社会学年報
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38 巻
選択された号の論文の10件中1~10を表示しています
特集「学説研究と数理・計量社会学」
  • 篠木 幹子
    2009 年 38 巻 p. 1-3
    発行日: 2009/07/19
    公開日: 2013/12/27
    ジャーナル フリー
  • ―学説-数理-実証のはざまで―
    三隅 一人
    2009 年 38 巻 p. 5-16
    発行日: 2009/07/19
    公開日: 2013/12/27
    ジャーナル フリー
     本稿では,古典学説に拠りつつ理論的一般化をはかるネオ古典社会学に,解釈支援型フォーマライゼーションという類型論に焦点をおく理論構築法を組み入れて,事例研究を媒介にして学説と数理の対話を促進する,その可能性と意義を論じる.第一に,役割の学説研究との往還の中から解釈支援型フォーマライゼーションならではの理論化を引き出す,その具体的な過程を例解する.ポイントは類型論の背後にあるプロセスの明示化である.第二に,そこで定式化されたプロセスのモデルを,秩序問題との接合および国際関係という異なる現象への応用を通して一般化し,理論的一般化のための含意を検討する.
  • 渡邊 勉
    2009 年 38 巻 p. 17-30
    発行日: 2009/07/19
    公開日: 2013/12/27
    ジャーナル フリー
     本稿は,社会学的研究における理論と実証の関係について,景観問題というテーマを通じて,検討することを目的としている.まず景観問題に関する人々の意識を調査データから明らかにした.その上で社会的ジレンマの枠組では,うまく分析できず,権利の問題として捉えるべきであることを示す.そして権利の観点から意識調査の結果を分析し,景観をめぐる課題として,権利の所在が人々の間で共通了解されていないこと,権利の対立に対して人々がどの権利を優先すべきであるかの共通了解がないことが示された.
     以上の分析を通じて,社会現象を分析する際,理論は現象を説明するための道具ではなく,現象を理解するための枠組を提供する道具として有効であることが明らかとなった.つまり,理論は単に説明するだけではなく,現象を理解,定義するためにも重要な役割を担っているのである.
  • ―科学としての社会学と歴史学としての社会学史の発展のために―
    木村 邦博
    2009 年 38 巻 p. 31-41
    発行日: 2009/07/19
    公開日: 2013/12/27
    ジャーナル フリー
     本稿の目的は,科学としての社会学と歴史学(科学史)としての社会学史との双方にとって,どのような「学説研究」が実り多いものと考えられるかについて,論じることである.より具体的には,具体的な社会現象に対する「問い」を主題とした学説研究を実践することこそが,社会学・社会学史それぞれの分野における研究の発展を促すものであることを主張する.まず,科学としての社会学と歴史学(科学史)としての社会学史とを峻別する必要があることを述べるだけでなく,このふたつの違いをできるだけ明快な形で定式化する.その上で,社会現象の科学的探求としての社会学がどのような目標と方法をもつべきものであるかを,具体例を挙げつつ論じる.さらに,相対的剥奪に関するレイモン・ブードンの研究を模範例として取り上げ,そこにおいてブードンがとった研究戦略を検討することで,「問い」を主題とした学説研究の重要性を示すことにしたい.最後に,「問い」とそれに対応した仮説を主題とした学説研究が,学者(学派)・言説(主張)・概念・メタ理論を主題にした場合と比較して,科学としての社会学においては先行研究のレビューとして有効かつ不可欠なものであると同時に,社会学史の分野でも社会学的な営みを魅力的なものとして描くことにつながるものであると主張する.
  • 正村 俊之
    2009 年 38 巻 p. 43-47
    発行日: 2009/07/19
    公開日: 2013/12/27
    ジャーナル フリー
     社会学的研究には,数理的研究/非数理的研究,理論研究/実証研究/学説研究といったさまざまな種類の研究が含まれている.本稿では,第1に,共時的・静態的な観点および通時的・動態的な観点からそれらの研究の相互関係を説明し,社会学的研究に関する全体的な見取り図を提示する.第2に,その全体的な見取り図のなかに三つの報告(三隅報告,木村報告,渡邊報告)を位置づけて本シンポジウムの意義を探る.
  • ―閉鎖・開放・第二次観察―
    小松 丈晃
    2009 年 38 巻 p. 49-52
    発行日: 2009/07/19
    公開日: 2013/12/27
    ジャーナル フリー
     本特集へのコメントである本稿では,古典を読むとはどういうことかをまず見たあとで,各論考の議論内容と関連した二つの論点について(いずれもそれぞれ慎重な議論運びを要するものだが,ごく簡単にのみ)考察する.一つは,専門領域の閉じと開放について,である.専門領域はいかなるかたちで「閉じ」てゆくのかを確認しつつ,それらの領域間での対話の可能性に,触れる.もう一つは,観察の観察である.現代社会においては,数理/非数理を問わず,観察の観察(「第二次の観察」)をその研究においてある程度考慮せざるをえなくなっているのではないかという問題提起を行う.
論文
  • ―内面化論再考に向けて―
    寺田 征也
    2009 年 38 巻 p. 53-62
    発行日: 2009/07/19
    公開日: 2013/12/27
    ジャーナル フリー
     本論文は,G.H. ミードにおける「思考(thinking)」の議論を取り上げ,「思考」概念の内実を検討する.これまでのミード研究において,「思考」とは相互行為過程における他者の身ぶりや態度を内面化した結果としてあらわれる,内的会話であるとされていた.しかし,本論文での検討の結果,「思考」とは内的会話であると同時に,内的会話を通じて考えられた事柄を表明する局面をも,ミードは視野に入れているということが明らかとなった.
     ミードによれば,内的会話で考えた事柄の表明は,個々人の「思想(thought)」の表明に他ならない.そしてこの「思想」は,言語や身ぶりという形態に限られない.例えば芸術家の作り上げた作品も,その芸術家の持つ「思想」の表明なのである.つまり,作品とはまさに作り手による「思想」の表現であり,ミードによれば,こうした「思想」の表現としての作品は誰しもが作ることができるのであった.その意味で,人間社会とは,「思想」の表明としての作品を通じて互いの「思想」を交換し合う世界なのである.
  • ―行為と責任に関する所説の検討―
    何 淑珍
    2009 年 38 巻 p. 63-72
    発行日: 2009/07/19
    公開日: 2013/12/27
    ジャーナル フリー
     本稿の課題は,J. デューイの『倫理学』における道徳理論の基礎を明らかにすることにある.先行研究では,社会成員としての個人の行為に立脚し,諸個人の置かれているその場その場の具体的問題に対する行為の結果責任が指摘されている.本稿では,その議論を一歩すすめて,デューイのいう個々の具体的状況とは何を指しているのか,結果責任とはいかなるものであるのか,といった問いをたてて検討をおこなった.そこで,デューイによる過去の道徳理論に対する批判,諸個人の行為を取りまく社会的ネットワークへの注目を考察することによって,個人が直面する具体的状況とは,社会全体と関連する「社会的諸条件」だということを明らかにした.デューイの道徳理論は,個人の行為と「社会的諸条件」との相互規定・循環関係を重視する点が特徴的なのである.
研究ノート
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