日本重症心身障害学会誌
Online ISSN : 2433-7307
Print ISSN : 1343-1439
45 巻, 1 号
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第2報
巻頭言
  • 後藤 一也
    2020 年 45 巻 1 号 p. 1-2
    発行日: 2020年
    公開日: 2022/08/03
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    第46回日本重症心身障害学会学術集会を10月30日(金)、31日(土)の2日間、大分で開催致します。例年と比べて1か月遅れの開催となりますが、ひとえに台風シーズンを避けたことによります。皆様のご予定等にご迷惑をおかけすることになるかも知れませんが、交通の便が良くない大分に一人でも多くの会員の皆様にお越し頂きたいとの思いです。何卒、ご了解のほどお願い申し上げます。 本学会の大分での開催は、国立療養所西別府病院院長・三吉野産治先生が会長を務められた第16回大会(平成2年)以来30年ぶりの開催となります。この30年の間に、重症心身障害医療の内容やそれを取り巻く環境も大きく変化しました。しかしながら、本学会が文字通り重症心身障害医療に携わる方々にとって最も大事な研修、意見交換、交流の場であることに変わりありません。参加される皆様にとって有意義な学術集会となるよう準備を進めていく所存です。 学会テーマとして、「重症児(者)を支えるために、今、取り組むべきこと」を掲げました。重症心身障害医療の今後を見据えると、医療の重度化、加齢にともなう疾病変化(がん医療など)や医療同意のあり方、移行期医療、在宅医療など対応すべき多くの課題があります。学術集会では、一般演題とともに特別講演などの指定演題を通して「取り組むべきこと」について語りあい、学びあえる場になることを目指します。 プログラムの概要ですが、特別講演として、「はやぶさ」プロジェクトマネージャを務められた川口淳一郎先生(宇宙航空研究開発機構JAXA)と児玉和夫先生(日本重症心身障害福祉協会代表理事)に、それぞれ科学や医療・療育の視点から「取り組み」についてのお話しをお願いしています。教育講演として、看護の取り組みを荒木暁子先生(日本看護協会)、リハビリテーションの取り組みを奥田憲一先生(九州栄養福祉大学)に講演して頂きますが、重症化や高齢化に関連して、星出龍志先生(はまゆう療育園)には重症児(者)の蘇生処置、笹月桃子先生(西南女学院大学)には重症児(者)の意思決定支援について教育講演としてお話しして頂きます。シンポジウムのテーマとして、移行期医療や在宅医療に関連して「重症児(者)のがん」や「大分県における医療的ケア児の支援の現状」を取り上げましたが、チーム医療の要といえる看護師の皆さんに、重症心身障害看護のやりがいや専門性について考えてもらうためのシンポジウムも企画しました。あわせて看護研究応援セミナーも例年どおり開催されますので看護師の皆さんの参加をお待ちしております。また、重症心身障害医療において重要な診療分野である栄養、呼吸管理などについてランチョンセミナー等で解説して頂く予定です。以上の指定演題は、学会テーマに沿ったものであるとともに、重症心身障害医療初学者にも興味を持ってもらえることを意図したものです。 重症児(者)は医療、福祉、教育などの支えも必要ですし、ますますその広がりや連携が求められております。在宅医療や意思決定支援は社会的な関心が高い分野でもあります。医療職以外の視点での招待講演として、大木大圓先生(飛騨・千光寺住職)と内多勝康(成育医療センター・元NHKアナウンサー)に死への向き合い方や医療的ケア児とのかかわりについて話して頂きます。 多職種が集う集会であることが本学術集会の特色です。例年参加されている会員の皆様にはさらに研鑽の場となるように、また、一人でも多くの初参加の方が出て重症心身障害医療に興味を持って頂ければという思いでいっぱいです。施設の管理者や指導に当たっておられる会員の方々には、職員の方々の参加、演題発表などを勧めて頂くことをお願い申し上げます。 大分は温泉をはじめ豊かな自然、豊富な魚介類をはじめとする美味しい食べ物に恵まれており、学会の合間には日常の疲れを癒していただけると思います。ひとりでも多くの方々の参加をお待ちしております。
会長講演
  • 末光 茂
    2020 年 45 巻 1 号 p. 3-10
    発行日: 2020年
    公開日: 2022/08/03
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    重症心身障害児(者)の分野に関わり始めて52年と5か月余が経過する。この間、「山あり谷あり」だった。 しかし、何よりも多くの人に恵まれ、助けられたお陰で、続けてくることができた。その人達に共通するのは「重症児」への熱い思いだ。 Ⅰ.「歴史観」に根ざした将来展望を 50年の結果としての「到達点」と、そこに至る「歩み」、そして「課題」を共有したい。次世代へのバトンタッチの一助になれば幸いだ。 「過去のない現在」は存在しないし、「現在に立脚しない将来展望」ほど頼りないものはない。 江草安彦旭川荘前理事長からは、何度も「歴史観」を、しっかり持つように言われた。 「歴史観」に根差した将来展望について、ノンフィクションライターの柳田邦男氏は、次のように述べている。 「予測というものは往々にして直線グラフを描くような発想で、現在の維持を、将来にそのまま延長してみる形を、取ることが多い。 ところが、実際はそうでない。特に、現代という時代は、そのような直線のグラフの延長線上で起こるのではなく、直線からずれたところで起こる。そういうことを覚悟しておかなければいけない」 と述べ、それでは一体どうすればよいのかということになると、 「あまり先ばかりを見ないことだと思っている。むしろ、後ろを何度も何度も、振り返ることがまず大事である」 さらに、「過去に起こったいろんな出来事を徹底的に分析し、予測できなかったことは、予測できなかった理由を考え、どこかにいるであろう仕掛け人のからくりが、どうなっているのかをよく考える。 そして、起こったことに対する対応は、本当に良かったのか、悪かったのか、それを十分点検し、評価する。そういう作業をすることで、直線からずれたところで起こる事態にも、対応できる深みのある姿勢が、保てるのではないだろうか」とある。 1.2人の大恩人 私には、2人の大恩人がいる。「医者がやらねばならない福祉」「医療福祉」のため、旭川荘を創設し、初代の理事長を務めた「川﨑祐宣先生」。総合医療福祉施設「旭川荘」という「種を蒔いた人」だ。 この人は60歳を過ぎて、川崎学園を計画し、戦後初めての「私立」の医科大学や「医療福祉」を冠した日本初の大学も開学した。 もう一人が、恩師であり、上司であり、仲人も務めていただいた「江草安彦先生」。小児科医で、旭川荘創設時から現場をリードし、2代目の理事長を務め、医療福祉の分野をハイスピードでリードし続けた。その後ろ姿を見失わないよう、なんとか後を慕ってついてきた50年だったと振り返っている。 2.「地球上最後の無医村 ランバレーネ」が日本にも この分野に加えていただくきっかけは、医学部5年生のときの一つの講演にある。 当時、知的障害児施設「旭川学園」園長だった江草先生が、重症心身障害児施設建設のために、東奔西走しておられる中で、中・四国の大学生に話された「愛は創造の母」と題した講演である。 その中で、今でも忘れられない言葉が2つある。 1つは当時、地球上で最後の無医村と言われた、アフリカのランバレーネで、ノーベル平和賞を受賞されたシュバイツァー博士が、献身的な働きをしておられた。それに共感した若い医師や看護師が、日本からも、たくさんボランティアで出かけていた。それは素晴らしいことだが、「日本にも無医村が残されている。それは『重症児』の世界だ」と、熱く訴えられた。 在宅で厳しい環境下に置かれた重症児とその家族の様子、中には支えきれず、わが子の命を絶つ例が絶えないことを紹介した。 3.岡山県民ぐるみの「重症児施設建設運動」 一家に3人重症児を抱えた家族を、見捨てるわけにいかないと、岡山県愛育委員会が立ち上がり、県民総ぐるみの施設建設運動が、燎原の火のように広がった。 オピニオンリーダーとして、「山陽新聞社」は、社告を打ち、施設建設のキャンペーンを1年近く、毎日打ち続けた。その内容は新聞協会賞を受け、本にもなった。 その最中での講演だった。先生が訴えられたのは、そのような県民ぐるみの温かい支援の輪がある一方で、最も冷淡なのが、愛を説く「キリスト教徒」であり、「医師」というものだった。 4.「暗黒時代」と「『無医村』のつづきの実態」 昭和42年の児童福祉法の改正以前、大変厳しい環境下に置かれた家族は、わが子を座敷牢や北側の納戸に隠すようにして、ひっそりと暮らしていた。 やっと「旭川児童院」が開設した。しかし、常勤医は江草先生一人で、私は医師の資格のない研修医。岡大と国立岡山病院の小児科からの当直医に支えられていた。 肝心要の江草先生も、重症児のことを理解してもらうための講演と、資金集めに、県内外を走り回っていたので、無医村に近い状態だったと、言わざるを得ない。 2年後、四国の高知に、競輪選手の山崎勲夫妻が、私財を投げ打って建設した「土佐・希望の家」も、建物が建ち、職員も確保したが、医師がゼロのため、開園できないで、苦境に立たされていた。見かねた江草先生の勧めもあり、1年間の約束で、手伝うことにした。 医師は完全に私一人だけ。病棟の2階にある事務室横の物置に畳を敷いて、寝起きする日々で、単身赴任。 江草先生に言われたのは、「末光君、1年は、365日以上でも、以下でもない。今日1日頑張れば、残りは364日。もう1日頑張れば363日」だった。指折り数えて、一日一日を耐えたことが思い返される。 Ⅱ.50年間のテーマ 50年間、いろんな取り組みをしてきた。 何よりも(1)医療と福祉と教育の一体提供と、その成果としての「重症児療育学」の体系化が最大のテーマだった。そして、(2)「脱施設化」への対応、(3)「児者一貫」の確保、(4)孤立しないために、他団体との協調と市民の理解に力を尽くす、だった。 1.国の制度を振り返って~「脱施設化」への対応 柳田邦男氏の言う「仕掛人」はたくさんいたが、何よりも最大の仕掛人は、国と言わざるを得ない。制度への受身の対応にとどまらず、先導的な実践に根差した提言が求められ、それにチャレンジした。 昭和42年以前の前史、暗黒時代の後を、1期から4期に分けてみた。 施設ですべての世話をする「施設完結型」の1期。地域に開かれた支援をする2期は在宅・地域支援の推進がテーマだった。 3期には、2期とオーバーラップする形で、国際的な動き、ノーマリゼーション理念に基づく「脱施設化」の波が、重症児施設に押し寄せたし、「障害者自立支援法」ならびに「総合支援法」への苦難の道が、待っていた。この時期、日本重症児福祉協会の施設長会議議長ならびに常務理事を務めていたので、その矢面に立たざるを得なかった。 これからの4期は、インクルージョン理念に立脚した新たな役割の創造、創発の時代に入ると考える (表1)。 2.思い出に残る仕掛人(1)と対応 思い出に残る仕掛人の一人として、「デンマークに重症児入所施設はない。ノーマリゼイションの先導役であるデンマークに学び、そろそろ日本も重症児施設をやめたら」と、デンマーク通のある知的障害児施設長に言われた。 感情的な反発だけでは良くないと考え、「脱施設化」に関する研究・調査に、力を注がざるを得なくなった。 3.宮城県立「船形コロニー」解体宣言(2002年)とその後 朝日新聞の1面に、「宮城県立『船形コロニー』解体宣言」が出、社会の注目を集め、入所施設への冷たい眼も注がれた。 その後、解体作業は頓挫し、実態報告書も出ている。「船形コロニー」だけでなく、大阪府立「金剛コロニー」や長野県「西駒郷」も縮小はしたが、一定規模を維持しているようだ。 4.「同名異義」と「比較調査のまとめ」 ノーマリゼイションの発祥地はどうか。3年前、アンダーセン社会福祉・内務省 障害者局長は、人口570万人のデンマークに、417か所の長期滞在施設があると紹介した。 欧米の入所施設は、かつて「精神薄弱病院」だった。その「医学モデル」を、なんとか「社会モデル」に変えようとしたのに対して、日本のそれは、逆に元々医療がないため、重症児施設が独自に必要になったと考えられる。 同じような用語を使っていても、実態が全く違うことを認識すべきだ。たとえば、英国のSchoolと日本の学校は、共通している部分もあるが、そうでない面が大きい。イギリス・ロンドンの自閉症専門のシビル・エルガー・スクールで、そのことを体験した。 Instituteと施設もそうだ。ある時点で、どこかの国のそれが良いからと言って、画一的かつ一律に強制することだけは避けたい。いわゆる「猿真似」は控えるべきだろう(表2)。 5.「思い出に残る仕掛人(2)」と「『入所施設』不要の風潮」 国の「総合支援法」に向けた55名の検討委員の一人に、重症心身障害施設サイドから加えていただいた。 最終報告書の作成段階で、「入所施設は総合支援法に明記しない。明記すると、未来永劫それを認めることになるから」と、ある大学の准教授が主張した。 私には、納得できないものだった。当時、入所施設は悪の権化のような言われ方を、各方面からされた。私は一貫して、入所施設のことは誰が決めるのか、ご本人とその代弁者のご家族ではないのか。重症児に限っては、世田谷区で、父親がわが子の命を絶つ事態等もあったことから、「当面、必要である。明記しないのであれば、国の委員を辞める」と発言し、最終調整で入所を明記していただいた。 (以降はPDFを参照ください)
特別記念講演
  • 加藤 勝信
    2020 年 45 巻 1 号 p. 11-17
    発行日: 2020年
    公開日: 2022/08/03
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    加藤 皆さん、おはようございます。今日は第45回日本重症心身障害学会の学術集会、岡山で開催いただいております。ちょうど25年前に、当時江草先生が大会長として同じく岡山倉敷で開催され、2回目の岡山の開催を本当にありがたく思うところです。 私が今、川崎医療福祉大学に籍をいただいているのも、今申し上げた江草先生の関係でして、私の選挙区はこの倉敷のもっと西側の笠岡市でありまして、その笠岡市で、実は江草先生はお生まれになられた。ご承知のように旭川荘を立ち上げられ、そして重症心身障害児(者)の施設を造られた。まさに日本におけるこうした分野の第一人者として、県内だけではなくて、全国において、またさらには海外においても大変ご活躍をいただいた。残念ながら4年前にお亡くなりになったわけですけれども、そうした足跡が、この岡山をはじめとして地域において広がっている、本当に素晴らしいことだなと思います。 今日はそんな思いも込めながら、また、実は昨日は全世代型社会保障検討会議をスタートしたところでもあり、少し幅広に社会保障について話をし、最後には重症心身障害児(者)施設について少しお話をさせていただければと思っています。 社会保障、あるいは福祉政策を進める基盤というのは、基本的には税であり、あるいは医療、年金、介護では保険料ということになります。税や保険料を支えるものは経済ということになります。経済がしっかりしていくことによって、そうした財源が確保され、そして様々なサービスが展開をされていきます。 日本の名目GDPは、1997年の約534兆円をピークとして20年ぐらいずっと足踏みをし、最近、この水準を超え始めています。右肩上がりの時代から右肩並びか、右肩下がりになってきて、これが様々な意味で日本の経済だけではなくて、社会に影響してきたわけです。『ジャパン・アズ・ナンバーワン』とか、日本の時価総額はアメリカの株の時価総額よりはるかに多いとか、そんな時代は、世界経済GDPで見ると約16~17%、したがって6分の1を日本経済が担っていた。しかしその後20年間で世界経済は3倍になり、一方で日本は停滞をしたわけですから、今は大体5、6%という状況になっています。リーマンショックのときは、さらに名目GDPは減少しましたが、それ以来、右肩上がりに、要するに経済をしっかりさせていこうと努めています。そういう中で雇用情勢は改善され、就労者数は増えてきているといった、良い姿も見えてきています。働いている人が増えていることも含めて、働いている人全体の収入、まさに皆さんの懐具合は、名目で見ても、物価で調整した実質で見ても、ここ数年プラスに転じています。 言うまでもなく日本は少子高齢化、人口減少が続いています(図1)。この一番上の棒グラフのカーブを見ていただくと分かるとおり、2008年をピークに日本の人口は減少しています。明治を迎えるときの日本の人口は何人ぐらいかご存じでしょうか。3000万人ぐらいなんですね。それから戦争が終わったところで7500万人、それからずっと増えていって、1億人を超えて、そして先ほど申し上げた2008年をピークにその後、減少し、今のペースでいくと今世紀半ばには我が国の人口は1億人を切る、今世紀終わりには6000万人を切る、そのままいくと西暦3000年頃には日本人はいなくなると、こう言われているわけです。一番上の65歳以上の人口が増加をし、そして一番下の年少人口が減少し、真ん中のいわゆる生産年齢人口が今、大きく減少しようとしている。こうした状況にあるというのが一つのポイントです。 それから、もう一つは社会保障の先行きを見るときに、よく2025年とか、2040年とかいう年号が出てくるのですが、日本の出生数、人口構造は、フラットではなくて大きく二つの山があります。昭和22年から24年生まれのいわゆる団塊の世代で、270万人の方が当時生まれた。去年の出生数はなんと90万人ちょっとですから、約3倍の子どもが当時生まれた。そして特に地方で多く生まれた時代であります。そして、その方々が結婚し、子どもを持たれたのがちょうど昭和46年から49年の第2次ベビーブームで約200万人の方が生まれました。 この団塊の世代の皆さんが、法律用語では後期高齢者と呼んでいますけれども、75歳を超えるのがちょうど2025年。そして、団塊ジュニアの皆さんが65歳、いわゆる高齢期を迎えるのが2040年。したがってこの2025年が当面の越えるべき山。そして中期的に越えるべき山が今、申し上げた2040年から2050年。その辺を見据えながら、これからの社会保障の議論を、またあるべき医療、介護、年金、あるいは障害者施策を含めてしっかり議論をし、それに応じた仕組みをしっかり作っていかなければなりません。 その中でもう一つのポイントは、この間は実は、生産年齢人口は大きく減少していますが、働く人は逆に増えているのです。女性で288万人、重複しますけれども65歳で高齢者が266万人増えてきています。高齢者や女性が新たに労働市場に参加しているのです。 経済成長にとって大事なことは、働き手を確保するとともに、生産性を上げていくということであります。いわゆる購買力平価で比べると、アメリカ、フランス、ドイツに比べると日本の生産性は3分の2です。これを上げることができれば、今のマンパワーであっても経済を成長させていくことができるということになります。この社会福祉の分野でも、これをかなりやらないと、なかなか将来の人手を確保することは大変だという話が出てきます。 社会保障給付費、医療、年金、介護、福祉等の全体のお金のうち、皆さんが窓口で負担をするものを除いた、それ以外の費用です。これを見ていただくと顕著な伸びを示しています。2000年のときに約80兆円でしたが、最近では120兆円を超え、1.5倍になっています。しかし、国民所得、経済の規模で見れば、この間10%も増えていません。その中で社会保障給付費の増大を飲み込んできたのです。そしてもう一つ端的に表れているのは、この中の割合です。1970年頃は医療費の割合が非常に高かった。それが2000年にかけて年金が高くなり、最近では介護を中心とした福祉系の予算が大きくなってきている。これが今後さらに進んでいくということが、先ほど申し上げた高齢化等々絡み合わせると見えてくるわけです。 当然、国の予算も大変厳しくなっています。2000年と比べると、社会保障関係費は17兆円ぐらいのものが34兆円に倍増しています。この20年間、社会保障関係費以外の予算はほとんど横並びで推移してきている中で社会保障に必要なお金を確保しながら、また、この10月からは消費税の引き上げを行うことによって、財源も確保しながらサービスの拡充に努めさせていただいているところです。 これから様々な見直しをしていく必要がありますが、先ほど申し上げた全世代型社会保障検討会議において議論をし、必要な具体的な改革はまたそれぞれの、私どもでいえば社会保障審議会等で議論をしていくということにつながっていくわけです。 これからの先行きを考えたときに、2025年まではどういう時代かというと、むしろ高齢者の人口が増えてきた時代です。特に75歳以上は142%増ですから、2.5倍の増加になっています。他方、これからの約20年間は、高齢者の人口はそれほど増えず、地域によってはむしろ人口は減少していく。東京とか岡山では岡山市内は増えてきますけれども、いわゆる中山間地域ではむしろ減少し始めています。15歳から64歳の人口は、この25年間で17%減っていたものが、これから15年間で同じく17%減っていきます。これからの時代は、高齢者に対する対応はもちろんですが、いかに働き手を確保していくかが強く求められると思います。 その中で何をしなければならないかというと、私たちは大きく二つのことを考えています。 まず医療介護等のサービスへのニーズの増大をいかに抑えるか、要するに医療や介護が必要な状況をどう抑制をしていくのかという意味で、健康寿命の延伸、健康予防や疾病予防に取り組んでいく必要があります。それから、もう一つは現場において生産性を上げていくことです。今、ICTとかAIとかロボットとか、いろいろな技術が出てきていますが、それを取り入れることによって、1人の働き手が対応できる範囲を拡大していく、すなわち生産性の向上を図っていく必要があります。 前者の健康寿命の関係では、明らかに高齢者の方々が若返ってきているという数字が出てきています。たとえば、文科省の体力テストの数字を見ると、15年前と比べると5歳若返っています。昭和30年にスタートした『サザエさん』のマンガに出てくる波平さんというお父さんが何歳か、皆さんご存じでしょう。54歳ですね。私、今63歳ですけれど、どちらが若く見えるか。当時の男性の平均寿命は65歳でありましたから、あれからもう60年近く経っていますが、そのぐらい変わっているということです。そして、これからも努力をしていける余地はあるということです。そういうことを通じて働き手を増やしていく、あるいはニーズを抑制していく。そういう努力をしていけば、将来の姿はずいぶん変わってくると思います。 (以降はPDFを参照ください)
教育講演1
  • 牛尾 禮子
    2020 年 45 巻 1 号 p. 19-24
    発行日: 2020年
    公開日: 2022/08/03
