本稿は、ハンセン病訴訟によって作り出されたある形式をもった語りが、どのような作用のもとで構築されたのか、その過程を分析するとともに、なぜこの語りが全体社会の支持を得て支配的な語り(マスター・ナラティブ)へと発展したのかを探ることにある。
「物語論的回帰」を契機に、1990年代以降、社会学を始め、歴史学、心理学の分野において、個人の語りに対するまなざしの重要性が指摘された。それは、集団の構造や機能に着目し、抽象化を目指す従来の実証主義に対し、個人の主観的意味における多義性への再評価であった。確かに、語りは個人の経験や記憶を通して紡ぎ出されるきわめて主観的な産出物であるが、一方で、個人は社会的存在であるがゆえに、語りのすべてが個人の創造性による産物というわけではない。本稿では、語りの持つ主観的意味に対する分析視点を継承しつつ、そのなかに含まれる社会的作用へと分析を深めたい。それによって語り手の所属する集団や全体社会との関係で、ある語りが持つ社会的位相を考察することが可能となるからである。
訴訟で勝利することを目的して形成された「被害」の語りは、患者社会の内部においては、ハンセン病の病いを語る新たな語りであり、また、語り手の所属する社会ではない別の解釈共同体との関係において生成した語りである。本稿では、新しい「被害」の語りの形成過程を既存の語りとの関係で検討し、その発展が患者社会に及ぼす影響について考察する。
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