)と同じ黒雲母花崗岩で,これら水害碑の石材と建立場所の地質が同じと考えられる4基は,土石流災害を受けて建立されていた.2021年に坂町小屋浦に建立された水害碑(水害碑番号9)の石材は地域地質3)と異なるが,2018年に発生した土石流の巨礫を併設している(Fig.2).この地では1907年に発生した土石流を記した水害碑が建立されていた.その後も1945年,1965年,2018年と複数回の土石流が発生して甚大な被害を受けたため,繰り返しの災害を伝える新しい水害碑が既存の水害碑と同一敷地内に建立された.水害碑の石材と建立場所の地質が異なるものも4基あった.瀬川卯一翁彰徳碑(水害碑番号1)は,暗緑色の頁岩で葉理構造が確認でき,阿武山周辺に分布する湯来層5)と類似した岩相をもつ.大禹謨(だいうぼ:水害碑番号2)は太田川の河川堆積物で構成された堤防脇に立地しており,石材は西の阿武山の麓などに分布する5)中-粗粒黒雲母花崗岩と同じ岩相を持つ.天井川改修記念碑(水害碑番号6)は約1km北の天井川が合流する沼田川河口に分布する6)ジュラ紀の点紋ホルンフェルスと岩相が類似している.宮本清蔵君之碑(水害碑番号8)は,大崎上島西部または対岸の竹原市などに分布する6)中-粗粒黒雲母花崗岩の岩相であった.大崎上島での住民インタビューでは,堤防改修時に船で大量の石材が島に運び込まれていたという.堤防改修への貢献を示した別の碑の石材も,宮本清蔵君之碑と同じく中-粗粒黒雲母花崗岩であった.

    5 考察

     水害碑の石材と建立場所の地質が同じ岩相であったのが土石流災害を受けて建立された水害碑であったことから,土石流により流出した岩石を水害碑に用いた可能性が考えられる.また,建立意図に「頌徳」の要素を持っていたり,大規模な工事を伴う河川改修・堤防改修などの事業を示す水害碑は,地域外から石材が調達されていた環境にあり,碑に適した石材を選択したものと考えられる.

    6 まとめ

     水害碑の石材を調査することで,碑文には記されていない建立経緯が推測できた.今後は更なる文献調査の実施と,水害碑の石材と周辺地質との照合のために,非破壊で調査が可能な帯磁率計などを用いて分析を進めたい.

    引用文献

    1)国土地理院Web(2024)https://www.gsi.go.jp/common/000215229.pdf(2024年5月30日版)

    2)熊原康博ほか(2017)広島県内の水害碑に関する追加資料と歴史的変遷,広島大学総合博物館研究報告,9,81-94.

    3)東元定雄ほか(1985)1/5万地質図幅呉

    4)三土知芳(1931)1/7万5千地質図幅尾道

    5)高橋裕平(1991)1/5万地質図幅広島

    6)松浦浩久(2001)1/5万地質図幅三津

  • シン ウォンジ
    セッションID: T3-O-6
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/03/27
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    北海道を来襲した直近の巨大津波は17世紀のものとされ,その津波堆積物は太平洋沿岸および内浦湾沿岸において広い範囲で報告されている.17世紀の巨大津波は,道東海岸のいわゆる“500年間隔地震”による津波,1640年北海道駒ヶ岳の山体崩壊による津波,胆振地方東部海岸の波源不明の津波の3つにまとめられる(髙清水,2013).その中で,白老町からむかわ町に至る胆振地方東部海岸においては,津波堆積物の存在は認められているが,その波源については議論が続いてきた.中西ほか(2014)は,白老地域におけるイベント堆積物の分布と粒度の特性から,千島海溝付近でのプレート境界地震を震源域とした津波による可能性を示している.また,中西・岡村(2019)は,内浦湾沿岸から胆振地方海岸を対象にした津波数値シミュレーションから,1640年北海道駒ヶ岳噴火に伴う津波で説明可能であることを示している.さらに,西村ほか(2023)は,厚真町の津波堆積物とその上位のUs-bテフラ(1663年)の間に介在した泥炭の年代から,1611年の慶長奥州地震津波の痕跡である可能性が高いことを示している.

     一方,シン・八幡(2022)は,白老に伝わるアイヌ民族の口承において,共通して巨大津波による集落全滅の内容が含まれていることや,その後の移住者に関する情報から,白老を巨大津波が襲った時期は1611年の慶長三陸地震の可能性が高いと推定した.しかし,アイヌの口承から津波に襲われた可能性のある地域を読み取ることはできるが,年代に関する事項はほとんど登場しないため(髙清水,2005),口承の中に出てくる年代については慎重に検討する必要がある.本研究では,17世紀に巨大津波が胆振地方東部海岸を襲った年代を推定するために,1611年慶長三陸地震津波と1640年北海道駒ヶ岳噴火に伴う津波の2つの候補について,史料に記録されている家屋の数に注目して検討する.

     本研究の対象となる『津軽一統志巻第十』は,1669年(寛文9)のシャクシャインの戦いに関する記録である.松前藩に応援を求められ松前城下に派遣された津軽藩士は,見聞きした情勢を藩主に報告した.1731年(享保16)津軽藩史『津軽一統志』が編さんされるとき,当時の藩主津軽信政の功として,この事件に関する文書が巻第十に一括して納められた.市井の聞き書きで誤りもあるが,当時の状況を知るにはこれ以上の資料はないと評価されている(北海道,1969).

     松前を出発して各沿岸までについて,その地名と距離,家屋の数等を記録した「松前より下狄地所付」には,内浦湾から胆振地方の沿岸に関する情報も含まれている.1640年北海道駒ヶ岳噴火に伴う津波の指標となるKo-dテフラ(1640年)に覆われた津波堆積物が,森町鷲ノ木から伊達市アルトリ(西村・宮地,1998),登別市富岸(岡村ほか,2012)まで分布が報告されているため,本研究では,現在の森町から登別市までをその被害地域とし,白老町からむかわ町までの胆振地方東部と家屋の数およびその状態の比較を行った.「もり」(森)から「のほりへつ」(登別)までの約150 kmに至る区間においては,22ヶ所の地名が記録されており,その中で家屋の数が記録されているのは15ヶ所である.家屋数の合計は88~92軒であり,空き家が43~46軒である.「あいろ」(アヨロ)から「む川」(鵡川)までの約70 kmの区間では,10ヶ所の地名のうち,8ヶ所において家屋の数が記録されており,家屋数の合計は174~177軒,空き家はない.空き家が記録されている場所は,「かやへ」(茅部)4~5軒,「おさるへつ」(長流)25軒,おいなおし(老名牛)5軒,「ほろへつ」(幌別)4~5軒,「のほりへつ」5~6軒である.この記録が1640年から30年後を前後して成立したことを考えると,現在の森町から登別市までの間は,津波の被害により空き家になった可能性がある.さらに,白老町からむかわ町までの間に空き家がないことは,1640年の津波の被害が大きくなかったことを示唆するため,胆振地方東部における17世紀の津波堆積物は,1611年の慶長三陸地震によるものである可能性が高いと考えられる.

    <引用文献> 北海道(1969)新北海道史,7,81-200.中西ほか(2014)地学団体研究会専報,60,169-178.中西・岡村(2019)地質学雑誌,125(12),835-851.西村・宮地(1998)火山,43(4),239-242.西村ほか(2023)日本地球惑星科学連合2023大会,MIS16-08.岡村ほか(2012)苫小牧市博物館館報,9,15-24.シン・八幡(2022)日本地質学会学術大会講演要旨,T8-O-9.髙清水(2005)歴史地震,20,183-199.髙清水(2013)地質学雑誌,119(9),599-612.

  • 高橋 直樹
    セッションID: T3-O-7
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/03/27
    会議録・要旨集 フリー

    山形県南部の置賜地方で主として近世〜近代における石造物や建築用材等の石材として使用された岩石としては,第一に東置賜郡高畠町で産出する「高畠石」が挙げられる(高畠町郷土資料館, 2002;髙柳, 2015など).高畠町を中心に置賜盆地のほぼ全域で使用例が見られ,石切り跡が観光スポットにもなっている.一方,これまでにあまり注目されてこなかった石材として,米沢市成島町で採石され,米沢市を中心に特に置賜盆地西部で盛んに使用されていた「成島石」が存在する.その認知度の違いは,高畠石が比較的最近(平成22年)まで切り出されていたのに対して,成島石は昭和30年頃に切り出しが終了していることが大きいであろう.本研究では,特に成島石について,地質や岩石学的特徴,用途や使用地域,石切場の状況等について調査したので,高畠石との相違点も含めて報告する.

     高畠石は,水中堆積と推定される淡緑色を示す比較的軟質な凝灰岩で,大粒の繊維状軽石を多量に含むほか,硬質の類質・異質岩片を割合に多く含む.大粒の繊維状軽石は風化しやすく,失われて穴になっている場合が多く,岩石全体として穴の多い独特の外観を呈する.類質岩片としては,安山岩,流紋岩などの火山岩,異質岩片としては,基盤の花崗岩類や頁岩などが認められる.地質としては,新第三紀中新世中〜後期の赤湯層下部とされている(山形県, 1972).一方,成島石は,ベージュ色の外観を示し,押しつぶされガラス化した大粒のレンズ状の暗灰色〜灰色軽石を含む溶結凝灰岩で,陸上堆積と推定される.自形を示す高温型石英や黒雲母の結晶を多量に含む.また,流紋岩の岩片を少量含んでいる.地質としては,新第三紀中新世後期の才津層(山形県, 1970)で,岩相から柳沢・山本(1998)の才津火砕流堆積物に対比される.大峠カルデラを給源とすると推定されている(山元,1994).

     高畠石の石切場は高畠町安久津地区に大規模なものがあり,現在は,「瓜割石庭公園」として公開されている.このほかにも,高畠町内を中心に10カ所程度の石切場が報告されている(髙柳, 2015).一方,成島石の石切場は,米沢市広幡町成島地区の西方に位置する「石切山」の山頂部に存在する.戦国時代の山城(矢子山城)の跡地が近世以降に石切場として転用された可能性が指摘されている(米沢市教育委員会, 1994, 1995).東麓の成島地区には「石切町」という町名が残っている.

     高畠石の用途としては,建物土台,石垣,石段などの建築用材が目立つが,原産地に近い地域では,墓石や石仏,石碑,石柱,鳥居などの石造物にも広く使用されている.中世の板碑も見られ,かなり古くから使用されてきたようである.成島石は,主として石造物として利用され,近世の石仏や石塔,墓石などが多く,特に「マンネンドウ」と呼ばれる家型の墓石が特徴的である.

     成島石は米沢市内や川西町南部で多量に使用されているが,そこから離れるに従って数は急速に減少し,南陽市や高畠町ではまれである.一方,高畠石は高畠町,南陽市を中心に置賜盆地内で広く使用されている.ただし,米沢市では石造物の多くは成島石製で,高畠石は石造物の土台など建築用材に使用されることが多い.他地域でも高畠石の用途は建築用材が主体である.これは,高畠石は穴が多く,石造物としての利用には不向きという岩質に基づくものと推測される.

     以上のように,高畠石と成島石は,石切場の位置に加えて,岩質の違いも影響し,分布範囲や用途が割合に異なっていると言える.

     なお,上記の2つの石材のほか,米沢盆地南東部の一年峰で切り出されていた石材(海上石)は,淡緑色を示し気泡も多く見られるなど,見かけは高畠石に似ているが,高温型石英や黒雲母を多く含むなど,岩質は成島石に類似する.胚胎する地層は,赤湯層ではなく,壱年峰層,笊籬層とされており(山形県, 1970),赤湯層とは異なるカルデラ噴火を起源とする堆積物と考えられる.この石材の使用範囲等はまだ十分に確認できておらず,今後,調査を進めたいと考える.

    [引用文献]

    高畠町郷土資料館, 2002, たかはた・石の文化をさぐる.

    髙柳俊輔, 2015, 公益財団法人山形県埋蔵文化財センター研究紀要, (7), 77-96.

    山形県, 1970, 5万分の1地質図幅説明書「米沢−関」.39p.

    山形県, 1972, 5万分の1地質図幅説明書「赤湯」.18p.

    山元孝広, 1994, 地調月報, 45, 135-155.

    柳沢幸夫・山元孝広, 1998, 5万分の1地質図幅 玉庭地域の地質.地質調査所, 94p.

    米沢市教育委員会, 1994, 米沢市埋蔵文化財調査報告書第41集.22p.

    米沢市教育委員会, 1995, 米沢市埋蔵文化財調査報告書第49集.22p.

  • 乾 睦子, 中澤 努, 西本 昌司, 平賀 あまな
    セッションID: T3-O-8
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/03/27
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    明治時代後半より昭和中期頃まで、日本の西洋建築には舶来だけでなく国産の石材も多く使われていた。当時は国内で数多くの採石場が稼行し産業的に採掘・出荷されていたが、今では多くが閉山または建築石材としての出荷を止めており、国産建築石材はほとんど市場に流通しなくなった。石材は日本の地質資源のひとつであり、それらがどのように日本の社会基盤形成に貢献したかをできるだけ記録しておくべきである。そこで、産地が分からない国産石材を同定できるようにするための基礎的なカタログ作成を開始している。今回は黄色系統の国産石灰岩(結晶質石灰岩を含む)石材の産地による違いを中心に、標本の観察から得られた知見とハンドヘルド型蛍光X線分析(以下XRF)装置を用いた予備分析結果を報告する。

     国産石材は今でも多くの歴史的建築物に見ることができるが、石材産地が分かっている建物は多くはない。例えば、1936年竣工の国会議事堂については石材の産地と使用箇所の記録が文書に残されている(大蔵省営繕管財局編纂, 1938)。しかし詳しい産地の記録がない近代建築物も多く、そのような場合は関係者の証言や目視観察に頼って石材の産地を推定するしかないのが現状である。そこで、関係者に頼らずにより客観的かつ持続可能な方法で石材産地を同定できるようにするために、まず産地が正確に分かっている石材の標本を入手した。矢橋大理石株式会社(本社:岐阜県大垣市)は明治時代後期から現在まで多くの建築物において石工事を請け負ってきた石材会社であり、当時の石材をそのまま保管している。それらは実際にいま近代建築物に用いられているものと同等であることが確実な標本である。石灰岩(結晶質石灰岩)の標本は27銘柄について入手することができ、大板の研磨サンプルの目視観察を行い、色や柄を確認することができた。