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    Ⅰ.はじめに 障害児(者)を在宅で養育する母親は、子に対する世話の多さや子の漸次的身体機能の低下による医療依存度が高いこと、未だに残る社会の偏見などから心身の負担感は大きい。それゆえに母親のストレスに関する研究は多くみられる。一方では、ストレスをエネルギーに転換しながら、たくましく生きる母親もまた存在し、彼女たちの障害受容や自己概念を再構成していく姿をとらえた研究も多数ある。 筆者は、これまで、重症児(者)の在宅支援の一環である「療育」において、母親たちの相談員として携わってきた。そこで、出会った母親たちは、子と明るく逞しい共生生活を送っているように見えた。しかし、長期にわたって関わる中で、非常に特異的な養育態度や意識をもつ母親がいることに気づいたのである。すなわち、明るく振る舞いながらも、心から楽しんでいないように見受けられたり、他者に対する信頼感が希薄であると感じた。 筆者は、そういった母親の養育態度に関心をもち、母親たちへの参加観察や聴き取り調査から、母親には、「適応状態」、「ストレス状態」、「不適応状態」という、3つの養育態度があることを明らかにした(日本重症心身障害学会誌第28巻第3号で報告)。 3つの養育態度について説明すると、「適応状態」の母親は、子の障害を受容し、前向きの養育ができる、自己の生活を大切に考え主体的な生き方ができる、社会的な活動をする、養育について内省しながら満足感をもつ、子の同胞にも愛情を注ぎ彼らの人生に理解を示す、養育は他者(親戚・身内など)の協力を期待するよりも福祉サービスを積極的に利用するといった生き方ができる、ことが特徴である。 「ストレス状態」の母親は、家事と養育の一切を担うことによる健康障害や疲弊感がある、わが国の福祉サービスの不整備に対する不安がある、子の漸次的身体機能の衰退や新たな症状の出現、またそれに対する養育方法がわからないという不安がある、さらに姑が家事や養育に非協力的であることや、未だに孫の障害に理解をしめさないことに不満がある、などが特徴である。 「不適応状態」の母親は、子の障害にこだわりをもち続ける、子との一体感固着状態にある、他者に対する不信感から養育への協力を依頼できない、子の同胞に過剰な期待をもつ、子の養育に対して抑圧的な頑張りをする、子の障害に対する罪責感、負い目をもつ、さらに過去の出来事に対する感情の再体験が起こる、などが特徴である。  そこで、本稿では、特に深刻な心理的問題をもつ「不適応状態」の母親に注目し、多くの母親たちが、子の障害に大きなショックを受けながらも、子の障害を受容し、心理・社会的に適応への歩みを進めるなか、なぜ、彼女たちは、「適応」への歩みを進めることができないのか、その要因について考えることによって母親理解の一助となると考えたのである。 Ⅱ.母親の「不適応状態」は、「心的外傷」が関与する 近年、災害や事件など、生活上で起こるさまざまな衝撃体験や苦痛体験を「心的外傷」として捉え、その後遺症(PTSD)が注目されている。PTSDの人は、出来事の再体験、反応の麻痺、易刺激性、過度の警戒心などにより日常生活上にさまざまな困難が生じることは周知のことである。このことから、「不適応状態」の母親の深刻な心理的問題を「心の傷」といった視点から検討することにより、「不適応状態」にある母親への理解を深めることになると考えた。すなわち、彼女たちは、医療者からの絶望的な言葉、他者からの差別的言説や態度、家族からの責任追及、障害改善に対する過剰な期待、姑の子への差別、など強いショックや苦痛を体験しており、それが「心的外傷」となり、「不適応状態」を形成したのではないか、と推察したのである。 しかし、これまでに、障害児(者)の母親の「心的外傷」に着目した研究はほとんど見あたらない。わずかであるが、障害児をもったことに起因する母親の情緒反応を「外傷体験」として捉えている1)がそれ以上の言及はない。しかし「障害」は、「心的外傷」をもたらす一つの体験であるといい、脊髄損傷の自殺者にはその一群がおり、受傷後、数年経った人の中に慢性のうつ病に悩む人がいるという報告がある2)。重症児(者)をもつ「不適応状態」の母親の強いショック、苦痛体験に注目し、それを「心的外傷」と捉えることは、彼女たちへの理解や支援においてきわめて重要な意味をもつと考える。 Ⅲ.「心的外傷」が心理的反応を歪めるメカニズム 西澤3)は、「心的外傷」は、心が自らを守るために体験を瞬間冷凍した状態である、といい、さらに体験を瞬間冷凍させると、その体験の鮮度がいつまでも保たれるために、認知枠組み(人格)に、統合させることができなくなり、心の中に異物として残ることになる、と説明している。 「不適応状態」の母親は、激烈な体験から自己を守るために、その体験を「瞬間冷凍」させるという手段を用いたと考えられる。しかし、体験の冷凍という対処は、正常な対処方法ではないために、その後の生活や養育に支障を来すことになる。 冷凍させた体験は、いつまでも新鮮な状態で保たれているために、体験に関連した刺激を受けると、体験の解凍が起こり、本人の意思とは関係なく、今、まさに体験していることとして、生々しく感情がよみがえるという現象を起こす3)ことになる。彼女たちは、過去や現在の生活を語るとき、しばしば涙を流しながら混乱することがある。これが、彼女たちのもつ侵入症状である。しかも彼女たちは、その症状を改善する努力ができないために、体験の侵入を避けるようになる。これが、受忍し、何事も語らない、という回避症状として表れることになる。 また、冷凍した体験は、いつまでも生々しく存在するために、心の中の異物となる3)。心の中に異物を存在させると、彼女たちが体験以前、すなわち障害児(者)をもつまでにもっていた、母親固有の認知、知覚、感情、思考、評価の流れが妨げられ、歪みを生じさせることになる。すなわち、自分らしさを歪めた反応を示すことになる。 ここで、「心的外傷」が「心理的反応」を歪めるメカニズムを西澤3)の図(改変)を用いて説明する。図1は「一般の感情の流れ」、図2は「トラウマの存在による感情の歪み」である。 「心的外傷」がない場合は、図1に示すように母親は出来事(刺激)に遭遇しても、その人がもつ知覚、認知、思考、感情、評価などのプロセスは歪むことなく、ありのままの、その人らしい心理的反応として表現される。たとえば、他者から差別的言説や障害の責任追及を受けても、そのときに知覚する、ありのままの感情を表出できる。それは、怒りとなって表れることもある。またそれを何回も想起させ、徐々に感情を和らげていく。ときとして、その不当性に抗議し、説明することができる。また、過剰な負担感に対しては、福祉サービスの利用や他者に協力を依頼することができる。 しかし、母親に「心的外傷」がある場合は、図2に示すように、同じ出来事を経験しても、冷凍された体験が、心の中に異物として存在するために、知覚、認知、思考、感情、評価の流れを妨げることになり、歪んだ心理的反応となる。それは、感情の変化や対人関係の変化、すなわち、罪責感、負い目、不信感となり、さらには、感情の封じ込めといった反応を示す。 彼女たちの体験を、「心的外傷」の定義に照合してみると、その様相から、明らかに「心的外傷」の定義の範疇に該当するのである。「心的外傷」は、個人の対処能力を超えるような大きな打撃を受けたときにできる傷4)である。 DMS-5精神疾患の分類と診断の手引き(2014)では、外傷後ストレス障害(PTSD)として、侵入症状、回避症状、覚醒症状、認知と気分の陰性の変化などがある。 さらに、彼女たちの体験は、養育過程からもわかるように、災害のように、一回限りのものではなく、養育過程で何度も繰り返されている。しかも、彼女たちは、その体験の積み重ねによって、意識や態度を重症化させている。このような体験について、Herman5)は、一回限りのものと繰り返される衝撃体験を区別し、繰り返されるものに、「複雑性外傷後ストレス障害」という新しい概念を示し、診断基準を提示している。その症状として、感情制御変化、意識の変化、自己感覚変化、加害者への意識変化、他者との関係の変化、意識体系の変化があることをあげている。さらに、長期反復性外傷の生存者の症状像は、はるかに複雑であり、特徴的な人格変化を示し、そこには自己同一性および対人関係の歪みも含まれる、と指摘し、一回限りの「外傷体験」と区別し、「複雑性外傷後ストレス障害」という新しい概念を提示している。トラウマ体験には、PTSD症状以外にも、「感情の変化」や「対人関係の変化」などがある6)。 心理的反応の歪みは、心の安定の基盤をなす「安全感」、「安心感」、「信頼感」が破壊され、自我が著しく脅かされ、精神的なコントロール感を喪失させた状態に陥っていることを意味するものである。彼女たちが、子の養育過程で何度も「外傷体験」を繰り返していることや、そこから生じた「感情の変化」や「対人関係の変化」から、母親たちの「不適応状態」は、明らかに「複雑性外傷後ストレス障害」に起因するものであると理解できる。 (以降はPDFを参照ください)
教育講演2
  • 高塩 純一
    2020 年 45 巻 1 号 p. 25-31
    発行日: 2020年
    公開日: 2022/08/03
    ジャーナル フリー
    Ⅰ.はじめに このたびは、このような機会をいただきましたこと心から感謝しております。私が、重症心身障害児に対する理学療法を教えていただいたのは旭川児童院元副院長の今川忠男先生です。 先生からはハンドリングを含め、多くのことを教わりました。写真1は2007年のヨーロッパのグローニンゲンであったEuropean Academy of Childhood Disability(以下、EACD)の学会でご一緒に行ったときのものです。グローニンゲンまでの列車の中で、なぜ日本の小児リハビリテーションはパラダイムシフトが起こらないのかを熱く語ったことを今でも覚えています。もう一人の恩師は、9月5日に他界された赤ちゃん学会理事長であった小西行郎先生です。小西先生からはGeneral Movements(GMs)の話をはじめ、分野を超えて学ぶことの大切さを教えていただきました。 私はただの臨床家でありエビデンスに基づくような話はできませんのでご了承ください。 では、私がどのような立ち位置でセラピーを行っているのか知っていただくため、私が小学5年生のときに入院していた経験をお話しさせていただきます。 当時、私は右大腿部に痛みがあり3か月間検査入院をしました。入院中はベッドから体を起こすこともできなかったため、私の目の前には天井のパンチングボードの穴。窓からは、いつも東京タワーが見えていました。このとき、私が思っていたことは、このライトアップされた東京タワーは、きっと朝になってもそこにあるのだろうというものでした。入院していた3か月は、まるで時間が止まり、色のない世界であったと記憶しています。これは、第一びわこ学園前園長の高谷清が書かれていた「時刻と時間」を思い出すものでありました。これは、重症心身障害により寝たきりの生活を余儀なくされている子どもにとって時を刻む時計があっても、動かないことによって時間の流れを感じることができないということであります。また、差し込み便器の冷たさ、足を牽引しており、身体を起こすことができないため、絶対にたどり着くことができない廊下。 目を閉じるとぐるぐる回るベッド。鳴り止まない秒針の音。 そこで感じていた世界の空虚感。 小学生のときの自分は、どこか他の人と違うんだな、という異質な感じを持っていました。 私が重症心身障害児(者)のことを知ったのは、東京衛生学園に入学してからでした。当時、東京医科歯科大学の理学療法診療科に丁稚奉公で働かせていただいていたとき、本棚にあった一冊の本が目に止まりました。それが糸賀一雄先生「福祉の思想」であったことは何か運命的なものを感じています。 Ⅱ.人生の岐路で励ましてくれた二人の少女 私が、今の職場に勤め続けられたのも二人の少女との出会いがあったからです。 一人は学生時代に出会った、当時中学2年生の幸子さんです。彼女は白血病に罹っており余命半年といわれていました。彼女が初めて言ったことは、「私はあと半年の命なのに、何をするの?」という言葉でありました。そのような言葉を言われて何も言えなかった当時の自分、毎日消灯まで一緒に遊んだ小児科病棟…。彼女から言われた言葉の一言一言が今でも耳の奥に残っております。今の私にできることがあるとすれば、彼女のことを決して忘れないこと…。 もう一人のお子さんが京大時代に受け持っていた洋香ちゃんです。彼女がいなければ重心の世界に行かなかったと思います。彼女は小さいときから何度も脳腫瘍により手術を受けていました。そのような境遇にもかかわらず他の人たちを気遣う心優しい子でした。彼女が手術後髄膜炎の後遺症により植物状態になったとき、止まらなかった涙とともに、私は何のためにこの仕事をしようと思ったのか、学生時代からどんなセラピストになりたかったのか。 今の私は当時描いていたセラピストになれているのかな…。 Ⅲ.びわこ学園/糸賀一雄/「福祉の思想」 NHKスペシャルのラストメッセージの動画の中で、びわこ学園の創設者である糸賀一雄先生の肉声を聞くことができます。 ビデオの冒頭で糸賀は「本当はこの子も立派に自前で生きているんですよということ。それを私たちは、実は認め合い、それを磨き合って、ということなんです。光ってますよ、この子は、もともと光そのものですよ。ということなんです」 昭和20年敗戦の混乱の中で家族を失い、生きる希望を亡くした子どもたちが街にあふれていました。終戦当時、滋賀県で食糧課長を務めていた糸賀一雄は、こうした子どもたちの状況を目の当たりにしていました。「浮浪児の問題なんていうのをね。国を挙げて『浮浪児狩り』という言葉を使っていましたね。『狩』というのは狩猟の『狩』という字を書くんですよ。これは大変な言葉ですね。考えてみますと大人の責任ですよね、これは。着の身着のままで放り出されたということはね。一つもこの子どもたちの責任じゃないんですよね」 こういう時代があったことを私たちは覚えておかなければいけないと思います。そして、重い障害のある子どもたちに関わる私たちはその根幹に哲学を持たなければならないと思います。 Ⅳ.糸賀思想における発達保障 びわこ学園の創設者の糸賀一雄は、重症児の発達保障のために、「縦軸の発達」に対して、「横への広がり」という考え方を療育の世界に持ち込んだ。 「縦軸の発達」というのは年齢に応じて能力がレベルアップしていく。それに対して「横への広がり」とはいまある能力のままでできることを増やしていく発達だ。 障害によって「縦軸の発達」が難しい子どもであっても「横への広がり」によって、世界は豊かに広がるという。 たとえば自閉症の子どもは同じような絵を描き続けたり、同じような曲を歌い続けたり、同じような文章を書き続けたり、でも、それはその子にとって決して同じことの繰り返しではない。私たち大人が進歩のない繰り返しだと勝手に思い込んでいるだけかもしれない。 それは、健常児の世界であっても、実は同じかもしれない。大人はより早く、より多く、より複雑にと、子どもたちに縦軸の発達を強いるが、本当はいまある能力のままでもっとゆっくりと横軸の広がりを楽しみたいと、子ども自身は思っているかもしれない。 糸賀は障害のある子どもたちと共に暮らす(ミットレーベン)の中でこのような考えにたどり着いたと晩年、鳥取県にある偕成学園での講演の中で述べていた。 よって「この子らを世の光に」というのは、障害のある子どもを救済するための言葉ではなく、糸賀が子どもたちから光をもらったと思えた実体験から生まれた言葉なのである。 這えば立て、立てば歩めではないけれども、正常運動発達をトレースしていくように伸びていくわけではない。縦軸への発達だけではなく、横への広がり、その豊かさも見ていくことが大事なのでは、ないだろうか。 Ⅴ.第一びわこ学園への想い 深夜に入る前に、「ちょっと寝かせて」と受け持っている担当の子の横で一緒に仮眠を取っていた細井ナース。 私は「聴診器より画板とクレヨンを持って仕事をしたい」と言っていた田中ナース。 石川信子先生は 「高塩さん、びわこ学園に何年勤めるの?」と尋ねてくれました。 「私はずっと勤めようと思うんです」と答えると、すると石川先生は笑って「3年務めないとわかんないわよ」と言われました。 夕暮れ時の縁側に腰掛けて園生と食べた柿。こうやって座位訓練をしていた時代があったんですよ。今だったら許されないと思いますが、そんなことをやっていました。 糸賀の言うミットレーベン「共に生きる、共に暮らす」を考えるためには利用者の生活世界をもう一度見てみる必要があるのではないかなと思います。 Ⅵ.“私たちの世界は豊かさに満ちている” 受動的綜合と能動的綜合 私の勤務している重症心身障害児(者)施設びわこ学園医療福祉センター草津の周囲には、もみじの樹がたくさん植えてあります。昨年、永源寺にもみじを見に行った際、初めてもみじの種を知りました。双葉のような葉の中心に種が2つあります。 5月中頃からもみじの葉の一部が赤くなっているのを見たことがある皆さんもいると思います。その赤くなったところにもみじの種があります。60年間、もみじの樹は見てきたはずなのに紅葉に種があることすら知りませんでした。この自我の関与しない無意識的局面をフッサール現象学では、受動的綜合と呼び、これはもみじの種は春から初夏にかけて毎年色づいていることを私は無意識的に見ていたことを意味します。しかし、もみじの種を知り、春なのになぜ、もみじが赤くなっているのだろうと疑問を持ったことで、紅葉を積極的に見ようとした結果、紅葉の種を見つけることができたという能動的綜合が生まれました。私たちが知覚する前には常に環境が発する情報を無意識的に受け止める受動的綜合があります1)。 (以降はPDFを参照ください)
教育講演3
  • −特注カニューレの活用、事故抜去への対応など−
    北住 映二
    2020 年 45 巻 1 号 p. 33-40
    発行日: 2020年
    公開日: 2022/08/03
    ジャーナル フリー
    Ⅰ.はじめに 気管切開を受けている重症心身障害児(者)(以下、重症児(者))は増加しており、文部科学省調査によれば、平成29年5月の時点での学校在籍児のうち全国で2904名が気管切開を受けている。 多様な状態に応じての実際に即したケアとリスク管理が必要である。気管切開のケアの実際的諸問題として、①適切な気管カニューレの選択、②事故抜去の防止(カニューレ固定法の工夫)と事故抜去時の対応、③合理的で適切な吸引、④痰の粘稠化防止・加湿、⑤呼吸状態悪化時の対応(バギングなど)、⑥誤嚥軽減のためのスピーチバルブの適切な活用、⑦カニューレフリーの場合のリスク管理などがある。このうちの、①と②について実際例を紹介しながら述べる。 Ⅱ.適切な気管カニューレの選択と特注カニューレの活用 重症児(者)では、気管の変形・扁平化・狭窄や、気管軟化症への対応、気管腕頭動脈瘻発生・肉芽発生のリスクへの対応などを考慮し、表1のポイントを考慮した適切な気管カニューレ(以下、カニューレ)の選択がきわめて重要である。 特に、変形が強いなどリスクが高いと想定される場合には、事前の単純X線検査とCT(単純CTで可)での評価のもとでの選択が必要である。すでにカニューレが挿入されている場合でも、初期や必要に応じて、その適合性や問題点確認のためにもこの評価が重要である。 カニューレ挿入下で、気管壁からの出血、気管内肉芽、気道狭窄症状、呼吸状態の不良、姿勢変化による呼吸状態の悪化、迷走神経反射、カニューレの拍動などがある場合には、胸部単純X線撮影(気管の左右への弯曲の度合い、弯曲した気管とカニューレ先端の関係)、内視鏡(気管の変形・扁平化・軟化症の有無と程度、気管内肉芽・糜爛・出血、カニューレ先端と気管壁の当たり方、気管前壁の動脈性拍動部位とカニューレ先端との位置関係)、CT検査(気管狭窄・扁平、狭窄部位とカニューレの位置関係、再合成矢状断面像での気管走行とカニューレの走行の一致度、腕頭動脈の走行・腕頭動脈とカニューレとの位置関係-単純CTでもかなり確認可)により、カニューレの適合性を再評価し、適切なカニューレへの変更を検討する(図1)。 市販されるカニューレの種類は多くなり、選択肢は広がっている。付表1と2に、重症児(者)で使用される主なカニューレにつき、角度などの特性をまとめた。螺線入りで固定長さ調整可能なカニューレは気管変形には適合するが体外部分が長くなると事故抜去のリスクが高くなるので注意が必要である。 既製品での対応が困難な場合には特注カニューレの活用がきわめて有用である。コーケンシリコンカニューレは、長さ・フランジの回転可動性の特注が可能であり、メラ・ソフィット(フレックス)シリーズは、長さ・カーブ角度・カフ位置・フランジとパイプの取付け角度の特注が可能である。以下、症例を紹介する。 <症例1(脳性麻痺)>(図2) 他院で喉頭気管分離手術を受け、ポルテックス気管カニューレが挿入されていた。分泌物が多く、SpO2の低下がしばしばあり、左側臥位ではさらに悪化した。単純CTの二次元再合成矢状断面像で、図2のように気管孔~気管の走行とカニューレの不適合が認められた。検討用の透明テンプレートをCT画像画面にかぶせて検討し、コーケンシリコンP型カニューレの角度の緩い方のタイプが適合性が良いと判断し、このカニューレに変更した。これにより、問題点は改善した。 この透明テンプレートは、他社のカニューレの使用を検討する場合にも有用である。 <症例2(福山型先天性筋ジストロフィー)>(図3) A病院で気管切開。その50日後に受診。夜間は人工呼吸器使用。日中は自発呼吸で過ごせていた。内径7mm、パイプ部分の長さ62mmのカニューレが挿入されていた。当センター外来での内視鏡検査で、カニューレ先端の前壁への当たりがあり、かつ、前壁に拍動性の突出があり、その部位へのカニューレ先端が当たっている状態が確認され、同日の単純CTでも、腕頭動脈が気管壁を圧排している状態が確認され、気管腕頭動脈瘻発生のリスクが高いと判断された。そのリスクを回避するため、カニューレ先端と腕頭動脈部の間隔を空けるように、とりあえずYガーゼを厚くすることとし、在宅管理の担当となったB診療所へ、カニューレを角度がもう少し緩いものにするのが望ましいことを、伝えた。 B診療所で、カニューレはメラソフィットフレックスで、長さを短くするため内径6mmのカニューレ(長さ55mm)に変更された。しかし、カニューレが細くなったため(断面積は約73%に減)、自発呼吸で過ごすことが困難となり、日中も人工呼吸器が必要となった。 対策として、当センターで他の患者さん用に特注で作成していた内径7mmのメラソフィットフレックスで長さ55mmのカニューレ(標準品は長さ65mm)を、この患者さんに挿入した。この変更により、カニューレ内径が太くなり気道抵抗が減じたため、再び、日中は自発呼吸のみで過ごせるようになり、また、前壁への先端の当たりは軽減し、拍動性の突出の部分とカニューレ先端との距離が空いている状態を保つことができた。以後2年間、この状態を維持できている。 <症例3(脳性麻痺)>(図4) 気管前壁にカニューレ先端が当たり肉芽も発生していた。短く、角度が緩い特注カニューレにして改善した。 脊柱側彎がある場合に、気管が変形し、右が左に弯曲する例が多い。この場合には、図5のような問題が生じやすい。 <症例4(脳性麻痺)>(図6) このようなケースでは、カニューレのパイプ部分を首振りさせて固定翼に取付けた特注カニューレが、有用である。 なお、カニューレによるトラブルの回避のためにはカニューレフリーが望ましいが、気管孔・気管の狭窄による窒息のリスクもあり、慎重な対応が必要である。 Ⅲ.気管カニューレの事故抜去の予防のための固定法の工夫と、事故抜去時の対応 カニューレの事故抜去(計画外抜去)への対策は、自宅や入所施設だけでなく学校や通所においてもきわめて重要な課題である。 1.事故抜去の原因と固定の工夫 事故抜去の原因は、①自分で抜いてしまう(自己抜去)、②人工鼻を外すときに(本人、介助者)一緒に抜ける、③着替えなどのときに引っかかって抜ける、④バンド(テープ)の固定が緩かったために抜ける(くしゃみ、咳に伴って抜ける)、⑤頸が後に反ったときに抜ける(緊張や、泣いたとき)、⑥頸の向きが変わったときに抜ける、⑦接続している人工呼吸器の回路により引っ張られて抜ける、⑧介助者が子どもの頸の後に腕を回して介助しているときに、介助者の腕が左右に動く、または、本人が左右に頸を回すことによって、固定バンドが左右に動いて、カニューレが左右に引かれて(ズレて)抜ける、などである。 頸バンドによる2点固定で固定が不充分な場合には4点固定(腋窩を通してのバンドも併用しての4点固定、紐とテープ(またはゴム入り紐)での下方向への固定を併用しての4点固定が必要である。左右への変形が強い場合には3点固定とする。緊張などによる姿勢の変化(反り返りやねじれ)に対応するため、伸縮性のあるゴム紐の利用が有用である。前述⑧の原因での事故抜去が想定される子どもで、通常のバンドでの固定に加えて、バンドの左右端に付けたゴム紐をカニューレ接続部の反対側に回して補強している例もある。 カニューレのバンドによる直接の固定に追加して、さらに上から、台所の流し台用のゴミキャッチを利用した穴あきの固定具を考案し間接的な固定を追加する方法の有用性が、重症心身障害児者施設『鈴が峰』(広島県)の橋本らにより報告されている(2017年全国重症心身障害療育学会、図7)。 同様の発想での固定器具の製品(メラ「ささえフランジ固定板」泉工医科)が2018年秋に発売され、事故抜去が生じやすいケースで有用である。 2.気管カニューレ事故抜去時の対応 カニューレの事故抜去に備えての確認準備事項、事故抜去時の対応について、ポイントを図8にまとめた。事故抜去により生ずるリスクや、緊急対応の必要性、その難易度は、個人差が非常に大きい。個々のケースに応じた、柔軟かつ慎重な判断と対応が必要である。 学校や通所などでのカニューレの事故抜去の際の、看護師によるカニューレ再挿入が禁止されていた自治体もあった。これについて、「看護師または准看護師が臨時応急の手当として気管カニューレを再挿入する行為」は是認されるとの見解が2018年3月に厚労省から示されている(表2)。 本人が慣れている環境での、慣れた医師や保護者によるカニューレの定期交換ではスムーズにカニューレが挿入できていても、事故抜去の際には本人もスタッフも不慣れな状況では困難な場合もある。保護者が「簡単に入れられます」と言っても、保護者が自覚していないコツがあり、応急的な再挿入が困難な場合もある。担当看護師による事前の本人への挿入研修(保護者と、主治医か指導医などの立ち会いのもとでの)、挿入しやすいカニューレ(1サイズ細いカニューレ、カフなしカニューレなど)とゼリーの用意など、充分な準備が必要である。 (以降はPDFを参照ください)
シンポジウム1:大地震・大雨など大災害時の支援のあり方
  • 東 美希
    2020 年 45 巻 1 号 p. 41-42
    発行日: 2020年
    公開日: 2022/08/03
    ジャーナル フリー
    Ⅰ.はじめに 平成28年熊本地震(以下、熊本地震)は、観測史上初めて、同一地域において28時間の間に、最大震度7の地震が二度発生し、熊本市や上益城地域、阿蘇地域を中心に多数の家屋倒壊や土砂災害など、甚大な被害をもたらした(図1)。この地震で、本県の総合周産期母子医療センターである熊本市民病院も深刻なダメージを受け、NICU(新生児集中治療室)やGCU(新生児回復期治療室)、小児病棟の入院患児らは、緊急避難および転院を余儀なくされた。 Ⅱ.熊本地震時の対応              このような中、県は、県内の小児周産期医療の関係者と情報交換や連携をしながら、NICU病床等の調整や、主要医療機関による小児周産期医療提供の補完等、医療提供体制の再構築を行った。幸いなことに、平成27年度に本県の独自の取組みとして、小児在宅医療を提供している医療機関や事業所を対象に、災害時における非常用発電機を整備する補助事業を実施していたことから、熊本地震の停電の際に整備機器が有効に活用され、在宅医療児が安全に避難生活を送ることができた。  Ⅲ.熊本地震後の対応 国は、平成28年12月に、東日本大震災の経験を踏まえ、災害医療コーディネーターと連携して小児周産期医療に関する情報収集や関係機関との調整等を担う「災害時小児周産期リエゾン」の養成を開始した。本県においても、熊本地震の経験を踏まえ、災害時の小児周産期医療の提供体制の強化を図るため、2023年度(令和5年度)までに産科医および小児科医を合計12名養成する方針を定めた(平成31年3月末までに8名養成)(図2・3)。 さらに、この4月には熊本大学と連携のもと、九州各県の小児周産期リエゾンおよび行政職員の顔合わせを行い、九州ブロックでの連携強化を図ったところである。 また、昨年9月に発生した北海道胆振東部地震における大規模停電の実態を受け、特に停電の影響が大きい人工呼吸器を使用する在宅療養児の災害対応を再確認するために、県内の主要な小児在宅医療関係者を招集し、災害時における小児在宅医療提供体制に関する意見交換を実施した。 今後の課題として、ライフラインが寸断するなどの大規模地震が発生した場合に、発災後3日間を乗り切るための平常時からの準備、自助・互助の意識の醸成や地域のつながりの強化、医療的ケア児等の全数把握と具体的な災害時対応の検討が挙げられ、平時からの訓練や災害時の活動を通じて、地域のネットワークを災害時に有効に活用する仕組みの検討を行っているところである。
