日本重症心身障害学会誌
Online ISSN : 2433-7307
Print ISSN : 1343-1439
42 巻, 2 号
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前付け
  • 2017 年 42 巻 2 号 p. H2
    発行日: 2017年
    公開日: 2019/06/01
    ジャーナル フリー
  • −うまれてきてよかったと思える社会作り−
    田中 総一郎
    2017 年 42 巻 2 号 p. 77
    発行日: 2017年
    公開日: 2019/06/01
    ジャーナル フリー
    第43回日本重症心身障害学会を、杜の都仙台で開催させていただくことになりました。今回のテーマは「重症心身障害児者のいのちを育むこころと技」です。ご家族、医療、福祉、教育、行政などさまざまな立場の皆さまが、大切に重症心身障害児者のいのちを育まれてきた、そのこころと技を持ち寄る場所になり、お互いのはげみになればうれしく存じます。 本学会の会員は、医療職、教職、福祉職と幅広く約2,000人の先生方によって成り立っています。多職種連携のキーワードは、相手に対する「リスペクト」と「おおらかさ」といわれます。それぞれ受けてきた教育や専門とする分野は違っても、同じ方々の幸せを願っています。生命を守る医療の視点と生活の豊かさを創る教職と福祉の視点、この両眼を大切にしていきたいですね。 教育講演では、長年にわたって重症心身障害教育に尽力してこられた東北福祉大学の川住隆一先生と、多職種連携や地域包括ケアなどこれからの在宅医療の考え方について医療法人財団はるたか会の前田浩利先生にお話しいただきます。 平成23年の東日本大震災と平成28年の熊本地震の経験は、重症心身障害児者の防災に大きな教訓を残しました。シンポジウム1「災害に備えて−たいせつにしておきたい普段からのつながり−」では、宮城と熊本から、医療が必要なこどもたちの災害時の対応と地域づくり・街づくりを大切にした復興についてお話しいただきます。 シンポジウム2「家族と暮らす・地域で暮らす−重症心身障害児者の在宅医療・家族支援−」では、大切に守り育てられた重症心身障害の方々の在宅医療と家族支援をどのように地域で展開していけばよいかを考えてまいりたいと思います。 シンポジウム3「重症心身障がい児者と家族の生活世界を広げる支援」では、小児訪問看護の視点から子どもや家族に寄り添った支援制度のあり方を討論いただきます。 昨年好評をいただきました看護研究応援セミナーは、今年も引き続き第2回を開催いたします。 また、今回から新しい試みとして、講義と実技を組み合わせたハンズオンセミナーを行います。「重症心身障害児者の伸びる力を信じる食事支援」では、実際に再調理したり食べたりする経験を通しておいしく楽しい食事支援を学びます。「呼吸理学療法・排痰補助装置」では、急性期と慢性期の呼吸理学療法の実際と排痰補助装置を実技研修で体感します。それぞれ第2部の実技は事前登録制ですが、第1部の講義はどなたでも聴講できますので当日会場へお越しください。 2日目の午後は市民公開講座として広く一般の方々にもお越しいただける場としました。本学会の目玉であるファッションショーは、地元のファッション文化専門学校DOREMEと陽光福祉会エコー療育園のご協力をいただき、7人のモデルさんがドレスや着物などで登場します。 特別講演「生きることは、聴くこと、伝えること」では、仙台市在住の詩人、大越桂さんと昭和大学医療保健学部の副島賢和先生による対話形式で、いのちと言葉についてお話しいただきます。大越さんは、出生時体重819グラム、脳性まひや弱視などの障がいや病気と折り合いながら生きてきた重症心身障害者です。「自分は周りが思うより、分かって感じているのに伝えられない。私はまるで海の底の石だった。」喉頭気管分離術を受けた後に13歳から支援学校の先生の指導のもと筆談を始めました。今は介助者の手のひらに字を書いて会話します。「生きることを許され、生きる喜びが少しでもあれば、石の中に自分が生まれる。」副島先生は昭和大学病院の院内学級の先生です。病気の子どもである前に一人の子どもとして向き合ってこられました。「もっと不安も怒りも表に出していいよ。思いっきり笑って自分の呼吸をしていいんだよ」と子どもをいつもそばで支えてくれます。皆さまご存知の小沢浩先生も絡んで、楽しい時間となるでしょう。 一般演題には303演題の申し込みをいただきました。プログラム委員会の審議の結果、口演141題、ポスター162題と決定いたしました。プログラム委員会の先生方にはお忙しい中を本当にありがとうございました。この場をお借りしまして厚く御礼申し上げます。 プログラム委員会(敬称略、50音順) 相墨 生恵  植松  貢  遠藤 尚文  小沢  浩  梶原 厚子  菅井 裕行   田中総一郎  遠山 裕湖  冨樫 紀子  萩野谷和裕  前田 浩利 爽やかな秋の仙台で、皆さまにお目にかかれますことを楽しみにいたしております。
  • 2017 年 42 巻 2 号 p. 78-79
    発行日: 2017年
    公開日: 2019/06/01
    ジャーナル フリー
  • 2017 年 42 巻 2 号 p. 80-81
    発行日: 2017年
    公開日: 2019/06/01
    ジャーナル フリー
  • 2017 年 42 巻 2 号 p. 82-84
    発行日: 2017年
    公開日: 2019/06/01
    ジャーナル フリー
  • 2017 年 42 巻 2 号 p. 85-87
    発行日: 2017年
    公開日: 2019/06/01
    ジャーナル フリー
  • 2017 年 42 巻 2 号 p. 88-125
    発行日: 2017年
    公開日: 2019/06/01
    ジャーナル フリー
特別講演
  • −表現のちからを信じて−
    大越 桂
    2017 年 42 巻 2 号 p. 127-128
    発行日: 2017/08/01
    公開日: 2019/06/01
    ジャーナル フリー
    心が見える突破口  双胎第二子、819グラムの超未熟児で誕生した私は、重度脳性まひとともに現在28歳になった。一人では何もできなくても多くの人に支えられて今日を生きている。山積する課題の中にあっても、未来の希望やよいことを確信できることこそが私にとっての「幸せ」である。ここにいていい、と確かに許されている実感に包まれている。  全介助の重い障害者という私と、自由気ままな内面にいる私。独立した二人の私を生きてきた。二人が互いの距離に耐え切れなくなったとき筆談に出会った。外界に伝えたい内面の私を一言ずつ伝えながら、私は海の底の石から等身大の人間になっていった。  どの一日も常にそこにいる人に向かって「心をみて」、と叫び続けた。全身全霊で表現することだけは諦めなかった。私を人として関わる人といるときだけは、確かに人になれることを知っていたからである。    ここに至る忘れられない突破口が5つある。 (その1・6歳) ハムストリング手術のために1年間入院した。初めて両親と離れる生活で、障害がある子どもがこんなに多くいることを知った。同時に、私の障害が一番重いことも知った。自力移動し、片言でも会話ができる子どもの要求は率先してくみ取られた。私は常に待ち続けた。一番最後でも、必ず関わってくれる人がいることも知った。  友だちの会話は面白くてたまらなかった。もっと聞きたくて、統制のない首を思わず持ちあげて見ようとした一瞬を、面会にきた母が見逃さず言った。「この子、わかっているのかもしれないよ。」(←そうなんだってば。気づくの遅すぎ・・心の声) (その2・7歳) コミュニケーション支援機器を利用して、スイッチで初めて「おかあさん」と呼んだ。自分の言葉を自分のタイミングで伝えることが私にもできるのだと知った。母は感動して泣いた。(←弟に先を越されたけど、私だって呼べた。嬉しくて泣いた) (その3・11歳) 伝えたいことが伝わらないストレスで嘔吐発作を起こすようになった。肺炎を繰り返して呼吸器を装着していたとき、スタッフの足音が聞こえるだけで不安になり心拍アラームが鳴った。服薬で眠っているように見えても実は起きているのかもしれないと母が気づいた。希望を聞いてもらえるようになり、好きな音楽やケアの要望をアラーム音と心拍数で伝えられるようになった。 (←本当に眠いとき話しかけられるとやかましい) (その4・13歳) 気管切開で失声した。通信手段がなくなり困惑した。支援学校の訪問教育で筆談を教わる。初めて文字を書いたとき、体中の細胞が口から飛び出すかと思うほど歓喜した。死んでもやり遂げると強く誓った。(←後に危篤のときに勝手にお別れを言われて怒りで峠を越えたことを伝えて溜飲を下げた) (その5・14歳) 常に介護で共に過ごす母と大喧嘩をした。それまでの恨みつらみをぶちまけてやっと対等になれた。初めて本当に呼吸が楽になった。(←母子の喧嘩は遠慮がない分壮絶)  詩を通して、多くの人と出会った。アーチストの表現と詩のコラボレーションは、想像もできない美しい世界を作り出す。表現する人も受け取る人もともに一度しかない今を共有し、いのちの存在を実感する至福のときを体験する。詩と触れた人々が行間に生み出す人間性に引かれる。美しいものを味わい、感動する心は当たり前のようで当たり前ではない。どの表現もすべての人が精一杯生きるいのちの表現として行っている。それらを感じ取るたびに共鳴する。自分自身が昨日よりも今日、ひとつ豊かになろうとする生命力でいっぱいになる。  誕生後10カ月の告知のとき。両親が聞いたという青年医師の言葉だ。  「この白い線は白質といって命令を伝える神経の道です。今は細くてよく見えませんが、刺激を与え続ければ、もしかしたら道が太くなるかもしれませんよ。」  『かもしれない』この一言がすべての始まりだった。  そうして、今日の私は幸せになった。 略歴 1989年、仙台市生まれ。819グラムの未熟児で誕生し、重度脳性まひ、未熟児網膜症による弱視など重度重複障害児として過ごす。9歳頃より周期性嘔吐症を併発し障害の重度化により要医療管理になる。13歳で気管切開により失声。筆談によるコミュニケーションを開始。2004年「第4回One by Oneアワード/キッズ個人賞」(日本アムウェイ主催)を受賞。詩と切り絵のコラボ展「みえない手」(2017)などのコラボ活動多数。2011年「花の冠」が野田佳彦総理大臣の所信表明演説に引用される。 ブログ「積乱雲」http://plaza.rakuten.co.jp/678901/ 詩集 「花の冠」朝日新聞出版)「海の石」光文社(2012)、「あしたの私は幸せになる」ぱるす出版(2016)
  • −表現のちからを信じて−
    副島 賢和
    2017 年 42 巻 2 号 p. 129
    発行日: 2017年
    公開日: 2019/06/01
    ジャーナル フリー
    ○さいかち学級(品川区立清水台小学校病弱身体虚弱児教育特別支援学級)について  昭和大学病院(東京都品川区籏の台一丁目)の入院棟17階にある特別支援学級です。昭和大学病院に入院している児童の中で、本人・保護者が希望し、医師が許可した病弱・虚弱の子どもたちが通っています。長期入院で入級している子どもで、教室に来ることができない場合は、毎日(教室の子どもの状況により、時間を検討する)ベッドサイド授業を行っています。さいかち学級の役割は『子どもたちの発達を保障すること』です。病棟スタッフの方達とチームとして活動しています。 ○不快な感情の扱い  子どもたちは、治療や自分の身体のこと、将来や学校のこと、友だちや家族のことなど、さまざまな不安を抱えて学級に通級してきます。かかわりが深まっていくと、自分の中にある不安をいろいろな形で表現するようになります。  大きな不安を抱えている子どもほど、自分の不安や恐れ、怒りなどの感情を表出することに抵抗を感じ、むしろそのような感情を「ないもの」として過ごそうとしている様子が見受けられます。また、心的なものが身体症状となって現れる、いわゆる心身症系の子どもたちが増えているという現実もあります。  これらの子どもたちに共通して見られることの一つに、「感情の不適切な扱い」があると考えています。感情の不適切な扱いは、さまざまな不適応行動につながっていきます。  病気療養児でなくとも、「感情(特に不快な感情)」の扱いは大切です。「子どもたちは自分の中にこの『不快な感情』が湧き上がると、自分自身にとって大きな危機となってしまうため、『防衛』をおこないます。そして、自分の中で起こっている痛みやつらさや不安や恐れなどを感じないようにして、生活をしている。(大河原 2004)」のです。  子どもたちが感情を表出し、表現することを通して、自分の中にどのような感情があり、その感情をどのように扱っていけばよいかということを考えたいと思います。 ◯感情表出の理解(小林 2009) 怒り:他者や周囲に変わってほしいという「願い」 悲しみ:苦境を分かち合ってほしい、助けてほしいという「訴え」 喜び:誰かと分かち合うことで加速される 恐怖や不安:問題があり、それを解消しなければならないという強い願い ◯教師の大切な4つのかかわり (小林 2009) 本人の好きなこと、得意なことを探りその面で付き合うようにする。 活躍の場を与える。 本人が安心していられる場所を作る。 不安や緊張や怒りや嫌悪などの不快な感情を言葉で表現できるようにする。 略歴 副島 賢和(そえじま まさかず) 昭和大学大学院保健医療学研究科 准教授 東京都公立小学校教諭として25年間勤務。内8年間品川区立清水台小学校「昭和大学病院内さいかち学級」担任。2014年4月より現職「昭和大学病院内さいかち学級」を担当。 学校心理士スパーバイザー。 小林正幸氏(東京学芸大学大学院教授)らと共に、「チーム仕事師」のメンバーとして「みどりの東北元気キャンプ」を行う。 大阪Tsurumiこどもホスピスアドバイザー。教育ボランティアの方々への研修等を行う。 ホスピタル・クラウンの活動もしており、「パッチ・アダムス」として有名なハンター・キャンベル・アダムス氏(米国)の活動に参加している。 著作に『あかはなそえじ先生のひとりじゃないよ』(教育ジャーナル選書/15年)『心が元気になる学校』(プレジデント社/16年)『学校でしかできない不登校支援と未然防止』(東洋館出版/09年)等。 ドラマ『赤鼻のセンセイ』(日本テレビ/09年)のモチーフとなる。11年には『プロフェッショナル仕事の流儀』(NHK総合)に出演。
教育講演1
  • 川住 隆一
    2017 年 42 巻 2 号 p. 130
    発行日: 2017年
    公開日: 2019/06/01
    ジャーナル フリー
    超重症児と呼ばれる子どもたちが重症心身障害児施設や病院で増加していると言われる。周知のように超重症児とは、「長期に継続する濃厚な医療的ケアを必要とする子どもたち」である、具体的には「人工呼吸器や気管切開、吸引や酸素療法などの呼吸管理や中心静脈栄養法などを継続して必要とし、それが常態である子どもたち」であり、運動発達上は寝たきりから座位まで、超重症児スコア25点以上の子どもを指す(鈴木,1996)。この超重症児に該当する児童生徒は、特別支援学校の通学生のみならず施設・病院・家庭で教育を受けている子どもたちの中にも増加している。  このような動向を踏まえ、長く重症心身障害児(者)の医療に携わってこられた大村氏は、超重症児を判定するスコアは「あくまでも医療的ケアの必要度を示すものであり、必ずしも脳障害の重症度と並行するものではない。すなわち、超重症児のなかにも、何らかの手段でわれわれとコミュニケーションが可能な児から、われわれの働きかけに関してまったく何の反応もみられない児まで存在する。」(大村,2004)として、超重症児をその脳機能障害の程度から4段階に区分し、昏睡ないし半昏睡状態を最重度としている。大村氏はこの最重度に該当する事例を紹介し長期間の療育によっても精神運動面の発達はまったく見られない、したがって「このような状態にある人間に何らかの働きかけを行い、何らかの反応を期待すること自体が間違っている、そっと眠っていてもらうのが一番よいのかもしれない」と考える一方、反応表出は観察されなくとも「この児なりの内的世界が存在する可能性はないのだろうか」と自問している。そして、このような超重症児のQOLを高めるためにすべきことは、①確かな医療を行い、生命を保証することの他に、「②誰も知りえないこの児の内的世界が存在するとして、健常児に対するのと同様に話しかけたり、抱っこしてあげること。しかし、その児が何か反応を示してくれることは期待しないこと。どうしても反応を期待するならば、もしこの児が反応を示すとすれば、それはいかなるものであるかを観察し見つけ出す努力をすること」と超重症児の療育に携わる方々に対しやや挑発的な言葉を向けている。演者は大村氏の自問する内容に共感するととともに、教育の立場から、この子どもたちを理解し支援方略を見出す取り組みを継続してきた。  さて、上記のQOLを「生命の質」と捉えた場合、それが向上するとは具体的には何を指すのか、あるいは、どのようなエビデンスを踏まえたらよいのだろうか。また、健常児に対するのと同様の働きかけだけで答えは見つかるのだろうかとも思う。しかしそのためにはまず、以下の問いへの答えを探ることが必要であろう。①この子らは、いかなる内的世界(精神世界)にいるのか、あるいは、周囲の世界との関係でどのような生命活動を営んでいるのか(糸口が極端に狭く、その世界は容易には見えてこないかもしれない)。②活動の時間・空間が大きく制約されているが、どのような条件であれば、どのような活動が可能となるのか。③この子らとわれわれはどのようにすれば交流できるのか。このような疑問に対し、心理学的理解と教育的・療育的支援方略を開発していきたい。このために、(1)働きかけに対する反応(運動反応、生理的反応)の様態から、一人ひとりの子どもが受け止めやすい感覚刺激や働きかけを明らかにする、(2)子どもの自発的な微小運動が増大するような応答環境を整えていく。そして、このことを通して先の問への答えを探していくことを療育・教育の目標としたい。  このセッションでは、子どもの運動・感覚制限を踏まえ、また、わずかな糸口を見出しながら長期間にわたって行った演者らの実践的取り組みを紹介するとともに、この間に見出されたことから今後の療育・教育に向けての提案を行いたい。 略歴 1978年4月 東北大学大学院教育学研究科博士後期課程単位取得退学。1978年5月~2002年3月 国立特殊教育総合研究所重複障害教育研究部研究員・主任研究官・研究室長歴任。1992年3月~8月 文部省在学研究員としてノルウェー特殊教育研究所および英国バーミンガム大学学校教育学部に滞在。1998年2月 東北大学より博士(教育学)の学位を取得。2002年4月~2016年3月 東北大学大学院教育学研究科教授。2016年4月~現在 東北福祉大学教育学部教授。著書「生命活動の脆弱な重度・重複障害児への教育的対応に関する実践的研究」(風間書房,1999)
