周知のように、堀田善衞は「日米安保条約」が調印された一九五一年九月に朝鮮戦争をテーマとして『広場の孤独』を「中央公論」に発表し、同作をもって当年度下半期の芥川賞を受賞した。しかし一方で、その同月に、彼が雑誌「文学51」に「国際情勢」というエッセイをも発表していることは、これまであまり注目されていない。この短いエッセイは当時堀田の創作理念を代弁するものとして、同時期に書かれた『広場の孤独』の表現手法を探るに不可欠なものである。ここで、「文学が国民の運命に真剣に相渉つてゆくべきものである」という「国民文学」への志向を表明した堀田は、その方法として「現実の意味と深くかかはる事件」を「己れの創作のシステム中に収斂」することを挙げている。この方法を模索するために『広場の孤独』が執筆されたことが容易に推察され、また、この作品が発表当初から当年度の「最大の問題作」に位置づけられた最も大きな理由は、朝鮮戦争のような国際的・政治的「事件」を文学の世界に映しだし、それによって堀田自身の「国民文学」の方法を実現させたからであると思われる。本稿は、作者の未発表の創作ノートやその他の各種の関連資料によって『広場の孤独』の表現手法とその問題意識を把握し、そのうえで、堀田善衞における「国民文学論」の行方を探ってみた。
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