映像学
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論文
  • 入江 良郎
    2024 年 111 巻 p. 5-27
    発行日: 2024/02/25
    公開日: 2024/03/25
    ジャーナル フリー

    稲畑勝太郎輸入のシネマトグラフ、そして荒木和一輸入のヴァイタスコープが大阪で初公開されたのは1897年2月のことであった。翌3月には東京でも新居商会がヴァイタスコープを、また横浜では吉澤商店がシネマトグラフを公開し、我が国に映像の時代を切り開くこととなった。しかし、これらの中でしばしば議論を呼んできたのが、横浜に現れた吉澤商店のシネマトグラフである。

    これは機械の出処が不明瞭であることに端を発しており、そのため吉澤商店が稲畑の機械を借用した可能性や、反対に、商店が入手したのがシネマトグラフではなかった可能性も論じられてきた。

    ところが近年、稲畑がリュミエールに宛てた書簡の写しが発見されたことから、横浜のシネマトグラフが稲畑とは無関係であったことが明らかになり、それとともに吉澤商店の機械がリュミエールのものではなかった可能性も現実味を増してきた。

    本稿では、筆者が専門とする吉澤商店の研究で明らかになった事実をここに照合しながら、吉澤系シネマトグラフの正体について新たな仮説を提示し、その可能性を検証したい。

    特に注目するのは、1900年に吉澤商店から刊行された定価表である。吉澤商店製の国産映写機を紹介したものとしては、筆者が現物を確認し得た最古の版であるが、ここに掲載された映写機が同店の最初の製品であった可能性もある。もう一つは、映写機の製造にあたり「モデルは、ルミエルとエヂソンの映写機を参考とした」という吉澤商店主・河浦謙一の証言が残されていることである。これらをもとに本稿では、定価表の映写機が舶来品を模造したものであり、それこそが吉澤商店にもたらされた最初の活動写真機械であった可能性を論じる。

  • 森本 光
    2024 年 111 巻 p. 28-46
    発行日: 2024/02/25
    公開日: 2024/03/25
    ジャーナル フリー

    本稿は、アルフレッド・ヒッチコック監督の映画『北北西に進路を取れ』(1959)について、この作品のオリジナル脚本を手がけたアーネスト・レーマンの仕事を評価しつつ、そのダイアローグの言語的な地平に光を当てようという試みである。従来、ヒッチコック作品は、監督の「純粋映画」の主張のために、その視覚的表現に主に焦点が当てられ、ダイアローグや言語的側面はあまり注目されることがなかった。しかし、作家主義の概念の見直しが進むにつれ、近年では、ヒッチコック映画にたずさわった脚本家たちの仕事が脚光を浴びるようになってきている。したがって、この文脈をふまえて、本稿は『北北西に進路を取れ』におけるダイアローグについて検討し、そこに見出される言語にまつわる問題について考察している。この映画のナラティヴでは、冷戦を背景とするスパイ・スリラーのプロットと、メイン・キャラクターであるロジャー・ソーンヒルの自己形成のドラマのプロットが同時に進行する。後者のドラマのプロットでは言語の問題が重要なテーマとなっており、その主題は、映画全編にわたって展開されている。本稿では、「ヒッチコック・純粋映画・映像」から「レーマン・ダイアローグ・言語」へと視点を変えて眺めることで、この映画の従来とは異なる見方を提示する。

  • 常石 史子
    2024 年 111 巻 p. 47-71
    発行日: 2024/02/25
    公開日: 2024/03/25
    ジャーナル フリー

    音声の再生装置である蓄音機と映像の再生装置である映写機とを組み合わせ、音つきの映画を実現しようとするディスク式トーキーには、映画史上数多くのシステムが存在した。本論文はそうした中でも1903年から1910年代初頭にかけてドイツ語圏で隆盛を誇ったトーンビルダーTonbilder(音=画)と呼ばれる作品群を考察の対象とする。

    まず、蓄音機と映写機が結びつき、新しいメディウムが生まれるに至った過程を、ドイツ映画のパイオニアと見なされるオスカー・メスターの功績に着目しつつ概観したうえで、鍵となる音声と映像の「同期」に焦点を当て、その困難と重要性、具体的なメカニズムについて分析する。続いてトーンビルダーの現存・公開状況につき整理したうえで、ドイツ映画協会=映画博物館(DFF)のコレクションを参照し、このメディウムが扱った主題、撮影・編集技法につき検討する。さらに、筆者がフィルムアルヒーフ・オーストリアで復元した三つの事例をもとに、レコードとフィルムを組み合わせる復元に特有の諸問題についても考察する。

    最後に、トーンビルダーの流行が一時的にせよ通常の無声映画を凌駕するほどに勢いのあるものであったことを示したうえで、その急激な凋落の要因につき検討する。映画というメディウムが、いったん獲得された「同期する音」を手放すことで、演劇から自立した固有のメディウムとして重要な一歩を踏み出したことをもって結論とする。

