現代社会学理論研究
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11 巻
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  • 浅野 智彦
    2017 年 11 巻 p. 1-3
    発行日: 2017年
    公開日: 2020/03/09
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  • ジェフリー・ウィークスの理論的変容を通して
    赤川 学
    2017 年 11 巻 p. 4-13
    発行日: 2017年
    公開日: 2020/03/09
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    本論文は、性の多様性に関して以下のことを論じた。
    第一に、セクシュアリティの社会学の問題構成は、多様である性が、いかにして、なぜ、性別二元制や異性愛主義に収斂するのかという問いであるとともに、doing gender / undoing gender、性の脱アイデンティティ化/再アイデンティティ化、脱医療化/再医療化が同時発生する現象を読み解くことにあるとした。
    第二に、性差や性の社会・歴史・文化・言説的構築を強調する構築主義を理論的構築主義と、性に関わる言説を社会問題を構築するクレイム申し立て活動と捉える方法的構築主義とを区別した上で、両者を実践する英国の歴史社会学者ジェフリー・ウィークスの理論的変容を整理した。それは、性が社会や政治によって構築されるという〈受動性〉から、セクシュアリティを生きる人々が社会関係や親密性を再構築する〈能動性〉への転換である。
    第三に、ウィークスの議論に刺激されつつ、英米における同性婚やシヴィル・パートナーシップの合法化を可能にする言説のレトリックを確認した。合法化を求める人たちは、異性愛カップルと同じ権利を要求する権利のレトリックに加え、家族形成や社会に対するコミットメントを強調する責任のレトリックを併用することで、保守派を取り込むことに成功した。
    第四に、日本の同性婚をめぐる議論では、少子化対策という文脈が強く、やがて生殖や養育を生きる人と、そうでない人との間の「正義」や「平等」の問題が浮上しうることを指摘した。
  • 社会学理論ができること
    岸 政彦
    2017 年 11 巻 p. 14-22
    発行日: 2017年
    公開日: 2020/03/09
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    この論考(エッセー)で私は、質的調査に携わる社会学者の視点から、現在の社会学理論に欠けているものが何かを考えたい。具体的にいえばそれは、少数の事例を一般化して現実の社会問題について分析するための方法と、人びとの行為の理由や動機や欲求などを、社会的な状況のなかで考えるための理論である。私たちは、構築主義を乗り越え、再び社会学と実在との間の結びつきを回復させる必要がある。
  • 佐藤 恵
    2017 年 11 巻 p. 23-28
    発行日: 2017年
    公開日: 2020/03/09
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    阪神大震災・東日本大震災はともに、市民全体がインパーシャルに被害を受けたわけではなく、平時からヴァルネラブルな障害者(や高齢者等)において、非日常時に、震災以前からの生活上の困難が顕在化し、「震災弱者」化したという点で、共通点を有する。それは、阪神大震災時の教訓が東日本大震災時に活きていなかったということをも意味する。被災障害者における社会的被害の重層化は、①安否確認からの漏れ、情報へのアクセス閉鎖、②避難所・仮設住宅などの物的環境面のバリア、③介助の不足、④「震災弱者」への特別の配慮を行わない「一律『平等』主義」と、独力での生活が困難な障害者に対する「施設・病院収容主義」、⑤避難所等での排除的対応、⑥復興格差。被災障害者は、障害者団体のネットワークを活用したピア・サポートを行う一方で、生活再建・自立に向けた取り組みを、ボランティア/NPOとの「支え合い」において実践する。阪神大震災における「被災地障害者センター」の活動では、被災障害者の自己決定を核とした自立を支援する「支え合い」が展開されていった。また、東日本大震災における「ゆめ風基金」の活動では、個別支援、長期支援、地元優先、支援の担い手/サービスの利用者としての障害者の育成が支援のポイントである。非日常時の社会的被害を低減するための日常時からの取り組みとして、障害者と健常者の接点をつくることの重要性が挙げられる。
