本稿は、哲学的議論及び司法の場における裁定者の在り方、及びその資質・行為について、インドの古典哲学文献及びダルマ文献の記述をもとに分析する。第2節では、古代インドにおける議論の場を示す術語・概念について、ニヤーヤ学派及び仏教の初期の論理学文献、及びダルマスートラの記述をもとに整理する。第3 ・4 節では、仏教やジャイナ教の文献にみられる「審問者」(prāśnika)や「四要素」(caturaṅga)といった概念に着目し、哲学的議論における裁定者の位置付けを考察する。第5 節では哲学文献とダルマ文献にあらわれる議会/法廷(sabhā)関連語の意義を確認する。第6節では、哲学的議論における裁定者の資質・行為に関する規定を取り上げ、ダルマ文献との連関を示す。以上の検討を通して、裁定者観の変遷をセクト的・文化的側面から裏付けつつ、古典インドの哲学的議論空間の把握における両文献群の比較の有用性を示したい。
仏教は南アジアに端を発しながらも、インド本土での資料が限定されるため、 時代と地域を確定しうる資料を参照しつつインドにおける仏教の展開を論じる 必要がある。そこで、本稿は七種の実践徳目からなる三十七菩提分法に着目し、 最初に五世紀以前の中央アジア、東南アジアの考古資料、及び東アジアで選述 された漢語典籍において三十七菩提分法が仏陀の法を象徴するものとして理解 されていたことを論じる。そして、このアジア各地に広がった思想的営為が、 南アジアにおいても同時代的に流通していたことを明らかにすべく、下限年代 が五世紀以前のパーリ文献、及び漢訳仏典を、サンスクリット写本、ガンダー ラ写本などに照らしながら、分析する。これにより、三十七菩提分法を仏陀の 法の象徴と解釈する言説が、南アジアを起源として五世紀以前のアジア各地に 広まり、仏教世界全域に共時的に通底するものであったことが判明する。
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