     入手できた国産石灰岩石材のうち黄色の色調を特徴とするものに「錦紋黄」(岐阜県;ペルム紀赤坂石灰岩産)、「黄華」(山口県;石炭–ペルム紀秋吉石灰岩産)、「茶竜紋」(徳島県;三畳紀石灰岩産)など、産地の異なる複数の銘柄がある。「錦紋黄」は明治神宮外苑の聖徳記念絵画館(1926年竣工)に、「茶竜紋」は東京国立博物館(1938竣工)の中央ホールに使用された例が知られる。今回入手した標本を観察したところ、「錦紋黄」は非変成の灰白色石灰岩が角礫化したものであるが、一部の礫はやや円磨された形状を示す。礫間の空隙はジオペタル構造を示す黄褐色〜赤褐色の細粒堆積物と等厚状の粗粒方解石結晶によって埋められている。粗粒方解石結晶には、礫表面に沿って等厚状の黄褐色〜赤褐色の縞状構造がみられ、空隙の中心部に向かって黄白色〜白色へと変化する。XRFによりジオペタル構造を示す細粒堆積物からリンが最大で0.3wt%程度とやや多く検出された。「黄華」は非変成〜弱変成の白色石灰岩が角礫化したもので、空隙は暗黄色の粗粒方解石結晶(みかけの長径3cm程度まで)により埋められている。XRFにより空隙の暗黄色方解石結晶からマンガン等いくつかの元素が特徴的に検出された。「茶竜紋」は非変成〜弱変成の灰白色石灰岩からなる。白色の細かい方解石脈が頻繁に発達するが、その方解石脈を切るようにスタイロライトが発達する。またスタイロライト沿いを中心に一部に黄褐色〜赤褐色の斑状の模様がみられ、斑状の部分からは鏡下でドロマイト結晶が観察された。XRFにより斑状部分からマグネシウムがMgO換算で最大8wt%程度とかなり多く検出された。

     これらの銘柄は、今回の標本で見る限り目視で区別することが難しくない程度に外観の違いがあったが、典型的な柄でない部位は区別できるとは限らない。従って、特徴的な黄色部分の化学組成に違いがあり、それが非破壊XRF装置によって検出できる可能性があることは、産地不明石材の客観的な同定につながることが期待できる。使用石材の産地は建築の文化財としての評価にも関係する重要な情報である。今後はこの予備分析の結果を岩石学的に検証するとともに、地質学以外の分野にも提供できるような一般的な指標を示していく必要があると考えている。

     本研究は科学研究費補助金(課題番号22H01674)の助成を受けて実施されている。

    〈引用文献〉大蔵省営繕管財局編纂(1938):『帝国議会議事堂建築報告書』710ページ、営繕管財局、東京市。

  • 田口 公則
    セッションID: T3-O-9
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/03/27
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    はじめに

     2016年に開催した神奈川県立歴史博物館と生命の星・地球博物館による特別展「石展」以来,神奈川県内の石材マップの整備を続けている[1][2][3].県西部の火山岩を種とする“堅石”の石材産地は概ね把握が進んでいるが,小規模に採石が行われていた地産地消の“軟石”石材は情報が少なく産地同定が難しい状況にある.石材産地と石材利用の把握が重要な課題である.前者は石切場跡の認定,調査が,後者は文献記録や聞き取り情報が重要となる.

     石切場跡の認定は,現場に残る石材や採石痕が有力な証拠となる.しかしながら,いわゆる採石痕(岩壁に残る道具による痕)が採石の証拠となるとは限らない.たとえば,切り通しを作る際の開削が残した痕跡という場合もある.多面的に情報を把握,整理しながら,地域石材を捉えていくことが“軟石”石材の学術的進展につながる.

     本発表では,神奈川県山北町川西,諸淵の鮎沢川右岸に残る石切場跡の調査経過報告である.とくに,フォトグラメトリによって得られた3Dモデルを活用することで,露頭に残る採石痕を鮮明化し,推測される採石工程などを報告する.

    石切場の概要

     石切場跡は,山北町川西の諸淵,鮎沢川の右岸に位置する.この石切場跡のすぐ下流に化石カキ礁の露頭があり,巡検Stopとして知られている[4].また,この石切場の側近でメタセコイア属・オオバラモミ球果化石を産出し,年代を0.8~0.9Maの層準にあたる[5]

     川岸に面した石切場は,およそ幅14 m,高さ4.5 mで小規模である.足柄層群塩沢層下部にあたり砂岩礫岩互層の砂岩部の砂岩を切り出している.露頭下部では,ハマグリなどの貝化石層が認められる.

    採石痕の可視化

     石切場跡の壁(左右,奥の3面)には,複数段の斜めに刻まれた筋状の凸凹が認められる.これが採石痕のひとつである.しかし,露頭面は,コケ類など付着物があるため採石痕の観察の妨げとなる.そこで,石切場跡の壁面を撮影し,その画像をもとにフォトグラメトリにより3Dモデルを構築した(3DF Zepher liteを使用).さらに3Dモデルをシェーディング(陰影処理)することで,凸凹を強調し,採石痕を鮮明に可視化した.

    採石痕を読み取る

     石切場壁面に認められる斜め筋状の採石痕は,採石に使用した工具(ツル)痕である.その1段(層)の高さ30 cm~40 cmが採石分の厚さとなる.斜めの筋状の痕跡は,その向きからツルを持った人の作業位置が特定可能となる.

     斜めの筋状の痕跡の向きが場所によって変わる箇所が認められる.すなわち,作業位置をときに変えたことが見て取れる.壁面との位置関係による作業位置の制約,あるいはクラックにより石材が割れやすい(もしくは割れた)ことによる制約などの行動が推測される.また,露頭面に穴状の凹みが連なる箇所がある.ちょうど貝化石を含む層にあたることから,おそらく化石採集による凹みであると推測する.

    おわりに

     今回,報告した石切場については,地産地消の小規模な石切場であり,詳細は不明である.いわゆる「○○石」というローカルな呼称も不明であり,その利用も不明である.非凝灰質の砂礫岩を石材に用いること自体がマイナーであり,まさに地産地消の可能性が高い.この石切場を産地とする石材の識別には岩相が頼りとなるが,ハマグリ化石を含むことも重要な証拠となろう.貝化石を含む砂礫岩の石材が流通している可能性が高い.

     わずか100万年前ほどの海成堆積物(非凝灰質で)が石材利用されていることも希有な事例といえる.固結度が高いことの理由は,伊豆弧衝突の現場の堆積物であることに求められるが,これは地質が関わる文化的地域資源の一例としても意義を持つと考える.

    文献

    [1] 神奈川県立歴史博物館[編](2016)『石展─かながわの歴史を彩った石の文化』., 119p.

    [2] 神奈川県立生命の星・地球博物館[編](2016)神奈川のおもな石材産地と石造品., 4p.

    [3] 神奈川県立歴史博物館[編](2024)かながわの地質・岩石と石材 普及版.,4p.

    [4] 小田原 啓ほか(2011)伊豆地塊北端部,伊豆衝突帯の地質構造.地質学雑誌, 117(Suppl), S135–S152.

    [5] 松島義章・小泉明裕(1993)足柄層群塩沢層下部(前期更新統の後期)からシカ類肢骨片と,メタセコイア属.オオバラモミ球果化石の産出., 神奈川自然誌資料, (14), 7-10.

     本発表にあたりJSPS科研費(課題番号JP22K01025およびJP23K02805)を使用した.

  • 橋本 優子, 相田 吉昭, 石川 智治
    セッションID: T3-O-10
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/03/27
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    [はじめに] 栃木県宇都宮市田下町の東谷採掘場跡(ホテル山)は1919年、フランク・ロイド・ライトの帝国ホテル新館(ライト館)の着工に伴い、露天掘の採掘場として開掘された。1923年にライト館が竣工したのちも採掘は続き、現在は廃坑となっている。ホテル山については散発的な報告が成されてきたが、いずれも紹介記事にとどまり、その内容は必ずしも正確ではない。ライトは自伝(1932)のなかで、大谷石を溶岩と書き表した。帝国ホテルの『百年史』(1990)によると、ライト自身が大谷を訪れたという。大谷石の分類と特質、産地の情況は大蔵省臨時議院建築局(1922)が詳細に報じたが、国の最終的な現地調査がホテル山の開掘に先んじる1919年1月だったことから、この採掘場に関する記述はない。視察・買付実務のため、翌年に到来したのが東京のライト事務所所員でライト館の実施設計、現場監理に参画したアントニン・レーモンドだった点は、彼の自伝(1973)に窺い知ることができる。だが、ホテル山の石材の固有性や特質に触れる解説は見当たらない。その後、岩石・石材としての大谷石に関する研究は地質学、建築工学、近代建築史、地域文化史などの各分野で進んだ。ただしホテル山の石材と、これを用いた歴史的建造物の旧石材を比較検証する科学的な先行研究は皆無に等しい。そこで本研究ではホテル山の現状の調査、関係者への取材、当地での原石材と旧石材の採取、ライトやライト事務所所員が関わり、ホテル山の石材による近代建築の建物構成材との比較・分析に着手した。

    [調査方法] ホテル山の現状、その原石材と旧石材(安野家石蔵の建物構成材)、博物館 明治村 帝国ホテル玄関(ライト館の部分移築)、自由学園明日館(中央棟・東西教室棟。ライト+遠藤新:竣工1921・22・25年)、同・講堂(遠藤:竣工1927年)、同・敷地内敷石(昭和戦後に施設整備)、ヨドコウ迎賓館(山邑家住宅。ライト+遠藤・南信:竣工1924年)の旧石材を調査した。また、ホテル山の最後の石工棟梁・三條久氏(1937年生まれ)に取材を行った。ホテル山はライト館の竣工まで帝国ホテル傘下の東谷石材商店、1943/44年頃まで安野石材店、1988/89年頃まで安野石材店と屏風岩石材部、平成時代まで三條氏と屏風岩が採掘に携わる。三條氏は20歳から安野石材店で働き、番頭として同店から採掘場と屋号を受け継いだ。

    [試料の製作、観察と分析] ホテル山で採取した原石材と旧石材、博物館 明治村、自由学園明日館、ヨドコウ迎賓館の旧石材を用い、100×100×50/25mmの石材サンプル12点と、岩石薄片(乾式研磨法)を多数製作し、肉眼、実体・偏光顕微鏡で石材組織の観察と鉱物組成分析を行った。三條氏には歴史的建造物の石材サンプルを呈示し、その特徴について意見を伺う。大学研究室では石材サンプルのミソと色合いに注目し、感性評価実験を進めている。

    [調査結果と今後の課題] 三條氏への取材を通じてホテル山の歩みと、石工棟梁から見た当地産の石材の特徴が確認でき、石材サンプル、岩石薄片の組織観察と鉱物組成からは、地質学的観点から原石材、旧石材の岩石学的・視覚的な性質に迫る契機となった。大谷地区で現在採掘され、流通しているものと比較するならば、ホテル山の石材は全般的にミソが少なく、その周囲が硬い上質な白目の大谷石であること、ゆえに旧石材の表面が年月と風雨に晒され劣化していても、その内部は未だに新鮮なことなどが分かった。だが同じホテル山であっても原石材の採取地点、採掘年代により、含まれるミソや岩片が異なること、歴史的建造物の構成材も違いが認められることや、当地と周囲の地形、大谷層における岩相層準など、解明すべき事柄は多い。今後はこうした観点から調査・研究を継続し、実証的な報告を目指したい。

    [謝辞] 三条久氏ご夫妻には調査に際してのご高配、博物館 明治村、自由学園明日館、芦屋市教育委員会には旧石材のご提供、大谷石産業にはサンプル製作、芙蓉地質には薄片製作でご協力をいただきました。皆様に御礼を申し上げます。本研究の一部は、宇都宮市大谷特性活用補助金の助成を受けたものです。

    [引用文献] 帝国ホテル 編(1990)『帝国ホテル百年史:1890-1990』185-187. / 大蔵省臨時議院建築局 編(1922)『本邦産建築石材』107-114. / Raymond, Antonin. (1973) Antonin Raymond: An Autobiography. 67-68. / Wright, Frank Lloyd. (1932) An Autobiography. 240.

  • 石橋 隆, 朝倉 顯爾, 大木 公彦, 松﨑 大嗣, 坂本 昌弥, 西本 昌司
    セッションID: T3-O-11
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/03/27
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     鹿児島県の指宿市山川に産する火砕岩起源の石材「山川石(やまがわいし)」について、岩石学および鉱物学的な検討を行った。結果、山川石はモルデン沸石を主体として少量の石英が伴われる「沸石岩(ふっせきがん)」であることが明らかになった。石材として優れている山川石の特徴は、沸石岩であることに由来すると考えられる。

     薩摩地域には、新生代第四紀に活動した火山起源の様々な火砕流堆積物が広く見られる。これらの火砕岩類は代表的な溶結凝灰岩をはじめ石材として利用されていることが知られる(例えば、大木, 2015)。歴史的建造物から現代の街中の石造物に至るまで随所に火砕岩が活用され、火山によって造られた大地における独特の石造物文化が感じられる。

     多様な薩摩地域の火砕岩類石材のうち、物性や歴史的利用方法が特異であり、旧薩摩藩と藩主の島津宗家にとって特別といえる石が山川石である。山川石は薩摩半島南部の山川湾の南側で採掘される福元火砕岩類の凝灰岩の石材名で、淡黄色-黄土色を呈し、比較的軟らかく均質細粒であり、切削しやすいために緻密な細工に適した石材である。乾燥した山川石に舌先をつけると舌が吸着される特徴があり、これは微細な空隙があることによる毛細管現象であると考えられ、この空隙によって断熱効果にも優れる。他の火砕岩類石材と比べて風化に強いことも特徴である。古くは14世紀前半から石造物に使用されるが、先述の優れた特性から15世紀後半から18世紀後半に至るまで島津宗家の藩主の墓石などに使用されており特別な石材とみなされる。福昌寺跡にある近世島津家の歴代藩主墓に用いられている宝筐印塔は15世紀から山川石の使用と関わって出現し、16世紀後半以降に段階的に塔の大型化と装飾化を遂げ、次第に供養塔からステイタスシンボルへと墓塔の性格変化していったことが指摘されている(松田, 2004)。これは山川石の細密彫刻などの優れた加工性や風化耐性があってのものだと考えられる。

     ここまでに山川石の巨視的外見的特徴や物性的特徴を挙げてきたが、これらは総じて「沸石岩」の特徴を示唆するものであったために、山川石が沸石岩である可能性を考えて、X線粉末回折実験による構成鉱物種の同定が行われた。緻密で均質な山川石を粉末にして、島津製作所製X線回折計XRD6000を用いて得られた回折パターンは、ICDDカードのモルデン沸石の主要な回折パターンと良い一致を示すほか、石英のピークが認められる(図).

     山川石はモルデン沸石を主体とする沸石岩とみなされるが、沸石岩は凝灰岩が埋没して水の豊富な環境で熱変成作用を受けることによって形成されると考えられる。変成岩とみなすことができ、変成岩の変成相図では比較的低温低圧な沸石相の条件で生成された岩石である。モルデン沸石の場合は、圧力は0.1GPaとした場合で約150℃程度で生成される。XRDによる鉱物種の同定では、モルデン沸石の他には石英が認められたのみであり、原岩の凝灰岩に含まれていたであろう長石族鉱物あるいは火山ガラスは、変成作用によってモルデン沸石に置換されたと考えられる。

    【引用文献】

    大木公彦(2015):鹿児島に分布する火砕流堆積物と溶結凝灰岩の石材.鹿児島国際大学考古学ミュージアム調査研究報告, 12, 7-30.

    松田朝由(2004):島津本家における近世大名墓の形成と特質.縄文の森から, 2, 91-108.

  • 川村 教一
    セッションID: T3-O-12
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/03/27
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    「飯石(あるいはコハメシイシ)」とは,一般に米粒大の水晶の集合体のことである(加藤,2014).江戸時代の奇石収集家である木内重暁(石亭)著『雲根志後編巻の一』(1779年序)などには,城崎温泉産の「飯石(はんせき)」,俗名「コハメシイシ」として紹介されているが,現在では地元で知っている人は見当たらない(川村,2024).

