現代社会学理論研究
Online ISSN : 2434-9097
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4 巻
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  • 宇都宮 京子
    2010 年 4 巻 p. 1-2
    発行日: 2010年
    公開日: 2020/03/09
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  • 「親密圏における承認」と「公共圏における地平の融合」
    明戸 隆浩
    2010 年 4 巻 p. 3-15
    発行日: 2010年
    公開日: 2020/03/09
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    チャールズ・テイラーはカナダ/ケベック出身の哲学者で、現代の英米圏でもっとも重要な社会理論家の一人であるが、彼が1992年に書いた「承認の政治」論文は、「多文化主義」を象徴する議論として広く知られている。これに対して明戸(2009)では、テイラーの言語共同体論を(多文化主義ではなく)「ケベック・ナショナリズム」に基づくものとして読み直した上で、それにもかかわらずテイラーの議論が「ナショナリズム」の限界を乗り越え、「公共圏」と接続される可能性をもつことを示そうとした。本論文ではこうしたことをふまえて、テイラーにおける「親密圏における承認」という議論を手がかりにしながら、あらためてテイラーの議論と「公共圏」の関係について考えてみたい。具体的には、テイラーが強調する言語共同体論においては「親密圏における承認」という論点が重要な役割を果たしていること、そしてこうした議論が政治的には「共同体の存続」を正当化するものであることを明らかにする。その上で、こうしたテイラーの言語共同体論が「公共圏」とは必ずしも両立しない側面をもちつつも、それがそれでもなお「公共圏」と接続しうる可能性を、アイデンテイティの変容可能性および「地平の融合」という論点を(再)提起することによって示したい。
  • 批判理論はネオリベラリズム的変革をどう批判するのか
    出口 剛司
    2010 年 4 巻 p. 16-28
    発行日: 2010年
    公開日: 2020/03/09
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    『権力の批判』、『承認をめぐる闘争』、『正義の他者』といった主要な著作の翻訳が刊行される中、アクセル・ホネットの承認論が社会学理論の分野でも注目を集めている。しかし、ホネット自身の社会批判の内実については、かならずしも明確にされていない。それに対して本稿では、ホネットの著作の再構成を通して、その批判理論としての特徴と可能性の中心を明らかにすることをめざす。ホネットは「学以前のレヴェルにある解放の審級」という視座に立つことによって、フランクフルト学派の批判理論の伝統の中に自身を位置づけると同時に、語用論的形式主義に流れるハーバーマスとの距離化をはかっている。本稿ではまず、ホルクハイマーの問題関心に遡って批判理論の特徴を確認しつつ、そのコンテクストに第一世代、第二世代のハーバーマス、第三世代のホネットそれぞれの社会理論を位置付ける。つづいて、ホネットが「自己実現」の可能性の条件としての承認の「形式」に注目することによって、一方で内容ある善き生というコンセプトを堅持した批判理論を構築し、他方で特定の伝統的内容に依拠した価値の実体化を回避しようとした点を確認する。さらに「資本主義的近代化のパラドックス」というコンセプトのもとで進められているホネットとハルトマンのネオリベラリズム批判を取り上げる。そこで、ヘーゲルに由来する三つの承認形式を四つの承認領域として立体的に再構築することによって、ネオリベラリズムにおける承認構造の変化とその問題性を批判する視座を手にすることができた点を明らかにする。
  • アジア的パースペクティブをもとめて
    イスラム S・アミヌル, 油井 清光
    2010 年 4 巻 p. 29-53
    発行日: 2010年
    公開日: 2020/03/09
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  • 工リオット アンソニー, 片桐 雅隆
    2010 年 4 巻 p. 54-66
    発行日: 2010年
    公開日: 2020/03/09
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  • 理論的手法、日本の社会(科)学、日本社会をめぐる一考察
    エリオット アンソニー, 片桐 雅隆, 澤井 敦
