日本庭園学会誌
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2015 巻, 29 号
選択された号の論文の6件中1~6を表示しています
論文
  • 金 白蓮
    2015 年 2015 巻 29 号 p. 29_1-29_21
    発行日: 2015年
    公開日: 2018/10/15
    ジャーナル フリー
    中国初期庭園における先行研究は主に文献史料を引用してその様相を描こうとしたが、現存する明清以降の庭園と文献史料の関連記録から初期庭園の有様を推測し、中国の庭園は初期から自然風の山水園であったと主張する傾向が強い。そこで、本稿では中国初期庭園の発掘遺跡を中心とし、補助的に当時の文献史料や絵画資料とも対照した。その結果、中国の初期庭園では、人工美と秩序を重んじた幾何学的デザインが主流であること、園池に用いられた曲尺形の意匠は王室庭園だけに許された様式であること、中国の古代庭園における直線的護岸の園池は、中国固有の起源を持つものであること、が明らかになった。
  • 平出 美玲
    2015 年 2015 巻 29 号 p. 29_23-29_47
    発行日: 2015年
    公開日: 2018/10/15
    ジャーナル フリー
    日本の禅宗寺院で伝統的に選定が行われてきた「境致」や、それに伴って詠まれた「十境詩」は、南宋五山制度を導入した時に中国禅宗文化の一つとして日本でも知られるようになったと考えられている。これまでに成された「境致」に関する先行研究でも、中国禅宗寺院の影響を受けて日本でも「境致」選定や「十境詩」作成が行われるようになったという解釈がされている。そこで本稿では中国で編集された地方誌『中國仏寺志彙刊』を史料とし、中国に於ける「境致」選定や「十境詩」の実態を調査・整理した。それにより、これまで漠然と中国禅宗寺院と考えられてきた「境致」選定の起源を、より明確にする事ができると考えた。その結果、日本で編纂された、『扶桑五山記』や『和漢禅刹次第』に記載されている「中国禅宗寺院の境致」とみなされている題が、中国で編纂された『中國佛寺志彙刊』の内容とは一致していないことが明らかになった。
  • 孫 旻愷, 藤井 英二郎
    2015 年 2015 巻 29 号 p. 29_49-29_57
    発行日: 2015年
    公開日: 2018/10/15
    ジャーナル フリー
    瀟灑園は韓国の朝鮮時代に造られた庭園である。2004年に史跡40号に指定された。園主の梁山甫は1519年に政治闘争に巻き込まれ、故郷に帰り1928年に瀟灑園を造営し始めた。1548年に完成したとされている。400年の歴史の中で、園主の息子は庭園内に建物を増築したが、1598年に庭園が兵隊に破壊され、1614年に孫に修復された。現在の庭園構成は造営当初と異なっている。
    本研究は現地調査を元に、瀟灑園関連の絵画、詩歌、文章とともに造営当初の庭園構成を推測した。また、関連する文献から読み取った意味を推測した庭園構成と合わせて分析した。これらの作業によって瀟灑園の造営意図を解析した。結果として、瀟灑園は政治・儒学、隠棲、桃源郷、仙境の4つの空間から構成されていたことが明かになった。
  • 今江 秀史, 阪上 富男, 加藤 友規
    2015 年 2015 巻 29 号 p. 29_59-29_72
    発行日: 2015年
    公開日: 2018/10/15
    ジャーナル フリー
    本論の目的は、筆者らが実際に個別の庭の恒常維持管理に従事した記録にもとづく、恒常維持管理の一般性の解明である。
    研究の手法は、国の指定名勝・無鄰庵庭園の歴史と恒常維持管理の体制の変遷について概説したうえで、筆者らが委託者と受託者の一員として実務に携わった6箇年にわたる恒常維持管理の公式資料にもとづいて、委託者と受託候補者との関係性を記述する。次に双方の立場について、それぞれの置かれた実情にもとづいて概説する。
    その結果、恒常維持管理とは、自然的側面に支持された社会・文化的側面の条件のもと、来訪者の迎接などを念頭に置きつつ、委託者と受託者の相互触発の中で具現化される行為であることを明らかにした。
  • 今江 秀史, 阪上 富男, 加藤 友規
    2015 年 2015 巻 29 号 p. 29_73-29_82
    発行日: 2015年
    公開日: 2018/10/15
    ジャーナル フリー
    本論は、庭における緊急修理の意味に伴う一般性の顕在化を目的とする。
    研究の手法は、筆者らが実務に携わった7箇年にわたる名勝無鄰庵庭園における4項目の緊急修理の過程と内容を詳述し、修理に至る動機や経緯といった行為の背景を解明し、緊急修理の行動の意味を探求する。
    緊急修理の一般性とは、庭内で展開する常態・遅行という速度の異なる変化のうち、恒常維持管理では対応できない遅行的変化の見落としにより、看過できないほど進行したき損への即応・応急の対応である
    庭の保存管理の区分には、常態的な変化に対応する恒常維持管理、遅行的なき損のうち応急・即応的に対応する緊急修理、数か年かけてじっくり対応する定期修理といった、時間の過ごし方の違いが反映されている。
  • 西 桂
    2015 年 2015 巻 29 号 p. 29_83-29_92
    発行日: 2015年
    公開日: 2018/10/15
    ジャーナル フリー
    江戸時代の淡路国(淡路島)は、徳島藩の蜂須賀氏の支配下のもと、洲本に家老の稲田氏が派遣された。城下町が形成される中で、その一角の下屋敷に、曲田山を背景にして稲田氏重臣の武家屋敷が軒を並べた。曲田山一帯は和泉層群に位置し、全山砂岩の岩山よりなる。この岩山の自然石を巧みに活用して作庭されたのが下屋敷の庭園群である。その中心に稲田氏の別荘・西荘がある。後に益習館という学問所になり、庚午事変(稲田騒動)の中心舞台にもなった。この下屋敷の武家屋敷は、当時の建物群は皆無であるが、庭園遺構が、旧益習館を中心に現在でも数件認められる。巨石の自然石と人工的石組を見事に組合せ調和させた庭園であり、全国的にも稀な巨石を活かした特異な庭園と評価される。旧益習館庭園を考察することによって、その全貌も見えてくる。
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