  • 岩﨑 智枝子
    2020 年 45 巻 1 号 p. 43-45
    発行日: 2020年
    公開日: 2022/08/03
    ジャーナル フリー
    Ⅰ.はじめに 集中豪雨や台風など、今までに経験したことのないような甚大な被害の災害が多発する昨今、災害の中でも地震は何の前触れもなく突然襲ってくる。素早く非難することのできない重症心身障害児(者)(以下、重症児(者))およびその家族にとって、死をも覚悟する恐ろしい一瞬である。 平成28年4月14日午後9時半に、前震と言われた震度7の強震に続き、翌16日午前1時半には、本震とされる震度7以上の激震に見舞われた。熊本県にこんな大きな地震が襲来するとは誰も予想していなかった。我が家の次男は、生後4か月半で化膿性髄膜炎を患いその後遺症で水頭症も併発し、重症児(者)としての人生を余儀なくされたが、多くの方々に支えられ充実した人生を全うし、地震発生の2か月前に内因性心臓死との診断で、33歳で他界した。四十九日の法要を無事終え2週間後の大地震だった。 今回は「たんぽぽの会」の会員の避難状況等について、地震後に実施したアンケート調査(33名から被災したとの回答)を元に述べる。 「たんぽぽの会」は、全国重症心身障害児(者)を守る会 熊本県支部在宅部の位置づけで、重度の知的障害と重度の肢体不自由を併せ持った在宅で暮らす重い障害の子どもたちの幸せを願って活動する親の会である。平成2年に発足し、会員は県内各地に点在し災害当時55名在籍をしていた。4歳から42歳までの重症児(者)家族で、半数は医療的ケアを必要としている。 1.熊本地震発生直後 <会員の声> ア.障害の子は、咄嗟に自力で避難することができないので、車中に連れ出すのが大変だった。 イ.身動きできず、子どもを安全に守るので精一杯だった。 ウ.主人と二人で子どものベッドの上に覆いかぶさった。 エ.食器が子どもの近くに飛んで来て危機一髪だった。まずは命を守ることが最優先ということが身に染みた。 2.避難状況について 本震は真夜中であり、車中に逃げ込み一夜を明かし、その後、実家や親戚を頼ったり、施設や支援学校に避難したり、そのまま車中で数日過ごすなど、状況に応じて行動している。 1)避難入院……(9名) 施設・病院で必ず1人付き添うことが条件。小さい兄弟児のいるご家庭や他に介護の必要な方がいるご家庭は、避難入院をしたくてもできなかった。 ア.子どもがパニック状態になり、医療的ケアの必要な介護は無理と判断し、避難入院をお願いした。受け入れ病院が増えることを願う。 イ.呼吸器があるので、くまもと江津湖療育医療センターに受け入れてもらわなければ、行くところがなかった。安心して避難できる病院や施設の確保が大事だと心底思った。 ウ.息子は人工呼吸器を使用しているので、停電の後自家用車で災害避難の登録をしている病院に直行した。 2)車中泊……(1週間以内10名、1週間以上2週間以内5名)・自宅の駐車場や一次避難所の駐車場。 ア.夜なかなか寝なかったり、ワーワー声を出したりと周りの方への迷惑が気になり、近くの避難所には行けなかった。(複数同意見) イ.一般的な避難所は最初から無理と思っていたので、行かなかった。 3)特別支援学校……(5名)家族全員の受け入れ可能。 ア.避難する場所は、娘(障害児)ときょうだい児のことを考えて、学校しかないと思った。 4)自宅……(5名) ア.水とガスは止まったが、電気はあったので自宅で過ごせた。 イ.建物に損壊がなかったので、自宅で待機。直ぐに逃げられるよう、1階のリビングで皆で過ごしていた。 ウ.今回は家に大きな被害がなかったこと、停電しても直ぐに復旧したこと、食料がある程度あったので、家にいることができた。 5)一般避難所……(2名) ア.避難所ではおにぎりやアルファー米なので、おかゆやペースト食なども必要と思った。 イ.行政は何もしてくれなかった。自分の子どもは自分で守らなければと強く感じた。11日間、体育用マットの上で過ごした。その後福祉避難所に移り17日間過ごした。 福祉避難所……一次避難所等を保健師等が巡回し、避難者の心身の状態などを確認した上で、受け入れ施設と調整を行う→重症児(者)は最初から福祉避難所でなければ難しい。 3.地震発生から、その後の生活 1)ライフラインの停止 停電は数時間で復旧したところが多かったが、断水の復旧には1・2週間かかった。 ア.停電がなかったので、避難所には行かなかったが、断水が困った。気管切開をしていて、清潔に保てるか心配だった。 イ.水道・ガスの復旧には2週間くらいかかった。我が子はミキサー食。水が出ないと食事の準備や入浴ができない。 ウ.断水が続いたため、なかなかお風呂に入れてやることができず、清潔面を保つことの難しさを感じた。 2)支援物資 県支部からの要請に対し、全国重症心身障害児(者)を守る会、重症児施設協会からの迅速な対応。 また、重症児施設勤務の医師(松葉佐先生)が「日本小児学会重症心身障害児(者)在宅委員会」にネットで依頼。受け入れ先として、久留米大学に協力依頼。全国から集まった物資を松葉佐医師がトラックに同乗して、くまもと江津湖療育医療センターに運んだとのこと。施設の外来ロビーは支援物資で山となった。在宅会員は大いに助かった。 3)人的支援 大地震発生から数日で他県から小児科医師や看護師等が応援で熊本入りし、直ぐに会議を開いて状況把握や必要な動きの確認を行い動かれた。大変有難く心強さを感じた。また、重症児施設勤務の医師(松葉佐先生)にも支援に加わっていただき、医療的ケアの必要な子どもたちの避難先に出向かれたり精力的に動いてくださった。周産期医療に力を入れている「熊本市民病院」が被災し、受け入れ不可になったことで、重い障害の我が子の体調管理に不安を感じていたご家族にとって、先生が出向いてくださったことは大きな安心感を得られたようだ。 4.守る会の動き 全国重症心身障害児(者)を守る会本部では、各県支部に義援金を呼びかけた。それに応える形で、熊本県重症心身障害児(者)を守る会では、全会員(401名)の家庭に被害状況調査を郵送した。結果145名が家屋の全壊や一部損壊などの被災との回答を得た。後日、各県支部から寄せられた義援金は被害状況に応じて本部から各家庭に振り込まれた。 在宅部たんぽぽの会では、地震発生3日後に“身体拭き”と“おしり拭き”を購入し1セットにして、各在宅家庭に配布した。    Ⅱ.熊本地震に遭遇して痛感したこと ア.発電機は音も煩く手入れも大変そうだったので、車で使うインバーターを買おうと思った。 イ.日頃から安心して避難できる病院や施設の確保が大事であると思った。  ウ.避難できる場所が確定していれば、そこへ避難できる。各地域の指定された避難所は体育館が多く、硬い床は障害児には困難、安心安全に避難できる場所が欲しい。 エ.福祉避難所で安全に過ごせる素早いネットワークが欲しいと強く感じた。 オ.日頃から地域の方とつながりを持ち、お互いに気遣い合える関係を築くことが大事だと思った。 Ⅲ.まとめ 災害が大型化している昨今、自分(重症児(者)共々)の身は自分で守るの意識を持ち、家庭における災害時への備えとして①ベッドや寝室の近くには落下や倒れてくる危険な物を置かない。②家具の転倒防止。③落下物対策やガラス飛散防止。また、被災後の生活の確保として①食料や水などの非常用持出品のリストの作成そして準備、②電源の確保、③避難先(できれば2~3か所)の確保、医薬品・吸引機などの医療器具・自家発電機の備えが大事である。そして、何より日頃から地域住民とのコミュニケーションが大事であることが会員の体験から明らかとなった。
  • −入所・日中活動の現場から−
    土屋 さおり
    2020 年 45 巻 1 号 p. 47-49
    発行日: 2020年
    公開日: 2022/08/03
    ジャーナル フリー
    Ⅰ.概要 くまもと江津湖療育医療センターは熊本市東区にある医療型障害児入所施設・療養介護事業所であり、入所以外に短期入所事業・日中一時支援事業を実施し、日中活動の事業として生活介護事業所、多機能事業所、児童発達支援事業所等がある。構造は4棟の建物が1階の渡り廊下でつながり、2棟は鉄筋コンクリート造、1棟は木造、1棟は鉄骨造である。入所病棟はすべて建物の1階、日中活動の事業所は2階にあり、立地環境は近隣に山はなく平地で、大きな河川が約1kmのところにあり、河川工事にて水害のリスクは下がったと判断されているが、最新ハザードマップ(2019.7)では0.5~1mの水害が想定される地域にある。 Ⅱ.熊本地震の対応 平成28年4月14日の前震では、センター所在地で震度6弱を記録し、自動参集基準に基づいて26名の職員が集まり、建物の安全性の確認や非常食の確認を行い、翌日の対応準備を行った。 4月15日、職員は後片付けにあたり、日中活動事業所は土曜休業日であったため、利用者の安否確認を行った。 4月16日の本震では、センター所在地で震度6強を記録した。3時間の停電があり、医療機器はバッテリー・自家発電で対応した。2階のスプリンクラー配管が破損したため、利用者の移動を行い、断水と給排水管破損のため水の使用制限を開始した。各建物をつなぐ渡り廊下の地盤沈下による通行制限を実施。短期入所・日中活動事業所は休業とし、その後、5月8日まで延長した。 給食は発災11日目の4月26日まで非常食対応とし、手作りおかずを1品つけて提供した。 発災17日目の5月2日、予定より早く日中活動事業所を再開した。 1.入所病棟の対応 入所病棟では、発災時入所者102名のうち、超重症児15名、準超重症児21名、人工呼吸器使用18名であった。利用者はスプリンクラー配管破損による病棟移動や、廊下つなぎ目の段差による移動制限から、狭い環境で過ごすことになり、もとの病棟・居室に戻ったのは発災7日目であった。明らかになった課題として、1)給排水管破損による水の使用制限期間が長期化したことで、利用者の保清や排泄に影響があったこと、2)非常食対応になったことで、嚥下困難のある利用者は栄養剤の注入等へ変更せざるを得なかったこと、3)食器が利用者に合わず、異食やケガの原因につながる可能性があったこと、および、4)利用者のストレスに対する対応として、睡眠環境の設定や活動の見直しが必要であったことが挙げられた。 2.外来・入院・短期入所 外来診療は受診予定者に受診の必要性を確認し対応した。入院は自宅被災の2名の受け入れを行い、短期入所は利用中の方で、自宅被災による受け入れ延長を希望された1名以外は、4月15日~5月8日の24日間受け入れ停止とした。 3.福祉避難 前震後の入院2名以外に震源地に近い場所に居住の利用者、自宅の被災で電源確保が難しい人工呼吸器使用者を、自主避難として優先的に5名受け入れた。それ以外は福祉避難での受け入れや同法人施設での受け入れを依頼した。見えた課題として、1)福祉避難所として実際の避難を想定したマニュアルがなかったことと、2)今回は入所ベッドの空き、短期入所受け入れ停止に伴う空きベッドを利用したが、どこまでできるのか?等がうかび上がった。今後検討していく必要がある。 4.生活介護・多機能事業・児童発達支援各事業所の対応 生活介護事業所・多機能事業所・児童発達支援事業所は4月14日~5月1日まで休園した。重症心身障害を対象とする多機能事業所では、人工呼吸器使用者は医療機関へ避難、生活介護事業所と児童発達支援事業所では、利用者から避難所生活が困難との相談があり、4月19日から臨時受け入れを再開した。 5.職員の状況 本震後の職員個別聞き取りでは、発災5~7日目でも半数以上の職員が自宅や実家以外の場所から通勤し、交通渋滞等により心身の疲労が蓄積していた。また保育園・学校が休校になったことで子どもを見る人がいない等が問題になった。そこで宿泊場所の開放・食事の確保・子どもの預かり・駐車場の開放(車中泊希望)などを実施した。 Ⅲ.熊本地震後の対応 1.アクションカードの作成 作成にあたっては『継続教育』のマネジメントグループメンバーと事務長、防災対策リーダーが集まり、検討を重ねて作成した。 2.防災マニュアルの改訂 自動参集基準の震度の見直しや防災対策本部の立ち上げなど、詳細なマニュアルの改訂を実施した。 3.夜勤者の意識向上 日本看護協会の災害看護研修への参加を推進した。 4.被害想定基準の作成 ライフラインの復旧状況が毎日変化する中で、利用者の日常生活を守るために何を基準に判断するのかを明確にするための基準を作成した。 5.広域災害救急医療情報システム(EMIS)登録・活用 広域災害救急医療情報システム(EMIS)へ登録するとともに、活用することでDMATの派遣やドクターヘリの利用など、より利用者が安心して生活できるシステム導入を行った。 Ⅳ.地震以外の災害対応(水害) 平成30年の西日本豪雨被害などをきっかけに気象庁は避難基準を見直した。そこで当センターも避難基準の見直しを行い、マニュアルを改訂。当センター周囲の地域特性を考慮して、水害時は上層階への避難とした。また、水害対策として「簡易吸水土のう」を購入し、浸水しやすい場所や電源部への漏電対策として準備した。 Ⅴ.今後の大災害時利用者支援 熊本地震を経験して、今後の大災害時の利用者支援として以下を挙げたい。 1.地震・火災と水害を区別した防災訓練を通じて、防災マニュアルの定期的な見直しを行い、同時に問題点の修正や検討を継続的に行う。当センターは検討を行う場の1つとして『継続教育』で役割を担う職員を育成し、災害看護の教育を受けた職員を増やし、管理部門の職員が同時に検討する方法を実施している。 2.日中活動の場として在宅重症児(者)の安否確認と避難生活を支えるための支援が必要。大災害で事業の継続が難しい状況であっても、困難をきわめる避難生活をどう支えていけるのか、安否確認などを通して聞き取り、寄りそった支援ができる方法を考えていくことが求められる。 3.利用者の生活を守るために職員の心身の健康を守ることも重要である。大災害時は職員も被災者であることを忘れず、職員への聞き取り調査を行いながら、一人ひとりの状況に寄り添いながら対応することが重要である。 4.利用者の震災ストレスを考慮した支援を早期から実施することが望まれる。睡眠時間の調査研究から、いつでもどこでも休める環境を作ること、支援者中心の環境(情報収集のための報道番組視聴・手が届きやすい場所での集団生活)にならない等の配慮が必要である。 Ⅵ.おわりに 今回、熊本地震の経験を振り返り、当センターにおける、その後の対応までを報告した。この報告が重症心身障害児(者)の生活を守るために、減災の取り組みとして活かされると幸甚である。
  • 堀野 宏樹, 井上 美智子, 丸田 貴久, 上村 喜明
    2020 年 45 巻 1 号 p. 51-54
    発行日: 2020年
    公開日: 2022/08/03
    ジャーナル フリー
    Ⅰ.平成30年7月の西日本豪雨災害に学ぶ −重症心身障がい児者の生命を守り抜くために− 「平成で最悪の豪雨災害」と言われる平成30年7月豪雨は、歴史的に災害が少ないと言われていた岡山県においても甚大な水害・土砂災害をもたらした。倉敷市真備町の約3割が浸水し、豪雨後も多くの人が水没した家屋に取り残され、死者は50人を超えた。しかし豪雨災害は倉敷市真備町のみならず、岡山市、総社市、高梁市、新見市等、岡山県全域に被害が及び、死者は県全体で60名を超え、多くの住宅の全壊、半壊の他、断水、停電を含め様々な浸水被害が生じた。 旭川児童院のある地域も危機的状況に遭遇した。西日本豪雨時には施設傍を流れる一級河川「旭川」は越水・決壊寸前(図1)までいき、ダムの緊急放流次第で旭川荘周辺は倉敷市真備町と同じ状態になっていたと推察される。旭川荘では入所利用者は2階以上へ避難、一般避難所は近隣住民220人が一時避難、障がい者用の福祉避難所に2家族、高齢者用福祉避難所も9名を受け入れた。岡山県全体では、被災地域の重症心身障がい児・者の方々を、旭川児童院で3名(一般入院2 名とショートステイ1 名)と南岡山医療センターで5名受け入れた。また、児童院通園センター利用者のうち3名もショートステイとして一時避難利用した。両機関で受け入れた避難者は医療的ケアが必要な方が多く、人工呼吸器、胃瘻栄養、気管切開、膀胱瘻が中心であった。特に南岡山医療センター利用者は真備町およびその周辺在住で、自宅全壊の方が半数以上であったことから、短期入所利用はもとより、最長8か月という長期入所に切り替えざるを得ない状況で、南岡山と旭川荘を交互に併用利用のケースもあった。また、上記の中の人工呼吸器を装着した児童の一人は早期に自宅から災害拠点病院に避難したが、受け入れが困難とされたため、避難先に困窮した。その後、災害拠点病院の地域連携室を経由し南岡山医療センターでの対応に至った。このことから、医療的ケア、特に電源を必要とする機器を使用する重症心身障がい児・者の災害における一時避難先確保は喫緊の課題であることが浮き彫りとなった。 この他、今回の豪雨災害を受けて、次の課題が明らかとなった。まずは、浸水時においては電気の供給(非常用発電機の燃料供給も含めて)が停止し、空調コントロール、呼吸器管理、在宅障がい児者情報の管理(医療的ケア児のデータは必須)等の機能低下が生じる。このことは、重症心身障がい児・者の生命に関わる非常に大きな課題である。また、在宅対象者への緊急時避難方法についてのシミュレーションを含めた事前レクチャ―と連絡ネットワーク確立、被災復興長期戦に備えた二次避難先の確保は、事前の準備が重要な点であると痛感した。このためには、県下の医療機関との事前協議、近隣県の医療福祉施設との連携ネットワークの構築が必要であり、これにより、避難先の確保と備蓄品の提供や復興に向けた人材確保の一助となると考えられた。さらに、復興後の事業再開に向けた車両(公用車・通勤車両)を確保するために車両を避難させる必要性を感じたことは今回の経験から得た大きな教訓であった。 近年の度重なる災害により、重症心身障害児者の生命を自然災害から守るために、重症心身障害児者支援に対する災害対策へのニーズが一気に膨れ上がってきている。一方、旭川荘の近隣を見直すと、以前の水害を教訓に石垣や水路を配置した構造物を見かける(図2)。このように過去の歴史を紐解くことで施設・自宅の立地条件を再確認するとともに、これまでの豪雨災害を教訓にしつつ、新たな災害へ備えなければならない。 (旭川荘 堀野宏樹、南岡山医療センター 井上美智子) Ⅱ.震災時における重症心身障がい児・者の支援 −北海道胆振東部地震(ブラックアウト)に学ぶ− 北海道胆振東部地震(平成30年9月6日 朝3:08発生)では震源地である厚真町で震度7強となる地震が発生した。札幌市でも地盤沈下や道路、住宅の全壊・半壊などが多発し、全道域においてブラックアウトに見舞われた。すなわち、今回の地震において様々な地域で電力供給ができず、電力を当たり前のように使用して暮らしていた環境が一変した。私たちも実際に経験し、「身を守るためにはどうしたらよいか」を考えさせられた。 あいのさとアクティビティーセンターにおいても地震に係る対応の中で、電気の供給が止まっている状況での通所の受け入れは安全の確保ができないとの判断で急遽の通所の停止指示がでた。そのような状況の中、重症心身障がいのある児童生徒、成人の方の中には、医療的ケアが必要な方も少なくない。人工呼吸器以外にも、通常の食形態では食事をとることが難しいために再調理に必要なミキサーなどの電力を必要とする機器が不可欠な状態の方が多く、電力は“命”を守る大切なものである。今回の災害に起因したブラックアウトにより生活基盤は様々な所で数日間低下してしまった。震災直後のみならず、時間が経つに連れて利用者や家族からの不安が増していくことがうかがわれた。この教訓をもとに福祉施設としても課題や取り組むべきことは沢山あり現実から目を逸らすことなく、この一年取り組んできた。すなわち、非常用の電力確保(発電機)、備蓄品の調達・保管(水・非常食)、地域との連携・協力、マニュアルの見直し等々、自然災害に備え特に重度の障がいのある方たちを守る支援をより一層図る取り組みを行った中で下記に列挙した様々な課題やニーズが見えてきた。 (1)活動の提供を行う場合、特に夜間での対応についてはより綿密な訓練が必要と考えられる。 (2)重症心身障害児者の受け入れる立場から、設備(発電機・備蓄食料・医薬品)の管理にはさらに重きを持つ必要がある。 (3)地域における対応として、当該施設がそのような設備を整えることによって地域に居住する障害のある方々の緊急の手助けの場にも成り得る。 (4)改めて、地域における施設のあり方を考えさせられ、受動的な考えではなく能動的な考えが地域から求められていたと感じる。 また、NPO法人 札幌肢体不自由児者父母の会では、今回の地震による保護者の声(図3)を集約している。その中には、「近所の方が助けてくださったという意見もたくさん寄せられた。日頃からの近所付き合いや町内会活動への参加により顔見知りになっていた方は、安否確認や水汲み、充電、食料調達まで助けていただいた。」とまとめている。近年、疎遠になったと言われるご近所とのつながりだが、お互いに大変なときに助け合える環境を、日常の今からでも築くことが大切である。 北海道拓北養護学校では地震発生時、発電機で充電できることを保護者にメールで流し、数件の利用があった。このことから、人工呼吸器、気管カニューレ、ミキサーによる再調理等々、電力を必要とする医療機器等の使用を考え、現在、マニュアルの見直しや修正を行いつつ、課題として挙げた事柄について整理・調整等を行っている。限られた現状もありスムーズに進まないこともあるが、今できるかぎりの方策、体制等を考え、子どもたちを安心・安全に守れるように進めていくことが大切であると考えている(図4、図5)。 最後に、障がいを持った方々が住み慣れた地域や家庭で安心して豊かな生活を送る上で、災害時の支援体制の構築を欠くことはできない。今回の災害を経験し、障がいのある方々を支援する際の「自助」「公助」「共助」において、国および都道府県全体の広域における取り組みの必要性を改めて強く感じた。 天災(災害)は、いつ起こり得るかわからず、自然に逆らうことはできないかもしれないが、今回の経験を教訓として障がい者と健常者が共に寄り添い、一人ひとりが大切な「命」を守る行動の重要性を再認識した。 (あいのさとアクティビティーセンター 丸田 貴久、北海道拓北養護学校 上村 喜明)
シンポジウム2:国際的視点からみた日本の重症児(者)支援の評価と課題 −教育的支援を中心にして−
  • Dr. Kathleen Tait MBPS SFHEA
    2020 年 45 巻 1 号 p. 55-64
    発行日: 2020年
    公開日: 2022/08/03
    ジャーナル フリー
    Children with severe intellectual and multiple disabilities often appear to be passive and unresponsive to environmental stimulation. A major priority for such children is to increase the amount of time that they are alert and actively engaged. This research study examined the extent to which five children with severe intellectual and multiple impairments aged 9 – 13 years were reported by school carers (support staff) to indicate engagement and the extent to which these reported indices of responsiveness varied in relation to differing levels of environmental stimulation. Each child was directly observed across three different environmental conditions that varied in terms of the amount and type of stimulation provided. Support staff rated the child’s potential engagement behaviours using the Inventory of Potential Communicative Acts (IPCA). Findings suggested that the children’s levels of alertness/engagement did seem to vary reliably and consistently in relation to the amount and type of environmental stimulation being provided. These results suggest that children who appear largely passive and unresponsive might show subtle signs of alertness/engagement in response to higher levels of environmental stimulation. The presence of these signs of alertness might signal times when the child is actively engaged and more likely to be responsive to instruction.