    2010 年 4 巻 p. 67-92
    発行日: 2010年
    公開日: 2020/03/09
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    本論文は、三つの主要な目的をもっている。第ーに(第1節~第3節)、金融、メディア、ハイテク業界などのニューエコノミーにおいて、とりわけ顕著にみられる、地球を席巻する新しい個人主義についての理論を再検討し再呈示すること、そして、この立場が、社会学的なアプローチという点で、他の影響力の大きい立場(ここでは特に、フーコーと彼の継承者によって精綴化された「自己のテクノロジー」の理論と、アンソニー・ギデンズなどによって輪郭が示された「再帰的な個人化」というとらえ方を扱う)とどのように異なるのか、を問うことである。第二に(第4節)、この新しい個人主義の理論の構図を、より一般的に、日本の社会や社会(科)学における展開と関連づけることである。そこではとりわけ、私化や原子化をめぐる従来の議論、公と私の関係をめぐる議論に焦点をあてることになる。そして最後に(第5節)、現代の日本において進行中である社会経済的な変容を検討することで、新しい個人主義のひろがりがもたらすさまざまな矛盾について考察する。そこでは、新しい個人主義の理論が、日本の社会や経済に変化をもたらしている現在のグローパルな変容の内実をいかに有効に問いうるか、を検討する。
  • 能動的信頼の概念を中心に
    檜山 和也
    2010 年 4 巻 p. 93-105
    発行日: 2010年
    公開日: 2020/03/09
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    本論文はギデンズの「第三の道」の背景にある連帯に関する構想を分析し、その問題性を検討することを狙いとしている。「第三の道」を代表とするワークフェア・モデルは、現在多くの先進諸国に普及している。その背景にあるのは、自尊心へのダメージを伴う社会的排除の問題の認識であり、そして旧来の福祉国家がそうした排除に対し有効性を持たないこと、それに代わり諸個人に対する自律の支援が連帯の再建(社会的包摂)に結びつくという想定である。しかし問題は、そうした理念がしばしば過度な責任や義務の強調を伴うことにある。本稿ではそこから、ギデンズの「第三の道」の背景にある、近代から現在に至る社会的連帯の変化に関する彼の分析を検討した。大まかに言えば、近代においてはヒエラルヒー的な管理を行うシステムへの信頼が統合を支えてきたのに対し、そうしたシステムへの信頼がリスク化やグローバル化といった変化に伴って動揺するにつれ、逆に諸個人の自発的なコミットメントに基礎を置く信頼が、新たな連帯の原理として要請されるに至ったということである。こうした診断を整理しつつ、その問題として、それが諸個人に過剰な負荷を及ぼすだけでなく、問題ある諸個人を道徳的に排斥することにつながることを指摘した。その上で、現状の問題を主体や自律といった近代的理念にあるとする主張に対し、問題は連帯のあり方にあることを指摘した。
  • 公共性論における葛藤の解釈に関連させて
    河合 恭平
    2010 年 4 巻 p. 106-118
    発行日: 2010年
    公開日: 2020/03/09
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    本稿は、『人間の条件』においてアレントが展開した世界疎外に至る論理を考察し、そのうえで彼女の公共性論の再解釈を試みたものである。
    考察された世界疎外の論理展開の要点は次の三点である。第一に、近代世界に生じたヒトの生命過程という内省的な円環は、その無世界性と必然性という性質と、両者の相補的な結びつきによって世界疎外をもたらしていたということが言える。第二に、〈仕事〉が、機械の製作によって生命過程を作り出すことを可能にしていたことが挙げられる。これにより、〈仕事〉は、自らの特徴を喪失させ、製作的世界を破壊してしまっていたのである。第三に、近代の歪曲された〈活動〉を挙げることができる。それは、コントロール不可能な過程の〈始まり〉というかたちで、〈世界〉を破壊に導くものとして〈現われ〉ていた。以上の考察によって、我々はアレントの公共性論における、公共性の困難と〈始まり〉への志向という葛藤に直面することになる。そこで本稿では、『人間の条件』で世界疎外が取り上げられた意図を〈理解〉という彼女の概念に着目して読み込むことによって、この葛藤の理由を明らかにし、それがアレントの思想に内在的なものであることを提示する。以上から、アレントの公共性論とは、公共性の困難とそれに対する〈始まり〉への志向という葛藤を含むものとして解釈することが妥当であると結論づけた。