  • 李 範根
    2024 年 111 巻 p. 72-94
    発行日: 2024/02/25
    公開日: 2024/03/25
    ジャーナル フリー

    本稿の目的は、日本リアリズム写真集団(以下、JRP)において「共同制作」が果たしていた役割とその意義を浮き彫りにし、同集団が掲げた「新しい写真運動」の具体的方向性を示すことである。そのために本稿では、JRP長崎支部制作の写真集『長崎の証言』(1970)を主な対象として考察を行う。

    1950年代半ばから大学の写真部を中心に展開する共同制作は、プロ写真家の間、そしてJRPにおいても実践されていた。本稿ではJRPの共同制作の起源に、1950年代の集団「世界画報」による集団的写真撮影・制作があったことを指摘し、学生サークルとプロ写真家の共同制作の状況を俯瞰しながら、JRPの共同制作の特殊性を取り上げていく。

    JRPの共同制作の多くは支部単位で行われており、その際各支部が属する地域社会の問題がテーマとされた。それゆえJRPの会員は、地域を共に生きる構成員の立場から、問題を抱える地域住民へ関わろうとする。このような「関与としての写真」のあり方が、JRP共同制作の独自性を示している。そして写真集『長崎の証言』にみられる、撮影者と被写体の相互関与から成り立つ「共同」制作のあり方は、従来の共同制作と一線を画すものにほかならない。このような共同制作の実践とあり方にこそ、JRPの「新しい写真運動」が見据えていた、社会の進歩と解放のためにカメラを役立てる道が開かれる可能性が志向されたのである。

  • 三浦 光彦
    2024 年 111 巻 p. 95-115
    発行日: 2024/02/25
    公開日: 2024/03/25
    ジャーナル フリー

    本稿では、ロベール・ブレッソンの1967年の作品『少女ムシェット』に関して、ブレッソンの断片化と呼ばれる手法の機能を分析する。断片化とは、空間や身体の一部をクロースアップで捉えたショットの連鎖によって物語を構築していく手法を指すが、この断片化が『少女ムシェット』におけるイメージとナラティブの複雑な関係の中でどのような機能を担っているのかを明らかにすることが本稿の目的である。まず、ブレッソンの断片化を因果関係の断絶を無効化するものと考えるジャック・ランシエールの議論を概観していく。次いで、ランシエールの議論が不十分であることを、『少女ムシェット』のオープニングシークエンスの分析によって明らかにするとともに、断片化はむしろ、潜在的な無数の接続可能性を孕んだイメージを生み出し、因果関係を断絶する機能を持つと主張するジル・ドゥルーズの議論を導入する。断片化に関して、ナラティブの論理に重点を置くランシエールと、イメージの潜在性を重視するドゥルーズを対置させた上で、オープニングシークエンスにおけるショットと全体の物語の関係性を分析していくことによって、断片化が担っている機能を詳らかにしていく。最終的に、ブレッソンの断片化という手法は、最初はその意味が曖昧であったショットが全く別のショットと有機的に接続されることによって、意味を生み出していくような複雑なネットワークを構築していると結論づける。

  • 研谷 紀夫
    2024 年 111 巻 p. 116-135
    発行日: 2024/02/25
    公開日: 2024/03/25
    ジャーナル フリー

    天皇や皇族の肖像に関する社会的な意味や役割についての研究が行われるようになって久しいが、これまでの研究対象は天皇・皇后や成人皇族が主であった。一方でその天皇や皇族の子息である親王・王や、息女である内親王・女王などのイメージについては、これからの研究課題であると言えよう。特にそれまでは公の場でも和装姿であった皇后が1886(明治19)年から洋装に代わると、その頃に誕生した内親王が皇后と入れ替わるように和装姿で写真が撮影され、それらの写真が年少者や女学生向けの雑誌に掲載されるようになった。また、皇太子の成婚を契機に“皇室御一家”を想起させる絵が多数描かれるようになると、内親王は写真と同じ袴姿で描かれ一家の娘役を担うこととなる。さらに30年代後半に日露戦争が起き、戦争の様子を伝える画報が発刊されると袴姿で戦死者の名前を書き奉納する姿や、靖国神社で遺族と対話するなど、袴姿で国に奉仕する絵が描かれた。また婚礼に際しても洋装姿の夫と、袴姿の内親王の写真を組み合わせた紙面が多くのメディアで見られたが、皇族妃となった後は一転して洋装姿の写真が流布するようになる。このように明治期の内親王は皇室での立場や国の状況に応じてメディア上で様々な姿を見せた。本論では肖像写真の原板との比較を行いながら、明治期の内親王が各種メディアにおいてどのように表象され、皇后とは違うどのような役割を担ったかを明らかにする。