  • 雲井 未歓
    2020 年 45 巻 1 号 p. 65-69
    発行日: 2020年
    公開日: 2022/08/03
    ジャーナル フリー
    Ⅰ.はじめに コミュニケーションの充実は重症心身障害児教育において最も重視されている指導内容の一つである。これまでに、子どものわずかな応答表出を手掛かりに働きかけを行ってきた経過で、コミュニケーションが安定した事例が数多く報告されてきた。運動機能や知的機能の著しい制約下で示されるこうした変化について、筆者らは、主に心拍反応の観察に基づく発達生理心理学的アプローチによって検討してきた。特に定位反応と期待反応は、コミュニケーションの初期発達に強く関わる応答表出機能として数々の検討がなされてきた。ここではそれらの代表的な知見を紹介し、人の働きかけとの相互作用の視点で整理した上で、教育実践に適用した取組みを報告する。 Ⅱ.重症児(者)の応答表出プロセスへの発達生理心理学的アプローチ 1.定位反応 定位反応は、刺激や刺激の位置ないし方向に注意を向ける反応である。最も早期に出現する選択的・能動的な反応であり、情報を取り入れ必要な組織的活動を起こすための高次な認知活動の基盤を形成する。一方、驚愕反応は、情報の入力を抑制する防御系の機能として、定位反応と明確に区別されている(Grahamら、1966)1)。定位反応と驚愕反応はそれぞれ、心拍の一過性減速反応と加速反応に反映されることが明らかにされている。 片桐(1995)2)は、健常乳児の事例を対象に、純音を含む非音声刺激と母親をはじめとする家族の音声とに対する一過性心拍反応を、半年間にわたって縦断的に検討した。その結果、実験的に呈示された純音に対しては、生後0.5か月時点で加速反応が多く生起するが、1から4か月にかけて減速反応の生起率が増加し、優勢となることを確かめた。一方、母親の音声、とりわけ対象児への名前の呼びかけ(呼名)に対しては、生後0.5か月時点で、すでに減速反応が活発に生起することが指摘された。この知見は、母親の音声に対する定位反応が、発達のかなり早い段階で獲得されることを示している。 重症心身障害児(者)(以下、重症児(者))については、定位反応の発達に関して、健常乳児と比べて長期間の生活経験が必要となるが、驚愕反応が活発な段階の後に定位反応が生起するようになるという基本的な発達経過は、健常乳児と類似することが報告されている(片桐、1995)2)。このことからは、重症児(者)の定位反応の特徴は、対象者の発達段階によって異なることが示唆される。また、より初期の発達段階にあり定位反応が獲得途上の重症児(者)においては、定位反応を促進する要因を明らかにすることが課題であろう。この点から雲井ら(1998)3)は、対象者の発達段階と働きかけの条件との関連で、呼名に対する定位反応の特徴を検討した(図1)。その結果、遠城寺式乳幼児分析的発達検査のコミュニケーション関連項目(対人関係・発語・言語理解)の平均発達年齢が4.5か月以上であった対象者7名(Ⅰ群)は、療育者が衝立の背後から音声のみを呈示する呼名条件で、定位反応が最も高頻度に生じたことを確認した。コミュニケーション項目の発達が3.5か月以上4.5か月未満であった10名(Ⅱ群)では、療育者が対象者の眼前に姿を見せた状態で呼名した場合に、定位反応の生起頻度が高かった。発達年齢が3.5か月未満の対象者12名(Ⅲ群)では、聴覚のみの呼名に対する定位反応の生起は難しいが、療育者が対象者の両手に触れた状態で眼前から呼名した場合に、定位反応の生起頻度が増加した。これらの結果から、重症児(者)においては、人の姿や接触といった複合的な刺激とともに呼名を受容することで、働きかけの意味的側面の受容が促進されることが考えられた。 2.期待反応 期待反応は、特定の刺激(S1)を手掛かりに後続の事象(S2)を予期し、S2の生起まで注意を維持する反応である。代表的な例としてイナイイナイバー遊びがあげられ、乳児は生後6~7か月頃から「イナイイナイ」(S1)と「バー」(S2)の間で大人への注意を持続するようになる。これは乳児が、S1の後にS2が続くことを理解し、S1をきっかけにS2を予期していることを示している。期待反応の生理的指標としては心拍の期待減速反応が、脳波の随伴性陰性変動(CNV)とともに知られている。心拍の期待減速反応は、S1に対する定位反応(一過性減速反応)の後、S2の時点まで継続する心拍値減少に特徴づけられる(Gatchelら、1973)4)。北島ら(1998)5)は健常乳児を対象に母親によるイナイイナイバー場面での心拍反応を9か月間にわたって縦断的に検討し、生後6か月と7か月時点で明瞭な期待減速反応が観察されたことを報告した。 重症児(者)においては、呼名(S1)と働きかけ(S2)との対を反復呈示することで期待反応の形成が検討されており、コミュニケーション関連項目の発達年齢が8か月以上の対象者において、S2に先立つ心拍の期待減速反応が安定して生起する傾向にあることが明らかにされた(北島ら、1994)6)。それより、発達年齢が8か月以上の重症児(者)では、S1とS2の関係性を認知し、呼名を手がかりとして働きかけを期待することが可能であると考えられている。また、期待反応の獲得途上では、援助者が対象児(者)とともに働きかけを受けながら対象児(者)に共感的な声かけを行ったり、S1とS2への注意を促したりする介入が、援助条件として有効なことが明らかにされている(北島ら、1998)7)。一方、雲井(2001)8)は、スイッチを押すことでチャイム音(S1)とビデオクリップ(S2)が対呈示される条件で検討を行った(図2)。その結果、援助者による介助を受けながら対象者自身がスイッチを操作し、S1-S2呈示を開始させた場合に、明瞭な期待反応の生起が確認された対象者を13名中7名認めた。スイッチを用いることの効果としては、S1-S2を開始する手段がスイッチという具体物によって視覚的に示された点が考えられた。 期待反応の生起に際し、S1はS2の予告として作用するが、このことはS1がS2を表す記号として認知されていることを意味する。このような記号-意味対象の関係性は、言語機能の内の能記-所期関係と強く関連することが考えられる。また、S2への期待はS2を肯定的に受容する意思を伴っていると考えることができるため、期待反応の生起はYesの意思表示との関連も有している(小池ら、2011)9)。そのため、期待反応の形成は重症児(者)のコミュニケーション支援においてきわめて重要な視点となる。 Ⅲ.コミュニケーションの初期発達における相互作用と注意機能 定型発達の乳児では、反射を含む自発的な動作が大人に作用し、大人が返す反応を乳児が受け止める。この相互作用経験の中で、乳児は大人への認識を高めるとともに、随意運動の発達と相俟ってより意図的に大人に働きかけるようになる。さらに10か月前後になると、共同注意の獲得を基盤に注視やリーチング、指差しなどで対象を示して意思伝達できるようになる。重症児(者)においては、運動障害と知的障害、および場合によって感覚障害が重なることで、こうした相互作用の機会が著しく制約を受ける。そのため、大人への認識や意図的働きかけといったコミュニケーションの初期発達がきわめて困難な条件にある。しかしながら、子どものわずかな応答表出を手掛かりに働きかけを行ってきた経過で、活発なコミュニケーションを獲得した事例も数多く報告されている。こうした事実を、健常乳児の発達モデルのみで説明することは難しく、障害による制約を考慮した重症児(者)の発達モデルについて検討する必要があることが指摘される。 上述の定位反応や期待反応に関する一連の知見からは、重症児(者)の明瞭な応答的行動が観察されにくい場合でも、働きかけの受容から応答表出に至るプロセスは個々に機能していることが確認できる。これらは発達の最初期に機能する点で基本的には生得的に準備された注意システムと考えられる。しかし乳児と重症児(者)ともに、種々の働きかけを受ける経験を通して定位反応が発達することや、大人による意図的なS1-S2呈示のもとで期待反応が促進されることから、これらの注意反応には大人との相互作用経験の中で獲得される側面もあることが指摘できる。これらを考慮すると、重症児(者)では発達初期の注意機能と働きかけとの相互作用において、コミュニケーション関連行動の学習が生じていることを指摘できる。したがって、相互作用場面における注意反応に注目して観察することで、コミュニケーションの獲得状況を個別に把握することができると考えられる。 (以降はPDFを参照ください)
シンポジウム3:人工呼吸管理のような高度医療ケア児の学校における看護ケアをどうするか?
  • 田村 正徳, 船戸 正久
    2020 年 45 巻 1 号 p. 71-76
    発行日: 2020年
    公開日: 2022/08/03
    ジャーナル フリー
    Ⅰ.シンポジウム企画の背景 現在、新生児医療の著しい発展や高度化の進行により、従来救命できなかった児の多くが救命できるようになったと同時に、継続的に医療的ケアが必要な重症心身障害児の長期入院や在宅移行支援の問題が社会的にクローズアップされるようになってきた(図1)1)2)。さらに重症心身障害を伴った医療的ケア児だけでなく、動いて話せる医療的ケア児や人工呼吸管理などが必要な高度医療的ケア児の在宅移行が急速に進むようになった(図2)3)。そうした高度医療的ケア児がいまや学齢期に達して(図3)特別支援学校や普通学校で義務教育を受ける場合に、多くの教育機関では保護者の通学時の付き添いだけでなく、学校においても付き添いや別室で待機して医療的ケアが必要なときは保護者が行うことを求められるのが一般的である。一方では文科省は教育機関への看護師の配置を推進する方針を立て有識者の検討会も具体的な提言を出している。しかしながら人工呼吸管理のような高度医療ケア児の学校における看護ケアをはたして誰が行うのか? 看護師か? 教師か? 保護者か? さらに通学支援を誰が行うのか、校外学習・宿泊行事の付添いやケアをどのようにするのかなど、まだまだ解決しなければならない多くの教育現場の課題や制度上の問題が残っている。そうした中、第一線で活躍されている3人のシンポジストにお願いし、このシンポジウムを企画した。下記にそれぞれのシンポジストの発表内容を要約する。 Ⅱ.【前田浩利氏】「人工呼吸器管理のような高度医療ケア児の学校における看護ケアをどうするか?」 医療法人財団はるたか会の前田氏は、長年松戸市や東京都での在宅医療現場の豊富な経験から、総論として子どもの権利条約の批准、成育基本法が成立した現在において、子どもの「学ぶ権利」をどのように保障するか?ということに焦点を当てて報告していただいた。その解決のための具体的な問題点や厚生労働省研究班での方策について紹介をしていただいた。 文部科学省の調査によると、医療的ケアが必要な児童は約8000人にのぼっており、こうした児童に対する教育の提供は、教育現場で重要なテーマになっている。従来こうした児童の教育は訪問教育が主体であったが、学習時間においても不十分であると同時に、子ども同士の交流や、集団行動による社会的行動の体験や学び、親との分離による自立心の育成などの面や人権擁護の観点からも通学の保証が必要である。一方文部科学省においても様々な対応を行っているが、看護師の確保やその研修の問題、医療的ケア実施のためのシステムや医師の支援体制の整備の問題などのために、学校現場で十分な医療的ケアが受けられない状況にある。そのため保護者の付添いが必要になったり、学校へ通学できない子どもも多く存在する。 その有効な解決策の一つとして、将来的な制度設計に資する課題の整理と基礎資料を得ることを目的に、平成30年度厚生労働科学特別研究事業(主任研究者:田村正徳)において学校における訪問看護師の活用、特に人工呼吸器を装着した児童12名を対象に訪問看護師の介入研究を実施した。介入方法は、I型(訪問看護師の付添い)、Ⅱ型(訪問看護師の伝達)、Ⅲ型(訪問看護師によるケア+伝達)、Ⅳ型(訪問看護師が複数児のケア)である。 介入後のアンケート結果では、保護者と担任はおおむね、訪問看護師の介入(ケア)は有用であるという回答であった。学校看護師は、有用と有用でないがほぼ半数で意見が分かれ、養護教諭はどちらともいえないとの回答であった。有用でないという理由として、学校での医療的ケアの責任の所在が不明確という意見が多かった。一方有用の理由として、保護者の負担軽減、子どもの自主性や意欲が引き出されるなどが挙げられた。また学校での体制として、学校看護師と訪問看護師のコミュニケーションの問題が指摘され、学校での看護師間コミュニケーションを支援する仕組み作りも重要な課題であった。看護師が安心して医療的ケアを行うためには、責任を持つ医師が不可欠であり、主治医、指導医、学校医の連携と協議の場の仕組みが必要であり、その場が学校で統一した一人ひとりに対応する個別指示を出すとともに、責任を持つことのできるシステムが大切であると強調された。 Ⅲ.【高田哲氏】「人工呼吸器管理のような高度医療的ケア児の学校における管理」 神戸市総合療育センター高田氏は、こうした医療的ケアが必要な児童への支援の問題を神戸市・兵庫県の行政との関わりや日本小児神経学会や文部科学省の委員としての経験から、学校現場の現状と今後の方向性について報告していただいた。 特別支援学校に在籍する人工呼吸器を必要とする児童は、平成19年度の545人から平成29年度1418人に著明に増加した。一方通常学校に通学するこうした児童も50人に達していた。平成28年6月に児童福祉法が一部改正され、こうした障害児を、その心身状況に応じた適切な保健、医療、福祉その他の各関連分野の支援を受けられるよう体制整備を講ずるよう努めるとされた。こうした中、医療的ケアが必要な児童が増え、学校を取り巻く環境も大きく変化した。文部科学省では平成29年度に「学校における医療的ケアの実施に関する検討会議」を設置し、(1)医療的ケアに関する基本的考え方、(2)教育委員会における管理体制の在り方、の構築や(3)学校における実施体制の在り方を整理した。そして令和1年6月には、最終まとめが、全国の都道府県、政令指定都市の教育委員会に通達された。その中で特記すべきことは、対象を通常の小中学校を含む「すべての学校」、人工呼吸の管理を含む「すべての医療的ケア」としたことである。そして学校での医療的ケアの対応のために医師と連携した校内支援体制の構築やマニュアル作成が提言された。管理体制についても、学校医、指導医が教育委員会内の医療的ケア運営協議会に参画し、一人ひとりの特性に応じた「個別判断」をすることが必要とされ、医療の役割がますます大きくなっているとされた。 一方日本小児神経学会では、平成28年に社会活動・広報委員会内に「学校における人工呼吸器使用に関するワーキンググループ」を設置し、特別支援学校で人工呼吸器使用児を受け入れる際にチェックすべき項目、支援するための体制・組織作りまでを含んだガイドラインを作成した。その前提となる考え方は、「人工呼吸器を必要とする子どもも、家庭で安定した生活が行われていれば、できるかぎり家族が付き添うことなく通学できることを目指す」であるとしている。そして最終的な判断は、医療者も交えた協議会において個別ニードに対応して行うとしている。 最後に災害に対する対応であるが、こうした子どもたちの避難場所、電源、医療物質の確保が大きな問題になる。社会活動・広報委員会内に災害対策小員会では、日本小児科学会、重症心身障害児(者)・在宅医療委員会と協力して、医療関係者同士が連携できるネットワーク作りを呼びかけている。具体的にはメーリングリストやラインなどを用いた医療者間ネットワーク(災害時小児呼吸器地域ネットワーク)を作り、災害時小児周産期リエゾンと有機的に連携できることを目指していることを報告した。 Ⅳ.【植田陽子氏】「豊中市立小・中学校における医療的ケア実施体制についてーその成果と課題」 豊中市教育委員会事務局児童生徒課の植田氏は、病院勤務の看護師として豊中市の画期的な事業の推進のために非常に活発に活動をされている。植田氏の発表によると、「豊中市の小中学校では、教育課程に位置付けた時間帯には、豊中市教育委員会に所属する看護師が、地域の小中学校を巡回し、医療的ケアを実施する体制をとっており、日常的に医療的ケアを必要とする児童生徒は保護者の付き添いなく地域の小中学校の教育を受けている。これは、学校内学習だけでなく、校外学習や宿泊行事でも保護者の同行なく学習に参加できる体制をとっている」という驚くべき教育現場での活動を紹介している。 豊中市は大阪府北部にある人口約40万人の中核市で、豊中市教育委員会は小学校41校、中学校18校の計59校を所轄している(なお現在大阪府下の特別支援学校は、大阪府教育委員会の所轄である)。そして児童生徒の就学先の決定は、原則市町村教育委員会が行うが、本人・保護者の意向を最大限に尊重すると同時に、居住地校区の小・中学校への就学を基本としている。この原則については、人工呼吸器の管理や他の医療的ケアが必要な児童生徒についても同様であるとされている。たとえ人工呼吸器を使用する児童生徒であっても、看護師が巡回訪問することにより、保護者の同行なく宿泊行事にも参加し、地域の小・中学校で他の児童生徒と一緒に教育を受けている現状が写真を交え報告された。 豊中市は、障害の有無にかかわらず地域の学校で共に学び育つ方針で取り組んでおり、医療的ケア体制については、平成15年度に小学校への看護配置を開始した。しかし対象の児童生徒が増加するにもかかわらず、看護師の退職希望者が増加したため、平成20年度より看護師配置を「配置型」から「巡回型」へ変更し、看護師の安定的人材配置に努めている。しかし課題が多く安定しない状況は開始当初から継続している。その課題は、(1)学校への看護師の安定的な確保が非常に困難、(2)主治医や病院看護師、訪問看護師などの医療職同士の情報交換が非常に困難とのことである。 (以降はPDFを参照ください)
第4回看護研究応援セミナー
  • 石井 美智子, 倉田 慶子, 田中 千鶴子, 涌水 理恵, 名越 恵美, 濵邉 富美子
    2020 年 45 巻 1 号 p. 77
    発行日: 2020年
    公開日: 2022/08/03
    ジャーナル フリー
    臨床で日々の業務をされながら、研究に取り組まれている看護職のみなさまのお力になれればと始めたセミナーに、多くの方にご参加いただき第4回を無事終了致しました。 今年度は日々の看護実践の中の「気付き」を「研究」として発展させるため「研究の芽を育てよう」と題しまして、名越恵美先生(岡山県立大学保健福祉学部看護学科)をお招きし、「臨床での気付きをリサーチクエスチョンにするにはどうすればよいか」についてお話しいただきました。ご講演の内容を執筆していただいております。これから看護研究に取り組まれる方、研究の指導をされる方、みなさまにぜひお読みいただきたいと思います。 講演後のテーブルディスカッションには、これから研究に取り組もうとする臨床の看護師、研究を指導する立場や管理職、大学の教員など様々な立場の方25名が参加してくださいました。実際に臨床で研究する看護師からは、「テーマを決めることから迷い、誰に相談していいのかもわからない、手さぐり状態」「研究の時間がない」「研究のための研究になると継続できないので、興味を持って取り組みたい」等の意見が出ました。 指導者や管理職、大学の教員からは「やらされ感があり職員のモチベーションが上がらない」「気付きを前向きな研究につなげられるか悩む」「認定看護師はいるが、研究にはうまく機能していないので現状では期待できない」「日々の業務に追われ、文献検討などの研究をする時間がない」等が話されました。また、今後研究を支援していくためには、研究が楽しいと思えるような環境(職場風土)にしていく必要がある。そのためには研究経験のない若い看護師に対して「この現象をどう思うか、何が問題なのかというような実践上の疑問を考えるトレーニングが必要で、トレーニングにより看護師達が、研究の種を芽吹かせる風土が醸成されるのではないか。研究職と臨床にはそれぞれ得意な研究テーマがあり、互いに協力していくことができればさらに良い環境ができ上がる」等、前向きな意見交換ができました。 看護研究が看護の質を高め、研究の芽が大きく育つことを願っています。
  • 名越 恵美
    2020 年 45 巻 1 号 p. 79
    発行日: 2020年
    公開日: 2022/08/03
    ジャーナル フリー