     18世紀の城崎温泉は,旅行案内や温泉の効能が喧伝(例えば香川,1738)されるなどして,畿内で一二を争う有名な湯治場であった.このころ,木内石亭のほか,木村蒹葭堂や服部未石亭といった収集家も城崎温泉産のコハメシイシをコレクションに持っていた(益富,1982;横山・服部,2020).彼らの没後,19世紀では,京都で約50年間にわたり開催された山本読書室主催の物産会目録(山本読書室[編]「読書室物産会目録」)を検索すると,コハメシイシ(強飯石)は11回出品されていた.主な出品者は本草家でもあった医家たちである.

     コハメシイシの大きさは,『雲根志後編』(木内,1779)には握りこぶし大もしくは桃・栗の実くらいの大きさと書かれている.しかし,演者が産地付近で調査したところ,鮮新世の流紋岩の風化砕屑物中には長径数十cmの石英脈の塊もみられることから,江戸時代の収集家は,比較的小さな球顆のみ入手したことになる.大きさによる収集品選別の過程は不明であるが,以下のことが推論できる.

    1.城崎の人々が,握りこぶし大程度の球顆をおにぎりに見立てて,コハメシイシと呼んでいた.

    2.木内石亭に届けられた標本が輸送しやすい小型のものであったので,それに従って木内が記載した.

     以上のことから,兵庫県豊岡市北部に分布する,鮮新世流紋岩中の風化砕屑物中に残留している石英脈や球顆のうち,比較的小さなものが「飯石」あるいは「コハメシイシ」であるとわかった.これが畿内でも有名な温泉街近隣に産したため,18~19世紀の京都や近江の奇石収集家の知るところとなり,また彼らが容易に入手できて珍重したと考えられる.

    【文献】

    香川修徳(1738)一本堂薬選 続編.文泉堂,平安(京都) ,119丁.

    加藤碩一(2014)石の俗称辞典第2版.愛智出版,東京,408ページ.

    川村教一(2024)古文書からひも解く地域の地質資源:山陰海岸ジオパークの例から.日本地球惑星科学連合2024年大会,MIS08-P02.

    木内重暁(1779)雲根志後編一の巻.須原屋茂兵衛ほか,大坂,37丁.

    益富寿之助(1982)蒹葭堂奇石コレクション(京大号)について.大阪市立自然史博物館収蔵資料目録第14集,1-18.

    山本読書室[編](1808-1867)読書室物産会目録 自第一号至第五十号(一括).京都府立京都学・歴彩館山本読書室資料,目録番号2363.

    横山卓雄・服部泰三[編](2020)服部未石亭の鉱物・化石・岩石コレクション: 江戸時代近江石部の弄石家.益富地学会館,京都,77ページ.

  • 森野 善広
    セッションID: T3-O-13
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/03/27
    会議録・要旨集 フリー

    大正3年に描かれた漁場図『豊浦村(現山形県鶴岡市由良地域)漁場海底詳細図』をもとに地質と人々の暮らしとの関係性について述べる。

     この図は「山立て」と呼ばれる手法(山からの遠望と岩などを目印として)で、その位置を特定し、漁場の地形地質(海底の深さや底質など)を表したものである。底質(海底地質)としては、「磯」、「内ノ場」、「アラス(砂礫)」、「ゴミ界」、「内ノ砂目(フケ)」、「沖の砂目」、「??(あら)場」、「鱈場」などと表現されており、岩・暗礁などとともにそれぞれの分布が塗色して示されている。漁場の水深は、海岸域(0m)から鱈場では200mを超えるところまであり、底質の状態については、底びき網、さし網など漁業をする際にロープや網に泥や石が入ってくることで確認している。

     また、「地質ト四季重ナル魚類ト其ノ漁具差別」と称して、底質別に年間を通して(春夏秋冬)どのような魚種が多くみられ、それをとるための漁法が書かれている。

     例えば「鱈場」、「磯」の場合は以下の通りである。

    「鱈場」

     春の部 魚種:鱈・鮟・小がれ、漁法:底曳・配縄

     夏の部 魚種:鰰・助宗・えび・かに、漁法:手繰

     秋の部 魚種:えび・かに・鰰・小がれ、漁法:底曳・手繰

     冬の部 魚種:鱈・鮟・小がれ・かに、漁法:底曳・配縄

    「磯」

     春の部 魚種:ます・小がれ・平目・大だこ・あわび、漁法:刺網・磯見・配縄など

     夏の部 魚種:えび・すずき・・ざえ、小がれなど、漁法:手繰・刺網・磯見など

     秋の部 魚種:すずき・小だこ・さざえなど、漁法:手繰・刺網・磯見など

     冬の部 魚種:鰰・あわびなど、漁法:手繰・磯見

     底質と魚類(魚種)の関係では、砂地に潜る魚、泥場に潜る魚、岩場にいる獲物を餌にする魚、泥場の虫を餌にする魚、海草を隠れ家にする魚など生きるのに都合のいい場所を利用している。また、季節を通しての移動も見られ、例えばタラなどは産卵のため冬に浅場に、タイやカレイも浅場で産卵する。ハタハタは冬季に磯場の藻に産卵する。このように、魚介類の棲み場所としての底質の利用、生活史の中での移動と底質の利用が見られ、それら魚介類の生態をうまく知り尽くして漁法に生かしていることが伺える。海底の地形・地質(底質)の多様性が、豊富な魚介類を育み、地域の主要な産業を生み出している。

     現在由良地域では、「ゆらまちっく戦略会議」などが中心となって、このような豊富な水産資源を地元の活性化(観光、浜料理、漁村体験など)としてうまく活用している。

  • 藤岡 換太郎, 小野 映介, 加納 靖之, 松田 法子
    セッションID: T3-O-14
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/03/27
    会議録・要旨集 フリー

    はじめに紀伊半島の漁村集落の成り立ちを知るために、半島の西海岸、南海岸、東海岸、島嶼に渡って調査した。その目的は漁村がなぜそこに立地したのかを地形や地質、地震・津波などから考えることであった。調査地域調査した場所は和歌山から反時計回りに雑賀崎、塩津、矢櫃、三尾、日置、串本、太地、勝浦、新宮、九鬼、尾鷲、紀伊長島、鳥羽沖の神島、答志島、菅島の15か所であった。これらの地域や島の地形、地質、地震・津波などの項目を検討しでた。地域は西海岸、南海岸、東海岸、島嶼という区分以外に湾の形や集落のある場所が平野か斜面かなどによっても区分できる。集落は地形に起因して発達してきたと考えられる。集落調査の結果以下にいくつかの地域でのメモを示した。雑賀崎地域。雑賀崎漁港は和歌浦湾の中にあって南西に口を開けた漁港で、津波の入ってくる方向に直交するため津波の被害は少ないと考えられる。漁港の集落の形態は葉っぱが三枚の「三つ葉葵」のようで、漁港入口に急崖(断層)、西、北、東は山脈に囲まれた円形の地形を呈する。段丘の発達が悪いが地震断層によって隆起した海食台がある。これらは南海トラフの地震による。標高53mに平坦面がありホテルが建つ、この平坦面は雑賀崎を取り巻いていてS面の可能性がある、住居の分布はこれらの谷の分布に支配されて北西―南東ないしは南北方向である三尾地域。三尾は西の大三尾と東の小三尾とに分かれている。大三尾は比較的平坦な土地で、その東には南北性の断層、南にも3段の小断層がある。段丘の発達が悪いが地震断層によって隆起した海食台がある。住居の分布はこれらの海食台の分布に支配されている。小三尾は地滑りによってできた段々畑のような斜面の平坦面に等高線に沿って住居が分布している。太地勝浦地域。この地域の地形は地震による隆起が激しく段丘が形成されている。地震による崩壊がずっとあって巨礫(巨岩)が海岸にごろごろしている。集落はその崖錐扇状地と段丘に分布している。(1)新宮地域。集落は熊野川の河口の三角州に存在。全体が平坦で集落は熊野川の北(三重県)と南(和歌山県)とに分かれる。集落は砂丘の発達する東側から碁盤の目のように分布。鈴島にはヤッコカンザシの破片が見られ隆起の様子がわかる(2)尾鷲地域。紀伊半島東側の南北に伸びたリアス式の湾(南北幅約2㎞、東西約4㎞)、湾の西側にやや広い沖積面(奥行約1.5㎞)があって集落の大部分はここに立地。南北と西には高いところ(標高400~500m程度)がある(花崗岩)(3)。地形はこの高い山から湾に向けて下がっていく。西側以外は沖積平野がきわめて狭いのが特徴。山地の前や沖積平野の中の低い丘陵は流山である。南北の山地には斜面崩壊の跡が多い(南側の方が大規模)、土石流や岩雪崩(岩屑雪崩)が続発したと考えられる。段丘の発達は見られなかった答志島地域。島の形は平行四辺形で、東は断層によって切られている。漁村は東海岸の答志、和具と西の湾 桃取に発達。南に2つのブロードな湾があるが人は住まない。分水界は南に偏る。北西―南東方向の断層と北東―南西方向のMTLが見られる。結果と考察15の集落の基盤の地質は、北から三波川変成岩帯、秩父帯、四万十帯(白亜紀と古第三紀の付加体)熊野酸性岩の影響を受けている地域とに分かれる。半島全体にEW性の付加体の境界をなす断層にも影響されている。雑賀崎、塩津、神島は三波川帯、矢櫃、三尾、菅島、答志島は秩父帯、日置、串本、太地、勝浦、新宮、九鬼、尾鷲、紀伊長島は四万十帯で、そのうち熊野酸性岩の影響を受けているのは新宮、九鬼、尾鷲である。紀伊半島の漁村集落の分布形態は地滑りによる段々畑的なもの(三尾)、スリバチのような円形のもの(矢櫃)、手のひらのように数本の川に沿って分布するもの(雑賀崎)、碁盤の目に沿って分布するもの(平野、日置、串本、新宮、紀伊長島)、崩壊斜面の平坦面(太地、勝浦)などに分けられる。これらの地形を形成しているのは南海トラフに起こった地震による隆起やリアス式海岸の侵食、地震などによる地滑りや崩壊現象であり、先人たちはその結果を苦慮して集落を形成していったものと考えられる。集落の中心は寺や神社であることが多く、一番高いところまたは基盤がしっかりした所に建てられているのが特徴であった。地震や津波の影響を軽減するためであろうと思われる。紀伊半島の漁村はその地域の地形に合わせて発展してきたことが読み取れる。 文献(1)米倉伸之、1968、地学雑誌、77、1-23.(2)宍倉正展ほか、2008、活断層・古地震研究報告、8、267-280.(3)川上裕・星博幸、2007、地質学雑誌、113、296-309

  • 久田 健一郎, 藪崎 志穂, 唐田 幸彦
    セッションID: T3-O-15
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/03/27
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    久田ほか(2023)は北海道を除く日本列島の日本酒仕込水の水質と地質との関係,さらには仕込水の性質が清酒醸造に与える影響について考察した.今回南部フォッサマグナの中心地である山梨県の日本酒仕込水の水質と地質の関連性に関わる分析とその文化地質学的検討を行う機会を得たので,その成果の一部を報告する.山梨県地域の地質は①西南日本外帯(その延長部)の付加体地域・②伊豆半島衝突付加地塊と周辺地域・③花崗岩地域・④活火山地域に区分できる.また山梨県の水系は,富士川水系・桂川水系・二級水系(富士五湖)・多摩川水系からなる.

     仕込水及び湧水及び河川水の主要溶存無機イオン8成分(Ca2+・Mg2+・Na+・K+・Cl・SO42-・NO3・HCO3)の水質分析を行った.その結果,地質ごとの水質にある程度の違いが認められた.まず,トリリニアダイヤグラム上では,③花崗岩地域と④活火山地域の水で比較的似たような特徴を示すことが確認された.具体的に示すと,③花崗岩地域と④活火山地域ではCa2+とMg2+の比率は相対的に低く(Na+とK+の比率が相対的に高く),HCO3の比率が相対的に高い(Cl,SO42–,NO3の比率が相対的に低い).とくに,①西南日本外帯の水ではHCO3(炭酸水素イオン)の割合が相対的に低いことも読み取れる.

     次に,シュティフダイアグラムの結果において,SO42–(硫酸イオン)濃度は①西南日本外帯と②伊豆半島衝突付加地塊の水で高い値を示す地点が多い.日本では火山や温泉,鉱山などの影響を受けている場合を除き,一般的に地表水や地下水ではSO42–濃度は比較的低い値を示すことが多いため,この点において①西南日本外帯と②伊豆半島衝突付加地塊の水質は特徴的であると言える.①と②の水では溶存成分量は相対的に高いが,③花崗岩地域と④活火山地域の水では低い地点が多いことも特徴として挙げられる.また,③と④地域ではCa2+とMg2+の濃度が低いため,結果として硬度も低くなり,軟水の特徴を示す地点が多い.このような水質の違いは,花崗岩のマサ化の程度や火山を構成する火山灰の降灰規模に起因した滞留時間によるものと推定される.今回示した溶存無機イオンの他に,微量元素濃度や水の酸素や水素,ストロンチウムの安定同位体比等を用いることで,地質と水との相互関係がより明瞭に把握できるものと期待されるが,これは今後の課題である.

     山梨県のワイン生産の歴史は大変古く,縄文時代にはすでにその原形があったのではないかと指摘されている.県内から産出する深鉢型土器,水煙文土器など「縄文アート」といえる土器群の中に,有孔鍔付土器がある.有孔鍔付土器の用途に関してさまざまな見解が示されているが,最も可能性が高いのは酒道具といわれている(山梨県考古博物館,1984).この土器の中から山ブドウの実らしき炭化物が発見され,小孔は発酵の際のガス抜き孔と考えられた.日本酒醸造は米栽培が当地にもたらされた弥生時代以降と考えられるが,その詳細は不明である.

     八ヶ岳を中心とした中部高地は,縄文時代の石器の材料である良質の黒曜石を長野県下諏訪町の和田峠周辺で産出し,その交易エリアは和田峠を中心に半径200㎞におよぶ.川幡(2009)は,縄文時代中期には100㎞2当たりの人口は,関東地方で300-450人,中部地方で200-300人と見なした.そして縄文時代の西日本の人口密度は東日本の10分の1にも満たないとしている.このように中部地方に人口集中した理由は,石器の原材料だけによるものであろうか.これは古代人の精神的,文化人類学的観点も必要であろう(中沢,2021).アニミズムを基本とする「山並み-神々-酒」の影響も見逃せないと考える.とくにフォッサマグナの西側には北,中央,南アルプスの高峰が並び,それらの神聖な山容に圧倒される.酒が生み出す陶酔状態は神々と古代人の交流媒体ともいえること(小泉,1982)から,富士山,八ヶ岳,そして中部高地の前面に聳える甲斐駒ヶ岳などが古代の酒造りを支えてきたのかもしれない.現代の山梨県の酒造りは,伊豆半島弧衝突帯や火山フロント,および四万十付加体の様々な地質体が生み出す多様な地下水に支えられていることが窺える.

