教育方法学研究
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46 巻
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研究論文
  • 学習者の鑑識眼を錬磨する
    石田 智敬
    原稿種別: 研究論文
    2021 年 46 巻 p. 1-12
    発行日: 2021/03/31
    公開日: 2022/04/01
    ジャーナル フリー

    本稿は,ロイス・サドラーによる形成的アセスメント論を検討するものである。近年,評価活動を通して,教師と学習者が協働的に学習を改善していく形成的アセスメントの考え方が衆目を集めている。こうした考え方の理論的ルーツの一つは,サドラーによる形成的アセスメント論(1989年)にあるとされる。しかし,氏は,形成的アセスメントの考え方が世界的に広がるにつれて,昨今の形成的アセスメントの論調に対してラディカルな批判を展開し始めている。そこで本稿は,こうしたパラドキシカルな状況に鑑みて,(1) 氏の形成的アセスメント論の背景や考え方の特質はなんであったか,(2) 形成的アセスメント論が国際的に展開する中で,氏の所論はどう受容されたか,(3) 昨今の形成的アセスメント論に対して,氏はどんな論理で批判を行い,そこから見えてくる氏の立場や主張の根幹は何かについて明らかにすることを目的とした。氏の所論は,複雑で高次な学習の文脈において,学習者の評価エキスパティーズをどう育成できるかに主眼が向けられるものであり,このような能力は,熟達者の導きの下で行われる真正な評価経験に従事していくという,ある種徒弟制的で帰納的な過程によって育まれると主張するものであった。このような氏の所論は,実践共同体において学習者の鑑識眼を錬磨することを主軸とするアプローチによって,形成的アセスメント論を切り拓こうとする試みとして捉えることができた。

  • 「知識と態度」 (Wissen und Haltung)の関係性に基づく価値教育の構想
    平岡 秀美
    2021 年 46 巻 p. 13-24
    発行日: 2021/03/31
    公開日: 2022/04/01
    ジャーナル フリー

    社会の世俗化・多元化に伴う共通価値の喪失に対し,学校教育には倫理・道徳的な「態度」の育成による社会統合という任務が課されていく。とりわけ70年代以降のドイツ社会においては,価値教育による青少年の問題行動の改善という社会的・政治的要求に応えようとする教育の方向性が見られた。このような教育の「態度」育成的側面に疑義を差し挟んだのがハイトガーである。では,彼がこのような批判を展開した背景とはどのようなものか。そして,彼の批判を基礎付けている理論とそれに基づいて展開された批判と代替案とはどのようなものか。本小論は,これらの問いに回答し,「知識と態度」の関係性に基づく価値教育のあり方を提示することを目的としている。 ハイトガーの価値教育批判とその代替案は,ペッツェルトによる,「知識」と「態度」を自我に属する統一体として捉え,それぞれを明確に区別しつつも相互に関係し合うものとして結びつける理論と,それに影響を受けたハイトガー自身の「道徳性と陶冶」の促しの理論に基礎付けられたものであった。これらの理論に基づき,ハイトガーは,現代ドイツの価値教育に対して,倫理的・道徳的な態度を育成するという意味での徳は教えられないと批判的主張を展開し,その代わりに,認識が態度についての問いを自己内部の「理性の法廷」という独自の判断機関において引き起こすと見ていた。そして授業では,その認識による問いを,対話的な導きを通じて促すことが重要であると述べていることが明らかとなった。

  • 物と人間の関係に焦点を当てて
    楠見 友輔
    原稿種別: 研究論文
    2021 年 46 巻 p. 25-36
    発行日: 2021/03/31
    公開日: 2022/04/01
    ジャーナル フリー

    本稿では,ニュー・マテリアリズムの理論を教育研究に取り入れる意義について論じた。社会科学や人文学では,旧来,主体性は意思のある人間の性質とされ,物は因果的な性質を持つとして人間からは区別されてきた。近年の社会科学において注目されている社会構築主義においては,人間と物の多様で複雑な関係が考慮され,子どもの学習のミクロな過程が明らかにされてきた。しかし,物は人間にとっての道具に置き換えられることによって人間との関係を有すると考えられ,子どもの学習は言説的相互行為を分析することを通してのみ明らかにされてきた。ポスト構築主義に立つニュー・マテリアリズムでは,上記のような物と人間の二元論の克服が目指される。ニュー・マテリアリズムでは物の主体性と人間の主体性を対称的に捉え,コミュニケーションへの参加者が非人間にまで拡大される。物と人間はアッサンブラージュとして内的-作用をしていると捉えられ,特定の発達の筋道を辿らない生成変化が注目される。研究者は,回折的方法論によって実践から切り離されたデータと縺れ合うことで新しい知識を生産する。このようなフラットな教育理論を採用することは,これまで否定的な評価を受けてきた子どもの学習の肯定的側面を捉えることや,これまで見過ごされてきた知識の生産を促し,規範的な教育論から逃れた教育実践と研究の新しい方向性を見出す可能性を有している。

