教育方法学研究
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40 巻
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原著論文
  • ― 低学年児童の情動表出に対する教師の応答行為の事例検討を通して ―
    芦田 祐佳
    2015 年 40 巻 p. 1-13
    発行日: 2015/03/31
    公開日: 2017/07/19
    ジャーナル フリー

      本研究の目的は,児童の情動に対する教師の支援を「情動的足場かけ」として捉え,情動的足場かけの形成過程の様子と,情動的足場かけを通じて応じるニーズについて,児童の情動表出に対する教師の応答行為をもとに明らかにすることである。

      小学2年生の教室に参与し児童の情動表出に対する教師の応答行為の解釈的分析を行ったところ,以下の知見が得られた。

    1.情動的足場かけの形成過程

      教師は児童の情動状態や学習活動に合わせて応答行為を塗り重ねることで情動的足場かけを形成していた。この塗り重ねは,児童の情動を理解するために,また時間割等の制約により児童との関わりが分断され,その関わりの不十分さを後から埋めるために行なわれることがあった。

    2.応答ニーズ

      教師は児童の「学業達成ニーズ」と「社会-情動的発達ニーズ」の焦点を移行させながら双方への応答を行なっていた。また応答ニーズとして「ケアのニーズ」と「指導のニーズ」も見出され,教師はその間でも焦点を移行させながら児童を支援していた。しかし以上のニーズへの応じ方は,個別児童と他児童の双方に対する応答の間で相互交渉されており,教師があるニーズへ優先的に応じる場合や,どのニーズに応じてよいか分からず,どのニーズにも即応できるニーズ間の中間的立場から応答することがあった。

      以上より,小学校教師による情動的足場かけは複数のニーズが混淆する中で行なわれていることが示された。

  • 渡辺 貴裕
    2015 年 40 巻 p. 15-26
    発行日: 2015年
    公開日: 2017/07/19
    ジャーナル フリー

      「専門家のマント」とは,専門家の役になった学習者が架空の依頼を受け,その課題に取り組む活動を通してさまざまな内容の学習を行うという手法である。この手法は,日本では,授業において用いることができる一つの技法という認識が一般的であった。しかし,この手法を発展させたドロシー・ヘスカットにとって,これは,カリキュラムの再構成をも伴う,より大きな可能性をもったものであった。ヘスカットが考える「専門家のマント」は,まず,単発ではなく複数回の授業を必要とするもので,また,常に教科横断的な学習を想定するものである。ヘスカットは,専門家の役になる際の間接性を重視する。また,架空の設定には「事業」「依頼人」「問題」という要素が必要であり,「事業」の確立が保障されなければならないとする。

      ヘスカットが考えていたこうした「専門家のマント」の可能性は,2000年代に入ってからの,学校全体の規模でのこの手法への取り組みの出現により,実現した。ビーリングス小学校やウッドロー小学校はその一例である。これらの学校では,「専門家のマント」を通した教科横断的な学習が,カリキュラムの主要部分として組み込まれている。こうした新たな展開を支えたのが,ルーク・アボットと,彼が中心となって設立したMoE ドットコムというネットワーク組織である。アボットおよびこの組織はウェブサイトの運営や研修機会の提供を通して,この新展開に貢献している。