教育講演2
  • -変わる小児在宅医療-
    前田 浩利
    2017 年 42 巻 2 号 p. 131
    発行日: 2017年
    公開日: 2019/06/01
    ジャーナル フリー
    自宅で暮らす重症心身障害児者の支援において成人と同様に医師の訪問も含めた在宅医療の重要性が認識されつつある。その背景には、医療機器と医療ケアが日常的に必要な医療的ケア児者が増えていて、その支援の重要性と必要性が社会の中で注目されていることがある。その最も象徴的な出来事が、児童福祉法の改訂である。  昨年5月24日通常国会で、「障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための法律及び児童福祉法の一部を改正する法律」が改訂され、新たに第五十六条の六第二項に「地方公共団体は、人工呼吸器を装着している障害児その他の日常生活を営むために医療を要する状態にある障害児が、その心身の状況に応じた適切な保健、医療、福祉その他の関連分野の支援を受けられるよう、保健、医療、福祉その他の各関連分野の支援を行う機関との連絡調整を行うための体制の整備に関し、必要な措置を講じるよう努めなければならない。」という一文が追加された。  この法案は画期的と言われている。それは、この法案にある「日常生活を営むために医療を要する状態にある障害児」は、従来の日本の障害者の概念になかったからである。従来、障害は、身体障害、知的障害、精神障害、発達障害の4つである。もし、知的障害もなく、身体障害もないが人工呼吸器などの医療機器がないと生きていけない子どもは、「病児」であり、障害児ではなかった。そのような子どもが、医療の進歩で急激に増加している。たとえば在宅で人工呼吸器を必要とする19歳以下の子どもは2005年には全国で260人だったが、2015年には3000人を超え10倍以上になっている。これらの子どもたちを支えるためには医療と福祉の連携が必須であり、教育との連携も重要である。しかし、法案に謳われている保健、医療、福祉その他の各関連分野の連携体制の整備は遅れている。今後、小児在宅医療の核になる医療・福祉・教育の連携について述べる。  また、小児在宅医療においても成人と同様、看取りは重要である。当法人では、開設から2016年12月までに152人の小児期発症の慢性疾患の患者が亡くなり、65人(42.8%)を自宅で看取った。その経験をご報告し、重症心身障害児者の在宅看取りについても言及したい。 略歴 学歴 1989年3月 東京医科歯科大学医学部 卒業 職歴等 1989年5月 東京医科歯科大学医学部附属病院 小児科臨床研修医 1990年5月 武蔵野赤十字病院 臨床研修医 1991年11月 東京医科歯科大学医学部附属病院 小児科 1994年4月 土浦協同病院 小児科医員 1999年6月 あおぞら診療所 院長代理 2004年11月 あおぞら診療所新松戸 院長 2011年4月 子ども在宅クリニック あおぞら診療所墨田 院長 2013年3月 医療法人財団はるたか会 理事長 子ども在宅クリニック あおぞら診療所墨田 院長 2013年10月 医療法人財団はるたか会 理事長 あおぞら診療所新松戸 院長
シンポジウム1:災害に備えて −たいせつにしておきたい普段からのつながり−
  • 長 純一
    2017 年 42 巻 2 号 p. 132
    発行日: 2017/08/01
    公開日: 2019/06/01
    ジャーナル フリー
    石巻市は東日本大震災の最大被災地であり、未だ7,000人ほどの方が仮設住宅に住まわれており、さまざまな問題を抱えながら復興を進めている。  演者は被災地支援に少しでも貢献したいと19年所属した佐久病院を辞め、震災後1年で約2000戸の仮設住宅内に市立病院の仮診療所をつくっていただき赴任した。当初より厚労省の在宅医療連携拠点事業のモデル指定を受け、在宅医療の環境整備に取り組んできた。またその後石巻市ではその流れを受けて「地域包括ケア」を市の重要政策と位置付け、演者は新設の包括ケアセンター長を兼務することとなった。  石巻市の「地域包括ケア」は、当初より高齢者に限定するものではなく、すべての世代を対象とする構想とした。当初より子供の総合的な支援が極めて重要と考えていたが、まずは共生型ケア(富山型)を周知することから始めた。これは演者が以前から富山型に深く関心を持ち学んでいたこともあるが、ソーシャルインクルージョンを進めるのに優れていると考えたからである。  開成仮診療所および市立病院が昨年再建されて以降は新市立病院にて、100人近い方の訪問診療を行っている。市立病院では、今のところ「子ども」の訪問診療はほとんど依頼がない状況である。その中で幼少期の障害で唯一気管切開・経管栄養の40歳代女性を訪問させていただいている。この親御さんから震災時の状況を聴くと、普段から社会参加を積極的に行っていて周囲の方に理解されていたことで、震災時に避難所で特に配慮してもらえたことから、普段から地域のお付き合いが非常に重要であることをお聴きしている。  また市立病院の訪問診療は、家庭医・総合医が行っており、小児科専門ではないものの、一定の小児科研修を受けている医師でもあり、また病院からの訪問診療という点で、いわゆるレスパイトなどを含めた入院や検査が行いやすいという利点があり、今後子どもの訪問診療のニーズが生じてくる際には、適宜対応していけると思われる。また市立病院は、(主に高齢者を想定しているが)市内の在宅医療患者さんを緊急時必ず受け入れることをうたっており、そういった点でもいざという時に安心していただけるように、子どもに関してもできるだけ受け入れていけるようにしてきたいと考えている。  市の包括ケア推進の中では、現在介護保険の在宅医療介護推進事業を包括ケアセンターで進めているが、この中で在宅医療・介護相談窓口の設置が求められており、近いうちに包括ケアセンターにこの窓口を開くこととなっている。石巻では(演者がそういった厚労省の方向性を先取りし)当初よりすべての世代を対象として支援体制の構築を掲げていたが、実際は行政の縦割りの変更は容易ではない。しかし最近厚労省が示した「わがこと・まるごと」地域共生社会の構築では、相談窓口の一本化や公的支援の縦割りの排除ということがいわており、いずれは子供支援・生活困窮者支援などとも連携から統合していきたいと考えている。 略歴 1993年 信州大学医学部卒業し佐久総合病院研修医  1996年 健和会(みさと健和病院・柳原病院ー在宅医療のパイオニア)に出向 1999年から計7年間の国保川上村診療所長をはじめ、主に南佐久農村部の診療所長歴任 2012年 19年勤めた佐久病院を退職し石巻市立病院開成仮診療所長 2013年7月 石巻市包括ケアセンター長 2016年 杉浦記念地域医療振興賞 東北大学臨床教授・東北医科薬科大学臨床教授 在宅ケアを支える診療所・市民ネットワーク理事 地域医療研究会世話人 大規模災害時医療 中山書店 編著
  • 新田 理恵
    2017 年 42 巻 2 号 p. 133
    発行日: 2017年
    公開日: 2019/06/01
    ジャーナル フリー
    はじめに  重度重複障害を持つ娘は、自力での排痰と飲み込みが困難なことにより、1歳のときに気管切開、8歳のときに胃ろう造設の手術をしており、日常的に医療ケアが欠かせない状態です。現在、19歳の娘は支援学校を卒業し、地域にある施設へ通所しながら自宅で家族と共に暮らしております。19年間、地域で暮らしていく中で、娘の居場所やまわりへの理解を広めるにはどうしたらよいのか、常に考えてきました。また東日本大震災では、さまざまな困難に直面し、これまで以上に居場所や理解を深めるにはどうしたら良いのか考えさせられました。同時に課題と向き合い活動していく中で、多くの人との出会いや協力により、将来への希望も見えてきました。 震災時から避難生活へ  2011年3月11日東日本大震災が発生しました。この震災の津波により、多くの命が奪われ、中でも高齢者や障害者の犠牲者が多かった。災害弱者の避難方法や避難先が地域によっては明確に決められていなかったことも要因の一つだと思われる。また無事に避難した後も、避難所や避難先で高齢者や障害者は大変困難な状況を強いられていた。特に医療ケアのある避難者は命に関わる問題と直面しながら避難生活をしなければならない状況だった。仮設住宅に移る際も優先枠内の競争率高い状態になっており、何度も抽選にはずれ、なかなか入居できなかった。入居できた後も生活していく上で大変なことがさまざまあった。特にバリアフリーの面では改善しなければならないところが多くあった。多くの困難に直面し、戸惑いの連続だった避難生活でしたが、そのつど支援の手が差し伸べられ、たくさんの方々とのつながりができたことは私たち家族にとって、悲しみの中でも前向きに生きる希望を与えてくれた。 地域へ  津波の被害が大きかった地域へ戻る際もさまざまな困難に直面した。障害を持つ娘を抱え、また津波が来たとき、無事に避難することができるのかという不安があった。震災の5年前に引っ越してきたため、地域とのつながりが薄く、また支援学校に通学していたこともあり、地域学校とのつながりも年2回ほどの居住地校交流のみであった。災害時要援護者の登録はしていたが、町内会まかせであったため、支援者などの細かいところまでの話し合いはなされていなかった。震災を経て、地域とのつながりの重要性を感じることとなった。  また避難場所の問題も大きな課題となった。近くに津波避難となるような高い建物が少なく、唯一の避難所となる学校や会館はバリアフリーになっていない。避難方法については身体の不自由な障害者や高齢者は、車での避難が望ましいが、多くの人が車避難を考えている。そのため、大渋滞が発生し避難が困難になってしまう。このことから、避難困難地区である地域で安心して暮らしていくために、地域の方々への理解を広げると同時に行政への理解も得る必要があった。 おたがいさまの会設立へ  地域で安心して暮らしていくために、まず身近な方への声がけをし、話し合いの場を設定した。このときに集まったメンバーのほとんどが災害弱者であったことから、避難への不安の声が多く聞かれた。これをきっかけに「おたがいさまの会」を設立し、「誰もが安心して暮らせる街づくり」を目標に活動を開始した。定期的に集まり、さまざまな不安や要望を行政の方へ伝えることから始め、独自の避難訓練や防災イベントなどを開催し、地域の方々への参加も呼びかけた。また要援護者の防災についての講演会なども開催し、理解を広めるための活動を行ってきた。またスロープ付き避難施設の設置を求める要望書を石巻市へ提出、署名活動も行った。この活動から地域でもさまざまなつながりができ、現在はコミュニティ活動に力を入れている。 これから~  震災を通し、人とのつながりの大切さを学びました。年齢、性別、障害のあるなしにかかわらず誰でも安心して集える居場所が地域に必要と感じました。そして、そこから助け合いの気持ちが生まれることが、地域防災にもつながっていくように思います。どんな人もそれぞれに役割があって、たとえ重い障害があったとしても人の役に立っている。みんなが生き生きと暮らせる居場所を作ることがこれからの目標です。 略歴 重度重複障害の娘を持つ母。2009年石巻重症心身障害児(者)を守る会理事、2013年より副会長。 2013年要援護者の防災を考える会として、おたがいさまの会を設立、代表を務める。
  • 島津 智之
    2017 年 42 巻 2 号 p. 134
    発行日: 2017年
    公開日: 2019/06/01
    ジャーナル フリー
    2016年4月、震度7を2回記録した熊本地震において、停電や道路が寸断された状況の中、電源確保のために、人工呼吸器や酸素を使用している子どもたち19名とその家族約50名が熊本再春荘病院に避難してきた。家中の物が倒れ、道路にも壊れた瓦や壁が散乱し、余震も続くなか、救急車にも連絡がつながらず、多くは自家用車で病院にたどり着いた。中には、近所に住む訪問看護師や地域住民のサポートを得て避難してきた子どもたちもいた。  今回、病院への避難や安否確認が比較的スムーズに行えた理由として2つのことが挙げられる。1つ目は、重い障がいの子どもたちを多職種で支える地域のネットワークが存在していて、連絡を取り合いながら最善を考え行動したことが挙げられる。2つ目は、九州は台風の通り道であるため、台風被害による停電に備えて、病院に緊急避難入院をすることを繰り返していたことが、予期せぬ災害においても病院に避難することに結びついたと考える。  上記で述べた地域のネットワークは、熊本県内の小児科医同士の顔の見えるネットワークや県外の小児科医との連携、熊本における多職種のネットワークも含まれているが、もう1つ、演者の取り組みについても触れたい。  演者は、病院の小児科勤務医として働きながら、NPO法人の理事長を兼務し、小児専門の訪問看護ステーション“ステップキッズ”、居宅介護事業所“ドラゴンキッズ”、障害児通所事業所“ボンボン”を運営している。このように、病院による医療サポートだけでなく、訪問系サービスや通所系サービスを組み合わせることで、重い障がいの子どもたちを複合的に支えるシステムとなる。さらには、専門職だけではなく、地域に住むさまざまな人たちを巻き込みながら子どもに優しい地域創りを行いたいと考えている。  最後に、今回の熊本地震において、全国の皆さんから頂いたたくさんの暖かいご支援に対して心からをお伝えしたい。 略歴 熊本大学医学部卒。 大学在学中の2000年、任意団体NEXTEPを立ち上げる。その後、小児科医として、不登校児支援や障害児支援などに取り組むとともに、NPO法人NEXTEPを立ち上げ、農作業を通した不登校児支援事業、小児専門の訪問看護ステーション「ステップ♪キッズ」や居宅介護事業所「ドラゴンキッズ」の運営を行う。2015年、障害児通所事業所「ボンボン」を開設し、子どもたちを複合的に支える地域づくりを目指し、活動中。 熊本地震においても、障害のある子どもたちを支えるさまざまな支援を行っている。著書に「スマイル〜生れてきてくれてありがとう〜(クリエイツかもがわ)」などがある。
  • 戸枝 陽基
    2017 年 42 巻 2 号 p. 135
    発行日: 2017年
    公開日: 2019/06/01
    ジャーナル フリー
