社会学年報
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36 巻
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特集 交流の社会学/定住の社会学
  • 佐藤 利明
    2007 年 36 巻 p. 1-6
    発行日: 2007/07/20
    公開日: 2013/10/23
    ジャーナル フリー
  • ―愛知県矢作川の事例から―
    古川 彰
    2007 年 36 巻 p. 7-29
    発行日: 2007/07/20
    公開日: 2013/09/20
    ジャーナル フリー
     本稿の目的は主に愛知県矢作川流域の所有,管理,利用にかかわる関係主体(アクター)の歴史過程の検討を通して,定住者(コミュニティ)の知と交流の論理について議論することである.とくに本稿では,河川環境保全主体としては注目されてこなかった内水面漁協,河川につよい権利を持つ農業水利団体,河川管理者としての行政,そして環境保全などにつよい関心をもって1980年代から登場する市民グループとの関わりの変化に焦点をあてて記述,分析をおこなった.
     その結果,1990年代以降の河川の環境化によって,諸アクターの活動は流域社会へと開かれ(流域社会化),それぞれのコミュニティに固定化されてきた範域的な関係主体(アクター)が,多様なアクターと関係を取り結ぶことで,アクター間の垣根を低くしてゆるやかに結ばれる関係的なアクターへと変化し,あらたな開かれたコミュニティを形成しつつあるプロセスを明らかにした.
  • ―岩手県八幡平市細野地区の事例―
    中島 信博
    2007 年 36 巻 p. 31-59
    発行日: 2007/07/20
    公開日: 2013/10/23
    ジャーナル フリー
     本稿は岩手県の山村で農家により自律的に取り組まれたあらたな事業を検討することで,そこでの論理を析出しようとする.具体的には大型のスキー場開発に付随して展開してきた民宿の村が,入り込み客の減少という危機に対応するなかでサッカー場経営に乗り出し,これによって「芝生」の価値を発見すると同時に,有志による組合を結成することで経営を安定化することに取り組んだ事例である.そこでは山村ゆえの目まぐるしい生業変遷の歴史の中で培われてきた経営の体験が活かされており,特に市場感覚にすぐれた対応を分析できる.また,有志が共同で新規の事業に取り組む段階と,ある程度軌道に乗ってからのより広範な家々が共同で運営していく方式も観察できた.初期の段階では既存の資源を最大限に有効利用することで投資を抑え,リスクを最小にする工夫が多様に凝らされていた.また運営にあたっては伝統的なレトリックで共同性を確保し,これによって対外的な競争力も維持している戦略も読み取れた.
  • ―他者の「心意」に迫るフィールドワークは可能か―
    松村 和則
    2007 年 36 巻 p. 61-90
    発行日: 2007/07/20
    公開日: 2013/10/23
    ジャーナル フリー
     「そこにも人は住まねばならない」というテーゼは,琵琶湖―淀川水系という「特殊」な時・空間からうまれた「生活環境主義」というイデオロギーの所産である.もし,「条件不利地域」として日本の山村が見捨てられたならば,人々が棲む空間はこの日本のどこにも存在しないだろう.
     大都市圏に棲む人々が山村に関心を持つか否かを問う以前に,森林―山村空間は環境保全をめざすべくしてそこにある.崩壊すべきものとしてのムラ,崩壊したはずのムラ,環境保全主体としてのムラ,時代の変容と共に形容される様は変化したが依然として村落社会研究の中心テーマとしてムラ論もまたあった.
     環境保全という課題の前で,山村(ムラ)の主体性論は,新たな課題を背負って登場した.このテーマは,環境社会学研究において所有論,コモンズ論として深まりを見せたが,ムラ人の主体性を創り上げていく「はっきりとした意図を持たない首尾一貫性」(P・ブルデュー)を捉える「手口」が明示されずに来た.鳥越皓之の用語になぞらえれば,「言い分」論を経験論へ再度引き戻してモノグラフィックに記述することになるだろう.
     本稿は,以上のような問題意識の元に,環境保全主体としてのムラのリーダーを羅生門的手法で描き,書く主体をもその文脈に埋め込みつつ「動かないムラ」を記述する.
