近年、美術館・博物館をはじめとする人文学系分野では、データ用いた研究や活用の取組みが国際的に活発化している。その一つに、欧米や中国の大都市圏ではアートを高付加価値・成長産業の一つに位置付けて美術市場に関する統計データや作品流通に関わる情報整備が進められている。本稿では、データ整備や公開が発展途上にあるわが国の美術分野に着目し、二種類の書籍から抽出した5434件の洋画家情報と美術市場のデータセットを用いて基礎的な分析をすることで、データ研究・活用の観点からデータ基盤整備の必要性を述べる。特に、人物情報のデータ基盤整備に関して、最近の美術分野におけるデータ利用と関連し、これからの美術館・博物館ドキュメンテーションの可能性を論じる。
題辞は東洋の古典籍の要素の一つで、学者や政治家など社会的に著名な人物が自ら揮毫した語句や文章をその姿で再現して巻頭に掲げられる。日本では江戸時代から普及したが、近代になっても印刷技術の発達に伴って、かなり長期間出版時の慣習として続いた。小論では特に素材を明治時代以降の美術書に絞り、その様態や掲載の経緯などについて検討を加えた結果、写真を素材とした再現性の向上と技術的な容易さから、むしろ近代になってからのほうがさまざまな形態の題辞が現れ、同時に著者と題辞筆者との間に、より具体的な社会的関係性がうかがわれることが明らかになった。
東京・中央区銀座に、「三原橋地下街」という建築・地下空間が存在した。堀川に架かる「三原橋」という橋の下にできたこの地下街は、老朽化により閉鎖が決定し、2014年に外観の取り壊し工事が開始された。大正の震災復興、戦後の瓦礫処理・区画整理といった、銀座の街の変容とともに三原橋は様々に形を変え、人々に利用されてきた。本稿は、三原橋地下街に関係する資料と筆者が収集したオーラル・ヒストリーを中心に、同地下街の歴史性と、都市における文化的な役割・特徴を明らかにすることを目的とする。インタビューの分類・分析を行いながら、今は形なき地下街を都市の変遷と共に捉え直してみたい。
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