生き方の問題に宗教社会心理学的に接近する試みの一環として, 一中都市において大学進学コースをたどる女子青年の生き方が, 生活構造, 生きる上の支えおよび宗教観という三つの観点から, またその相互の関連から集団的水準において概観された。
中学時代には高校受験準備やスポーツ・クラブ活動などに力を入れ, 学校に適応した無理のない生活をして来た者が多い。高校一・二年には, クラブ活動, スポーツ, 読書, 勉強, 交友などへ, 個性に応じた力の配分をしているが, 中にはクラブ活動に力を入れ過ぎて勉強を犠牲にした者がある。高校三年の現在及び卒業までの見通しにおいては, 多くの者が, 大学の受験勉強に焦点づけられた生活をしており, その結果, 娯楽その他を犠牲としている。この時期までは, 大学生においても変らない。高校卒業後4年間の見通しは, 進路に応じて, 勉強や学生生活, 人間形成, 娯楽, 職業, 結婚の問題に力を入れると予想され, その後の4~5年間は, 職業や結婚の問題に力を入れると予想されており, 以上8~9年間は, 特に犠牲にするものはないとされている。高校卒業後の見通しは大学生の方が分化している。いずれの時期においても, 娯楽と勉強以外の領域, たとえば人生問題などは, 犠牲意識を伴わずに無視されているのが一般的である。
中学以来14~5年に及ぶ上記のような生活展望を通して目指されたものは, 第一に「強い・おおらかな・自制力のある・女性らしさのある」性格の形成であり, 第二に、「シンのある愛情深い・完全な」人間像の実現であり, 第三に「信頼できる, 相談できる友人」を得ることである。これに対して, 家庭, 職業, 社会に関するものは, それほど重要な目標とは考えられていない。なおこの点については, 高校生と大学生の間に, 生活構造の違いから来る差が見られる。
高校生, 大学生とも, その生き方を支えていると本人によって考えられているものは, 多くの場合, 自分自身である。
人生の目的・意義は「自己の完成又は満足」「社会に役立つこと」「その他」にあると考えられている。この点, 大学生の方が, 社会的な関心度が高い。
生活目標, 生きる上のよりどころ, 人生の目的・意義の三者は, 本人の意識において必ずしも相互に関連したものではない。
多くの者が無宗教であるが, 宗教, 殊にキリスト教に関心を持っている。家庭は, 仏教が過半数を占めるが実践度は低く, 残りは無関心による無宗教である。この点, 本人と家庭との対応関係は見られない。
宗教, 殊にキリスト教に対しては, 主観的な期待とともに, 主観を中心とした否定的な宗教観を持っている。彼らが信仰をもたない理由は「宗教によりすがらなければ生きてゆけないような大きな困難にまだぶつかっていないので, その必要がない。宗教は逃避であり, 感傷, 自己満足, 非現実的なものにすぎない。宗教に束縛されるよりも, むしろ自分を信じ, 主体的・積極的に現実に対処してゆくべきである」と考えるからであり, これに対して, 無宗教に近い状態にある家庭及び地域社会一般が, 支持的に影響していると考えられている。無信仰者のうち, 過去に信仰の経験のある者は, 外部的・周辺的理由から信仰を棄てた者が多く, この体験は今後の信仰の予想において, 少なくとも阻止的ではない。
現在信仰している者の入信の理由は年令によって異なるが, いずれも, 多くの場合, 具体的な人による影響がある。
多くの場合, 信仰は生きる上のよりどころとなっているが, その程度は, 入信の理由によって多少異なる。
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