  • 清水(田中) 紀子
    原稿種別: 研究論文
    2021 年 46 巻 p. 37-48
    発行日: 2021/03/31
    公開日: 2022/04/01
    ジャーナル フリー

    本論文の目的は,1980年代後半までのドイツ教育学に対してプレンゲルが行った批判的考察を手がかりに,プレンゲルが構築した「多様性の教育学」の特質と現代的意義を明らかにすることである。 ドイツでは,とりわけ1980年代以降に教育の文脈における「多様性」概念が検討され,「多様性の教育学」として発展してきた。本稿では,1980年代後半までのドイツの伝統的な教育学の課題を改善するためにプレンゲルが提示した「多様性の教育学」の特質を次の二つの柱に分けて整理した。

    一点目は,1970年代以降に個別に研究されていた異文化間教育学,フェミニズム教育学,インテグレーション教育学という三つの教育学運動の共通性を考察することで,伝統的な教育学が子どもたちを「二者択一のジレンマ」に追い込んでいると指摘し,「平等を目指す差異」の思考形式を提案したことである。

    二点目は,「多様性の教育学」の基盤である教育学における承認の理論を発展させたことである。 プレンゲルは「多様性」が変動的なものであり,社会的に生み出されるような曖昧なものであることを説明したうえで,「多様性」は定義できないものであると主張している。「多様性」が定義不可能であるという認識は,教師と子どもが間主観的な関係の中で相互に承認することの重要性や,あらかじめ予測できない子どもの創造的な活動を尊重する「自由の余地」を確保することの必然性の根拠づけとなる。

  • 藤岡貞彦と中内敏夫の比較を手がかりに
    祁 白麗
    原稿種別: 研究論文
    2021 年 46 巻 p. 49-60
    発行日: 2021/03/31
    公開日: 2022/04/01
    ジャーナル フリー

    本稿は,主に1970,80年代における藤岡貞彦と中内敏夫の所論に着目し,彼らの環境教育に関する議論を地域に根ざす環境教育論として捉えることで,それぞれの内実を明らかにするものである。第一章では両者の教育観の異同,第二章では両者の考える環境教育の相違,第三章では地域に根ざすことの捉え方の相違を検討する。藤岡も中内も,地域に根ざすことで子どもの生活を教育に反映させることを志向する。 そして,子どもの生活を反映させることは,学校教育を問い直すことにつながっていく。ところが,それを問い直す主体も問い直される対象も異なる。藤岡にとって地域のあり方は,子どもの発達を保障する上でも,親や教師,他の地域住民の学習につながる点でも重要である。そして,環境教育の実践は地域の様々な主体が連携して行うものである。その中で,学校教育が問い直される際に,学校教育内容の創造だけでなく,教育制度の改編や施設の創設もありえる。一方,中内にとって地域は,子どもたちが豊富な素材を通して社会や自然の諸現象を体験できる身近な場所であり,それらの現象を認識する上で現在の学校教育の教育目標が科学的フィルターとして有効かどうかを検証する上で重要なものである。このように,藤岡と中内の描く環境教育論は,異同がありつつも,いずれも学校に対する批判的志向性を帯びている。それは,一種の活動やカリキュラムにとどまらず,教育全体を問い直す原理を内在するものである。

  • 綴方指導に焦点を合わせて
    中西 修一朗
    原稿種別: 研究論文
    2021 年 46 巻 p. 61-72
    発行日: 2021/03/31
    公開日: 2022/04/01
    ジャーナル フリー

     本稿では功利と科学を理念に掲げた,1930年代の戸塚廉の雨桜小学校における生活教育実践を検討した。 先行研究の多くは,戦後の戸塚の回想に依拠しているため,戦前の実践の全体像を把握できず,またそのために野村芳兵衛の継承者という位置づけや教育運動,学校外での地域教育実践のみを扱っている。本稿では,野村の教育論との異同を検証するとともに,戦前の戸塚の記録に基づいて,その実践の独自性を分析した。