    文献 久田健一郎ほか(2023)地質学会第130年学術大会.川幡穂高(2009)縄文時代の環境 地質ニュース659,11-20.小泉武夫(1982)酒の話 講談社現代新書.中沢新一(2021)アースダイバー神社編 講談社.山梨県考古博物館(1984)縄文時代の酒道具-有孔鍔付土器展-(解説書).

  • 小滝 篤夫
    セッションID: T3-O-16
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/03/27
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    はじめに 

    考古学において,土器を作る材料として使われた土(胎土)の産地の推定には,多様な方法が取られてきた(石田2015,2022).ルーペ,実体顕微鏡などによる土器表面の鉱物観察,土器薄片の偏光顕微鏡による鉱物や微化石の観察,蛍光X線分析XRF,中性子線分析などによる土器の化学組成の検討である.化学組成の検討は数多く行われてきたが,薄片観察は,須恵器のように1000℃以上の高温で焼成するとされている土器中の鉱物は熱で変質していて同定が難しいとされ,薄片による鉱物観察から胎土を推定した例は少ない.  筆者は,前年の本大会において京都府福知山市夜久野町末地区で表採された,京都府立大学考古学研究室と福知山市文化財保護係が保管する須恵器片のうち「焼きが甘い」と判断される試料の岩石薄片の鉱物観察結果と,末地区周辺の地質分布と比較をして,胎土を推定する方法を試みたことを報告した.その後,試料の数を増やして顕微鏡観察を進めた結果,胎土中にケイソウ遺体が見られることなど,胎土の推定に新たな展開があったので昨年の続報として報告する.

    須恵器窯跡の地質

    末地区には夜久野オフィオライトのメンバーであるはんれい岩が分布し,地表下数m以上の深さまで風化が進みマサ土状になっている.その中には斜長石,直方輝石,普通角閃石,粘土鉱物が確認できる.一部の窯跡は,三畳系夜久野層群の砂岩・頁岩の分布域にある(石渡・市山2009).

    須恵器片中の鉱物 

    上記の2地域に産する須恵器片の薄片を偏光顕微鏡下で観察した.ほとんどの試料からケイソウ遺体を含む粘土片が観察された.また土の調整のために粘土に混入されたと考えられる0.3㎜以上の砂サイズ(清水1992)の石英粒子も多くの試料に見られた.

    胎土の推定

     前年の報告では,各試料には,それぞれの窯の所在地の地質に対応した鉱物が観察できたことから,窯所在地で採取した土を胎土とした可能性が高い,と報告した.しかし,試料を増やして検討して検討した結果,胎土の粒度を調整するために,牧川はんらん原の堆積物と考えられる粘土や砂が混入されている可能性が高いことが判明した.縄文・弥生土器,土師器などでは胎土の粒度を調整したことが明らかにされている(清水1992)が,須恵器においてもそれが明らかになってきた. 今後さらに試料数を増やして,須恵器作成の実態を明らかにしていきたい.

    文献 ・石田智子(2015)鹿児島考古第45号,3-13, ・石田智子(2022)科学分析はじめてガイド.22-25.・石渡 明・市山祐司(2005)夜久野町史第1巻,159-180. ・清水芳裕(1992)京都大学構内遺跡調査研究年報1988年度,59-77.

  • 西本 昌司, 乾 睦子, 中澤 努, 平賀 あまな, 山下 浩之
    セッションID: T3-O-17
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/03/27
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    日本の近代建築物には多くの国産石材が使われてきた.これらの石材を地質学的な観点より記載し,科学的な価値を提示しておくことは,文化財価値の向上やジオパークにおける活用などの点から意義深い.石材がいつどこで採掘され,どのように流通していたのかといった歴史学的研究を進めていくためには,まず岩石学的な情報を得る必要があるが,建築物保存のために石材であっても非破壊分析しか許されない.このため,石材の同定についても文献調査に頼らざるを得ないことが多いが,建築物によっては文献記録が残されていないことも多く,記録があっても肉眼による同定結果と一致しないことがある.文献と肉眼鑑定だけに頼らない科学的な石材の同定が可能となれば,近代史のみならず,近世以前の石材調査への応用も期待される.そこで,ハンドヘルド蛍光X線分析装置(XRF)を用いることにより,建築物に使われている石材を破壊することなく科学的に産地を推定することができないか,その方法を模索している.手始めとして,「黒御影」と呼ばれる斑レイ岩質の国産石材3種について分析を行なったので報告したい.

     まず,産地が明らかである石材試料として,近代建築物の石材工事を多く手掛けた矢橋大理石株式会社(岐阜県大垣市)に保管されていた国産黒御影「勿来」,「浮金」,「松葉」の原石を切断・研磨したものを用いた.「勿来」は,同社内資料で現在の福島県いわき市勿来町産とされており,正確な採掘地点までは不明であるものの,同地域に分布する田人岩体の東側にある斑レイ岩の小岩体(田中ほか, 1987; 渡辺・佐藤,1935)だと考えられる.「浮金」は,同社内資料で福島県小野町産とされており,同町の黒石山で現在も採掘が行われているが(久保, 1991),当時の正確な産地ははっきりしない.「松葉」は,同社内資料で現在の山口県萩市須佐町高山産とされており,正確な採掘地点までは不明であるものの,同地域に分布する「高山斑レイ岩」(西村ほか2012, 北風・小松, 2015)と考えられ,「須佐石」とも呼ばれているらしい.特に「勿来」と「浮金」は見かけが似ており,本研磨していても慣れていないと区別が難しい.これら3つの石材について,全岩化学組成を測定するとともに,ハンドヘルド蛍光X線分析装置により複数箇所の分析を行ない,3石材を区別する指標を検討した.さらに,従来のXRFによる蛍光X線分析装置による分析も行い,本手法による精度についても確認した.

     その結果,黒曜石の石器の産地同定で用いられる指標(MnO/Fe2O3, Rb/(Rb+Sr+Y+Zr)を適用した場合,3石材のプロットが概ね分離できることがわかった.また,バナジウムも比較的多く含まれていることから,斑レイ岩においては活用できるかもしれない.こうした指標を花崗岩質岩石まで含めた「御影石」全般まで適用可能かは不明だが,肉眼鑑定と合わせて,ハンドヘルド蛍光X線分析装置を用いることにより,産地不明の石材同定に活用できる可能性がある.

    参考文献

    北風 嵐・小松隆一(2015) 萩市高山斑れい岩中の含バナジウム磁鉄鉱について. 資源地質 65, 29-32.

    久保和也(1991) 阿武隈山地の白みかげと黒みかげ. 地質ニュース 441, 28-33.

    西村祐二郎ほか(2012) 山口県地質図第3版及び同説明書. 山口地学会.

    田中久雄・吉田武義・青木謙一郎(1987) 阿武隈山地,田人岩体の地球化学的研究. 東北大学原子核理学研究施設研究報告 20, 85-98.

    渡辺久吉・佐藤源郎(1935) 7万5千分の1地質図幅「勿来」及び説明書. 地質調査所.

  • 田宮 良一
    セッションID: T3-O-18
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/03/27
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    1.はじめに

    今も隆起を続ける奥羽山脈を代表する景観はなんといっても活火山といえる.ところが,基盤を構成する新第三系は,景観形成への寄与は軽微である.そのなかで,東北日本弧が隆起ステージに転じた後期中新世に生じたカルデラを伴う爆発的珪長質噴火活動は,厚層の火砕流堆積物を供給し,景観形成に重要な役割を演じている.珪長質火砕流堆積物(表題では凝灰岩)は,次の特徴を備えている.①軽石に富み軟質・軽量.細工が容易.②大小角礫岩片を含み淘汰不良で堅固.③新第三系の最上位に位置し,埋没変質を受けず新鮮.④分布範囲は噴火区毎に孤立,多くの場合山麓帯を占め,脊梁から直線的に下る小河川が横断しやすい.⑤噴出物には可溶性で雲形浸食地形の素因となる硫酸ナトリウムを含有.以上により,岩質的には共通しながら,分布地毎の地史と環境を反映し,個性ある景観を創造し,地域の観光拠点となっている.ユニットが厚い場合は石材に利用され,奇怪な形態の岩峰は神仏の仕業として崇拝されてきた.

    2. 景観を主とした分布地の特徴(田宮, 2023) 

    ・仏ヶ浦;青森県下北郡佐井村地内の下北半島西岸,溶結凝灰岩からなる尖塔状露岩が多数屹立,恐山の奥の院とされている.下北国定公園,国指定名勝・天然記念物(古名,仏(ほとけ)宇多(うた)として指定),下北ジオパークのジオサイト,「日本の地質百景」のひとつ.

    ・小安峡;秋田県湯沢市小安温泉,段丘面を下刻した皆瀬川の廊下状渓谷,成層した凝灰岩が分布,院内石として石材に利用された塊状火山礫凝灰岩の上部層準に当たる湖成堆積物.河岸基底付近の亀裂から大噴湯と称する温度100℃近い熱水が自噴する(寒い季節が圧巻).河床に遊歩道が設置.栗駒国定公園,ゆざわジオパークのジオサイト.

    ・厳美渓;岩手県一関市,岩石段丘を磐井川が下方浸食した廊下状渓谷,溶結凝灰岩からなり,河床に甌穴の発達顕著.国指定名勝・天然記念物.

    ・鳴子峡;宮城県大崎市,大谷川が下刻した渓谷,河床は比較的広い.塊状(火山礫凝灰岩)と成層(凝灰岩)ユニットの繰り返し,河岸には落葉高木が茂り,塊状相が露岩として屹立する.古来より紅葉の名所として知られ,上流(西側)の中山平温泉と下流の鳴子温泉間の河床に遊歩道が整備されているが,東日本大震災により落石の危険性があり立ち入りが制限されている.露岩には小規模な雲形浸食が認められる.栗駒国定公園.

    ・磊々峡;仙台市太白区秋保温泉,岩石段丘面を名取川が下刻した溝のように狭い廊下状渓谷,秋保石として採取された塊状凝灰角礫岩~火山礫凝灰岩が分布、ほぼ全面露頭であるが,垂直の節理により分断,目立つ岩体は,奇面岩,時雨岩などと名付けられているが,仏教系名称は皆無.漱石の門下生,小宮豊隆の命名.河岸に沿って遊歩道が整備.

    ・大森山摩崖仏;山形県東根市乱川扇状地に位置する離れ山,大森山南西麓に露出する火山礫凝灰岩に刻んだ摩崖仏,隣接して石切場跡も残存.デイサイト溶岩が存在.

    ・山寺;山形市山寺地内,山寺は通称,正式には宝珠山立石寺と称し,慈覚大師となった円仁が開祖と伝える天台宗の古刹,芭蕉の名句で著名.境内には模式的雲形浸食地形が顕著に発達した火砕岩が分布.雲形浸食は立石寺境内以外,広範に発達.石材産地(山寺石).参道が観察路となる.蔵王国定公園,国指定名勝・史跡,デイサイト凝灰岩として山形県の石に指定.

    ・一年(いちねん)峰(ぼう);山形県米沢市と高畠町にまたがる奥羽山脈西縁の丘陵,級化構造が発達した火山礫凝灰岩~凝灰岩,全山に箱型露岩が点在,円仁伝承を有する.

    ・塔の岪(へつり)(現在はかな表記);福島県南会津郡下郷町,大川(阿賀野川の上流)右岸の攻撃面に形成された級化互層が発達する火山礫凝灰岩・凝灰岩の断崖,垂直的節理で分断された塔型の露岩が連続,段丘面レベルの長狭な浸食面に沿って遊歩道が設定されているが現在は通行不可.国指定天然記念物,大川羽鳥県立自然公園.

    引用文献

    田宮良一(2023)奥羽山脈の凝灰岩の景観.地質と文化,Vol.6,No.1,46.

  • 伴 敦志
    セッションID: T3-O-19
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/03/27
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    那須と塩原は、日光と並んで栃木県を代表する景勝地であり、毎年多くの人々が訪れている。那須は、御用邸があることでも知られ、皇室の方々も度々訪問されている。そして、塩原にも大正天皇の御用邸があった。ここには文筆家や画家など芸術家たちも多く訪れて、文学や絵画などたくさんの作品を執筆・制作している。今回は、特に絵画作品に焦点を当てて那須と塩原の風景の何が芸術家達の心を魅了したのかについて考察する。

     那須には、谷文晁(1763-1841)の「日本名山図会」に『那須山』として取り上げられた那須火山群がある。文晁は、南東方向に緩やかな裾野を引く南月山と侵食著しい朝日岳を左右に置き、中央にドーム状の高まりをもった茶臼岳を描いている。中野和高(1896-1965)の『那須』や灰野文一郎(1901-1977)の『那須の山』、小野政吉(1910-2004)の『錦秋の那須』や『早春の那須』などは、茶臼岳の南東斜面に見られる度重なる火山活動で流出した安山岩溶岩による、厚みと圧倒的なボリュームのある特徴的な溶岩末端崖を質感豊かに表現している。この地形は、文晁の『那須山』でもダイナミックな曲線を使って表現されており、那須の代表的な風景の一つである。活動的な火山である茶臼岳は、山体の南西側の山腹から現在も盛んに噴気が見られ、松本哲男(1943-2012)の『壮』や杉山寒月(1943- )の『初雪の朝』は、その風景に魅了された作品である。山腹から噴き上がる噴気は、山の斜面を這うように立ち上り、山体を覆うように上昇してやがて霧散していく。その始まりから終わりまでを間近に見ることができるのも那須ならではである。田村一男(1904-1997)の『なすのやま』は、一風変わった趣のある風景を描いている。茶臼岳は、山頂部が1408-1410噴火の溶岩ドームで形成されている。そのため、山頂付近では地下からの熱が伝わり、現在でも地表面の温度は周囲よりも高い傾向がある。そのため、雪解けも山頂部のドーム付近が山麓斜面よりも若干早い。その特徴を捉えたこの作品では、溶岩ドームの部分に積雪が無い状態で描かれている。

     塩原は、文晁によって『塩原山』が描かれている。しかし、現在塩原山と呼ばれる山が存在しないため、どの山を描いたかは推測の域を出ないので、ここでは論じる対象としない。絵画作品ではないが志賀重昂(1863-1927)が著した「日本風景論」では、塩原の材木岩が取り上げられている。挿絵を担当したのは海老名明四(生没年不詳)で、中新統を貫く安山岩質の岩石(ヒン岩)による見事な柱状節理が描かれている。同書では柱状節理の風景として玄武洞と並び紹介されているのも特筆すべきことである。また、二世 五姓田芳柳(1864-1943)は、塩原温泉に向かう街道沿いの懸崖に穿たれた隧道と、その崖下を流れる箒川の渓流を描いた。川瀬巴水(1883-1957)は、『塩原おかね路』で、新道工事で露出した中新統福渡層の凝灰岩による鮮やかな明灰色の連続露頭を描いており、作品のアクセントとなっている。また『しほ原 雄飛の滝』では、塩原の南に位置する高原火山溶岩の板状節理を侵食して落水する様子を散りゆくモミジと「スッカンブルー」と呼ばれる独特の色合いを呈するスッカン沢の流れとともに表している。大森義夫(1900-1978)は『塩原福渡の夏』で、中新統福渡層の凝灰岩を侵食して流れる箒川と、風化の具合で微妙に色調を変える岩肌の風景に惹かれた絵を描いている。岩肌の独特の色合いは河岸だけに留まらず、大雨の後の川底にも見ることができ、現在でも多くの人々の目を惹いている。また、大森は『塩ノ湯の秋』では、鹿股沢層の砂質凝灰岩の規則正しい割れ目を伴った風化構造を侵食して流れる渓流を岸辺の紅葉とともに描いている。灰野文一郎は『奥塩原』で狭隘な谷底に箒川によって形成された小規模な河岸段丘と段丘崖に見られる更新統塩原湖成層の露頭を描いている。

     那須は火山地形ゆえ、数キロメートルの距離から山体を描いた作品が多い。一方、塩原は箒川による侵食を受けた地形ゆえ、それらを背景に数十メートルの距離から描いた作品が多い。那須は凸地形、塩原は凹地形が特徴となって、今も多くの人々の興味を惹き、目を楽しませ魅了し続けている。

    引用文献

    志賀重昂(1894)日本風景論,政教社,219p.