    昨年の熊本における震災は、大きな地震が断続的に長い期間続いたということが、今までにない特異なものであった。  とりわけ、震度7を計測する大きな地震が4月14日、16日と連続して起こったことは、人的、物的被害を大きくしたのみならず、心理的に大きなダメージを熊本の方々に残した。  また、再度大きな地震が来るのではないかと考え、生活再建にすぐに向かうというより、様子見をするという状態が続いた。  結果として、極度の緊張を長期に渡り強いられることにより、心身の不調を来す者が多く現れた。  医療的ケアが必要な子ども達は、日常的に訪問看護ステーションやホームヘルプ事業所などとつながっていた、強い社会的支援が必要な者は、その社会資源が、すぐに安否確認をし、必要な保全をしていた。  しかし、医療機関の外来で、薬や医療ディバイスを受け取り、家族が医療的ケアや介護を担っていた医療的なケアが必要な子ども達は、安否確認が遅れ、動物が多く入っていた避難所には感染症リスクを恐れて入れず、車上生活などを強いられた者もいた。  気管切開、胃瘻、酸素吸入などをしていて、立ち上がり動くことができ、自立度が高いために家族を中心に介護することで、生活が成り立っていた者が、家族以外の社会資源にその存在を日常的に気に掛けてもらっておらず、災害時に、孤立した形だ。  私たち社会福祉法人むそうのスタッフが、さまざまな地域の医療・福祉スタッフとチームを作り、緊急避難、レスパイトなどができる拠点を開き、医療的なケアが必要な子ども達を支援することになったのは、そういった対象者の生活再建に必要だと思ったからだ。  子どもの介護があるため、家を片付けることが出来ない、罹災証明を行政に出しに行けないなど、身動きが取れなくなっていた家族があった。  東日本大震災の教訓から、呼吸器を常時必要とする人は、要援護者名簿などで把握されることになった。今後は、たとえば重症児スコアにさらに必要な対象者を加えたもので要援護者名簿に記載を求めるなど、対策をする必要を感じる。  また、日常に寄り添う社会資源こそが最良の震災対策であることを再確認する必要がある。 略歴 戸枝陽基(とえだ ひろもと) NPO法人ふわり・社会福祉法人むそう 理事長  日本福祉大学 客員教授 1991年 日本福祉大学卒業。半田市社会福祉協議会に勤務、障がい者施設に配属。 1999年 愛知県知多地域にて障がいのある方への私的契約による支援事業所「生活支援サービスふわり」運営開始。翌年法人化して、「NPO法人ふわり」とする。 2003年 「社会福祉法人むそう」認可。現在愛知は、長久手、名古屋でも事業展開。 2013年 東京都にて医療的ケアが必要な子どもへの支援事業を展開。 2014年 宮城県(名取市)にて東日本大震災支援の延長線上に、支援事業を展開。
シンポジウム2:家族と暮らす・地域で暮らす −重症心身障害児者の在宅医療・家族支援−
  • −これからの重症心身障害児者の在宅ケア−
    紅谷 浩之
    2017 年 42 巻 2 号 p. 136
    発行日: 2017年
    公開日: 2019/06/01
    ジャーナル フリー
    オレンジホームケアクリニック(以下、当院)は、福井県福井市(人口約27万人)で在宅医療を専門的に行っているクリニックです。医師5名(いずれも総合診療医)体制で24時間365日の在宅医療を提供しています。  当院では、開設当所(6年前)より医療ケアが必要な重症心身障害児に対する在宅医療も行ってきました。関わる中で、地域に居場所がなくなっていく子どもたちの環境を知り、医療ケアが必要な子どもたちの通える場所として“Orange Kids’ Care Lab.(オレンジキッズケアラボ、以下、ケアラボ)”を開設しました。ケアラボで提供しているサービスは児童発達支援・放課後等デイサービス・日中一時支援・生活介護(多機能型)で、訪問看護、訪問介護、相談支援チームとも連携しながら、多面的に医療ケアが必要な子どもたちの生活を支えています。必要であれば、フォーマルサービスにおさまらないサポートも柔軟に行っています。それは、不十分な制度の上で支えるのではなく、現場の生の声を大切にしたいと考えているからです。  病院から家に帰れることは確かに最初の目標でした。在宅医療などのツールが充実し、それが可能になってきました。  次の目標は家以外の居場所を地域に見つけることです。そして、その生活の範囲は今後どんどん拡がっていくことでしょう。  家や地域を舞台に生活を送るようになると、どれだけ医療ケアを必要とする子どもであっても、医療に縛られすぎない生活が大切だと感じます。「管理をする医療」から「生活を支える医療」への医療側のパラダイムシフトが求められていると感じています。  シンポジウムでは当院、ケアラボの活動内容と、感じている課題や楽しみを共有できればと思います。 略歴 紅谷 浩之(べにやひろゆき) 1976年5月9日生 41歳 1976年福井県生まれ。福井県立病院などで救急総合診療を学んだ後、 名田庄診療所、高浜町和田診療所で地域医療を実践。 2011年、福井県初の在宅医療専門クリニックを福井市に立ち上げ。在宅医療という視点から「住み慣れた場所で幸せに自分らしく生きていくこと」を支えるため、地域づくり・まちづくりにも取り組んでいる。診療の中で出会う医療ケア児には地域に居場所がないことを知り、医療ケア児の活動拠点「Orange Kids’ Care Lab.」開設(2012年)。2015年より毎夏、軽井沢キッズケアラボ開催。2016年熊本震災支援でも医療ケア児へのサポート。
  • −救われた命を育むために−
    遠山 裕湖
    2017 年 42 巻 2 号 p. 137-138
    発行日: 2017年
    公開日: 2019/06/01
    ジャーナル フリー
    はじめに  ピース・スマイルは2004年に仙台市の委託を受け、障害児者の相談支援事業所として開設した。当事業所では、NICUを退院する医療デバイスを抱えた重症心身障害児や、歩けて知的の遅れがない高度医療依存児の地域生活へのトランジッションに加え、県内の相談支援事業所が医療的ケア児支援を行うときのアドバイスなどを行っている。このような児の地域生活移行は年々増加傾向にある。 障害児者相談支援の現状  2012年4月より障害者自立支援法の改正が行われ、相談支援の充実とプロセスが見直されている。このときに相談支援の対象者が拡大しており、2015年3月までに障害福祉サービスや児童通園を利用するすべての当事者にサービス等利用計画、障害児相談支援計画の策定が義務化された。しかし医療デバイスを抱える児の地域生活支援については、相談支援事業所、福祉サービス対応事業所共に非常に数が少ない状態である。その理由として、支援に当たる従事者は福祉職が中心であり医療用語の理解が難しいため、医療的ケアを抱える児の支援に対し、不安が強く敬遠しがちな傾向がある。また、児の支援においては医療、福祉、保健、療育や教育等、異なった制度を横断的に理解しながら進めていく難しさもその状態を助長していると思われる。 事例から見る発達支援と家族支援  これまでの相談支援の中で関わった多くの家族は、医療デバイスを抱えての帰宅には強い不安を抱えている。大切な児の命を病院で救ってもらい、その命をきちんと引き継ぐことができるのかと重責に押しつぶされそうになっている。病院内では3交代で看護師が実施していた支援を在宅では母一人で担うことが多い。ヘルパー等の支援が受けられたとしても、日々異なる支援者が自宅に入ることに精神的負担を強く感じることもある。また、母のメンタルサポートや自宅生活でのリスク軽減を目指した支援の組み立ての中で、周りの支援者が良かれと思って多くのサービス導入がなされたことも散見された。その結果、母子が関わる時間が夜間のみとなってしまい、共にあそぶ時間も無くなった。このようなケースは、母の健常児として出産ができなかった児に対する悔悟の念や母自身の喪失感なども相乗し、母の気持ちが児から離れ母子間の健全な愛着関係を構築することに困難性が高まった。 考察・まとめ  医療から地域へのトランジッションは、家族にとって未知の世界へ飛び込むことになる。昨日とは異なる生活が始まる中で「何が不安なことになるのかも分らない」といった状況にある。家族状況のアセスメントを丁寧に行い、児の発達支援と家族支援のバランスを乳児期、幼児期、学齢期、成人期それぞれで考え、すべてのケースにおいて、個々の家族とライフステージに合った「オーダーメイド=ちょうどいい」支援を医療と福祉で作り上げていくことは、医療的ケアがあっても地域で生きる基盤となる家族力を向上させることになる。医療と福祉がそれぞれの文化や言葉を理解するために互いに分かりやすく伝え、職務分掌だけではなく重層的な支援を行うことは日々の双方向で多方向のコミュニケーションから成り立つものであり、結果として家族が家族であり続けられ、地域で児の育ちと家族を支える基盤になることが期待できる。  児の発達や母をはじめとした家族全体の生活やメンタルに配慮し、障害福祉、児童福祉、医療関係諸法令、制度を理解したサービスコーディネート技術を持つ相談支援専門員の育成を推し進めるためにも、これまで以上に医療と福祉の連携は、児や家族の地域生活移行には必須事項になると考える。 今回の演題に関して開示すべき利益相反状態はありません。 略歴 学歴 1991(平成3)年 尚絅女学院短期大学 保育科卒業 2007(平成19)年 仙台医療技術専門学校 理学療法学科Ⅱ部卒業 職歴 1991(平成3)年 社会福祉法人なのはな会 精神薄弱児通園施設なのはな園 2006(平成18)年 障害児デイサービス なのはなホーム異動 2007(平成19)年 知的障害者更生施設(通所)重症心身障害児(者)通園事業B型 こまくさ苑へ異動 2010(平成22)年 障害者相談支援事業所 ピース・スマイルへ異動(相談支援専門員 理学療法士 保育士兼務) 2017(平成29)年 生活介護事業所 こまくさ苑へ異動(施設長) ピース・スマイル兼務 所属協会 日本理学療法士協会 内部障害理学療法専門分野及び生活環境支援理学療法分野所属 宮城県理学療法士協会 宮城・仙台障害者相談支援従事者協会
  • 小林 正幸
    2017 年 42 巻 2 号 p. 139-140
    発行日: 2017年
    公開日: 2019/06/01
    ジャーナル フリー
    1.重症心身障害児者の評価見直し  重症心身障害児者の評価を以下3軸から行うように提案したい。 1)身体の障害 2)知的の障害の程度IQ 3)医療的ケア 2.医療的ケア児者の軸の見直し背景  2016年5月の障害者総合支援法改正で医療的ケアは、自治体へ努力義務が盛り込まれた。医療の進歩に伴い救える命が増え、長命化し、障害多様化への対応に期待できる。一方で、在宅ケアへの支援は多様化に遅れている。  在宅ケアでは、通園、通学、通所において医療的ケアの制約が多大で、当人と保護者の自立は、課題が多い。今後の重症心身障害児者へ支援体制構築は、医療的ケアを加えていくことを提案する。 3.医療的ケア児者と重症心身障害児の関係  医療は、医療的ケアの支援体制をリードする責務を担える。その理由は以下の3点である。 1)医療的ケア自体は、もとは医療行為であり、医療に依拠するところが大きい。 2)医療技術の進歩・発展に伴い、在宅で行える医療的ケアの種類は、今後増加する傾向にあり、医療がその知見を最も有する。 3)重症心身障害児の多くは医療的ケアを必要とし、長命化により障害が多様化しても重心児者の延長線上にある。医療は支援体制を柔軟に再構築できる知見を有する。 4.医療的ケアを加えた重心の評価法 8類型  今後の重症心身障害児の評価は、上記「身体障害:身」「IQ:I」「医療的ケア:医」の3軸から評価することを提案したい。パターンの説明に当たっては、それぞれの軸を暫定的に「重い」「軽い」に分類し、8つの類型に分けるものとする。 ▼重症心身障害児のための8類型分類 1)身:重 I:重 医:重 超重症心身障害児者   2)身:重 I:重 医:軽 3)身:重 I:軽 医:重 コミュニケーションを取れる医療的ケア児 4)身:重 I:軽 医:軽 5)身:軽 I:重 医:重 歩く重症心身障害児 支援の構築を急ぐ 6)身:軽 I:重 医:軽  7)身:軽 I:軽 医:重 人工呼吸器、気管切開など 医療的ケアの軽減で社会復帰の可能性がある 8)身:軽 I:軽 医:軽 医療的ケアがデバイスに拠らず内科治療で対応できる場合 ※上記は「医ケア:重」のみ補足 5.医療的ケアの重さの評価  3軸めの「医療的ケア」の程度は、以下2側面から評価したい。 1)介護者負担 2)医療的資源  介護者負担のメリットは、投入時間や頻度を計量可能であることであり、計量対象が保護者であるため現状に沿う。デメリットは客観性の確保である。  医療的資源のメリットは、経済的価値で計量しすいことであり、支援規模も評価しやすい。デメリットは新医療的ケア導入時の硬直性である。  注意すべきは、高額な医療資源を投入した短時間の医療的ケアと、安価な資源を常時行う医療的ケアを比較して、保護者視点も取り入れることである。 6.今後の課題  今後の課題は大きく2点あり、検討をお願いしたい。 1)支援体制構築 2)将来の変化への柔軟性  支援体制構築は、具体化施策が必要であり、時期ごとに3つ施策を提案したい。 A)誕生した時点でその児の将来の可能性と支援体制について当事者に説明を尽くし、将来設計を扶けること B)在宅になる時点で、8類型ごとに対応や知見を関係者で共有しあうこと C)恒常的に、これらの対応や知見を地域を越えて行政や事業者にフィードバックし、事例連携し、最新かつ柔軟な在宅支援体制実現に努めること  将来の変化への柔軟性は、8類型で対応できないケースの想定し、上記3軸の拡張性を織り込むことである。  例は、「5)身:軽 I:重 医:重 歩く重症心身障害児」が循環器障害、消化器障害を持つ場合、対応できないケースがある。  これは「医療依存度」あるいは「内臓疾患」など第4の軸の存在を想起させうる。医療こそが柔軟に対応できると考える。 略歴 1997年慶應義塾大学経済学部卒業。2002年に医療的ケアが必要な多発奇形の男子誕生。6歳から歩行可能となったが逆に支援が減らされ、家族が消耗していく状況に危機感を抱く。2015年『永田町こども未来会議』で、歩く重症心身障害児者の問題を提起する。2016年全国医療的ケア児者支援協議会に参加、同会の「親の部会」設立に寄与する。同年12月に『居宅以外への訪問看護』のアンケートを企画実行し、記者会見を通じて、医療的ケア児者へ支援を呼びかける。会社員として勤務しながら、在宅ケアも行い、「親の部会」で部会長として医ケア児者の周知活動を行う。
  • 梶原 厚子
    2017 年 42 巻 2 号 p. 141
    発行日: 2017年
    公開日: 2019/06/01
    ジャーナル フリー
     0歳から100歳越えの方々まで「なんでもご相談ください!」こんな言葉をキャッチフレーズに愛媛県松山市とその周辺、約人口55万人ほどのエリアで地域支援や在宅医療を16年間経験し平成24(2012)年から現職に就いています。  小児科経験のない私が在宅で子どもたちに関わることができたのは、ご本人やその家族に出会い、その家庭で行われているケアを学びそれを信じそこからエビデンスを見つけてきたからだと思います。そして高齢者や難病の方の看護も生かしつつ子どもが元気になるケアを深めることができました。どんなに障害が重くても多くの病気を抱えていても出会ったときのそのときどきを健康に生き抜く支援に携わっていきたいと考えます。  地域支援や在宅医療に携わったこの20年間は、地域福祉が措置から契約に変わり、介護保険法や総合支援法の施行、児童福祉法の改正などを当事者とその家族と共に暮らしが変わっていくことを体感しました。 暮らしの支え方は多様であり、いつでも変わることができ、主役はそこで暮らす人であり子どももその一部分です。私たち支援者もまたそこで暮らす人なので、支援する側とされる側という関係性ではないということなのだと思います。人と人との関係性の中でお互いに成長しあう感覚です。  子どもたちとその家族から頂いたものは「心が揺さぶられる体験」「何度思い出しても微笑んでしまう愛情あふれるその場面と記憶」です。その暮らしを支える支援チームの皆さんからも同じものを頂いています。  暮らしを支える医療に必要なのは、何も起こらない、普通の日常を組み立てていくことです。そのために訪問診療や訪問看護があり、予防的に介入することでより健康的に体調を整えて、暮らしの楽しみ方を一緒に探して「げらげら笑う」ことを一つでも多く見つけていくことだと思います。それは自宅で訪問診療や訪問看護を受けるだけではなく、通園や学校に出かけることが重要で社会とのつながりを支援していくことです。  医療的ケアが必要な子どもたちが地域に出ていくということは、その子どもたちに関わる人が増えるということです。その関わり方をどのようにしたら良いのかを常に意識して、言語化し見える化して、解らない、見たこともない、初めてですなどと言われないようにしたいものです。そのために在宅においても早期療育の視点がとても重要で、成長発達を促す関わりを実践していきます。  多くの子どもたちを在宅で看ていると発達の段階で経験ができなかったことは自ら育ちなおしをしていこうとする人としての基本的な欲求を持っているようです。  そのことは多くの家族から教えて頂いたことです。その欲求を理解して成長発達を促すケアや関わり方は、本人の持っている力を引き出し家族が子育てに対する自信を持つきっかけにもなります。家族が子育てに自信を持つと、医療的ケアに関わる多くの職種の人たちとの交流がスムーズになります。そして多職種が連携しあって、その子どもと家族が多くの知り合いを作りそれが地域を作っていきます。それが生きる力になるのだと思います。  安楽な呼吸と抗重力姿勢、栄養、排泄、腸内環境、触覚を育てることなどに着目した在宅における早期療育をお伝えし、「暮らし続けられる街をつくる」「暮らしの場所は自分で選べる」そんな活動の手がかりを皆さんと考えてみたいと思います。 略歴 1982年 済生会宇都宮病院付属看護専門学校卒業 済生会宇都宮病院・獨協医科大学付属越谷病院・愛媛大学医学部付属病院勤務 1996年 (株)クロス・サービス福祉事業部ケアサポートまつやま勤務 2000年 同法人にて訪問看護ステーションほのか・居宅介護支援事業所 開所 2009年 同法人にてほのかおひさま児童デイサービス開所 2012年 医療法人財団はるたか会勤務 訪問看護ステーションそら 訪問看護ステーションあおぞら(新松戸・京都) あおぞら診療所(墨田・新松戸) (2013年一般社団法人日本小児看護学会診療報酬検討委員) (主な著書 子どもが元気になる在宅ケア/南山堂 医療的ケアが必要な子どものためのケアテキストQ&A /メディカ出版)
