温室効果ガスの人為的排出に起因する気候変動が進行するなか、緩和策の一層強化とともに、緩和策のみでは避けられない気候変動の影響に対する適応策の必要性が高まっている。温室効果ガスの排出削減を最大限に図ることは最優先の課題であるものの、既に気候変動の影響は顕在化し、また短期的にその影響はさらに激化していくことを踏まえると、適応策による気候変動の影響に係るリスク管理は必要不可欠である。
こうした状況下で、日本政府は2015年11月に「気候変動の影響への適応計画」を閣議決定し、分野ごとの適応策の取組方針を提示した。また国際社会でも、同年12月の気候変動枠組条約締約国会議第21回会合(COP21)において「パリ協定」を合意し、各国における緩和策の一層の強化とともに適応計画の立案と行動実施についての取組を打ち出している。これらを受けて政府は、地域・自治体の適応策の検討を支援する関連施策を立ち上げ、積極的な支援策を実施している。
本特集では、環境研究総合推進費(S-8)「温暖化影響評価・適応政策に関する総合的研究」(代表:三村信男茨城大学学長、以下「S-8研究」という。「S」は戦略的研究開発領域を、数字は課題番号を示す。)の一部の成果の共有を図る。S-8研究は、気候変動に伴う国全体の各分野の影響予測と評価を総合的かつ高精度に行う手法開発に係る課題を中核としながら、地域における影響事例の分析と適応策のあり方に関する研究(地域班研究)、国際分野としてアジア地域への影響評価と適応策の展開という三つのサブ課題から構成される研究プロジェクトであり、本特集はこのうち地域班研究に係る範囲を対象とした。気候変動に関する将来予測データを政策担当者に提供するだけで適応策が円滑に動きだすわけではなく、将来予測を取りまとめる科学と政策を立案・実行する行政現場を橋渡しして「間を埋める」ことが極めて重要である。
本特集のねらいは、この「間を埋める」ために実施した社会科学的な研究が得た成果を総括するとともに、適応策の離陸段階における研究と政策との相互作用の効果を示すことにある。これらは、気候変動適応に係る今後の研究を実施していく際の一助となり、さらに適応策に限らず自然科学や工学の成果を政策の実装につなげる際に有益な示唆を提供する。
本特集の構成を示す。まず、本特集の責任編集者の一人である田中充が地域班における研究の全体像を紹介し、竹本明生氏が国の適応計画の概要と課題を包括的に記述した。S-8研究の地域班では、気候変動影響の将来予測結果を活用して地域レベルの影響評価と適応策のモデルスタディを実施し、「気候変動適応策ガイドライン」等の成果に結実させている。そして、S-8研究全体の成果は、竹本論文が紹介する国の「気候変動の影響への適応計画」(2015年11月)に活かされている。
次いで、もう一人の責任編集者である白井信雄が「追加的適応策」について、馬場健司氏が「ボトムアップアプローチ」の観点からの研究結果を取りまとめた。「追加的適応策」は、「潜在的適応策」と対になる造語である。「潜在的適応策」は、現在実施されている関連施策を意味し、「追加的適応策」は社会転換に踏み込んだり、予測結果に基づく長期的な視点から追加的に実施する適応策をいう。「ボトムアップアプローチ」は、地域のステイクホルダーの視点から気候変動適応の実態や新たな適応策の受容性を検討するものあり、現場知と専門知をつなげる双方向性が重要である。
続いて、小松利光氏・橋本彰博氏が水・土砂災害分野について、木村浩巳氏・福岡義隆氏が地域風土(特に雪中行事)について、適応策の研究成果を示した。小松・橋本論文では、亜熱帯化が進む九州地域を対象として、ハードウエアとソフトウエアの両面から「追加的適応策」を具体化している。木村・福岡論文は、伝統行事という社会システムが気候変動によって変容を余儀なくされている実態を分析し、風土や伝統という分野での適応策の研究とさらなる議論の必要性を提示した。
地方研究機関の研究として、S-8研究の地域班では、埼玉県や長野県における水稲・野菜・果樹等の農業分野の影響評価、東京都における局地的極端現象の解析、長野県における山岳生態系に及ぼす温暖化影響把握等を実施し、影響観測や予測評価手法等について知見を得ている。これらに関して、埼玉県は嶋田知英氏・三輪誠氏・米倉哲志氏・増冨祐司氏が、東京都は横山仁氏が、長野県は陸斉氏・須賀丈氏・浜田崇氏・堀田昌伸氏・尾関雅章氏・畑中健一郎氏が、各々の研究成果を取りまとめて執筆した。
最後に、S-8研究の地域班に協力機関として参加していた梶井公美子氏が、2016年8月に環境省が策定した「地方公共団体における気候変動適応計画策定ガイドライン」の内容を記述した。これは、地域でのモデル事業を経て、S-8研究の「気候変動適応策ガイドライン」の成果を精緻化したものとなっている。
気候変動の影響は地域によって異なり、各地の地方自治体は、こうした気候変動の影響を的確に把握・評価し、その地域特性等を踏まえつつ地域に根差した適応策を立案・推進することが極めて重要である。気候変動への適応策の実施主体は地方自治体である、といっても過言ではない。本特集の諸論文は、こうした地域・自治体に焦点を当て、S-8研究を中心として地域の適応研究と適応政策について現在の到達点を取りまとめたものである。
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