  • 岡沢 亮
    2017 年 11 巻 p. 29-41
    発行日: 2017年
    公開日: 2020/03/09
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    日本における図画のわいせつ性をめぐる裁判に関しては、その恣意性が批判されてきた。ただし、それらの批判は、わいせつ裁判が必然的・蓋然的に恣意的になることを主張するものであり、個別具体的な判決のどの部分がいかなる意味で恣意的なのかを分析・考察する方向性は開かれていなかった。そこで本稿は、図画のわいせつ性をめぐる裁判に関して、その恣意性を考察するための準拠点を析出する分析方針を提示することを目指す。
    まず、裁判の恣意性を指摘する既存研究を批判的に検討する。第1に、図画をわいせつである/ないと見ることは必然的に恣意的だとする立場が、法的判断の恣意性の分析を目指すためには有益でないと論じる。第2に、法的判断が恣意的か否かという問題は、裁判官が判決を形成した際の動機を推測することによってではなく、判決の正当化の論理を分析することによって検討されるべきだと論じる。
    そのうえで、法的判断の正当化の理解可能性を支える概念の論理文法を分析するという方針を提示する。同方針のもとで、具体的事例として愛のコリーダ事件一審判決を分析し、解明された概念の論理文法を参照するかたちで、当の法的判断の恣意性を考察する。結論として、図画のわいせつ性をめぐる法的判断の正当化の理解可能性を支える概念の論理文法を分析することが、その法的判断の恣意性の考察にとって有益であると主張する。
  • ガーフィンケルのパッシング論理を再考する
    河村 裕樹
    2017 年 11 巻 p. 42-54
    発行日: 2017年
    公開日: 2020/03/09
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    本稿の目的は、エスノメソドロジーの創始者であるガーフィンケルのパッシングの議論を再考することで、ゲーム的な分析では捉えきれないパッシングの内実を明確化することである。すなわち、ガーフィンケルによれば、ゲーム的な分析枠組みを用いるゴフマンのパッシングの論理ではパッシングの内実について捉えられない側面があるという。その側面とは相互反映性や状況操作、継続性である。ここでゲーム的な分析が可能なパッシングとは、エピソード的性格、事前の計画、実際的な規則に対する信頼という特徴をもち、ゲーム的な分析では捉えられないパッシングとは、人びとが自明視し、背景となっているルーティンに埋め込まれた当たり前のことを達成することが課題であるような実践のことである。これらを考慮に入れることで改めて検討し直すと、ゲーム的な分析枠組みでパッシングを分析することは可能ではあるが、一方でガーフィンケルによるパッシングの論理を用いることで、自明視され背景化している「普通であること」を達成することこそが、パッシングを行う者にとっての第一の課題であるということが明らかとなる。この両者の構造上の不一致を確認したうえで、後半では一つの事例を用いて、ガーフィンケル的な分析をすることにどのような意味があるのかを例証する。そのことにより、エスノメソドロジーの立ち上げにおいて重要な役割を果たしたアグネス論文を再評価し、その意義を確認する。
  • 体験次元と意味次元の統一としての主観的意味
    高艸 賢
    2017 年 11 巻 p. 55-67
    発行日: 2017年
    公開日: 2020/03/09
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    本稿の目的は、A. シュッツにおける学問と生の区別と連関の論理を明らかにすることである。シュッツによる理解社会学の基礎づけの議論は日常知と科学知の関係づけを模索するものとして捉えられてきたが、常識と科学の二分法の下では、シュッツの論じる生の論理的重層性が見えにくくなるという問題がある。そこで本稿は、ウィーン時代に書かれた著作および草稿を扱い、シュッツが生における体験次元と意味次元という区別を導入していることに注目する。ベルクソンに依拠したこの概念化は、人間の思惟の基盤を分析するという点で、科学知への批判的視点と日常知に埋没することへの警戒を同時に含意している。シュッツは主著『社会的世界の意味構築』において、両次元の区別に基づいて社会的世界の機制を解明している。意味次元についてシュッツは、他者理解が所与の知識に基づく意味付与として遂行されるという「自己解釈」の機制を明らかにし、他方で体験次元については、他者の体験の連続的生成を見遣るという「持続の同時性」を論じている。体験次元と意味次元は日常的行為者においては主観的意味という形で統一を形成しているが、「主観的意味連関の客観的意味連関」としての社会科学は必然的に体験次元を欠く。理解社会学の認識限界を踏まえたシュッツは、生きられる日常における体験と意味の統一に、純粋に哲学的な思惟や社会科学的分析によっては得られない社会学的反省の基盤を見いだしている。