  • 顧 夢てい
    2024 年 111 巻 p. 136-156
    発行日: 2024/02/25
    公開日: 2024/03/25
    ジャーナル フリー

    「モノクロ写真」展(2012)以降、「影」は鷹野隆大の作品の新たな中心の一つになる。本稿の目的は「影」を主題とする作品群〈影シリーズ〉の特性、およびそれが鷹野の創作にもたらす変容を明らかにすることである。そのために、個々の作品の分析とシリーズ全体における位置づけの作業を行う。

    震災がもたらした戸惑いのなかで、鷹野は彼自身の影の存在に気づいた。この身体的な経験をきっかけに、彼は「影」そのもの、あるいは「影」のように輪郭がボケている写真を意識的に撮り始めた。その後、鷹野の「影」に対する関心は「影」が持つ現実のなかの“光の欠落”とモノクロのネガ・フィルムの上の“銀の欠落”に移行した。この二重の物質的な“欠落”は、彼が制作に用いるスナップショット、インスタレーション、フォトグラムなどの手法にも反映されている。

    〈影シリーズ〉における写真の物質性に対する重視とメディアの複合性は、ロザリンド・クラウスが定義したポストメディウムの特性を示す。近年、ポストメディウムとしての写真が理論的な対象として再発見されつつある情況において、鷹野の実験的な制作方法は、ポストメディウムとしての写真の実践的な側面における可能性を提示したと評価できる。彼は「影」を反復して再発見しつつ、二重の物質的な“欠落”を作品に取り込むことによって、写真という何かが写っているメディウムを、何かが“欠落”しているメディウムとして再発明した。

  • 龐 鴻
    2024 年 111 巻 p. 157-176
    発行日: 2024/02/25
    公開日: 2024/03/25
    ジャーナル フリー

    ヨリス・イヴェンスとマルセリーヌ・ロリダンが1970年代に中国で制作した『愚公山を移す』(1976)は、文化大革命の時代に中国に入国できたわずかな西洋人が手掛けた映画であるが、その信憑性について多くの議論がなされてきた。上海档案館に所蔵されている撮影現場の録音記録、撮影活動の報告書や日程表といった書類から、撮影の状況を把握することができる。本稿ではアーカイブ資料をもとに、上海を描いた3作品に焦点を当て、映像分析をしながら、ドキュメンタリー映画とされてきた『愚公山を移す』におけるパフォーマンスの存在を考察し、その演技と当時の現実との関係性を検討する。

    まず、具体的なシーンを取り上げ、ショットの繋がりを検証しつつ、録音記録の中に同じ内容の会話が何回も繰り返されている部分があることなどから、撮影において演出と演技があったことを明らかにする。その上、国家イデオロギーの規範の下での自意識による自己の呈示を検討し、それがカメラの前で指示を受けたパフォーマンスの基盤となっていることを指摘する。最後に、ドキュメンタリーにおけるパフォーマンスと文革期の特殊な社会的属性における「真実」の複雑な理解と表現との関係を論じる。被写体は自己イメージを統制することで理想的な人間像を伝えようとしていると同時に、そうした「新しい人間」のイメージはイヴェンスとロリダンの共産主義のユートピアに対する想像に合致していたと考えられる。

  • 雑賀 広海
    2024 年 111 巻 p. 177-197
    発行日: 2024/02/25
    公開日: 2024/03/25
    ジャーナル フリー

    『燃えよ!じじぃドラゴン 龍虎激闘』はカンフー映画史に言及する映画である。というのも、1970年代のカンフー映画に出演していた俳優たちが主要な役柄で出演しているからだ。さらに、オープニングクレジットは映像と音楽がともに『ドラゴン怒りの鉄拳』を想起させる。1970年代へのノスタルジーに満ちた本作だが、この映画以外にも同様のノスタルジー映画が同時期に香港で製作されている。本稿ではそうした文脈に目を配りつつ、カンフー映画によるカンフー映画史への言及という点に注目する。興味深いことに、同様の試みをおこなう映画が『じじぃドラゴン』公開からわずか4年後に製作されている。それがドニー・イェン主演の『カンフー・ジャングル』である。『カンフー・ジャングル』は『じじぃドラゴン』よりも広範囲な映画史を描きだす。それでは『カンフー・ジャングル』は『じじぃドラゴン』と同様の試みとしてその延長上に位置づけられるのだろうか。本論文は、カンフー映画史をめぐるこれまでの言説を整理したうえで、この2作品が異なるカンフー映画史の解釈を持つことを主張する。そして、それぞれの映画が描くカンフーマスターの身体に現れる政治性を明らかにする。カンフーに着目すると、『じじぃドラゴン』は悲観的な感傷を誘い、『カンフー・ジャングル』は能動的な読解を要求する映画であることがわかる。