シンポジウム3:重症心身障がい児者と家族の生活世界を広げる支援
  • −手術の決断を迫られた親を間近で支えた家族の体験−
    部谷 知佐恵
    2017 年 42 巻 2 号 p. 142
    発行日: 2017年
    公開日: 2019/06/01
    ジャーナル フリー
     子どもの疾患に関する治療の決断は、親に委ねられることが多い。特に、子どもに障がいがある場合は、疾患の進行や成長発達に伴う二次的な障がいにより治療や手術を受ける機会が多く、親はその決断を迫られる場面に幾度となく遭遇します。子どもは成長発達しているため、治療や手術には適切な時期が大切で、その時期を逃すと、治療や手術の意味がなくなることがあるため、親はすぐに答えを出さなければいけない状況に立たされることもあります。    今回、私は家族として、医療者として小学校3年生になった甥の航大の股関節の手術を決断する妹を支えてきました。入学直後に医師から言われた「今すぐに股関節の手術をしなければいけない。」の一言に、私たち家族は選択を迫られました。航大は脳性麻痺で、ひとりで座ることも寝返りもできません。てんかんがあり、毎日何度も発作があります。そんな航大に、股関節の手術が必要なのか。弟や妹にまだ手のかかるこの時期にどうしてもやらなければいけない手術なのか。ようやく学校生活にも慣れてきたばかりの航大、今のリズムで生活を続けていけたらと思っていました。しかし、医師からは、早急に手術を決断するよう言われています。私は、勤務先の特別支援学校の看護師や教員に相談し、妹も、航大が通っている施設のスタッフや、以前通っていた施設の医師やスタッフ等多くの方に相談しました。患者会や学習会に参加して、先輩ママさんたちにもアドバイスをもらいました。手術に関する意見は分かれました。そのため、私たちはなかなか決断することができませんでした。   もっと、専門的な意見を聞きたいと思い、私たちは恩師が紹介してくれた小児専門看護師に相談しました。小児専門看護師は、私たちが心配していた入院生活や手術について丁寧に説明してくれました。説明を聞くことで、手術や入院生活がイメージでき、漠然とした不安が少し減少しました。妹の気持ちもいくらか手術に対して前向きになったようでした。そして、私たち家族はセカンドオピニオンを受け、手術をするかを決めることにしました。セカンドオピニオンを受けるため大阪の病院を受診しました。そこでも脱臼が進行しており、手術の適応であることが告げられました。ただ、最初に診察した医師とは違い、レントゲン写真と股関節の様子だけを見て早急な手術が必要だというのではなく、航大の全身状態や表情にも目を向け、今後起こりうる可能性のある股関節の痛みのこと、なぜ今手術をしたほうが良いのかについて丁寧に説明してくれました。すぐに決断を迫るような態度とは異なる温かい対応は、私たち家族に手術をする決断をさせるきっかけになりました。   医師から告げられる手術や治療の宣告はとても重たいものです。私たち家族には、周りに相談できる環境があり、親身になってくれる専門職に出会えました。その結果、手術を決断することができました。航大は、手術を受け、現在元気に毎日を過ごしています。子どもを持つ家族の中には、手術や治療の決断を迫られても相談できず、結論が出せない家族もたくさんいると思います。医師には、データだけをみて治療や手術の必要性を家族に伝えるだけではなく、子どもの表情や様子などすべてをみていただきたいと思います。そして、現在の医療を考えるとき、医療チームとして重症児に詳しい看護師(CNS等)とともに対応してもらえると、家族は相談がしやすくなると思います。治療や手術の決断の際、不安や心配を打ちあけることができる看護師を含め受診に関わる多くの職種の方に相談できる体制があると家族は救われると思います。 家族だけでは病気や障がいについて正しい知識を持ち合わせた支援者や理解者を見つけるのが難しいです。子どもと家族が手術や治療を決断し、大変な時期を乗り越えていける力を持てるような支援の輪は医療チームから広がっていくのではないかと考えます。  略歴 弘前大学教育学部特別教科(看護)教員養成課程を卒業後、滋賀医科大学大学院医学系研究科看護学専攻に入学する。家族看護学を専攻。修了後は、岐阜大学医学部附属病院に勤務、糖尿病療養指導士として、糖尿病患者の指導にあたる。  脳性麻痺の甥の誕生を機に障がい児と関わる仕事がしたいと思い、岐阜県立希望が丘特別支援学校看護講師となる。この4月からは、特定非営利活動法人らいふくらうど放課後等デイサービスゆうで看護師、児童指導員として子どもたちと楽しく過ごしている。 
  • −家族をエンパワーメントするネットワークづくりと相談支援−
    市川 百香里
    2017 年 42 巻 2 号 p. 143
    発行日: 2017年
    公開日: 2019/06/01
    ジャーナル フリー
     医療的ケアを要する重症心身障がい児は年々増加し、多くの障がい児が在宅で生活を送るようになってきています。しかし、この支援を行うための医療・福祉など社会資源は限られており、連携も不十分な状況です。  2014(平成26)年7月岐阜県が実施した重症心身障がい児者実態調査結果によると、在宅で生活する障がい児者は676人、施設入所の児者は308人でした。年齢階層別の割合では10歳未満が9割を占め、かつ医療依存度の高い人は20歳未満に多いことがわかりました。  このため岐阜県は「重症心身障がい在宅支援センター」を設置し、その運営を岐阜県看護協会が受託し、在宅で暮らす重症心身障がい児者とその家族に対する支援の拠点として、2015(平成27)年4月重症心身障がい在宅支援センター「みらい」(以下「みらい」と略す)が開設されました。  私は現在このみらいで家族支援専門看護師として活動しています。「みらい」では在宅で暮らす重症心身障がい児者の家族等からのさまざまな相談に応じるとともに、家族間のネットワークづくりを目的に事業展開しています。今回この「みらい」の活動を中心に重症心身障がい児の家族支援の実際について報告します。 1.直接的な家族支援について (下記の2事例を通して報告する) 事例① A病院NIICUよりの紹介の重症心身障がい児。看取りの目的で在宅移行。しかし子どもは在宅移行後順調に回復し成長を遂げ、家族が奔走していた事例 事例② B病院NICUよりの紹介。里帰り分娩でした。出生後13トリソミーと気管支狭窄症と診断されたが、家族は治療を望まず在宅へ移行した事例 2.家族間のネットワークづくり  重症心身障がい児、医療依存度高い特に未就学児をもつ家族や高校卒業後はそのケアの多さから、家庭で引きこもりになり、社会との交流が減少しがちになり情報も不足します。また世代間の違いでの障がいをもつ家族同志の交流も少なくなります。そのため「みらい」では岐阜県の5圏域でそれぞれ年一回ずつ、「みらい」主催で家族交流会を実施しています。家族主体の交流会としているため、各圏域には主軸メンバーを家族の方にお願いし、家族で交流会の内容を企画してもらい、それを全面的に「みらい」でサポートしています。年々参加人数は増加しており地域での支援者の参加も増えています。また圏域を超えての参加もあり、県内全体のネットワークづくりに発展しています。参加家族からはいろいろな人とつながりをもてることで自分たちだけでないことを実感し、在宅生活の励みになっていることや、家族交流会を通して出かける機会のきっかけができたなどの感想を得られています。さらには、組織化してないことにより誰でも気楽に参加できるということも聞かれています。  本シンポジウムでは事例を通して、家族会を通して医療依存度の高い子どもをもつ家族が、どのように社会とつながり、生活できているかを紹介します。 略歴 岐阜県立大垣看護専門学校卒業後、岐阜県立岐阜病院(現岐阜県総合医療センター)入職 救命救急センター、NICU、小児病棟を経て、岐阜県立希望が丘学園に転勤、2010(平成22)年NICU師長、その後在宅看護に従事し、2014(平成26)年から現職において家族支援専門看護師として活動している。2015(平成27)年愛知県立看護大学院 家族支援専門看護師認定科目履修修了、習得
  • −訪問看護ステーション15カ所の聞き取り調査の結果−
    遠渡 絹代, 泊 祐子, 叶谷 由佳, 竹村 淳子, 山崎 歩, 市川 百香里, 部谷 知佐恵, 岡田 摩理, 赤羽根 章子, 濱田 裕子
    2017 年 42 巻 2 号 p. 144
    発行日: 2017年
    公開日: 2019/06/01
    ジャーナル フリー
    医療の進歩に伴い、これまで在宅生活が困難であった人工呼吸器等医療的ケアを必要とする子どもの家庭生活を可能にしました。しかし、医療依存度の高い子どもとの生活は、家族にさまざまな影響や変化をもたらし、在宅の継続は容易なことではありません。主に母親が子どもの世話を担うことが多く、他のきょうだいの学校行事への参加が難しいことや、急な病気への対応等への対処が求められます。家庭での生活を維持するためには、地域の医療・福祉の専門職種同士の連携が重要で、家族を含めた総合的支援が不可欠です。その中核を担うのが訪問看護であり、訪問看護師の果たす役割は大きいと考えます。しかし家族のニーズに応えようとすると、診療報酬点数に嵌らない内容も多く、訪問看護ステーション(以下、訪問看護St)の持ち出しとなっています。  そこで、私たちは、訪問看護における重症心身障がい児の看護の特徴と課題を明確にする目的で、以下の2つを調査しました。 1.2015(平成27)年度障がい児の訪問に診療報酬算定外のサービスがあると回答した訪問看護St 10カ所へのヒアリング   訪問看護Stの多くは家族のニーズに応えるために診療報酬算定外のサービスを提供していました。その内容は、子育ての相談を含む育児支援、きょうだいの用事、外出中の児の見守りなどによって生じる超過した長時間訪問でした。特に人工呼吸器の子どもの場合は、ケアを安全に実施するために二人の看護師が出向く、病院からケアを引き継ぐための技術研修や会議、体調変化による病院受診のためのキャンセルなどでした。その他に成長発達に伴い変化する障がいの状態に合わせて、診療科やサービス機関、支援内容を調整するために必要な会議等も算定外のサービスでした。家族を支えるために、訪問看護師は医療的ケアの必要な子どもをケアしながら、他のきょうだいにも支援をしていました。 2.2016(平成28)年度小児専門訪問看護St、4県5カ所へのヒアリング    小児専門の訪問看護Stの特徴は、算定外のサービス提供は少ないことでした。その理由は、4カ所が同事業所内で複数のサービス事業を展開しており、サービスを組み合わせることで、長時間訪問を可能にしていたことや、同一事業所内にあることで、スタッフはいつも顔の見える関係で、情報の共有や連携がとれ、無駄のないサービスを展開できることでした。  さらに家族が重症心身障がい児とともに暮らせる力をつける目的で、支援内容を工夫していました。そのひとつに重症心身障がい児との生活のイメージできる見通しシートを活用しました。  本シンポジウムでは、障がい児と家族が家庭での生活を継続するためには、成長発達とともに変化する支援内容や、家族の発達をも考慮した調整が必要ですが、それを小児専門の訪問看護Stのような同一事業所内での多角経営方式でなくても、家族支援を見える化し、エビデンスの積み重ねができる方法を皆様と討論したいと考えています。 略歴 遠渡絹代 看護学校を卒業後、厚生連岐北総合病院および、木沢総合病院の外科内科病棟、透析室等の経験を経て、1992(平成4)年岐阜県立希望が丘学園(現岐阜県立希望が丘こども医療福祉センター)に入職する。2012(平成24)年3月岐阜県立看護大学大学院小児看護専門看護師コース修了し、2013(平成25)年小児看護専門看護師の認定を取得する。現在は看護部長を兼務し小児看護専門看護師としても活動している。
  • −家族エンパワメントを可能にする小児訪問看護の体制作りとエビデンスの蓄積−
    泊 祐子, 遠渡 絹代, 部谷 知佐恵, 市川 百香里, 岡田 摩理, 叶谷 由佳, 濱田 裕子, 竹村 淳子, 赤羽根 章子, 山崎 歩
    2017 年 42 巻 2 号 p. 145
    発行日: 2017年
    公開日: 2019/06/01
    ジャーナル フリー
    医療依存度が高い小児は、成人と比べ濃厚で複雑なケアが必要です。これは小児が機能的に未熟であること、先天性疾患や希少難病が多く、標準的ケアでは対応できないこと、成長に伴いケア内容の変更の必要性があるためです。私たちは、このような重症心身障がい児(以下、重症児)を育てる家族が当たり前の生活ができることを目指して、このプロジェクトに取り組みました。  現在の制度では対応できず、家族が実際に困っていると思われる内容を話し合い、①呼吸器管理がある児の「看護師の外出支援」、②2時間以上の「長時間訪問看護」、③「重症児をレスパイト先への移動」、④「次子出産支援(陣痛時の重症児の移動や授乳時間の短時間の訪問看護等)」の4つが出ました。  これらの内容を含めて、2015(平成27)年度に岐阜県において、1)家族のニーズ調査と同時に、2)診療報酬の算定外になるサービスをしたことのある訪問看護ステーション(以下、訪問看護St)への聞き取りおよび、3)2016(平成28)年度は全国5カ所の小児専門訪問看護Stへの聞き取り調査をしました。  それらの調査結果では、緊急時に児の世話を依頼できずに困った経験がある家族が7割近くあり、その緊急時の理由は、介護者の体調不良、家族の病気、介護者の用事、兄弟姉妹の急用や行事でした。緊急時にレスパイト施設への児の移動や家族の帰宅までの訪問看護サービスを希望する家庭は9割以上でした。次子出産に関しては、自由記述に「次子出産そのものをあきらめた」、「妊娠中、出産時、育児時の家庭もしくは病院などの訪問」や「出産後の外出支援」があり、さらに「きょうだいで通える通園施設」の「家族以外に障がいの子を気軽にみてもらえるシステム」の希望が出ました。  訪問看護Stの聞き取り結果からは、日常的ケアを家族が行うために、状況に応じ家族が適切に対応できる指導・助言に時間がかかっていること、成長に伴う福祉や教育サービスへの不安や悩みなどにも対応しており、「家族全体をエンパワメントする支援」がなさされていると思われました。  運営上の課題として、成人の訪問看護時間は一般に 30~60 分程度が平均的ですが、上記の理由から小児 は 60~90 分あるいは 90 分を超過する場合も多く、実情にあった報酬となっていないことが見いだされました。  重症児は訪問看護指示書を出している主治医が病院勤務であることが多く、訪問看護師が主治医と連絡が取りにくく対応に困るという問題がありました。小児の状態変化についての相談や、指示内容の変更の必要性などがある場合も、家族を介してやり取りをすることが多く、タイミングよくケアの変更をすることが 困難になる場合があることでした。 もうひとつには、小児は成長・発達に伴って、医療的ケアに必要な器具のサイズや注入栄養剤の量などを適宜変更する必要がありますが、主治医は、受診時に親から得られる情報だけでは変更の時期を十分見きわめられない状況も見られました。  これらの結果から重症児だけでなく、家族も総合的に支援する対策の必要性が示唆されました。その対策として、以下の3つの提案を考えました。 1.「次子出産支援」:少子化社会対策基本法を基に、国と自治体での家族支援の補助事業を検討する。  以下の2つは診療報酬改定に要望します。 2.「小児在宅看護連携管理料」の新設:訪問看護を行っている看護師が指示書を出している主治医の診察時に同席し、主治医と連携強化を図り、在宅療養管理に関する情報交換や共通理解ができることを目的とする(月に2回まで、1回ごとに点数を付加)。 3.現行の「訪問看護基本療養費」を小児においては1.5倍にすること:「家族をエンパワメントする支援」として、親の相談に乗る時間や複雑で難易度の高いケアの十分な時間を確保する。  この3つの提案を実現するために、セッションでご参加の看護師、訪問診療に関わっている医師などの皆様と、どのようにエビデンスを出すことができるのか、ご意見ご助言を頂きたいと思っています。 略歴 泊 祐子 徳島大学卒業後、淀川キリスト教病院NICU・小児病棟勤務、その後、大阪市立大学大学院生活科学研究科に入り、子どもの自由を尊重する大人の姿勢を学ばせてもらった。1984年より教鞭をとり、小児看護学および家族看護学を専門とする。現在は大阪医科大学看護学部および大学院看護学研究科で勤務し、医療的ケアを必要とする子ども家族や看護師への支援を検討している。その間、大阪府立看護大学大学院看護学研究科博士後期課程修了した。
