季節の把握や研究について、特集号を『地球環境』に組むに至った理由はいくつかある。その一つは、日本人は季節への感性が鋭く、季節観がこまやかであると言われることがその一つである。四季の変化を感じ取りすばやく反応するのは、日本人の特徴だとされ、俳句の季語はその最たるものであると信じられている。
この見方に私は特に反対はしないが、よく考えると、ほんとうに日本人だけだろうかという疑問が頭をよぎる。アントニオ・ヴィヴァルディの「四季」(75)は、日本人がこの世にいてもいなくても、全ヨーロッパから広く世界の人びとに受け入れられて、演奏されてきた。今後も価値を持ち続けるであろう。また、冬のヨーロッパで生活をしたことのある人ならば、フランツ・シューベルトの「冬の旅」(87)に、誰でも季節を感じるであろう。この歌曲は、生への絶望を若者がうたうヴィルヘルム・ミュラーの詩にシューベルトが曲をつけたものである。作詞者も作曲家も、季節感とは別の心情が作品完成の原動力であったかもしれないが、聴く者は、「冬の旅」に強く冬を感じる。そして、私が言いたい点は、これは日本人の文化圏の外の文化であることである。このような例は枚挙に暇がない。
つまりは、洋の東西を問わず、人間は季節を感じ季節を捉えて生きてきたのである。人間の食料となる動植物が季節の変化に応じた生活をしているのだから、人間も季節を離れて生きることはできない。
熱帯には四季がないとよく言われる。気温で言う限り、それは正しい。しかし、私はスリランカで季節のはっきりとした推移を体験したことがある。モンスーンとは季節風のことで、モンスーンアジアとは季節風が卓越する南アジア・東南アジア・東アジアのことである。スリランカは、南アジアにおける典型的なモンスーンアジア諸国の一つである。ここでは、雨季と乾季と、その遷移季のつごう四季がある。30年ほど前、私はそこで気候と農作物に関するプロジェクト研究をしていた。ある年、ひどい乾季で、コロンボの近くでのことだが、ゴムの樹の広大なプランテーションで、ゴムの樹の葉が全部落ちてしまった。このプランテーションを遠望すると、東北日本の冬山でみる風景のように、墨絵の世界であった。肌で感じる熱帯の暑さと、目でみている冬山の風景に私は戸惑いを越して、少し動転してしまった。しかし、さらに思いもかけないことが1ヵ月ほどたって起こった。その厳しい乾季が終わり、短い遷移季が過ぎて雨季に入ると、若い葉が一斉に出て、ゴム園全山が「新緑の候」になったのである。ちょうど、日本の房総あたりならば5月ころの山のようであった。熱帯の人びとにとっては新しい季節の開始であったのだ。
このように世界各地にそれぞれの季節感があり、そして季節観を形成している。その上に近代科学としての季節学が生まれ、成長してきたのである。したがって、季節学の歴史は日本だけにあるわけではない。むしろ、文化の歴史が長いヨーロッパや、中国で季節学の誕生は古い。
20世紀末までの季節学の発展を時代的にまとめると、次のようになろう。
(1)動物・植物の成長の段階と、年を周期として繰り返す季節との対応を明らかにしようとした時代。特に気候の違いによってその対応がどのように異なるかに研究者は関心をもった。ヨーロッパ諸国では8~9世紀、日本では10世紀になってからである。
(2)組織的にこれを観測し、記録する活動が求められた。これにはアカデミー・気象台や測候所などの国内網・国際網が使われた。そして観測方法・調査方法の統一が検討された。これは20世紀半ばである。
(3)季節現象を温度計、あるいは、気候をとらえる記録計とする立場がある。民俗学的には春の山地斜面に残雪として残る“雪形”(例えば、駒ケ岳の駒の形の残雪模様)が古くからある。農作業計画にはよい参考になる現象として農民に受け入れられてきた。
(4)生態学的な植物計(plant indicator)の見方が1920年~1930年代に確立した。日本にも輸入された。三澤勝衛もこれを学んだ。
(5)気象台などにおける観測結果を整理し、ある国・地方・地域における等期日線図を作成したり、気温・降水量・日照日射・風などの気候要素との関係を統計的に解明した時代である。欧米では1930年代、日本では1940年代から盛んになった。
(6)第二次大戦後、ヨーロッパ諸国、アジアでは中国・日本などで、季節学の研究が進んだ。上記の観測網の確立、観測結果の整理・解析が充実した。1950年~1970年代がピークであった。
(7)生態学の立場から、生態系の季節現象の研究が1970年代ころから進んだ。それ以前は、いわば個々の動物・植物の季節現象が対象であった。今回の特集号では、この点を取り上げなかったが、大切な事柄である。
(8)生物多様性と季節現象の関係を見直さねばならないという問題に発展した。個体で捉える生物計、統一した観測方法による広域の年年の状況把握、などとは異なる課題を提起した。特に1990年代になり、国際学界の議論になった。
(9)1980年代ころから、気象観測の器械化、研究のスタイルが、野外の自然現象解明から大型計算機によるモデル構築などに変化した。これにより、動植物季節学の観測・調査・研究は衰退し始めた。
(10)1990年代、この傾向に対し、IPCCで季節学的研究の重要性が指摘された。日本もそれを受けて、温暖化影響の研究の一端を担ってきている。この特集号でも大きな論点の一つである。
(11)市民参加型、あるいは、学生や青少年または高齢者のグループ活動としての動植物季節の観察・観測・研究が進んでいる。この特集号では、京都を含めた関西の例を紹介した。今後さらに進展するであろう。
(12)ツーリズムの発展によって、観光資源として開花・黄葉・紅葉などの季節現象の価値が高まったため、関心がもたれるようになった。また、登山・海水浴などのスポーツにおいても当日の天気ばかりでなく、季節の予測が必要である。これが、季節研究の活性化に繋がっている。
(13)食品・衣料品などの仕入れ・展示・販売・商店街飾り付けなども季節性が強い。このような小売業界ばかりでなく、ビール・アイスクリームなどの製造計画にも季節の長期予報は必要である。
(14)観光資源としては、公園全体、一定の長さの川堤全体、山地の斜面全体など、小地域全体の季節現象を把握する必要が生じた。また、山地の紅葉と初冠雪と青空の組み合わせ風景など、複数の季節現象をまとめた記録の解析・予測などが必要になった。さらに、これらの予測を宣伝したり旅行計画など作成のため、気象庁が発表する季節予測よりかなり早く行う必要が生じている。
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