本稿の目的は、批判理論に基づくグルーシュカの教授学構想を明確にすることによって、ドイツにおけるPISA後の教授学の展開の中で、授業の教育学的再構成の意義を明らかにすることである。
ブランケルツの下で教育科学を学んだグルーシュカは、アドルノの批判理論に依拠しつつ、「否定教育学」を構想した。そこにおいて彼は、精神科学的教育学と批判理論との間で、教育学に土着の概念群である陶冶、教授学、訓育を再評価しながら、理論と実践、要求と現実との間に非同一性、矛盾が存在することを指摘した。
グルーシュカは近年の経験論的な教育研究の趨勢に対応し、「授業することの教育学的再構成」という授業研究プロジェクトを主宰する。そこでは授業の発話記録を手がかりに、三つの概念に基づきながら、授業の「教育学的固有構造」の解明が試みられる。その中で彼は、定式「訓育することは『理解することを教授する』ことである」を提示する。
PISA後の教育学議論に対して、グルーシュカは、学校や授業の中に様々に存在する矛盾が考慮されていないことを批判する。その上で彼は、先の定式を手がかりに、改革の中で現れた概念を再構成しながら授業に矛盾を奪還するという教育学的再構成を行う。
そして、グルーシュカの教授学構想の意義は、アウトプット制御による授業の問題への批判と応答のあり方を明確したこと、「教授学化」する教授学研究のあり方を批判的に問いなおす可能性を示すことである。
抄録全体を表示