映像学
Online ISSN : 2189-6542
Print ISSN : 0286-0279
ISSN-L : 0286-0279
103 巻
選択された号の論文の14件中1~14を表示しています
巻頭エッセー
論文
  • 藤田 純一
    2020 年 103 巻 p. 29-53
    発行日: 2020/01/25
    公開日: 2020/02/25
    ジャーナル フリー

    エディスンが発明したキネトグラフとキネトスコープは、開発当初の1888年から、ロール・フィルムの使用を想定に入れていた。当初シリンダーに感光乳剤を塗布する、あるいはシリンダーを撮影用フィルム(セルロイドのシート状フィルム)で覆うという発想で進めていた実験は、ある時期からセルロイドのロール・フィルムを用いるようになる。先行研究においては、この変化は1889年8月にエディスンがパリを訪れた際に、フランスの生理学者マレーと出会い、当時マレーがクロノフォトグラフィの撮影に使用していた、紙ベースのロール・フィルムを知ったことがきっかけとなり、そこで初めてロール・フィルムの使用を思いついた、とされる場合がほとんどである。しかし、エディスンや従業員達は、エディスン渡仏以前からセルロイド・ロール・フィルムを実験に使用していたと裁判で証言しており、イーストマンは、1889年7月から10月の間のキネトグラフ開発担当者ディクスンとイーストマン社との間で交わされた手紙を裁判資料として提出し、8月24日に販売用のフィルム一巻き分をエディスンの研究所に送付したと裁判で証言している。これらの証言が正しいならば、エディスン渡仏後にロール・フィルムの使用を思いついた、という説は成り立たないことになる。本論文では、エディスン等が主張するように、エディスン渡仏以前にセルロイド・ロール・フィルムの使用が可能であったかを検討する。

  • 吉村 いづみ
    2020 年 103 巻 p. 54-72
    発行日: 2020/01/25
    公開日: 2020/02/25
    ジャーナル フリー

    第一次世界大戦時、戦争の長期化と国内の士気の低下を危惧した戦時内閣は、国内のプロパガンダを担う新たな組織である戦争目的国家委員会を1917年8月に設立した。この組織が行った映画に関与する活動は二つあり、一つは、組織内の部局である集会部と情報庁が協力して行った屋外での巡回上映活動、もう一つは、他の行政機関や民間の映画会社と連携した宣伝映画の製作であった。戦時貯蓄国家委員会と連携し、キンセラ&モーガン社と製作したKincartoonsシリーズは、娯楽性の高いアニメーション映画で、国民に戦時貯蓄証書の購入方法や、それがもたらす未来をわかりやすく説明した。

    本稿の目的は、戦争目的国家委員会が演説などで用いた宣伝方針とKincartoonsシリーズがどのように対応しているかを考察することである。キンセラ&モーガン社についての資料は殆ど残っていないが、Kincartoonsシリーズに共通する物語形式やキャラクターを注意深く分析した結果、そのメッセージは委員会が発行した印刷物やスピーチで用いられた宣伝方針に則していることがわかった。印刷物やスピーチで用いられた愛国心のレトリックは、物語形式やキャラクター、アニメーションや童謡の混合といった表現方法によって言語からイメージに変換されている。Kincartoonsシリーズは、わかりやすいメッセージによって、あらゆる世代の観客に受け入れられたと推察できる。

  • 入倉 友紀
    2020 年 103 巻 p. 73-90
    発行日: 2020/01/25
    公開日: 2020/02/25
    ジャーナル フリー

    本論文では、1916年から1919年にかけて活動したユニバーサル社の子会社、ブルーバード・フォトプレイズに着目する。同社は設立当初、作品の質を重視し、5リールの長編劇映画を週に1本公開するという理念を打ち出した。1910年代は、映画製作の主流が短編やシリアルから長編へと変化していった時代であり、ブルーバード社の活動に着目することは、ユニバーサル社の長編劇映画への取り組みを考える上で非常に重要である。