    那須塩原市那須野が原博物館編(2023) 特別展 那須塩原風景画譚,同博物館発行,80p.

    山元孝広・伴雅雄(1997)那須火山地質図,地質調査所,8p.

  • 早坂 竜児, 門田 寛, 新開 美穂, 熊本県 文化企画・世界遺産推進課, Kumamoto Prefectural Government
    セッションID: T3-O-20
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/03/27
    会議録・要旨集 フリー

    本年4月30日,熊本県は阿蘇の世界文化遺産登録へ向け国に提案書の改訂版を「阿蘇の文化的景観―カルデラ火山に展開した農業パノラマ」として提出した.“景観”は感覚的にとらえやすく,①環境の総合指標,②一目瞭然,③誰もが議論に参加できる,④背景からさらに奥深い理解が可能,とされる(西村,2013)一方,主観的で,客観的な評価指標を設定し判断することが難しい.環境影響評価では既に価値化された視点で事業を前提とした影響の程度が議論されるが,計画段階の“地域の在り方”を決定する手続きでは,地域或いは地点そのものの景観の価値判断が出来る客観的な手法が望まれる.

    既往事例に塩田ほか(1967)が挙げられる.これは,特定の視点場と視対象を設定したアプローチではなく,対象地域全体を1kmメッシュに分割し,景観に係る属性情報を手入力し解析している.今日の技術では,これをコンピューター上でGISを用いてより精細な解析を行うことが出来る.

    「阿蘇」の価値(OUV;顕著な普遍的価値)は“世界最大級の規模と明瞭な円形陥没地形を備える迫力ある景観の火山カルデラのもとで,その地形条件を有効に利用しながら草地に特徴のある伝統的農業を維持し高い生産性をあげてきた人々の努力が作り上げた文化的景観”と定義されている.これを踏まえ,GISで取り扱いしやすい大景観スケールを対象に,OUVの基盤である「火山地形」と,人の生業・生活と自然との関与で形成されたものとして「土地利用(土地被覆)」を取り扱った.

    謝辞:阿蘇世界文化遺産学術委員会 保存管理専門部会の西山委員・麻生委員・高橋委員・大森委員には終始懇切なご指導を頂いた。東京農業大学荒井教授には既往事例をご紹介いただきご助言を頂いた。

    1.“優れた視点場”(=可視領域の広さ)の抽出と,具体的な視点場の評価

    方法:阿蘇7市町村を含む範囲に8分の1地域メッシュ(6次メッシュ:約125m)を生成し,各メッシュの中心点を各視点場(126,688点)として設定して可視領域を計算した.抽出に用いたデータは国土地理院10mメッシュ標高である.

    結果:可視領域の広いメッシュ上位10%を示すと,概ね標高が高い尾根部または斜面に集中する.これにOUVを説明するために別途設定された視点場17地点を重ねるとほぼ一致し,視点場選定の妥当性を裏付けた.またこれら視点場17地点からの可視領域を合成すると,阿蘇市北西部・高森町・西原村等に視認できないエリアがある他は概ね全域が網羅されている.

    2.OUVを説明するための17視点場(及び各景観区分)の景観特性分析

    方法:「火山地形」と「土地利用(土地被覆)」について,各視点場の可視領域の中で占める面積を集計した.「火山地形」は産総研シームレス地質図を基に,外輪山の内側は「中央火口丘」と「カルデラ床」・「カルデラ壁」に区分し,カルデラの外側は一括して「外輪山上」として整理した.「土地利用(土地被覆)」は環境省現存植生図等を基に「草原」・「森林」・「集落」・「農地」等に整理した.さらに,距離及び対象物の大きさによる効果を考慮し,視認されやすさ/にくさを補正した.

    結果:視点場ごとに可視領域に含まれる各要素の量(面積)を集計すると,視点場の位置する地域の景観特性をよく反映した分析結果となった.例えば「大観峰」では比較的広くかつ均等に見える傾向があり,「押戸石の丘」では可視領域は比較的大きいが視認可能な景観構成要素は限定的であることなどである.

    3.意義

    可視領域内の景観構成要素の分析を行うことで,各視点場及び地域の景観特性を客観的に定義できる可能性を得た.今後遺産影響評価を試行していくにあたり,“ベースライン”の科学的理解に繋がるもので,UNESCO(2022)が提示するガイダンスに則った遺産影響評価での活用が期待される.

    4.文献

    西村幸夫,2013,景観まちづくり建築専門家育成のための景観まちづくり講座(講義)テキスト,一般社団法人住まい・まちづくり担い手支援機構,8-11.塩田敏志ほか,1967,造園研究資料6612,新造園家集団,72p.UNESCO,2022(文化庁仮訳,2023),世界遺産の文脈における影響評価のためのガイダンス及びツールキット.87p.

  • 荒木 志伸
    セッションID: T3-O-21
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/03/27
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    立石寺は貞観2年(860)慈覚大師円仁による開山とされる古刹で、江戸時代には庶民信仰の霊場として繁栄した。しかし、山内に残された文化財に関する考古学的研究は僅かで、モノ資料からみた霊場の検討は進んでいない。こうしたなか、2009 年に開催された日本考古学協会山形大会は画期的な機会であった。しかし、立石寺に残る石造文化財は1000基を超えることもあり、その後も本格的な調査の機会はなかった。

    発表者は、立石寺山内に分布する近世期の石造文化財・約1200基の悉皆調査を2005年から進めてきた。その紀年銘と形式の検討から、磨崖供養碑〈崖面に直接刻むもの:256基〉は近世初期~中頃、石塔類〈墓石や供養塔:844基〉は近世中頃~末頃,石燈籠〈113 基〉は近世後期以降という変遷過程を明らかにした(荒木2012)。銘文については戒名、供養願文、地名、施主名の分析も進め『おくの細道』の記述や『山寺状』等の 周辺資料も含めて総合的に解釈した。その結果、立石寺は大永年間に一山焼失したのち近世中頃までは山形盆地周辺の人々が深く関与しつつ復興を遂げた、地域密着型の霊場としての様相がみえてきた。

    東北地方の他霊場の石造文化財との比較検討もすすめている。特に松島(瑞巌寺・雄島)について、磨崖供養碑の形式についての異なる傾向や、銘文内容にみえる建立者の性格についても検討した(荒木, 2023a)。さらに立石寺の磨崖供養碑はその復興期の年代に該当するものであるが、建立者に関する階層や地域などについても検証している(荒木, 2023b)。近年立石寺奥の院で発見された木札といったモノ資料も含めた総合的検討により、霊場・立石寺をささえた人々の具体的様相が明らかになりつつある(荒木, 2024)。

    【引用文献】

    ・荒木志伸(2012)立石寺の霊場変遷と景観. 考古学雑誌、 第96巻第4号,、11-31頁

    ・荒木志伸(2023a)石造文化財からみた霊場・松島 -立石寺との比較検討-、山形大学歴史・地理・人類学論集24号、 16-32頁

    ・.荒木志伸(2023b)立石寺弥陀洞の磨崖供養碑-供養碑建立者に関する検討-、村山民俗37号, 1-10頁

    ・荒木志伸(2024)立石寺奥の院から発見された木札資料、 村山民俗38号、57-60頁

  • 鈴木 寿志
    セッションID: T3-O-22
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/03/27
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    科学研究費助成事業・基盤研究B「変動帯の文化地質学」(課題番号 17H02008)が,平成29年度(2017年度)〜平成32年度(令和2・2020年度;令和4年度まで延長)に実施された。この科研費研究の成果ならびにそれ以外の成果も加えた書籍『変動帯の文化地質学』が京都大学学術出版会から出版された。この出版に際しては,科学研究費助成事業・学術成果公開促進費(学術図書)(課題番号 23HP5183)の助成を受けた。この本では,総勢29名の執筆者が5部31章,557ページを担当し,地質学に加えて歴史学・仏教学・造園学・文学・教育学・地理学などに関する,極めて学際性の高い論考を展開した。本講演では科研費研究ならびにこの書籍での執筆内容に基づき,変動帯の文化特性を安定大陸と比較しながら明らかにしていきたい。

     日本列島は現在変動帯に位置しているが,ペルム紀以降の付加体が年代的にほぼ途切れることなく分布することを鑑みると,常に変動帯であったとみることができる。変動帯,すなわちプレート収束域には付加体が形成され,遠洋性の堆積物と陸原・浅海の堆積物が混在することとなる。チャート,石灰岩,緑色岩,粘土岩,泥岩,砂岩,礫岩といった岩石が狭い範囲に出現する。付加体の一部は地下深部に達し,低温高圧型変成岩へと変化した。海洋プレートの沈み込みは,マントル上部に水分を供給しマグマを発生させた。マグマは地下深部ではゆっくりと固結し花崗岩底盤をなし,日本列島に広く分布するようになった。花崗岩マグマ周辺の岩石は高温低圧型変成作用を被った。一方で地表へ達したマグマは火山として噴火し,熔岩,火山砕屑岩を生み出した。マグマの熱は浅海堆積層の続成作用を進め,硬い堆積岩を形成した。このようにみると,狭い日本の国土にあらゆる種類の岩石が分布することがわかる。

     これを大陸の卓状地と比較してみよう。なだらかな平原からなる大陸卓状地では,ほぼ水平な地層が重なり合っている。丘陵地では複数の層準が観察されるが,平地表層は基本的に同じ層準の地層が続く事になる。先カンブリア時代の岩石が分布する剛塊においても,緑色岩や花崗岩・片麻岩といった岩石が広範囲に分布しており,多様性に乏しい。

     このように比較すると,日本列島は変動帯ゆえに地質多様性が極めて高い大地を構成し,一方の安定大陸では単一の岩相が地域の大地をなすことがわかる。

     『風土 人間学的考察』を著した哲学者の和辻哲郎は,世界の風土を気候特性から3つに分類した。東・南アジアの「モンスーン」,アラビアの「沙漠」,ヨーロッパの「牧場」である。和辻によれば,日本列島を含む「モンスーン」の風土では,大雨・暴風・洪水・旱魃といった自然の暴威が,人間の対抗できない大きな力となって降り注ぎ,受容的・忍従的精神文化を生み出したという。一方でヨーロッパの「牧場」の風土は変化が少なく従順であり,理解しやすい自然から科学の法則が発見されたとする。 この和辻の考察では,もちろん地質は出てこないが,改めて地質分布について考えてみると,同じようなことが言えるのではないだろうか。すなわち,日本列島のような「変動帯」においては,地質の多様性が高く,狭い範囲にあらゆる種類の岩石が分布する。一方でヨーロッパの「安定大陸」においては,地層の積み重なりが単純明解で,地球の歴史を編年する層序学が発達し,地質学の基礎を生み出した。地質多様性の高い日本列島では,大きな石材が採掘できないという現状を受容しつつ,土石流が運んだ花崗岩岩塊や新成系凝灰岩層を石材として選択的に用いるなど,巧みに石質を見分けて石材を利用した(先山,2016;高橋・赤司,2022)。日本における多種多様な岩石の存在は,自然のあらゆるものに精霊が宿るアニミズム的岩石信仰の源となったであろう。火山岩が生み出した独特な地形は,山寺の雲型浸食のように,また国東半島の山岳霊場のように,俳句の題材となり,修験道の霊場となった。

     一方で石造建築物が多いヨーロッパの街では,採石される石材の多様性が低く単一的であることから,岩石の色が街の景色を統一的に彩り,均整のとれた街並みを生み出した。たとえば,ドイツ中部の都市ハイデルベルクでは,三畳系下部統の赤色砂岩の石材で城が作られており,重厚な雰囲気を醸し出している。またドイツ南部のホーエンツォーレルン城はジュラ系上部統のWeißjuraの丘の上に建てられており,白い石灰岩の石材で統一されている。ヨーロッパの街並みの美は,安定大陸の地質の単一性に起因するとみられる。

    引用文献 先山 徹(2016):兵庫県南部六甲山地の花崗岩と災害文化。号外地球,66号,30–39。高橋直樹・赤司卓也(2022):北関東地方における石材の採石・利用状況。地球惑星科学連合大会2022年大会,MZZ52-P04。

  • 重野 聖之, 石井 正之, 七山 太
    セッションID: T3-P-1
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/03/27
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    神奈川県,湘南海岸屈指の景勝地である江の島は,周囲約5 km,⾯積約0.38 km2の相模湾に浮かぶ瓢箪のような形をした孤島である.この島は,境川(⽚瀬川)河⼝から伸びる砂州によってビーチと島がつながることから,地形学的には陸繋島とも呼ばれている.また,江の島は険しい岩石海岸を有していることでも知られている.歴史を遡ってみると,特に島の南西部に位置する岩屋洞窟は,弘法大師や日蓮上人に代表される行者の修験場としての江の島を象徴する存在であった.

    江の島の立地する湘南海岸地域は,北米プレートに帰属する東北日本弧に対し,伊豆―小笠原弧を載せたフィリピン海プレートが沈み込む海溝である相模トラフに面しており,さらにフィリピン海プレートに生じた伊豆―小笠原弧が衝突することによって,現在も丹沢山地が隆起し続けている.そのため江の島では,歴史時代の直接の地震隆起の証拠となる離水した波食棚(低位段丘)や約8 〜10万年前に離水した海成段丘面(高位段丘)等の変動帯特有の地形が観察できる.一方,中期中新世に相模トラフを埋積し,その後東北日本弧側に付加して生じた変動帯特有の地層が,この島の基盤を成している.

    本発表では,湘南海岸屈指の観光地である江の島の地形・地質の⾒どころを周遊するジオ散歩ルートを紹介する.特に,相模トラフに直接⾯したこの島では,変動地帯特有の地形や地質を,公共交通機関を使ってどちらからでも簡単にアクセスすることができることから,江の島観光にあわせて,この島の成り⽴ちについて少しだけ関⼼をもっていただければと考えている.なお,江の島ジオ散歩ルートについての詳細はGSJ 地質ニュース(七山ほか、2024)を参照されたい.

    江の島ジオ散歩は,江の島弁天橋南詰に⽴地する江の島観光案内所前が出発点となり,前半と後半の2つのルートに分けられる.前半のルートでは,江の島観光案内所前から島の東側を巡り,江の島観光案内所前に戻る.後半のルートでは,江の島観光案内所前から江の島観光のメインルートである財弁天仲⾒世通りから岩屋洞窟までを巡る.あわせて概ね2〜3時間ほどの⾏程となる.各ルートの主要な観察ポイントは以下のとおりとなる.