    看護研究を行うことは、看護職や介護職などの専門職集団としての責務である。そこで、日々の臨床実践を行っている中で気になった「心に引っかかった小さな疑問」を「見逃さず」に検証していくことが必要になる。しかし、「心に引っかかった小さな疑問」の答えをやみくもに探しても効率が悪い。「心に引っかかった小さな疑問」は、研究動機であり、手順を追って絞り込んでいくことでリサーチクエスチョンになっていく。 まず、その引っかかっている事象の状況を詳しく記述する。そこから、2~3のキーワードを抽出し、先行研究で明らかになっていることがあるかどうかを見直し、研究疑問に加えていく。そして、すでに先行研究で明らかになっているならば、過去の文献をまとめていけば、疑問は解決するであろう。しかし、先行研究が少ない、または、自分の知りたい疑問が解決しない場合は、何が明らかになっていないのかを焦点化していく必要がある。そして、自分の看護実践と先行研究を見直して、テーマをできるだけ具体的に小さくし、リサーチクエスチョンに導いていくのである。 そのときに、気になっている現象に対して、「これは何であるか」「何が起こっているのか」「AとBには関係があるのか」「Aの後にBが生じるのか」等、どのような問いとして挙げたのかを確認していく。問いの種類によって研究デザインが決まってくるからである。研究デザインは、質的機能的、関係探索、関連検証など多くの種類があるが、研究デザインが決まると方法は自ずと決まってくる。 そして、研究は自分が関心を持っている内容を行うことがとても大切であるが、行うに当たっては、その研究をする上で看護研究としての意義がある内容を研究する必要がある。看護の領域の中で、その研究がどのような意味や価値や重要さを持つのか、さらには、具体的に看護管理・看護教育・看護実践などのどの領域、研究対象者にどのような貢献が成し遂げられるかを考慮していなければ、専門職としての研究になりえないのである。そして、研究対象者の方への倫理的配慮を忘れない中でも、特に自己決定ができない対象者や人権擁護が難しい対象者の方には、より繊細な配慮が必要である。さらに役割上生じている力関係に影響を受けやすい場合も繊細な配慮が必要となる。このことは、研究データの信ぴょう性や研究者のモラルが問われることにもなりかねないので、相手の立場に立ってしっかりと何が影響するか考えておかなければならない。最後に、日々の臨床実践の中で研究の時間を取るのは大変なことであるが、日々の小さな疑問がリサーチクエスチョンとなり、検証されていくことを願う。
市民公開講演 特別講演
  • 野田 聖子
    2020 年 45 巻 1 号 p. 81-84
    発行日: 2020年
    公開日: 2022/08/03
    ジャーナル フリー
    「医療的ケア児」という耳慣れない言葉があります。今日は市民講演ということで、専門的な方もいらっしゃいますし、同じ医療的ケア児の親御さんもいらっしゃいます。そういう人からすると医療的ケア児というのはよくご存じの言葉ですけれども、この医療的ケア児が日本で定義づけされたのは2年前です。児童福祉法という法律が改正されて、医療的ケア児は障害児の一人で、「これからは医療だけではなくて、福祉や教育の場でもちゃんとみんなで支えていこう。」と定められたのです。だから、まだほとんどの皆さんがご存じないと思いますが、今日はぜひとも皆さんに医療的ケア児という言葉を認識していただければうれしいなと思いやってきました。 さて、障害というのは、本当にたくさんあります。日本では15年前に発達障害という障害が認知されて、今、申し上げた医療的ケア児が新たな障害児(者)の仲間として法律で定義づけされたのが2年前です。 私の息子はどうかというと、身体障害があり、0歳のときに左脳に血栓が直撃し脳梗塞を起こしたことで右半身麻痺となり、病院からは「おそらく一生寝たきりだろう。」と言われておりました。そして、仮死状態で産まれたことや脳梗塞の副作用もあり、中度の知的障害もあります。身体障害も2級(1級と2級の間ぐらい)で知的障害は中度なのに、なぜ超重症児と呼ばれているのかというと、医療的ケア児に指定されているからです。 これから医療的ケア児について説明をしていきたいと思いますが、私の息子は重複の障害児というふうにご理解いただければと思います。今日のテーマは「医療的ケア児って何だろう」ということですけれども、法律が改正され、ある程度の定義ができています。実は医療的ケア児は、皆さんが知らず知らずのうちにどんどん増えています。もともと重心の子どもたちの中にも、当然、人工呼吸器を使っている子もいれば、自分でモグモグゴックンができない子は胃瘻を使ったり、お鼻から栄養を入れたりしています。こういう子もすべて医療的ケアの枠組みの中に入ります。そのため、突然現れたわけではなく、昔から重心の子どもたちの中には医療的ケアに支えられている子どもたちは沢山いたわけです。 しかし、今回改めて医療的ケア児として定めなければならなかったのは、医療的ケアが必要で一般的な社会生活を送ることに差し支えがあるにもかかわらず、社会福祉を受けられない子どもたち。つまり、私の息子もそうですけれども、重症心身障害の子と違うのは、たとえば寝たきりではないとか、知的にはIQが70以上あって通常の知能を持っているとか、そういうふうになった途端、福祉の枠から外れてしまっていたので、「これは大変だ!」ということになりました。 もう一つは、今、少子化の中で、1人でも多くの小さい命を助けようということで、医療がすごく進歩しています。子ども病院の中には必ずNICUという集中治療室があって、小児科の医師や看護師さんやスタッフの方が24時間懸命に医療を施してくれます。たとえば、350ccのペットボトルぐらいの子どもが産まれたときに、10年前だったら救えなかったであろう命も、今は救うことができるんです。 それで、仮に病院の中であれば一生医療ケアを受けて安全に暮らすことができるのですが、さすがに医療の中でそこまで責任は持てないので、何らかの支えがあったら社会で暮らせるという状態になった途端に病院を卒業することになり、いきなり家が病室と化します。 医療的ケア児を法律で定めたのですが、生きていくために日常的な医療的ケアが必要な子で、一般的に多くの人たちが想像する最期の瞬間に施されるものが医療的ケアだと思ってください。あと1週間延命するためにおなかの中に栄養剤入れますとか、あと1週間生かすために気管切開しチューブを入れて人工呼吸器を装着しますとか、そういうものが医療的ケア児たちが日常的に受けている医療ケアなのです。これまでは、最期の最期のために使われる大道具だったのが、近年医療が進歩して、医療的ケア児が生きていくための小道具化としているわけです。残念ながら一般的には、医療的ケアをしていると聞いただけで敬遠されてしまうのが現状なので、そこのギャップを縮めたくて今日はここまでお邪魔したわけです。 とにかく、子どもたちはたくさんの可能性を持っていて、それを握りつぶしてはいけないのです。高齢者の在宅介護と子どもの在宅介護、同じように思うのですが、無限の可能性を持つ子どもに対しては、高齢者と同じようなケアでは駄目だという意識を持って向き合ってほしいなという思いでおります。 今、申し上げたように、呼吸、肺がちっちゃかったり心臓が悪かったり、そういう不全のところを補うために、人工呼吸器を付けて生きていく子どもたちがいます。二つ目には、さまざまな障害でご飯が食べられない子は、胃瘻を開けたり、お鼻から管を入れて、そこから直接栄養を送り込むという形で栄養を取り育てられています。 こういうものを使っている子どもたちを総じて、その子が重度であろうとなかろうと、ベースメントとして医療的ケア児と呼ぶことになり、この子たちもこれまでの身体障害や知的障害や精神障害や発達障害の子と同じように、差別なく地域社会の福祉の力を借りてちゃんと生きていけるように、首長は責任を持たなくてはいけないということで2年前から検討が始まりました。 しかしプライバシーの問題で、医療的ケア児の様子がなかなか見えないので理解してもらえないことが多いのです。大島分類という障害の判定基準がありますが、寝たきりで重い知的障害の子は確実に守ろうというのがこの国の福祉の形。ところが、お医者さんたちが頑張ってくれたお蔭で生きることができた医療的ケア児の場合は、歩くことができる、走ることができる、そして頭もまあまあ、足し算、掛け算もできるとなると、今までの福祉の枠にははまりません。しかし、歩くことができても、人工呼吸器が外れたらその場で死んでしまうリスクのある子がこの世にたくさん存在しています。要は医療の進歩と福祉の進歩が相まっていないというところが問題で、これは全部法律によって適用させていかなくてはなりません。 日本は少子国家で、今後もその少子化のトレンドというのは変わらない。ところが、医療的ケア児というのは、医師のご尽力や子どもの生きる力や親の努力で、反比例にどんどん増えていくだろうと。今でこそ人工呼吸器や胃瘻程度ですが、補助心臓を皆さんご存じですか?心臓移植を控えた子どもが、移植を待っている間に補助心臓を付けます。これはとても大掛かりなもので、基本的には補助心臓を付けている子どもは入院しています。しかし医師たちの話によると、「このような子たちも、あと数年で病院の中ではなくて、家で生きられるようになるだろう。」と言われています。病院の中で生きるということは正常ではないのですから、子どもにとってはそれが一番良いことなのです。家族と一緒に育つということを、本当は国が責任を持って取り組まなくてはいけない。どんな子であっても、病院にいることがいいことではなくて、病院から一日も早く出してあげて、人として生かすことが大事。その対象になる医療的ケア児が、どんどん増えていることをご理解いただきたいと思います。 現在、学校の先生を減らすという話が出ていますが、こういう子どもたちが学校に入れるように、看護師さんを増やす等、ケアをしてくれる人を増やすという切り替えをしていかなければいけないのではないかと思います。 医療的ケア児に会ったことがない方も多いと思うので、今日はどのような子が医療的ケア児かというニュアンスだけでもわかっていただければ。国会議員の息子なので、どんどん社会の役に立たせようと、今日もこの場に息子を連れてきたかったのですが、学校があって残念ながら連れてくることができませんでした。そのため、息子の写真を見ていただくことで、いろいろな誤解や偏見や差別等を解いてもらいたくて。とにかく難しい説明より写真を見ていただいた方が理解しやすいかなと思い準備をさせていただきました。(講演では写真スライドで説明) 息子は生きていくために、赤ちゃんのときに気管を切開して人工呼吸器と酸素を入れていました。3歳までは24時間の人工呼吸器、酸素ということになりましたが、成長につれて自発呼吸がだんだんできるようになってきていて、現在は夜寝てから起きるまで、就寝時間だけ人工呼吸器のお世話になっています。 息子は産まれてすぐ仮死状態になり、口の中に人工挿管されて私のおっぱいも吸えませんでしたし、口から物を食べるということができなかったので、口は何のためにあるのだろうかとわからないまま育ちました。でも生きていくためには栄養が要るということで、最初は医師から処方されたツインラインという栄養を1回につき2~3時間かけて1日6回胃瘻からあげていました。こうなると親は睡眠もままならない人生を送るわけです。 あるとき夫が、「ツインラインを飲ませてもいいけど、真輝も人だろう。だから人間が食べる物も食べさせてみたいよね。」と言い出し、「じゃあ、手作りのミキサー食をやってみようか。」と、最初は医師に内緒でやりました。食材は30から40品目、旬の食べ物や調味料を工夫し、和食のようなテイストにしました。現在は1日、朝昼夜夜。7時、12時、17時、22時に60ccのシリンジ7本分のおかずとデザートをあげています。 (以降はPDFを参照ください)
市民公開講演 シンポジウム:インクルーシブな地域の創生
  • 阪本 文雄
    2020 年 45 巻 1 号 p. 85-89
    発行日: 2020年
    公開日: 2022/08/03
    ジャーナル フリー
    阪本座長 岡山県で障害児の施設ケアが始まったのは戦後間もない昭和20年代です。昭和32年、社会福祉法人旭川荘が身体障害児施設・旭川療育園、知的障害児施設・旭川学園、旭川乳児院の3施設を開設。外科医の川﨑祐宣氏が理事長になり、整形外科医の堀川龍一氏が療育園長、小児科医の江草安彦氏が学園長になった。医師が医療の世界から福祉の世界へ入り施設長になり、理事長になった。川崎病院長だった川﨑先生は往診で何回か在宅の障害児を診療した。「この子らに医療の光を」と思い立ち、旭川荘を開設、医療と福祉が一体となった医療福祉を提唱、堀川、江草医師らがその実践を始めた。昭和42年、重症児施設・旭川児童院が開設され、岡山県での重症児の施設ケアが始まった。中四国で初の施設だった。この施設の開設にボランティアとして募金活動の先頭に立ったのが黒住教の黒住宗晴名誉教主です。「重症児に学ぶ」と題してお話しいただきます。 重症児に学ぶ 黒住教 黒住 宗晴 昭和40年(1965)4月から9月末までの半年間、私は若い人たちと共に「中・四国を対象に重症心身障がい児の施設を造ろう」というキャンペーンをいたしました。これは、その前年の暮近く、旭川荘の江草安彦先生から一人の身で三重四重の重い障がいを持つ子どもさんたちのことを教えられ、「旭川荘にこの子どもさん方のための施設を造ろうではないか」と熱く訴えられてのことでした。旭川荘は、岡山市内で大病院に成長した川崎病院の川﨑祐宣先生が、この病院では治療もお世話もできない障がいを持った人たちのための、医療と福祉の総合施設を目指して創設された社会福祉法人です。昭和32年、旭川荘は知的障がい児と身体障がい児そして乳児院の3つの施設からスタートしました。これらの施設を土台に、重症児施設を造ろうとされた江草先生でした。私どもは重症児を持つ3人のお母さん方の勇気ある協力を得て、そのお子さん方の生活ぶりを写真に撮り映画を作ることができました。重症児のありのままがフィルムに収められた写真、また映画は、多くの人たちの心をゆさぶり、放っておけないの思いをかき立てました。中・四国の主要な街角での日曜祭日ごとの街頭募金をはじめ、その頃まだ手植えが多かった田植えなどのアルバイトをしたり、備前焼作家や画家の作品、宗教者の書などをご寄贈いただいてのいわゆるチャリティーオークションを開催したり、あらゆる手立てを尽くして問題を訴え募金につとめました。地元岡山に本社のある山陽新聞社は、この年8月末、社告を出して重症児のための施設づくりの重要性を呼びかけ始め、この力強いキャンペーン記事のおかげで昭和42年4月、旭川荘の中に「旭川児童院」として結実したのでした。 以来、私は親しくなった3人のお母さんとお子さん方から尊いことを教えられてきました。昔から目の不自由な人は勘がよい、とか言いますが、彼ら彼女たちには、肉体的な機能が働いていない分、心の奥深いところの働きは鋭敏で、私たちが到底かなわないものがありました。映画班と最初に訪ねた岡山県北に住むM家のY君(当時14歳)は、難産のため鉗子(かんし)でもって生み出され、そのために脳に深く大きな傷がついて生まれ出ました。目もうつろ、半身は全く機能しないまま、食事も三度々々、お母さんの口移しで食していました。Y君が3歳のときお父さんは自ら命を断ってしまい、その直後、お母さんはY君を抱いて冬近い県北の河の中に入っていきました。「お父さんのところへ一緒に往こう……」とつぶやきながらも、せめて最後にわが子の顔を抱き上げたとき、Y君の両眼はらんらんと輝き、今まで見せたことのない目つきでお母さんをみつめ続けていました。お母さんは初めてとんでもないことをしようとしていた自分に気づき、あわてて河原に這い上がりそこで初めて泣き伏す中でY君に詫(わ)びたのでした。Rさんの息子M君は、幼い頃に日本脳炎に罹(かか)り一命は取り止めましたが、厳しい身体状態になりました。彼は34歳で腎臓の病で亡くなりましたが、家族の見つめる中でお医者さんがご臨終ですと告げたとき、両眼をかっと開き今まで見せたことのない眼差(まなざ)しで、母親の肩越しに見下ろす弟N君の両眼を見据えて「おふくろを頼む、おふくろを頼む」と告げ続けました。N君の「分かった。分かったちゃ」と叫ぶ声に、その意味の分からない家族はうろたえるばかりでした。ほどなく眼を閉じ息を引き取ったM君が弟N君へ声なき声で訴えた遺言への、「分かった」という返事であったことに改めて涙した家族でした。このように、宗教者の一人としての私には、格別尊いことを教えてくれた3人の母親とお子さん方でした。 阪本座長 今、黒住名誉教主の話の背景にあるのは、岡山県の施設ケアは昭和20年代から始まり、30年代に入り旭川荘の堀川先生らが在宅児への取り組みとして県内を巡回して相談診療を実施。親たちの意識が少しずつ変わり、支援してきた愛育委員らも声を上げ、障害児の施設への全入運動が起こり、重度児も受け入れてほしいという量と質の両面で施設の対応を望むようになった。つまり、地域社会の問題として取り上げられ、お母さんたちが覚悟を決めて我が子の姿を世に訴え、重症児施設の開設へつながった。 黒住名誉教主 家の中で必死に養育していた母親、すべてはお母さんにかかっていました。大変な苦労でした。働きに行けないし家計の負担も大きい。「施設を」というニーズは悲痛な叫びでもありました。開設時、江草院長は「命を守る」―これを繰り返し言われました。重症児の施設ケアが軌道に乗ると「療育によるADLの確立」を目指した。「生きる」に変わったのです。川﨑理事長が示した「医療福祉」はまさに重症児の施設ケアそのものだった。医療の力で命を守り、福祉の力も加わって生活の基本動作である食事をし排泄しということが可能になっていく。 阪本座長 黒住名誉教主さん、貴重なお話ありがとうございました。次は重症児の親の立場でNPO法人ゆずり葉の会の佐藤恵美子さんに話していただきます。 重症児が生涯を地域の中で安心して暮らすために NPO法人ゆずり葉の会 佐藤恵美子 私の娘が生まれた昭和30年代は、今日のように物が満ち溢れた、社会情勢ではありませんでした。高度成長期で人々も自分の生活に追われる時代でした。1歳を少し過ぎた頃、風邪気味だった娘が突然高熱を出し、小さな体を全身震わせてひきつけをおこしました。私はなすすべもなく、ただ傍らでおろおろするばかりでした。大きな病院で診てもらおうと思い大学病院に連れて行きいろいろと検査をしていただきました。数日後の結果を聞きに来るときは一人で来ないようにと先生に言われましたが、そのときは先生の言われた意味が理解できませんでした。先生から「お母さん本当にお気の毒ですが、お宅のお子さんは脳性小児麻痺という病気にかかっています。今の医学では、ここに何億もの大金を積まれても、治して上げるわけにはいきません。たぶん20歳までは生きられないでしょう。風邪を引いても命を落とすことになるかもしれません大事にみてあげて下さい」と言われました。 私は、目の前が真っ暗になり、深い谷底に墜ちていくようで、涙が止めどもなく流れ後のことは何も判りません。何処をどのようにして家に帰ったのかもわからず、気が付くと娘を抱いて畳の上で泣き崩れていました。途方に暮れ、頭のなかは死ぬことだけで一杯になりました。家の中を整理し、娘に晴着を着せて、高梁に出張中だった主人に会いに汽車に乗り向かいました。主人は驚いた様子でしたが、ここでは話ができないので臥牛山の猿を放し飼いしてある自然公園に行こうと言い行きました、そこで娘の病気のことやこれから先のことを考え死ぬしかないと思い此処に来たと話しました。傍らの娘にアイスクリームを食べさせていたら、何処からともなく一匹の猿が現れ娘の持っていたアイスクリームを取って逃げました。娘はそれを見て今までにない大声を上げて笑いました。そのとき私はハッとし「この子は何も判らないことはない、こんなに喜んでいる娘を連れて死ぬわけにはいかない、死ぬのは何時でも死ねる」と思い直すことができました。 あくる日から、私と娘の戦いが始まりました。大学病院の先生はあんなに言われたが、他の病院に行けば治るかもしれないと思い、あらゆる病院を巡り、主人の給料はほとんど病院代に消えていきました。どんなことをしてでも治してやらなければと一生懸命でした。しかし良くなることはありませんでした。ある日、大学病院の廊下で泣きながら診察を待っていると、女医さんが声を掛けて下さり旭川荘の話をしてくれました。早速翌日バスに乗り向かいました。旭川荘は人里離れた非常に寂しい所にありました。そこで子どもたちが障害を持ちながらも一生懸命に前向きに生きている姿に接し、目から鱗の落ちる思いがし、娘と一緒に頑張ろうと元気が湧いてきました。毎日母子通園をすることにしました。悩みを同じくする友だちも大勢できました。通園するので、車の免許も取りました。 (以降はPDFを参照ください)
市民公開講演 ファッションショー
  • 小豆 忠博, 藤原 秀子, 藤井 哲, 太田 淳子
    2020 年 45 巻 1 号 p. 91-93
    発行日: 2020年
    公開日: 2022/08/03
    ジャーナル フリー
