-
原稿種別: 表紙
2008 年 17 巻 p.
Cover1-
発行日: 2008/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
-
原稿種別: 付録等
2008 年 17 巻 p.
App1-
発行日: 2008/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
-
山名 淳
原稿種別: 本文
2008 年 17 巻 p.
i-ii
発行日: 2008/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
-
原稿種別: 目次
2008 年 17 巻 p.
Toc1-
発行日: 2008/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
-
菱刈 晃夫
原稿種別: 本文
2008 年 17 巻 p.
1-17
発行日: 2008/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
人間とは、はたして「理性」的動物なのか、それとも理性的「動物」なのか。理性に力点を置くか、動物に力点を置くか。教育をどう捉えて実践するかは、結局、このアクセントの違いに大きく左右されよう。西洋文明の根底にあるキリスト教による教育思想を振り返るに、「神」と繋がる理性、霊性をそなえるとされる人間が、いかに動物としての自己自身と関係しながら「人間」になれるのか、あるいは、この世を人間化、文明化、道徳化させていくのかが模索されてきた。問題は、人間に元来そなわる、理性以前の動物的なもの-感情、情感、情動、熱情、情緒、情意、そして情念など-すなわち、からだで感じる「情」と、どう関わるかである。近代教育学のベースにあるキリスト教的な教育論が、情念との関わりのなかでどのように生成してきたのか、主にルターとその周辺(エラスムスやメランヒトンなど)を手がかりに明らかにしつつ、教育思想史を振り返ってみたい。
抄録全体を表示
-
井ノ口 淳三
原稿種別: 本文
2008 年 17 巻 p.
19-26
発行日: 2008/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
菱刈会員は、人間にそなわっている動物的なものとしての情念を理性によって噂制御することが可能なのかという問いをたてた。そして否定的なルターに対して情念を教育可能とするエラスムスや理性に信頼を寄せるメランヒトンやトマージウスの立場を説明し、情念を制御する教育のあり方を探求している。これを受けて本稿では、まずデカルトの説を紹介し、理性が情念を制御することは可能であるとするデカルトの立場を確認した。次いでデカルトと因縁が浅からぬコメニウスの理性についての主張を説明し、理性が「人間のなかにある神の光」であるとする宗教的立場にデカルトと異なるコメニウスの特徴を見た。そこから理性と信仰との問題に移行した。「信仰と理性の対話」は容易ではないが、もしそれが実現すれば現代世界の様々な難問を解決する方向性が見出されるであろう。その時個人の情念の制御という問題も解決の見通しを持つことが可能になるのではあるまいか。
抄録全体を表示
-
山内 清郎
原稿種別: 本文
2008 年 17 巻 p.
27-37
発行日: 2008/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
このコメント論文は、フォーラム「情念と教育-ルターとその周辺-」当日の指定討論の場で、筆者が菱刈氏にうまく質問できなかったことが何なのかを検証し明らかにする試みである。その検証の過程を通じて、筆者自身の研究スタンス、菱刈氏の描き出していたルター像と筆者の抱いていたルター像との差異、そして何よりも、その差異から生まれたとまどい(それは筆者の、そしてそれ以上に強く菱刈氏も感じられたであろう)の所在を明らかにした。さらにその過程で、エリクソン的事例史的な歴史研究の方法が思想史の研究に寄与できる点はないのだろうかというアイデアが思い浮かんだ。筆者が問いたかったのは、歴史的事件における「偉大な」症例とも言えるようなルターの情念論を論じる際に、それを語るルター自身がどのような(ユーモラス、憂愁、憤怒などのいずれを帯びた)人物であるのかを考慮に入れる必要性という素朴でナイーブな関心からの問いであった。
抄録全体を表示
-
米 典子
原稿種別: 本文
2008 年 17 巻 p.
39-46
発行日: 2008/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
西洋の精神史上重要な位置にあるルター(Martin Luther、1483年11月10日-1546年2月18日)が見出した義 iustitiaのドグマティークはどのようなものとされるか、および西欧精神史知性史における系譜を簡単に確認したのち、菱刈報告を検討し、菱刈会員のルター研究と教育学研究の歩みにおける当該報告の位置づけを含めた考察を試みる。本稿で義に注目するのは、情念・人間のどうしようもなさに関する菱刈報告の基底に、罪に対する問いがあるからである。そして&にもかかわらず、最後の問いがすべて開かれている菱刈報告は、情念・人間のどうしようもなさと何とか積極的に向き合える理路を探ろうとする糸口でもある。
抄録全体を表示
-
下司 晶
原稿種別: 本文
2008 年 17 巻 p.