  • 倉原 宗孝
    2007 年 36 巻 p. 91-98
    発行日: 2007/07/20
    公開日: 2013/10/23
    ジャーナル フリー
  • 吉野 英岐
    2007 年 36 巻 p. 99-104
    発行日: 2007/07/20
    公開日: 2013/10/23
    ジャーナル フリー
論文
  • ―ナショナリズム論の視角から―
    安達 智史
    2007 年 36 巻 p. 105-125
    発行日: 2007/07/20
    公開日: 2013/10/23
    ジャーナル フリー
     本稿は,デュルケムの『社会分業論』をナショナリズム論の視角から検討することにより,ネイションという観念を近代社会における連帯の条件として提示することを目的とする.『社会分業論』は,「人格崇拝」および「中間集団論」を論じた著作として,今日なお高く評価されている.人格崇拝の規範は,組織的社会において復元的法律に宿り,社会の機能連関つまり分業を担保する.だが,人格崇拝はいかにして可能なのだろうか.法律は制裁的機能を弱められているのだから,人格に向けられた集合意識は沸騰しない.崇拝には,具体的な表象が必要とされる.本稿では,その表象として,「ネイション」という観念に注目する.そして,集合表象としてのネイションと中間集団による集合意識との結びつきが,深い多様性をもった諸個人の連帯を可能にさせる「道徳的個人主義」を形成することを明らかにする.
  • 和泉 浩
    2007 年 36 巻 p. 127-147
    発行日: 2007/07/20
    公開日: 2013/10/23
    ジャーナル フリー
     本稿の目的は,ウェーバーの『音楽社会学』における西洋近代音楽についての分析の特徴と含意を,合理化のパラドクスという点から明らかにするとともに,『音楽社会学』の潜在的テーマである「音楽的聴覚」の問題の重要性を示すことにある.
     ウェーバーの音楽社会学の課題は,なぜ西洋近代に合理的和声音楽が誕生したのかを明らかにすることにある.ウェーバーは,都市についての研究と同様に,この課題を古代ギリシアと中世・ルネサンスの音楽の比較から探求した.そして『音楽社会学』では,古代ギリシアと異なるかたちでルネサンス以降進展した近代音楽の合理化が,結果的に古代ギリシア的なものの復活に至る合理化のパラドキシカルな展開が描き出されている.
     『音楽社会学』では,『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』での合理化についての考察とは異なり,複数の合理化の方向の関係により生じる合理化のパラドクスが問題になっている.また合理化にアプローチする方法も異なっており,『音楽社会学』では,音楽についての理念や生活態度ではなく,音楽の「技術」に焦点があてられている.この結果,ウェーバーの音楽社会学では,音楽と社会の関係よりむしろ,音楽の合理化の自律的な過程が描き出される.しかし,音楽の技術と表裏一体をなす,社会的に形成される「音楽的聴覚」の問題が,『音楽社会学』の潜在的テーマをなしている.
  • ―パーソナルな行為者の行為とアイデンティティとの関係から―
    山口 健一
    2007 年 36 巻 p. 149-169
    発行日: 2007/07/20
    公開日: 2013/10/23
    ジャーナル フリー
     本稿はA.ストラウスの相互行為論における,パーソナルな行為者が有するアイデンティティの変容と持続性について検討する.
     諸状況においてパーソナルな行為者が意図的であれ非意図的であれ集団の成員として行為する(名づける)とき,その行為者はその行為が示す集合的アイデンティティを有する.パーソナルな行為者は状況的にも時間的にも複数の集合的アイデンティティを有し,それらは時間の経過とともに変容する.またパーソナルな行為者の経歴は,同一化・脱同一化していく地位移行であり,常に新たな集合的アイデンティティを獲得するプロセスである.これがパーソナルな行為者が有する集合的アイデンティティの変容である.
     パーソナルな行為者による再帰的行為としてのパーソナルなアイデンティティは,過去から未来にわたる経歴における複数の集合的アイデンティティを秩序化したものである.これは再帰的行為の時点においてその行為者が属す集団の用語法によって行われる.しかし再帰的行為の都度パーソナルなアイデンティティの正当性が問われるため,パーソナルなアイデンティティを持続させる営みは継続していく.これがパーソナルな行為者が有するパーソナルなアイデンティティの持続性である.
  • ―ノーマン・K・デンジンの「エピファニー」概念を中心として―
    新田 貴之
    2007 年 36 巻 p. 171-187
    発行日: 2007/07/20
    公開日: 2013/10/23
    ジャーナル フリー
     本稿は,ノーマン・K・デンジンの「エピファニー」概念の検討を通して,彼の「解釈的相互行為論」がイデオロギー批判の方法であることを明らかにする.