    ブルーバード社は同時代の日本映画へ与えた影響がよく知られている一方で、アメリカ映画史においては長い間忘れ去られた映画会社であった。しかし、近年のフェミニズム的な映画史再考の流れによって、同社は非常に多くの女性監督の作品を製作していたことが明らかになり、ようやく本国アメリカにおいても注目を集めつつある。しかし同社の全貌は未だ謎に包まれており、まとまった文献も存在していないのが現状である。

    そこで今回は、ブルーバード社の3年の活動期間に着目してその変遷を追いつつ、同社に在籍した3人の女性監督、ロイス・ウェバー、アイダ・メイ・パーク、エルシー・ジェーン・ウィルソンの活動を論じ、その影響を明らかにすることを目指す。

  • 福島 可奈子, 松本 夏樹
    2020 年 103 巻 p. 91-112
    発行日: 2020/01/25
    公開日: 2020/02/25
    ジャーナル フリー

    本稿は2018年に筆者らが入手した幻燈兼用の水平走行型玩具映写機とそのフィルムの精査と復元、19世紀末から20世紀初頭にかけての日独仏の玩具会社の販売カタログなど一次文献資料の分析によって、これらのアニメーションフィルムとその水平走行装置の存在とその映像史上の意義について論じる。

    一般的に映画はリュミエールのシネマトグラフから始まったとされる。シネマトグラフ装置はフィルムを垂直に走行することで撮影・映写するものであり、現在のようにデジタル化が進むまで、映画はフィルムを垂直走行することで現実世界を記録・再生するのが当然であると考えられてきた。だがシネマトグラフが誕生した当初、家庭などの非劇場空間においては、実は実写映画の垂直走行装置よりもアニメーション映画の水平走行装置が先行していた。この発想は家庭用の幻燈など種々の光学玩具の延長上に必然的に登場したものであった。それ故筆者らは入手し復元された玩具フィルム2本が最古のアニメーション映画である可能性が極めて高いことを実証的に論じる。

    幻燈から映画へとその流行が大きく移り変わるメディアの過渡期において、この水平走行型が大衆の映像メディアの認識において重要な役割を果たした点を本稿は明らかにする。

  • 沈 念
    2020 年 103 巻 p. 113-133
    発行日: 2020/01/25
    公開日: 2020/02/25
    ジャーナル フリー

    本論はポストコロニアル理論を踏まえ、小栗康平の『伽倻子のために』翻案をめぐる従来の言説を分析し、これまで酷評されてきたこの作品における「美化」の問題が、実は欠点ではなく、あえて新しい表現を試みている証しであることを主張する。

    第1節では、従来の日本映画における在日朝鮮人に対する美化は、日本人/在日朝鮮人という二項対立を強調し、在日朝鮮人の受ける差別を批判しながら、在日朝鮮人のイメージを一般化している現象を考察する。さらに、このような傾向を風刺する大島渚の3作を例として、二項の概念を抹消しようとしても、自らの優位に立つ日本人としての立場を認識しなければ、本質的に二項対立を打破できないと指摘する。

    それに対して、『伽倻子のために』の美化はそれほど単純なものではないと主張する。映画は原作におけるハイブリディティの人物設定を敷衍し、男女主人公の人物像と人物関係を美化することによって、「不純な」二人の恋が持つ象徴的な意味を増幅し、従来の二項対立に対抗していると、第2節では論証する。

    そして第3節で、李恢成の文学世界を翻案する手法は、本作の主人公相俊を李恢成の他作における人物たちと緩やかな結びでつなげていることを考察する。この緩やかな結びは在日朝鮮人全体を少数の在日朝鮮人で代表するような表象を回避していると主張する。

    最後に、『伽倻子のために』における子供時代の挿入シーンを分析し、これは在日朝鮮人を代弁するのではなく、彼らに語らせる手法であると、第4節で論証する。さらに、この手法は内部と外部の異質を受け入れ、その共存をはかる試みともいえると結論づける。

研究報告
レヴュー
feedback
Top