本稿では、木下惠介の大作『香華』をとりあげ、木下研究においてこれまであまり目を向けられてこなかった母娘の関係を考察した。『香華』は有吉佐和子の同名小説の映画化作品であり、欲望のままに生きる母の郁代と、母に翻弄される娘の朋子との愛憎が全編を貫いている。
まず、郁代という人物に注目し、木下の撮影スタイルの特徴である移動撮影とズームアップの連用が、郁代の「家」からの離脱と結びつけて使用されていることを明らかにした。また、「母性」に関する議論を援用しつつ、郁代が「母もの」映画の「規範的」で「脱性化」された母親像とは異なり、「母性」に束縛されない、特異な母親であることを確認した。続いて、木下の他の作品に見られる母子関係と照らし合わせながら、『香華』における母娘関係の特異性を検討した。回想形式やフラッシュバックを得意とする木下が、有吉佐和子の原作では朋子によって想起される対象である郁代に対して、そうした技法をあえて用いずに、確固とした身体と声を備えた母親として描いていることを指摘した。さらに、朋子の初潮の場面や、防空壕でほのめかされる母娘一体化、特に母娘で同じ墓に入ろうという朋子の意志といった、映画で新たに付け加えられた要素によって、母への愛の忘却を経た娘が母とふたたびつながるという母娘関係が出現し、そこに反家父長的で脱再生産的な側面が潜んでいることを論じた。
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