教育方法学研究
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44 巻
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原著論文
  • 修復的正義の視点からみた学校コミュニティにおける指導の課題
    田渕 久美子
    原稿種別: 研究論文
    2019 年 44 巻 p. 1-11
    発行日: 2019/03/31
    公開日: 2020/04/01
    ジャーナル フリー

    本研究の目的は,学校におけるいじめのような人間関係の問題について,対立の解決過程から学び,市民社会の形成者としての子どもを育てる学校コミュニティと指導のあり方を考えることである。修復的正義の理論と実践は,共同体主義に基礎づけられている。また修復的正義の求めるコミュニティのあり方は,市民社会の維持に向けられたものである。身近な人権侵害や問題行動の予防と解決は,コミュニティのあり方と関連するため,学校においても,学校や学級が対話によって包摂的修復的であることが求められる。 ここで参照したい修復的正義の理論と実践において重要な方法原理は,対話と,対話による物語論的な他者理解,および再統合的恥づけ理論(ブレイスウェイト)である。アーメッドは,再統合的恥づけ理論をもとに,いじめに関する研究において,コミュニティとの関係で「恥のマネジメント」という概念を提示している。指導が烙印づけにならず,恥づけになり再統合がなされることが重要である。そのようにして問題行動の抑止,および問題が起こった後の人間関係の修復やコミュニティへの再統合は,包摂的修復的なコミュニティにおいて,よりよく行われる。もし,日本の学校がパターナリズムによらず,子どもの問題解決過程への主体的な参加を促すことができれば,子どもたちは市民社会を形成し維持する者として育つことができるのではないだろうか。

  • 早川 知宏
    原稿種別: 研究論文
    2019 年 44 巻 p. 13-23
    発行日: 2019/03/31
    公開日: 2020/04/01
    ジャーナル フリー

    本研究の目的は,現代ドイツ教育学において指導論はどのように取り扱われ,陶冶論からどのように再編されるかを検討し,その意義と課題を明らかにすることである。 統一後ドイツにおいて指導が語られる際,ナチズムの反省から,子どもと教師の対等性が目指され,生活や学習の規則についても子どもとの合意や取り決めが重視されていた。しかしそれが子どものエゴを助長していることを問題視したブエブ(Bueb, B.)は,罰則による管理として規律論と指導論を提起し論争が起こった。こうした動向の中で指導のあり方を陶冶(Bildung)論から再構成するのがツェルナー(Zellner, M.)である。ツェルナーは,指導概念の源流を,ギリシア語のパイデイア(paideia)にさかのぼって検討し,陶冶との関わりがあることを見出した。そして対話的な教師と子どもの関係を重視し,教室の秩序を整える規律を,授業を成立させる前提の指導に位置づけた。そのうえで教育的指導(Pädagogische Führung)を方法的(Methodisch),教授学的(Didaktisch),組織的(Organisatorisch)な指導として展開した。この教育的指導によって陶冶としての自己指導(Selbstführung)へと導く必要性を提起し,指導の捉え方を再考する必要性を示した。 本研究から明らかになったのは,ブエブをめぐる論争以降,指導に関する議論が,子どもの自由か管理かという議論を超えて,教科内容の指導による人間形成の意義が強調されているということである。

  • J. スピラーンの「組織ルーティン」を手がかりとして
    有井 優太
    原稿種別: 研究論文
    2019 年 44 巻 p. 25-36
    発行日: 2019/03/31
    公開日: 2020/04/01
    ジャーナル フリー

    本研究の目的は,校内授業研究の持続発展プロセス,及びそのプロセスと校内授業研究における教師の学習との関係を明らかにすることである。その為に研究組織の教師及び研究組織以外の教師に対するインタビュー調査を行い,同一時期の校内授業研究における教師の経験を,スピラーンによる「組織ルーティン」の概念を手がかりに「明示的側面」「遂行的側面」という視点を用いて分析した。

    その結果,以下の3点が示された。第1に,研究組織が明示的側面と遂行的側面との差異を認識し,組織ルーティンを再構築する過程を描くことができた。その中で,リーダーシップ実践の連続性において組織ルーティンに埋め込まれたツールやタスクが重要な機能を果たしていることや,研究組織の教師は両側面の差異を縮減させるために自身の置かれている役割や状況に応じ多様なリーダーシップ機能を果たしていることが明らかとなった。第2に,校内授業研究という組織ルーティンの企画・運営及びルーティンの遂行によって教師は,〔教師の学び方に関する学習〕を行っていることが明らかとなった。第3に,組織ルーティンに埋め込まれているツールが実践のプロセスにおいて産出されることによって教師の学習が行われていることが明らかとなった。研究組織はそのツールを分析することで組織ルーティンを再構築しているため研究組織の企画・運営する組織ルーティンと教師の学習は相互的な関係にあると言える。