    前半ルートは1703年元禄関東地震によって地盤が隆起し,半島状になったと⾔われている聖天島公園付近,昔の波⾷棚が,地震隆起して⽣じた波食棚(岩屋面)と付加体である葉山層群が観察出来る江の島南東岸-釜ノ⼝付近,岩屋面よりも少し古い波食棚である猟師町付近を巡る.

    後半ルートは,財弁天仲⾒世通り付近,江の島の頂部の⽐較的平らな海成段丘⾯(小原台面),箱根⽕⼭,丹沢⼭地や伊⾖半島の⼭並み,陸繋砂州(トンボロ)が展望できる展望灯台シーキャンドル,関東ローム層が露出する⼭⼆つ展望台付近,岩屋面や葉山層群が観察出来る稚児ヶ淵付近,最後に岩屋洞窟を巡る.

    なお,江島神社には,平安時代中期にそれまでの伝承を書き残こしたとされる江ノ島縁起という絵巻物があり,江島神社に纏わる五頭⻯と弁天様が登場する江の島誕⽣の物語として広く世に知られている.その⼀節に,「欽明天皇13年(⻄暦552年)4⽉13⽇真っ⿊い雲が天空を覆い,深い繋が⽴ち込め,⼤地震が10⽇も続いた後,雲の上から弁天様が従えた四天王や⾵神雷神が空から⽯を降らせ,海からは真っ⾚な⽕柱とともに岩が噴き出して江の島は誕⽣した」という記述がある.地質学的に⾒て,この伝承の⽰す⾃然現象とは,具体的にはどのような成因によるものなのか,現地でご一考頂くことをお薦めしたい.

    引用文献:七山ほか2024,GSJ 地質ニュース Vol. 13 No. 5

  • 先山 徹
    セッションID: T3-P-2
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/03/27
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    「君が代」の歌詞にある「さざれ石のいわおとなりて」という文言の解釈には,大きく見て小石が集合して礫岩となったとするもの(“さざれ石”タイプ)と,小石が年月とともに大きくなったとするもの(“たもと石”タイプ)がある.この発表では,“さざれ石”と呼ばれる岩石の扱いがどのように変化してきたかを述べ,“たもと石”との比較を行い,それらの文化地質学的意味を考察する.

    1.石灰質角礫岩“さざれ石”の登場 

     各地の比較的大きな神社へ行くと,“さざれ石”と称する岩石が奉納されていることがある.それらを現地で確認したほか,神社の公式ウェブサイトなどで紹介された岩石の写真や看板の文章から,その由来等を確認した.“さざれ石”とされているものの多くは岐阜県揖斐川町で産した石灰質角礫岩である.これはジュラ紀付加体に伴う石灰岩からなる伊吹山東麓に分布する崖錐堆積物で,石灰岩礫が石灰質な溶液によって固結したものである.ここには地域の伝承があり,揖斐川町春日に住む木地師がこの岩石を見つけ,詠ったのが君が代のもとになったとされている(春日振興事務所・日本さざれ石の会事務局によるパンフレット).そしてこの伝承をもとに,1962年以降全国各地の神社などに“さざれ石”として寄贈されたことによって,この岩石が全国に知られるようになった.ただしこの伝承については異論もあり(鈴木,2003;鴨井,2024),不明な点が多い.

    2.“さざれ石”の変遷

     各地の“さざれ石”の岩石と寄贈年月を見ると,当初は揖斐川町産の石灰質角礫岩のみであったものが,2002年以降他地域の異なる岩石が加わり,現在では筆者が確認した96例のうち,32例が石灰質角礫岩以外の岩石となっている.次に設置されている看板の説明文を見ると,当初の物には必ず岩石の成り立ちが書かれているが,1980年代以降になると説明のないものが増え,2006年以降には明らかに誤った文章が見られる.確認された誤りは18例にのぼり,特に多いのは明らかに石灰岩質ではない他地域の礫岩に対して,揖斐川町産石灰質角礫岩での説明をそのまま当てはめているものであった.一方,「国民の団結を願って詠まれた」など,伝承には無かった作者の意図が書かれたもの(17例)や,霊力や御利益があるとしたもの(11例)が設置年に応じて増加する傾向がある(図1).伝承から出発した提唱者の意図が年代を追って変化しているように見える.

    3.“たもと石”

     日本三古泉にもあげられている兵庫県神戸市の有馬温泉に“たもと石”と名付けられた巨岩がある.この巨岩はかつての土石流で運ばれてきた岩石の一つであると考えられるが,そこには湯泉神社の女神に向かって矢を射ようとした城主に対して,女神が着物の袂からとりだして投げた小石が時とともに大きくなったという伝説が残されている.このように時とともに大きくなる石の伝説は袂石や礫石など様々な名前で呼ばれ,全国各地に存在する.柳田(1977)は各地の袂石に触れ,多くの人が石は成長するものだと思っていたことを述べ、その例として「さざれ石が巌となる」ことをあげている.

    4.結論 

     いわゆる“さざれ石”を礫岩として見ることは,地球科学的に見て可能かもしれない.しかしその元となるのはあくまでも伝承である.また当時の人たちが礫岩をどう捉えていたかについての検証はない.このような伝承を事実として捉え,礫岩の形成という現在の知識をそのまま当てはめたことが,後の誤りにつながっているように見える.一方岩石が大きくなるという現象は,科学的にはあり得ないことである.しかし土石流などである日突然目の前に現れた巨岩の存在は,“たもと石”のような小石がいつの間にか大きくなる伝承を生み出した可能性がある。科学的にあり得ないものをあり得ないとした上で、その背景として客観的に組み立てられた民俗学的あるいは地質学的解釈には説得力がある.

    文献 

    鴨井幸彦(2024)「君が代」の一節「さざれ石の 巌となりて」の地質学的解釈について,地学教育と化学運動,90,71-74.

    春日振興事務所・日本さざれ石の会事務局:chrome-extension://efaidnbmnnnibpcajpcglclefindmkaj/https://www.town.ibigawa.lg.jp/kankoujyouhou/cmsfiles/contents/0000006/6085/Sazareishi.pdf(2024年6月閲覧). 

    鈴木博之(2003)「さざれ石」の由来と地質学的考察.地球科学,57,243-252. 

    柳田国男(1977)日本の伝説.新潮文庫,185p.

  • 小倉 徹也, 川端 清司, 佐藤 隆春, 前川 匠
    セッションID: T3-P-3
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/03/27
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    ■はじめに

     大阪市域における埋蔵文化財発掘調査で検出した石材を伴う遺構のうち,特別史跡大坂城跡で1984年に発見され,2013~2020年に再発掘した豊臣期大坂城詰ノ丸の石材を同定し、産地推定した結果(川端清司ほか,2024)について発表する.

     特別史跡大坂城跡では観光魅力向上を目的として「特別史跡大坂城跡保存管理計画」を進める中で,1984年に発見され埋め戻されていた豊臣期大坂城詰ノ丸の石垣(藤井重夫,1989)を再発掘して常時公開することになった.この発掘調査によって検出した石垣石材1132(東面:632,南面:500)個体を同定した(図1).なお,今回観察した大半の石材は観察可能な石材表面が大坂夏ノ陣の火災の熱を受けたことによって著しく熱風化が進んでおり,石材の中には判定が不可能なものも見られ,同定を難しくした.

    ■調査方法

     石垣は野面積で,使用された石材は大小様々,その種類も多様であった.同定は現地でルーペによる肉眼観察により行った。花こう岩については粒度、鉱物組成を記載し,特にカリ長石の色調を中心に分類と産地推定に努めた。

     花こう岩類以外についても可能な限り分類し、産地推定を行った。また,石臼,礎石,石棺等の素材とみられるものや台座の一部,五輪塔の一部とみられる転用されたもの,平瓦・丸瓦,擂鉢・壺なども利用されていた.

    ■まとめ

    ①石垣東面,南面を合わせた石材のおよそ80%が花こう岩類で占められていた.

    ②花こう岩類のうち黒雲母花こう岩を,その長石の特徴から,桃色のカリ長石が目立つ黒雲母花こう岩,カリ長石が褐色の黒雲母花こう岩,カリ長石が黄灰色の黒雲母花こう岩,カリ長石が白色の黒雲母花こう岩,長石が斑状の黒雲母花こう岩,カリ長石が桃色ではない粗粒黒雲母花こう岩に分けて記載した.

    ③桃色のカリ長石が目立つ黒雲母花こう岩は花こう岩類の29%を占めており,この特徴を有する花こう岩類は付近では六甲山地をはじめとした山陽帯に分布し,産出地の候補と考えられる.

    ④花こう岩類以外の石材は東面,南面を合わせて全体の22%ほどであるが,そのうちの11%が斑れい岩であり,近辺では生駒山地が産出地の候補と考えられる.

    ⑤堆積岩類の石材のうち,凝灰岩には竜山石と呼ばれる兵庫県高砂市周辺に分布する有馬層群宝殿層由来を考えられる.溶結凝灰岩では室生火砕流堆積物とみられるものや有馬層群とみられるものが認められた.

    ⑥変成岩類の石材のうち,緑色片岩や泥質片岩,砂質片岩は三波川帯が産出地と考えられるが,庭石などの転用材の可能性も考えられる.マイロナイトが認められ,大阪府南部の和泉山脈北縁が産出地の候補として考えられる.

    ⑦石垣石材の大部分は大坂夏ノ陣による火災の熱を受けて石材表面が著しく熱風化していた.

    ■引用文献

    藤井重夫(1989)石からみた大坂城と城下町,佐久間貴史編 よみがえる中世2 本願寺から天下統一へ 大坂,平凡社,90-101.

    川端清司・佐藤隆春・小倉徹也・前川匠(2024),石垣の石材同定-石垣を構成する石材について-,大坂城跡XXI-豊臣石垣公開施設整備に伴う発掘調査-,大阪市教育委員会・大阪市文化財協会,253-277.

  • 大友 幸子, 田宮 良一
    セッションID: T3-P-4
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/03/27
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    1.はじめに

     萬世大路(ばんせいたいろ)は、山形県米沢市と福島県福島市の間の国道13号線旧道である。初代栗子トンネル(米沢坑口付近で標高874m、延長876m)が竣工し、萬世大路は1981年(明治14年)に開通した。  

     栗子トンネルより西側の萬世大路沿いには中期中新世大沢層(砂岩泥岩互層,軽石質凝灰角礫岩、火山礫凝灰岩,凝灰質砂岩)が分布し,流紋岩溶岩(水冷破砕溶岩)を伴う(山形応用地質研究会,2016,田宮,2023等).初代栗子トンネル西坑口には流紋岩のハイアロクラスタイトが(図1),そのとなりの二代目栗子トンネル坑口には凝灰岩が露出している.また初代栗子トンネルのすぐ20mほど下の大曲には,トンネルの廃石・ズリ置き場が崖錐状に残っており(田宮,2023),いろいろな岩相の流紋岩が採取できる.2022年7月16日山形応用地質研究会現地見学会の下見の際に初代栗子トンネルと大曲で採取した流紋岩の観察結果について述べる.

    2,初代栗子トンネル周辺の流紋岩ハイアロクラスタイト

     初代栗子トンネルの壁や周辺の流紋岩は,表面が白く風化しているが,内部は緑がかった火砕岩のような見かけを呈している.灰色〜淡緑色のガラス質脈や白濁した蛋白石(脈状,塊状)が見られる.切断面で観察すると数cmの流紋岩(R)の岩片とさらに細かい流紋岩片を含む基質(茶色)からなるハイアロクラスタイトで(図2),基質が茶色に見えるのはネットワーク状に水酸化鉄?が染みこんでいるように見える.切断試料の左上には流紋岩の岩片や基質を切るように灰緑色の脈が入っている.偏光顕微鏡で観察すると,灰緑色脈は流紋岩の斑晶に由来する石英破片,ガラスの破片とガラスの基質(暗色部)からなることがわかった.比較的大きなガラス片を含む層と極細粒のガラス質の基質層が肉眼で見える層状構造を作っている.ハイアロクラスタイトの割れ目に,より細かい石英やガラスの破砕物質が集まってできたように見える

    2.大曲の流紋岩

     大曲の位置は,初代栗子トンネルのすぐ20mほど下である.道端には,縞状流紋岩,ガラス質流紋岩,塊状流紋岩(縞部や斑晶が多かったり少なかったり)と,いろいろな岩相の流紋岩転石が見られる(図3). ガラス質流紋岩は初代栗子トンネル前で採取した上記の流紋岩ハイアロクラスタイト中の流紋岩岩片と同様の組織をもち,斑晶は石英,斜長石,黒雲母,直方輝石からなる.石英,斜長石,黒雲母の斑晶の融食部は茶色のガラスで充填されている.石基のガラスにはところどころに球状の割れ目が見られる.また急冷を示す針状のアパタイトも見られる. 縞状流紋岩を現地で採取した時には流理構造を持つ流紋岩であると考えていた.偏光顕微鏡で観察した写真が図4である.どの色の縞もハイアロクラスタイトで,基質に水酸化鉄?が沈殿(結晶?)している部分が濃い色になっている.縞状に平行に連続しており,堆積構造を反映しているかどうかは不明である.

    文献

    田宮良一(2023)歴史の道,萬世大路を巡る地質.山形応用地質,No.43,41-46.

    山形応用地質研究会(2016)10万分の一山形県地質図(10万分の1)説明書.山形大学出版会.61p

T4.大地と人間活動を楽しみながら学ぶジオパーク
  • 天野 一男
    セッションID: T4-O-1
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/03/27
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    ジオパークの基本的な思想は,人間の経済的・文化的活動は,人間の社会を取り巻いている生態的な環境の中で展開されているが,それらはその地域の大地の成り立ち(ジオ)と深く関連しているとまとめられる.この考えに従って,発想の出発点を現在の人間の活動とし,過去の遡るとともに目を未来にもむけて未来の地球を考えるという観点から議論を展開したい.その際,いわゆる“人新世”の概念が大きな助けとなるものと考える.

      “人新世”は,人類が地球の歴史や環境に決定的な影響をおよぼしている特別の地質時代として,オランダの大気化学者のPaul Jozef Crutzenによって提唱された1.その後,国際地球科学連合(IUGS)の下の人新世作業部会(AWG)で検討が重ねられ,2023年7月にカナダのクロフォード湖が人新世のGSSP候補地として発表された.“人新世”のはじまりは1950年とされた.1950年は,人類の社会経済活動が急激に活発化し,それに伴って地球の自然のシステムの変化の速度が大きく加速される年とされた.そして,境界認識のための主マーカーは,核実験に伴う放射性核種(239PUなど)の急増とされた.

     “人新世”が正式の地質時代に認定されるためには,その上位の第四紀層序小委員会(SQS),国際層序委員会(ISC)の投票により60%以上の賛成が必要であり,最終的にはIUGS理事会での最終決定が必要である.2024 年2 月〜3 月初旬にSQSの投票が行われ反対12,賛成4,棄権3 で提案は否決された.否決の理由は,1950 年を起点とする人新世は,人類が地球に与えた影響の歴史としては短じかすぎるなどであった.しかし,その投票に対して不正があったとして,異議申し立てがなされた2が,その後ICSが投票の有効性を調査し,3 月21日付けでAWGの人新世否認投票結果を承認した3.これによって,“人新世”の地質時代否認が確定した.20 年以上にわたって検討されてきた“人新世”の正式地質時代設定は,否決された.

