映像学
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110 巻
選択された号の論文の8件中1~8を表示しています
巻頭エッセー
論文
  • 韓 瑩
    2023 年 110 巻 p. 19-37
    発行日: 2023/08/25
    公開日: 2023/09/25
    ジャーナル フリー

    韓国映画『赤いマフラー』(申相玉、1964年)は1964年第11回アジア映画祭で監督賞、編集賞、主演男優賞を受賞し、ほぼアジア全域で大ヒットを飛ばした。本稿は、この現象に焦点を当てながら、トランスナショナルな視点から『赤いマフラー』の創出のあり方と海外進出のありようを明らかにすることを目的とする。第1節では、監督である申相玉のフィルモグラフィーとアジア映画祭における相互交渉を見ることにより、本作が、申相玉のそれまでの作品の特徴を生かしつつ、アジア映画祭で形成したネットワークを積極的に利用した成果であったことを明らかにする。第2節では、映像分析を行い、とくに視点、物語の構造および西洋的な空間の再創造に焦点を当て、本作が戦争スペクタクルを構築するさまを考察する。第3節では、アジア地域での流通と受容を検討した上で、本作の成功の理由が、映画技術だけでなく、人情味や愛という要素を映画に入れることで、戦争映画というジャンルに新しい風を吹き込んだ点にあったことを解明する。また、本作に反映された韓国の現実と反共主義の価値観に対するアジア地域の認識の違いが、「自由アジア」の亀裂を示唆していることを論じる。以上の考察を踏まえ、韓国映画の構築における、ナショナル・シネマとしての韓国映画という枠組みに包摂されないトランスナショナルな要素の重要性と、それを論じる際の注意点を指摘する。

  • 徐 玉
    2023 年 110 巻 p. 38-58
    発行日: 2023/08/25
    公開日: 2023/09/25
    ジャーナル フリー

    本稿では、木下惠介の大作『香華』をとりあげ、木下研究においてこれまであまり目を向けられてこなかった母娘の関係を考察した。『香華』は有吉佐和子の同名小説の映画化作品であり、欲望のままに生きる母の郁代と、母に翻弄される娘の朋子との愛憎が全編を貫いている。

    まず、郁代という人物に注目し、木下の撮影スタイルの特徴である移動撮影とズームアップの連用が、郁代の「家」からの離脱と結びつけて使用されていることを明らかにした。また、「母性」に関する議論を援用しつつ、郁代が「母もの」映画の「規範的」で「脱性化」された母親像とは異なり、「母性」に束縛されない、特異な母親であることを確認した。続いて、木下の他の作品に見られる母子関係と照らし合わせながら、『香華』における母娘関係の特異性を検討した。回想形式やフラッシュバックを得意とする木下が、有吉佐和子の原作では朋子によって想起される対象である郁代に対して、そうした技法をあえて用いずに、確固とした身体と声を備えた母親として描いていることを指摘した。さらに、朋子の初潮の場面や、防空壕でほのめかされる母娘一体化、特に母娘で同じ墓に入ろうという朋子の意志といった、映画で新たに付け加えられた要素によって、母への愛の忘却を経た娘が母とふたたびつながるという母娘関係が出現し、そこに反家父長的で脱再生産的な側面が潜んでいることを論じた。

  • 紙屋 牧子
    2023 年 110 巻 p. 59-82
    発行日: 2023/08/25
    公開日: 2023/09/25
    ジャーナル フリー

    本論は1915年の映画『五郎正宗孝子伝』をめぐるテクストとコンテクストを起点として、明治末期から大正期初期の大衆文化におけるサディズム/マゾヒズムの表象について考察するものである。まず1節では、現存フィルムと関連資料を手がかりにして『五郎正宗孝子伝』の封切当時と再上映時の上映空間の実態を歴史化することを試みた。そのうえで2節・3節では、『五郎正宗孝子伝』における「継子いじめ」の場面を考察し、それが日清・日露戦争前後の大衆文化におけるサディズム/マゾヒズムの表象の流行を反映したものであることを間テクスト的に明らかにした。また、サディズム/マゾヒズムの表象にある植民地主義的な発想やミソジニーを指摘し、そのうえで『五郎正宗孝子伝』における五郎正宗の姿を国民国家形成期の帝国日本のイメージとして読み解いた。更に、サディズム/マゾヒズムの表象において行使される暴力の矛先となる女性が、その暴力を観賞する側になった場合の問題を、近年のジェンダー・ポリティクスの観点から検討し直し、女性観客にとってそれらの暴力的な表象が(男性観客同様に)娯楽としても享受し得ることを指摘した。結論ではサディズム/マゾヒズムの表象を「メロドラマ」の概念を導入して再検討することを今後の課題として提起した。

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