  • M.メルロ=ポンティによる時間性と空間性に関する議論を手がかりに
    堀田 裕子
    2010 年 4 巻 p. 119-132
    発行日: 2010年
    公開日: 2020/03/09
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    テレビゲーム体験は、M.メルロ=ポンティの理論からどのように考察できるだろうか。彼は「奇妙な」空間に関する考察で、異なる空間への「投錨」とそのための「投錨点」の必要性を論じている。投錨は「構成的精神」によるのではなく、身体が新たな空間内の諸対象を「投錨点」として、そこに住みつくということである。だがその投錨(点)は対象ではなく地であり、異なる空間を同時にとらえることはできない。
    テレピゲームにおける「客観視点」は、「主観視点」とは異なり、画面上にキャラクターが登場しそれを操作するプレイヤーの視点である。この時、キャラクターの身体は投錨点となり、プレイヤーの動きに応じてキャラクターは同時に動く。この現象を「同期」と呼ぶ論者もいる。だが、この考え方は二重の空間把握と物理的身体を前提しており、身体はその特質からしてまず「潜勢的身体」としてとらえる必要がある。
    また、奥行の考察からは、対象同士、そして対象と身体もけっして並列的な関係にあるのではなく、互いに他方を導き入れる「含み合い」の関係にあることが示される。そして、この「含み合い」を「投錨」の観点から理解することで、ゲーム体験においてはプレイヤーの身体とキャラクターの身体とがまさしく「含み合い」の関係にあることが分かる。そして、過去・現在・未来もまた「含み合い」の関係にあるとともに、地となり時間を湧出する、潜勢的身体のもつ非反省的な主体性は、ゲーム体験によって解体されることはない。
  • 事実と価値に関する一考察
    額賀 淑郎
    2010 年 4 巻 p. 133-145
    発行日: 2010年
    公開日: 2020/03/09
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    近年、学際領域の分野で哲学・倫理学と社会学の交流が増えるとともに、社会学理論において規範理論をどのように導入すべきかという課題が生じている。M.ウェーバーの理念型は、価値判断とは区別された「分析手段」として多用されているが、いったん理念型の概念がさまざまな文脈で用いられると、価値判断が混ざり理想としての性質を持つようになるという問題点を抱えている。学際的な分野で規範や価値判断を扱う場合、社会学者は理念型に加えてどのような方法論や分析手段を用いることができるのだろうか。本稿の目的は、事実と価値の区別を明らかにするために、「理念型」の枠組に準拠しながらも、社会学における価値判断の方法論に焦点を当てることによって、「規範型(あるいは規範理念型)」概念を提唱することである。「規範型」とは、理念型と似た構成要素に基づきながらも、原則という「価値」や規則という「判断基準」として機能し、今後のあり方について価値判断や規範を示すための分析手段(道具)である。学際領域として発展している「実証的生命倫理(empirical bioethics)」を事例として、規範型の特徴を具体的に分析する。まとめとして、社会学における規範理論や価値判断の方法論を発展させる必要性を示す。
  • J・ハーバーマスとA・ホネットのG・H・ミード論について
    森 一平
    2010 年 4 巻 p. 146-159
    発行日: 2010年
    公開日: 2020/03/09
    ジャーナル オープンアクセス
    J .ハーバーマスとA・ホネットはともに、「個体性の承認」という視点からミードの社会化論を再構成することで、従属性/主体性の軸に絡め取られ続けてきた社会化論を、実践的な領域へと拡張している。本稿では、こうした両者の論述をそれぞれ検討するとともに、比較を通して両者の論述の相違を明らかにすることを目的とする。両者とも、ミードの社会化論における「I」の創造的な投企のロジックを重視し、それによって形成される新たな「Me」において、各自の個体性が十全に承認されるとする。ハーバーマスは、この新たな「Me」を普遍的討議と解釈した上で、そこにおいて道徳や生活史の構成主体として受け入れられることを個体性の承認として把握する。ホネットは、新たな「Me」を「ポスト伝統的共同体」として概念化し、そこにおいて独自の業績的価値を持つ者として受け入れられることを、個体性の承認として把握する。こうした両者の論述の差異を踏まえることで、「個体性の承認」をアクチュアルなものにしていくための手がかりが得られる。
  • 論調と対象の再整理からみる課題と展望
    村上 潔
    2010 年 4 巻 p. 160-172
    発行日: 2010年
    公開日: 2020/03/09
