人口学研究
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14 巻
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表紙・目次
論文
  • リャウ カオ リー, 大友 篤
    原稿種別: 本文
    1991 年 14 巻 p. 1-20
    発行日: 1991/05/30
    公開日: 2017/09/12
    ジャーナル フリー
    本論文は, 1980年10 1日現在における15歳-39歳の年齢5歳階級別日本人口の都道府県間移動(1979年-1980年間)の流出パターン及び到着地選択パターンをNested Logitモデルを用いて説明したものである。到着地選択パターンについては,第1に,物理的距離の強いマイナス効果があるにもかかわらず,到着地選択の性向は接続性と方言の類似性によって強く高められていること,第2に,住宅の変数は,地方交付税交付金やその他の経済的変数による"盗難"効果によって部分的にその説明力が弱められるので,他の変数よりも重要性が薄いこと,第3に,東京,大阪の大都市地域内では郊外県の魅力が高水準の通勤通学移動によって著しく高められていることなどが,明らかになった。流出パターンについては,第1に,流出性向はNested Lositモデルの理論によって表わされる,出発地以外の魅力に大きく関わっていること,第2に,出発地の教育機会を表わす変数は,その説明力が都市度の変数と実質的に重複しているという主な理由で,他の変数よりも重要性が薄いこと,第3に,個人的属性の代替変数は流出性向に関して著しい影響力をもたらすことなどが,明らかになった。とくに,第3の点は,個人データを利用することによって,選択的な人口移動のプロセスの解明を著しく進展させることができることを示唆している。さらに,多くの説明変数の影響力は年齢とともに異なることが示されたほか,グリックマンの見解(1979年)とは反対に,到着地選択及び流出の両プロセスが,中央政府による地方政府への補助金の不均等配分というような政策によって強い影響を受けるということが見いだされた。
  • 高瀬(勝野) 真人
    原稿種別: 本文
    1991 年 14 巻 p. 21-34
    発行日: 1991/05/30
    公開日: 2017/09/12
    ジャーナル フリー
    わが国では第1回の国勢調査が行われた1920年(大正9年)以前の死亡統計については,詳細な分析の基礎となる正確な年齢別人口が得られなかったこと,死亡登録の完全性が疑問視されてきたことなどから,これまで充分な解析が行われていない。そこで,国勢調査以前の死亡統計の精度を実証的に評価するとともに,死亡統計の詳細な分析に不可欠な年齢別人口を得ることを目的として,国勢調査人口を基礎におよそ30年分の年齢各歳別(出生年別)死亡統計をもとに1.5%の届出漏れと死亡数の3.5%にのぼる内地外への流出超過を考慮した上で, 1890年(明治23年)首にまで遡る年齢別人口および出生数の推計をおこなった。この推計作業の終着点である1890年前後の本籍人口は,成人の就籍漏れがほとんど解消されていた上,除籍漏れ(主に死亡届漏れ)の蓄積もまだ少なく,内地外への移動も無視できる程度であり,推計人口は年次を遡るにつれて本籍人口との一致度を高めていくものと期待された。その結果,国勢調査から30年余りも隔たった戸籍簿上の年齢別人口である1890年首の本籍人口ならびに30年間の登録出生数が実際に極めて高い精度で復元できることが確認された。一方, 1920年以降の死亡率の傾向から推計された生命表を用いた逆進生残率法による人口推計では,人口の年齢分布や推定される届漏れの改善傾向に疑問があることを示した。これらの結果から,少なくとも明治20年代には,わが国の死亡統計はすでに詳細な分析に耐える信頼性をそなえていたものと推定された。また,わが国では1885年に原因不明の出生率,死亡率の急上昇が認められるが, (1)その死亡数の増加が著しく乳幼児に偏っていること(2)届遅れの出生死亡届出数が同年に明らかなピークをもつこと(3)その前年の明治17年に「墓地及び埋葬取締規則」が公布され,死亡のみならず妊娠第4月というかなり早期の死産にまで届出と埋葬が義務づけられたこと,の3点から特に乳幼児の死亡届出が1885年を境に大きく改善したと考えられることを示した。結論として, 1890〜1920年の公式統計上の死亡率低下の停滞(上昇)は事実を反映したものと考えられ,今回の人口推計結果をもとに死因別年齢別死亡の詳細な分析を進めることが重要であると考えられた。