第2回 看護研究応援セミナー
  • 石井 美智子, 倉田 慶子, 田中 千鶴子
    2017 年 42 巻 2 号 p. 146
    発行日: 2017年
    公開日: 2019/06/01
    ジャーナル フリー
    2017年 第43回日本重症心身障害学会学術集会(仙台) 第2回 看護研究応援セミナー 「事例検討から事例研究へ」 意義ある看護研究にするために 日重障誌編集委員 石井美智子(医療法人ふたば会うちおグリーンクリニック)  倉田慶子(東邦大学看護学部)  田中千鶴子(神奈川工科大学看護学部)   昨年、本学会札幌大会において、第1回看護研究応援セミナー「大変だけどやってよかった!意義ある看護研究にするために」を開催しました。看護研究のプロセスで迷わないためのポイントや院内研究支援の紹介、テーブルディスカッションなどを企画しましたところ、参加者や大会本部から好評を得、引き続き第2回を開催する運びとなりました。やさしいテーマと参加型セミナーが功を奏したようです。  今年はテーマを「事例検討から事例研究へ」としました。私たちは、看護の問題解決をはかるために事例検討(ケースカンファレンス)をよく実施します。事例はその個別性から大変複雑な構造を持ち、視点や切り口によっては多面的で深い検討ができます。事例検討はその事例の問題解決につながるだけでなく、看護実践における法則性を見出す優れた方法であるともいえます。しかし、その事例から得た手ごたえを報告書(研究)としてまとめたとき、看護計画と実践の経過報告に終わっているものも少なくありません。重症心身障害児(者)は、対象の個別性が高く、再現性、一般化が難しいという特徴もあり、実践の成果を研究としてまとめるのは一苦労です。法則性を見出すためには、その事例の背景にある母集団を意識する必要もありますし、事例検討が全て研究になるというわけでもありません。  そこで本セミナーでは、日々行っている事例検討と事例研究の意義を明らかにし、どう発展させれば研究になり得るかを共に考えたいと思います。また、はじめて事例研究に取り組んだ体験から論文作成の苦労や研究の面白さを実感したことなどについて話題提供していただきます。後半は、参加者とテーブルを囲んで看護研究の相談や意見交換のディスカッションを企画しています。  事例研究の意義や面白さを見出せるセミナーにしたいと考えています。 ・日時:2017年9月29日(金) 10:20~12:00 ・場所:仙台国際センター 白橿 ・対象:50名程度(看護研究初心者、初心者を支援する立場にある方) ・内容:1.主催者挨拶 田中千鶴子 (5分) 2.事例検討から事例研究へ  石井美智子 (20分) 3.初めての事例研究でのつまずき  名古屋祐子(20分) 4.ラウンドテーブルディスカッション (30~40分) ファシリテータ:石井美智子 倉田慶子 田中千鶴子  濱邉富美子(東海大学) 佐藤朝美(横浜市立大学) 相墨生恵(東北文化学園大学) 名古屋祐子(宮城県立こども病院) 5.まとめ 田中千鶴子 (5分)
ランチョンセミナー1
  • 長谷川 久弥
    2017 年 42 巻 2 号 p. 147
    発行日: 2017年
    公開日: 2019/06/01
    ジャーナル フリー
    小児領域の気管切開は主として以下の3つの目的で行われる。①上気道閉塞のバイパス:舌根沈下、喉頭狭窄など、②長期呼吸管理のデバイス:神経・筋疾患など、③気道内ステント効果:気管軟化症、壊死性気管炎など。気管切開を行うことにより、安定した気道確保、経口摂取可能、在宅移行が目指せるなど、患児側の利点も多い。一方、小児では気道が細く脆弱であり、児の協力を得にくいこともあるため、気道肉芽を作りやすい、チューブの計画外抜去、チューブ閉塞など、注意を要する点も多い。以前は小児用気管切開チューブは限られたものしかなかったが、最近ではさまざまな素材、形状のものが発売され、選択の幅が拡がっている。発声に関しても、スピーチバルブや気管切開チューブに小さな孔を空けたカニューレを用いることにより、発声獲得がしやすい状況になっている。スピーチバルブは発声だけでなく、気道内への唾液の垂れ込みを防ぐ効果も期待でき、気管吸引回数の減少など、家族の負担を軽減する効果もある。今回は小児領域における気管切開の実際と注意点を中心に述べる。 略歴 東京女子医科大学教授 東医療センター新生児科部長 1983年 和歌山県立医科大学卒業   同年 東京女子医大第二病院(現東医療センター)小児科入局 1985年 松戸市立病院新生児科勤務 2009年 東京女子医大東医療センター 周産期新生児診療部部長 2010年 東京女子医科大学東医療センター 新生児科部長・臨床教授 2016年 東京女子医科大学東医療センター 新生児科教授 現在に至る <専門分野> 新生児・小児呼吸器疾患 <主な公的役職> 日本小児呼吸器学会運営委員 日本新生児成育医学会理事 日本周産期新生児医学会評議員 日本小児科学会代議員 日本SIDS・突然死学会評議員     ほか
ランチョンセミナー2
  • 天江 新太郎
    2017 年 42 巻 2 号 p. 148-149
    発行日: 2017年
    公開日: 2019/06/01
    ジャーナル フリー
    重症心身障害児者の栄養は、標準的な経腸栄養療法の確立が難しく、総投与エネルギーと各栄養素の摂取量とバランスをどのように設定すべきなのかという点について、常に施行錯誤が必要であると考えられます。  重症心身障害児者に経腸栄養を行う場合、患児の年齢・性別、日常生活動作によって総投与エネルギー、タンパク質投与量、3大栄養素(糖質、タンパク質、脂質)のバランスが異なってきます。既存の経腸栄養剤を単独で投与すると多くの患者さんでは設定したいと思う3大栄養素のバランスと経腸栄養剤の組成が合致しないことが多いため複数の栄養剤を組み合わせて調整する必要があります。さらに、3大栄養素のバランスを整えても、タンパク質の内容(たとえばカゼイン、ホエイ、大豆タンパク、ペプチド、アミノ酸)、脂質の内容(ω3系脂肪酸、ω9系脂肪酸、中鎖脂肪酸含有の有無)については調整が困難な場合もあります。また、総投与エネルギーが通常よりも著しく低い場合には、タンパク質、ビタミン、微量元素については摂取基準を満たすことがしばしば困難となります。  今回の話題である食物繊維も十分に投与することが困難な栄養素の1つと考えられます。近年、5大栄養素に加えて食物繊維が重要な栄養素として注目されており、多くの食品系経腸栄養剤では、種類は異なるものの食物繊維が添加されています。また、食物繊維単独の製品も販売されています。食物繊維とは多糖類であり生理学的特性からは難消化性炭水化物に分類されます。また、食物繊維は水溶性と不溶性に分類することができ、前者は水に溶けて粘度を高くする性質があり、後者は水に溶けず水分を含有し体積を増加させる性質があります。  臨床上では、水溶性食物繊維は腸管内容物の粘度を高くして胃腸における滞留時間を延長することにより下痢、胃食道逆流症、ダンピング症候群の改善効果が報告されており、不溶性食物繊維は便容量の増加により腸管壁の刺激による蠕動運動を亢進させることによる便秘の改善効果が期待されています。最近の研究から、水溶性食物繊維には上記の効果以外にもさまざまな作用が明らかになってきています。水溶性食物繊維は腸内細菌の発酵分解によって短鎖脂肪酸を生じることでエネルギーを産生することが知られています。発酵分解率が高いグアーガム分解物(PHGG)、ペクチンなどでは2 kcal/g、中程度の難消化性デキストリンなどでは1 kcal/g、不溶性食物繊維では、発酵分解率が低いためセルロース、寒天、アルギン酸などではほぼ 0 kcal/gとなります。  発酵により生じた短鎖脂肪酸(酪酸、プロピオン酸、酢酸)は、結腸粘膜上皮細胞のエネルギー源となり、その増殖促進作用が明らかとなっているほか、結腸に生じた炎症の抑制作用なども報告されています。小腸粘膜についても粘膜上皮細胞の増殖促進作用が確認されています。これらの粘膜増殖促進作用は、腸内細菌が血流に入り込むbacterial translocationを予防するものと期待されています。また、短鎖脂肪酸はグルカゴン様ペプチド1(GLP-1)を介してインスリンの分泌を促し糖代謝に良い影響を与えることもわかってきています。  このように、これまで考えられてきた以上にさまざまな効果が確認・期待されている水溶性食物繊維ではありますが、重症心身障害児者の経腸栄養においては、総投与エネルギーの制限、便性変化への懸念から十分な食物繊維が投与できない場合が多いのではないかと思われます。当園においても便性改善、胃食道逆流症防止目的に食物繊維を使用していますが、経腸栄養症例32例における食物繊維の平均投与量は8.52±6.79g/dayにとどまっており成人目標量の18~20g/dayを大きく下回っておりました。しかしながら、上記のような効果を考えると腸管粘膜の状態を保全し、糖代謝異常への対処という観点からも今後積極的に投与したい栄養素ではないかと考えられます。 略歴 天江新太郎(あまえ しんたろう) 1966年9月28日生(50歳) 出生地:宮城県仙台市青葉区八幡町 学歴・勤務歴 1992年 東北大学医学部卒業 1992年 八戸市立市民病院外科研修 1999年 東北大学大学院医学系研究科卒業 1999年 東北大学小児外科に勤務 医員 2001年 いわき市立総合磐城共立病院小児外科に勤務 医長 2003年 東北大学病院小児外科に勤務、最終役職:准教授・副科長 2008年 宮城県立こども病院外科に勤務、最終役職:科長、栄養管理部門長、NSTチェアマン 2015年 陽光福祉会エコー療育園に勤務、現在は副園長、NST委員長 資格 医学博士、外科専門医、小児外科専門医・指導医、日本静脈経腸栄養学会認定医
ランチョンセミナー3
  • 緒方 健一
    2017 年 42 巻 2 号 p. 150
    発行日: 2017年
    公開日: 2019/06/01
    ジャーナル フリー
    呼吸不全における人工呼吸管理の目的は、①酸素化能の改善②換気効率化③呼吸仕事量軽減④気道確保と言われているが1)、いずれも気道のクリアランス無しには困難である。上記4つのいずれかが障害されると、呼吸と感情の中枢である扁桃体の刺激により精神の安定が損なわれることが分かってきた。  長期人工呼吸管理を必要とする患児(者)が、地域で普通に暮らすためには、医療や福祉、教育などさまざまなサポートを必要とする。しかし、呼吸苦や夜間低換気による頭痛などは、これらのサポートの機会を奪い、社会性を失わせ孤立させる要因の一つである。したがって、気道クリアランスは、障がい児(者)の日常活動のすべてのステージで必要とされている。  重症心身障がい児(者)の呼吸リハビリテーションは、胸郭可動域訓練や、気道クリアランスの他に、体位による緊張緩和や栄養なども含まれる。今回は、気道のクリアランスと胸郭可動域訓練を中心に述べたい。対象は、神経筋疾患に代表される筋力低下タイプと痙性麻痺などの緊張が強いタイプに分けられる2)。他に心疾患、奇形症候群などがある。いずれも生理的気道クリアランスを参考とした排痰法が必要である。生理的気道のクリアランスには、①肺胞から気管支までのサーファクタントと気道粘膜の繊毛運動、心拍動による振動や重力による中枢気道への分泌物輸送、②中枢気道では、末梢から集まって大きくなった分泌物を咳反射で排出する、という線毛エスカレータ機能と咳による排除の2つがあり他に肺胞マクロファージによる遺物取り込みがある3)。一方、下気道感染症では分泌物の変化や線毛細胞の障害などで肺胞から末梢気道のクリアランスが障害される。現在多くの排痰補助装置が用意されているが、末梢気道クリアランスを助ける肺内パーカッションベンチレータ(Intrapulmonary percussive ventilation;IPV)や高頻度胸壁圧迫(High frequency chest wall compression :HFCWC)が多く用いられている4)。             一方、 咳介助においては他の機種に比べて機械的咳介助(mechanical insufflation -exsufflation;MI-E)が最も強力である4)。今回、MI-Eにおける適正圧や気流のパターンと安全な使用について検討したので、当院の緊急気道クリアランスチームの活動と合わせて紹介したい。 履歴 生年月日 1956年1月24日 1983年 福岡大学医学部卒業 1983年 熊本大学麻酔科 1986年 神奈川県立こども医療センター麻酔科・集中治療室 1988年 熊本大学付属病院救急部・集中治療部 助手 1993年 トロント小児病院PICU(文部省在外派遣研究員) 1995年 熊本中央病院麻酔科医長・集中治療準備室長 1998年 医療法人おがた会 おがた小児科・内科医院開業 2000年 熊本小児在宅人工呼吸療法研究会 会長 2009年 熊本大学医学部医学科・小児発達学 臨床教授 2012年 崇城(そうじょう)大学薬学部 臨床教授 2012年 第64回保健文化賞 2015年 医師会赤ひげ大賞
ランチョンセミナー4
  • 埜中 征哉
    2017 年 42 巻 2 号 p. 151
    発行日: 2017年
    公開日: 2019/06/01
    ジャーナル フリー
    1)病因、病態  脊髄性筋萎縮症(spinal muscular atrophy: SMA)は脊髄前角細胞が変性することにより、神経支配を絶たれた筋細胞が萎縮して、進行性の筋力低下をみる変性疾患である。責任遺伝子は第5染色体の長腕にあり、責任遺伝子はSMN1(survival of motor neuron 1)で患者ではエクソン7,8が欠失している。ヒトではSMN2(survival of motor neuron 2)というコピー遺伝子があるが、これはエクソン7がスプライシングの異常で欠失している。患者ではSMN2のコピー数が多いほど症状が軽いといわれているので、SMN2タンパクはSMN1タンパクの欠失を補っていると考えられている。 2)症状  発症時期、症状の進行からSMA1,2,3型に大別されている。われわれ小児科医が最も遭遇するのはSMA1型(生後6月以内に発症し、2歳までに大半が呼吸筋障害で死亡する)、SMA2 型(生後6月から18月の間に筋力低下が出現し、座位まで確保できるが歩行はできない。経過、予後には個人差が大きい)である。 3)今後の展望と課題  SMA1型は呼吸不全が進行し、自然歴では多くは2歳までに呼吸不全で死亡する。ただ気道が確保され、延命が図られると成長に従って顔面筋も侵され、意思の伝達すらできなることから、多くの病院は緊急時でも積極的治療は行わなかった。  しかし非侵襲的を含めた人工呼吸器の導入、ITの進歩による意思伝達の改善などから、呼吸不全に対応する医師が増えてきている。在宅で人工呼吸器管理をうけている患者も増加している。  SMAのような神経変性疾患に対して進行をとめ、改善を促す薬剤が登場したことは、どのような重症なお子さんに対しても、希望をもって延命する努力がなされるようになるだろう。スピンラザ®がそのきっかけになることは疑いない。ただ治療効果には個人差があるに違いない。ハンディをもっても生活できる環境整備が問題となるだろう。 略歴 氏  名 埜中 征哉 生年月日 1938(昭和13)年5月15日 (東京生まれ) 本  籍 熊本市春日2丁目757番地 学  歴 1964(昭和39)年 熊本大学医学部卒 1969(昭和44)年 熊本大学大学院医学研究科博士課程修了(小児科学) 略  歴 1969(昭和44)年 国療西別府病院小児科(筋ジス病棟担当) 1973(昭和48)年 米国ウェストバージニア大学 神経病理学教室留学 1977(昭和52)年 鳥取大学医学部脳神経小児科講師 1978(昭和53)年 国立精神・神経医療研究センター神経研究所 疾病研究第一部室長 1982(昭和57)年 同上 微細構造研究部部長 1998(平成10)年 同上センター病院 院長 2004(平成16)年 同上 名誉院長   賞   1990(平成2)年12月6日 厚生大臣賞 デュシェンヌ型筋ジストロフィーの欠損蛋白の研究 1994(平成6)年4月 科学技術庁長官賞 神経・筋疾患の診断法の開発に関する研究
ランチョンセミナー5
  • 鈴木 悠
    2017 年 42 巻 2 号 p. 152
    発行日: 2017年
    公開日: 2019/06/01
    ジャーナル フリー