  • 高等学校における授業記録の分析をもとにした探索的研究
    堀田 貴之
    2015 年 40 巻 p. 27-37
    発行日: 2015/03/31
    公開日: 2017/07/19
    ジャーナル フリー
      本研究は,高等学校において総合社会科の原理にもとづいた評価基準を明らかにするための探索的研究である。
      知識基盤社会といわれる現代において,社会認識を育成する授業には,歴史・政治経済・地理など科目の枠を超えた総合社会科にもとづく授業が必要である。しかし評価の基準が明確でなければ,実践した授業における評価ができず,授業の検証・改善といった聞かれた授業開発が行うことができない。
      総合社会科の原理は通時的認識と共時的認識の往還によって,高次の学習にいたることであると定義する。この原理にもとづいて評価指標を開発する。
      本研究の目的は総合社会科の授業記録や生徒の記入したワークシートなどにもとづき,課題別ループリックを開発することによって,評価基準を示し,一般的ルーブリックの基準を明らかにすることを目的とする。
  • A. グルーシュカの教授学構想を手がかりに
    松田 充
    2015 年 40 巻 p. 39-49
    発行日: 2015/03/31
    公開日: 2017/07/19
    ジャーナル フリー
      本稿の目的は、批判理論に基づくグルーシュカの教授学構想を明確にすることによって、ドイツにおけるPISA後の教授学の展開の中で、授業の教育学的再構成の意義を明らかにすることである。
      ブランケルツの下で教育科学を学んだグルーシュカは、アドルノの批判理論に依拠しつつ、「否定教育学」を構想した。そこにおいて彼は、精神科学的教育学と批判理論との間で、教育学に土着の概念群である陶冶、教授学、訓育を再評価しながら、理論と実践、要求と現実との間に非同一性、矛盾が存在することを指摘した。
      グルーシュカは近年の経験論的な教育研究の趨勢に対応し、「授業することの教育学的再構成」という授業研究プロジェクトを主宰する。そこでは授業の発話記録を手がかりに、三つの概念に基づきながら、授業の「教育学的固有構造」の解明が試みられる。その中で彼は、定式「訓育することは『理解することを教授する』ことである」を提示する。
      PISA後の教育学議論に対して、グルーシュカは、学校や授業の中に様々に存在する矛盾が考慮されていないことを批判する。その上で彼は、先の定式を手がかりに、改革の中で現れた概念を再構成しながら授業に矛盾を奪還するという教育学的再構成を行う。
      そして、グルーシュカの教授学構想の意義は、アウトプット制御による授業の問題への批判と応答のあり方を明確したこと、「教授学化」する教授学研究のあり方を批判的に問いなおす可能性を示すことである。
  • ― スライド集「日本周遊」の1920年代の学校教育での利用価値と歴史的意味 ―
    佐藤 知条
    2015 年 40 巻 p. 51-62
    発行日: 2015/03/31
    公開日: 2017/07/19
    ジャーナル フリー

      本研究はテクノロジーと機器を用いて教育内容を提示する教材を「メディア教材」と呼ぶことにして,戦前における幻燈(スライド)のメディア教材としての位置づけを新発見の19枚組のスライド集に基づいて検討し,それがメディア教材の利用の歴史において持つ意味を考察するものである。

      19枚のスライドは1920年代には製作されており,なおかつメディアの教育的利用に力を入れていた学校に導入されていたものと思われる。スライドの多くは国定地理教科書の内容に準拠した場所を精密な画像で表現したものであることから,1920年代の地理科で利用されていた挿絵や絵葉書といった映像的な教材の不十分さを補完できるメディアとして幻燈が位置づけられ,教材として利用可能なスライドが製作,編集されていたと考えられる。そのうえで,いくつかのスライドの内容から,国定教科書の補助にとどまらない使い方も考えられることを指摘した。

      幻燈業者の学校教育に対する姿勢と文部省の幻燈に対する態度を見ると,スライドは業者があらかじめ組んで市販していたものではなく,利用者である教師が内容の選択に関与して独自に編集したものである可能性が示唆される。利用者が個別に関与して作られるメディア教材は幻燈から後には一般的ではなくなることから,教材用の教育映画が本格的に登場する1930年代にメディア教材の製作と利用の構造が転換したといえる。

  • ― 1930年代の中国における国語学力の問題に焦点をあてて ―
    鄭 谷心
    2015 年 40 巻 p. 63-73
    発行日: 2015/03/31
    公開日: 2017/07/19
    ジャーナル フリー

