本稿の目的は,国際バカロレア(IB)教育の哲学的な基盤を形成したとされるピーターソンの評価観を,彼が考える教育の目標とカリキュラムとの関係に注目して検討することである。彼は1950年代後半にイギリスのシックス・フォーム改革に携わっていた際に批判の対象としていた「試験(examination)」を,1960年代後半以降,IB のカリキュラム開発時には教育の目標を具体化する手段として記述した。この転換に注目し,彼の教育の目標の内容及び教育の目標と「試験」との関係を,著作をもとに分析する。 教育に携わる過程の中で,ピーターソンは「自身と自身が生きる社会を理解し,社会と関わり,自身が生きる世界を楽しむ」との教育の目標を一貫して掲げていた。この教育の目標から導き出される彼の評価観は,「自己認識の機会」としての評価である。しかし当初,彼が用いた「試験」の語句は,この評価観を 十分に表すことができなかった。彼はIB のカリキュラム開発に携わる中で「評価(assessment)」の語句を獲得し,教育の目標と合致する評価観をカリキュラムに明示し,制度的に構築していった。 評価のハイステイクス化が問題となる中,問われるのは実際に教育に携わる教師と学ぶ生徒の評価観である。教育の目標に基づき,生徒の学習と教師の指導,評価のしくみを構築したIB 教育において,教師や生徒がいかに評価を捉えているのかについての検討が,よりよい評価実践のための今後の重要な課題となるだろう。
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