  • H.マルクーゼ『エロスと文明』を中心に
    馬渡 玲欧
    2017 年 11 巻 p. 68-80
    発行日: 2017年
    公開日: 2020/03/09
    ジャーナル オープンアクセス
    本稿はH. マルクーゼ『エロスと文明』に焦点を当てながら、マルクーゼのエロス的文明論をギリシャ哲学由来の「伝統的存在論」に対する批判という観点から再構成することによって、マルクーゼがM.ハイデガーの「死へ臨む存在」論の限界を乗り越えようとしたことを示す。方法として、マルクーゼがハイデガーの弟子であり、後年まで密かにハイデガー思想が彼に影響を与えていたことを踏まえながら、両者の議論を比較する。ハイデガーとの共通点とは西欧哲学の伝統的存在論に対する批判である。ただし社会変革の主体を探求するマルクーゼはハイデガーの基礎存在論ではなく、より直接的に人間存在の本質を探求する考察に向かう。その際マルクーゼは、フロイトをプラトン哲学の延長に位置づけることで、フロイトの欲動論に人間存在の本質としてのエロスを見出す。また、ハイデガー存在論においては「時間」が考察の手がかりとなり、「通俗的時間概念」が批判された。ロゴスだけではなく、直線的時間意識も同様に人間存在の本質を規定する思考様式である。ハイデガーは「死へ臨む存在」の関心に通俗的時間概念を乗り越える視座を見出す。他方マルクーゼはこの時間意識を批判するために、「永劫回帰」の思想を取り上げる。「永劫回帰」によって、人間のエロスに対する「意志」は肯定される。人間の死を合理的に解釈する実存哲学を批判し、人間の非合理的な死ではない「生物学的な自然死」を強調するマルクーゼは、「死へ臨む存在」が人間の本質であるとみなすハイデガーを乗り越えようとした。
  • 「私有財産」論に着目して
    井上 達郎
    2017 年 11 巻 p. 81-93
    発行日: 2017年
    公開日: 2020/03/09
    ジャーナル オープンアクセス
    本稿の目的は、従来のアレント研究において充分に検討されてこなかった彼女独自の「私有財産」論に着目し、それと関連づけて彼女の「私的領域」概念の積極的意義を明らかにすることにある。アレントは「私有財産」を、「私的領域」の安定的な存立を保障する効果的な制度として把握しており、生計の手段としての「富」や、貨幣や商品と言った動産として蓄積される「社会的富(資本)」とは厳密に区別している。そして「私有財産」と関連づけられた「私的領域」を、「安全」の原理と「深さ」の次元という二つの積極的意義を有する不可欠にして不可侵の生活領域として把握し、これを根本的に重要視している。
    しかしながら、「私的領域」の安定的な存立を保障する「私有財産」は、現代社会のもとで多様な形態をとって現出する「徴用」の破壊的な力によって絶えず解体の危険性に曝されており、「私有財産」を解体し「私的領域」の存立基盤を掘り崩す「徴用」の破壊的な作動をいかにして制御するかという問題意識が、晩年に至るまでアレントの関心の一角に位置づいていた。晩年のアレントの議論には「私有財産」の保障という問題提起が見出され、彼女はそれを萌芽的な着想の次元であるが、「福祉国家」による「徴用」の法的規制と「私的所有権」の再定義という形態で「私有財産」の保障の方途を模索していた。このような晩年のアレントが提起した問題を、今日において批判的に継承するために参照しうる議論のひとつとして、本稿では最後にベーシックインカムをめぐる議論に関連づけて検討を試みた。
  • 廣田 拓
    2017 年 11 巻 p. 94-106
    発行日: 2017年
    公開日: 2020/03/09