  • 友部 謙一
    原稿種別: 本文
    1991 年 14 巻 p. 35-47
    発行日: 1991/05/30
    公開日: 2017/09/12
    ジャーナル フリー
    本稿は近世日本農村における全国および地域別の婚姻出生力を「自然出生力分析」を通じて再考察したものである。自然出生力はフランスの人口学者ルイ・アンリにより考案された概念であるが,ヨーロッパの出生力低下を考察するなかで,多くの研究者がその重要性に言及するようになった。なかでもコール&トラッセルモデルは自然出生力水準(M)と出生制限指標(m)を推計する計量モデルであり,修正と開発を繰り返すなかで出生力分析に不可欠な実証的手段となった。本稿はこのモデルを中心に近世日本農村におけるM値とm値を推計している。分析を通じて明らかになったことは,第一に出生制限指標(m)から判断するかぎり,近世日本農村では出生制限を実行していた可能性は低く,その意味で, 17世紀後半以降の近世日本農村は「自然出生力レジーム」にあったこと,第二に出生制限の程度にかんしては,同時に地域差および村落差も大きく,「自然出生力レジーム」とはいえ,その成果としての婚姻出生力の動向には短期的な時間軸や地域特性を考慮した解釈が必要になること,第三に近世日本農村の自然出生力水準は,西欧のなかでも低い水準で知られるイングランドと比較して20%近く低く,日本のなかでもっとも低い水準の関東・東北では,実にイングランドの70%程度でしかなかったことなどである。分析対象とした村数やその地域的分布を考慮すると,本稿の結果は中間的かつ暫定的なものと考えるべきであろう。また,それはサイズだけの問題ではなく,出生制限の有無はモデル指標値の大きさとともに,ミクロデモグラフィーを駆使した出生力分析との対話のもとに探究されるべきである。本稿では西欧の研究成果を紹介しながら,近世日本農村というコンテクストのなかでその方向性を探究している。
  • 津谷 典子
    原稿種別: 本文
    1991 年 14 巻 p. 49-66
    発行日: 1991/05/30
    公開日: 2017/09/12
    ジャーナル フリー
    本論文は, NIES 4国における出生力転換の主な人口学的,社会経済的,文化的要因を探ることにより. NIESの出生力転換が既存の諸理論に何を示唆し,付け加えることができるかを考えることを目的とする。TFRと年齢別出生率の推移及び結婚の年齢パターンと有配偶出生力の変化の出生力への影響を分析することにより, 1960年代以降のNIESにおける急激な出生力低下は,女子の晩婚化と(特に20代から30代の)女子の有配偶出生力の強力な抑制によるものであることが見いだされる。特に後者の影響は強く,これは高効果な避妊方法と家族計画の概念が時宜を得て導入され急速に広まったことと,避妊失敗の際のバックアップとして人工妊娠中絶が比較的容易に受けられる社会的状況に因ると考えられる。またその社会・文化的背景として,出生力転換過程初期及びそれ以前に初等教育が普及し,乳児死亡率も低下していたこと,また儒教,仏教及び道教の宗教文化的伝統も家族計画を受容する上で障害とはならず,むしろ人口的及び社会経済的変化に適応する形で変化する柔軟なものであったことも見逃せない。そして一旦出生力低下が始まると,これが中・高等教育の普及や若い女性の労働力参加の増加等と連関し,更なる出生力抑制と晩婚化をもたらしたと考えられる。従って,これらのNIESの出生力転換の諸要因の分析から,ある程度の社会経済発展があれば,効率良く組織された家族計画プログラムは出生力低下の重要な一因となり得るし,また一旦出生力低下が起れば,それが更なる社会経済発展と価値観の変容を引き起すという相互作用の可能性が示唆される。
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