    協力:学校法人 第一平田学園 中国デザイン専門学校 Ⅰ.はじめに 重症心身障害児(者)は、日頃から、身体や生活にあったおしゃれを楽しむことや出かけることが難しいことが多いです。今回は、ちょっとおしゃれをしてお出かけしたくなるようなカジュアルファッションかつ、機能性も盛り込んだデザインをイメージし、さらに地元岡山・倉敷の「デニム」を活用した服に仕上げました。デザイン、制作については、学校法人第一平田学園中国デザイン専門学校の学生の皆様と先生方にご協力をいただきました。 Ⅱ.池田千鶴さん 小柄ということもあるので、水玉やフリルのついた可愛い系の服が好みでしたが、最近は大人っぽい服にも挑戦したりしています。 〇仕立て〇 可愛さの中にも「着やすい」という機能性を重視して製作しました。例えば、着脱のしやすさに配慮して、ブラウスの表についているボタンは飾りボタンにしながら、裏面にはスナップボタンを使用しています。また、車椅子に乗車したときに、背中がごわつかないようにブラウス、ベスト、スカートの背面部分は薄くし、楽に着られるようにしました。柄選びでは、以前、成人式の写真を見せていただいたときに、赤い振袖がとてもよく似合っていたので、赤を基調にしたチェックを選びました。スカートが揺れるとのぞくデニム地のプリーツが可愛く見えるようにしたり、ブラウスの袖口にレースをつけたり、大ぶりの飾りボタンを使ったりするなど、可愛いものが大好きな池田さんの好みにまとめました。 製作者:中島美夏呼さん、山本晴日さん Ⅲ.坂万優子さん 可愛らしいデザインのものが好きで、最近はお姉さんの結婚式におしゃれをして出席したり、成人式ではドレスを着たりして、特別な日のおしゃれも体験しました。 〇仕立て〇 初めて出会ったときは素敵な笑顔が印象的だったので、可愛いをテーマにし、柄の生地やデニム地を組み合わせて、可愛く見せるように工夫しました。首元は伸縮性のあるフリルネックで被りやすく、 スカート部分はフレアティアードスカートという段のついたスカートを変形させて組み合わせました。横から見てもスカートの可愛らしさがよくわかるように幅や長さを調整しながら製作しました。 髪飾りはスカートや服と生地を合わせ、全身を統一できるようにまとめました。 製作者:塚本華奈さん、山本風華さん Ⅳ.宮木俊輔さん おしゃれをして出かけることも好きですが、出かけていく先々で人と出会うことが何よりも楽しみで、「かっこいい!」という言葉をかけてもらうことが大好きです。 〇仕立て〇 普段あまりデニム地の服を着ることはないとお伺いしたので、かっこ良く着こなしてもらえるようにデニムのオーバーオールをデザインしました。また、着脱のしやすさも考えて、チェックのシャツは、スナップボタンにしました。オーバーオールの前後は素材を変え、車椅子と接する背面部分はニットにしたり、ウエスト部分にはゴムを通したりして、着やすさ と着心地の良さも考えて工夫しました。膝から下の切り返し部分には、キルティングの生地や色の違うデニム地を使ってパッチワークのデザインにしておしゃれに仕上げました。 製作者:小橋佳代さん、岡部達哉さん Ⅴ.さいごに 万全の体調で本番に臨めるようにバックアップしてきた家族やスタッフに見守られながら、少し緊張したり、興奮した様子でしたが、立派にモデルの役を務めあげてくださった3名のモデルさんでした。素敵な衣装を着られたこととともに、ご家族や学生の皆様と一緒に舞台に立てたことも良い経験になったのではないでしょうか。無事にショーを終えられたのは、学校法人第一平田学園中国デザイン専門学校の先生方、学生の皆様のご尽力と、ご家族のご理解とご協力があったからこそだと思います。心よりお礼申し上げます。 写真や氏名の掲載は、家族および関係者の了解を得て掲載しています。
自主シンポジウム1
  • −「訪問カレッジ」・「秋津・欅大学」の取組み−
    飯野 順子, 山本 景子, 梅垣 富美
    2020 年 45 巻 1 号 p. 95-100
    発行日: 2020年
    公開日: 2022/08/03
    ジャーナル フリー
    Ⅰ.はじめ~なぜ、今、生涯学習なのか 新たに実現される社会として「Society5.0」が謳われ、人生100年時代と言われる中で、生涯学習の推進が尊重される時代になった。 その背景には「障害者の権利に関する条約」第24条に「あらゆる段階における障害者を包容する教育制度及び生涯学習を確保する」との条項があり、その実現が、我が国の課題であった。条約に関して、教育は、インクルーシブ教育に関する条件整備を行い、福祉では、「障害者総合支援法」や「障害者差別禁止法」を策定し、体制整備をしている。残された課題は、「生涯学習を確保する」ことである。障害者の生涯学習に関しては、現在、次のように推移している。 1.29年4月 文部科学大臣が、「障害のある方々がそれぞれのライフステージで夢と希望をもって生きていけるよう、生涯にわたる学習活動の充実を目指すために関係部局の連携を図ること」と発出した。 2.30年3月 文部科学省生涯学習政策局生涯学習推進課 障害者学習支援推進室が「学校卒業後の障害者の学びの推進に関する有識者会議」を開催する。 3.30年10月 文部科学省改組「総合教育政策局 男女共同参画共生社会学習・安全課 障害者学習支援推進室」となる。 4.31年3月「障害者の生涯学習の推進方策について」~誰もが、障害の有無にかかわらず共に学び、生きる共生社会を目指して~」(報告)をまとめる。 有識者会議では、主宰NPO法人の「訪問カレッジ@希林館」の活動についてヒヤリングがあり、訪問型の「学びの場」について、実状の理解が得られ、報告書にも今後の課題として取り上げられている。 療養介護施設では、「児者一貫制度」の恒久化とともに、日中活動の充実が課題となっている。この課題は、今後各施設に求められており、その一つの取組みとして、「欅大学」の取組みを紹介する。本稿では、切れ目のない学ぶ喜び&生命輝く生涯学習として、在宅の「訪問カレッジ」・入所施設の「秋津療育園・欅大学」の活動を紹介する。 Ⅱ.「訪問カレッジ@希林館」の活動 1.NPO法人地域ケアさぽーと研究所「訪問カレッジ@希林館」(以下、「訪問カレッジ」)の目的 「生きることは学ぶこと、学ぶことは生きる喜び、生涯にわたって、学び続けていたい」との声にならない声がある。学びは、人間にとって根源的なものである。医療的ケアを必要とする方々の多くは、在宅生活を余儀なくされているが、「大学に行きたい!」「もっと勉強したい!」などの「学び」を希求している。それは、存在を懸けた声にならない叫びである。このような生涯にわたり学び続けたいという夢や願いに応えるために、学びの機会と場として「訪問カレッジ」の仕組みを創出してきた。「訪問カレッジ」は、「余暇活動」ではなく、キャリア形成の場である。かけがえのない人生のかけがえのない「時」を、学びたいことを学ぶ「時」とすることがモットーである。このことによって、生きがいと喜びがあり、生き生きと輝く地域生活を可能にすることと考えている。その目的は、学校卒業後、医療的ケアが必要なために、通所施設等の毎日の利用が難しい方々の自宅等へ、学習支援員を派遣して、生涯学習を支援する仕組みである。平成24年7月から、活動を開始した。 2.活動開始の理由(生涯学習のニーズ) 学校卒業後の医療的ケアの必要な方々の状況は下記のとおりである。 1)医療的ケアのため、在宅生活を余儀なくされている。 通所施設は、看護師が不在、入所基準にない。対象外である。 2)通所日数を分け合うため、年々通所日数を減らされる。 3)入所後医療的ケアが必要となり、退所を勧告される。 4)親の高齢化によって送迎が困難である。 5)生活リズムが崩れたり、健康や体調の維持が困難になる。 3.「訪問カレッジ」の現状(表1) 令和元年度 在学生 19名 1)訪問先 家庭:12名 病院:2名 入所施設:5名 2)学習内容 (1)体の取り組み(マッサージ、体操) (2)音楽・音楽鑑賞、iPadを使った音楽 (3)意思伝達装置(レッツチャット・マイトビーなど)の活用 (4)読み聞かせ (5)美術制作 (6)俳句づくり (7)英語 (8)創作(物づくり) 3)授業体制 概ね週1回(1回2時間) 前期・後期(8月と3月は休業月) 授業料 年 1万円 4)学習支援員(元特別支援学校教員)17名 2か月に1回会合 1回につき3000円の支払い(交通費無し)   4.「訪問カレッジ」の始まりは、Aさんとの出会い 「私は一昨年肺炎になり、気管切開をしました。それで声を失いました。絶望のどん底に落ちてしまいました。~中略~iPadを使ってのゲームや情報を色々勉強させてもらっています。」この文を綴ったAさんは、脳性麻痺、24時間のホームヘルプサービスを受けて、自立生活を送っていた。6年後疲労から肺炎となり、喉頭気管分離術を行った。声を失ったことに絶望し、両親に毎日のように「死にたい」と訴えていたと。Aさんに出会い訪問カッレジの開設の意義づけと新たな道に一歩踏み出す勇気をもらった。入学後のAさんは、「伝の心」で、童話の創作など、生き生きとした生活を送っている。 5.カレッジの要件 1)カリキュラムがあり、系統的・継続的に学べる年間計画・支援内容・個別の目標・評価を設定している。 2)専門的な知識・技能のあるスタッフがいる。 3)健康で生きがいのある生活のために、自らの個性や得意分野を生かす環境がある。 6.「訪問カレッジ」を通して分かったこと、その意義と役割 【訪問カレッジを通して分かったこと】 1)学校時代に身に付けたことを、ゆっくりと、自分のペースで、時間をかけて、自分らしさ・その人らしさを育んでいる。 2)何歳になっても、緩やかではあるが、成長・発達をし続けている。(キャリア発達の視点をもつ) 3)授業が始まると、学校時代に蓄積した力を発揮し、顔が輝き、笑顔一杯になる。(「学ぶことは生きる喜び」を体現している) 4)一週間に一度の訪問であっても、その日を心待ちにし、生活リズムを整えている。(回数だけでない、質が問われている) 5)筋緊張や拘縮を予防する、身体の取組みが最も必要なことである。(適切な学習プログラムの設定が肝要である) 6)年間を通じて、体調の変化がある。生命と向き合い、その力を精一杯発揮できる「時」は、かけがえのない時間である。(生命の輝きと価値観の形成がある) 7)学習支援員にとっても生き生きした活動の場であり、生涯学習の機会となっている。(人や場とのひろがり・つながりがある) 【意義と役割】 1)医療的ケアの必要な方の心豊かな人生への支援 (1)生命を育み、生きる力を強める。 (2)生活空間を、学びの環境として整え、生活の質を高める。 (3)本人主体の活動を創出する。 2)家族の方々への支援 (1)家族の孤立化を防ぐ~話し相手・心理的な支え。 (2)喜びを分かち合い、共感によって関係性を築ける。 3)地域社会への発信   (1)生命を尊重し、生命の価値を伝える。 7.「重度障害者・生涯学習ネットワーク」の形成 今後に向けては、同様な団体を、ネットワーク化して、力を合わせ、活動を拡充していくことにしている。参加団体は下記の通りである。 1)参加団体と代表者 (1)「訪問カレッジ@希林館」NPO法人地域ケアさぽーと研究所    (2)「訪問大学おおきなき」NPO法人おおきなき (3) 「ひまわりHome College」NPO法人ひまわりProject Team    (4) 「いるか」NPO法人 かすみ草 (5) 「NPO法人あいけあ」NPO法人あいけあ (6) 日野市障害者訪問学級 (7)「訪問カレッジ静岡」 静岡県障害者就労研究会 (8)「訪問カレッジEnjoyかながわ」NPO法人フュージョンかながわ   2)活動内容 (1)生涯学習の理解・啓発活動・情報交換・システムの開発 (2)生涯学習の学習内容の検討、プログラムの系統化 (3)合同スクーリングおよび本人講座の開催 8.「訪問カレッジ」のまとめ 「訪問カレッジ」は、願い・夢・生命を育む学びの機会と場を提供している。医療的ケアの必要な方々が、文部科学省の大臣の言葉のように、「障害のある方々がそれぞれのライフステージで夢と希望をもって生きていけるような」仕組みの制度化を期待している。(文責 飯野順子) Ⅲ.「大学活動 欅大学」の取組みについて 1.大学活動を始めた背景 2019年9月現在、秋津療育園(以下、当園)に入所している利用者174名中、40歳以上が全体の約8割(平均年齢50.6歳)であり、年々上昇している。高齢化に伴い、園内の行事や活動内容についても年齢相応の調整を行ってきた。個別性に特化した活動は充実する一方で、同年代でのグループ活動や趣味的サークル活動などは縮小する傾向にあった。現在の学童期(6~18歳)の利用者は5名で、特別支援学校施設内訪問学級に在籍している。学校の他、病棟での日中活動や発達支援活動の参加、個別での取組み、リハビリテーションなど手厚い支援の中で様々な活動を行っている。高等部卒業後、壮年期グループと同じ枠組みに移行することにより、日中の活動内容は大きく変化する。ここで問題となるのが、学齢期と壮年期の活動内容の差異である。 (以降はPDFを参照ください)
自主シンポジウム2:重症心身障害児(者)に対する多面的理学療法アプローチの試み
  • 花井 丈夫
    2020 年 45 巻 1 号 p. 101
    発行日: 2020年
    公開日: 2022/08/03
    ジャーナル フリー
    重症心身障害という障害像は、それを定義するのは知的障害と運動障害という2つの尺度である。しかし、現実の支援においては、これら定義された障害に、合併症や随伴症状など、また成長発達の中で影響し合い複雑に変容した多様な機能障害と、それに伴う活動や参加の制限が最も厳しい障害像である。児玉は、「理学療法を中心とした訓練の課題は、こうした将来にわたる変化を見通して、できるだけ早期から体系的な働きかけを続け、常に家族や介護スタッフと協力して悪循環を防ぎ、より快適な機能を維持させることであろう。」1)と述べている。重症心身障害の理学療法は、障害のある当事者の利益を最大にした多様で多面的なアプローチを常に開発していかなくてはならない。そして、開発したアプローチは多くに紹介し、多くで試みることによって、効果のエビデンスレベルが確かめられると考える。 今回の自主シンポジウムでは、2つの提案を行った。一つ目は、金子断行氏が、これまでは経鼻咽頭エアウェイや下顎挙上などに頼りがちな上気道通過障害に対する新たなアプローチの具体的な提案をした。二つ目は、平井孝明氏が、前述したように、運動機能の発達障害が、呼吸、循環、摂食嚥下や消化吸収機能に影響し起きる二次障害のメカニズムを再度整理確認し、それらにどう対応したらよいかを臨床経験から提案した。 なお、これらの提案は、実施する理学療法士の技量経験によって効果が異なり、持続効果も含め頻度などをどうマネージメントするかなどの課題は別にあるが、障害の機能面において直接支援できる理学療法を再認識いただき、理学療法士にこれらを行う機会がより提供されることを願っての起案である。
  • 金子 断行
    2020 年 45 巻 1 号 p. 103-105
    発行日: 2020年
    公開日: 2022/08/03
    ジャーナル フリー
    重症心身障害児(者)の呼吸障害の要因は、下顎後退・舌根沈下・アデノイド・喉頭軟化・被裂部陥入などによる上気道通過障害、胸郭変形・呼吸関連筋活動異常・拘縮などの胸郭呼吸運動障害、呼吸・下顎関連筋群と関連組織の未成熟や呼吸・下顎運動の未発達、中枢性低換気が複合的に絡み合い生じる。 重症心身障害児(以下、重症児)には全身性の屈曲または伸展緊張パターンが分布し、胸郭が挙上位または下制位で固定される。全身が反り返る胸郭挙上位では吸気位固定となり、この肢位からの肋骨挙上は難しく吸気が取り難い。また全身が屈曲する胸郭下制位では呼気位固定となり、肋骨挙上が困難となり同じく吸気が取り難い。このように重症児の胸郭呼吸障害の本態は、吸気障害とそれに伴う肺胞低換気である。このような全身の緊張パターンは頸部を非対称的に捻じらせ、頭頸部の発達制御を妨げるため、上気道通過障害も必発する。上気道通過障害は胸郭呼吸運動障害を悪化させる故1)、重症児の呼吸障害において上気道の治療は優先すべきである。 Ⅰ.新生児の上気道の特徴  形態的に短い新生児の頸部は、左右どちらかを向いた過伸展位をとる。また解剖学的に甲状軟骨が舌骨に近づいた、成人よりも1~3椎体分高い喉頭高位を示す。そのため声門閉鎖を来しやすい。さらに、喉頭蓋上縁は口蓋に達しており、喉頭口部の距離は短い。また、口腔内に占める舌の容積率が大きく、睡眠中には舌と軟口蓋とが接して経口気道は閉塞する。以上のような特徴のため、鼻腔から肺までは直線的に開通した経鼻咽頭気道であり、口呼吸よりも鼻呼吸が優位となる。しかし、経鼻気道は鼻腔容積が小さく、過剰分泌物やリンパ腫などで容易に閉鎖する。したがって、新生児の鼻腔閉鎖は呼吸障害に直結する。また、上顎に比べ下顎の形態は小さく、顎関節は未形成で下顎は後退し、咀嚼筋群などの顎関節関連筋群も未発達である。そのため、神経筋障害がなくとも背臥位では重力により下顎・舌根ともに後方に牽引されやすく、咽頭狭窄が生じやすい。さらに、頸部制御機構が未発達なゆえに頭顎部過伸展位や過屈曲位となり、この肢位は中咽頭の狭窄を助長する。 Ⅱ.上気道通週障害 鼻腔周囲筋群の緊張異常・アデノイド肥大などは上咽頭(鼻咽頭)狭窄、下顎後退・舌根沈下等による中咽頭狭窄等が、重症児の上気道通過障害の病的要因となる。これらの症状を呈する多くのケースは舌・下顎・顎関節の未発達を呈している。 「正常な赤ちゃんは哺乳時に舌の運動を1日1200~2400回繰り返し下顎運動させ顎を発達させ、出生直後に後方に位置する下顎は舌の発達と同時に1歳ごろまで急成長し前にでてくる。その後、5歳ごろまでに咀嚼・嚥下を何万回も繰り返し、下顎は前推し形態も発達する。」2)といった、舌や下顎の運動を質的にも量的にも発達経験できない重症児が舌・下顎・顎関節形成の発達不全に陥る。そして、この状態のままで長期間口腔に介入がないと、顎関節の可動性低下や拘縮を来し、下顎挙上・前推も困難となる。また開口や閉口も制限され、口腔内衛生管理や歯肉崩出等の治療も滞る。 この対応には、従来より経鼻咽頭エアウェイを中心に下顎挙上、器具による下顎保持、全身的姿勢管理、筋緊張緩和、持続陽圧呼吸(CPAP)、気管切開などが用いられている3)。しかしながら、経鼻咽頭エアウエイは、分泌物で詰まりやすい・固定テープによる皮膚のトラブル・多量顔汗でのテープ固定力低下・鼻腔周囲の発赤/潰瘍・食道/喉頭/気管への迷入・鼻腔咽頭での加湿なき吸気・エアウェイ刺激での分泌物過多・挿入時の痛みによる血圧上昇・事故抜去などの問題点があり、また重症児の舌・下顎・顔面筋群に対する発達には貢献しない。 上気道通過障害に対しての発達を促進する徒手的介入の必要性は筆者が15年以前より紹介しているが4)、本邦では未だに膾炙されず、特に上咽頭(鼻咽頭)狭窄については経鼻咽頭エアウェイに依存している3)5)。今回、筆者は発達的視点を応用した、鼻腔周囲筋群へのアプローチによる鼻腔開大、顎関節周囲筋への介入による下顎後退/舌根沈下の緩和、上記の基盤である頸部アライメント整調の新たなアプローチを提唱する。 Ⅲ.鼻腔周囲筋群へのアプローチによる鼻腔開大 進化の過程で二足直立となったヒトは、下肢、骨盤、肩甲骨、胸郭だけに留まらず顔面も進化させた。鼻腔は二足直立で鼻腔周囲筋群が活動することにより鼻呼吸を保持し、二足直立のバランスも下顎の発達で補完するようになった。二足直立が困難な重症児では顔面筋である鼻腔周囲筋の未発達が残存し鼻咽頭の持続的開存が難しい。そのため、徒手による介入で上咽頭(鼻咽頭)狭窄に対し鼻腔周囲筋群(上唇鼻翼挙筋、鼻根筋、前頭筋)へアプローチし鼻腔の開大を助ける必要がある。この鼻咽頭開大への介入を紹介する。 嗅裂外側部の飾骨洞部を目指し上唇鼻翼挙筋を指腹で捉え、両側から抗重力方向である頭側に尾翼を挙上させて柔軟性を引き出すと鼻腔が広がる。さらに鼻根筋を手指で捉え鼻根を抗重力方向である頭側に挙上させ柔軟性を引き出すとさらに鼻腔が開口し鼻呼吸を深くできる。繰り返すことで鼻腔開大が学習され深い鼻呼吸の発達を促進できる。さらに在宅で鼻腔開大を保持するため、両側の飾骨洞を引き離すようにテープで固定すると良い。テーピング使用が長時間になるときには、ドレッシング剤を用いて皮膚を保護する。以上により口呼吸優位な重症児が分離した鼻呼吸へ発達するきっかけとなる。 Ⅳ.顎関節周囲筋への介入による下顎後退 次に下顎後退・舌根沈下による中咽頭狭窄改善のため、顎関節症のアプローチを応用した、内側・外側翼突筋、咬筋、側頭筋等への介入を紹介する。 下顎骨は、左右の内側翼突筋と咬筋に吊り下げられ安定している。閉口時にはこの2つの筋肉に側頭筋を加えた3筋が咀嚼筋として活動する。これらが低緊張/低活動であると背臥位で下顎は後退する。この咀嚼筋に左右差があると下顎に捻れが生じる。この状態に下顎頭を前方移動させる働きをもつ外側翼突筋の不活性/低緊張/低活動が加わると下顎の後退は助長される。 下顎下側内側の顎舌骨筋の後方に付着する内側翼突筋を下顎下内側から捉え、同時に顎関節部を安定させ、内側翼突筋に情報を与え賦活させる。咬筋の走行に沿って筋が頭側の抗重力方向に働くように促通と情報を与えると筋活動が触診できる。側頭窩の下側頭線に起始し下顎骨筋突起に停止する側頭筋は、薄く広いので重症児では短縮・固定化がしやすい。そのため筋全体を広くリリースし柔軟性を引き出す。特に下顎骨筋突起内側面に付着する側頭筋垂直線維は下顎挙上・下顎骨筋突起先端に付着する水平線維は下顎後退と2つの機能を合わせもつため、この筋活動の粘弾化は、下顎後退の抑制と下顎前推の発達に寄与する。 Ⅴ.頸部アライメントの整調 下顎運動と頸部筋活動とアライメントの関連は多くの文献で散見する6)7)。同時に上咽頭(鼻咽頭)狭窄と中咽頭狭窄も頸部筋活動の発達と密接に関連するので頭頸部制御とアライメント整調は、下顎運動と上咽頭・中咽頭狭窄改善の基盤ともいえる。頭頸部制御には深部に位置する後頭下筋群である大後頭直筋・小後頭直筋・上頭斜筋・下頭斜筋・左右で計8つの後頭下筋群は重い頭蓋骨を三脚様に支え頸部を安定させる。重症児の多くはこれらの後頭下筋群が抗重力性に作用せず、短縮・低活動である。 頸部後面から各々の筋の走行に沿って頭側方向に左右対称的に柔軟性を引き出しつつ、「長い頸」へと発達させる。さらに頭部を軸上に回旋させると後頭下筋群が下顎運動と鼻腔拡大が期待できる。 Ⅵ.まとめ 重症児の上気道通過障害性(上咽頭・中咽頭)呼吸障害に対して発達的視点を応用した新たなアプローチを提案した。さらに顎関節周囲筋群への介入による下顎後退/舌根沈下の緩和・これらの基盤である頸部アライメント整調も紹介した。これらを従来の経鼻咽頭エアウエイなどと併用することにより重症児の呼吸機能改善とQOL向上が期待できる。