     “人新世”の正式地質年代への認定は否決されたが,ICSの報告書には次のただし書きが付いている.『地質学的時間スケールの正式な単位としては却下されたものの,人新世は地球科学者や環境科学者だけでなく,社会科学者,政治家、経済学者、そして一般の人々にも使われ続けるだろう。人新世は,人類が地球システムに与えた影響を示す,かけがえのない言葉であり続けるだろう。』これは,“人新世”は正式の地質年代尺度ではないが,その基本的な概念は活きているということなる.“人新世”の年代幅は,今年も含めて74年である.この年代幅は,地球科学の門外漢である一般市民にとっても,普通の感覚で認識できる対象である.これは,従来からあった普段の生活と地質学的現象との時間的ギャップを埋めるために“人新世”が良い材料になることをしめしている.地球温暖化といったグローバルな現象をどうジオパークのテーマに取り込み,個々の地域で具体的に扱っていくかもジオパークの今後の課題となろう.日本ジオパークネットワークの企画「地球時間の旅展」で提示されている『未来を作る今の私たち』というフレーズは象徴的である.

    [参考文献]

    1.Crutzen P.J. and Stoermer E.F. (2000) The Anthropocene. Global Change Newsletter, 41, 17 - 18.

    2.https://www.hillheat.com/articles/2024/03/06/scientific-leaders-no-anthropocene-vote-was-a-sham

    3. https://stratigraphy.org/news/152

  • 笠間 友博
    セッションID: T4-O-2
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/03/27
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    地震による海岸隆起は、波食台の隆起で確認される事があるが、本報告は海岸の採石場跡が波食台のように隆起を示す可能性について述べる。1923年大正関東地震では、神奈川県の大磯や三浦半島の海岸が大きく隆起したが、真鶴半島先端の三ツ石でも2mを越える隆起があった(陸地測量部,1930; 神奈川県水産試験場,1924)。真鶴半島は箱根火山真鶴溶岩グループよりなる(長井・高橋, 2008)が、三ツ石や近くの番場浦海岸の岩礁には、この地震で隆起した穿孔貝の穿孔痕が存在する(増田・松島,1969)。千代田・伊藤(2013)は詳細な調査を行い岩相との関係を述べ、緻密な部分には見られないとしている。上記海岸には、赤色酸化された部分があるので、厚い安山岩溶岩上部の多孔質部分と推定され、穿孔可能な軟らかさがあると考えられる。ところで、堀(2024)によると、石材採取方法は歴史的、世界的にクサビ法と溝法の2つのみであるという。箱根の火山岩は圧倒的にクサビ法が多いが、番場浦海岸には珍しい溝法の採石場跡がある(文化サイトに指定)。安山岩にツルハシで掘れる軟らかさがあった事を示しており、穿孔痕の存在と調和的である。著者が注目するのは、この溝法採石場跡の基底面高度である。標高約2mで、周辺の穿孔貝の穿孔痕の高さとほぼ一致し、現海水面より明らかに高い。さらに採石跡の基底部付近(穿孔痕とほぼ同じ標高)には、ヤッコカンザシやカキの殻が付着している。真鶴周辺は、幕府・政府による大規模採石が2回行われている。1回目は江戸城築城期(1606~1636年:真鶴町,1995)で、2回目は幕末の砲台建設期から明治の陸軍丁場期(1888頃~1913年:丹治,2016)である。波食台とは異なり、海水面に対してどこまで採石するか不明な点に、本議論の不確定さが残るが、ヤッコカンザシが基底部付近にあり(採石終了後、大正関東地震前に付着と考えられる)、文献上も石に付着した海藻を肥料として使用する申請書が存在する(陸軍丁場:丹治,2016)事から、慣例的に干潮時の海水面付近まで採石が行われていたと推定される。なお、陸軍丁場期以降も採石は継続されているが、現在は全て終了している。採石場跡基底面の標高に着目し議論を進めると、満潮で水没するもの(標高約0~-1m)と水没しないもの(標高約2m)があり、採石の終了時期が、大正関東地震の前か後かを示す可能性が高い。さらにヤッコカンザシの面から約1m上位(標高約3m)に、風化が進んだ古い採石跡の基底面があるように見える。江戸城築城期とすれば、1703年元禄関東地震等による隆起を示唆する。真鶴の石材に関して江戸時代以降の取引記録は存在するが、具体的な採掘場所の記録は殆どなく、場所の特定には困難が伴う。陸軍丁場でも状況は同じである。本報告の番場浦海岸の採石場跡も、採掘時期に関する記録は未発見である。ところで、陸軍丁場の時代に建設された横須賀市の千代ヶ崎砲台(1895年完成)には、真鶴の石材業、土屋大次郎による砲台礎石納入記録がある(丹治,2016)が、採掘場所の記載はない。国史跡であるため、外観からの推定になるが、注目されるのが階段の石材である(砲台礎石ではないが)。ツルハシの跡があり、溝法で採掘された可能性が高く、2種類ある階段石材の高さ(メートル法で約25cmと約19cm)と番場浦海岸の2種類の採石ピッチは一致する。階段には溝法で採石できるような多孔質でざらざらした石材の方が向いている。このような岩相の岩石がまとまって産するのは、陸軍丁場に指定された早川~川奈の海岸では真鶴のみであることから、ヤッコカンザシ等が付着する採石面は陸軍丁場時代のものと考えられる。

    文献

    千代田厚史・伊藤泰弘, 2013.神奈川県真鶴半島周辺に見られる岩石穿孔性二枚貝類について.日本古生物学会162回停会予稿集.

    堀 賀貴, 2024. ヘレニズム期~ローマ期の採石技術の変遷. 文化遺産世界レポート, webページ, https://www.isan-no-sekai.jp/report/8229

    神奈川県水産試験場, 1924.神奈川県水産震災調査報告.

    真鶴町, 1995.真鶴町史通史編.

    増田孝一郎・松島義彰, 1969.神奈川県真鶴岬産の火山岩に穿孔する二枚貝について.貝雑, 28:101-108.

    陸地測量部, 1930.大正十二年関東震災垂直変動要図.

    長井雅史・高橋正樹, 2008. 箱根火山の地質と形成史. 神奈川県立博物館調査研究報告(自然科学), (13): 25-42.

    丹治雄一, 2016.明治期の箱根火山周辺安山岩の石材利用と土屋大次郎の事業活動.神奈川県立博物館研究報告(人文科学),43:15-30.

  • 松原 典孝, 金山 恭子, 安藤 和也, 藤原 勇樹
    セッションID: T4-O-3
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/03/27
    会議録・要旨集 フリー

    2009年に日本ジオパーク、2010年に世界ジオパークになった山陰海岸ユネスコ世界ジオパーク(以下山陰海岸UGGp)には58のジオサイトがあり、それらの多くに解説看板が立てられている。一般の人々に地球の大切さや諸現象、地域の地球科学的特性とその地域の人や自然の特徴の関係性などを理解してもらいうことが大きな目標になっているジオパークでは、各ジオサイトに設置した看板の内容が十分その機能を果たしているかは重要な検討事項である。また、看板の位置や形状、メンテナンス状態の把握もまた重要である。3府県6市町からなる山陰海岸UGGpでは、基本的に各サイトの看板設置は設置者が負担することになっており、そのデザイン作成も大まかな共通理解はあったが、設置者によることが多分にあり、明確なコンセプトを山陰海岸UGGpで作っているとは言えない状態であった。また、ジオパークになる以前の看板も多くあり、それらとの整合も不十分であった。さらに、ジオパーク認定前後に建てられた初期の看板では、地層名など専門用語が説明なく使われたり、地球科学的諸現象を文字と実物の写真だけで説明し、イラスト等での補助もなく、一般に人に理解しやすい看板になているかと言われれば決してそうではなかった。2010年の初めての世界ジオパーク認定現地審査では、いくつかのサイト看板について、マップがサイト周辺地域のみで広域マップがないこと、そのために、一筆書きのエリアを有するジオパークとしての統一感に欠けることを指摘された。一方で、これらのサイト看板とは異なり、山陰海岸ジオパーク推進協議会を主体に地域住民と作成している散策モデルコースやマリンコース、ドライブコースなどのモデルコース看板は、多くの意見を取り入れ統一的に作成しているため共通的なデザインやイラストを用いた分かりやすい解説などが実現できている。このことは、統一的に看板デザインを行ったほうがより分かりやすいものができることを示している。山陰海岸UGGpでは、保護保全部会を中心に4年かけてすべてのサイトをモニタリングするジオサイトモニタリングを繰り返し行っている。その中でも、各サイトの看板デザインがばらばらで統一したデザインはできないかという声が上がり、2023年、一般の人に分かりやすい内容を実現し、さらに統一的なデザインで山陰海岸UGGpのサイトとしての統一感を作るために、山陰海岸ジオパーク推進協議会に看板ワーキングを設置した。看板ワーキングのメンバーはジオパーク専門員や博物館学芸員、環境省職員(国立公園管理官)、兵庫県立大学教員、保護保全部会長、ガイド部会長、ジオパーク事務局員からなる。これまでに共通で示すべき内容や看板のユニバーサルデザインを意識した形状や色遣い、文字の大きさやフォントなどについて議論した。その際、山陰海岸UGGpの中核をなす山陰海岸国立公園の知識と経験を応用し、国立公園の看板デザインなどを参考にした。さらに、山陰海岸UGGpが姉妹提携をしているレスボス島UGGpを訪問し、看板デザインやその内容、設置場所などを調査した。看板ワーキングの議論では、ユネスコロゴを大きく表示させることは、観光客にここがユネスコに認定されたサイトであるとわかるだけでなく、住民がユネスコに認定されたエリアに住んでいる自覚を生む良いきっかけになるとの意見なども出された。2022年のユネスコによる再認定審査で、地質物品の取引をやめさせるよう指摘されたが、これまでサイト看板ではユネスコの理念が十分盛り込ませられておらず、ユネスコ理念が発信できていなかったことを反省し、ユネスコの理念や地質物品の持続的でない取引に反対していることなども積極的に表示するようにした。2024年6月現在、このコンセプトをもとに8か所の看板を更新・新設した。今後、これらの看板の効果を調査し、より良い看板デザインを実現していきたい。

  • 川村 教一
    セッションID: T4-O-4
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/03/27
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    兵庫県但馬地方の新温泉町および香美町南部においては,山稜部に玄武岩や安山岩の溶岩(寺田火山岩層や第四紀更新世の火山岩;Furuyama, 1989)が,山腹部・山麓部には凝灰質の地層(春来泥岩層)が分布して,地すべり地を構成している(藤田ほか,1996).このような地すべり地では,山稜部の火山岩層に浸透した水を利用することで棚田を展開することが可能である(早川,1989,2002).ススキなどが繁茂していた山稜部には牛の放牧地が設けられていた(小出,1906).早川(1982)は,山稜部のススキ優占の広い草原である放牧地は玄武岩に位置していると述べた.しかし,その後の研究(Furuyama, 1989ほか)により,地質は玄武岩と安山岩であることが分かってきた.

     本地域では昭和30年代まで,役牛として使用しない初夏・秋には牛を山稜部で放牧していたので,山腹の斜面に形成された棚田周辺の村落から放牧地まで牝牛を毎日登らせる必要があった(河野,1934).このため標高差のある村落―放牧地間の往復により牛を運動させることができるとともに,火山岩上に発達した草地で飼料を摂らせることが可能であった.新第三系の泥質岩を火山岩が帽岩として覆う地質,山腹部の地すべり地と山稜部の平坦面という地形,帽岩上に発達した草原と地すべり地に形成された農民の集落と棚田は,この地方特有の景観や産業に関するジオシステム(Demek, 1978)の構成要素として理解することができる.

     本地域は,世界農業遺産「人と牛が共生する美方地域の伝統的但馬牛飼育システム」に認定されている.これまで,山陰海岸ジオパークでは,但馬牛の飼養と谷地形,地すべり地と棚田を個別に取り上げてきた.本地域の棚田と放牧地,地すべり地と帽岩,新第三紀の泥岩と鮮新世~更新世火山岩とこれらを流れる水を実地に観察することを通じて,和牛の飼養が発本地域で発達した仕組みを理解するジオツアーの実施が可能であると演者は考える.

    文献

    Demek, J. (1978) The landscape as a geosystem. Geoforum. Vol. 9, Issue 1, 29-34.

    藤田 崇・佐野正人・西村 洋(1996)第3章 斜面災害.兵庫の地質―兵庫県地質図解説書・土木地質編―,兵庫県土木地質図編纂委員会(編),兵庫県まちづくり技術センター,85-145.

    Furuyama, K. (1989) Geology of the Teragi group Southwest Japan: with special reference to the Terada volcanics. Journal of geosciences Osaka City University, 32, 123-173.

    早川康夫(1982)西日本における準安定草原の成立と肉用牛多頭飼育集落との関係(5).九州農業試験場報告,22巻3号,359-403.

    早川康夫(1989)日本の草地草原.芝草研究,第18巻第1号,15-22.

    早川康夫(2002)多雨極相林帯における安定草原成立の立地機構 1.棚田と連携する草原・公共草地.Grassland Science,47(6),624-629.

    河野正直(1934)但馬における牧牛の地理的研究(概報).地学雑誌,46,154-169.

    小出満二(1906)但馬牛産論.「但馬牛産論」刊行委員会(編)・発行,2004年.