    十分な加温(37℃)と加湿(絶対湿度44mg/L)を行った高流量の吸入気を使用したHigh flow therapy(以下、HFT)にはさまざまな利点があり、導入が簡便なことから小児科領域でもさまざまな疾患に対する使用が報告されるようになってきた。  当院小児科では呼吸障害に対する治療として、従来は酸素療法、非侵襲的陽圧換気療法(以下、NPPV)、体外式陽陰圧人工呼吸器などを用いてきたが、2012年から病棟でHFTを導入した。対象疾患としては、軽度の急性呼吸障害から、従来では挿管を選択したような症例までさまざまで、従来の方法に加えて有用な選択肢の一つとなっており、近年では酸素療法に次いで使用例が多い。また、軽症~中等度の治療介入を要する咽頭軟化症や喉頭軟化症といった症例や、気管切開症例、マスク型では受け入れが悪かった重症心身障害児にも必要に応じて在宅で使用している。  HFTでは強く固定することが不要なこと、顔面接地面積が少ないこと、着脱が容易であること、NPPVと比較して快適であることなどからNPPV使用困難だった症例の選択肢となりうる。  しかし、モニタリングに外部装置が必要であることや、効果が限定的であること、導入費用、持ち歩きには難があるなどの欠点もあり、HFTの特性を理解した上で適応を決定し、状況に応じてNPPVなどに変更することが必要な可能性もある。  当初は病棟で急性期の症例に対して使用していたが、体格や両親・本人の受け入れなどさまざまな理由によりNPPV導入困難だった症例に、在宅で使用可能なデバイスを用いてHFTを行っており、良好に管理できている。  実際に使用した症例や、在宅移行した症例、当院での使用方法や注意点、現在使用可能なデバイスの種類、費用などについて述べる。 略歴 学歴 2002年 東京女子医科大学医学部卒業 職歴 2002年 東京女子医科大学東医療センター小児科入局 免許  2002年 医師免許  2007年 小児科専門医取得
ハンズオンセミナー1
  • 淺野 一恵
    2017 年 42 巻 2 号 p. 153-154
    発行日: 2017年
    公開日: 2019/06/01
    ジャーナル フリー
    重症心身障害児者(以下、重症児者)の食事を支えてくれている現場の人へ  日々重症児の食事を精一杯支えてくださり、ありがとうございます。  現場の人たちは正直不安やプレッシャーでいっぱいでしょう。誤嚥・窒息の回避や、十分な栄養摂取量の確保が求められ、摂食嚥下機能向上も担わなければならない。そんなたくさんの責務が、いつしか目の前の人との食事をにらめっこしながら過ごす息苦しい時間にしてしまってはいないでしょうか?しかし忘れてならないのは、食事は目の前の方のものであり、本来もっと自由なものだということです。  私は重症児施設という終の棲家となる生活の場で、重症児者の食事と十数年向き合ってきました。人生の最終段階という視点から見えてきたのは、障害のある方にとっての食事の意義、食事とともに成長してきた人生、そして目の前の人を大切に思い支え続けてくれる保護者、介護者、厨房職員たちの熱意でした。そこには重症児者を思う愛情に満ちた数々の「工夫」があり、それらに支えられた重症児者は、自分の持っている機能を最大限発揮して、食べることを楽しんでいました。  確かに重症児者の方々は麻痺、筋力低下、協調運動障害、構造異常などがあり、食べることに困難を抱えています。しかし食べる意欲に満ちていて、彼らの持っている機能を駆使して、何とか目の前の食事に適応しようと努力をしています。その力を信じて、本人が望む方法で、効率よく、楽しく食事ができるような合理的な環境を一緒に考えていきませんか。  本人が食事を拒否するのには必ず理由があります。痛み、苦しさ、やりにくさ、効率の悪さ、威圧感等々。私たちはただ彼らの声に耳を傾け、本人の意志や自発性を尊重し、彼らが美味しく安心して食べられることを望み、彼らの助けてほしい部分をそっと支えてあげれば、彼らの成長への変化がはじまります。食事に対する信頼感、食事を介助してくれる人への安心感がすべての始まりです。  視覚障害を伴い、歯列不整や口蓋変形があり、舌の動きが不十分で、唾液が多く、舌根の後退・咽頭構造異常や頸部後屈変形があり、努力呼吸を要し、嚥下運動が不十分な方には、味が美味しく、滑らかな食感で、舌と上顎で挟めるぐらいの形があり、押しつぶせる硬さで、角がとがっておらず、滑りすぎず、ある程度口の中にとどまっており、口腔内や喉に張り付かず、バラけない食事を提供してあげれば、食べることができるのです。その食事を創るための技術やモノが必要であれば、栄養士・調理師・研究機関・企業等と力を合わせればいいのです。  側弯変形があり引き延ばされることで痛みや呼吸困難を生じ、低緊張のため体幹や頭部の支持が困難で、取り込みや送り込み運動を補うために頭部を動かしたいが不十分な動きしか出せない方には、痛みが生じず、呼吸がしやすく、体幹や頭部が安定するよう骨盤から体幹を支持し、自分の意思で頭部を自由に動かせるような座位保持姿勢を提供してあげたらいいのです。その姿勢を創るための技術やモノが必要であれば、リハビリセラピストやエンジニアと力を合わせればいいのです。  どうしても嚥下に苦痛が伴ってしまう人には、噛んで十分味わってから口外へ出す方法や、究極の一口の味見や、胃瘻から食事を楽しむ方法があります。どんなに障害が重くても、発想を豊かにすれば食事を楽しむ方法はいくらでもあり、可能性は無尽蔵です。  実技では食形態、姿勢、食器具、介助方法という「環境」の違いによって起こる変化を一緒に「実感し合う」ことで、相手への理解の深まりと、新しい選択肢の創造につながっていくことを期待します。本人の力や保護者や介護者の経験知を信じ、それぞれの職種が持つ専門知識と技術が融合していく過程で、それぞれを尊重しあい、認め合い、成長しあえる関係性も生み出されるでしょう。目の前の方の一口のために力を尽くしあえる多職種、他施設、多分野の対話と連携を期待します。 略歴 【職歴】 1995年 信州大学医学部卒業 1995年~1997年 聖隷三方原病院 研修医 1997年~2000年 聖隷浜松病院 小児科医員 2001年~2003年 聖隷吉原病院 小児科医長 2003年~2005年 聖隷三方原病院おおぞら療育センター 小児科医員 2005年~重症心身障害児施設つばさ静岡 医務部長 (現職) 【所属学会】 日本小児科学会、日本小児神経学会、日本重症心身障害学会、日本未熟児新生児学会、 日本児童青年精神学会、日本摂食嚥下リハビリテーション学会、日本在宅医療学会 【論文】 「重症心身障害児者の誤嚥性肺炎発症リスク検出における酒石酸咳反射テストの有用性」 日摂食嚥下リハ会誌15:183−9.2011. 「嚥下障害を有する重症心身障害児者に対する新しいペースト食の開発」 日摂食嚥下リハ会誌16:182−91.2012. 【活動・取り組み】 ・障害を持った方たちの最大限の能力が引き出せる食環境提供を目指し、食形態の開発(まとまりペースト食、まとまりマッシュ食、ソフトゼリー食、胃瘻食)、食事姿勢(座位保持椅子)、介助方法の検討を「つばさ静岡摂食チーム」で取り組んでいる。 ・摂食外来で在宅障害児の摂食指導を行うほか、全国重症児協会や県内の特別支援学校、肢体不自由児協会、知的障害者協会、保護者を対象に摂食に関する講義や料理教室など行っている。 ・2014年「静岡県小児摂食嚥下勉強会」設立、代表 ・日本摂食嚥下リハビリテーション学会「小児嚥下調整食検討委員会」委員
ハンズオンセミナー2
  • 上田 康久, 臼田 由美子
    2017 年 42 巻 2 号 p. 155-156
    発行日: 2017年
    公開日: 2019/06/01
    ジャーナル フリー
    「息をすること、食べること、出すこと、眠ること」は私たちの生活の基本です。子どもたちが楽に、楽しく生きることを目指し、講師の方々が、思考錯誤しつつ取り組んでいる手法と考え方の一例を呈示します。重症心身障害児の呼吸の支援は難しく、単一の手技や方法が、どの病態にも当てはまることはありません。エビデンスが確立している方法も、経験的な部分もあります。一緒に考える機会となることを期待しています。 第1部 基礎講義 ~皆様に、ご参加いただけます~  まず、小児呼吸器を専門とする上田康久小児科医(うえだこどもクリニック)が、「呼吸療法の一環としての呼吸理学療法」の概論を呈示します。効果的な呼吸理学療法を行うために必要なのは、まず明確な目的を持つことです。“無気肺”という単語にも、“Atelectasis(狭義の無気肺)”と“Consolidation(硬化像)”があること、その原因病態を、気道障害・肺/胸郭障害・ポンプ機能(呼吸筋力)低下の3つに大別すると理解しやすいこと、そして、タイミングの良い呼吸理学療法を行うためには各疾患における病期の概念を持つこと、の大切さを概説し、呼吸理学療法に求めているのは“有効な咳”と“体動(体位ドレナージ)”であることを示します。  次に、臼田理学療法士(群馬県立小児医療センター)が、一般的な「急性期の呼吸理学療法」を、小児病院での経験を踏まえ紹介します。重症心身障害児の急性増悪期の呼吸療法では、障害特徴に配慮した呼吸理学療法を加えることで、回復を支援できることもあります。急性期の病態に即した徒手的方法と体位の考え方を概説し、実技で、体位管理と、徒手的な排痰法と呼吸介助法を紹介します。  「慢性期の呼吸理学療法」は、生活を楽しむことを目的とした、重症心身障害児の呼吸理学療法の最も重要な点です。金子断行理学療法士(目黒総合リハビリサービス)が、考え方や臨床のエッセンスを紹介し、実技では、より具体的な方法と工夫を呈示します。小児期では、呼吸機能の発達が大切です。重症心身障害児の呼吸障害は、個別性の高い、重度な「運動・姿勢の障害」と成長に伴い慢性的に、時には急激に変化します。発達と「重度の運動・姿勢障害」自体への対応が重要になると考えています。  最後に、竹本潔小児科医(大阪発達総合療育センター)より、「排痰補助機器の活用」として、カフアシスト®とIPVについて紹介し、体験して頂きます。カフアシスト®は、咳の代用として主に中枢気道の排痰に威力を発揮し、神経筋疾患・脊髄損傷では高いレベルのエビデンスがありますが、重症心身障害児者においても十分応用可能です。IPVは経気道的なパーカッションで、気道分泌物を遊離し、末梢から中枢気道へ移動させる効果が期待できます。目的とする部位(中枢か末梢か)によって選択するが、いずれの機器も姿勢設定やリラクセーションとの併用で効果が最大となります。これらの機器は、急性の無気肺や下気道感染時の粘調痰の排出では、画像所見や呼吸状態の改善により効果を確認できますが、慢性期の呼吸ケアとしての効果は客観的評価が難しく、個々の症例毎に有用性を判断することが必要です。 第2部 実技 ~事前申し込みをお待ちしています~  3セッションを、順番に体験します。動きやすい服装でご参加ください。事前に申し込まれた40名に限らせていただきます。 ①急性増悪期の呼吸理学療法(入院中の呼吸理学療法:体位管理と徒手的方法を中心に)  臼田 由美子(群馬県立小児医療センターPT)  横山 美佐子(北里大学PT)  稲員 恵美(静岡県立こども病院PT) ②慢性期の呼吸理学療法(通院・在宅での呼吸理学療法)  金子 断行(目黒総合リハビリサービスPT)  平井 孝明(平井こどもリハビリテーションサービスPT)  榎勢 道彦(四天王寺やわらぎ苑 PT) ③排痰補助装置の活用(IPV・カフアシスト)  竹本 潔(大阪発達総合療育センターDr)  三浦 利彦(八雲病院PT)  片山 望(仙台西多賀病院PT) 略歴 上田 康久(小児科医) 1989(平成元)年:北里大学医学部卒業 同小児科学教室入局、 1996(平成8)~1998(平成10)年:豪州プリンセスマーガレット小児病院付属Institute留学後、北里大学病院復職 2002(平成14)年:北里大学病院PICU開設&責任者として勤務、小児科講師を経て、 2010(平成22)年~うえだこどもクリニック開設、北里大学小児科非常勤講師 専門分野:小児呼吸器疾患、小児集中治療、小児救急医療 所属学会:日本小児科学会、日本小児呼吸器学会(役職:呼吸理学療法WG等)、日本小児救急医学会、日本呼吸療法学会、日本集中治療医学会等 資格:日本小児科学会専門医 元:小児救急学会評議員 PALSインストラクター 臼田 由美子(理学療法士) 国立療養所東京病院付属リハビリテーション学院卒業、島田療育センター、取手市障害児通園施設、筑波大学病院(非常勤)等の勤務を経て、現所属に勤務。日本理学療法士協会、日本重症心身障害学会、小児呼吸器学会(呼吸理学療法WGメンバー)、日本小児神経学会、重症心身障害理学療法研究会等に所属 
ユニバーサルファッションショー
  • 市民公開講座として開催します
    2017 年 42 巻 2 号 p. 157
    発行日: 2017年
    公開日: 2019/06/01
    ジャーナル フリー
    出演 阿部未音 高橋幸太郎 牧野刻世 大友志空 赤間 愛 郷内星菜 髙橋桃子  協力 ファッション文化専門学校DOREME、陽光福祉会エコー療育園     重症心身障がいの方々は病気や障がいのために生きづらさを抱えていますが、日々携わる私たちはその幸せをいつも願っています。そして、その笑顔が実は私たちの幸せでもあることに気づきます。お互いに支え支えられる関係から、うまれてきてよかったと思える社会を作りたいですね。  障がいの重い方々も私たちと同じようにファッションを楽しみたいと思っています。しかし、身体の不自由さから衣服の着脱が簡単でないことや、デザインよりも機能的である(例えばおむつ替えが楽にできる)など介助する側の利便性が優先され選択肢も少ないと思います。また、成長して大人になっても、その体格に合う市販の服はこども用のものしかなく、年齢相当の色彩やデザインを選ぶことができません。そこで、7人の方にモデルさんになってもらい、着てみたいファッション(スーツ、ドレス、着物など)をファッション文化専門学校DOREMEの学生さんや先生と一緒になって考え作りました。輝く笑顔に会いに来てくださいね。(モデルの氏名の掲載はご本人・保護者の了解を得ています)  阿部未音さん 小さな頃から小鳥のさえずりや枝葉の揺れる音、そして動物とのふれあいが大好きな女の子でした。小中学校では、ジャニーズやおしゃれにも興味を持ち、特に創作活動では独特な色彩感覚やセンスで周りの大人たちを驚かせていました。女の子はだれでもおしゃれが大好き、お年頃ならなおさらです。今日は「究極の普段着」をテーマにしたファッションを披露しますね。  高橋幸太郎さん 光明支援学校高等部3年訪問生です。脳性麻痺で気管切開胃瘻で寝たきりですが、イベントには全力で参加して楽しむ、恋をして音楽聞いてゲーセンに行って学校で居眠りするという、17歳の男子高校生として青春の日々を過ごしています。男子高校生といえば制服とジャージがあればいい!でも社会人になるにはスーツも必要だし、というわけで三つ揃えのスーツをお願いしました。手作りの靴にもご注目ください。  牧野刻世さん 新生児仮死で産まれ、NICUで重い障がいが残ることを告知されたあの日から6年。生後7日目に初めて抱っこできた時の温もりと感動を今でも鮮明に覚えています。トキセのために、お洋服をデザインから作ってもらうなんて、初めてのこと!とっても嬉しいし、それを着た姿をみんなに見てもらえるなんて、ドキドキワクワク。しいあちゃんとペアの袴姿をお楽しみくださいね。  大友志空さん 通園とデイに行き、楽しいお友達、優しい先生に囲まれ毎日楽しく過ごしています。昨年までは入退院をたくさん繰り返し、辛いことも苦しいことも乗り越え、お家では一番の頑張り屋さんです!チャームポイントはくるんとした長〜いまつげ。重い障がいがあってもこんなに素敵な服を着られるなんて幸せ♡ ふわふわ素敵な袴でとびきり可愛くなったしいあを温かく見守ってください。  赤間 愛さん 23歳には喉頭気管分離手術を受けてかわいい声を失いましたが、今は口からもりもり食べてこんなに元気です。手術をしてくれた先生が「前の笑顔に戻してあげるね」っていってくれた言葉が忘れられません。小さい頃からファッションショーに出演するのが夢でした。DOREMEの先生、学生さん、ショーの演出をしてくれたスタッフのみなさんありがとう。  郷内星菜さん 私は仮死状態で産まれ、よく尻もちをついていましたが段々筋肉がついて上手に歩けるようになりました。中学生の今では、自分の名前を漢字で真似をしてかけるようになりました。私の夢は看護師になる事、人の役に立てるよう私は夢に向かってがんばります。ファッションショーに出てみない?と言われてずっとこの日を心待ちにしていました。今日はピンクのウェディングドレスをご覧くださいね。  髙橋桃子さん おしゃれ番長。20歳のお誕生日を迎えてお酒を解禁、当面の目標は国分町に行く事です。人生と梅酒はやっぱり‘ロック’じゃないと!今回の着物の製作は言葉でのコミュニケーションが難しい私にとって、自分の想いをどう伝えていけるかチャレンジでもありました。学生の皆さんの愛情が細部にまでたくさん詰まった‘世界に1つだけ’の着物です。ありがとう!