47-61
発行日: 2008/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
「臨床の知」の源泉をフロイトと精神分析に求め、そこに潜む問題を検討する。そのためフロイトとフロイト主義における精神分析の科学的位置づけの変容を思想史的に考察し、教育との連関を探る。各章では、それぞれ次の課題が検討される。(I)S・フロイトにおいて精神分析は、自然科学/精神科学の区分に対してどのように位置づけられるか。(II)フロイトの理論的後継者H・ハルトマンが、精神分析を「自然科学化」「発達心理学化」したことによって、精神分析にいかなる変化が起きたのか。(III)フロイトからフロイト主義に至る精神分析の科学性の変容は、精神分析と教育との関係に何をもたらしたのか。
抄録全体を表示
-
西平 直
原稿種別: 本文
2008 年 17 巻 p.
63-72
発行日: 2008/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
教育における精神分析の影響。その問題を学説史に即して考察した論考(下司論文)を手掛かりに、まず、精神分析の「科学化」を媒介とした教育との接続を確認し、次に、フロイト精神分析に遡って「科学化される以前」の姿を確認し、そこから何が変質したのか、その転換を確認する。その上で、こうした問いの立て方とはまったく別に、フロイト精神分析それ自身のうちに「教育学的含意」を探る可能性に言及し、その作業は「教育」概念そのものを新たに規定する作業とワンセットになっていることを論じた。同時に、そうした考察を通して、「精神分析の影響」という問いの立て方が、罠にもなれば、議論を活性化する起爆剤ともなることを示した。
抄録全体を表示
-
鬢櫛 久美子
原稿種別: 本文
2008 年 17 巻 p.
73-81
発行日: 2008/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
下司氏は、正統派精神分析、自我心理学派のリーダーであるH.ハルトマンをキーパーソンに、精神分析理論の変容を思想史として検討した。その結果、ハルトマンが精神分析を「自然科学化」、「発達心理学化」したことを明らかにし、ここに精神分析と教育の連関が生まれたと主張している。精神分析の思想史研究としては、論理も明晰で説得力も十分なものである。しかし、「『臨床の知』は教育をどこに導くのか」という問いが掲げられているにも関わらず、「臨床の知」とは何かということに関してほとんど言及していない。そこで、議論を活性化する試みとして、1. 「臨床の知」とは何かを、教育学の議論から探る。2. 理論やパラダイムと「臨床の知」の関係について考察する。3. キーパーソンを理論的指導者ハルトマンからE. H. エリクソンに変えることで、実践と理論の間にあるものを探る。この3点から、下司氏の精緻な研究の周辺にあるものを掘り起こしてみたい。
抄録全体を表示
-
渋谷 亮
原稿種別: 本文
2008 年 17 巻 p.
83-92
発行日: 2008/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
下司氏の報告論文は、S.フロイトとH.ハルトマンにおける「精神分析の科学的位置づけ」の相違を検討することによって、精神分析の言説と教育の言説がどのように重なり合ったのかを探究するものであった。氏はすでにその著作において、フロイトとフロイト以後の断絶を、精神分析を基礎づけると同時に限界づける「メタ理論」のあり方という観点から検討しており、氏の報告論文は著作の枠組みを受け継いでいる。本稿では下司氏の報告論文と著作における議論を踏まえた上で、氏が報告論文の末尾で提起したフロイトの可能性を検討するための準備作業として、フロイトの「精神分析の科学的位置づけ」を氏とは別の観点から考察する。そのためにフロイトの議論のうちに、自らの実践と理論を基礎づけるという意味での「メタ理論」ではなく、自らの基盤を批判し、問い直すという意味での「メタ理論」を見出していく。
抄録全体を表示
-
矢野 智司
原稿種別: 本文
2008 年 17 巻 p.