    ジャーナル オープンアクセス
    本稿は、戦後日本社会において、女性の「労働」のありかたについてなされた最初の論争である「主婦論争」の意味を捉え返し、その課題と、論争が保持していた潜在要素一一現在的な問題の源泉ーーを抽出する作業を行なうものである。「主婦論争」とは、1955年に始まり1970年代前半まで段階的に生起した、「主婦」のありかたーーその立場・役割や労働の評価一ーをめぐる論争である。本稿では、「主婦論争」を内在的に読み解き、主にその対象となる層を念頭におきながら論調を図式的に分類していくことで、①論じられていたことが実際にはどのような現象としてあったのか、②それらはどのような関係を取り結んでおり、いかように力関係を保ってきたのか、③現状の課題と照らし合わせた際、改めて力点を置かれるべき立場はどこにあるのか、を検討した。その結果、従来論争における主要な論点とされてきた「働くべき」vs. 「働くべきでない」という論調の対立構図が、実は同じ(中間層以上の)階層の主婦層を対象とした「選択Jの問題にすぎず、そこからは「働かざるをえない」層の主婦たちの存在が不可視化されていることが明らかになった。そのうえで本稿では、「「地域/生活のための運動や協働を担う」立場の主婦たちと「働かざるをえない」主婦(ならびにその周縁の女性)たちによるこれまでの自律的な実践の成果を確認し、両者の協調的進展の模索にこそが今後の展開の試金石であることを指摘した。
  • サイケデリック体験からメンタル・メンテナンスまで
    渡邊 拓哉
    2010 年 4 巻 p. 173-184
    発行日: 2010年
    公開日: 2020/03/09
    ジャーナル オープンアクセス
    近年の「エンハンスメント」をめぐる主要な争点のひとつに、向精神薬の治療目的外の使用がある。スマートドラッグによる認知増強や抗響薬による感情調整などがこれに該当する。薬理学的な操作にもとづくそうした「精神活性化Jは、米国を中心にいまや社会問題化するまでに至っている。本稿は、薬物による精神活性化の文化的な来歴と、社会的な意味合いの変容を検討することを目的としている。これに向け本論では、1950-60年代の米国で展開されたサイケデリック運動とヒューマン・ポテンシャル運動を参照する。ともにA.ハクスリーから思想的な影響を受けたこの2つ類縁的な文化運動もまた、現代の認知増強や感情調整と同様、精神の薬理学的な操作を積極的に評価したことで知られる。だが、そうしたかつての精神活性化のありようと、現代のそれにはもちろん隔たりもある。その隔たりは、現代の精神活性化が技術的にも心理的にも、より消費社会に根づいたことを示唆している。60年代的な「変性意識」の実験を通じて広まった、精神の薬理学的な改変可能性という認識が消費社会の欲望と結びつくとき、精神活性化は自らの交換価値を高める手段として利用されることになる。
  • 予測可能性に対する信頼
    本柳 亨
    2010 年 4 巻 p. 185-196
    発行日: 2010年
    公開日: 2020/03/09
    ジャーナル オープンアクセス
    ファストフード・レストランのマクドナルドでは、利用者の無礼な振る舞いと、それを許容する周囲の無関心が共存する奇妙な光景が繰り広げられている。本稿では、場所性を喪失した「非場所」の代表であるマクドナルドにおいて発生する利用者の無礼と、その無礼を許容する「無礼の受け手」の無関心について考察する。
    本稿で明らかにするのは、第一に、マクドナルド内では、利用者の抱く信頼の作用が活発化するという点である。利用者が抱く「システム信頼」の対象は、マクドナルドのサービスや店員の行動から、場を共有する他の利用者の行動へと拡大している。信頼の拡大適用が活発化する要因として、「予測可能性」が遍在化するマクドナルドの特徴と、過去の情報を過剰に利用する信頼の脆弱な構造的特徴との共振関係が挙げられる。
    本稿で明らかにするのは、第二に、「無害化」という意識がマクドナルドの利用者の聞で発生している点である。マクドナルド内では、信頼の拡大適用を底流として活用しながら、他人の無礼な振る舞いを「予測可能性」に回収する「無害化」という意識が、利用者の中で発生している。
    以上のように、利用者の「無害化」という意識が、マクドナルドで発生する無礼に付与された社会的意味を一時的に解除することにより、「無礼の受け手」は己の自尊心を防衛しているのである。
  • 「藤田先生を偲んで――出会いと共同作業――」
    西原 和久
    2010 年 4 巻 p. 197-
    発行日: 2010年
    公開日: 2020/03/09
    ジャーナル オープンアクセス
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