     本稿は,デンジンの立場を明確にしたうえで,彼の「解釈的相互行為論」における「エピファニー」概念に焦点をあてる.特に,研究者が,「個人的トラブル」として語られる「エピファニー」をいかなるものとして捉え,解釈しているのかという点を検討する.
     「解釈的相互行為論」においては,「エピファニー」を書くことが二重に捉えられている.このことによって,エスノグラフィーにおける物語の「神話化」が批判的に捉えられる.さらに,デンジンは,研究者が「エピファニー」の再叙述において自らの自明性,すなわちイデオロギーに無批判であることに対して批判する.デンジンの「解釈的相互行為論」とは,再叙述における物語の「神話化」を自覚的に捉え,研究者自身のもつ自明性,すなわちイデオロギーを批判的に捉えることによって再叙述することなのである.
  • 林 雄亮
    2007 年 36 巻 p. 189-209
    発行日: 2007/07/20
    公開日: 2013/10/23
    ジャーナル フリー
     本稿の目的は,人々の格差に対する意識の実態を調査分析によって明らかにすることである.用いるデータセットは「2006年格差と不平等に関する仙台市民意識調査」である.
     本調査研究で扱った社会格差は,大学進学機会,就職機会,職業上の成功機会,所得,資産,医療サービス受給機会,年金の格差である.これらの格差に対する意識は格差認知(どのくらいの格差があると認知されているか)と格差許容度(認知された格差が許容できるかどうか)に区別される.それぞれの分布は格差の種類によって異なり,全体的には機会の格差は小さく,結果の格差は大きく認知され,福祉の格差についての許容度が低く,所得や資産の格差についての許容度が高いことがわかる.そしてこれらの格差意識は,因子分析の結果,従来の伝統的な階層意識とは別の次元に存在している.さらに,格差意識と社会的属性との関連では,比較的低地位者の格差認知が高く,格差許容度が低い.しかしながら,多変量解析の結果,社会的属性の影響は決して強くはない.
  • ―医療訴訟の事例分析から―
    加藤 英一
    2007 年 36 巻 p. 211-231
    発行日: 2007/07/20
    公開日: 2013/10/23
    ジャーナル フリー
     有害事象によって被害を被った患者及びその家族は,主に「事実の解明」,「医療従事者による謝罪」,「事故を今後の教訓にして欲しい」という3つの要求を訴えて裁判を起こすことが,既存の研究によって明らかにされている.本稿では,有害事象を経ることによって,如何にしてこれら3つの要求が生じることになったのかを「信頼」の崩壊過程を通じて明らかにした.
  • ―介護老人福祉施設における職種間連携を通して―
    京須 希実子
    2007 年 36 巻 p. 233-253
    発行日: 2007/07/20
    公開日: 2013/10/23
    ジャーナル フリー
     本論文は,介護老人福祉施設で働く介護職が他専門職,特に密接な関係にある看護師・社会福祉士・栄養士との連携・協働を通して自らの業務内容を確立していく過程を追うことで,介護職の業務確立に関する1つの知見を提示することを目的とする.X県内の介護老人福祉施設A園・B園において参与観察及びインタビューを行い,そこで収集したデータをもとに分析を行った.
     その結果,介護老人福祉施設における介護職は,入居者の身体介助を軸に業務を行っていた.彼らは,身辺介助業務を専ら任されるようになったことで,常に入居者の傍にいることができ,その結果,どの職種よりも多くの入居者に関する情報を把握することができる状態に置かれていた.そして,彼らは,それぞれの知識に基づいてケアを行う他職種の支援を受けつつ,その情報をもとに,入居者を生活者と捉えるという独自の視点から,業務を行っていた.こうした介護職の独自性は,他職種にも認められつつあり,そこから介護職の専門性が確立される可能性も示唆される.
     しかし,こうした介護職の業務の在り方は,介護老人福祉施設の職員構成に支えられてはじめて成り立つものであって,職員構成の変化により,入居者の多様な情報を把握できる立場に介護職以外の職種がおかれたとき,連携・協働の在り方の変化及び介護職の業務内容の変化が生じる可能性も考えられる.
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