     野村と戸塚はともに功利の重要性を論じている。しかし,野村が功利を自明視し,子どもの利己的な行動を否定していたのに対し,戸塚はむしろ子どもたちの利己的な言動を前提とし,その原因を考えさせることによって功利を形成しようとした,という差異が浮かび上がってくる。この指導において戸塚が用いたのが綴方であった。戸塚の綴方指導は,自由に書く綴方と,新しい課題主義による綴方に分かれていた。 子どもたちが多様な観察を持ち寄ること,観察にもとづいて合理的に思考すること,その合理性を集団で確かめあうことを通して,科学性を保障された認識を育み,功利へと至ることを期待していたのである。 さらに戸塚の実践には,もう一つの綴る活動として学級新聞が存在した。これは,子どもたちが学級をめぐって生じる諸問題を自分たちの課題として取り上げ,行動する契機となっていた。

  • 岩瀬六郎の理論と実践をもとにして
    福田 喜彦
    原稿種別: 研究論文
    2021 年 46 巻 p. 73-83
    発行日: 2021/03/31
    公開日: 2022/04/01
    ジャーナル フリー

    本稿の目的は,昭和初期における奈良女子高等師範学校附属小学校の公民教育論を岩瀬六郎の理論と実践をもとにして明らかにすることである。先行研究においては,岩瀬は合科学習を基盤にした「生活修身」「生活教育」の視点から分析されてきたが,奈良女高師附小の理論の鍵となる「公民教育化」によって,授業プランをどう具体化したのかという視点では検討されていなかった。そこで,本稿では,奈良女高師附小の機関誌『學習研究』での議論を踏まえ,岩瀬の公民教育の理論と実践を「公民教育化」という視点から考察した。本稿で明らかになったのは,以下の3点である。第一に,岩瀬は修身教育の題目の中に公民教育を担う教材を見出し,修身教育が道徳教育としての徳目をただ教授するのではなく,それをもとに公民教育の充実を図ろうとしていたことである。第二に,岩瀬は公民教育の内容として,政治的・経済的・社会的なものを重視し,初等教育段階では,各教科が連携して児童に公民的訓練を施すことが重要だと考えていたことである。第三に,岩瀬は修身教育を基礎にして公民教育のカリキュラムを提案し,尋常科第四学年から高等科第三学年までを視野に入れて,段階的に発展させていこうとしていたことである。今後は,昭和戦前期の他の公民教育論とも比較し,戦後の社会科や公民教育論との間にどのような関係があるのかを検討することが課題である。

  • 日本語教育実践における実践共同体構築にもとづいて
    南浦 涼介, 石井 英真, 三代 純平, 中川 祐治
    原稿種別: 研究論文
    2021 年 46 巻 p. 85-95
    発行日: 2021/03/31
    公開日: 2022/04/01
    ジャーナル フリー

    これまで多くの場合,評価という形で捉えられてきたものは,それが評定目的であっても,改善目的であっても,基本的には「個人」を対象にし,その能力の判定や形成を如何に目的に合う形でおこなうかという点では,発想は共通していた。しかし,近年のオルタナティブアセスメントの議論を見れば,評価は決して「個」を単位に「数値化・指標化」していくだけではなく,「共同体」を単位に「物語化」していく観点も見ることができる。 本稿では,こうした流れをうけて,評価という営みに教育としてどのような可能性があるのかを論じ,評価概念の再検討を試みる。そして評価について,1)実践共同体の関係性の構築を単位とすることができる点,2)事例をめぐる当事者間の対話による間主観性を生み出す物語の構築が重要である点,3)「評価する」という行為とそれをなす場の存在自体が,新しい学びやつながりを生み出す創発性を有する点,を論じていく。 また,具体的事例として学びの対象者が「外国人」であることから,個人の学習や発達の保障と個人をめぐる社会関係の構築や共同体への参加が不可分な関係にある日本語教育を事例とする。その事例から,上述の「共同体の実践の物語化」がいかにして評価の側面を生み出し,またそこにいかなる価値が見いだされるのかを具体的に見ていきたい。

書評
図書紹介
日本教育方法学会第56回大会報告
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