一般演題
  • 本多 麻矢, 山口 貢季
    2017 年 42 巻 2 号 p. 158
    発行日: 2017/08/01
    公開日: 2019/06/01
    ジャーナル フリー
    目的 短期入所を利用している家族を対象とした看護ケアへの満足度を評価し、今後の看護ケアへの示唆を得る。 方法 (1)対象:A病棟で1回以上の短期入所利用がある家族、90人。 (2)期間:2016年10月11日〜11月11日。 (3)内容:調査用紙[5段階で評価する<看護師の態度・対応>16項目、<看護ケア>(関わり、排泄、活動・睡眠、清潔、姿勢・運動、呼吸)15項目と自由記載]を作成、配布した。 (4)倫理的配慮:B病院の倫理審査委員会の承認を得て対象者に文章で説明し、調査用紙提出にて同意を得た。 結果 満足の割合は【看護師の身だしなみが整っている】など<看護師の態度・対応>に関する項目が高かった。 不満足の割合は、【よだれ、鼻水、痰、めやになどに対応し、顔の清潔が保たれている】が最も高く、【陰部や臀部の状態の悪化がない】、【居室を整頓している】・【利用者が過ごしやすい環境をつくっている】など、清潔・排泄・環境に関する項目が高かった。自由記載は、居室環境の記載が多かった。 考察 <看護師の態度・対応>よりも<看護ケア>の満足度が低いことから看護師の接遇は好印象だが、家族が望むケアが充実できていなかったと考える。 看護師は分泌物にタオルを使用し清潔保持に努めているが、迅速な対応が困難な場合がある。また、限られた入浴や陰部洗浄では汚染が残り、臀部の状態が悪化した可能性がある。流涎や発汗、オムツの使用など皮膚障害の誘発要因が多いことを理解し清潔保持に努めていく。 環境面では、ベッド周りが医療機器や持参品で雑然としやすいことや、食事や排泄場所が同じ居室は空気が滞る可能性があるが、定期的な環境整備や換気の時間を設けていなかった。 結論 家族は利用者が快適に過ごせるケアを望んでいたが、看護師は医療行為を重要視した可能性がある。利用者の生活の場であることを再認識し、基本的な看護ケアの実施が重要である。
  • −全国医療型短期入所事業所調査より−
    平野 恵利子
    2017 年 42 巻 2 号 p. 158
    発行日: 2017/08/01
    公開日: 2019/06/01
    ジャーナル フリー
    はじめに 医療型短期入所は重症心身障害児者(以下、重症児者)施設から一般病院・診療所、介護老人保健施設(以下、老健施設)にも広がっているため実態調査を行った。ここでは短期入所に関する自由記述内容について報告する。 方法 各都道府県に問合せて医療型短期入所事業所名簿を作成し、無床診療所を除く388カ所を対象として質問紙調査を行った。242施設から回答があった。自由記述回答を求めた「短期入所について感じていること」に回答してきた78カ所の内容を分析した。 結果 6つのカテゴリーと17のサブカテゴリーに分類できた。【ニーズの変化】には〔医療依存度の変化〕〔小児の増加〕〔介護者の高齢化〕、【ニーズへの対応困難】には〔ニーズが多すぎる〕〔受け皿不足〕〔マンパワー不足〕〔設備不足〕〔休日・緊急の受入困難〕、【制度への意見・要望】には〔介護給付費が少ない〕〔専用ベッドに保障がほしい〕、【重症児者の受入の難しさ】には〔利用者の個別性への対応〕〔キャンセルが多い〕、【地域連携の必要性】には〔体制作り〕〔医療機関との連携〕、【一般病院・老健施設での受入】には〔肯定的意見〕〔否定的意見〕〔スタッフ側の意識変化が必要〕があった。 考察 短期入所でも医療依存度の高い小児のニーズが増加している。既存の施設では対応しきれず、人工呼吸器等医療対応可能な受入施設の増加を望む声が多い。休日や緊急時の受入の他に、歩行可能な重症児の受入も課題である。利用者の個別性に対応しなければならない困難がある上に、体調悪化でキャンセルが多い、介護給付費が少ない等の理由で、事業として継続していく難しさがある。一般病院や老人保健施設での受け入れには肯定的意見がある一方で、「老健施設で医療的ケア対応は困難」「急性期病棟での受け入れには矛盾がある」等の否定的な意見もあり、今後受け皿を増やしていくためにはここでの受け入れの検証が必要である。
  • −質問紙調査を通して−
    塩谷 一恵, 形山 恭子, 樫埜 純子, 羽鳥 裕子, 鍋谷 まこと, 余谷 暢之
    2017 年 42 巻 2 号 p. 159
    発行日: 2017年
    公開日: 2019/06/01
    ジャーナル フリー
    はじめに 淀川キリスト教病院こどもホスピス病棟では、医療的ケアを要する重症心身障害児(以下、重症児)の短期入所を受け入れ、開設から4年間で延べ2300人以上の重症児が利用している。 目的 こどもホスピス病棟を利用する重症児・家族の短期入所利用前後における生活の変化および利用満足度を明らかにする。 研究方法 短期入所を2回以上利用した19歳未満の重症児の主介護者122名を対象に無記名の質問紙調査を郵送にて行った。調査項目は、重症児の基本的属性(年齢、性別、医療的ケアなど)6項目、サービス満足度(スタッフの対応、イベントなど)20項目、介護が生活に与える影響(家事への負担、健康面への負担など)について18項目、利用前後の重症児と家族の生活変化(〇〇など)5項目とした。 結果 71人から回答を得た(回収率58%)。利用者の平均年齢(SD)は9.3(±4.8)歳であった。必要な医療ケアは、気管切開44%、人工呼吸器34%、経管栄養59%であった。回答者の96%がこどもホスピスのサービスについて総合的に満足と答えた。重症児の介護が生活に与える影響の中で短期入所を利用して軽減したものとしては、「余暇の時間がもてないこと」、「介護者の健康面への負担」、「きょうだいとの関わりが少ないこと」、の項目が挙がった。短期入所利用前後の変化としては、重症児自身の成長発達や社会生活の向上、きょうだい児の子どもらしい感情表出や同胞の存在価値への気づきなどがあげられた。 結論 こどもホスピスの短期入所利用者は、サービスについておおむね満足していた。短期入所を利用することで、家族の負担軽減につながるだけでなく、重症児やきょうだいの成長、発達につながっていることが明らかになった。
  • 小野 昌子, 大町 明子, 岩尾 佳子
    2017 年 42 巻 2 号 p. 159
    発行日: 2017年
    公開日: 2019/06/01
    ジャーナル フリー
    目的 重症心身障害児(者)をケアする看護師が短期入所者を受け入れる際の、親の要望への認識や思い、対応や関わりについて調査研究を行い、受け入れの方策を探索する。 方法 都内2施設の病棟看護師を対象とした。 第一段階:フォーカスグループインタビュー法を用いた質的研究。 第二段階:第一段階の結果より設問を抽出し自由記載欄を含む質問紙を作成。無記名自記式質問紙法を用いた量的研究。 東京都重症心身障害プロフェッショナルナース育成研修における研究であり、倫理委員会の承認を得た上で実施した。 結果・考察 要望は、親からの強い要望であるときと利用者に必要なケアであるときに受け入れていた。また、[集団生活の場で要望すべてを受け入れることには困難がある][利用者全員の安全を守りたい][集団生活の場で公平性を保ちたい]という思いから、強い要望として親から多くを望まれることに看護師は困難を感じていた。しかし、9割以上の看護師が要望を受け入れるために工夫しているとの結果であった。困難を感じながらも、個別性を重視して要望を受け入れたいという思いがあると考える。 要望の内容によっては、その必要性に疑問やジレンマを抱いていた。親とのトラブルを避けたいという思いと、集団生活での過ごし方を施設として明示する方法が曖昧であることが、ジレンマを覚える要因と言える。 親は在宅で、多くのケアを実施している。親の要望を受け入れ、かつ実施方法が決定したら、職員全員が確実に実施できる工夫をすべきと考える。 結論 1.看護師の約9割が困難やジレンマを抱きながら短期入所者へのケア・療育に関わっている。 2.短期入所受け入れにおいて、施設に対して施設基準・体制を明示することを希求していた。 3.施設基準をもとに組織と共に、集団生活への理解を親に働きかけていきたいと考えていた。 4.利用者に適しかつ、病棟で実施可能な方法を親と話し合って決定することが必要である。
  • −開設から2年を経過して−
    伊是名 若菜
    2017 年 42 巻 2 号 p. 160
    発行日: 2017年
    公開日: 2019/06/01
    ジャーナル フリー
    はじめに 当センターは、2015年5月に開設した。在宅支援の一環として在宅移行支援の他、短期入所と日帰り短期入所事業を行っており、人工呼吸器使用等の医療ケア度の高い児の受入れも行っている。開設時の利用は少なかったが徐々に利用者が増加しており、特に継続的で集中的な多重的医療ケアを必要とした利用者が増加している傾向がある。そこで、利用者の現状をまとめ今後の課題を検討した。 方法 短期入所および日帰り短期入所の重症心身障害児(1〜18歳)を対象とし、2015年5月〜2017年5月までの2年間における利用者の医療ケアの内訳、超・準超重症児の割合について実態調査をした。 結果 利用者166名中、医療ケアの内訳は在宅人工呼吸器30名、在宅酸素17名、経管栄養103名、吸引79名、気管切開43名、吸入44名、導尿7名だった。日帰り短期のみの利用は8名、短期入所と日帰り短期併用の利用は36名、短期入所のみは122名、そのうち5回以上の短期入所利用者が61名(37%)であり、61名中、超・準超重症児は39名(64%)であった。また、5回以上の短期入所利用者は毎月の継続的な利用が多く、利用理由としては冠婚葬祭、家族の病気、母の出産、家族の休養、旅行等の行事、その他であり、公的理由だけでなく計画的で私的理由での利用が多かった。一方、日帰り短期のみの利用では超・準超重症児は8名中、1名だったが、短期入所と日帰り短期併用になると36名中、超・準超重症児20名(56%)であった。 考察 超・準超重症児の目的に応じた継続的な短期入所利用率が半数を上回るという結果から、医療ケア度が高いほど短期入所支援は家族から必要とされており、児と家族の日常生活の中に短期入所の利用が上手く調和し、安定化したものになりつつあるととらえることができた。今後も安全で安楽な短期入所環境の提供が当センターの地域における中間施設としての役割であり、継続した課題である。
  • 林 佳奈子, 桶本 千史, 高木 園美, 八木 信一
    2017 年 42 巻 2 号 p. 160
    発行日: 2017年
    公開日: 2019/06/01
    ジャーナル フリー
    はじめに 医療ニーズのある子どもへの個別性ある看護提供には、機関や施設の社会的役割・機能が異なる中、看護連携の図り方も多様となる。本研究では医療ニーズのある子どもと家族の支援における看護連携の現状を、入院中と退院後の視点ならびに一般教育機関での就学前後の特徴を把握するため調査を行った。 方法 A県内の子どもと関わる職務に就く看護職者1,398人を対象に郵送法で質問紙調査を行った。 調査内容は対象の概要、連携した看護職と検討内容、医療ニーズのある子どもとの関わりで困ったこと、看護連携の利点・困難点である。 対象の所属機関から総合病院、在宅療養支援機関、保育機関、普通教育機関に分類し、単純集計した。 結果・考察 回収数478(34.2%)、有効回答数466(96.5%)であり、その内139施設(29.8%)は看護職者を配置していなかった。看護職者を配置している327施設で、医療ニーズのある子どもとの関わり経験がある看護職者は161人(49.2%)であった。 連携した看護職と検討内容では、総合病院、在宅療養支援機関の看護職者の大半が総合病院の看護師と連携し、患児・家族の心身面や家庭環境、医療的ケア、医療機器、在宅での緊急対応や課題・問題への対処について検討し、入院中から在宅生活を見据えて連携していた。一方、保育機関、普通教育機関の看護職者は各々同一機関の看護職者と連携し、医療機関の専門職より身近な看護職者と連携していた。医療ニーズのある子どもとの関わりで困ったことは、総合病院の看護師は患児特有の医療的ケアやセルフケア、療養行動に戸惑い、在宅療養支援機関、保育機関、普通教育機関の看護職者は初めての疾患に戸惑っていた。利点・困難点ではいずれの看護職者も相互のつながりを利点としながら、時間調整の困難さを感じていた。異なる場にいる看護職者が連携上の課題を互いに理解することで患児と家族のニーズに応じた多面的な看護支援の実現につながると考える。
  • 中村 知夫
    2017 年 42 巻 2 号 p. 161
    発行日: 2017年
    公開日: 2019/06/01
    ジャーナル フリー
    背景 医療的ケアの必要な子どもと家族が地域で安心して暮らすために、小児においても、地域の在宅医と病院との連携が求められている。 目的 当院在宅医療支援室が行っている、医療的ケアの必要な子どもに対する在宅医との連携の現状、成果、問題点について報告する。 当院での取り組み 1.頻回の入院や救急受診を繰り返している 2.幼い兄弟もおり、病院受診が容易でない 3.退院前から、頻回な医療的介入が必要と考えられる 4.医療デバイス交換のために、毎月の受診が必要 5.療養環境に合わせた呼吸器などの設定変更を必要とする 6.遠方で、救急外来受診が難しい、などの問題を抱えた医療的ケア児と家族に対し、地域の在宅医を紹介し、患者家族が暮らしている地域の在宅医と病院との連携を進めている。 結果 89人(男50人 女39人)の患者に対して在宅医との連携が可能となった。対象者の年齢は0歳から38歳(中間値9歳)であった。病院の主科は、総合診療部(74%)、神経科(15%)、血液腫瘍科(4%)、その他(7%)であった。頻回の入院や救急外来受診が無くなり、在宅生活が安定した患者や、成人患者が地域の地域包括ケア病棟を利用できたなどの成果が見られた一方で、在宅医との関係が難しくなり、他の在宅医を紹介したケースもあった。また、小児在宅患者を診ていただける在宅医を見つける手段がない、病院も家族も在宅医療の内容を十分理解していない、親と在宅医との理解に時間を要する、在宅物品の提供が容易でないなどのさまざまな問題点も明らかになってきた。 考察 医療的ケア児が、地域で安心して暮らしていくためには、在宅医と病院との連携が重要であるが、さまざまな解決すべき問題が存在する。 結語 医療的ケア児と家族を支援するための地域の在宅医と病院との真の連携を構築するためには、患者家族と、在宅医の紹介元である施設が両者を十分に支援することが重要である。
  • 小林 拓也, 二宮 悦, 森下 浩代, 山内 政治
    2017 年 42 巻 2 号 p. 161
    発行日: 2017年
    公開日: 2019/06/01
    ジャーナル フリー
    横浜市では、常時医療的ケアを必要とする重症心身障害児に対し、メディカルショートステイシステム(以下、MSS)を構築し、協力病院への緊急一時入院調整を行っている。この中で、移送の付添いが問題となる事例が見られるため一例を提示し、検討したい。 ケースは6歳女児、部分18トリソミーの超重症児。夜間鼻マスクによる人工呼吸器、必要時酸素、経鼻気管内を含む頻回の吸引、胃瘻からの経管栄養等の医療的ケアが常時必要な児である。兄姉3人と暮らす母子家庭で母親は車の運転ができない。車で片道1時間くらいの所に住む祖母が車の運転を担っているが、医療的ケアはできない。母親が肺炎のため救急車で搬送入院となった。残された児は祖母の車で主治医病院に搬送・入院。その間、酸素5L/分投与で、吸引等出来ない状態で移送した。主治医病院に1週間程度入院をしたが満床のため、MSSによりA病院、B病院と転院した。病院間の移送は転院元の医師が付添った。 日常生活全介助の重症心身障害児は、主たる介護者の体調不良等によりただちに保護が必要な状況となる。従来、緊急一時保護を行い、福祉施設等に搬送、入所対応をしてきた。この搬送には親族が付添い、それが確保できない場合には、児童相談所の職員が付添う場合もあった。しかし、常時医療的ケアを必要とする在宅児が増加し、福祉施設での緊急入所対応が困難となり、また、搬送中にも医療的ケアを行わなければならない状況が増えてきている。医療的ケアを行い得る親族が付添える場合は良いが、核家族化、片親家庭の増加により、搬送の付添い者が医療的ケアを行えない状況も稀ではなくなり、問題となって来ている。 常時医療的ケアを必要とする重症心身障害児の緊急一時要件での入所・入院、その搬送の付添い問題はどこの地域でも顕在化してきているのではないだろうか。
  • 安田 寛二
    2017 年 42 巻 2 号 p. 162
    発行日: 2017年
    公開日: 2019/06/01
    ジャーナル フリー
    背景 当院が約35km離れた県内の同系列機関に移転統合することになった。統合先は重症心身障害者(以下、重症者)医療の歴史がなく、病棟患者については重症者病床の定数削減および専門職員の不足等のため患者の一部の処置変更、在宅患者については地域機関への引き継ぎ、移転までの短期入所や通院事業の対策が求められた。重症者病棟をもつ病院の統合と移転について考察する。 方法 診療録および患者家族、関与した職員からの情報に基づいた 結果 1. 入院患者について(1)他県出身者は原則としてもとの出身地に転院する、神奈川県出身者7名と愛知県出身者3名は系列病院に、一部は家族の希望により法人立機関に(2)県内出身者で小児および重度者計8名、呼吸器を装着している患者4名のうち3名は重症者病棟をもつ県内系列機関に(3)歩行が可能となったが胃瘻造設を要した運動機能と摂食機能が解離する小児等3例は強度行動障害病棟のある県外系列機関に。看護度の低かった脳性麻痺32歳男性を医療機関ではない近隣の入所施設に処遇変更したが適応できず変更を中止した。大半の患者は転院後1年を過ぎたが体調は安定している。 2. 在宅者について(1)短期入所(ショートステイ)は移転までは実施予定。(2)通院事業を利用してきた8名の医療的な管理はほぼ当院で行ってきた。地域の医師会に協力を仰ぎ数カ所の診療所から積極的な引き継ぎの承諾が得られた。このうち35歳の脳性麻痺男性は肺炎を反復するため胃瘻造設を行った。35歳の血友病を基礎にもつ症例が半年後に誤嚥性肺炎で死亡した。 考察 当院は昭和50年から80床の重症者病棟と在宅医療を担ってきた。歴史的に隣接2県からの入院が多かったこと、最近15年間は幼小児が増加したこと、この数年で隣接県の病床数が著増したことなどが今回の処遇変更に影響した要因となった。一方在宅者についてはこれまで地域との連携の不足が反省すべき点であった。
  • 村田 博昭, 高橋 純哉, 大橋 浩, 横山 尚子, 山方 郁広, 村松 順子, 大友 正明, 倉橋 美由記, 岩本 彰太郎, 安間 文彦, ...