  • 平井 孝明
    2020 年 45 巻 1 号 p. 107-109
    発行日: 2020年
    公開日: 2022/08/03
    ジャーナル フリー
    重症心身障害児(者)(以下、重症児(者))の示す閉塞性・拘束性の呼吸障害、誤嚥や感染に伴う気管支炎・肺炎等の呼吸器疾患、胃食道逆流症・便秘・下痢・腸閉塞等の消化器疾患、浮腫・褥瘡等の循環障害の多くは、特異的運動発達に伴う二次障害としての筋・骨格系の異常である脊柱側弯変形、股関節脱臼が主要原因となって引き起こされ、児の健康で快適な生活と社会参加を脅かしている。生物進化を移動様式の変化と捉えれば、系統発生においてヒトは四つ這いから直立二足歩行により垂直軸で重力を受けることで生理的均衡を維持するように分化した。個体発生においては、この変化の中で運動機能が発達し、呼吸機能・循環機能・消化吸収機能・排泄機能を含めた内臓機能が最も効率的に働く。これらは血流により連結され全体的に協調して機能しているが、その前提として直立姿勢の保持と二足歩行能力の獲得が大きく影響する。今回、運動機能の発達が呼吸機能、循環機能、摂食嚥下・消化吸収機能、免疫機能等に与える影響について述べ、重症児(者)の示す運動障害に対して、二次障害予防のためにわれわれ理学療法士はどう対応したら良いかについて、臨床経験の中から提案したい。 リハビリテーション業務に携わる専門職の中で、いわゆる療法士と呼ばれる職種の専門性と果たすべき役割について考えれば、命を守る理学療法、世界とつなげる作業療法、人をつなげる言語療法と広く位置付けられる。さらにわれわれ理学療法士の果たすべき役割について細かく述べれば、1自己実現の援助、2命を守る理学療法と言えるが、以下にその説明と、重症児(者)に対して具体的にどのような影響を与えることができるかの可能性を提示したい。 われわれは意識的、随意的には筋運動しか出力系を持たない。筋が働かなければ全く自分の考えや意見、感情を他人に伝えることができない。コミュニケーションと呼ばれるもの、これはすべて随意運動に依存する。われわれ理学療法士の仕事は、具体的・機能的な運動機能を獲得・達成するための一手段であるが、われわれが働きかける筋運動や動作の改善は、広く一人ひとり重症児(者)の自己表現、自己実現の援助そのものであると捉えることができる。つまり理学療法の最終目標は「自己実現の援助」であり、その認識で日々の取り組みを行う必要がある。 理学療法の「理」は現象・気の本性を言い、「理学」は人性と天理の学問であり、人としていかに自然に則って生きるかを探求する。理学療法士として、姿勢・運動とヒトの生理的機能との関連について考えたとき、健康を維持する身体の仕組みは?運動と身体の仕組みの関係は?について、ヒトの系統発生における体の成り立ちが取り組みの方向性を示唆してくれる。 系統発生的にヒトは直立二足歩行へと進化したが、重症児(者)において、その破綻が従重力姿勢を強いられることにより身体の不調を引き起こす原因となる。ヒトの身体機能は便宜的に植物機能と動物機能に大別できる。植物機能は内臓系の機能を意味し、消化器系、循環器系、呼吸器系、排泄器系、生殖器系を含み、血管系が連結を司る。動物機能は体壁系の機能を意味し、感覚器系、運動器系、伝達系を含み、神経系がその連絡を司る。両者は、植物機能が動物機能を養い、動物機能が植物機能を維持・活性化するよう相互に補完的に機能している。重症児(者)においては、たとえば広く障害を受けやすい呼吸機能を独立して考えず、循環機能、消化吸収機能、排泄機能を含めた植物機能全体の一部として捉える必要がある。またその植物機能が円滑に機能する前提として動物機能へアプローチするという視点が重要となる。 ヒトは水分と熱の反応系の中で生命活動を営む動物であり、生存に必要な体温を一定に保つための熱生産の6割を筋肉が担っている。また筋の収縮速度は体温に影響され、筋運動を賦活し、体温を維持することがヒトの生理機能維持の源になっている。また白血球の貪食作用は細胞レベルの消化力で温度依存性があるが、1.5度体温が下がると白血球は消化力を全く失ってしまい、1.5~3度上がると消化力が急増する。筋運動改善へのアプローチは全身的な免疫能の向上にも不可欠である。 直立位で移動するヒトは地球重力下の動的状態で構造安定を図る生物であり、骨は重力負荷の環境下でないと硬度を保つことができないが、さらにピエゾ効果により足部が接地―離床の繰り返しの中で硬度の改善を図る。骨折予防の観点だけでなく、骨の重要な機能に骨髄造血作用があり、赤血球・白血球造血のより全身への酸素供給と免疫の要となっている。歩行能力の獲得はヒトの健康維持に重要な役割を果たす。 その際、ヒトの骨盤における仙腸関節は対称的直立位保持を可能にする最も重要なバランスの要であるが、ヒトは重力下における仙腸関節での正しい体重支持を経験しないと全身的骨格構造、特に股関節の形成や脊柱の対称的伸展位保持、機能的運動性の獲得が阻害され、将来的な脊柱側弯変形や股関節脱臼発症の大きな要因になる。早期よりの対称的な骨への荷重により、運動発達の中で直立位、直立2足歩行が準備されるが、障害によりその実現が困難な障害児(者)に対しては、元来抗重力姿勢や歩行機能獲得に必要な運動構成要素を有する腹臥位での課題達成準備が推奨される。障害に応じて適切な運動課題を選択しながら、腹臥位、四つ這い位、膝立ち位、前傾座位、立位と、徐々に運動課題を上げ、多くの姿勢・運動を経験・達成する中で、股関節の形成、下肢-骨盤および骨盤-脊柱の連結と運動性獲得、脊柱側弯予防、咬合不全の予防、嚥下機能の向上、循環動態の改善、消化管機能の賦活、バランス能力向上等の効果が期待できる。 下顎骨は嚥下運動を司っているが、ヒトの重力下、直立位における左右対称性の第2の要でもある。嚥下機能に関して下顎骨は1つの骨で2つの関節を持ち、構造上円錐コロを形成し、三次元空間において軌道を修正しながらの運動を可能にする高度な運動性を有するが、一面顎関節はハサミのように頭蓋骨と下顎骨が同時に動く協調関節であり、頸椎のアライメントと運動性に強く影響を受ける。その結果、将来的な下顎の偏移に伴う咬合不全、嚥下運動障害を来しやすく、さらに鼻呼吸の獲得を阻害し、誤嚥を伴い重度な呼吸障害発症の重要な原因となる。頸椎の運動性は仙腸関節の動きに影響を受け、胸椎の動きに規定され、頸椎が過屈曲位でも過伸展位でも正常嚥下は不可能である。また頸椎が中間位でも肩甲帯が過緊張で肩甲骨が拳上していても嚥下は困難となる。呼吸運動の困難性に伴う換気不全により、最大吸気位・最大呼気位でも嚥下運動は困難である。 循環器系は、体中の水分を掻き回して酸素や栄養物の濃度を一定にし、老廃物を排泄するための攪拌装置である。循環器は狭義には心臓・動静脈であるが、循環作用には体中の筋肉、特に下腿三頭筋・横隔膜の関与が重要である。血管の総長は5万㎞以上あり、心臓の拍動だけでは循環できず、筋肉の収縮が重要な役割を担う。最も末梢で心臓より遠位の血管である足部の循環には下腿三頭筋の収縮が必要不可欠であり、腹部静脈の還流には、横隔膜による上下運動に伴うポンプ作用が強く影響する。十分な脊柱伸展が準備されないと心臓と横隔膜が接し、腹部循環も滞るため総循環量と換気量の低下を来す。 脳循環は密封容器中の拍動のない無波動循環であり、この実現には直立位でのサイフォン効果が有用である。心臓より上部に位置する脳循環は直立位の準備が重要となる。 起立台は日常的に良く使用される姿勢保持装置であるが、下肢の運動性を伴わない立位保持の状態では20分間で臍下に全血流量の2/3が貯留してしまう。全身、特に脳循環は著しく阻害され短時間でなければ学習効果は期待できないが、視線の高さ、発声機能、嚥下機能、呼吸機能、上肢機能には効果が得られやすく、目的や効果を考慮しながら立位場面を設定する必要がある。 横隔膜呼吸は肺循環動態に影響を与えるが、肺循環周期は4秒周期で、呼吸周期も4秒周期と一致しており、呼吸運動と循環動態は効率良く作用し合っている。また心拍数は1分60回前後で、歩行中の歩数もほぼ同数であり、心臓からの1回拍出量は約60~80ccで、歩行中に1側下腿から還流する静脈血も約60~80ccで一致している。歩行運動と循環動態も同様に効率良く関連している。 呼吸中は水分の損失が激しいので、いかに予防するかがヒトの呼吸運動の課題となる。閉口に伴う安静鼻呼吸の獲得により、吸気の加温・加湿、外的因子からのバリア機能、適度な気道抵抗による気道粘膜保護が得られ、呼吸機能の維持が図れる。逆に習慣的な口呼吸では、扁桃は病原菌に侵され容易に炎症を起こし、病巣感染の原因となる。呼吸運動は鼻呼吸で行われるのが通常で、全身状態を良好に保つ基盤であるが、鼻呼吸は横隔膜呼吸を可能にし、横隔膜の上下ポンプ運動が、腹部循環動態と消化吸収能力の改善に大きく影響する。逆に腹部の膨満や硬結に対し、適切な運動刺激の介入により、腹部膨満の軽減とともに横隔膜運動の賦活と換気量増大が認められ、同時に胸郭運動性の改善が得られることが多い。 以上示したように、身体運動機能と呼吸・消化吸収・循環機能は相互に関連し、補完的に影響し合うが、その前提に鼻呼吸の確立、腹部膨満の改善、腹臥位を基にした対称的な脊柱伸展活動と直立位の準備、できるかぎりの歩行機能獲得という機能的側面があり、その支援をわれわれ理学療法士は早期より一貫して援助する必要がある。
自主シンポジウム3:重症心身障害児(者)がインクルーシブな世界で活躍するには −重症心身障害児(者)が医療から卒業していくために−
  • −27,300円払って私たちが京都に行ったわけ−
    直井 寿徳, 中島 愛, 菅沼 雄一
    2020 年 45 巻 1 号 p. 111-118
    発行日: 2020年
    公開日: 2022/08/03
    ジャーナル フリー
    重症心身障害児(者)(以下、重症児(者))では、幼少期からのリハビリテーション(ハビリテーション)(以下、リハ)を、そのままの関わり方で継続しているケースが多い。そういった関わりが、いつまでもリハに依存してしまう原因となっている。障害があっても、その上でどんな生活を楽しんでいくかを考えられるような、その子とその家族となっていくように関わることが大事であり、第28回パラアーティスティックスイミングフェスタに出場したことを報告しその考え方と実践を述べていく。
自主シンポジウム4
  • −岡山県における保育園受入れの実際から−
    三上 史哲, 松本 優作, 植田 嘉好子, 笹川 拓也, 村下 志保子, 江田 加代子
    2020 年 45 巻 1 号 p. 119-122
    発行日: 2020年
    公開日: 2022/08/03
    ジャーナル フリー
    Ⅰ.はじめに 医療的ケア児は全国に約1.8万人いると推計され1)、新生児医療の進歩等によりこの10年間で2倍に増加している。医療的ケア児に明確な定義はなく、医療的ケアをどの範囲までと捉えるかによって、推計値も若干異なってくる2)。厚生労働省による資料では、医療的ケア児とは喀痰吸引や人工呼吸器、経管栄養などの医療的ケアを常時必要とする児童3)と説明される。この定義では、重症心身障害児も、知的障害や肢体不自由を伴わない児童も含まれる。したがって、障害福祉サービスが利用できない医療的ケア児も存在し、このような児童は法の谷間に取り残され、家族の昼夜問わない介護の負担や社会的孤立が指摘されている。 ノーマリゼーション理念の浸透や障害者差別解消法の後押しもあり、障害の程度にかかわらず、医療的ケア児の一般の保育所や認定こども園への入園希望も高まっている。そこで本シンポジウムでは、医療的ケア児とその家族が社会から排除されることなく包摂(インクルージョン)されるよう、保育所における安心・安全な受け入れの人的・物理的な条件整備と制度のあり方を検討することを目的とした。特に岡山県内においては、ここ数年の間で「医療的ケア児」の保育園受け入れが進み始めたところであり、その現場実践と関連する制度の運用に焦点を当てた。 Ⅱ.方法 まず、岡山県保健福祉部による調査結果をもとに岡山県の医療的ケア児数の実態把握を行い、岡山県の医療的ケア児支援制度について整理した。 次に、医療的ケア児が保育施設を利用するための課題の参考とするため、医学中央雑誌を用いて、「医療的ケア」and 「保育所(園)」「保育所」「幼稚園」「こども園」のキーワードをタイトルに持つ国内文献を検索し、文献レビューを行った。 さらに、医療的ケア児の受け入れ実績のあるひらたえがお保育園における受け入れまでの準備内容や、受け入れ後に見えてきた課題を示した。 最後に、市立保育所を利用する医療的ケア児の母親から保育園受け入れまでのプロセスや、保育園利用の意義や課題等についての半構造化インタビューを行った。面接日時は2019年8月12日の2時間30分で、場所は調査対象者の自宅で行った。倫理的配慮として、調査対象者に調査の目的および方法を説明し、調査への協力は任意であること、個人情報保護やプライバシーへの配慮等について文書および口頭で伝え、同意を得た上で実施した。なお、本調査は川崎医療福祉大学倫理委員会より承認を得て実施した(承認番号18-108)。 Ⅲ.結果 1.岡山県における医療的ケア児の実態と課題の把握 平成30年の岡山県保健福祉部による調査では対象となる医療的ケア児が385名いることが分かった。これらの医療的ケア児に対して、岡山県では様々な支援事業を実施しており、医療的ケア児等と家族の安心生活サポート事業4)では、短期入所サービス拡大促進事業、短期入所事業所施設開設等支援事業、医療的ケア児等支援者養成事業等があった。岡山県における医療的ケア児の短期入所受け入れ施設は、短期入所事業所施設開設等支援事業の成果もあり、専門施設や総合病院にかぎらず、老人保健施設等でも受け入れ可能な施設があった。ただし、実施可能な医療的ケアには施設によって異なり、地域によっては短期入所の利用が限定的にならざるを得ない環境も存在した。 2.医療的ケア児の保育施設への受け入れに関する研究の動向5) 方法で示した手続きで国内文献を検索した結果、61件のヒットがみられた(2018年12月10日検索)。ここからさらに原著論文に限定し、16件を抽出した。最後に、これらの抄録の内容を確認し、研究目的に関連した内容の論文を抽出し、最終的に11件の文献レビューを行った結果、以下の課題がみられた。 1)医療的ケア児を受け入れるためには、看護師の配置が必要になるが、段階的課題(看護師の確保、看護師の対応力、看護師の専門性が発揮できる配置)が存在する。 2)保育施設だけで体制を整えるのではなく、施設間の連携強化が必要である。 3)医療的ケア児を受け入れるためには、医療専門職だけではなく、他の職員や設備など園全体での取り組みが必要である。 4)受け入れ体制を整えるためには保護者が積極的に動かなければならない。 3.保育施設における医療的ケア児受け入れの実際 旭川荘が運営するひらたえがお保育園は、一般の保育園や幼稚園および障害児保育拠点園(岡山市が独自の取り組みとして障害児保育を行っている保育園のことで、中・軽度の障害児を各園10名受け入れ、個別指導を行いながら、クラスで生活ができるようになるための保育を行っている。岡山市内に11園ある。)でも受け入れてもらえないような、医療的ケア児や重度な心身障害児等を多く受け入れられる保育園として平成31年に開園した。 医療的ケア児や身体障害児等重度な障害児を受け入れるための準備として、開園前より、園長自らが障害児の受け入れ実績のある県内外の2保育園、3施設、2支援学校を視察した。また、障害児を受け入れるための園舎内の設備の参考にするため、県内外、一般保育園5園、3拠点園を視察した。看護師の配置については、旭川荘療育・医療センターより、経験豊富な看護師を推薦してもらい配置した。 職員については、医療的ケア児を含む障害児の受け入れ準備に向けて、平成30年10月に2名、平成31年1月に2名の職員を採用し、障害についての理解、支援の方法を学ぶため、障害児(者)施設、障害児拠点園、市内保育園等、12施設で実習・視察を行い、知識、技術を深めた。また、開園2週間前より、全職員の障害児理解、保育内容等について、専門家による、事前研修を行った。 開園から5か月で見えてきた課題として、医療的ケア児専用の医療機器に他の児童が関心を示して触ろうとするなどして目が離せない状態があった。そのため、保育内容によっては、同じ部屋にパーティションや柵を取り付けて保育を行う場合もあるなど、インクルーシブな保育の限界もあった。一方で、医療的ケア児を含む障害児は、大人の中だけで生活していることが多いからか、最初は子どもの声を嫌がる様子が見られたが、今では子どもたちが「おはよう」と言って寄って来て、手や身体に触わっても嫌がらなくなってきたという、保育の効果とも考えられる状況も見られるようになった。 4.市立保育所を利用する医療的ケア児の母親へのインタビュー調査 対象の児童は5歳3か月の女児で、市立保育所を利用し始めて3年目であった。主な診断名として大頭症毛細血管奇形症候群、先天性中枢性低換気症候群(CCHS)があり、1歳時に気管切開手術を受けていた。また、軽度知的障害・自閉症もあった。医療的ケアの内容としては、痰の吸引(食事前、必要時)、就寝中の人工呼吸器による呼吸管理、日中は人工鼻で過ごす、などがあった。保育上の留意点として、転倒したり他児にぶつかったりして人工鼻が外れないようにする、水遊び等で人工鼻が濡れないようにするなどがあった。 保育園入所決定に至る経緯として、母親の積極的な市への働きかけに市および保育園が前向きに取り組み、入所が実現していた。また、母親が保育所利用を希望する経緯としてCCHSの家族会の保護者が保育所を活用して就労していることを聞いたことがきっかけとなっていた。 保育園利用による変化として、家では食事介助が必要にもかかわらず、保育園ではエジソン箸を使った食事を介助なしに自分で食べるなどができるようになっていた。また、友達のことは大好きで、全員の名前を覚えており、誰が何をしたとかを教えてくれるようになるなどのインクルーシブな保育による成果とも考えられる内容が聞き取れた。 今後の不安として、小学校への就学に向けての課題があった。小学校や放課後デイサービスにおける医療的ケアの課題(看護師配置)や保護者の就労時間の問題、保育園と小学校との接続(子どもの環境/市の担当組織)への不安が課題としてあげられた。 Ⅳ.考察 平成30年の調査の時点で、岡山県には385名の医療的ケア児が存在していた。これらの医療的ケア児に対して、様々な支援事業が実施されていた。中でも岡山県独自の取り組みとして医療的ケア児の短期入所受け入れ施設の開設に積極的に取り組んでいた。短期入所は、保護者のレスパイトや一時的な就労に重要な役割を果たすことに間違いない。しかし、保育所のように保護者の長期的な就労の支援には向いていないと考えられる。また、短期入所施設は安全な受け入れを重視し、保育所のような発達段階に適した活動を取り入れることは難しいため、保育所における医療的ケア児の受け入れの増加は今後ますます重要となると考えられる。 (以降はPDFを参照ください)
自主シンポジウム5
  • 仁宮 真紀, 河俣 あゆみ, 市原 真穂
    2020 年 45 巻 1 号 p. 123-128
    発行日: 2020年
    公開日: 2022/08/03
    ジャーナル フリー
