水戸徳川家江戸上屋敷庭園であった後楽園 (東京都文京区) は、江戸の庭園文化を代表する大名庭園でありその文献史料も他庭と比較してかなり豊富である。
しかしながら、各史料を検討しても、なお様々な未解決の問題が残されていることは否定出来ない。古庭園で、作庭当初のままの景が今日まで保存されているものは極く少ないということは常識であって、大部分が多かれ少なかれ何等かの改修を受けている。
その庭園が各時代をどのように変遷してきたかという問題は、古庭園研究上の重要な課題である。
ここでは後楽園の多くの疑問点の内、園内西部の重要な景観である「小盧山」の景中にある、「大堰川」の流れを中心とした部分の「渡月橋」と「西湖堤」について考察し、その変遷を文献と実地の上から明らかにしていきたいと思う。
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