93-106
発行日: 2008/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
「贈与と交換の教育人間学」に立つとき、これまでの教育学研究にどのような問題圏を開くことになるのか、あるいはまたその主題自体がどのような問題圏として立ち現れることになるのかについて論じる。モースの贈与論のように贈与を交換の一部として捉えるのではなく、贈与を一切の見返りを求めない、つまり交換に回収されない出来事として捉えたとき、交換と見なされてきた教育の諸事象にも、贈与という異質な出来事が生起していることがわかる。教育の起源がまずもって贈与として捉えられ、そのような贈与をする先生の姿が浮かびあがる。また共同体・国家の教育のなかにも、共同体を超える贈与の力が働いていることがわかる。戦争はそのような贈与と交換とが交錯する特異な体験であったが、戦後教育学はその体験の意義を十分に捉えることができなかった。本論は戦後教育学と国民教育を超える可能性を「贈与としての教育」に見ようとする試みでもある。
抄録全体を表示
-
高橋 勝
原稿種別: 本文
2008 年 17 巻 p.
107-116
発行日: 2008/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
戦後教育学が生み出したコンセプトの一つに「発達と教育」があるが、教育人間学において、それに匹敵できるコンセプトは必ずしも明確ではなかったように見える。今回、矢野智司氏は、『贈与と交換の教育学』(東京大学出版会)の公刊に先だって、「『贈与と交換の教育人間学』という問題圏」と題する発表を行い、「純粋贈与としての教育」を、より一層具体化する作業を行った。そこでは、共同体の論理を乗り越える人間形成の論理が提示されたが、その重要な土台をなすキーコンセプトが「贈与と交換」であり、「死者への負い目」であり、「戦後教育学」である。今回の矢野提案を、教育人間学の立場からの自覚的な方法提示という視点から読み直すことで、矢野教育人間学の際だった特徴を浮かび上がらせると同時に、いくつかの問題点をも併せて検討していきたい。
抄録全体を表示
-
今井 康雄
原稿種別: 本文
2008 年 17 巻 p.
117-129
発行日: 2008/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
教育の起源を、教わる側の必要にではなく教える側の贈与に見る矢野の議論は、人間本質論・人間存在論から導出される必然的な事実として自明化されがちな教へ育をふたたび「謎」として現出させ、そのことによって教育への教育哲学的な接近を可能にする。しかし他方、そこでは、贈与という出来事が教師=贈与者に名寄せされたことの結果として、交換関係からの贈与の出現という、本来めざされていた出来事が分析困難になっているように思われる。本稿は、矢野も依拠しているデリダの贈与論、とりわけ『時間を与える-I.贋金』に即して、贈与者ではなく贈与されるものが、交換の精神からの贈与の出現を可能にしていることを示す。そして、教育においても同様の構造が見られることを示唆する。
抄録全体を表示
-
相馬 伸一
原稿種別: 本文
2008 年 17 巻 p.
131-139
発行日: 2008/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
贈与と交換の視点を教育学に導入したのは、矢野智司氏の大きな貢献であろう。これによって、氏のいう「生成としての教育」の位置づけが明確になっただけではない。教育という営みを成立させてきたと考えられるにもかかわらず、いわゆる近代教育において看過されてきた贈与が見出されたことの意味は大きい。また、国民教育を駆動してきたのが「贈与の物語」であったと指摘しているように、氏は贈与の視点のリスクにも自覚的である。氏の国民教育批判は教育関係論批判にまで及ぶ。これらの貢献を踏まえた上で、本稿は、「限界への教育学」のアクチュアリティーをめぐって、ヤン・パトチカのコメニウス研究をとりあげつつ、(1)文学をとりあげる「限界への教育学」の方法論、(2)「生成としての教育」と「発達としての教育」との関係、(3)「限界への教育学」によるナショナリズム相対化の可能性について批判的に言及する。
抄録全体を表示
-
弘田 陽介, 戸村 拓男
原稿種別: 本文
2008 年 17 巻 p.
141-154
発行日: 2008/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
-
江口 潔, 綾井 桜子, 藤井 佳世, 上地 完治
原稿種別: 本文
2008 年 17 巻 p.
155-165
発行日: 2008/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
-
井谷 信彦, 宮崎 康子, 石崎 達也, 高柳 充利, 辻 敦子
原稿種別: 本文
2008 年 17 巻 p.
167-178
発行日: 2008/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
-
岡部 美香, 森岡 次郎, 谷村 千絵, 久保田 健一郎
原稿種別: 本文
2008 年 17 巻 p.