    2017 年 42 巻 2 号 p. 162
    発行日: 2017年
    公開日: 2019/06/01
    ジャーナル フリー
    重症心身障害児(者)の在宅支援として三重県の医療福祉施設では国立病院機構鈴鹿病院、国立病院機構三重病院、三重県立草の実リハビリテーションセンター、済生会明和病院なでしこで短期入所、日中一時支援(日帰り入院)および通所サービスが実施されてきたが、本年6月に草の実が他の施設と統合、三重病院に隣接地に移転し三重県立子ども心身発達医療センターとして開設された。われわれは4施設の状況について集計し、三重県の在宅支援の現状と課題について本学会などで報告してきたが、今回は28年度までの7年間を集計、分析し報告するとともに、新体制の課題について考察する。 対象方法 平成22〜28年度の各施設の短期入所、通所サービス利用状況、大島分類、超重症児スコア、年齢、居住地などを集計したデータを収集した。なお今回の調査には個人を特定するデータは含んでいない。  結果 4施設の短期入所利用合計者数の年間のべ数(日・人)は22〜24年度は1599〜2171だったが、25〜28年度は2348〜2622だった。なでしこでは26年度から増加傾向(67→143→514)だが、三重病院(1295→1103)と鈴鹿(665→417)は前年度から減少した。草の実はほぼ横ばいであった。月別ではこれまでは8月が最多だったが5月が最多で分散化がみられた。 実際に利用した月ごとの実人数の前年度との比較で三重病院、鈴鹿で減少、なでしこは増加、草の実はほぼ同数であった。 考察 なでしこでは27年から小児科医が増え超重症児の受け入れも可能となり、体制が改善してきたため大幅に増加した。一方三重病院の減少は他科病棟での空床が減少もあるが、なでしこの受け入れ増加も関連する可能性がある。三重病院への一極集中が改善することは利用者にはメリットがあると思われる。草の実の移転の影響の把握、4施設の協力体制の構築が課題である。
  • 水野 美穂子
    2017 年 42 巻 2 号 p. 163
    発行日: 2017年
    公開日: 2019/06/01
    ジャーナル フリー
    NICUなど高次機能病院からの退院時に人工呼吸器管理を要する超重症児が増加傾向にあり、このような児が安心して在宅で療養するためには「中間施設」の役割が重要である。当院は24時間365日小児の救急患者を受け入れている地域の急性期病院であり、平成24年頃から在宅移行する重症心身障害児のサポート活動を行ってきた。急性期病院の中で小児在宅医療に関わる施設はまだ少数であり 当院の活動について報告する。対象は平成24年1月から平成29年5月までに在宅療養支援目的で転院または院内発生した重症心身障害児48名で、いずれも当院が中心となって多職種による在宅医療のサポートを行っている。人工呼吸器管理が必要な児は34名(71%)。当院の在宅医療支援方法は高次機能病院から「転院」という形で児を受け入れ、2週間のプログラムでケアの確認や多職種によるサポートチームを作り、在宅移行がスムーズに行えるように中心的な役割を果す。在宅移行後は訪問診療医と連携して急変時の対応やレスパイト受け入れ、ケアの見直しや保護者からの相談の受付など児に関わるすべての職種が安心してサポートできる体制を作っている。すでに在宅療養中で十分なサポート体制がなく困っている症例も受け入れている。在宅移行後に病状の変化や合併症によりケア内容を変更した児が18名、保護者の健康や家庭の事情で再度チームを召集してサポート体制を作り直した児が4名あり細かなフォロー体制が必要である。医療と福祉との連携のために平成26年2月から当院が中心となって小児在宅医療に関わるすべての職種が集まって2カ月に1回勉強会を開催している。勉強会を通じた「顔の見える関係」が個々の患者のサポートチームを作り上げる上で役立っている。地域の基幹病院としての機動性を生かして専門性の高い高次機能病院と患者に関わる多職種の連携の中心としての活動が中間施設の役割と考える。
  • 石渡 久子, 戸谷 剛, 前田 浩利
    2017 年 42 巻 2 号 p. 163
    発行日: 2017年
    公開日: 2019/06/01
    ジャーナル フリー
    はじめに 自宅で暮らす重症心身障害児者と家族は、たくさんの生きづらさを抱えている。周囲の無理解に傷つき、疲弊することも多い。子どもと家族が日常生活から離れ、自然の中で一緒に楽しむことができるレスパイト旅行という取り組みがある。 方法 NPO法人「親子はねやすめ」は、2014年から毎年長野県筑北村で親子レスパイト旅行会を開催している。子どもとその家族数組がゲストとして招待され、NPOの職員と地元や企業のボランティアが手作りのおもてなしをする。当法人の医師、看護師をはじめとする職員も参加し、活動を支えている。家族そろっての旅行は初めてというゲストが多い。人工呼吸器などの高度な医療機器や複雑な医療ケアが必要であっても、医療職を含む多くのスタッフがいるため安心して参加できる。豊かな自然の中で、子どもたちは家族とともに楽しい時間を過ごす。寂しい思いをすることが多い兄弟たちも、親が見守る中で思いっきり遊ぶことができる。親同士の交流が生まれ、苦労や喜びを共有できる。揚げたての天ぷらなど地元の美味しい食材を使った料理、温泉、心からくつろげる時間と空間がそこにある。優しい気遣いをしてくれる人々と自然に囲まれ、子どもと家族にたくさんの笑顔が生まれる。その笑顔は周りの人々に大きな喜びと感動をもたらす。日頃から在宅医療に携わるスタッフも、普段は見過ごしがちな家族の思いや日常の不自由さに気づかされ、自分たちの仕事の意味を改めて認識することができる。 考察 病気や障害をもつ子どもの家族には常に医療ケアを担う緊張感があり、家族全員で行動するという当たり前のことが想像以上に困難である。レスパイト旅行では普段の緊張感から解放され、家族がストレスなく一緒に過ごすことができる。その体験は身体と心を癒し、明日への活力を生み出す。この取り組みを多くの人に知っていただき、活動の輪が広がっていくことを願っている。
  • 舟本 仁一, 冬木 真規子
    2017 年 42 巻 2 号 p. 164
    発行日: 2017年
    公開日: 2019/06/01
    ジャーナル フリー
    人工呼吸管理を始めさまざまな医療的ケアを必要とする子どもたちの在宅移行・地域生活も、多くの関係者の努力・支援により可能となってきた。一方、子どもたちの日常介護を担う母親など家族の負担は過大であり、在宅生活支援として短期入所が医療型障害児入所施設を中心に行われてきている。ところが高度な医療的ケアが必要な場合、受け入れ先が少なく、このため大阪市では2013年4月から病院小児科病棟での障害者総合支援法に基づく医療型短期入所事業を開始、翌年から府全域に拡大された。大阪市内3カ所、府下3カ所の病院小児科が協力・参加し、住吉市民病院は2013年度から人工呼吸管理など高度な医療的ケアを必要とする重症心身障害児者を中心に受け入れ、2016年度は実利用人数89人、延べ510人である。また、検査目的など医療を主目的としつつも家族の休息も期待できるレスパイト入院も受け入れており、2016年度で実利用人数9人、延べ112人、短期入所とレスパイト入院を合わせ、1.7人/日の利用であった。当院の短期入所ならびにレスパイト入院の特徴は、(1)4床を基本として柔軟に運用、(2)要望が多い当日や時間外の緊急利用に対応、(3)次子出産などの際には1カ月以上の利用も可能。さらに、在宅生活中に急変した場合の緊急時対応についても主治医の属する医療機関の病床に空きがない場合などに、受け入れる体制をとっている。しかし、課題として(1)生活の場として遊びやリハビリテーションなどの機会が不十分、(2)運用上、短期入所とレスパイト入院との使い分けが困難、などがある。今後、一般病院小児科は要入院児の減少や医療的ケア児の増加という状況から障害医療への関与は深まっていくと予想できる。そのためにもレスパイト入院と短期入所の位置づけと収入差の整理、院内療養環境の充実、医学部教育や研修制度を通じた人材育成、地域との連携強化などが必要である。
  • 高村 彰夫, 小林 拓也
    2017 年 42 巻 2 号 p. 164
    発行日: 2017年
    公開日: 2019/06/01
    ジャーナル フリー
    当院ではかかりつけ重症心身障害児者(以下、重症児者)の医療的ケアが増え、重症化してきたことを契機に管理方法として特定医療型短期入所を選択した。病棟での日中あずかりを中心に小児科病床の空床時を利用する形態をとり、2015年11月から開始している。2016年の重障学会において開設までの経過を報告したが、実際に運営を始めてみると利用者の当施設の使いにくさを中心にいくつかの困難があり、この間に改善してきた点と今後の課題を報告する。 当院の診療圏である川崎市南部は近隣の市街地の中でも特に人口密集地域であり、居住環境も良いとは言い難い。そのため医療的ケアの重い方が利用するまでのアクセスに大きな問題が生じた。郊外のように送迎できる車両を持っている家庭も少なく、重症児者が利用できるような送迎サービスもないことから、利用はしたいが行く足がないという声が聞かれた。定期的に利用するのは、たまたま病院の徒歩圏内に住む重症者の方だけという状況が続き、運営の先行きが危ぶまれた。自施設での送迎の可能性を追求していたときにタイミング良く、病院での透析管理患者や訪問診療患者の入院時に自施設での送迎を行うという事業計画が上がってきたためそれに便乗する形で重症児者の送迎も2017年の5月より始まることとなった。それ以降では定期的に利用する方が増えている。 利用者が増えてくる一方で、あずかりを病棟の空床を利用して行っていたため病棟が慢性的に空いている時期はよいが、入院患者が増えてくると利用者を定期的に病棟で管理することが今後、難しくなることが予想される。病棟の空床を利用したあずかりから院内の外来フロアを利用したあずかりへの変更を今後予定している。その他にも病院内の人員体制の影響で医療ケアを扱えるスタッフの確保を計画的に行っていかないと対応が難しくなる危機感もあり、課題は山積だが地域での重症児者の在宅生活が安定するように努めていきたい。
  • 寺田 明佳, 李 容桂, 和田 佳子, 四本 由郁
    2017 年 42 巻 2 号 p. 165
    発行日: 2017年
    公開日: 2019/06/01
    ジャーナル フリー
    はじめに 先天性中枢性低換気症候群(以下、CCHS)は、呼吸の調節と自律神経系の障害を特徴とする疾患である。重度の睡眠時無呼吸が主な症状で、多くは出生直後より発症し気管切開を施行、生涯人工呼吸器管理を要する。 当院では重症心身障がい児を対象に、医療型短期入院を受け入れている。今回急性期病院と連携した計画的短期入院が安全な在宅生活に寄与したと考えられたCCHS症例を経験したので報告する。 症例1 4歳男児。終日呼吸器管理を要し日齢38で気管切開、生後9カ月より急性期病院にて自宅退院練習を開始、急性悪化や家庭の疲労等、早期の生活構築が困難であり、1歳1カ月時に当院転院。1週間程度の短期入院を月2回から開始した。その後の2年間で医療的ケアの程度が下がり急性期入院も減少、月あたりの入院回数、日数とも徐々に減少し、呼吸器装着は睡眠時のみ、短期入院は2-3カ月に1回4-5日ペースとなった。現在は保育所通園を開始している。 症例2 9歳男児。5カ月で気管切開、7カ月で巨大結腸症根治術を施行、重度精神発達障害、自閉スペクトラムを合併、在宅療養中であった。5歳時、母の癌加療のため当院に緊急入院し、その後3年間退院困難となった。試験外泊を経て8歳時、計画的短期入院に移行した。9日程度月2回ペースから徐々に減少、1年間で急性悪化はなく、短期入院は月1回6日ペースとなった。現在は支援学校の訪問級から地域の普通学校支援級へ転校し通学を継続している。 考察 CCHSの生命予後は比較的良好、運動発達も良好に得られるとされており、活動性は健常児と変わらないが要する医療的ケアは重度といういわゆる「高度医療依存児」である。乳幼児期や精神発達障害の合併等意思の疎通が困難な児の呼吸器管理は特にリスクが高く、計画的短期入院は家庭の休息のみならず、児の全身状態を適切に見守り管理するためにも有用であったと考える。
  • 竹本 潔, 船戸 正久, 児玉 和夫, 位田 忍, 舟本 仁一
    2017 年 42 巻 2 号 p. 165
    発行日: 2017年
    公開日: 2019/06/01
    ジャーナル フリー
    はじめに 平成25年度重症心身障害児者の地域生活モデル事業(厚労省)の受託を契機に、大阪府下の利用者を対象に短期入所・レスパイトを実施している療育施設・病院の連携を目的に、大阪発達総合療育センターを事務局として大阪ショートステイ連絡協議会を設立した。平成26年度以降のモデル事業終了後も、年1回協議会を開催し、短期入所の現状と課題について率直な意見交換を継続しており、現在6つの療育施設(1施設のみ和歌山県北部に位置)と7つの病院が参加している。 短期入所・レスパイトの実績 平成27年度の短期入所・レスパイトの実績を、療育施設(R)と病院(H)で比較した。1施設平均登録人数は、(R)251人(H)71人、1施設平均総利用のべ日数は(R)2635日(H)788日で、療育施設が多かった。登録者の年齢は、(R)の59%が18歳以上であったのに対して、(H)は87%が18歳未満であった。一方、登録者に占める人工呼吸器の比率は、(R)7.3%に対して(H)31.3%、超・準重症児は(R)22%に対して(H)66%であった。1回平均利用日数は(R)4.3日(H)5.2日、年間平均利用回数は(R)2.8回(H)6.4回であった。 考察 病院でのレスパイトは、18歳未満の医療要求度の高い比較的小さな母集団(主に自院出生児など)を対象に、繰り返し受け入れていた。一方、療育施設は大きな母集団を対象に、成人例や生活ケア要求の大きい例(経口食事例など)を幅広く引き受けていた。ベッド不足から1人当たりの年間利用回数が少なく、利用者は複数の施設を利用してレスパイト要求を満たしていると考えられた。病院に比して療育施設での短期入所は、利用者や家族との関係構築、生活面の介助においてより大きな配慮・労力が求められていると思われた。
  • 早川 真由, 樋口 滋, 深澤 宏昭, 細田 のぞみ
    2017 年 42 巻 2 号 p. 166
    発行日: 2017年
    公開日: 2019/06/01
    ジャーナル フリー
    はじめに 家族のニードに対し、理学療法の介入のみでは改善が見られなかった症例に対し、生活支援員と目標を共有し、協働して課題に取り組んだことで改善が見られた症例について報告する。 症例 37歳男性。大島の分類2。16歳時、事故による心肺停止から低酸素脳症となり、運動障害を残した。長い在宅生活を経て、36歳時に施設に入所した。 経過 自宅ではベッドをギャッチアップし、テーブルを差し込んだ状態で食事をとっていた。しかし、入所後、右膝関節屈曲拘縮が悪化したことで、帰宅時に膝がテーブルに引っかかり、テーブルが入らなくなったと、家族から訴えがあった。家族のニードに焦点を当て週1回40分、4カ月間、理学療法を実施したが、日常的に高い筋緊張の亢進があり、週1回の理学療法では改善が見られなかった。そこで、生活支援員と課題を共有し、支援方法について協働して実施するよう話し合いを持った。取り組みとして、理学療法士は週1回40分、左側臥位にて右臀筋群・右大腿筋膜張筋・右ハムストリングスのストレッチ・マッサージを、生活支援員は週2回、ベッド上での更衣介助時に膝関節伸展運動、ハムストリングスのマッサージを実施した。それぞれ3カ月間取り組み、前後で関節可動域を計測した。 結果 股関節伸展可動域が左右ともに15°改善、膝関節伸展可動域が右10°改善した。家族より、帰宅した際、右の膝を伸ばすときに柔らかさを感じられるようになり、食事時にテーブルが入れやすくなり、効果を実感したと感想がよせられた。 考察 理学療法だけではなく他職種と協働し、日常生活の中にプログラムを組み込むことで、限られた理学療法の時間内だけではなく、日常生活において運動機会を増やすことができた。また、家族の訴えに対し、理学療法士だけではなく、他職種と課題を共有し、同じ方向性で職員が介入を行ったことが改善につながったと考える。
  • 大嶋 志穂, 榎勢 道彦
    2017 年 42 巻 2 号 p. 166
    発行日: 2017年
    公開日: 2019/06/01
    ジャーナル フリー
    はじめに 児童発達支援事業所において理学療法士として関わった医療的ケアを必要とする重症心身障害児の2名について、この1年間の経過を報告し、発達支援における理学療法士の役割について考察する。 事例と経過 事例は4歳9カ月の男児(事例1)と5歳8カ月の男児(事例2)。両者ともに低酸素性虚血性脳症による重度脳性麻痺で、気管切開、喉頭気管分離、胃瘻造設術後であり、夜間の人工呼吸管理を必要としている。姿勢変換や姿勢保持の適応の困難さがあり、日常の多くの時間を背臥位で過ごしていた。理学療法では胸郭呼吸運動の発達促進を中心とした運動療法と姿勢ケアに取り組んだ。 事例1は、筋緊張亢進による拘束性換気障害と四肢の関節可動域制限を認めた。取り組みの結果、日常的に座位、腹臥位、側臥位姿勢の導入が可能となった。 LIFE(Part1)の生命維持機能領域では17点から24点に向上し、呼吸機能の改善を認めた。また、関節可動域は右股関節屈曲が50°から70°、伸展が0°から5°、左股関節屈曲が90°から105°、伸展が-25°から-10°へと改善を認めた。 事例2は、構築的な非対称変形と体幹の低緊張性により座位では呼吸が努力性となるため、保育場面での活動参加が制限されていた。取り組みの結果、保育士による介助やさまざまな姿勢への適応性が向上し、上肢活動やさまざまな運動遊びの幅が広がった。 まとめ 今回の事例では、運動療法にて胸郭呼吸運動の発達を促進したことで姿勢適応性が向上し、日常で過ごせる姿勢が増え、呼吸機能や介助適応の改善につながった。 運動療法の効果を日常生活に汎化させるために姿勢ケアは重要であり、変形や拘縮の進行予防にも有効だと実感した。 理学療法士は呼吸機能、姿勢と運動、活動と参加を包括的かつ相互的に評価し、臨床場面での小さな発達的変化に気づき、促進していく役割があることが確認できた。 取り組みの効果や発達的変化をより客観的に示していくことが今後の課題である。 
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