  • 山﨑 由貴子, 古澤 加奈
    セッションID: T4-P-1
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/03/27
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    【はじめに】

    ジオパークの構想が最初に議論されたのは1996年に北京で開かれた万国地質学会である(渡辺,2011)。その後2000年に世界で最初のジオパークがヨーロッパで誕生し、2004年にはUNESCOの支援を受け、世界ジオパークネットワークが設立された。また2015年にはUNESCOの正式プログラムになっている。日本では2008年12月に最初の日本ジオパークが誕生し、国内初の世界ジオパークは2009年8月に認定された。日本ジオパークネットワーク(以下、JGN)は、2009年5月に設立した。JGNは日本国内にあるジオパークとジオパークを目指す地域が会員となり、相互に情報交換やサポートを行い、ジオパークの理念や活動を普及することを目的としている。このようにジオパークは比較的新しいプログラムであり、ジオパークの理念の下様々な取り組みを行い、試行錯誤しながら活動してきた。ジオパークの活動理念などはUNESCOのガイドライン(UNESCO, 2015)に示されており、ジオパークは日本ジオパークも含めてこのガイドラインに準じて活動している。一方で、JGNとして中長期的な計画は最初の10年には策定していなかった。そこで2021年7月に中期計画策定委員会を設立し、中期計画策定委員会を全19回、同委員会内の策定チーム会議を全7回開催し、2023年4月第29回JGN理事会の承認を経て策定した。

    【JGN中期計画概要】

    本計画の対象は、JGN会員及びそこにつながる団体・企業・個人とジオパークに興味を持つ地域や個人(ジオパークのネットワークにつながる人)と幅広く設定した。計画の期間は2023年度から2027年度の5年間であり、2024年度は2年目となっている。内容はⅠ.ミッションの再確認、Ⅱ.現状と課題、Ⅲ.JGNのこれから、Ⅳ.中期計画の活用方法と評価の4章に分かれており、ジオパークの理念や目指している方向性が確認できるような計画を目指した。なお、本計画はJGNの公式ウェブサイトに公開している(日本ジオパークネットワーク, 2023)。

    【ジオパークにおける地球科学者の位置付け】

    ジオパークは国際的な価値のある地質遺産を有する地域であり(UNESCO, 2015)、その価値を正しく評価し、地域が理解している必要がある。特にユネスコ世界ジオパークの場合、申請時に国際地質科学連合(以下、IUGS)が示す様式に従い、地質遺産とその国際的意義を記述することが求められ、それらはIUGSの専門家によって評価される。地質遺産の価値の評価及び地域での理解促進のためには、研究活動やそれらをわかりやすく且つ正しく伝えていく活動が必須であり、ジオパークの活動を行う上で地球科学者の存在はなくてはならないと言える。本計画では、地球科学者(研究者)はジオパークのネットワークを構成するステークホルダーとして位置付けられている。ここでいう「ネットワーク」は、「弱い紐帯の強さ(the strength of weak ties)(Granovetter, 1973)」に由来する考え方による、社会的つながりが弱い人びと(弱い紐帯)のネットワークを指している。ジオパークの目指す方向性や掲げる課題に向かい活動をしていく上で、地球科学者はどのような役割を担っているのか、またそれは地球科学者にとってどのようなメリットに繋がるのかを整理することで、ジオパークのネットワークに参画する地球科学者が増えることが期待できる。本発表では、それら整理の基盤として本計画を活用できないか議論していきたい。

    【引用文献】

    Granovetter, M. S. (1973)The strength of weak ties, American journal of sociology, 78(6), 1360-1380.

    日本ジオパークネットワーク(2023)日本ジオパークネットワーク中期計画, JGN中期計画策定委員会, https://geopark.jp/jgn/pdf/midterm_plan_2023-2027.pdf [Cited 2024/6/26].

    UNESCO(2015), STATUTES OF THE INTERNATIONAL GEOSCIENCE AND GEOPARKS PROGRAMME (IGGP), UNESCO. General Conference, 38th, 2015, https://unesdoc.unesco.org/ark:/48223/pf0000234539 [Cited 2024/6/26].

    渡辺真人(2011)世界ジオパークネットワークと日本のジオパーク, 地学雑誌, 120(5), p.733-742.

  • 相澤 正隆, 安井 光大, 畠山 富昌, 井村 匠, 鈴木 和人, 鈴木 悟, 西出 静, 林 信太郎
    セッションID: T4-P-2
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/03/27
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    はじめに

    東北日本弧の第四紀火山岩類は,アルカリ元素含有量や斑晶鉱物組み合わせにより,海溝側から青麻-恐,脊梁,森吉および鳥海火山列に分帯される[1, 2]。著者らは,日本海形成後の下部地殻組成とスラブ由来流体の系統的な時空間変遷を調べるため,新第三紀~第四紀火山岩について,火山列に関する岩石学的・地球化学的特徴を再検討している。背弧側の火山岩類においては,地理的に森吉と鳥海火山列に属する鮮新世以降の火山岩類では,従来の指標に加え,両者はSr-Nd同位体組成においても明瞭に区別されることが分かった[3]。しかし新第三系の火山岩類は,いわゆる「グリーンタフ変質」を往々にして被っているため,変質による元素移動の影響を受けやすいアルカリ元素やSr同位体ではなく,変質に強いNd-Hf同位体による分帯の特徴の抽出に取り組んでいる。本研究では秋田県北西部に分布する素波里安山岩類を対象に,Sr-Nd-Hf同位体組成の予察的な検討結果を報告する。

    素波里安山岩類

    秋田県の北西部に分布する素波里安山岩類は,藤里町~八峰町の東西約30 kmに及んで点在し,藤里町東部に小規模に分布する最東部岩体,藤里町~能代市北部に分布する東部岩体,さらに八峰町に分布する西部岩体に区分される。本岩体の全岩K-Ar年代[4, 5]は,岩体ごとにそれぞれ4.7 Ma,6.6~3.9 Ma,9.7~3.7 Maであり,後期中新世から鮮新世にまたがる活動年代を示す。安山岩と記載されているものの,主成分組成は玄武岩からデイサイトと幅広いため,本発表では素波里安山岩類と呼称する。

    本研究では,西部岩体に属する八峰町泊川河口部周辺の玄武岩と、同町の景勝地である白瀑のデイサイトについて扱った。前者は枕状溶岩として産出し,ピローの断面にはhollowおよびrindが確認できる。他方corrugationが発達していないことから,かなり粘性の低い高温溶岩流だったと推測される。斑晶は斜長石,かんらん石,単斜輝石である。かんらん石は大部分が変質しているが,一部新鮮な斑晶も残存している。白瀑のデイサイトは,火山角礫岩~凝灰角礫岩の産状を示すが,礫支持でモノミクトであることから,自破砕を被っている可能性もある。鏡下では斑晶量が少ないハイアロピリティック組織を示す。斑晶は大部分が斜長石で,ごくわずかに単斜輝石と不透明鉱物を含む。角閃石や黒雲母は確認されなかった。斜長石は自形結晶が多いが,割れたり融食したような産状の結晶を少量含む。白瀑試料の主成分組成はSiO2=65wt%で,デイサイト組成である。

    Sr-Nd-Hf同位体組成

    白瀑試料のSr-Nd同位体組成は,それぞれ0.703672,0.512966であり,先行研究[4]の組成範囲内(0.70332-0.70360,0.51294-0.51299)に収まっている。素波里安山岩類は,地理的には森吉火山列と鳥海火山列の中間的位置にある。このことはTAS図においても認められ,素波里安山岩は両火山列の中間的なアルカリ量を示す。全岩Sr-Nd同位体組成においても,白瀑試料は森吉・鳥海のどちらの火山列にも属さず,両者の中間的位置にプロットされる。また,Hf同位体組成は0.283296であり,全岩Nd-Hf同位体組成で見ると,白瀑試料は下北半島の第四紀火山岩類[6]と同様に枯渇した特徴で,その傾向は岩手火山岩や三滝玄武岩[7]より顕著である。

    先行研究[8]において,日本海形成後の島弧横断変化の再配置は約8 Ma以降に起こったと論じられているが,素波里安山岩類の位置,Sr-Nd同位体組成,およびアルカリ元素含有量における白瀑試料の中間的位置づけは,後期中新世のマグマ発生場が,現在よりも連続的であったことを示す可能性がある。今後,さらに周辺の同時代の火山岩類についても同様の同位体岩石学的検討を行う。

    [1]高橋正樹・藤縄明彦(1983)三鉱学会(弘前)講演要旨集.

    [2]中川光弘・霜鳥洋・吉田武義(1986)岩鉱, 81.

    [3]相澤正隆・安井光大・井村匠(2021)地球科学, 75.

    [4]中嶋聖子・周藤賢治・加々美寛雄・大木淳一・板谷徹丸(1995)地質学論集, 44.

    [5]土谷信之(1999)地調月報, 50.

    [6]相澤正隆・安井光大(2021)日本地球化学会第68回年会講演要旨集.

    [7]Hanyu T., Tatsumi Y., Nakai S., Chang Q., Miyazaki T., Sato K., Tani K., Shibata T. and Yoshida T.(2006)G3, 7.

    [8]Tamura, S. and Shuto K.(1989)J.Min.Petrol.Econ.Geol., 84.

  • 原田 拓也, 佐藤 忠実
    セッションID: T4-P-3
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/03/27
    会議録・要旨集 フリー

    はじめに

     栗駒山麓ジオパークでは,栗原市内の小・中学校向けに10以上の学習プログラムを提供し,地域探究や防災教育,理科学習を実施している.その中で,小学6年生理科の単元「土地のつくりと変化」において,実際に地層や岩石を観察できる場所がないか複数の学校から相談があった.そこで,エリア内で地層観察学習に適した候補地を調査して,その地点の地主や管理者と交渉し,複数地点で協力を得ることができた.本稿では,その一部地点の概要と協力状況,現在の活用実績について報告する.

    地点1 築館新八ツ沢

     この地点では,縦7 m・横12 m程度の崖に瀬峰層の砂岩泥岩互層が露出する.本露頭は,比較的わかりやすい縞模様の地層が観察でき,規模も大きいため,学習教材として適切であると判断した.土地所有者に地層観察の現場として活用することを交渉したところ,子どもたちの学びに貢献できるならと快諾いただいた.ただし,現場保存のための除草作業などは,事務局やジオガイドが協力することを約束した.この地点での学習は,露頭全体のスケッチや地層を構成する岩石の観察などを行い,理科の教科書に即した解説を加え,自分の生活する地域の土地のなりたちについて考えるものである.栗原市南部に位置する小学校で主に導入され,年間5件程度実施している.

    地点2 金成小迫集会場

     この地点では,縦6 m・横20 m以上の崖に下黒沢層の斜交層理が発達した砂岩層が露出する.本露頭は,明瞭な斜交層理が発達し,小学6年生の学習としては難易度が高いと思われる.しかし,規模が大きく比較的安全に観察できる点や,自分の地域の足下に風変わりの地層があることを知り,興味を持ってもらうことを目的に,学習教材の候補とした.この場所は集会場の敷地内にあるため,管理している区長と交渉したところ,子どもたちの学びに役立つのであれば是非にと快諾いただいた.学習内容は地点1と基本的には同じだが,栗原市北部に位置する小学校で主に活用している.

    今後の展望

     地質分野は,現場へ赴き実物を観察しないと理解が難しく,理科教育でも,できるだけ野外学習の時間を設け,実物に触れ観察する機会をつくることが望ましい.そこで,本ジオパークで地層観察のできる地点を選定し,地域住民と交渉を重ね,野外学習の機会を提供するに至った.その結果,子どもたちが地層や岩石に興味・関心を持ち,理解を深めることができたというコメントを各学校からいただいている.今後,児童向けのアンケート調査などを実施して学習効果を検証し,より良い学習内容にしていきたいと考える.また,地点2の地域では,自分たちの住む場所に学習で活用されるような面白い場所があったという情報が,交渉した区長を通して伝わり,興味を持った住民が学習の様子を見に来て一緒に学習する事例があった.地域と協力した学習の実施は,子どもたちの野外学習の機会を創出するだけでなく,その地域の住民が自分の住む場所のおもしろさを知るきっかけになることも重要な点である.

  • 小河原 孝彦, 茨木 洋介, 郡山 鈴夏, 香取 拓馬, 竹之内 耕
    セッションID: T4-P-4
    発行日: 2024年
    公開日: 2025/03/27
    会議録・要旨集 フリー

    近年,科学系博物館の展示として,来館者が観覧する「Hands-off」の展示物だけではなく,来館者が手に触れ体験することができる「Hands-on」の展示物が増加している.このような展示は,朴・花里(2005)により,①体験型:全身や五感を利用して体験できる展示,②参加型:ボタンを押すと映像が流れるなど操作が簡易な展示,③観覧型:パネルを見るなど視覚情報のみに頼る展示,に分類されている.例えば,フォッサマグナミュージアムの常設展にある代表的な展示物は,①体験型:ヒスイと花こう岩や木材との重さを持って比較できる展示物,回転寿司のレーンを応用し皿を取ることでモニターにクイズが表示され回答できる展示物,②参加型:ボタンを押すとジオラマに照明がつく展示物や映像が流れる展示物,③観覧型:パネル展示や大部分の標本展示,がある.

    科学系博物館の展示として「Hands-on」の展示物が注目される理由は,朴・花里(2005)により来館者の行動分析としてまとめられている.それによれば,展示物の利用率は,観覧型の展示物が12%なのに対し,参加型は22%,体験型は70%と高確率である.また,回帰利用の回数は,観覧型の展示物が0.2回なのに対し,参加型は0.5回,体験型は5.6回と同じ展示物を体験型の場合は何度も利用していることが分かる.つまり,従来の観覧型の展示物は利用率や回帰率が低く,参加型や体験型の「Hands-on」の展示物をどのように増加させるかが展示物の設計において重要である.

    この発表では近年のフォッサマグナミュージアムにおいて実施した企画展において,体験型の展示物を製作した2例を紹介し,ジオパーク活動における展示の方向性について議論する.

    2023年7月15日から9月3日の期間,観光DMOである糸魚川市観光協会が実施した石フェスに合わせ,特別展「石のまち糸魚川展」を開催した.この特別展では,ヒスイを始め糸魚川の石を楽しみながら学び,地質の多様性や保護保全の必要性について考える展示を意図し,どのような展示手法が最適かを学芸員内で議論した結果「Hands-on」の展示物を全面的に採用し,来館者が主体的に行動しながら石の名前を知ることができる床面展示,3Dプリンタを活用し本来であれば触れることのできない微化石に触ることができる展示を実現した.床面展示では,床面に貼られた質問にYes,No形式で何回か答えていくと石の解説のパネルに到着するように展示物を作成した(図1).これによって,来場者が持込んだ石をセルフ鑑定できるようになり,体を動かす体験型の展示物でありつつ,来場者の自らが所持している石の名前が知りたいという要望にも答えられるようになっている.また,チャートに含まれる放散虫の3D模型を製作し,目に見えない微化石を手に取って確認できるように工夫した.

    2024年はフォッサマグナミュージアムが開館し30周年となる.2024年4月21日から6月30日の期間で特別展「ありがとう30年~すごろくでたどるフォッサマグナミュージアム30年の歩みとこれから~」を開催した.過去を振り返る展示は,来場者数の変化や年ごとのできごとを展示パネルに羅列する観覧型の展示物が一般的である.30周年記念特別展では,このような内向きになりやすい展示をすごろく形式とすることで,体験型の展示物とした(図2).すごろくのマスにその年のフォッサマグナミュージアムや糸魚川ジオパークのできごとを写真と共に掲載し,興味を持たせるために日本や世界でおきた主なできごとを合わせて記載した.マスはA3用紙をラミネートした物を二枚貼り合わせ,床面にOPPテープで固定し,互いのマスを模様入りのクラフトテープで繋いだ.マスの周囲に展示ケースを設置し出来事に合わせた展示物を設置した.すごろくで利用するサイコロは20cmのぬいぐるみ製の物を2個用意した.すごろく形式の展示は,特に小学生に対し好評であり,教育旅行に来ている生徒が大人数で体験している様子が多く見られた.

    ジオパークにおいて,博物館やビジターセンターは活動の中心施設として機能するが,展示物を展示パネルで紹介する古典的な「Hands-off」の展示が主である施設が多いと考えられる.「Hands-on」の展示手法には,体験型や参加型展示が来館者の利用率や回帰利用の回数増加に寄与するなどメリットも大きい.コストやメンテナンスの問題はあるが,各施設が観覧型の展示からどのように脱却するか今後の課題と考えられ,よりよい展示手法をジオパークネットワーク内に浸透させる活動が継続して必要である.

    参考文献:朴 鍾来, 花里 俊廣, 科学系博物館における展示手法と利用者の行動特徴からみた展示の分析, 日本建築学会計画系論文集, 2005, 70 巻, 593 号, p. 57-63.

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