  • カリキュラム開発の「羅生門的接近」をめぐって
    八田 幸恵
    原稿種別: 研究論文
    2019 年 44 巻 p. 37-48
    発行日: 2019/03/31
    公開日: 2020/04/01
    ジャーナル フリー

    1974年の,OECD-CERI「カリキュラム開発」プロジェクトの東京セミナー第2分科会では, 「工学的接近」と「羅生門的接近」というカリキュラム開発の2つの立場が析出された。日本の教育方法学において「羅生門的接近」は常識化し,共通教育目標・内容の設定を否定する論陣の論拠のひとつとなった。しかし,第2分科会主要参加者の1960~1970年代における所論と「羅生門的接近」との関係を読み解くことで,次のことが明らかになった。第一に,成立時の「羅生門的接近」には複数の立場が含まれており,ひとつの立場とみなせるようなものではなかった。第二に,「羅生門的接近」の主要な部分は,OECD-CERI 発信のものでもアトキンの論でもなく,その成立には日本側メンバーの多大な貢献があった。第三に,「目標にとらわれない評価」が認識の相対性を強調する評価の立場であるとみなされるようになったことで,「羅生門的接近」は次第に授業の見え方の交流と同義となった。第四に,そのことによって日本の教育方法学は,共通教育目標・内容を開発チームで共有化することを可能にする,新しい教育評価のあり方というアトキンの問題意識を,十分に引き受けることができなかった。このアトキンの問題意識は,現代において非常に大きな意味を持つ。この現代的課題に取り組むために,今後の教育評価研究は,「羅生門的接近」における対比①③の背後にある問題意識と,対比②の背後にある問題意識を別物として引き受けていく必要がある。

  • アラスカにおける文化的応答性のある科学カリキュラム構想に着目して
    山根 万里佳
    原稿種別: 研究論文
    2019 年 44 巻 p. 49-59
    発行日: 2019/03/31
    公開日: 2020/04/01
    ジャーナル フリー

    本研究では,「場所に根ざした教育(place-based education)」の構想する学校カリキュラムの検討を通して,その理論と実践の教育方法学的意義と課題を明らかにすることを目的とする。グローバル化の進行のなかで生じている経済的荒廃や文化的同質化,コミュニティーの生態学的破壊にたいして,「場所に根ざした教育」は,人間と周囲の環境との相互依存の関係が学ばれる必要性を論じている。その実践として,バーンハートの提唱する「場所の教育学」のもと構想された,アラスカの学校教育改革の事例に焦点をあてる。

    ここで問われたのは,学校教育において周縁化されてきたネイティブの知識体系と,西洋由来の知識体系との接続可能性と相互補完性を示すことであった。そこで,二つの知識体系を統合した文化的応答性のあるカリキュラムが構想され,教師用ハンドブックやレッスンプランを通じた教師教育へと展開する。

    ここでは,ネイティブの知識体系を有する年長者と学校教育とがいかに共同して経験的で探究的な学びを行うのか,その教育方法も含めた構想がみられる。

    「場所」を視点とすることで,今日における地域と学校教育とのあり方を展望することに示唆が得られる。

  • 生活との差異に基づく授業の構想とその実践
    田中 怜
    原稿種別: 研究論文
    2019 年 44 巻 p. 61-72
    発行日: 2019/03/31
    公開日: 2020/04/01
    ジャーナル フリー

    20世紀初頭の改革教育学(Reformpädagogik)は,学校と生活の乖離を批判し,両者を結びつけようとしていた。この問題意識は急進的な学校批判が高まった1970年代以降のドイツにもみられた。こうした学校改革の動きの中でも,本小論の検討対象となる学校実験「イエナ-プラン・ヴァイマール」は特異な位置を占めていた。この学校実験は,東西ドイツ統一後に改革教育学の代表格「イエナ・プラン」を蘇らせつつも,同時に学校と生活の統合という改革教育学的理念と批判的に対峙したためである。

    それでは,この学校実験はどのように20世紀初頭のイエナ・プランを現代に蘇らせ,また同時に批判的に乗り越えようとしたのであろうか。本小論の目的は,学校と生活を直接に結びつけるのではなく,両者の差異に基づいた授業の理論的・実践的方法を,この学校実験の事例から明らかにすることである。

    この目的の達成を通して,以下のことが明らかとなった。すなわちこの学校実験は,生活から意図的に距離を取ることによって,それを反省的に捉える多視点性を授業で際立たせていた。こうした生活との差異に基づく授業は,「多視点的授業」と「対話的教育」という二つの教授学的原理に支えられていた。生活との差異を授業作りの積極的可能性として捉える学校実験は,「授業改革かその批判か」という二項対立を乗り越え,また学校教授における「真正性」や「有用性」の要求を相対化する意義を有している。

