日本近代文学
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92 巻
選択された号の論文の46件中1~46を表示しています
論文
  • ――女性参政権運動と柔術との関わり――
    鈴木 暁世
    2015 年 92 巻 p. 1-16
    発行日: 2015年
    公開日: 2016/08/02
    ジャーナル フリー

    郡虎彦は、一九一一年に「鉄輪」を『スバル』に発表した後、一九一三年に改作して『白樺』に掲載し、さらに一九一七年のロンドン上演のために自己翻訳した。本稿は、郡が「鉄輪」をどのように改作・自己翻訳したのかという問題を、ロンドンにおける「鉄輪」上演に関わる資料を用いて考察することを目的としている。「鉄輪」を上演したパイオニア・プレイアーズと演出家イーディス・クレイグは女性参政権運動と関わっており、同作は「精神的な柔術」として評価された。「鉄輪」上演と評価の背景には、英国における日本へのイメージと女性参政権運動と柔術の結びつきがあったことを指摘し、郡が「鉄輪」を改作・自己翻訳していく過程が、当時のイギリスの社会運動や思潮と響きあっていたことを明らかにしたい。

  • ――関東大震災後の詩的言語とリノカットをめぐって――
    小泉 京美
    2015 年 92 巻 p. 17-32
    発行日: 2015年
    公開日: 2016/08/02
    ジャーナル フリー

    記号活字やリノカットを駆使して視覚性を強調した萩原恭次郎の『死刑宣告』(長隆舎、一九二五年)は、これまで詩的言語の言語(symbol)から図像(icon)への移行を示す記念碑的詩集として捉えられてきた。だが、表現規範の革新を目指す前衛的な芸術運動を後押しした関東大震災という出来事に密着して考えるならば、『死刑宣告』は表象の秩序を根柢から揺るがす、より本質的な言語の変容を記録していたことが見えてくる。震災による活字不足と新聞紙面の混乱、震災を契機に普及した素材リノリウムとリノカットという表現手法、これらを取り巻く文化史的な背景を検証することで、その表現の独自性と詩の新たな読解可能性を開示する。

  • ――一九三〇年前後の谷崎潤一郎を読む――
    西村 将洋
    2015 年 92 巻 p. 33-47
    発行日: 2015年
    公開日: 2016/08/02
    ジャーナル フリー

    谷崎潤一郎の日本文化論「陰翳礼讃」(一九三三年一二月~翌年一月)が、どのような国際的環境で生成したのかを二つの視点から考察する。第一点は一九二六年の上海旅行である。この時の中国知識人との交流を通じて、谷崎は日本文化や自らの幼少期を再発見し、「陰翳」に関する重要なイメージを獲得した。第二点は一九二七年の芥川龍之介との論争である。その際、谷崎は芥川の影響を受けつつ、ジャポニスムの問題に注目し始めるとともに、美術工芸などのモノではない、非実在的な文化に関する思索を展開していくことになる。以上の点を踏まえながら、「陰翳礼讃」のテクストを検討し、連続的な差異化という叙述方法や、一人称複数の攪乱的使用について考察する。

  • ――小波お伽噺「菊の紋」との比較を中心に――
    渋谷 百合絵
    2015 年 92 巻 p. 48-63
    発行日: 2015年
    公開日: 2016/08/02
    ジャーナル フリー

    本稿は、小波お伽噺が宮沢賢治の童話に与えた影響について考察する試みである。昭和五年に成立した賢治童話「まなづるとダアリヤ」〔第五形態〕は、小波お伽噺「菊の紋」と展開や結末が酷似しており、〔第五形態〕への改稿に「菊の紋」が参照された可能性が高い。この二作を展開の構成や擬人化の手法に着目して比較し、〔第五形態〕に「菊の紋」の結末が組み込まれたことの意義を考察した。その上で、賢治がこの改稿の時期に積極的に関わっていた菊・ダリア品評会の岩手における社会的意義を探り、天皇賛美を主題とする「菊の紋」に対して、この〔第五形態〕が持ち得た批評性を論じた。さらに二作の比較から浮かび上がった、小波お伽噺と賢治童話の手法上の共通点と相違点について、大正期童話の小波お伽噺批判をふまえて考察することで、両者の融合として生み出された賢治童話の表現手法の特性を明らかにしている。

  • ――総動員体制下の「雨ニモマケズ」と文学的価値の所在――
    構 大樹
    2015 年 92 巻 p. 64-76
    発行日: 2015年
    公開日: 2016/08/02
    ジャーナル フリー