    Ⅰ.はじめに 昨今の医療のめざましい発展や法改正、そして社会の千変万化する価値観の多様性は、重症心身障害児(者)(以下、重症児)の「生きかた」に影響を与えている。たとえば、医療の発展は重症児の救命や延命に寄与し、多くの重症児の命が救われている。しかし、重症児を取り巻く問題のすべてが解決したわけではない。重症児はその人生において、気管切開や人工呼吸器の装着などの新たな医療的ケアの導入や、延命および救命処置の選択を求められる重要な局面が幾度となく訪れ、そのたびに代理意思決定が必要となる。また、NICUやICUからの在宅移行支援が積極的に推進され、重症児が生活する場は、施設や病院などの医療機関が主流ではなく、家庭や学校・幼稚園などの教育機関、そして通所や放課後等デイサービスなど、地域全体に広がっている。 このように重症児の生活の場は拡大しているため、様々な機関の看護師が重症児のケアに関わることが増えている。その一方で、看護師は重症児の看護に様々な困難感を抱いていることが先行研究などによって明らかにされている。重症児は言語的コミュニケーションをとることが難しく、意思や表現の表出も乏しい。また、重症児の意思確認の判断基準は看護師によって異なり、さらに曖昧である。そのため、看護師自身が「この子にとって良いケアをした」という確固たる確信を得られないことが、困難感を抱く背景にあるものと考える。これは、重症児看護には暗黙知という看護の技の継承文化があり、「なぜその看護を行うのか」という根拠が言語化されてこなかったことも影響しているのではないかと考える。看護師が「なぜ」と考えたとき、重症児看護ならではの倫理的思考を持つことが重要となる。 重症児に関わる看護師が看護倫理を考えるということは、重症児の意思や人生をどのように捉え、そこに看護師がどのように関わっていくかを考えることである。「障害」に対して個々が抱く価値観が多様化し、大きく流動している今だからこそ、重症児が主体的に「生きていく」ための看護倫理とは何かというテーマに真摯に向き合うことが必要であると考える。本稿では、重症児の看護に携わってきた3名の小児看護専門看護師がそれぞれの立場から、1.重症児の看護倫理に関する現任教育の実際(仁宮)、2.重症児の権利を擁護するための実践と看護管理(河俣)、3.看護学生・看護師に対する倫理教育と研究のあり方(市原)について述べていく。             Ⅱ.重症児の看護倫理に関する現任教育の実際 1.重症児看護に携わる看護師が抱く倫理的葛藤 重症児の身体的・社会的特徴として、病態生理が複雑であるため個別性が高いこと、重症児の意思決定が家族(家族や親族が不在の場合は、施設関係者)である場合が多いことがあげられる。そして、重症児は自らの意思を他者に伝えることが難しく、他者は重症児の意思やサインを読み取ることが難しいという事象は、日々のコミュニケーションや看護評価など、両者の相互作用を必要とする作業をより困難にさせている。 このような特徴から、重症児看護に携わる看護師の多くは、「重症児の本当のことが分からない」、「自分の看護は重症児のためになっているのだろうか」という倫理的葛藤を抱いており、それが重症児看護に対して難しさを感じる要因となっている。 重症児看護に携わる看護師が抱く主な倫理的葛藤には以下のようなものがある。 1)長期間にわたって、浣腸などのルーチンの指示が変わらないこと 2)長期間にわたって施設入所している重症児の人権尊重に関すること 3)重症児の苦痛や安楽の読み取り、希望や夢などをどのように見出していくべきか 4)医師やコメディカル、家族との意見の相違、価値の対立に関すること 5)看護師が行うケアの相違に関する葛藤 6)長期的に重症児に関わることによる「馴れ合い」に関すること これらの内容はあくまでも一例に過ぎない。しかし、病院や施設、そして在宅などの場所や重症児の疾患や年齢を問わず、重症児看護に携わっている看護師たちから共通して聞かれる倫理的葛藤の内容である。 2.倫理的葛藤を職員間で共有するための当院の取り組み−つぶやき会をとおして− 当院では、3年前より「つぶやき会」という会を不定期で開催している。つぶやき会は、日勤終了後の1時間程度、休憩室などに集まり、仕事をしている中で日頃思っていることや感じていることを自由に「つぶやき合う」会である。この会を始めるきっかけになったのは、ある看護師が筆者に、重症児との関わりのあり方に疑問を抱き、「私だけが勝手に思っているだけかもしれない」とつぶやいたことである。その看護師がつぶやいた内容は、筆者が新人看護師の頃に疑問に感じていたことと似たような内容であった。重症児看護におけるモヤモヤは、看護師の経験年数や時代、場所を問わず、ある程度の普遍性があるのではないかと考えた。 そこで、各部署の看護師を対象として、「参加したい人だけが自由に集まり、自由に語ることができる」場所と時間を作ることにした。第1回目は全部署合同で開催し、各部署のメンバーでグループを構成し、ファシリテータ―をおいて「仕事中に思うこと」をテーマに参加者同士でつぶやきあってもらった。研修や勉強会を目的とした会ではないので、正解や不正解を探ったり、善悪の評価をしないことを参加者に予め伝えた。 参加者からは、多岐にわたる種類の倫理的葛藤が込められた内容がつぶやかれ、「自分だけがこのように思っているわけではないことが気づけて良かった」、「みんなの考えていることが分かって、別の見方に気づくことができた」という意見があった。その一方で、経験の浅い看護師からは、「先輩と一緒のグループだと少し緊張した」、「他の人と意見が違うと、やっぱり自分が間違っているのではないかと思った」などの意見も聞かれた。そのため、2回目以降は、各部署別に開催し、気心が知れた2~3名の少人数のメンバー同士でつぶやき会を行うようにした。しかし、変則勤務のために会を設定することが難しい現状もあったため、筆者と同行する外部研修や出張先、研究・研修指導の合間にグループを作って、つぶやき会を開催するスタイルとなって継続している。 小西1)は臨床には非常に多くの「気づき」があり、その多くの気づきをどう行動に移せるかが、看護倫理の今後の発展に寄与すると述べている。看護師たちがつぶやくのは、そこに何かの「気づき」があるからである。そして、その気づきに対してモヤモヤし、倫理的葛藤を抱くと考えられる。今後も、つぶやき会をとおして、重症児に関わる看護師たちのちょっとした気づきにしっかりと耳を傾け、一緒に考え続け、重症児看護の質の向上を目指していきたいと考えている。 3.臨床において重症児に関わる職員の倫理的感受性を高めていくために 重症児の「本当のこと」を知ろうとするためには、経験年数を問わず看護師、医師、セラピスト、保育士や介護福祉士などのすべての専門職が、「何かおかしいと気づく力」を養うことが重要である。つまり、倫理的感受性を高めていく必要がある。「何かおかしい」と気づくことの具体的な事例としては、「毎日浣腸の指示が出ていて実施しているが、本当に必要な処置なのだろうか?」、「経験年数の長い職員が重症児に対してニックネームで呼んだり、馴れ馴れしい言葉遣いで話したり、時には威圧的に感じる言い方で話しているが、どうなのだろうか?」などが挙げられる。このように「何かおかしい」と気づいたとしても、それを言語化して他者に伝えたり相談したりするという行動に移すことに躊躇する人も少なからず存在する。それは、「自分だけがそう思っているのかもしれない」と自分の価値観と対峙するため、「みんなは違うかもしれない」と思い至って、他者への表出を躊躇するからではないだろうか。しかしそれでは、「何かおかしい」というモヤモヤした気持ちをずっと抱えたままの状態で重症児に関わっていくことになる。 前述したように、重症児には「自らの意思を他者に伝えることが難しく、他者は重症児の意思やサインを読み取ることが難しい」という特徴がある。そのため、ケアを行うわれわれ看護師をはじめ、重症児に関わる人々が、「本当にこれで良いのか」を常に考え続け、そして、それを仲間たちと共有することが重症児の権利を擁護することにつながっていく。つまり重症児のアドボケーターになるためには、個々の倫理的感受性を高めていき、重症児の声を代弁して周囲に伝えていくことが求められている。「何かおかしい」と気づく力を身に付けて声に出していくことは、昨今大きな問題となっている施設内虐待の抑止力になるのではないかと考える。 重症児に関わる看護師をはじめ職員の倫理的感受性を高めていくためには、「誰もが自由に語ることのできる」職場風土の醸成が何よりも重要である。職場の価値観や信念は、管理職や経験の長い職員の価値観が大きく影響すると考えられる。そのため、職員が重症児と関わっている仕事の中で、重症児の暮らしや成長・発達、生活環境に対して、さらに自己や他者の態度やあり方に対して、どのように感じているのかを自由に語り合うことができる「つぶやき会」の企画を行い、職員の倫理的感受性を養っていく取り組みを臨床現場で継続していくことが今後も必要であると考える。 (以降はPDFを参照ください)
自主シンポジウム6
  • −関係性の発達に着目した取り組み−
    平野 大輔, 勝二 博亮, 谷口 敬道
    2020 年 45 巻 1 号 p. 129-134
    発行日: 2020年
    公開日: 2022/08/03
    ジャーナル フリー
    重症心身障害児(者)と関わる際、私たち療育者は、対象児(者)のできることと分かることを一つでも多く知りたいと思う。この背景には、彼らは何も分かっていない、何もできないという存在ではなく、いろいろと分かっていることや潜在能力もあるけれども、私たち療育者がそれに気づけず、引き出せていないと、私たち自身が対象児(者)と関わる際に実感しているためである。私たち療育者は、自分たちの働きかけに対する対象児(者)の応答をつぶさに「観察」し、様々な機能や能力を知ろうとしてきている。私たちが対象児(者)のことを分かろうと思えば思うほど、この「観察」=事実に対する客観的裏づけが欲しいと願う療育関係者は多い。「慣れた自分だけが」、「母の想いが」と客観性に対する疑問の声が上がるなか、「観察」しか手段をもたない私たちは、何らかの科学的指標をつくり上げたいと同時に願う。本稿では、神経生理学的な手法を用いた対象児(者)の応答性理解の取り組みや、応答性を引き出すための関係発達的視点について紹介する。
原著
  • 大野 幸恵, 岩井 潤
    2020 年 45 巻 1 号 p. 135-140
    発行日: 2020年
    公開日: 2022/08/03
    ジャーナル フリー
    盲腸軸捻転症は比較的まれな疾患であるが、重症心身障害児(者)における発症の報告が散見される。今回、当院で重症心身障害児(者)に発症した盲腸軸捻転症8例を後方視的に検討した。症状は腹部膨満と嘔吐の頻度が高く、検査所見は非特異的だった。画像所見では腹部単純X線で拡張した大腸のガス像が全例に認められ、注腸造影では66%にbird's beak sign、CT検査では50%にwhirl signおよび75%に拡張した盲腸が指摘された。術前診断できたのは全体の37.5%であった。手術所見では75%に腸管壊死を認め、腸切除を要した。腸管壊死に至る前に捻転を解除できた2例のうち、1例は回盲部切除術、1例は盲腸固定術が施行された。重症心身障害児(者)に腸閉塞症状を認めた場合、盲腸軸捻転症は鑑別にあげるべき疾患である。注腸造影や腹部CTでの特徴的な画像所見を見逃さないことが重要であり、保存的治療による改善は困難であることから、手術治療を躊躇すべきでないと思われた。
  • −食道裂孔ヘルニアと逆流性食道炎−
    浜口 弘, 江添 隆範, 西條 晴美, 武田 佳子, 糀 敏彦, 平山 恒憲, 荒木 克仁, 山下 達也
    2020 年 45 巻 1 号 p. 141-146
    発行日: 2020年
    公開日: 2022/08/03
    ジャーナル フリー
    消化器症状を有した重症心身障害児(者)(以下、重症児(者))を対象に上部消化管内視鏡検査を施行した。重症児(者)100例の対象者に計165件の検査を施行しており、複数回の検査例は39例であった。基礎疾患は脳性麻痺が主で(痙性65例、アテトーゼ型7例の計72例)、性別・年齢別では男性66例、女性34例で、20歳台と30歳台が最も多かった。内視鏡所見は、胃炎が76例と最も多かった。次に逆流性食道炎が47例で、そのうち食道裂孔ヘルニア(以下、ヘルニア)合併が29例あり、ヘルニアのみは7例であった。潰瘍病変は少なく、胃潰瘍3例、十二指腸潰瘍2例のみであった。病変部位も食道下部や噴門部から穹窿部にかけての胃上部に多く、幽門部などの胃下部の病変は少なかった。ヘルニアに逆流性食道炎が合併する率が有意に高かったが、寝たきり群と座位群での比較では、逆流性食道炎とヘルニアの合併に有意差は認められなかった。治療は、H2ブロッカーやプロトンポンプ阻害剤などが使用されるが、今後も定期的な検査が必要である。
  • −ケア方法を説明する場面での調査から−
    増田 政江, 北岡 英子, 畑中 高子
    2020 年 45 巻 1 号 p. 147-155
    発行日: 2020年
    公開日: 2022/08/03
    ジャーナル フリー
    高等学校卒業後に日中活動の場である生活介護(以下、生活介護)へ移行するときの重症心身障害児(者)(以下、重症児(者))の母親への支援に関する示唆を得るため、母親が生活介護事業所の支援をしている職員(以下、支援者)にケア方法を説明する場面を中心に9名の母親に半構造化インタビュー調査を実施し、質的記述的分析を行った。その結果、母親の経験として【移行に向けての不安】【ゆずれないオーダーメイドケア】【支援者への要望】【移行による生活の変化】【利用しての効果】【わが子の生命を守るための日々】【生きている実感】が抽出された。生活介護へ移行するときの重症児(者)の母親への支援には、①知識や技術のみならず、重症児(者)と母親の経てきた歴史に寄り添う支援、②生活介護事業所における看護職のマンパワー充足による受け皿の拡大と送迎時間等の柔軟な運営、③放課後等デイサービスに相当するサービスの創設が必要であることが示唆された。
  • Ⅰ.スタッフへの質問紙調査
    宮地 弘一郎
    2020 年 45 巻 1 号 p. 157-162
    発行日: 2020年
    公開日: 2022/08/03
    ジャーナル フリー
    本研究では、重症心身障害病棟をモデルケースとして、重症心身障害児(者)(以下、重障児(者))の日常生活にどのような人関連刺激が存在するのかを明らかにし、彼らが有する機能の最適な活用という観点から考察することを目的とした。病棟スタッフへの関わり方についての質問紙調査の結果、すべての職種で声かけや呼名を用いることは多いが、「顔をみせる」などの視覚への関わりは職種により異なり、病棟の重障児(者)は視覚刺激の少ない環境に置かれていると思われた。また、「反応を待つ」「あいづち・代弁」などのやりとり成立を重視した関わりの機会も少ない可能性が考えられた。さらに、重障児(者)療育の経験が5年以上のスタッフで「歌う」「話題を作って話す」「反応を待つ」などが増加し、長期の経験者はこれらの関わりの必要性を認識していると思われた。日常生活において、様々な感覚を活用でき、また能動的なコミュニケーションの機会となるような、よりよい関わりや刺激環境を検討する必要があると思われた。
  • Ⅱ.病室のVTR記録と事例の心拍測定による検討
    宮地 弘一郎
    2020 年 45 巻 1 号 p. 163-168
    発行日: 2020年
    公開日: 2022/08/03
    ジャーナル フリー
    前報では、重症心身障害病棟(以下、重障児病棟)におけるスタッフを対象とした質問紙調査から、病室の人関連刺激に偏りが生じる可能性を明らかにした。そこで本研究では、実際の重障児病棟の人関連刺激を調査した。学齢期重症心身障害児(以下、学齢期重障児)2例と成人重症心身障害者(以下、成人重障者)2例を対象に、病室のVTR記録を行った。また同時に、対象の心電記録を行い心拍数について検討した。結果、聴覚刺激は非常に多いこと、学齢期重障児と比べて成人重障者では直接的な関わりが少ないことが明らかとなった。さらに、すべての事例について、平均心拍数は人が頻繁に近くに来る場面で高かった。これらの結果から、重症心身障害児(者)にとっての人の影響が示唆され、病室の人関連刺激を検討する必要があると思われた。
症例報告
  • 松岡 雄一郎, 小沢 浩, 小出 彩香
    2020 年 45 巻 1 号 p. 169-173
    発行日: 2020年
    公開日: 2022/08/03
    ジャーナル フリー
    症例は25歳13トリソミーの重症心身障害者(以下、重症者)である。致命的な合併症のない長期生存例だが、幼児期から反復性の尿路感染症に苦しめられ、18歳時から清潔間欠導尿(clean intermittent catheterization:CIC)による管理を開始した。しかし、CICは本人、家族に負担が大きく継続が困難となり、反復性尿路感染症はさらに増悪し、上部尿路機能障害進行も懸念される状態となったため、管理不能と評価し24歳時に膀胱皮膚瘻(cutaneous vesicostomy)造設となった。以後、現在まで2年間、尿路感染症罹患は一度もなく、管理は医療行為を含まない簡便なものとなり、生活の質の著明な向上が得られている。重症者の長期のCIC継続は、本人および介助者たる家族の生活の質の低下が大きな課題となり、管理効果も確保できなくなることが懸念される。膀胱皮膚瘻は、持続的尿失禁の状態となる単純な尿路変向術であるが、導尿やカテーテル留置が不要であり、高い尿路感染症予防効果、管理の簡便さに特に利点が大きく、重症者の反復性尿路感染症において、検討される価値の高い選択肢である。
論策
  • 久保 恭子, 坂口 由紀子, 宍戸 路佳
    2020 年 45 巻 1 号 p. 175-180
    発行日: 2020年
    公開日: 2022/08/03
    ジャーナル フリー
    本研究の目的は、在宅で生活する重症心身障害児(者)(以下、重症児(者))の死をめぐる母親の体験と社会的課題を明らかにし、今後の看護のあり方を検討することである。研究方法は子どもを亡くした母親6名に面接調査を行い、質的帰納的に分析した。対象者の児の在宅生活は5年以上で、長期間多くの支援を受け、自宅で生活ができたケースである。在宅で生活する重症児(者)の死をめぐる母親の体験は<子どもの死へのアンビバレントな感情・恐怖><孤立感・孤独感><長年の療養・介護生活のリズムからの脱出><ワーク・ロスと就職活動><社会への恩返し・自己実現>であり、先行研究の母親のグリーフケアの過程を支持するものであった。本調査の新たな知見は、母親は<ワーク・ロスと就職活動>という社会的課題をもち、経済的な困窮への不安、家計や母親の老後の資金のために就職活動をするケースがみられた。障害児を持つ母親のワーク・ロスに関する研究は少なく、今後、重症児(者)の家庭の経済面も考慮した支援を検討する必要がある。
  • −肢体不自由特別支援学校への全国調査を手がかりに−
    姉崎 弘
    2020 年 45 巻 1 号 p. 181-189
    発行日: 2020年
    公開日: 2022/08/03
    ジャーナル フリー
    既刊雑誌の論文取り下げのお知らせ  以下の論文について著者から取り下げの希望がだされ、編集委員会にて承認されたためお知らせいたします。 記 日本重症心身障害学会雑誌第45巻1号掲載 論策 「重度・重複障害児のスヌーズレンの授業で使用する器材・用具および音楽に関する一考察 −肢体不自由特別支援学校への全国調査を手がかりに−」  姉崎  弘 日本重症心身障害学会雑誌45:181−9.2020. 取り下げ理由  論文が掲載されたのちに引用されている複数のデータに誤りがあり、結果に不正確さが見られることに著者が気づき、正確な論文を作成し再投稿したいという申し出があったため、取り下げを受理した。 2021年3月
  • −対象理解の難しさに焦点を当てて−
    八柳 千佳子, 福良 薫
    2020 年 45 巻 1 号 p. 191-197
    発行日: 2020年
    公開日: 2022/08/03
    ジャーナル フリー
    重症心身障害児(者)(以下、重症児(者))の中でも超重症児(者)は、その特殊性からニーズの把握、病気や障害の理解がさらに難しい。他の施設での経験がある中途採用看護師の確保や定着促進が課題となる中、本研究は、反応の乏しい超重症児(者)のケアに対する中途採用1年目の看護師がどのような困難をかかえて超重症児のケアにあたっているのかを明らかにすることを目的とした。対象となった4名の看護師の語りから【超重症児(者)の反応の汲み取りにくさ】【超重症児(者)のアセスメントへの困惑】【自身の行動が超重症児(者)に影響を与えることを実感】【看護師としての役割への戸惑い】【看護経験が活かせないことへの落胆】【学習上の困難】【現在のケアへの疑問】という7つの困難が示された。超重症児(者)の反応が捉えられず、これまでの経験が活かされない思いや看護師としての専門性を自問する姿が明らかになり、看護師らへの支援の必要性が示唆された。
  • −EASの使用を試みて− (第2報)
    別所 史子, 増田 由美
    2020 年 45 巻 1 号 p. 199-205
    発行日: 2020年
    公開日: 2022/08/03
    ジャーナル フリー
    座位保持装置作製前の3歳未満の重症心身障害児とその母親7名を対象とし、定頸以前から3歳ごろまで使用可能な姿勢保持用具(Early Activity System、 LECKEY社、以下、EAS)を用いて在宅で6か月間姿勢のケアプログラムを実践した。ケアプラグラム参加前後母親に姿勢のケアに関する半構造化面接を行い、認識およびニーズを質的帰納的に分析した。その結果、姿勢保持用具使用の目的、姿勢のケアに取り組む意識、姿勢のケア実践での判断に関する認識と、豊かな姿勢と生活に関するニーズが明らかになった。ケアプログラム参加前には児の姿勢に関する問題意識を、参加後には姿勢による児の可能性や発達促進への手応えを認識していた。豊かな姿勢へのニーズは、豊かな姿勢を獲得することからそれにより実現したい具体的な生活へと発展していた。そのための用具を使用した座位への取り組みと意義づけていた。座位保持装置作製前に柔軟な使い方ができるEASを用いることにより、用具を用いたケアによる可能性を広げ、家族の生活に合わせた姿勢のケアが展開できる可能性が示唆された。
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