      本稿では,1930年代の中国における国語学力の問題をめぐる議論や背景を踏まえ,近代国語教育の再建のために,国語の学力論とその国語学力を身につけるための方法論を構築しようとした夏丏尊の国語教育論を明らかにする。まず,1910年代から1930年代にかけて形成された夏の教育理念を検討したうえで,彼が創刊した『中学生』を舞台に展開した1930年代の中高生の国語学力の問題をめぐる論争を取り上げる。次に,雑誌の編集者や教師,および生徒の間の議論を分析することで,そこに現れた課題を学力水準と評価,教材編成,および読み書きの方法論という3つの側面から整理する。これらの課題に対応する夏の国語学力論および方法論を取り上げる。本稿における検討により,夏の理論の特徴が,①読み書きに関する到達レベル・自国と世界の常識と理解が方向目標として設定されること,②生徒が自己評価を通して基礎・基本的な国語学力を身につけていくこと,③教材選択の際に系統や種類に留意し,探究的な学習ができるようにすること,④作文の着想・構想を重視し,「真実」「人格形成」を作文教授論の本質とすることが解明される。

  • ― 1923年および1939年における数学協会による報告書に着目して ―
    大下 卓司
    2015 年 40 巻 p. 75-84
    発行日: 2015/03/31
    公開日: 2017/07/19
    ジャーナル フリー

      本稿では,戦間期イギリスの幾何学教育の展開を明らかにした。具体的には,数学協会による2つの報告書,すなわち,1923年のThe Teaching of Geometry in Schools(以下,1923年報告書)と,1939年のA Second Report on the Teaching of Geometry in School(以下,1939年報告書)を史料とし,20世紀初頭から始まった数学教育改造運動(以下,改造運動)が収束したとされる1920年代以降において,改造運動の始原であるイギリスにおいて数学教育がいかなる展開を遂げたのかを検討した。

      2.において改造運動の前後から1910年代までの議論を整理し,『原論』  型の幾何学教育からの脱却が進められる過程で,論理と直観の双方を育成するカリキュラムが求められていたことを明らかにした。3.では,1923年報告書を概観し,単一のカリキュラム自体が否定され,教師によるカリキュラム編成が必要とされるとともに,学習者の理解に即した段階的なカリキュラムが確立されていったことを述べた。4.では1939年報告書を検討し,各段階における授業実践が具体的に示されたことを示した。その上で,1923年と1939年の報告書を比較し,幾何学教育における戦間期の展開を検討した結果,数学協会は新たな公理に基づく幾何学教育のカリキュラムの可能性を示した後,優れた実践事例を紹介することで授業の質的向上を目指していたことが明らかになった。

  • ― リリアン・ウェーバーの実践とそのディスコース ―
    橘髙 佳恵
    2015 年 40 巻 p. 85-96
    発行日: 2015/03/31
    公開日: 2017/07/19
    ジャーナル フリー

      本稿は,アメリカ合衆国の進歩主義教育者リリアン・ウェーバーに焦点を合わせ,1960年代から1980年代におけるアメリカの子ども中心主義教育を特徴づけた実践とそのディスコースを明らかにするものである。ウェーバーは,20世紀初頭の進歩主義教育を1960年代において再興し,特有の実践とディスコースを展開し,進歩主義教育を次代へつないだ人物である。得られた知見は以下の三点である。

      一点目は,ウェーバーが,人の知性への信頼にもとづいて,マイノリティを含めすべての子どもに学ぶ権利を保障しようとしたということである。二点目は,ユニークな学校改革プログラムである「開いた廊下プログラム」が,伝統的な公立学校に人びとの交流と豊かな環境を創り出すシステムとして開始されたということである。三点目は,「オープン・エデュケーションのためのシティ・カレッジ・ワークショップ・センター」が,教師の探究の空間として設立され発展したということであり,その背景には学びと初等科学のつながりをめぐる理解の深まりがあった。

      ウェーバーはつねに子どもを中心に考えていた。そしてすべての子どもに学ぶ権利が保障される学校と,すべての人に世界の意味を創ってゆく権利が保障される社会を,民主的共同体のヴィジョンとして追求していた。説得的な実践とディスコースによって,ウェーバーは,当時の進歩主義教育の子ども中心主義の系譜において中心的役割を担い得た。

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