本稿は、佐藤栄作内閣における保利茂官房長官―木村俊夫官房副長官という体制の成立経緯と、それがいかに機能したのかを明らかにするものである。
1968年11月30日、佐藤総理は内閣改造を行い、建設大臣の保利を官房長官に、木村官房長官を副長官とする異例の人事をとった。首席秘書官だった楠田實は、この2人による体制を「大型官房」と呼ぶ。
「大型官房」成立時、政権は沖縄返還や大学紛争といった課題に直面していた。「大型官房」には、保利を長官に起用し、木村を副長官として官邸にとどめることで官邸を強化する意味が存在した。木村は、楠田とともに官房長官期からメディアやブレイン対応を主導していた。「大型官房」は約3年という長期間継続し、佐藤内閣の長期政権化の一因となったと評価できる。
この体制は、制度改革ではなく、人事の運用により官邸を強化するものであり、自民党長期政権化における官邸強化の方法であった。この仕組みはその後の内閣にも継承された。
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