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    社会理論において、個人と社会の二元論的対立を「二重性」の観点から捉えなおすものに、A・ギデンズの「構造化理論」がある。構造化理論は、諸個人の実践の帰結として成立する構造が、それ自体実践の再生産の媒体であるという「構造の二重性」を基礎におく。二元論を二重性の観点から理解する試みは、和辻哲郎の「間柄」概念にも認められる。和辻は人間という日本語が、個人を表すと同時に社会を意味する点に着目し、この二重性をヘーゲル弁証法の観点から「否定の運動」として解釈する。すなわち、個人は社会の拘束を逃れるかぎりで個人(=社会の否定)として、社会は個人が結びつくかぎりで社会(=個人の否定)として成立し、この相互否定が「実践的行為的連関」としての間柄とされる。
    ギデンズと和辻は、二重性論理の中心に「社会的実践」をすえるという共通点をもっているが、加えて両者に共通するのが、他者に対する「信頼」への言及である。ギデンズは社会的実践の意味を、人間存在のかかえる存在論的不安の「括弧入れ」におき、この括弧入れのはたらきを信頼とみなす。その意味で、ギデンズは信頼を心理学的に扱っているといえる。他方、和辻は信頼を二重性の論理に従って、信頼の否定にあたる裏切りの可能性を、行為によって否定する運動として理解する。それゆえ和辻は信頼を、個々の対人関係によって規定される、行為論的なものとして扱っているといえる。
  • 組織文化の「負」の側面の分析に向けて
    竹中 克久
    2017 年 11 巻 p. 107-119
    発行日: 2017年
    公開日: 2020/03/09
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    本稿は、批判的経営研究(Critical Management Studies [CMS])を、組織文化研究のオルタナティブとして正当に位置づける試みである。そのために、既存の組織文化研究を4つのセルに分類し、CMSによる組織文化研究の意義と可能性を強調する。組織文化は一般的に“組織成員によって内面化され共有された価値、規範、信念のセット”と考えられてきた。そこでは、企業をはじめとした組織の競争力の源泉として、組織文化がもたらす忠誠心の強さや組織成員の一体感が強調される事が多かった。その後、E. H. シャインにより、組織文化概念の重層的なモデルが示されることによって、過度の実践性は薄れ、理論の科学化・精緻化が進んでいった。その後、このモデルは組織シンボリズムのG. モーガンや、組織美学のP. ガリアルディらによる批判を経て、組織文化は組織成員によるシンボルの多様な解釈の対象として位置づけられた。
    このような組織文化に対して懐疑的なアプローチをとるのが本稿で詳述するCMSの立場である。M. アルベッソンを嚆矢とするCMSは、文化が権力者によって強制的に組織成員にすり込まれることによって、自らの組織文化を当然視し、神格化し、果てにはその組織文化に強く依存するメンバーである文化中毒者(cultural dopes)を産み出す危険性を指摘する。文化中毒者は、既存の文化を本質的で合理的かつ自明のものとみなし、ほかのオルタナティブな社会的現実を作り出すことを控える(Alvesson [2001] 2013: 153)。昨今、企業をはじめとした組織の不祥事は後を絶たない。その原因に組織文化があることが指摘される場合が多いが、CMSを除く既存の組織文化研究では組織文化の「負」の側面についてアプローチできないことを本稿において明らかにする。
  • 社会学の「理論」はどのような機能を担うのか
    出口 剛司
    2017 年 11 巻 p. 120-125
    発行日: 2017年
    公開日: 2020/03/09
    ジャーナル オープンアクセス
  • 数土 直紀
    2017 年 11 巻 p. 126-130
    発行日: 2017年
    公開日: 2020/03/09
    ジャーナル オープンアクセス
  • 杉山 光信
    2017 年 11 巻 p. 131-137
    発行日: 2017年
    公開日: 2020/03/09
    ジャーナル オープンアクセス
  • 磯 直樹
    2017 年 11 巻 p. 138-143
    発行日: 2017年
    公開日: 2020/03/09
    ジャーナル オープンアクセス
  • 理論刷新の道とフーコー理論(言説・統治性)
    濱西 栄司
    2017 年 11 巻 p. 144-149
    発行日: 2017年
    公開日: 2020/03/09
    ジャーナル オープンアクセス
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