  • ―算数・数学教育におけるゲームの射程の再検討―
    香川 七海
    2019 年 44 巻 p. 73-83
    発行日: 2019/03/31
    公開日: 2020/04/01
    ジャーナル フリー

    本稿は,遠山啓における「楽しい授業」論の特質を明らかにするものである。本稿の検討によって,①遠山におけるゲームは,算数・数学教育における「反復練習」の課題を補完することを目的に教育活動に導入されたものであること。②彼は「儀式的授業観」の克服は必要なものと考えていたが,その方途に,児童生徒に迎合するような姿勢を推奨していたわけではないこと。③1970年代に進むと,遠山は,「わかる授業」によって,一様に学力考査の得点を向上させることができるものの,それでは,児童生徒の成績による序列をそのまま引きあげたことにすぎないと懸念し,序列のつかないゲームの性質に注目して「楽しい授業」論を提唱したこと。④彼による「楽しい授業」は,「わかる授業」と対立するものではなく,補完しながら構想されたものであること。以上の知見が明らかとなった。本稿の知見によって,先行研究の解釈とは異なる遠山の「楽しい授業」論の輪郭を明らかにすることが可能となった。

  • 「純音楽生活の指導」に着目して
    藤井 康之
    原稿種別: 研究論文
    2019 年 44 巻 p. 85-95
    発行日: 2019/03/31
    公開日: 2020/04/01
    ジャーナル フリー

    本論は,上田友亀の国民学校期における器楽教育思想と実践の特質を,彼特有の概念「純音楽生活の指導」に着目して明らかにすることを目的としている。

    上田のリズムを中心とする器楽教育思想の形成には,コールマンの「創造的音楽」と近代西洋音楽美学の重要な概念である「自律的な音楽」の二つの思想の影響があった。上田は,コールマンの「音楽の根本はリズムである」から示唆を得ることによって,リズムを音楽教育の根本に据えた器楽指導を構想し,音楽に興味を抱かない子どもから,生命力あふれる音楽表現を引き出そうとした。一方で,「自律的な音楽」にも依拠していた上田は,プリミティヴなリズムだけではなく,近代西洋音楽を構成する根源的な要素としてもリズム,旋律,ハーモニーを子どもたちに体得させることを重視し,芸術音楽に近接させることを企図した。

    国民学校期は,現在の「音楽」教育が形づくられた意味においてきわめて重要な画期である。芸術的な音楽表現が求められた当時の小学校音楽において,「創造的音楽」を基盤とした上田の試みは,小学校音楽のあり方を根本から変革する可能性を有していた。しかし,「自律的な音楽」にも影響を受けていた上田は,従来の芸術的な音楽表現を志向する音楽教育の枠組みを打破できず,上田の器楽教育思想と実践は「創造的音楽」と「自律的な音楽」を同時に内包させたまま,戦後期の小学校音楽に受け継がれ影響を与えていく。

  • 「二人称的かかわり」の視点による「規則の尊重」と「相互理解,寛容」の再定義
    村瀬 公胤, 岸本 琴恵
    原稿種別: 研究論文
    2019 年 44 巻 p. 97-107
    発行日: 2019/03/31
    公開日: 2020/04/01
    ジャーナル フリー

    本研究の目的は,教育実践における二つの道徳的価値「規則の尊重」と「相互理解,寛容」の相克について,ケアの倫理を導入することによってこれを乗り越える方途を探ることである。そのために,中学校の事例に基づいて問題の構制を分析するとともに,佐伯(2017)の「二人称的かかわり」および「三人称的かかわり」を参照しながら「規則の尊重」と「相互理解,寛容」の概念の再定義を試みた。

    事例を通して明らかになったのは,まず,「三人称的かかわり」が「規則の尊重」と「相互理解,寛容」の相克をもたらしており,「二人称的かかわり」がそれを乗り越える契機となり得ることである。次に,「二人称的かかわり」の中で,生徒が主体的な規則の担い手として育つ過程が示された。「規則の尊重」とは,私があなたとどのような関係でありたいかという,二人称的な自律性の発露として捉えることができる。 他方,「相互理解,寛容」としてのケアとは,一方的な保護で現状を無条件に肯定し放置する甘やかしとは異なり,成長の文脈において現状を受けとめることであった。

    多様な個によって担われる規範と,多様な個が成長するためのケアは,学校が道徳的空間であるための必要な要素である。この理解に基づいて,日々の生徒指導や学校経営が進められる可能性が示唆された。

書評
図書紹介
日本教育方法学会第54回大会報告
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