    本稿では〈宮沢賢治〉において「雨ニモマケズ」が中心化された諸要因のひとつを、総動員体制下の文学場に着目することで、同時代的な文学的価値の再編という観点から考察した。『詩歌翼賛』第二輯と火野葦平「美しき地図」からは、「雨ニモマケズ」の価値が《私事性》《素人性》によって生じていたことが看取される。これらは当時、「素人の創作」の流行を受け、文学場の評価軸となったものであった。また「報告文学」をはじめとする文学ジャンルでは、「素人の創作」に文学者が到達できない価値さえ与えられていた。こうした文学場の動向によって、「雨ニモマケズ」は特権的な文学的価値を帯び、やがて総動員体制下で〈宮沢賢治〉が高く称揚されるという事態を生起させたと考えられる。

  • ――「文芸懇話会」と「遊就館」、そして島崎藤村――
    大木 志門
    2015 年 92 巻 p. 77-92
    発行日: 2015年
    公開日: 2016/08/02
    ジャーナル フリー

    本論は、「文学館」をめぐる歴史研究の試みである。一般に「文学館」の歴史は戦後の「日本近代文学館」設立(一九六二年)に始まるとされるが、実は戦前にも文壇をあげた「文学館運動」の萌芽が存在した。昭和九(一九三四)年に組織された「文芸懇話会」最初の事業「物故文芸家遺品展覧会」と併せて提起された「文芸記念館」構想がそれであり、主唱者である島崎藤村は文芸統制を利用して近代文学資料の保管施設を作ろうとしたのである。藤村が着想を得たのは昭和七(一九三二)年に新装された靖国神社「遊就館」からであり、この事業を菊池寛と「文芸家協会」が継承し昭和一四(一九三九)年に「文芸会館」を建てたが、それは当初の計画とは外れたものであった。しかし藤村の執念は昭和二二(一九四七)年開館の「藤村記念館」を生み、これが戦後の文学館運動を準備したと考えられる。

  • ――昭和戦時下における〈文学リテラシー〉の機能拡張――
    副田 賢二
    2015 年 92 巻 p. 93-108
    発行日: 2015年
    公開日: 2016/08/02
    ジャーナル フリー

    満州事変勃発以降『新潮』等の「純文学」の領域では「大衆文学」論が盛んになるが、「北支事変」勃発以降は〈銃後〉が〈前線〉に文学的アウラを「発見」するという言説モードが浮上する。一九三〇年代末には火野葦平や上田広等の「帰還作家」と「純文学」側との応答が「戦争文学」論として展開され、〈前線〉〈銃後〉の接続が擬似的に創出される。更に「帰還作家」の言葉の「空白」にこそあるべき〈理念的文学リテラシー〉が投影されるという転倒した事態が起きる。〈文学〉の生成において〈戦争〉が重要な要素として召喚される歴史的過程をそこに見出すことができる。対して『大衆文芸』等の「大衆文学」の領域では棟田博等の「帰還作家」の戦闘体験が強調され、〈前線〉と読者とのダイアローグ的な言説の構造が浮上する。『サンデー毎日』誌上でも〈前線〉〈銃後〉を超越的に接続する物語や「慰問」言説・表象の中に〈消費的文学リテラシー〉が発動していた。

  • ――堀田善衞における朝鮮戦争と「国民文学」――
    陳 童君
    2015 年 92 巻 p. 109-122
    発行日: 2015年
    公開日: 2016/08/02
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    周知のように、堀田善衞は「日米安保条約」が調印された一九五一年九月に朝鮮戦争をテーマとして『広場の孤独』を「中央公論」に発表し、同作をもって当年度下半期の芥川賞を受賞した。しかし一方で、その同月に、彼が雑誌「文学51」に「国際情勢」というエッセイをも発表していることは、これまであまり注目されていない。この短いエッセイは当時堀田の創作理念を代弁するものとして、同時期に書かれた『広場の孤独』の表現手法を探るに不可欠なものである。ここで、「文学が国民の運命に真剣に相渉つてゆくべきものである」という「国民文学」への志向を表明した堀田は、その方法として「現実の意味と深くかかはる事件」を「己れの創作のシステム中に収斂」することを挙げている。この方法を模索するために『広場の孤独』が執筆されたことが容易に推察され、また、この作品が発表当初から当年度の「最大の問題作」に位置づけられた最も大きな理由は、朝鮮戦争のような国際的・政治的「事件」を文学の世界に映しだし、それによって堀田自身の「国民文学」の方法を実現させたからであると思われる。本稿は、作者の未発表の創作ノートやその他の各種の関連資料によって『広場の孤独』の表現手法とその問題意識を把握し、そのうえで、堀田善衞における「国民文学論」の行方を探ってみた。

研究ノート
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フォーラム 世界のなかの日本近代文学研究
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