教育方法学研究
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43 巻
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原著論文
  • ― ナショナル・カリキュラムとクイーンズランド州の事例の分析から ―
    酒井 喜八郎
    2018 年 43 巻 p. 1-12
    発行日: 2018/03/31
    公開日: 2019/04/01
    ジャーナル フリー

    オーストラリアでは,2008年のメルボルン宣言以来,行動的で教養のある民主主義的なコミュニティへ参画し,グローバルな世界を生き抜く市民を育成しようとしてナショナル・カリキュラムが作成された。

    オーストラリアの新社会科であるHASS(Humanities and Social Sciences)は,地理・歴史・経済・公民とシティズンシップの4つのストランドで構成される1つの統合教科として再編された。HASS は,①概念の理解と,②スキル,を含んでいる。HASS のストランドの1つの「公民とシティズンシップ」では,例えば,異文化理解についても概念の理解だけでなく汎用的能力のスキルの1つとして示されている。そこで,ナショナル・カリキュラムがよく浸透しているクイーンズランド州の小学校3・4年生を対象にした「コミュニティへの参加」の単元の「ルールや食習慣のジレンマを通して民主的な決定について考える授業」のワークシートを分析した。その結果,異文化理解が,内容だけでなく問題解決のためのスキルとして位置づけられており,エンパシーに着目することで異文化理解のための3つの要素(文化の認識・尊敬,他人との相互作用,責任感を持つ)を組織化していることが明らかとなった。オーストラリアのHASS は,資質・能力を重視し,グローバル化をキーワードとする新学習指導要領が実施されるわが国のコンピテンシーベースの社会科の授業設計を考える上でも多くの示唆を与えてくれる。

  • 昭和20年に教壇に立った女性教師の語り
    滝川 弘人
    2018 年 43 巻 p. 13-24
    発行日: 2018/03/31
    公開日: 2019/04/01
    ジャーナル フリー

    本稿は,元教師たちの語りを比較し,特定の語りのスタイルを選んだ理由を考察することによって教師のライフヒストリーを読み解く新たな視点を見出すことを目的とする。先ず対象を昭和20年に教壇に立った元女性教師とした。本研究は戦後の日本の教育を支えてきた女性教師たちの沈黙された語りを引き出すライフヒストリー研究を目指す。元女性教師たちは退職後一定の期間を置き人生全体を俯瞰して語ることができる。次に語りを3パタンに分類した。写真を取り出して語るスタイルからは,元教師たちが教え子たちとの関係の継続を表現する意思が示された。特定の人物に内容を絞って語るスタイルには,学校との関係がつながっていることが表現された。パタン化し繰り返し語るスタイルからは語り手が完成した教師の物語を聞き手に伝えようとする意思が示された。第三に「写真」「人物」「繰り返し」のスタイルが選ばれた理由を基に11人の元女性教師の語りを解釈することによって,初任期の語りへの偏り,教え子たちとの関係の重視,校名による経歴の区切り,家族関係と学校の区分や家庭と学校の境界といった共通点を導き出すことができた。これらの共通点は従来の教師のライフヒストリーで殊更取り上げられてはこなかった点であり,教師のライフヒストリーを解釈する新たな視点となり得ると考える。

  • ―ハーマンスの対話的自己論をてがかりとして―
    藤井 佑介
    2018 年 43 巻 p. 25-36
    発行日: 2018/03/31
    公開日: 2019/04/01
    ジャーナル フリー

    本研究では,授業者が対話リフレクションを行う際に,思考プロセスで生じる多様なポジションの在り方とその対話構造を明らかにするために,ハーマンスの対話的自己論のポジションの概念を基軸とした分析を行った。ポジションの支配性の強弱と葛藤に焦点を当てて,逐語記録の分析を行った結果,複数のIポジションとポジション同士の対話関係が明らかになった。その結果,①A教諭による授業省察は,7つのポジションの対話によって展開しているということ,②A教諭の授業省察における思考プロセスは7つのポジションが支配性を流動的に強めることで展開されているということ,③「授業者としての私」以外のポジション同士も対話関係を形成しているという知見が得られた。これらの知見より,授業省察のプロセスの中で,A教諭に内在する7つのポジションがそれぞれの支配性を流動的に強めて対話を行うことで,授業に関わる様々な捉えを深化させ,授業者の実践の根幹を探ることを実現しているということが示唆された。

  • ―複数の教師によるPASS 評定尺度の利用を中心に―
    松尾 奈美
    2018 年 43 巻 p. 37-48
    発行日: 2018/03/31
    公開日: 2019/04/01
    ジャーナル フリー

    本研究は,子どもの認知特性をとらえ教育構想を導くための手立てと,子どもの認知特性への理解を共有し,授業改善に生かしていくための校内研修の在り方を提示し,実践研究をとおして検討するものである。

    本研究ではまず,PASS 評定尺度を改訂し,各教諭の観察という臨床的情報を活用することで,子どもにたいする見方の固定化を防ぎ,教育構想に資する利用法を開発した。つぎに,ディスクレパンシー・一貫性アプローチを適用した支援方針設定の過程を示した。その際,個人だけでなく学級全体の認知特性の傾向とあわせ,他の生徒にも学習の支援となり得るよう,授業者らの問題意識を反映した。そして,認知の観点を授業省察の共通枠組みとすることで,子どもへのより具体的な支援の検討を促し,研究授業の成果を他教科,他学年にも広げられる形で整理し蓄積する校内研修体制の方法を提示した。

    本研究では,どのような学力観が教師による観察や評定に影響を与えているのかを明らかにする方途を示すことはできていない。子どもの認知特性を授業づくりに活かすためには,教師の教科観や教材観,学力観から独立したものとして子どもの認知特性を位置づける必要があり,子どもの認知特性の把握の方法や,評定結果の解釈の方法を洗練させる必要がある。

  • 社会文化的アプローチの観点から
    楠見 友輔
    2018 年 43 巻 p. 49-59
    発行日: 2018/03/31
    公開日: 2019/04/01
    ジャーナル フリー

    本稿では,社会文化的アプローチの視点から学習者の主体性に基づく教授と授業のあり方についての議論を行った。社会文化的アプローチにおける学習者の「媒介された主体性」という概念は,個人の有能さではなく,文脈や環境に埋め込まれた主体の意思や行為する力を示すものである。このような観点からは学習者を同質的な主体性を有する集団と捉えたり,教師の教授と学習者の学習を対立的に捉えたりする見方は否定され,授業が教師と個々の学習者の主体性による複雑な相互活動の過程とみなされる。学習者と教師の主体性の関係の二者択一を解消するために重要となるのが教師の教授におけるコンティンジェンシーである。コンティンジェンシーへの注目は学習者の主体性を教師の教授の起点とし,学習者の主体性の発現を促し,授業に学習者の生活世界の文脈を導入することを可能にすることが示された。個々の学習者と教師が授業において主体として相互活動を行うためには授業を対話的構造に転換することが必要であると言われている。筆者は主体性に基づく教授と授業を行うためには,授業の具体的文脈における学習者の主体性に基づき,個々の学習者の主体性が実現されるような多様な教授や授業の方法や形式について議論することが必要であることを指摘した。

  • IFEL 講習内容から生活指導実践への展開を中心に
    久米 祐子
    2018 年 43 巻 p. 61-70
    発行日: 2018/03/31
    公開日: 2019/04/01
    ジャーナル フリー

    本稿は,占領下で行われた教育指導者講習(IFEL)でのGuidance 導入に着目して,その講習内容と,「生活指導」という訳語成立の経緯を明らかにすることを目的とする。戦後の小・中学校教育の新たな対象となった貧困児童・成績不振児・障害児等の社会的弱者である児童・生徒を〈包摂〉する教育実践のはじまりのひとつは,アメリカのGuidance 導入に際してGuidance の目的を受容し,次に不適応児童・生徒を普通学校・学級から排斥し隔離する機能をもっていた外部専門家を否定し,学級担任による集団指導を強調することに再定義した「生活指導」をGuidance の訳語としたことであった。それによって,戦後学校教育は〈包摂〉機能を拡大させたのであった。

  • 佐藤 知条
    2018 年 43 巻 p. 71-81
    発行日: 2018/03/31
    公開日: 2019/04/01
    ジャーナル フリー

     本稿では,大正新教育期の成城小学校における映画の教材利用の様相を明らかにし,後の映画教育の展開との関連を考察した。

     まず,取り組みの中心的な役割を担った訓導,関猛の論文を検討して取り組みの実情を考察した。関は,学習者の感覚に訴える,直観的印象を明確にする,具体的経験を通した学習ができるといった,一般的で抽象的な表現で映画の教材としての利用価値を主張し続けた。そこには,成城小学校の新教育の考え方に基づいた児童中心の学習の実現に向けた映画利用法も研究していたが成果を得られなかったことが関連していたと考えられる。

     つぎに,成城小学校の取り組みと後の映画教育との関連を検討した。成城小学校時代の関の主張は粗放であり理論の提示とはいえないが,奈良県桜井小学校訓導の下野宗逸は関の論文に強く影響を受けながら独自の映画利用論を構築した。下野の登場は,国定教科書の内容理解を促す教材として映画利用を拡大させる動きを導いた。一方,成城小学校を離れた関は1930年代半ばに,映画によって児童中心の学習を実現させるという考え方を具体的な指導案や自作した教材映画を通して初めて提示した。その教材映画は戦後にも受け継がれ,映画教育の方向性にも影響を与えた。理論の継承や発展,人的な連続性といった側面からは見えにくいが,成城小学校の映画利用と後の映画教育との間には確かな関連が存在しているのである。

  • T. H. ハクスリーとM. アーノルドによる論争に着目して
    本宮 裕示郎
    2018 年 43 巻 p. 83-93
    発行日: 2018/03/31
    公開日: 2019/04/01
    ジャーナル フリー

     19世紀のイギリスにおいて,自由教育論争と呼ばれる,自由教育の教育内容をめぐる論争がさまざまな論者によって展開された。その代表的な論者とされるハクスリーとアーノルドは,論文や講演を通じて直接論争を行い,二人による論争は,従来,科学と文学の対立とみなされてきた。本稿では,この両者による論争を両者がそれぞれにとり戻すことを試みた「古代ギリシャの精神」との関連のなかで検討することを目的とした。本稿での検討を通じて,両者の教養概念においては,ハクスリーが,古代ギリシャで見られた真・善・美と実用性の対立を,真から善・美と実用性が導かれる関係へととらえ直すことで,対立を解消するよう試みたのに対して,アーノルドは,真・善・美の復興によって,実用性との対立を和解させようとした点に両者の差異が見られたこと,さらに,その根底には,「知ること」という認識価値と「行うこと」という人格価値の関係を,ハクスリーが一元的にとらえていたのに対して,アーノルドは二元的にとらえていたという差異が見られたことを指摘した。さらに,両者の差異から,カリキュラムを編成する際の構成原理の対照性の萌芽も見いだされることを指摘したうえで,両者の教養概念の意義と課題を明らかにした。

  • 「学問的な見方」の固有性と相互関連性に着目して
    宮本 勇一
    2018 年 43 巻 p. 95-106
    発行日: 2018/03/31
    公開日: 2019/04/01
    ジャーナル フリー

    ヴィルヘルム・フォン・フンボルトの一般陶冶論で提示される言語・数学・歴史・体育・芸術の5つの教授は,今日,学問に裏打ちされた固有な世界の見方を教授するものとして理解されている,しかしフンボルトの原典に立ち返ると,フンボルトは5つの教授を通して固有な世界理解の形式を教授することと同時に,5つの見方を相互に関連させあいながら世界を捉えることが重要であると捉えていた。「学問的な見方」の固有性だけでなく,相互関連性にも着目することで,フンボルトの一般陶冶論は,生徒に世界理解の深い洞察を可能にしながら,同時に多様な世界理解の諸形式へと開いていく可能性を持っている。そこで本研究では,「学問的な見方」の固有性と相互関連性に着目して,フンボルトの一般的人間陶冶を,子どもを「学問自体の最も深く最も純粋な見方」へと導きいれる教授原理へと再構成し,その特質と教授学的意義を展望することを目的とする。新しく構成されたフンボルトの一般陶冶論は,専門分化が極度に進行した今日の学問観を問い直し,学校の教育内容の選択原理にとどまらず,いかに生徒の陶冶過程における自己・世界理解を促すことができるのか,という方法的視点を開くことを可能としている。

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日本教育方法学会第53回大会報告
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