本研究は、現在までの国語科教育の教材研究や読みの授業において固定的な社会規範や二元論といった枠組みが前提とされることで、抑圧され不可視化されてきたテクストの可能性を開くことを目的とし、アーノルド・ローベル「おてがみ」を取りあげる。ポスト構造主義に基づき規範や二元論を内破・脱構築するクィア批評の概念を用い、抑圧・不可視化されたテクストの可能性がどのように立ち現れるのかを、分析から明らかにするものである。
「おてがみ」の先行研究の多くは、がまくんとかえるくんの二人の関係を友達だとする固定的な関係性の枠組みの中で行われてきたが、斉藤(2004)のようにその関係性に見られる独特の密着感への指摘もみられる。このような枠組みに入りきらない独特の違和感、つまりクィア性は先行研究において感じ取られながらも言葉にされず、見逃されてきたといえる。登場人物の「名づけ得ない関係」に着目し『ふたりはともだち』のテクスト分析と読解を行った。
様々な社会的枠組みを攪乱しながら紡がれていく物語において、関係性を示す言葉自体を問い直し、丁寧に言語化し交流し合うことができれば、従来の概念そのものが揺さぶられ、解体・再構成される契機となるだろう。再構成した枠組みさえも問い直し続けるクィアの思弁的な実践は、国語科教育において見逃された教材可能性を開くプロセスといえる。
抄録全体を表示