179-190
発行日: 2008/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
-
川津 貴司
原稿種別: 本文
2008 年 17 巻 p.
191-204
発行日: 2008/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
「日本青年教師団」は、現職教員によって1939年8月に結成され、言論活動や講習会の開催などを通じて、「東亜協同体」建設という国家目標を実現するための教育革新運動を展開した。青年教師団は、1941年12月末に解散させられたが、その中核組織は、終戦後に最初の教員組合結成に加わっている。従来の教育史研究では、青年教師団の「時局便乗」的な性格が注目されてきた。それに対して本稿では、青年教師団運動の理論的指導者であった海後勝雄の存在に注目することで、戦時下の権力と同運動との関連を考察することを課題とした。精神主義や官僚主義への対抗的言説を展開していた海後は、国家的な政治革新にむけて教員を主体化する運動理論を展開し、青年教師団を革新派の国策ブレーンと結びつけることになった。それをうけた青年教師団は、結成当初の精神主義的な性格を脱して、教員の生活状況の改善を要求し、教員支配の階層的秩序を批判する運動を繰り広げた。
抄録全体を表示
-
青柳 宏幸
原稿種別: 本文
2008 年 17 巻 p.
205-219
発行日: 2008/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
マルクスが労働と教育の結合を主張したことは余りにもよく知られているが、この場合、教育と結合されるべきとされた労働は資本制的生産関係下における賃労働としての児童労働であった。本稿は、国際労働者教育協会ジュネーブ大会における教育論争に注目し、その中にマルクスを位置づけることを通して、労働と教育の結合が彼の当時の社会変革構想の要約的表現であったことを明らかにしたものである。マルクスは、イギリス工場法の歴史の分析を通して、労働者階級の中で最も弱い存在である子どもの保護の必要性が認められることが大人を含めた労働者階級全体の労働時間を制限することの出発点となることに注目していた。そして、その短縮によって生じた自由時間を有効に用いることによって労働者階級が政治的な主体形成を実現していくという社会変革の展望を抱いていた。マルクスにとって、賃労働としての児童労働は、かかる社会変革の構想を可能とするものとしてきわめて重要なものであったのであり、厳格に規制されるべきではあるがけっして禁止されてはならないものであったのである。
抄録全体を表示
-
木内 陽一
原稿種別: 本文
2008 年 17 巻 p.
221-225
発行日: 2008/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
-
古屋 恵太
原稿種別: 本文
2008 年 17 巻 p.
227-231
発行日: 2008/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
-
ミュラー ハンス=リュディガー
原稿種別: 本文
2008 年 17 巻 p.
233-237
発行日: 2008/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
-
丸山 恭司
原稿種別: 本文
2008 年 17 巻 p.
239-243
発行日: 2008/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
-
高松 みどり
原稿種別: 本文
2008 年 17 巻 p.
245-249
発行日: 2008/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
-
藤井 佳世
原稿種別: 本文
2008 年 17 巻 p.
251-255
発行日: 2008/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
-
越智 康詞
原稿種別: 本文
2008 年 17 巻 p.
257-262
発行日: 2008/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
-
西岡 けいこ
原稿種別: 本文
2008 年 17 巻 p.
263-267
発行日: 2008/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
-
國崎 大恩
原稿種別: 本文
2008 年 17 巻 p.
269-273
発行日: 2008/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
-
原稿種別: 付録等
2008 年 17 巻 p.
275-
発行日: 2008/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
-
原稿種別: 付録等
2008 年 17 巻 p.
277-278
発行日: 2008/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
-
原稿種別: 付録等
2008 年 17 巻 p.
278-
発行日: 2008/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
-
原稿種別: 付録等
2008 年 17 巻 p.
278-279
発行日: 2008/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
-
原稿種別: 付録等
2008 年 17 巻 p.
279-
発行日: 2008/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
-
原稿種別: 付録等
2008 年 17 巻 p.
281-
発行日: 2008/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
-
原稿種別: 付録等
2008 年 17 巻 p.
281-
発行日: 2008/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
-
原稿種別: 付録等
2008 年 17 巻 p.
282-
発行日: 2008/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
-
原稿種別: 付録等
2008 年 17 巻 p.
282-
発行日: 2008/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
-
原稿種別: 表紙
2008 年 17 巻 p.
Cover2-
発行日: 2008/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー