本論は,1948(昭和23)年の児童指導要録への5段階相対評価導入に着目し,ときの文部事務官小見山栄一の「教育評価」論の特質について明らかにすることを目的とする。
「教育評価」とは1920~1930年代のアメリカにおいて,恒常的な知能と学力との関連を重視する「教育測定」運動への批判から生まれた児童生徒の日々の学習状況を把握し指導改善に生かす取組であり,日本では戦後教育改革期に展開された。しかし,日本で「教育評価」の必要性を唱えた教育学者の多くは,本来対立する「教育測定」の理論に基づく5段階相対評価も推進した。本論では,こうした矛盾をはらむ動向の鍵となる人物として小見山に焦点を当てた。
先行研究では,小見山が日本における「教育評価」展開に果たした役割を認めた上で,小見山には「教育測定」の理論に基づく「標準テストの利用を推奨するなど,教育評価の目的とは相反するような主張もみられた」とし,そこに「教育の個性化論」を脱しきれない彼の「限界点」があるとしている。
そこで本論では,日本の「教育評価」の構造と児童指導要録との関係,5段階相対評価の登場と教育現場の反応などを分析した上で,小見山の著作や発言を追いその「限界点」について検討した。
その結果,小見山の「教育評価」論は,知能の恒常性を認めながらも「教育の個性化論」に飲み込まれることなく,学力の可変性に着目し教育目標達成のための指導改善を目指す取組であったと結論付けた。
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