日本の患者たちは様々な苦難に耐えながらも,自らの境遇を改善するために闘い,権利を勝ち取ってきた.本稿では,日本における患者の歴史,つまり患者に対して行われたことと,患者によって行われたことを概説する.
19世紀後半にコレラが大流行した際,患者は避病院に隔離され,ほとんど治療されないまま放置された.1900年代に入り工業化が進展するとともに,貧困層,特に女工の間で結核が流行するようになったが,療養所が不足していたため十分な治療がなされなかった.性感染症は「花柳病」と定義され,売春婦から男性へ,男性から妻へと社会全体に拡大し,女性は売春婦としての悲劇,妻としての悲劇に耐えてきた.20世紀初頭から,浮浪徘徊するハンセン病患者は療養所に収容されるようになり,その後全てのハンセン病患者を療養所に入所させ,生涯完全に隔離する政策が進められた.ハンセン病患者の中には,監禁,減食,謹慎,譴責などの処罰を受け,清掃,洗濯,重症患者の看護などの「患者作業」を強いられ,断種される者もいた.精神疾患患者の多くは私宅に監置されていたため,精神病院の設立が推進された.精神病院では,手錠,足かせ,鎖などの拘束具が使用されることもあった.その後私宅監置は禁止され,自傷他害の恐れのある精神疾患患者を入院させる措置入院制度が設けられた.
患者に対する差別は,上記の疾患だけでなく,公害病,職業病,医原病,難病,エイズ,COVID-19も対象となった.また貧困の患者を研究や教育に利用する「学用患者」と呼ばれる仕組みも存在していた.
第二次世界大戦後,患者たちは自身の要求や問題を社会に積極的に訴えるようになり,それは世界でも珍しい「患者運動」へと発展していった.患者会は当初,結核やハンセン病の療養所の患者によって組織されたが,1950年代以降,難病や公害病など,様々な疾患の患者会が設立されるようになった.1970年代に入ると,疾患ごとに設立された患者団体が互いに連携するようになり,2005年5月,患者団体の統一組織として日本難病・疾病団体協議会(JPA)が設立された.
患者の人権の擁護や生活・医療の保障については法律等で明文化されるようになった.しかし,特に難病患者が求めている,疾患の原因解明や治療法の確立には至っておらず,患者自身が積極的に研究開発に関与する「患者・市民参画(PPI)」の推進が必要である.
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