  • 堀内 大暉
    2024 年 111 巻 p. 198-217
    発行日: 2024/02/25
    公開日: 2024/03/25
    ジャーナル フリー

    1971年、ホリス・フランプトンは論考「フィルムのメタヒストリーのために:ありふれた覚書と仮説」を発表する。そこでは、「メタヒストリー」という枠組みを通じて写真と映画がフィルムとして一括され、あらゆる潜在的なフレームを内包する「無限のフィルム」という特異な概念が提示される。本稿では、「無限のフィルム」の意義を再考することで、フランプトンが「無限のフィルム」に内在する全体性という問題を的確に把握しつつも、それを志向するフィルム制作の可能性を見出していたことを明らかにする。まず第1節では、メタヒストリー論において「無限のフィルム」がどのように提示されているのかを確認したのち、「無限のフィルム」に二つの積極的な意義を見出す。続く第2節では、フィルムが自らのメディウム固有性を通じてメタヒストリーを正当化することを明らかにしたうえで、フランプトンによる「外観」という語の使用に着目し、彼の写真理解について補足を試みる。そして第3節では、フランプトンが見出す「無限のフィルム」のアクチュアリティに焦点を当て、その様相を具体的に検討する。最後に第4節では、構造映画に内在する困難が、メタヒストリー論でなされる還元主義的な手続きの行き詰まりと正確に呼応していることを指摘する。そして、それでもなおフィルム制作において「無限のフィルム」を志向しようと試みるフランプトンの思考の一端を、彼の別の論考を手掛かりに明らかにする。

  • 具 珉婀
    2024 年 111 巻 p. 218-237
    発行日: 2024/02/25
    公開日: 2024/03/25
    ジャーナル フリー

    「日本映画界きっての抒情監督」と評される木下惠介の映画音楽は、メロドラマにおける巧みな音楽の使用と、それがもたらす絶大な効果に焦点が当てられる傾向があった。ところが『お嬢さん乾杯』(1949年)と『遠い雲』(1955年)には、いくつかのシーンにおいて複数の音楽が重なって不協和音を生み出す瞬間がある。さらに注目すべきは、両作品とも「石津圭三」という名の男性が主人公として登場するだけでなく、前者のラストで東京から故郷へ旅立った圭三が、後者の冒頭で故郷に帰ってくるという一種の連続性が見出せることだ。そこで本稿は、2作品をインターテクスト的に分析することで、両作品を貫通するモチーフに映画音楽を接続させることを目標とする。

    そのためにまず、2作品から「実らない恋をする男」という共通のモチーフを見出し、そのうえで複数の音楽が重なるという過剰性に着目してテクスト分析を行う。これらの作品において音楽は、ヒロインの欲望が物語の進行役となる映画のなかで、物語の直線的進行に逆らおうとする圭三の衝動を画面に刻印し(『お嬢さん乾杯』)、失われた善き過去へ回帰しようとする圭三の欲望を前景化する(『遠い雲』)。以上の分析により、女性の欲望に照準をあわせたロマンチック・コメディとメロドラマの形をとる2作品において、映画音楽が男性の欲望に結びつけられ、物語叙述が行う表面的な意味づけに吸収されない痕跡を残すことを明らかにする。

  • 後藤 慧
    2024 年 111 巻 p. 238-259
    発行日: 2024/02/25
    公開日: 2024/03/25
    ジャーナル フリー

    ビクトル・エリセ監督の映画『マルメロの陽光』(1992)では、家々の窓越しにTV画面が音もなく不鮮明に明滅しており、視聴覚メディアの報道の機能が剥奪されている。一方で、画家のアトリエの庭で描かれる1本のマルメロが成長してはやがて枯れ、翌春に新たな蕾をつけるさまが映り、様々な音が聞こえる。これまでマルメロの映像の特徴についての言及はなされてきたが、音の効果についての議論は発展していない。そこで、音の中でもラジオニュース音声と画家の歌という二つの声に特に注意する。本稿では、たった1本のマルメロとその果実が映像と声、加えて字幕の総合的な連繋によっていかに生成するかを考察する。そして、その生成の意義を視聴覚メディアのあり方に照らして検討することを目的とする。まず、直前に制作された短編に即して『マルメロの陽光』の形成過程を辿り、画家から抽出された技法がいかに視聴覚的に展開するかを探る。次に、字幕と声の効果を考察する。さらに、映画自体の視聴覚的な慣習や装置が問題になる終盤のシーンを経て、ラストシーンにおけるマルメロの最終的な生成について考察する。総じて、死傷者個々人についての報道が機能しない視聴覚メディアに対し、この映画におけるマルメロの生成は個別的な墓と哀悼という瞬間的な贖いをもたらすと結論づける。

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